憤怒の陽に向かって走れ! 2



「てーか、三人ともどもであいつから目ェ離して大丈夫かよ。突っ走ったりしねェか?」


 シノギは閉まったドアをぼんやりと見て、念のために確認しておく。


 話があると。


 リオトが言うものだから、三人は隣の借り部屋に移動した。

 ちなみにクラーテのために一室余分に借りたことについては、つい最近にちと金が入ったのでシノギもあまりうるさくは言わなかった。


 だから忠言は別に嫌味でもなく素朴なそれ。

 彼女はひとりきりで制止する者もいない。眠りにつくのは見届けたが、狸寝入りだったかもしれないし、すぐに目覚めたかもしれない。

 シノギは復讐者って奴はそう詳しくないが、無鉄砲に走り出しそうな気配は伝わっている。放置してもいいのだろうか。


 ベルがあっさりと無問題を請け負う。


「わしが視ておるよ。心配せんでも寝ておる」

「ん、そうか」


 監視の術式というもの。

 先ほど、退室時になにやらしていたのはそれか。流石に気の回るというか、小器用だ。


「じゃ、安心して話を聞けるな――リオト?」

「ああ」

「どうするよ、別に無理して聞き出そうとは思わんぜ」

「うむ、わしらもまた話せていない事柄が幾らかあるのじゃ、おぬしにもそれがあったとて……」


 好奇心に重きを置くベルでさえ遠慮を見せる。

 言ったように、沈黙の罪悪感はあって、だからお相子であろうと。

 リオトは明確に首を横に振る。


「いや、話すよ。話させてほしい。これまで話さなかったのはただ暗くてつまらないことだからと、機会がなかっただけだ。俺は俺のことを聞いてほしいと思ってるよ」


 そこがリオトの、シノギやベルとの大きな違いと言える。


 自らのことを話せば失望されるのではないか。嫌われてしまうのではないか。そういうことよりも、自分のことをもっと知ってほしいと、リオトはそう思うのだ。

 それはふたりの伏せ事を責めるような意は欠片もなく、ただ自分のスタンスを譲らないだけ。


 だからこそ、ふたりのスタンスもまた尊重し、話してもいい時が来るまで待つつもりだ。

 シノギもベルもそれを察している。理解した上で、返答する。


「そうかよ、なら、聞く」

「うむぅ……」


 シノギはそこらへん割り切りよい。

 隠し事は後ろ暗いし一方的に話を聞くのも後ろめたいが、だからと聞かない理由にはならない。共有の大事さや、打ち明けたい衝動もよくわかる。


 ベルは少しだけ心苦しそう。

 やはり罪悪感があって、それは自身の沈黙していることが、きっと他ふたりよりもずっと重いと判断しているから。だが、耳を塞ぐつもりもまたない。


 ふたりの真摯な返事に、リオトは少しだけ嬉しそうに目を細めて、すぐに引き締め直す。

 あまり、楽しい話にはならない。ならないからこそ、聞いてほしい。


「じゃあしばし耳を貸してくれ」


 既に忘れ去られた遠い過去、きっともうリオトしか記憶していないふたりには無縁の物語。

 我がくだらぬ復讐の顛末を、奇縁の同胞たる君たちにはどうか聞いてほしいから。





「俺は小さな辺境の村の、どこにでもいるようなただのガキだった。

 そして、俺の故郷の村は魔物の襲撃で滅んだ。まあ、よくある話だ。少なくとも今ほど結界の徹底がされていなかった二百年前には、小さな村はよくそうして消えていったものだ」


 あっさりと、波乱万丈の序盤を告げる。

 本当によくある話だと受け入れているのが伝わって、それが余計に痛切に感じられる。

 他人事のように淡々と、リオトは続ける。


「ありふれたことだけど、まあ当然に当事者にとっては人生全てがひっくり返るほどの大事件だったわけだ。

 当時村の生き残りは俺ともうひとりだけ。俺とそいつは、復讐を誓ったよ」


 怒り狂って、世界を呪って、全てをぶち壊してしまいたくなった。

 だがなによりも憎悪したのは、己の弱さ。至らなさ。そして、村を滅ぼした存在である。


「復讐ったって、誰にだよ。魔物は自然災害みたいなもんだろ」


 シノギは不可解そうに素朴だが根本的な問いかけを向ける。

 リオトは酷く気恥ずかしそうに苦笑する。幼き日の無知を晒すのは、どれだけ深い交友を結んだ仲でも恥ずかしいもの。


「うん、でも、昔の俺たちは幼く、愚かで、短絡だった。知らなかったんだ、魔物の出自を。だから、魔王が悪いと思った」

「それは……」


 魔王なベルは笑うとも苦々しくて、困ったようにはにかんだ。

 リオトもすまなさそうにベルに目線を送り、肩を竦める。


「名称が悪いよな。魔王って、魔物の王と勘違いする。いや、しないか。俺たちはきっと相当の馬鹿野郎だったんだろう」

「時代背景と辺境だってこと踏まえれば、ありえる話だろ。変な自虐交えてくんな」


 情報が正しく伝播されず、閉鎖的で知識の偏った田舎村にはある間違い。

 現代でさえ、魔王は魔物の主で世界の敵だとか、魔人というのは魔物の進化した種だとか、明らかに誤った知識が根付いた地域というのは存在する。


『飛送処』が行き届いていない土地だってあるし、他種族を穢らわしきと差別する村も、シノギは通過したことがある。もしかしたら魔術を知らない集落すらあるかもしれない。文字がない集団や、文化形成の遅れている地だってありえるだろう。


 人類の描いた地図にはまだまだ空白があり、未踏の地はそこかしこに存在する。世界は網羅するにはあまりに広大すぎる。


「で、魔王に挑もうとしたのか」

「ああ、七人の――いや、その時は既にティベルシアが封じられていたから、六人か。その全てを打倒し、復讐を果たすと俺たちは決めた」

「まさに、隣の部屋の眠り姫と同じ無茶じゃ、の」

「そうなる。だからかな、クラーテのことは他人のようには思えない。奇妙な親近感を、彼女には覚えるんだ」


 リオトのお節介はいつものことだ。困った人を見れば助けようと思う善人だ。

 だが、今回はそれ以上に過度な思い入れが混在してしまっているかもしれない。いつかの日の己と重ね合わせて、クラーテを見ていたのかもしれない。


 シノギはリオトとクラーテの対話を思い出す。


「で、あんたはあいつに言い含めてたみたいに準備はしたのか?」

「ああ、けど、違う」

「どっちだよ」

「それを諭してくれる人も、頼れる人も、俺にはいなかった。ブレーキのない車輪が坂を転げ落ちるようにただ突っ走って、剣を執って、必死になって魔物を倒し続けた。寝食惜しんで戦い続けた。数年間もの間、俺は魔物を殺さぬ日はなかったし、怪我をしない日もなかった。今思えば、よくぞ生き延びているよ」


 自虐のように、馬鹿にするように、リオトは自分の所業を鼻で笑う。


「だが幸か不幸か、魔王の所在が見つからなかった。六名、誰も、辿り着けずに長い年月が過ぎた。結果だけ見れば順序を上手く踏めたことになる。意識せずに準備が整った形になる」

「ああ、その間には魔物の討伐を繰り返してりゃ、鍛錬にはなるか」


 頷いて。


「その頃に仲間や剣術の師にも出会えた。別れもあったし、失敗もあったけど、俺は強くなれたよ」

「年齢にそぐわぬ経験値は我武者羅の無茶苦茶な全力疾走かよ。本当に、よく生きてんな、あんた」

「しかしその期間に魔王と魔物の関連性については誰ぞに説明されんかったのかの」

「…………」

「リオト?」


 急に黙られると、聞かれたくないことを問うてしまったかと不安になる。

 覗き込めば、舌は再開。少しキレは落ちていたが。


「されなかった。ただ、仲間たちがそれを知らなかったと、そうわけじゃなかっただろう。たぶんな」

「わざと黙ってたってことか? なんでまた」

「おそらくだけど……危うかったんだろう」


 歯切れ悪く、情けなく、リオトは言う。

 過去の自分は振り返る度に猛省したくなるほどに不様だった。


「それを俺に教えて――どうなるのか、わからなかったんだ。今の俺でも、かつてどうなっていたか想像もつかない」

「一心不乱で真っ直ぐが長所のあんたが、見当はずれのお間抜けかましてましたは辛いか」

「それこそ、目的の喪失に生の意義を失うかもしれんの。自暴自棄になってしまったかもしれん。少なくとも、それに傾倒しすぎて狂奔しすぎていたのじゃろう。であればあまりよい想像はできんの」


 当時のリオトは真っ直ぐ真っ直ぐ伸びて、他のあらゆるを削り取って鋭く危うい刃のようなものだった。

 刃を研ぐことはあっても鍛造はせず、だから触れれば斬れるほどに殺傷力に優れ、触れれば壊れてしまいかねないほど薄くて脆い。


 信念だけで形を繕う、歪で不安定なボロボロの刃。


 他者から見るに、それは酷く不安感を誘い、ともすればふと壊れてしまっていないかとすら心配してしまう。

 まるで炎の熱を知らないでその綺麗さに魅入られて手を伸ばす赤子を見ているような心地。太陽を目指す翼人の背を見上げるような歯がゆさ。


 そんなリオトの背を押しかねない事実など、誰が教えてやれると言うのだ。


「まあ、そういうわけで走り続けた俺は、情報収集と自己鍛錬、仲間との連携も深めて――やがて遂に一人の魔王の情報を得る」


 得た情報は確度高く、思想や根城を掴むことができた。

 そして、それはリオトの想像した通りの――悪い魔王であった。


「俺は狂喜したよ。ようやく父母や村のひとたちに安らかなる眠りを捧げることができるんだとな」

「……なあ、話の途中で悪いが、ひとつ聞きたいんだがよ」


 シノギがぽつりと呟く。


「あんたは、なんのために復讐を選んだんだ?」

「…………」


 今度の沈黙は、思案だった。

 思い出すように、思い沈むように、当時の自身の感情を思い出そうとする。


「最初は、それだけしか考えられなかった。次は、それをしていないと他になにもできないと気づいた。そして、村のひとたちの仇を討たねば安らかな眠りにならないのではと思った」

「じゃあ、村のひとたちのためか?」


 いや、と首を振り。


「それがあるのは確かだが、もっといろんなものが混ざり合って混沌として明白な答えは用意できない」

「理由が複数混ざってどれが本命かわからない?」

「どうかな。でも、たぶん、復讐は心に決着をつけるためのものだ。俺が俺の生に納得し、次に進むための順路だ。だから、結局は復讐を望んだのは俺で、俺のための復讐だったんだと思う。途中から他人のせいにしかけていたかもしれないけど、やっぱりそれは違うさ」

「らしくねェけど、らしいなァ」


 真摯で真っ直ぐで、自罰的で他者に責を負わせるのをよしとしない。

 二百年経っても変わらず、リオトはリオトであったらしい。


 それだけでも、なんだかシノギとベルは安心した。ちょっと若く嫌なことがあって、それの整理ついてないだけで、当時の彼も今の彼とそう変わらないと思えた。


「それで、話を戻すけど。

 準備に準備を重ねて、相手の能力や性格も可能な限り調べ尽くして、仲間たちと生き残ることを誓い合って――魔王の元に向かった。そして、戦った」


 いよいよ正念場、復讐というやりどころのない感情のひとつの決着。

 だがしかし、魔王という存在の格は、そんなに生易しくはない。


「俺たちは負けた。あっさりと、惨敗したよ」

「ていうか、そういえばあんたはいつ勇者になったんだ?」


 勇者でない時代では、そりゃどれだけ努力しても仲間を集めても魔王に挑むのは困難極まるだろう。

 負けたというなら、ここではまだ――


「実は、この敗戦に際してだ」

「なんじゃと?」

「負けて、殺されかけて、その時に、勇者として覚醒したんだ」

「なんとも英雄的な……おぬしは運命的なほど勇者じゃなぁ」


 死の淵に立たされ、仲間たちが死んでいき、残った者たちの生存も絶望的。

 逃亡すら許されず、もはや死の運命から逃れようがないと絶望しかけた時に、それでも勝たねばと叫んだ。でなければこれまで助けてくれた人々に申し訳がたたない。死んでいった友になにもしてやれない。


 ――俺が俺を許せない。


 今生きている大事な仲間たちを見殺しになんて、絶対にできなかった。

 すると右手の甲が熱を帯びた。『勇者の紋章フォルティート』が刻み込まれ、勇者として覚醒したのだ。


「そして勝った。勇者の力を得てなお苦戦を強いられたけど、それでようやく魔王を打倒することに成功した」

「復讐はお仕舞いお仕舞い、か?」

「そうでもない。俺はそこで調子に乗ってしまったからな」


 勇者の力を得て有頂天になった。増長した。神が俺に魔王を殺せと命じたのだと錯覚した。


「すべての魔王を殺す。その時、俺は仲間たちにそう告げた。すると、仲間たちは魔王と魔物の関係についてようやく教えてくれた。すまなかったと添えてな」


 それは同時に、もう安らぎ休めと。やめようという意味合いだった。

 もうこれ以上、狂い傷つき嘆く貴方を見たくはないと、泣いて懇願された。


「だが、俺は止まれなかった。燃えて、驕って、意固地になっていたんだろう。それが善なることだと信じ切っていたんだ、だから止められる意味がわからず、振り切ってしまった」


 不慣れな自嘲するような笑み。見ているこっちが胸を痛めるような、悲しい顔。


「魔王は悪だ、討たねばならない。そう信じていたんだ、笑えるだろ」


 今ならわかる。それは単なる役職で、継承した力で、名ばかりの王位でしかないと。

 重要なのはその力をどう使うか、個人の裁量であり良心。憎むべきは悪しき行いをした者であって、その同類ではない。


「そして俺はまた、別の魔王と対峙する。そいつは勇者ふたりを生け捕りにし、紋章の継承を阻害していた。己以外の印章所持者全てを拿捕することで唯一になろうと画策しているのだという噂を聞いた。俺は勇んで魔王の元へと向かったよ」

「……」


 なぜか、リオトの言葉から不穏さを感じ取る。

 嫌な予感がして、次の言葉から耳を塞ぎたくなった。

 それは奇縁より繋がる、リオトの思いなのかもしれなかった。


「だが、俺がその魔王を打倒し、もはや取り返しのない傷を与えた時に、奴は笑った」


 ――ようやく出会えた、勇者たるはそうでなくてはならない!

 ――我は満足だ。勇ある者の正しき姿をこの目で見、この身で理解できて。我が死は安らかなり。

 ――我を討ち滅ぼした正しき者よ、それが貴様の正義であるなら、証明せよ。証明し続けよ。輝かしきものが人の魂には宿るのだと。暗き澱を蓄え続けた低俗悪徳ばかりが人の本質ではないのだと!

 ――それが悪を討ち果たした者の義務であり祝福、そして――悪言の魔王の呪いである!


「そう言って俺を賛美し、実に愉快そうに、幸せそうに死んでいったよ――俺に呪いを遺してな」

「『勇者としてあるまじき行為をとれば死ぬ』、か」


 それはきっと激励で、しかしやはり呪詛なのだろう。

 正義を標榜するのなら、骨の髄までそれでなくてはならない。悪を打倒したお前は永遠にその行為が正しかったのだと証明し続けねばならない。


 勇者とは正しき善性の存在であると、信じさせてくれ!


「彼は酷く勇者という存在に夢を抱いているタイプだったらしい。だから、勇者たるに相応しい者と出会い、魔王として敗れてみたかったと」

「どんな変態だよ、レベル高ェわ」

「いやぁ、でもわしはちょっとわかるかもしれんのぅ」


 魔王特有の感情なのか、それとも悪しき者の一部もつ奇妙な期待か。


 己は悪い。だが他の誰かはきっと善い。

 それを間近で見たくて、信じたくて、そのためならば己の命もいらないのだと。


 それはありきたりな絵物語のように――悪い魔王は正義の勇者にやっつけられるべきだと、そう信じたいのだ。


 無論、ベルはそんな共感しがたい本音をふたりに話すつもりはない。

 とはいえ直言されずとも伝わるものはある。シノギはやれやれとばかりに耳を塞ぐ代わりに話を元に戻す。


「で。魔王がそんなに悪い奴じゃなかったってことだよな、それ」

「ああ、悪行に該当することは特にしておらず、ただふんぞり返って魔王たるに相応しきを求めていた、そういう偏執狂な男だったよ。たぶん、話し合えば仲良くなれたかもしれないくらいに、悪い奴ではなかった」


 それなのに問答無用で斬りかかり、そして殺してしまった。

 前評判に踊らされ、深く考えることもなく、ただ魔王だから悪だろうと。


「じゃが勇者を生け捕りにしておったのじゃろ?」

「いやいや、勇者の善性がどうのとか気にしてるってことは、あれだろ、なんか先が読めそうだな」

「ああ、きっと予想通り。彼が捕えていた二名の勇者は、非道を尽くした勇者失格の罪人だった」

「それはまた……おぬしには、辛いのぅ」

「ああ。悪なる魔王を見た。悪ならざる魔王を倒してしまった。悪なる勇者もいることを知ってしまった。俺の価値観は崩れたよ」


 魔王と魔物は別物だった。

 ならば復讐を果たしても、結局はなにもない。なにも残らない。

 自らの体を壊し、仲間を失い、勝利しても魔物の侵略は続くし、魔王は新たに現れる。


 魔王は悪ではない可能性を知った、勇者の善性が確かならなざると直視させられた。

 正義と信じた勇者にだって悪人はいて、ならば自分の得たこの力だって、滅びを招く時が来るのではないか。

 涙なく泣くようにして、リオトは嗚咽のようにそれを口にする。


「……俺は、目の前の現実を受け入れられず、ただ否定して――ふたりの勇者をこの手で殺した」

「それで勇者殺しの逸話が残ってたのか」


 まさかその話が二百年先まで残るなどとは、当時きっと誰も思ってもみなかっただろうに。


「その後、悪ならざる魔王との戦いで魔力器官を完全に損壊し魔力を失ったのもあり、俺は戦うことをやめた」

「神父に転職か?」


 シノギは終始、一定の軽薄さで軽口を挟む。あまり暗くなりすぎないように調整しているようでもあった。

 それをわかっているから、リオトも遠慮なく打ち明けられる。躓くことなく、合いの手に乗っかってスムーズの話を進める。


「名目上はな。勇者が無職というのも恰好がつかないしな」

「でもなんで神父だよ」

「かつての友のカソックを着ていたら、神父になるのもいいんじゃないかって言われてな」

「それで決めるとか、適当すぎだろ」


 神父になったからカソックを着こむのではなく、カソックを着てたから神父になることにした。あべこべだ。

 実際、儀礼もなにもわからないし教養もなかったので苦労したが、人々には親しまれ、評判は悪くはなかったのだからわからないものだ。


「まあ当時の俺は、いろいろと腑抜けていたらからな。勧められるままに教会に入って、けれど実態は役職だけもらって静かに暮らしていただけ。仲間たちの休めという計らいだったのは、後で聞いた」

「どんだけ社畜してたんだ、あんたは」

「いやわしらが見とる限りでも容易に予測はつくがの」


 自らの身など顧みず、走って走って戦って。

 誰かのためなら傷つくことも厭わず、悪に立ち向かう正義のひと。

 目の前に傷つく誰かがいれば手を差し伸べ、頑張る人を見つけると応援して、そのくせ視野が広いから奔走することになって。


 そりゃ傍から見ていれば心配にもなる。休めと言いたくもなる。

 シノギやベルだってたまにそう思うことはある。

 なんとなく過去、リオトの仲間だった者たちに親近感が湧きつつ、ごほんと咳払い。話を進めよう。


「それで、どうなったのじゃ」

「長く静かに考える時間をもらったんだ、立ち直るさ」

「え、なんか急じゃね」

「切っ掛けとかなかったのかの」

「……」


 三度目の閉口はただただ気まずそうなそれだった。

 不様ではないが恥ずかしいし言いたくないこと。とはいえ、確かに話の流れでは突然で、説明しないのも不実。

 話すべきなのか、プライベートなことだと無言を貫いてもいい場面なのか。


 葛藤は存外に長く、さらに決意しても慎重に言葉を選ぶ思案も深く長引いて。

 顔を赤く染め、それを隠すように片手で覆い、何度も口の開閉を繰り返し。

 これまでで一番言いづらそうに、ようやく、なんとか、言葉を絞り出す。


「……大事なひとが、できた」

「えっ」

「ほう!」


 シノギが予想外の方向から撃ち込まれた爆弾に硬直し、ベルはむしろ誘爆して興奮しだす。

 ベルは早口になってグイグイと詰め寄る。


「それはつまりあれか、恋人か! 妻か! 比翼の鳥か!」

「あっ、あぁ。まあ、そういう、感じ……」


 消え入りそうだった。

 羞恥心で人が死ぬのならリオトはこの時一度死んでいる。というか誰か殺してくれ。

 笑顔で殺しにかかるのはベルである。


「はっ! わかったぞ、そういえば村の生き残りがおぬし以外にひとりおったの! そいつかや、幼馴染かや!」

「うっ、うん……」

「通りで同郷の生き残りで復讐を誓い合った仲という物凄く重要ポジションに対して言及がなかったわけじゃな! 意図的に伏せようとしおったな!」

「そうだけど、そうだから黙ってくれないかティベルシア!」

「はー! 青春じゃなぁ、青い春じゃなぁ! 甘酸っぱいのぅ! で、どうなのじゃ、その時に捨てたのかの、おぬしのどうて――」

「いい加減にしろ馬鹿」


 スパーンと小気味よい打撃音が響く。

 どこからともなく――いや『クシゲ』からだが――シノギが取り出したハリセンの一閃であった。

 ベルはぶたれた頭を押さえ、恨みがましい上目遣い。


「痛いぞシノギ、なにをする」

「なにをするはこっちの台詞だボケ。いらん方向に話を広げてくんじゃねェ」


 だいぶ低いテンションで、存外に強い口調で黙らせる。

 シノギの若干に不機嫌そうな態度に、ベルは叩かれた頭頂部を押さえながら固まってしまう。どうしてそこまで気を悪くしているのか。


 答える代わりに、シノギはため息ひとつ。それからリオトへとその悪瞳を向ける。僅かに、躊躇いと悲嘆の色合いを醸す黒い瞳を。


「で、あんたの話はそれで終わりなんだろうが――悪ィ、一個、興味本位で聞きてェ」

「……あぁ」


 その問いかけがなにか、リオトはわかっているのだろう。

 目を閉じ、力を抜いて、ただあるがままに受け入れようと微笑している。


「あんたは、いつ、『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』に封印されちまったんだ」

「あ」


 言われはじめて気づいたとベルは身を震わせて。

 リオトはなんのことなくあっさりと答えた。


「彼女と結ばれて、二年後だ」

「そうかよ」


 たった二年。

 大事なひとと、過ごせた期間はたったそれだけ。

 復讐と戦いだけで彩られた人生の、唯一幸福であっただろう時期はたったそれだけ。


 そしてリオトは二百年の眠りに就いて、当然に彼女は時の流れに命を奪われたはずで。

 不用意に刺激すべきではなかったこと。思慮が回らず、辛い事実を思い出させてしまった。

 ベルは消沈して頭を下げる。


「すまぬ」

「いや、いいさ。俺から話している。これも語るだろうと腹は括っていたさ」


 なんでもないように笑う。触れただけで壊れそうなほど儚い笑み。


「それに、今は君たちがいる。シノギ、ティベルシア、君たちがいてくれる。俺は大丈夫だ、まだまだ走れる。大丈夫だ」


 嘘をつけ。

 現在が幸福だからと、過去の不幸が薄れるというわけにはいかないだろうに。

 なのに、大丈夫だと。

 リオトは自分に言い書かせるように何度もそう言った。

 繰り返し繰り返し。


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