引きこもりの少女と郵便屋 3



「お茶の用意をしたいところではありますが……」


 そこは広い屋敷の一部屋。先ほど退室したのとは、また別の応接室。

 当たり前のように応接室が複数ある辺り、やはり豪奢な屋敷だ。


 リオトとベルは、そこで再びソファに座している。

 一方でバトはやはり同じようにティーセットの用意をしようと申し出るが、その落ち着き払ったバトの立ち居振る舞いに、ベルは若干、苛立たし気に切って捨てる。


「いらぬ。く話をはじめよ」

「そうしましょう」


 常ならば横暴さに苦言を呈するリオトもまた無言。彼も彼で、すこし焦れているのかもしれない。

 とはいえ、バトとしてもその返答は予想の範囲内。茶の用意に時間を割くことを許すほど、彼女も彼も余裕を持て余してはいない。

 バトは沈着のまま一言断りをいれて対面に座る。言葉をはじめる。


「では早速。

 先ほど馬車においての説明でお嬢様のことを、私は中枢人物と表現しましたね、覚えておいでですか」

「ああ、うん。そう表現していたと思う」

「彼女の役職は『要巫女カナメミコ』といいます」

「……たしかそのような自己紹介であったかの。して、その巫女とやらはなんぞ」


 説明を要求できるタイミングもなく放置していたが、フラウラリーネが自らをそう指していたのは覚えている。


「『要巫女』とは文字通りの要。我らが『飛送処ヒソウショ』における転移術式、その要となります」

「む。まさか、それは人柱ということかや」

「察しのよい。流石は魔王様にあらせられます。その通りにございます」


 魔術において術式を敷き、継続的にその魔威を行使することのできる手続きはいくらか存在している。

 周辺の外在魔力を吸収して持続させる方法や、定期的に魔力を注入して維持させる方法などがポピュラーであろう。

 けれどそのどれもが単発的に発動される術技に劣るもの。その場の維持のために術の内容の多くを割いているためだ。


 ならばその欠点を補い得る手だてはないのか。

 ある。

 そのひとつこそが人柱である。


「転移の術式、それを維持し継続させるための管理者が必要でした」


 既定の区域内において生存し、その魔力を術式に常時与え続け、そして思考の数割を定期的に術の維持に割き続ける。そういう術式の管理者――人柱が、必要だった。

 命そのものを捧げる最悪と比すればまだマシな部類だが、それでも過酷な術の方式が一。

 その人柱こそが――かの令嬢、フラウラリーネである。


 リオトとてその魔術用語は知っている。

 だが、わからない。疑問が先立つ。


「まさか……しかし勇者が作った術式なのだろう?」

「ええ、ですから、【飛送転ヒソウテン】の彼女が存命の間はそんな問題はありませんでした。死してはじめて、その欠落が発覚したのです」


 それは誰にとっても想定外。

 順調に稼働していたシステムが、術者の手から離れたと思われていた術式が、勇者の死により破綻をきたしてしまった。


「いや、待ってくれ。そもそも、空間の魔術という高位のそれを簡便化して身内に教えたのだろう? どこに術式維持の必要があるんだ」

「転移の魔術というのは、それだけで種類が幾つかありますが、我々『飛送処』のそれは転換の法になります」

「む、そうであったか」


 ベルはその一言ですぐさま得心するも、リオトはまだわからない。

 バトが説明を続ける。


「転換の法では物体を転送する側と受信する側でそれぞれに術式が必要になります。そして、【飛送転】の勇者が皆に伝えた術が送信の術。そして、維持が必要なのは受信の術になります。それが『転移起点駅ターミナル・ゲート』と呼ばれる受信のはことなる術式の起点です」

「つまり、多くの同胞たちが物を各地で都度に送信し、受信の魔術は常に継続させることで受け取り地点として設置したということじゃな」

「……たしかに、それは『飛送処』のシステムそのものか」


 考えてみれば当然のこと。

 送る際にはそのタイミングで都度都度だが、受信側は常に起動していなければならない。でなければ送品が転移されないどころか、転移事故を起こして次元のねじれによって破損する。

 茶瓶を投げて、受け取る相手がいないでは地面に叩きつけられ壊れてしまうのと、それは同じことだ。


 その上、おそらく術者と術式自体にも返りが発生し無事では済まない。空間系統の魔術は高位で困難、その反動は高くつく。

 よって事前に常に、受信側の術式は稼働し続けなければならない。


「そしてお嬢様――『要巫女』は、世界中全ての『転移起点駅ターミナル・ゲート』の維持継続を賄っているのです」

「な――」

「全てを、ひとりでじゃと?」


 この世界に、一体いくつの『飛送処』があるというのか。


 もはや数えきれない膨大さのはずで、さらに言えば今もなお増え続けてさえいる。その上、遠隔地にあって所在もバラバラ、ひとつひとつが巧緻な式で編み出されたもの。


 それを、たったひとりで維持し続けている――それは、果たしてどれほどの魔力を要し、そしてどれだけの集中力を凝らしているというのか。

 挙句に間断なく、一瞬も一刹那も気を緩ませることさえできない。


 もしもそれを可能とするだけの能力を持った傑物がいたとして、しかしそれはその人物にとって、まるで呪いではないか。


「だが、人柱だなんて事実、公表はされていないはずだ」


 シノギも言っていなかった。いや、それは自らに課した口止めの範疇か。


「ええ。伏せられておりますね。知れれば巫女は狙われてしまいますから」

「なにより、人道的ではないだろう。たとえ大勢のためとはいえひとりに不自由と苦行を強いるというのは」

「けれど――便利すぎた、のじゃろう」


 ――知らぬ者はまずいない。利用していない者もごく稀で、間接的な影響を含めればおそらくその恩恵を受けずに今を生きることは不可能とさえ言われている。


『飛送処』という大機関、その影響力は計り知れない。

 人柱が必要となっても、今更にもうできませんでは通らない。この世の誰もが許さない。

 当たり前のように享受していた便利を唐突に奪われて耐えられるほど、人は寛大ではない。


「そして勇者の子らは彼女に似て善人でした。澄んだ心、誰かのために自分を犠牲にできる高潔さ。結果は目に見えておりましょう」

「迷わず自分を捧げる、か。なんてことだ」


 ああ本当に、なんてことだ。忌々しいにも程がある。

 されどそれは優しさから来る自己犠牲で、部外者がなにを言っても無意味であろう。


 けれどならば、彼は。


「けど、バトさん。フラウラリーネさんはだいぶその、高貴な人だろう。そもそもどうやってシノギと知り合ったんだ」

「ああ、それなら簡単ですよ。サカガキ様はかつての勇者、その仲間の子孫にあたる方だからです」

「勇者の仲間の子孫!」


 いきなり驚きの事実が発覚する。

 バトはどこか懐かしげに誇らしげに首肯する。


「ええ、かつて【飛送転ヒソウテン】の勇者とともにあった仲間は数名おりました。その中で、ひとり東へと旅立った御仁がいたのです。その方の子孫にあたります」

「どうしてそれがわかるのじゃ。東に離れて久しいのじゃろう、今更もどっても血筋の保証なぞ」

「かつて勇者が贈った魔刀を、彼は継承しております。知っておいででしょう? 魔刀『縁』」

「あの魔刀、そんなに由緒正しいものだったのか」

「しかし奪ったものであるかもしれんぞ」


 ベルの揚げ足取りにもつつがなく。


「断定理由はもうひとつあります。何よりも、面影がありましたから。サカガキ様は彼に似ています」

「……それは」


 微妙な言い回しだ。

 その言い方ではまるで二百年前の人物を知っているかのような――。


「ええ、不肖この私もまたかつての勇者と同行しておりました。故、サカガキ様の顔立ちに深い懐古を抱いたものです」

「そうか、あなたも、かつての」

「魔人の寿命は約三百年、確かに存命でもおかしくはなかろうな。しかしそんな過去の偉人が、なぜ執事などしておる」


『飛送処』は勇者が興した組織。ならばその創成期にはバトも尽力したのだろう。

 その際の功績はきっと大きく、また単純に年功序列などの考え方も含めれば、バトはこの機関において相当に高い地位にあるべきではないのか。

 なのに、奉仕する執事という役柄などに収まっているというのは違和感がある。


 率直な疑問に、バトは笑みを深めて簡潔に一言。


「趣味ですよ」

「え……」


 予想外の返答にリオトは硬直。

 多くそのような反応を見てきたであろう長老の魔人は、優雅を欠かずに自らの価値観を語る。それが全てだというように。


「私は人に仕えることに誇りをもっております。相応しき主人に奉仕することを素晴らしいことだと思います。そして【飛送転ヒソウテン】の勇者、彼女は我が主人としてこの上ない方でした。今代の主、フラウラリーネお嬢様もまた同じく」

「……ふむ、根っからの奉仕者というわけじゃな」


 リオトが勇者であるように、ベルが魔王であるように。

 バト・ニグレドは執事であると、ただそれだけのこと。

 少し無駄話が過ぎた、バトはそこで控える。


「失礼、私のことは本題ではありませんね。歳を重ねると無駄話が多くなってしまって申し訳ありません」

「いえ、そんなことは」


 否定しつつも話題が逸れていることは確か。リオトは短く言えばすぐに黙する。次の言葉を譲る。

 バトも理解して、話を戻しましょうと続ける。


「不幸があり身寄りを失ったサカガキ様は、最後の伝手としてこの都市にまでやってきました。魔刀『縁』さえあれば些少なりとも援助を期待できると両親の遺言があったそうです。

 そして東から来訪したサカガキ様は幼年期の頃にお嬢様と出会い、無二の友人となったのです」

「……」


 リオトは少し複雑そうな顔つきになるも、口は挟まない。


「お嬢様も、幼い頃から次の要巫女になることを決められ、極力外部との接触を断っておりましたため友人もできず孤独に過ごしておりましたので、彼がはじめての友人となりました」

「そのくだりは必要なのかや」


 一方で、ベルは早めに我慢の限界が来た。うんざりした様子で横槍を差し込んでは要点をまとめて話せと申す。

 バトは一言謝罪を挟むも、あまり口調に変化はない。事の内容説明を端折った風もなく続ける。


「お二方の関係性の根底でしたので、ご容赦を。

 お嬢様とサカガキ様は幼年期に友誼を結びました。実はこれは、重要な点でして。お嬢様はそれから二年後には要巫女としてこの屋敷に封ぜられることとなるからです」

「……人柱としての活動範囲かや」

「ええ。ですので、幼い頃でなければまず出会うことのなかった二人なのです」


 人柱の術式では、その人柱になる人物を所定の範囲内へと封印する。

 術式管理をこなすための管理人室とでも言えばいいのか。その範囲内から脱してしまえば、人柱としての役割が意味をなさず、故に人柱が外出できないような断絶が敷かれることが多い。

 この屋敷内まるごとをそれとするのは、無論に通常から見て広大で自由度の高い封鎖ではあるが、それでもそれは。


「籠の中の鳥、か」


 それも自由を知った鳥で、なによりも齢十にも満たない子供だ。

 そんな理不尽――


「シノギが許すはずもない」

「激怒する姿が目に浮かぶわい」


 全くですと、バトはなんとも言い難い笑みを浮かべる。


「もうお分かりでしょう。サカガキ様の旅の目的は、お嬢様の解放となります。彼女を救うになにか都合のいい神遺物キセキはないかと、探し求めているのですよ」


 思い返せば、シノギの行く先々には多く神遺物アーティファクトがあった。

 けれど忘れがちだが神遺物アーティファクトは珍しい。そう当たり前に転がっているわけではない。

 なのに、よくよく旅先で目についたのは、むしろそういう場所に向かっていたから。神遺物アーティファクトに関連した地域、依頼を優先して引き受けていたから。


 なぜならシノギこそが、誰よりも神遺物アーティファクトを探そうとしていたのだから。


「そういうことだったのか、水臭いな、言ってくれれば協力したのにな」


 ああ、いや。

 自らに口封じを課していたのだから、それは無理なのか。

 単純に気恥ずかしかっただけの可能性も十二分にあるけれど。


「さて、これが今私の話せるお嬢様とサカガキ様の関係です。

 唯一無二の友であり、故にこそ離れ離れとなり、それでも互いを助け合おうとする。籠の鳥というのならば、きっとお二人は比翼の鳥とでも称すべきではないかと」


 締めくくるように告げるバトに、ベルは鼻白んで目を細める。神妙に言葉の刃を突き立てる。


「待て、まだ話しておらんことがあるじゃろ」

「おや、なんのことでしょう」


 惚けるように肩を竦めても、ベルの追求は止まらない。

 一切の遠慮もなく真っ直ぐにそれを問う。


「あやつの髪の毛、あれは魔力障害の一種じゃな――フラウラリーネ・フォン・エスタピジャ、あやつ、寿命はあとどれほどじゃ?」

「え」


 驚いた顔を晒すのはリオトだけ。バトは瞑目して困った風情を出す。


「さすがに、魔術の王には隠し通せませんか」

「どういうことだ、ティベルシア」


 寿命、命のかかわることとなれば勇者は迷わない。素早く率直に事情を知りたいと申す。

 ベルは淡々と。


「人柱のように常に魔力を消費し続ける行為は、それだけで危険を伴うものじゃ。

 人体は外在魔力マナを外より取り込み、体内において己の内在魔力オドへと変換する。そして内在魔力オドをまた変換して魔術へと昇華する。魔術として使われた魔力は世界へと還り、再び外在魔力マナへと溶け込む」

「それは知っている。それで、どうして寿命に関わる」

「魔力とは人体で循環するひとつの力の流れということじゃ。その循環を休みなく行い続け、加速させ、酷使すると――やがて循環する環にあたる魔術回路が焼き付く。言うなれば経年劣化じゃな。大事に使えば百年は使い続けられるはずが、間断なく使い潰したせいで、寿命を縮めることになる」


 そして、魔力回路が機能停止するということは魔力を得られないということ。魔力は人の生命力であり、それを生成できないのならば当然ながら命は保てない。


「……寿命とは、つまり魔力回路が稼働するリミットということか」

「然り。あの頭髪を見たじゃろ。あれはの、おそらく元はもっと色素ある綺麗な色合いだったはずじゃ」

「幼少の頃のお嬢様は、美しい空色の髪をしておいででした」

「で、あるか。

 確かに僅か青みがかってはおったか。あれは魔力回路の酷使の影響で色を失ったのじゃろう。魔力障害にそういう事例を聞いたことがあるでの」


 まるで老化してしまったような。命が朽ちていく狭間のような。

 そういう儚さは、正しく彼女が死に近い彼岸にあるが故であったのだ。


「このことを、シノギは知っているのか」

「ええ、お嬢様は彼に隠し事はしませんので。ただし、この事実――引いては要巫女の存在自体が機密扱いですので、吹聴なさらぬようお願いいたします」

「それは勿論」


 リオトが確約に首肯する横で、しれっとベルはさらに機密事項に踏み込んでいく。


「して、寿命のほどはいかに」

「おおよそ、あと五年といったところでしょうか。あくまで推測でしかありませんが」


 継天者ケイテンシャとしての膨大な魔力量、その適性の高さ、そしてフラウラリーネ自身の意志力。全て総括して考えれば、それくらいだろうと言われている。

 怪訝そうにベルが首を傾ぐ。


「それは、短くないかや。ひとりの人柱で二十数年程度では、この二百年で十人近くが犠牲になっておる計算じゃぞ」

「いえ、今まではもっと長く生存していたのです。最初のひとりは五十年、次も六十四年。歴代の要巫女たちは寿命が多少縮みはしても、早逝とまでは至っておりません」

「では、彼女は」

「……適性が、高すぎたのです」


 はじめて。

 バトが感情的な言葉を発した。

 彩る思いは、理不尽への怒りか。


「術式と相性が良すぎて、術が活性化してしまい、その分余剰に魔力を奪っているのです。その過剰な需要にも耐えきれるほどの魔力量を保持しているため、セーフティもかからず、お嬢様はこれまで類を見ないほどの負担を強いられています」


 勇者に非ざる者が、勇者としての負担を強いられている。

 それは、魔力器官を損壊したリオトが無理やりに神等勇具レリックアーツを行使し、激しい反動を負ったのに似ているのかもしれない。


 あれは辛い――リオトはその苦しみを理解できる数少ない者として、救いはないのかと親身になる。


「だが、それはどうにもならないのか。術式に干渉して軽減する方法を探すとか」

「無理じゃろうな。勇者の術式じゃ。まず手出しは不可能。しても、変にネジくれて術意が変質してしまいかねない」

「……ティベルシアでも無理か」

「転移術はどうしても繊細で難解、なにより独特じゃからのぅ。それも勇者が独自で編み出したとなると、期待は薄いじゃろう。いつかのように消してしまうわけにもいくまい?」


 まあ此度はセキュリティが万全であろうから、やはり望みは薄いのだけれど。

 それでも可能性があるのならとリオトは思うが、バトがそこで首を振る。


「そもそも、『飛送処』の上層部がそれを許しはしませんよ。我らが【飛送転ヒソウテン】の勇者が遺して下さった術式を改竄など侮辱と捉え、激怒することでしょう」

「そう、か。難儀だな」

「ええ、難儀なのです」


 困ったなぁ、というように男ふたりは肩を竦めた。

 きっと、この執事もすました顔の裏で可能な限りあらゆる手を尽くして、主人を救うための方策を探し続けたのだろう。

 途方に暮れるほど力の限り、疲れ果てるほど思いつく限り。彼にできる全てで全てを模索して、そしてこうして未だになんの成果も出せていない。


 いつだって運命は気分屋で、神さまは意地悪だ。

 理不尽だらけの世界は、祈りなんて聞き入れてはくれないのだろう。


 ――だから抗うシノギがいる。


「さて、私からのお話はこれくらいにしておきましょうか。これ以上のことは当人に聞いたほうがよいかと。今先ほど話した内容は、おそらくサカガキ様が話したがらない部分ですので」

「あー、それはわかるのぅ。あやつ自分のことを語りたがらんでな」

「だから、今日は聞けてよかった。ありがとう、バトさん」

「いえいえ、落ち着かれたようでなによりです」

「むぐ……」


 その一言に、ベルは少しバツが悪そうに顔を背けた。

 おおよそ、いつも通りを取り戻すことができたようである。


 べつに、心の整理がついたわけではない。感情に決着がついたわけでもない。未だに腹の中を黒い想念が渦巻いては締め付けられる。

 ただそれとは別に進行していく現実があって、どうにもならない迷いや割り切れない思いは棚上げにしなければ歩けない。

 いつまでも喚いて愚痴って駄々をこねても仕方がない。切り替えは大事で、目を背けることも時には必要だ。


 今得た情報をもって、すこしは冷静になれた。これ以上の不様を晒すのは嫌だし、幻滅されたくはない。

 いつものように尊大に、毎度変わらず余裕たっぷり、不敵に笑みを刻んでおかなければ。

 

「案内せい」

「ええでは、案内しましょう。もう一度、お嬢様のもとへ」


 そのとき。

 ばちりと音がした気がした。



    ◇



「てーか、それより」


 かちゃりと。

 シノギはティーカップをソーサーに置く。


 相変わらずバトの腕は確かで、どこを旅してもこの味を超える茶には巡り合えなかった。執事不在につきおかわりを要求できないのが残念ではあれ、茶の味に浸っていては話に身が入らないとも言える。


 これから真面目な話をするのだから、それはそれでよしとする。

 もしかしたら、バトが席を外したのも、こうしてふたりきりで話をする時間をくれたためかもしれない。


 けれどその前に、ひとつ、シノギには訊きたいことがあった。

 まずはじめっから気になっていたことであり、喉につっかえて仕方ない違和感。それについてようやく疑義を呈する。


「なんでしょう」


 フラウラリーネはその問いが既にわかっているのか、やはり稚気満ちて楽しそう。

 シノギは、半眼になって端的に言う。


「サカガキさんって、なんだよ」

「いえいえ、わたくしなりの気の遣い方でしたが、特段に意味はなさなかったようですね」

「どういう意味でい」

「お気になさらず。ですが、そうですね、改めましょうか」


 ごほんとわざとらしい咳払いで喉を整え、フラウラリーネは真っ直ぐにシノギの悪瞳を見つめる。怯えもせず怖気ずくこともなく、むしろ慣れ親しんだ瞳に愛嬌さえ見出して。

 にっこりと、花咲くように笑った。


「おかえりなさい、シノギ」

「ん、おう。ただいま」


 やっと。

 シノギは帰ってきたという確かな実感を全身に満たすことができた。


 ただの一言で、ありきたりな言葉だけど、大事なものはいつだっていつも通り。

 彼女のその言葉を聞かないで、どうにも帰った気がしないのだから難儀なものだ。名の呼び方が違うだけで、なんだか腹の底で奇妙な違和感が湧き上がっては落ち着かなかった。


 満足げなシノギに、フラウラリーネは続ける。それはいつものやりとり。いつもと違うやりとり。


「今回もまたよくぞご無事で帰ってきましたね」

「ああ、楽しかったぞ」

「またそれですか」

「ほんとのことだからな。それに今回はあのふたりもいたしな」


 む。とフラウラリーネは一拍、言葉を詰まらせ、すぐに返す。


「ですがその分、遭遇する厄介ごとが増しているようですが?」


 些か棘が混じった言いようになってしまったのは、不覚ながら未熟さの発露か。

 シノギは肩を竦める。すこしも堪えた様子のない自然体での言葉は、フラウラリーネの皮肉の棘を理解してもいない。


「かもな。けど、それ以上に頼りになる奴らさ」

「おやおや、あなたがそこまで気を許すのも珍しいですね」

「あー、まあ、そんだけすげェ奴らなんだよ」


 なぜか自慢げに笑うものがら、フラウラリーネは思わずぐっと拳を固めてしまう。


「……一発ぶん殴っていいですか?」

「なんでだよ、嫌だよ」

「申し訳ございません、つい本音が冗談の形で漏れてしまいました」

「本音かよ」


 なにが気に障ったんだ、とわかっていないシノギである。

 わからないことをわからないまま放置できる男。シノギはあっさりと話を変える。


「で、お前のほうはどうよ。不足ねェか、不満ねェか」

「もちろんありますよ?」

「あ?」


 それは由々しき事態。まさか此度の呼び出しは――


「シノギがわたくしの手元におりません。触れたい時に触れえず、言葉を交わしたい時に交わしえない。それは百の不足で千の不満となりますから」


 完璧な笑顔で陳情された不平不満は、シノギの脱力を誘うに充分だった。


 何度も何度も同じことを言われた気がする。

 何度でも何度でも、同じ答えを返す。


「……まだ止まれねェ。お前をぎゃふんと言わせてぇんだ」

「誰も頼んでいません」

「おれがおれに誓ったんだよ。誰より重要な依頼人だろうが」


 はぁ、と可愛らしいため息がフラウラリーネの口から零れ落ちる。


「あなたは本当に頑固ですね」

「お前と同じだ」

「意地っ張りですし」

「意地も張れねェじゃ男が廃るってな」

「勝手で、我が侭です」

「おれはおれだからな、他の誰でもねェのさ」


 ふふ、とフラウラリーネは微笑み。

 シノギも音ならず頬を緩ませた。


 そこにあるのは通じ合った者同士の言葉にならない喜び。

 ああ本当に、この人は変わらない。なにも変わらない。

 だからこそ信じられる。信じて託せる、自らの全てを。


 フラウラリーネは機嫌よくもう一度、カップを掴む。紅茶をいただき、味わいながら飲み干す。ソーサーに戻して。

 切り替える。


 それを見て取り、シノギもまた腹を括る。

 疑問も終えた、じゃれ合いもそろそろいいだろう。時間があるならいくらでも遊んでいたいが、急ぎの本題があるはずで。

 シノギはずばり、切り込んだ。


「で、なにがあったよ」


「――代替が見つかりました」


「な……っ」


 即答された予想外に、シノギはしばし絶句する。

 頭の中で組み立てていた予測の数々が一撃でぶち壊され、撹拌されては混乱を引き起こす。

 意味ある言葉を脳裏に作り直し、口から吐き出すのには多くの努力を要した。

 なんとか、掠れた声が撃ちだされる。


「まじ、かよ……。見つ、かったのか。そりゃ、」


 咄嗟に浮かんだ意を飲み込んで。


「やっぱり、あいつが?」

「ええ、兄様が」


 フラウラリーネは不動だった。

 彼女は既にこの事実に驚き惑い、そしてスタンスを決めていたからだ。一度驚いたことを語るのに、動揺はいらない。

 そのため、朽ち木のような少女はすらすらと語る。


「あの方もあなたと同じく、わたしくの境遇に不憫を思って奔走していたのは、ご存知でしたよね」

「そりゃな。あいつより早くに見つけたかったが」


 競争のつもりはない。

 誰が救っても等しく祝福だと思っている。

 けれど。


「間に合わなかったかよ……」


 それでもシノギは、自分の手で彼女を救いたかった。

 馬鹿な考え方だ。独りよがりで、意味もない。過程で誰が救おうとも、結果がなされればそれでよしとすべきだ。

 むしろそんな発想が生じた自分を、また少し嫌いになった。


「発見された代替はハク・メルヒェンという、口をきかないエルフの少女です」

「エルフ」


 長寿で、魔力量に優れ、魔術に精通した種族。

 それは代替としては最上の素材であろう。問題なくことを済ませ、上々の成果を期待できる。


 ただひとつ問題があるとすれば、フラウラリーネの矜持にある。

 その最大にして面倒極まる問題点を瞬時に把握して、けれど。

 シノギは俯き、情けなくも低い声で呟く。


「なあ、今から滅茶苦茶、格好悪いこと言うぞ」

「このままでよいと、そう仰るつもりでしたら、あなたと言えども許しませんよ?」

「でもよォ」

「これはわたくしの矜持の問題です」


 まるきり他事を両断するが如く断言する。

 その声には力強い意志が、その言葉には誇りが宿る。


 翻ってそれに反論するシノギには、不甲斐なさと格好悪さ、それから微かな期待感に彩られる。


「でも、それでおまえが……」

「いやです。そんな救われ方を、わたくしは望みません。そんな風にあなたや兄様の手を汚すなど、絶対に御免被ります」


 代替、とは。


 つまり要巫女の役割を引き継ぐに足る適性を備えた者を指す。

 フラウラリーネ・フォン・エスタピジャから要巫女という役職を剥がし、見知らぬ誰かに押し付ける。そういう救い方である。


 無論、簡単に言うが代替などという存在は稀少である。

 魔力の質、色合い、属性。回路の形態、容量、特性。そしてなにより――魂の近似性。

 全ての条件を揃えた赤の他人というほとんどありえない誰か。むしろ、発見など不可能と考えられていたほどの希少な素養持つ人材。


 それを不屈の意志と強大な権力、そして偉大なる英雄の力をもって――見つけ出した。

 奴が見つけたというのなら、嘘でも勘違いでもあるまい。つまり、フラウラリーネは救われるのだ。



 けれどそれは、単なる不幸のたらい回しである。



 そのことを、フラウラリーネは誰よりもわかっている。

 自分が今、感じている負担のあらゆるを知り、その責務の重さを誰よりも知悉している。

 だからこそ、今更に無責任に他者へと放り投げて、はい一抜けたと自分だけが楽になるなど許せない。

 自分が自分を、許せないのだ。


「っ……はァ」


 シノギもまた、そういうフラウラリーネの性根をよくわかっている。誰よりも、知り尽くしている。

 だからこうなったお嬢様を言いくるめ、説得し、撤回させるなど不可能というのもわかる。


 我が儘は通す。意志も矜持も曲げたりしない。そして、事も無げに無茶ぶりを飛ばす。そういう女。

 じゃあ、シノギはどういう男だったか。


「お前は本当、頑固だな」

「あなたと同じですね」

「意地っ張りだし」

「あなたには負けます」

「勝手で、我が侭だ」

「それでも、叶えてくださるんでしょう?」


 それは問いではない問い。

 何故なら確信しているから。シノギの答えを、信じているから。


「あァ。わかってんよ。お前が嫌なら、そうしてやる」


 本当に、今回もまた無茶ぶりだけど。

 それこそ言ったように同じだから。


 ――フラウラリーネの我が儘を叶えてやれない自分なんてのは、矜持に反する。許せない。そういう男がサカガキ・シノギ。


 だから断ずる。迷いなく。


「今回この一件――破談にさせてやる」






「――本当に貴様は愚かだな」


 ばちりと。

 淡い雷撃が走った。



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