ひとの命の数え方



 誇りある戦いを!

 栄誉ある決闘を!

 誇りある戦いを!

 栄誉ある決闘を!


       ――誰もいない観戦室にて延々と



 ある森でのこと。

 何の変哲もない整備された道の、そのど真ん中を歩いていた時におこった珍事があった。


 深々と静まり返った森の奥で、三馬鹿一行が行く。

 通過地点としてしか森に感慨はなく、なんの変化もない同じような風景に飽き飽きしてくる。

 木漏れ日のきらめきだけが道行く視界を慰めて、まれに春風が頬をなでるのが心地よい。


 それはなんの脈絡もなく、それはなんの兆候もなく。

 ――ただただごく自然に歩いてやってきた。


「あ?」

「ん?」

「なんじゃ?」


 かたかた。

 かたかた。

 かたかた。


 と。

 特徴的な音をたてて、なにやら小さな人形のようなものが横切った。

 それは人形と呼ぶには滑稽なほど人から遠く、だが他に呼びようもない。目を惹く奇妙がひとつ、その小さな両の手でどこか禍々しい剣を持つ。


 シノギは一瞬、なにか記憶に思い当たるものアリと思い出そうと止まり。

 リオトは一瞬、なにか警戒に値するものであると判断して得物に手を伸ばして。

 ベルだけ三瞬、なにか神威の魔力パターンを感知して好奇と思案が脳裏を支配して。


 そして――禍々しき剣が不吉な光を放った。

 二人はその光に飲まれて消えた。


「え?」


 取り残されたのは、魔王の童女ただひとり。



    ◇



「あァ! くっそ! こんなところにあったのかよ、畜生! 一人旅の癖が抜けきってなかったせいだ、クソ!」


 そこは一体どこであろう。

 ここは全体なんであろう。

 なにもない平地がただひたすら続き、囲うように四方に高い壁が突き立っている。


 つい先ほどまでいたはずの森であろうはずはなく、では移動したと見えて。

 そこまで思考が追い付けば、シノギはようやく例の人形と剣について思い出すことができた。

 ひとりわからず、抜刀の姿勢のまま静止していたリオトが問う。


「シノギ、これはどうしたことだ」


 リオトはシノギの真正面に立っていた。

 おおよそ十歩分の距離を置いて、ふたりは向かい合っていた。

 転移させられたのはわかる。だが、ではこの配置はなんだ?

 シノギは腹立たしさを隠しもしないで吠えるように説明する。


「さっきの人形と剣だ! ありゃ災厄神器の一種『決闘ニ冠スル剣ヴァイナー・イ・ミール』だ! その性質は決闘用神遺物! しかも強制的な!」


 自走式神遺物ラニエ・アーティファクトにして災厄神器、人に仇なす神遺物アーティファクトの一種。旅の不幸の代名詞であり、無知なる者を陥れる自然災害のような神々の悪意である。

 それのトラップに引っかかったのだとシノギは嘆く。


「世界中のどこかしらに放浪し続ける神遺物。道行く誰ぞかを無造作に神遺物に選ばせて、適当なふたりを閉じ込めて戦えとかのたまう。んで、出られるのは生き残ったひとりだけ! クソが!」


 その性質上、ひとり相手には決して発動しない。だからボッチなシノギは無視って情報収集を怠っていた。

 ベルが弾かれた理由もそれ。戦いは常に一対一でなければならない。

 リオトは理解するとなんてこったと天を仰ぐ。


「本当に神は性悪だ。俺はまた神が嫌いになった」


 しかも仰いだ天は空の青さすらなくて、高い天上の無機質だけが覗けた。

 なんて情緒もクソもない場所なのか。


 逃げ場のない狭いバトルフィールド、遮蔽物もない真っ向勝負を強要するキリングゾーン。なんとも嫌悪催す鋼鉄のコロシアムだ。

 リオトは無理やりに笑ってみる。


「でられるのはひとり、か。どうする殺し合ってみるか」

「あんたらしいつまらんジョークだな。おれたちゃどっちか死ねばもう片方も死ぬだろ」

「だよな。つまり、閉じ込められた時点で詰んでいる」

「救いと言えば外にベルがいることだな。あいつなら……いや、むずかしいか」

神遺物アーティファクト相手では、流石の魔王も手が出せないだろう」


 彼女は現在、力を大きく制限されている。封印されている。

 それでなくても魔王という位階では、神にはまだ及ばない。神々の遺物を破壊すること叶わず、その効力を反故にすることもできまい。


「けど、ちと変だな。おれの聞いた話だと、取り込んだ時点でルール説明があるって聞いたが」

「シノギが知っているからパスしたんじゃないのか?」

「知識の読み取りか。ありえるが、ないだろ。あんたが知らんのだからな」

「それは、ほら。奇縁の呪いで、君の知ってるが俺の知ってると判じられたからじゃ――あ、そうか。神遺物アーティファクトもふたりを取り込んだと思ったら一人以下で混乱してエラーを吐いてるのかもしれない」

「それは……ありえるな」


 シノギが知っているならリオトも知っている。奇縁が魂をひとつとしているから。

 この神遺物アーティファクトはそう読み取ったのかもしれない。高性能ゆえの正確すぎる判定というわけだ。


 そしてゆえにエラー。

 ふたりを取り込む仕掛けで、ふたりを取り込んだつもりで、なぜか事ここに至って調べればふたりいないと判ぜられる。しかしひとりでもやはりなく、ではこれは何人と判ずるべきなのか。

 神遺物アーティファクトが混乱するのも頷ける不可思議な事態である。


「そのエラーをつけば、なんとかでられる、か?」

「わかんねェ。けど、可能性があんなら縋るしかねェわな」


 嘆くのも叫び散らすのも十分やった。

 では打開策を考えよう。ひとりでは無理でも、ふたりならなんとかなるかもしれないのだから。


「じゃあ、シノギ、君の知っている限りこの神遺物アーティファクトについて細かく教えてくれ。些細なことが打破の鍵になりうる」

「わかった。ってもな、なにから説明すればいいかわからん。あんた、質問してくれや」


 おおよそ知り尽くしているがため、逆にどこから切り出せばわかりやすいのか。疑問に思っているのはどこなのかわからない。

 リオトはすぐに頷いて請け負う。


「では、この神遺物アーティファクトの目的は?」

「殺し合いの観賞」

「うん、わかっていた、神の悪趣味は」


 予想通りすぎて本当にむかっ腹の立つことこの上ない。

 シノギは辟易しながら情報を続ける。


「この壁の向こうに観戦室があってな、神々は自由に立ち寄って天から見下ろして楽しんでたらしいぜ。ある都市で盛況なコロシアムの原型だわな。あっちは参加が自分の意思なだけだいぶ優しいよな」

「強制的に閉じ込めて争わせるか。人をなんだと思っているのだかな……」

「スポーツ観戦のノリじゃねェわな、少なくとも」


 もっと血なまぐさくて命からがら。酷く非道で酷薄なりし死の舞踏。

 考えると考えるだけ吐き気がこみ上げてくる。くだらん神々の悦楽の遊戯に人命を巻き込むなと申し立てたい。


「いかんいかん。冷静になろう。神々の性悪など今更だ。

 では次。脱出の条件は? 細かくな」

「この空間内に命がひとつになった時」

「……命がひとつ、か。それは」


 手がなくも、ないか? エラーが起こっているというのなら、もしかしたら?

 リオトがそれを口に出して形とする前に、シノギが制するように手のひらをかざす。


「少し妙案が浮かびそうか? まあ、そりゃあとにしな。最終手段だからな」


 確かにそれは最終手段、リスクが高すぎる。ほかの可能性を議論してからでなければ無駄死にになりかねない。

 理解して、リオトは一旦それについて考えるのをやめる。思考の脇にどける。


「では次。なにか時間制限みたいなものはないのか」

「ない。昔聞いた話じゃ戦わないでいて片方が餓死したことでもうひとりが生き延びたってパターンもあったらしい」

「焦る必要はないと考えるか苦しみが長引くととるか。まあいい。

 では次。あの壁、昇っても無意味か。破壊は無理か」


 高層の壁面を指す。

 僅かの傾きも斜面もない垂直で、断崖絶壁のような分断隔たった風情が著しい壁だ。

 乗り越える想像ができない。破壊できる想定が浮かばない。それその通り、シノギはまるで望みなしと首を横に振る。


「無意味で無理だ。完全に密閉されて、しかも空間的に隔離されてる。壁に見えてるあれは次元の境界線みたいなもんだ。で、だから破壊も無理だな? そもそも神遺物の一部だしな」

「エラーが原因で脆くなったりは……しなさそうだな」

「変に壁にバグが発生したらこの空間そのものが耐え切れなくなって崩壊しかねないな」

「……どうしようもなくないか」

「どうしようもねェよ」


 ばたん、とふたりは倒れこむように座り込む。尻餅ついてため息つく。

 文字通りどうしようもない。


 閉じ込められてでられない。脱出の方策は自殺と同義で、逃れうることのできない堅固な神々の檻の中。

 人の頭をどれだけ絞っても、手を尽くしても、命を懸けても、まるで無意味。

 神の定めたルールは絶対である。


「……仕方ない、脱出の切っ掛けを待つか」

「そーだな」


 シノギは魔刀『クシゲ』から毛布を二枚とりだし、一枚をリオトに投げて、もう一枚を地面に敷く。

 そしてその上で寝っ転がって大きな欠伸を漏らすのだった。



    ◇



 一方、森の中でひとり取り残されたベルはというと。


「なんじゃなんじゃ、なにがおこったのじゃ!」


 大パニックを起こしていた。

 ふたりがいない。ふたりがいない。ふたりがいない。

 シノギが、リオトが――いない!


 腹に渦巻く絶望と悲哀と寂寥が激しくベルの魂を揺さぶる。

 泣きそうで、なんとか我慢して、事実と理屈を口にすることで平静を己に強いる。


「とっ、突然ふたりが消えた? 転移反応があったから、空間転移の術による移動かや? しかしでは何故わしは例外となったのじゃ? わからん」


 ひとつずつ、不明を数えて考えろと命じる。

 理屈の冷徹さは感情の熱量を冷ますことができる。今は激発している場合ではない、状況は悪すぎるほどに悪い。ベルにとっては史上最悪にして空前絶後の絶望である。

 なんとか冷静正確に思案し、理路整然とことを運ばねばならない。


「ともかく、犯人はこやつか」


 むんずと小さな人形の神遺物アーティファクトを掴み、その存在を精査する。その術式を読み解いていく。

 特に抵抗も妨害もなく、その情報は飲み込める。

 どうせ知られたところでなにもできない。


「無差別に二名を選別。できるだけ戦士、そしてできるだけ実力伯仲する二名。指定空域に転移。ひとつの魂だけを返還。

 ひとつの魂だけ――つまり殺し合いをさせる決闘の神遺物アーティファクトといったところか」


 また悪趣味極まる神遺物アーティファクトだ。

 帰還の制限により有無を言わせず無理やりに殺し合いを強制し、神々はそれを肴に楽しむと。

 本当に呆れるほどに屑な発想だ。捕らえた虫けらを争い競わせるガキの思い付きと同じだ。


「む、しかしわしらはひとり死せば残りも死ぬ一蓮托生……詰んでおるではないか!」


 シノギがリオトを殺しても、リオトがシノギを殺しても、生き残った方とついでにベルも死ぬ。

 三人は全員で生き延びてようやくひとつの命となっているのだから。ひとり欠けても許されない三位一体なのだから。


「これは……内部のふたりにはどうしようもなかろう。では、しかしわしになにができる?」


 力を奪われ、封印に弱り、かつてとは程遠い十分の一魔王であるベルに、一体なにができるという。


「いや、いや! 弱気になるな、できるはずじゃ、できるはずじゃ! わしを誰と心得ておるか! わしは魔王じゃぞ! 魔王に不可能はないのじゃ!」


 精一杯の虚勢を張り、強がって、ベルは己にできる唯一無二をおこなう。

 彼女は魔術の王である。ならば、その揮う術になせぬことなどなかろうが。そうでなくてはならない。


 ――本当に?


「っ」


 疑心が差し込む。

 かつていつかの敗北感を思い出す。

 振り払う。


 魔力を練り上げろ。術式を構築せよ。魔術を執行せよ。今はそれだけでいい。それだけの回路であろう。


「“天に嘶く雷鳥よ・地へと繋がる柱を築き・瞬く間にも変わってしまえ――『硬い稲妻の不死鳥が吼えるアルバド・パッショ・カラドボルグ』”」


 そして、ベルの現在叶う全身全霊、最強最大の攻撃力を持った魔術をここに発令する。

 三小節の上級魔術にミドルワードを追加しさらに術式を強化。自身の血肉を犠牲媒介とすることで魔術の性能効力を高める。


 命を捧げるのに、別に抵抗はなかった。

 彼らを助けることができないなら、命なんかいらないし、瀕死になった程度で救い出せるなら御の字だろう。


 その雷撃の魔術は天候に影響し、空を支配下において放たれる。ただひとつの神遺物アーティファクトめがけて射出された雷撃の槍は馬鹿馬鹿しいほどの威力を誇って地を焼き払った。

 きっと山すら半壊させて余りある。小さな湖ならば蒸発させて、並みの魔物や魔人すらも防護されたとして貫き滅ぼす。


 世界中の魔術師が揃ったとしても百人もだせない破壊力が、確かにあった。あったのだ。


 かたかた。

 かたかた。

 かたかた。


「……っぅ!」


 それでも。

 やはり一切の損傷なし。神遺物アーティファクト決闘ニ冠スル剣ヴァイナー・イ・ミール』はなんらのダメージはなし。稼働に不足なく、存続に支障ない。

 まるきり平常。なにごともなかったかのように、いや、本当に真実なにごともなかったのだ。かの雷撃による変化はどんな角度から見ても皆無だった。


「なん……という……理不尽!」


 大量の魔力を消費したことによる虚脱感、血肉を削ったことによる脱力感。そしてなによりもこみ上げてくる絶望感に、ベルはへたりこむ。

 わかっていた。わかっていたのだ、そんなことは。

 神遺物アーティファクトの脅威は知っていた。その荒唐無稽な耐久性もわかっていたし、自身がどれだけ力と命を振り絞っても無意味と理解していた。


 ――だから諦めるという選択肢は、選びたくない。


 悩め、考えろ、思考を走らせろ。

 思索を張り巡らしている時は感情から目を背けられる。激発しそうな憤怒も、堰を切りそうな悲哀も、忘れて静かに理性に埋まれ。


 頼むから。

 頼むから真実に直面させないでくれ!

 そうでないと、ベルは――。


「ふぇ……」


 馬鹿な、そんな、やめろ。耐えろ。ありえない。

 そんな無様、晒せるはずがない。耐えろ、歯を食いしばって我慢しろ。今までずっとそうしてきた。ずっとずっとそうして生きてきたじゃないか。


「ぅぅ……っ」


 だけど。

 彼女はいま、酷くひとりで。ひとりきりで。

 孤独はきっと、手を繋いだことのある者にこそ、真に深い恐怖をもたらす。

 失う時こそが、最も恐ろしいから。


 ひとりきりでは我慢ができない。ふたりがいないとどうにも虚勢も張れない。

 彼女は酷く――寂しがり屋だから。


「ぅわぁぁーん!」



    ◇



 ――跳ね起きた。


「……おい」

「シノギも感じたか」


 リオトもまた臨戦態勢にまでなって天を睨む。

 そこになにがあるではない。そこでなにかを感じたではない。

 もっと遠くに、もっと大事な、彼女の慟哭が!


 シノギは悠長暢気を蹴っ飛ばし、常のマイペースも吹っ飛ばして叫ぶ。ただ感情的に事態のまずさに焦ってしまう。


「いや! そんな冷静に言ってる場合か! 泣いてるぞ! ベルの奴わんわん泣いてやがるぞ、どうにかしねぇと!」

「どうにかって、だから出られないんだぞ!」

「知るか! 早く行かねぇと!」

「わかってる! 俺だって焦ってる!」


 一瞬、苛立ちから睨み合いのような形になるが、すぐにとりやめる。

 今はそんなことをしている場合ではない。

 シノギはもう色々と飛ばして即決する。


「もうあれ、あれやるぞ」

「……やるのか。可能性は低いぞ」

「やる!」

「そうだな、やろうか」


 最初から、実はふたりとも極小の可能性としてではあるが――脱出の方策は思い浮かんでいた。

 最終手段だったが、なに、既にそこまで切羽詰っている。

 ふたりは決めたら即行、互いに向かい合い、刃を引き抜く。抜刀、抜剣、銀を晒す。


「いくぞ」

「ああ」


 ふたりが最終手段とした脱出の方策――それは互いを半死半生にまで追い込むこと。


 この空間の脱出条件は命がひとつになることである。

 ならば、ふたりが命を半分にすれば、それがひとつと見なされるのはないかと、そんな暴論だ。


 無論、これは通常一般ではありえない。意味がない。出られるわけがない。

 だが通常との違いは、彼らを繋ぐ呪いである。

 彼らは三人だが、一人なのだ。三位一体なのだ。


 この神遺物アーティファクトにはふたりとカウントされているが、それはふたりが健在ゆえではないか?

 もしかしたら、ふたりが半分まで命を削れば、奇縁もあってひとりとカウントされるのではないか?

 そんな無茶苦茶な方策。

 エラーがでたというだけが頼みの綱のか細い蜘蛛の糸。


 シノギもリオトも治癒の術は使えない。失敗はすなわち全滅を意味する。成功してベルの治癒を期待するしか生きる余地のない、大変リスキーな手段である。


 ――馬鹿な自殺と言い換えてもさほど変わらない。


「ッ!」

「くっ」


 それでも、一切合切ためらいなし。

 ふたりは互いに己の刃を腹に突き立てる。無論、急所を避けては命が減らないと思われるので、わざと致命傷になりうる箇所を狙って。


「あー、いてェなぁ」

「喋っていられるくらいには余裕じゃないか」

「喋ってねぇと痛みでショック死しちまいそうなんだよ。あんたもなんか言ってくれ」

「そうだな……剣を深く突き刺すっていうのは、存外に熱いものなんだな。腹の内から竜がブレスを吐いてる心地だ」

「そんな詳細な解説いらねェから」


 白刃が栓となって流血は少ないが、それでも赤色がどんどんと零れていく。命が、抜け落ちていく。

 この命が減れば減るほど、きっと脱出に繋がっている。そうに違いない。そうでなければ真実無駄死にだ。


 ふと、奇妙なほどに穏やかに、リオトがひとつ語る。


「では、別に、ついさっきちょっと嫌な思い付きがあったんだが」

「なんだよ、聞きたくねぇな」

「俺たちは確かに三人で一人だし、この神遺物アーティファクトのカウントする生命という括りにおいて抜け穴になりえたのかもしれない」

「おう、つまりこの作戦は成功するって?」

「いや、だから失敗すると思う」


 やはりどこまでも落ち着いて、静かに、リオトはそんな絶望を告げる。

 刺さった刃の苦痛も感じさせない、流れ落ちていく血という命の減衰も思わせない。ただただ静かな宣告だった。


「俺たちは三分の一だ。ティベルシアのぶんの命を計算から外してしまった」

「あ」

「つまり、最初から俺たちは三分の二でここに来たわけだ。だから、俺たちが半分死ぬっていうなんだか曖昧な状態になったとしても、ティベルシアのぶんの三分の一が残るんじゃないのかって。最終的な数値は三分の二じゃないのか」


 三分の一なシノギとリオトが足して半分になっても三分の一。そして、無傷なベルが三分の一。

 三人合計すると、三分の二。

 半分――二分の一よりも多いのではないか?


「いやいや、なにその計算。命は数えるもんじゃねェだろ」

「そうだな、俺もそう思う。それを数えさせるのだからこの神遺物アーティファクトは嫌いだ」

「ていうか、ここにいるのはおれたちだけじゃん。ベルの分まで命含めねぇだろ普通」

「明らかに普通じゃない事態で、呪いで、この空間なんだがな」


 きっと距離など関係ない。異空間を経ようとも途切れない。だからこその三位で、托生で、奇縁だ。

 ならばベルのぶんも命を計算にいれねばなるまい。するとリオトの言う通り、無傷のベルがいる限り、こちらで半死半生となってもまだ足りない。


「じゃあ、半死ならぬ八割死でどうだ」


 そろそろ指先から感覚が消えていく。血が足りなくて、頭も回らない。視界は霞み、感じるのは腹の燃え盛るような痛みだけで、その痛みすらもだんだんと朦朧としていって曖昧になってきた。


 あぁ、本格的に、やばいぞ。

 シノギはもはや膝を折り、地面に這いつくばって、けれど決して悲鳴も苦鳴も漏らさない。余裕そうな面構えだけは崩さない。


「八割死ねば、あー、もう計算も覚束ねェけど、なんとかなるンじゃねェの?」

「それはたぶん致命傷って奴だろう、脱出後にティベルシアに治癒してもらうって前提が崩れてしまう。治癒が間に合わず、死んで、全滅だ」

「そーかァ。たくよぉ、そういうのはとっとと思いつけや、なに手遅れになってから思いついてんだ……」

「すまん」


 その謝罪が、この空間に響いた最後の一言となった。






    ◇






「あー、なんだ」

「うん」

「今回はさすがにくたばったかと」

「思ったなぁ、俺も」

「でだ」

「うん」


 シノギの半眼をうけ、リオトはなんとも言えない心地で頷く。

 ちょっと、最後に不安を煽ったことが全部無駄というか、ただシノギをビビらせただけに終わったのが心苦しかった。

 シノギは仰向けになって地面に寝転がりながら、ぽつりとそれを言う。


「なんで、出れたんだ?」


 視界にあるのは一杯の緑。木々の葉が風に吹かれて揺れている。

 つまり、先の森である。


 シノギとリオトは『決闘ニ冠スル剣ヴァイナー・イ・ミール』の亜空間から脱出できたのである。


 だが、それはなぜか。

 リオトは端的に言った。


「わからん」

「わかんねェのかよ」

「気づいたらここに寝ていた」


 リオトもまた仰向けになってシノギの隣で横になっていた。ふと気づいた時から、いつの間にかだ。

 不可思議で意味不明、理解及ばない。一体なんだこれは。どういう理屈でこうなりおおせたのか。


「って、ンなことより、ベル!」


 がばりと起き上がれば、わんわんと泣き喚く童女がひとり。

 こちらに気づかず、一心不乱に号泣しているベルである。


 いつもの泰然たるの面影すらなく、年輪の長じたる老練さは欠片も見当たらない。ただただ本当に可哀想な迷子の童のようで。

 見ていられず、黙っていられず、シノギは声の限り呼びかける。


「おい、ばか! 気づけ! 泣くな! 悲しむな!」

「え……」


 そこで、ようやくベルは振り返る。

 今にも消え入りそうなほど儚げな風情で、涙で霞む虚ろな瞳でふたりの姿を見つめる。まるで幻を眺めているかのような、色も情もない目つき。


 本当にちゃんとこちらが見えているのか――確かめるように力強く、リオトが請け負って頷く。


「ティベルシア、もう大丈夫だ。生きてるぞ、俺たち、ちゃんと、生きてるぞ」

「えっ、え……しのぎ、りおと?」


 ぱちくりと、瞬いて。

 それだけで魔法が解けたようにその銀瞳に輝きが戻ってくる。溢れんばかりの喜びが全身から伝わってくる。


「ほんとう、に?」


 それでも、恐る恐る現実を確かめるような問いが漏れて――男ふたりは即答してみせる。


「おう」

「ああ」

「よかった!」


 弾けたようにばっと駆け寄り、ベルは躊躇なくふたりに飛び着く。抱き着く。

 ふたりを両手で捕まえて離さないよう、離れないよう、強く強く抱きしめる。


「よがっ、よかった……! ほんに、よかったぁ……!」


 そう言ってまた泣き出すベルの腹からは、なぜだか血が流れていて。


「っておい! なんだその大怪我は!」


 気づいてびっくり、シノギは無理やりベルを引きはがして目を見て問いただす。

 尋常な傷ではない。このまま放っておけば死にかねない。どうしてそんな大怪我を負っているのだ。


「ぇぅ? それは、ひくっ……えっと……ズズ……」

「あーあー。鼻垂れてんぞ、顔拭け」

「嗚咽もまだ止まってないな、落ち着いて」


 シノギは魔刀『匣』からハンカチを取り出しベルの顔を拭いてやり、リオトは背をさすってやる。


 しばらくして。

 落ち着いた魔王さまは、それでもふたりから離れようとはせずに密着して、訳を話す。


「なんじゃろ、なんか、不意に腹裂かないとと、思ってじゃな……」

「あー、そうか、そういうことかよ、それでかよ」

「俺の推量は正しかったというわけか、なんとも、小気味いいな」


 ふたりで半死になっても三分の二。であれば三人まとめて半死になれば二分の一。半分。命ひとつとなる道理。

 そして『決闘ニ冠スル剣ヴァイナー・イ・ミール』の脱出条件を満たし、ふたりは現世へと帰還したのだ。

 そう結論至って、三人なんだか思わず笑ってしまう。


「ってバカ! 笑ってる場合か! 全員とっとと治療しないと死んじまうぞ!」





 ――ひとの命の数え方 了


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