引きこもりの少女と郵便屋 2



 運輸転送機関『飛送処ヒソウショエスタピジャ』。


 世界各地に支部を置き、あらゆる都市や組織と提携、多くの町村と密着している大組織。六大機関の一角を担い、最新にして最大規模を誇る。

 知らぬ者はまずいない。利用していない者もごく稀で、間接的な影響を含めればおそらくその恩恵を受けずに今を生きることは不可能とさえ言われている。


 旅する三馬鹿も、無論にその恩恵を数多受けていた。

 郵便屋としての仕事の依頼、届け先や届け人とのやり取り、物品の補給。

 多くはシノギが活用していたが、シノギの財布や物資が彼らの全財産であるので、つまり三人ともが利用していると言っても誤りではない。


 巡る町々、訪れた都市や小さな村まで、その機関の支部は存在した。設置されていない人里は本当に少なかったように思う。

 過去からの到来者であるリオトやベルでさえ、その機関の重要性はすぐに理解できた。

 世が世なら、場合が場合ならば――これは世界を牛耳るに足るだけの権力を保持しうる機関であると。




 その『飛送処ヒソウショ』本部を通り抜け、すぐ傍に建つこじんまりとした屋敷がある。

 勇者直系の血筋の住まう家と聞いて、すわどんなお城か宮殿かと期待していたベルが拍子抜けするほどささやかな邸宅だ。無論、小さくなどないし、金もかかっているのはわかる。一般的に言って豪邸だろう。


 けれど、どうにも『飛送処ヒソウショ』という巨大機関の重要人物が住まうというには普通すぎる。


 ベルの感想は別に、八本足の軍馬スレイプニルの馬車は当たり前のように屋敷の広い庭で停止した。やはり目的地はここらしい。


 若干、不満そうにしながら、馬車から降り立つ。

 優雅な仕草でバトが先導し、三人を屋敷の中へと案内する。


 大きい門を開けば、すぐに広い玄関ホール。

 塵一つない清潔感に整理された様式、招いた者を感嘆させはするが嫌味にならない調度の数々、踏み入った一歩で別世界の気分を味わうことになる。

 のだが、なんだろうか。


「……?」


 がらんとしている。

 暖かみがなく、冷めていて、薄暗ささえ感じる。

 原因はすぐに気が付く。


 人の気配が、まるで感じられないのだ。


 この大きな箱に比して、人口密度がスカスカだ。いや、そもそもこの建物に人はいるのか、無人なのではないか。そんな懸念が湧き上がるほどにひと気がない。その痕跡が薄い。

 リオトの困惑に、ベルが否と首を振る。


「おるぞ、感じる。強い魔力反応が、ひとつの」

「ん、ひとりだけなのか? この大きな屋敷に?」

「ああ、この屋敷はあいつとバトさんだけだ。手入れとかは全部バトさんひとりでやってて、まあそこはスーパー執事の手並みだわな」

「恐れ入ります」


 控えめに言いながら、先へと促す。

 ベルの言うただひとつの魔力反応へと向かって、屋敷の廊下を渡る。


 少し進めば、リオトにも感じ取れた。

 確かに、この屋敷全体を染め上げるような大きい魔力がある。

 魔王や勇者ほどとは言わないまでも、これは、もしや魔人の上位にも食い込むほどに強大な魔力ではないか。抑え込まれ、活性化していない平常状態でさえ、その魔力の質の高さは感ぜられた。


 魔王や勇者の子孫というのは、時にその力の一部を受け継ぐ。


 印章はなく、神威も得られず、当人と比すれば大したことなどない。半神にも現人神にも遠い只人でしかない。

 けれど、その人という枠組みで見れば大いなる才気、膨大な魔力を持ち、そしてごく稀に特異固有の能力を保有する者さえ現れるという。


 それを指して準勇者、半魔王――天命を継ぐ子『継天者ケイテンシャ』と呼ぶ。


 無論、全員が全員ではない。そうであるならば繰り返される代替わりを考慮すると半神の子孫は大勢いて、多くの『継天者ケイテンシャ』が存在することになってしまう。


 才気だけを受け継いだ者、魔力だけを受け継いだ者、もしくはその両方。半数がそれで、どちらも継げなかった者がまたその半数。そして特有の能力を取得できる者が例外的に僅かだけ生まれる。

 この屋敷に住まうという引きこもりの嬢は、少なくとも魔力は継いでいる。間違いなく『継天者ケイテンシャ』――人の臨界に立つ存在であろう。


 と、そうこうしている内に、いつの間にやら件の魔力反応のすぐ傍にまで辿り着いていた。

 先を歩んでいたバトが一枚のドアの前でぴたりと停止する。反転し、一度こちらにその美貌を差し向ける。


「それではサカガキ様、リンカネイト様、トワイラス様、こちらでございます」


 そしてノック。

 その澄んだ声音で室内の主に向けてお目通りを願う。


「お嬢様、サカガキ様一行をお連れいたしました」

「ええ、どうぞお入りください」


 了承を得て、静かにドアは開かれ。



「――おかえりなさい、サカガキさん」



 ふわりと、そんな第一声が耳朶を震わす。

 その部屋は、ああおそらく整然として厳格な風情をもった、それでいて優美で高価な品を揃えた応接室だったのだろう。この屋敷で最も高等で、客を招く主の格を見せつける部屋なのだろう。


 だが、そんな部屋の内装は一切、頭に入ってこなかった。


 視界に映るのはただひとりだけ、意識を支配するのはただひとりだけ。


 麗しい少女、だった。


 子供とも大人ともつかぬ成長途上と言える体躯は白く細く、美しい令嬢の一言に尽きる美貌は誰をも感嘆させるだろう。

 だというのに、朽ち木のような薄弱な雰囲気で、老いさらばえたが如き色の抜けた白き長髪をなびかせる。

 宝石の如く貴き気品を有する美少女なのに、どこか幽鬼染みた消え入りそうな生気のなさ。

 その可憐さは目を惹く。同時に、その危うさもまた、人の気を強く惹きつける。


 まるで夜空に瞬く星のよう。

 見上げれば綺麗で見惚れるけれど、ふと気づけば流れて消えて見えなくなってしまう。そんな儚さの美があった。

 初見でもってはどうしても対応に迷う――ならばやはり最初に答えるのは見知った顔だろう。


「あん?」


 と、いつものチンピラ風情で、深窓の令嬢に対するはシノギ。

 どこか不審げな声音に、少女はその柔らかな微笑を揺るがすこともない。繰り返しシノギへと言葉を送る。


「おかえりなさいと言っています」

「あぁ、おう、ただいまだけど……」

「そして、お初にお目にかかります、かつての魔王様に勇者様――わたくしはエスタピジャの『要巫女カナメミコ』フラウラリーネ・フォン・エスタピジャと申します。以後お見知りおきを」


 返答をもらえば満足げ、あっさりと視線を移す。

 おい、というシノギなど無視して、その長い睫の奥に煌めく紅眼をベルとリオトに向ける。

 名指しで話をふられれば反応できる。リオトは努めて冷静に口を開く。


「はじめまして、俺はリオトーデ・ウリエル・トワイラスと言います」

「……ティベルシアじゃ」


 既に魔王と勇者であるという事実はシノギによって伝わっているようだ。ミドルネームを伏せる意味もない。久しぶりに、リオトはフルネームを名乗った。

 一方で、ベルはどことなく素っ気なく、警戒心のようなものが見え隠れする名乗り。


 その不愛想にリオトなどは冷や冷やするのだが、特段に相手方の機嫌を損なった様子はない。シノギもなにも言わない。

 どころか、フラウラリーネは上機嫌そのものの笑みで続ける。


「聞き及んでおります。リオトーデさん、ティベルシアさん、と呼んでもよろしいでしょうか」

「はい、もちろん構いません」

「好きにせよ」

「ありがとうございます。わたくしのことはフラウとお呼びくださいませ。サカガキさんはそう呼びますので。敬語も結構です。サカガキさんと同じように扱っていただければ」


 思ったよりもグイグイ来る。

 物腰は柔らかいし、言葉遣いも上品そのもの。座る姿は牡丹の花にも似て美しい。淑女然として、けれど、その骨のように命薄い白さの外見とは裏腹に積極的だ。


 とはいえそれですぐに打ち解けられるほど面の皮は厚くない。リオトは曖昧に笑い、ベルなどは露骨に冷めた目つきとなっていた。

 まるで動じず、フラウラリーネは花のような笑みを浮かべ淑やかな仕草で対面のソファを示す。


「どうぞお座りください。バト、お茶を用意して」

「かしこまりました、お嬢様」


 勧められるままに、三人はソファへと座す。

 すぐにバトがテーブルにカップを用意し、香しい茶を注いでくれる。紅茶だった。


 手慰みのようにリオトはひとつカップを掴み、できるだけ失礼にならぬように茶を啜る。芳醇な味わいに、思わず声を上げそうになった。おいしい。


 舌を湿らせたお陰か、美味に調子を得たか、次の言葉は滑らかにでた。最初に問いかけたいのは、ずっと、気になっていたこと。


「それでその、あなたとシノギとは、一体どういう関係なんでしょう」


 その問いに、フラウラリーネはおやと小首を傾げる。

 すぐに得心いって、ほんのりと上品な苦笑を零す。


「ああ、そうでしたね、サカガキさんはわたくしのことを話せませんでしたね」

「シノギが、話せない? 先ほども伺いましたが、それはどういうことですか」

「自身がわたくしの弱みになると思ったのでしょう、わたくしのことを話せないように、彼の呪い『郵便屋として背く行為の禁止』を利用したのです。わたくしを顧客として扱うことで、客の事情を話す不義理を自己の死に結び付けたのです」


 顧客の情報を漏らすなど、郵便屋として背く行為そのものだろう。

 だから、シノギはフラウラリーネへと届ける品物を常に運び続けることで、自らに口外不可の呪いを施したのである。


「それでシノギはあなたについて語る言葉を持たなかったと」

「わたくしの立場を勝手に気にして、勝手に呪いを利用して、勝手に自分に口封じをしたのですよ、このバカは」

「うるせいやい」

「…………」


 それは、自分の命を懸けてでも、フラウラリーネの情報を――引いてはフラウラリーネ自身を守ろうとしていたということか。

 問いかけは言葉にならず、話は進行していく。


「ですが、届け物をわたくしが頂戴すれば顧客ではなくなりますので不言の約定は終わりましょう。サカガキさん?」

「ああ。ほれ」


 と言って魔刀『クシゲ』から取り出したのは一冊の本だった。

 その本に、リオトもベルも非常に見覚えがあった。

 少し驚いて目を見開いた。


「それ、君の日記帳じゃないか」

「ああ、これがおれからこいつへの届けもんだ」


 手渡すと、フラウラリーネはしばし受け取った書物を目を細めて見つめ、脇に置いておく。

 そして不意にリオトへと悪戯っぽく笑いかける。


「不思議ですか?」

「え、ああ、はい、うん。だって、どうして日記を」


 くすりと実に楽しげに笑う。フラウラリーネは先ほどから、ずっと楽しげだ、


「この方は旅の理由、郵便屋なんて酔狂をしている理由、そして似合いもしない日記を記している理由を語ったことはありますか?」

「確か……あてつけと」

「そうです。彼はわたくしにあてつけているんです。

 外は楽しいんだから、わたくしも出てみろと、そう笑っているのです。旅先の話をいつもいつも嬉々として語りあげて、しかもこうして日記に記録してわたくしに読んでおけと押し付けるんですよ?

 まったく、本当に困ったひとです」


 ――一緒に外に出よう。

 ――ここは臭いし、物がごちゃごちゃあって狭苦しい。まるでゴミ箱だ。

 ――だから一緒に外に出よう。外は綺麗で楽しいから、一緒に外で遊ぼうよ。


 出会ったあの頃から、シノギは少しも変わらない。

 歳をとり、外に出て、旅を続けて、それでもなにも変わらない。

 サカガキ・シノギは、いつまで経ってもサカガキ・シノギのまま。


「通りで似合わない日記なんかつけてたのか、シノギ」

「……」


 シノギは憮然として顔を背ける。

 似合わないのは百も承知で、あまりそこを掘り下げないでほしいようだ。


 フラウラリーネなどは不貞腐れるシノギを眺めるのは三度の飯より好きなのだが、今回は客人もいるため控えておく。彼女のほうから話を戻す。


「それで、関係性でしたか。サカガキさん、あなたはどう答えますか?」

「腐れ縁」


 即答である。

 やれやれとフラウラリーネは意固地な子供に接するように朗らか。


「間違ってはいませんが、お二方は納得しないでしょう。わたくしからわかりやすくお答えさせていただくのなら……そうですね、幼馴染でしょうか」

「幼馴染……」

「…………」


 シノギの過去を、ふたりは知らない。


 彼は自分語りなど好まないタチであるから。問うてみても深く返答が返ることはほとんどなく、茶化してはぐらかされるだけだろう。

 三馬鹿などと一括りに呼んでみても、彼らはまだ出会って一年にも満たない。それ以前に生きた二十年以上が存在して、その足跡があって、結んできた縁故がある。


 それを――ふたりは知らない。その程度の関係性でしかない、のかもしれない。


 翻って、では。

 もしかしてこの少女は、フラウラリーネは、シノギのことを誰よりも知っているひとりなのではないか。


 

 ああそれは、まったくもって――ちくしょうだ。



「……すまぬ、ちと席を外す」

「は? あ、おい、ベル?」


 なんの脈絡もなく、ベルは立ち上がる。速足で歩き出す。

 最低限楚々とした風情ながらどうにも逼迫した雰囲気が濃く、その姿はまるで逃げるよう――泣いているかの、よう。


「おい、ベル!」


 すぐさまシノギも立ち上がり――


「待ちなさい、サカガキさん」


 フラウラリーネの鋭い声に足止めされる。

 その合間に、ベルは常ならざる俊敏さでドアを開けて部屋を辞す。

 ばたん、とドアの閉まる音が響いて直後、シノギの悪瞳がフラウラリーネを刺す。


「……なんでい」

「あなたは行かないほうがいいでしょう。リオトーデさん、お願いできますか?」

「え、あっ、ああ。もちろんそれは構わないけど」


 ことの次第を静観していた、いや、なんだかぼうっとしていたリオトが、言われてようやく立ち上がる。ベルを追う。

 勇者たる彼にして酷く反応が鈍い気がしたが、やはりそれを問うよりもリオトが部屋を出ていく方が先で。


 二度目のドアの開閉音がして、部屋にはシノギとフラウラリーネだけ。いつの間に、バトまでいなくなっていた。

 もう一度、シノギはフラウラリーネへと言葉を差し向ける。若干の険のある、責めるような口調だった。


「……なんで止めたよ」

「いま、彼女はあなたに見られたくないような顔をしていらっしゃるでしょうから」

「どういう意味でい」

「女性同士のシンパシーです。殿方がなにか言うものではありませんよ」

「ち」


 そういう言い方は卑怯だ。

 知り及ばぬ領域ではなんと言っても間抜けになる。憮然として腕を組み不機嫌をアピールし、その卑怯を声なく批判するのだが、フラウラリーネは実に楽しそう。


「まあ、ここはリオトーデさんと、バトに任せておきましょう。あなたにはわたくしの話を伺ってもらわねばなりません」


 優雅に紅茶を頂きながら、フラウラリーネはその笑みを深めるのだった。



    ◇



「ティベルシア……ティベルシア!」


 何度目かの呼びかけで、ようやくベルはその足を止めた。


 広い屋敷、長く複雑な廊下をどれだけ進んだだろうか。はじめて訪れたベルとリオトではここがどこかもわからない。ただ無意識ながら外へと逃げ出そうとしていたのか、追いついた場所は庭の見える窓際だった。


 やっと立ち止まったベルの背に、リオトはなんと告げればいいのか言葉を探しながら、できるだけ穏やかに話しかける。


「ティベルシア、急にどうしたんだ、君らしくもない」

「わしらしくもない?」


 振り返る童女の瞳は深淵の如くに暗く、深い自嘲と陰鬱で染まっていた。

 歪んだ艶やかさが全身から発せられ、おぞましい魅力が這い寄ってくる。常の彼女とはまるで別物の印象だった。

 見たこともないその退廃的な微笑みに、リオトでさえ一瞬言葉を失う。


 ベルは、自らを切り刻むようにして吐き捨てる。


「は、大間違いじゃよ。いかにも、わしらしい不様じゃ。

 情愛も知らぬくせに嫉妬深く、妙なところで癇癪もちで、現状に怠けておるというのに貪り食らうように独り占めを望んで――なにより傲慢」


 ティベルシア・フォン・ルシフ・リンカネイトは四百年経ようと同胞を得ようと、本当になんらの進歩もなく愚かしいまま。

 そんな自分が、ベルは昔から今までずっとずっと大嫌いだった。本当に、殺してしまいたいほど、己を厭うていた。


 その自己嫌悪の念が縁を通じて届けば、リオトはなんだか落ち着きを取り戻せた。

 なにせ自己嫌悪、それは三馬鹿に共通する慣れ親しんだ感情のひとつで、だからリオトは常ならぬ事態からいつもを思い出すことができた。

 自嘲の笑みに応じるようにして、リオトもまた笑った。優しく、微笑んだ。


「わかるよ、ティベルシアの気持ちも」

「っ」

「だって、ずっと一番だったもんな。俺たちが、一番、シノギを知っていたはずだもんな」


 一番、一緒にいて。

 一番、近くにいて。

 一番、仲良くしていた。

 三位一体、一蓮托生。連理の奇縁を結んだ同胞だったのだ。


「それなのに、急に幼馴染なんて言われも、吃驚してしまうよな。ちょっと、妬ましい気持ちが湧き上がるよな」

「ぅぅ」

「でも、さ。うん、大丈夫だよ、大丈夫。それが普通だ、おかしくなんてない。むしろ、無感情に流せてしまえるようなら、それは本当の絆じゃないさ――俺たちは友誼を結んだ同胞だ」


 真っ直ぐ真っ直ぐ、光に満ちた言葉はまさしく勇者。リオトの正直な本音だろう。

 けれど、そんな眩いものと、自分は違う。決定的に、違うのだ。

 目を背けるように顔を俯け、ベルはか細く儚く叫ぶ。


「違うのじゃよ、リオト、違うのじゃ」

「違う?」

「おぬしの言う気持ちもあったじゃろう。じゃがな、おぬしにはありえんもっと重く禍々しい想念が、わしにはあった」


 健全な嫉妬と、それとは別に暗澹なる思いが溢れていた。


「無数に、ぐちゃぐちゃに、混じり合って混沌とした色彩――たとえば、わしはあの時、あの娘を殺してしまおうかと思うた」

「っ」

「殺して、そうするとシノギはどうするじゃろうかと考えた。許してくれるのじゃろうか、許さずわしを憎むじゃろうか。それならばそれもよかろう、それでわしだけを見てくれるのなら。

 のぅ、おぬしには考えもよらぬ歪んだ心じゃろう?」


 たとえば、自殺してしまいたくなった。

 たとえば、泣き喚いてしまいたくなった。

 たとえば、なにもかもぶち壊してしまいたくなった。

 たとえば、たとえば、たとえば。

 そんな風に沢山のたとえばを、ベルは思い巡らせた。


 愚かしい思考ばかりで、おぞましい感情ばかり。

 ティベルシアという魔王の本質、その邪悪さこそが彼女の真実であるがゆえ。


 それでもと、リオトは言う。


「けれど、それは、シノギを思ってこそだろう? シノギが大事で、だから善も悪もなくただ情動が狂った。そして思いとどまったからこそここにいる。違うか」


 だって三馬鹿はみな、自分のことが嫌いだ。

 自分のためにこうまで心は動かない。大切な同胞のためだからこそ、その魂は思い狂い、そして必死で押し殺せる。


 リオトの指摘に、ベルはびくりと震えたように顔を上げ、またすぐに俯いてしまった。


「わからぬ、わからぬよ……」


 灯りひとつない闇の中、独りさめざめと泣いているような風情で、ベルは嘆く。

 彼女はきっと、涙を流さずに泣いている。

 そんな悲嘆に暮れる童女に、リオトからそれ以上の言葉を紡げそうにない。



 ならば頃合と見て、ごく自然に、三人目がその存在感を放つ。


「失礼いたします、お二方」


 一瞬、それをシノギかと期待したリオトだったが、同じ黒い姿でも別人。いつの間に、バト・ニグレドがそこに恭しくお辞儀している。


「バト、さん……」


 力のない声に、バトはけれど一貫した態度のまま告げる。


「お休みになられるのなら、お部屋を用意しております。どうぞこちらへ」

「……」


 ここで立ち尽くしていても意味はない。

 それはわかっているが、今シノギに合わせる顔はない。

 察して別室をと取り計らってくれるというのはバトの意思なのか、はたまた主の意向か。後者なら、なんだか面白くない。

 けれど、そうした躊躇いを吹き飛ばすように、執事は付け加えるように一言。


「すこし、我が主とサカガキ様について、お話しましょう」



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