憤怒の陽に向かって走れ! 7



「魔力回路ズッタズタ、筋線維ボッロボロ。よくぞまあここまで死に体になれたものよと感心するくらいには死人近い瀕死じゃぞ、この戯けめが」

「……怪我をするのはシノギの役回りのはずだったんだけどな」

「あやつも同じく瀕死じゃよ、この戯けどもが」


 カンディアの村の隣の村のある宿屋。その明朝、日も昇らない彼は誰時かはたれどき

 以前と同じ――彼女が療養に努めていた部屋にて現在、リオトは寝込んでいた。


 傍で座るベルに並べられた言葉通りの酷い容態で、死にかけだった。むしろよく生存していられると感嘆を覚える。

 ベルの治癒によって大分よくはなったが、それでもまだまだ絶対安静。ベルのお小言に謝罪を繰り返していた。


 ――既に魔王との交戦から三日が経過していた。


 三日三晩、リオトは寝込んでいたのである。

 そして明朝ようやく目覚めた。目覚めて早々、きつく説教されたわけである。


 しかしそれはなぜだろう。

 彼の力は全てを再帰して怪我もなにもかも無意味とする特上の奇跡のはずではなかったのか。

 否。


「これもすべておぬしの神等勇具レリックアーツ発動による反動じゃ」


 完全無欠の現状維持――それは過去を貼り付けた状態での話。

 能力を止め、現代にその身を戻せば、あるのは無理やりに神等勇具レリックアーツを起動させた現在の肉体だけ。

 しかも時間干渉などという高次元術式を付与された、元より壊れている肉体、だ。


 結果として勝利した戦いののちに、御覧の有り様というわけだ。


「しかしおぬしの魔力器官が損壊しておったのは、これが理由じゃな」

「流石にお見通しか、俺の弱点も」

「ふん、術者からその能力を口頭で説明されれば誰でも思いつくことじゃ」


 殺しても死なない不死身の如き再帰の異能。

 これを破るにはどうしたらよいのか。


 単純明快なひとつの答え――そもそもの供給を断てばよい。


 勇者が神等勇具レリックアーツを行使する際の消費魔力など、その内在させる膨大な魔力量から比しても大したことではない。他に幾らも魔術を併用したところで、それで魔力が切れることはなかろう。しかもリオトの場合は再帰で魔力もすぐに戻る。

 魔力を枯渇させるのは無理だと相対する者は考えることだろう。


 だが違う。

 実はこれには弱点がある。

 それこそが。


「丹田にある魔力器官。これを完全に損壊し、同時に残存蓄積する分の魔力を根こそぎ吹き飛ばすことで魔力残量をゼロにできれば」

神等勇具レリックアーツは起動しない。魔力器官が壊れておるからもはや魔力を練り上げることができず、二度と再帰はできぬというわけじゃな」


 それが不死身に等しい【再蓮者ツァラトゥストラ】を打倒しうる唯一の方法であろう。


「かつて戦った魔王はそれを即座に理解して、そこばかりを狙って攻撃を続けた」


 結局、リオトは彼を打倒に成功したが――同時に己の魔力器官を破壊された。

 そして現在のリオトがあるのだ。


「魔力器官を失ってからも、一度外部から魔力を得て神等勇具レリックアーツを行使したことがあったんだ」

「状況が状況であるならば、おぬしは躊躇わんじゃろうな。今回と同じく」

「ああ。なんとかその危機は脱したのだけど、やはり反動は凄まじかった」


 時間干渉の負荷というのが、思った以上に強烈だったのだ。

 勇者の頃ならば魔力抵抗で力づくに抑え込んだものだが、魔力の欠乏した状態ではその過負荷は減殺なく肉体に襲い掛かった。


 肉が内側からひっくり返ってネジ絞られたような苦痛と、血管神経諸々が圧し潰されたようなダメージを負った。

 魔力回路もまた端から死滅していき、一部は再生不可能な取り返しのつかない状態になってしまった。


 今のリオトは昨日と比較すれば――たとえ「一呼吸の魔術ワンブレス・マジック」の技法を用いても、行使可能魔力量が一割ほど減じている。


 また魔力配分コントロールの修練をやり直さなければ、ロクに魔術も扱えないかもしれない。

 やれやれと思いながら、顔にあるのは懐かしさに満ちた苦笑である。


「あの時は、仲間たちにこっぴどく叱られたよ」


 挙句、神等勇具レリックアーツまで取り上げられ、どこかに隠されてしまった。それがリオトが神等勇具レリックアーツを持たずに封印されていた理由だったりする。

 また、隠れて召喚術を会得した理由でもある。


「無論、わしも叱るわい! よいか、もう二度とあれは使うでないぞ。次に使えば命の保証はできんし、昏倒して目覚めぬ可能性すらある」

「そうかな」

「そうじゃ! 約束せよ、誓いを立てよ。もう二度と神等勇具レリックアーツを使わんと――わしと指切りせよ」

「えぇ……」


 怒涛の勢いで迫ってくるベルに、リオトは困惑してしまう。

 心配してくれるのはうれしいが、そんな悲壮な顔つきをしないでほしい。見てるこっちが辛くなる。

 というか指切りはさすがに子供染みて恥ずかしい。


 困惑と悲哀と羞恥が入り混じって、どういう顔をすればいいのやら。

 一方でベルは一切揺るがず、目を逸らさない。己の心配の念を奇縁越しに送り出そうと真摯にじっと見つめる。


 見つめ合いはおよそ一分か。


「……わかった」


 ため息ひとつでリオトが折れた。

 小指を差し出し、ベルの白く小さな指に絡める。

 うむ、と満足げにベルは笑い、恥ずかし気もなく高らかに歌う。


「ゆーびきりげーんまん、嘘ついたーら針千本のーますっ」

「…………」


 いや、ついつい最近、その小唄の元となった針に突き刺されたという妙な体験をした男の前でよく歌えるな。

 リオトは非常にツッコミたくなったが、なんとかノドで抑え込んで飲み込んだ。


 ともかくベルは指切りで納得したらしく、詰め寄っていた姿勢から椅子に座り直す。えへへと、久しく見るひっ迫感のない優し気な笑顔だった。


 その笑顔を壊すのではないか。リオトは若干の躊躇を抱きながらも、聞かねばならないことがあった。


「なあティベルシア、ひとつだけ聞きたいんだけどな」

「……なんじゃ」


 それを問う前から、なにかを察したか。ベルのほうも柔からな顔色が、神妙に固まっていく。

 おそらく――ベルには心当たりがあるのだろう。リオトの問いかけたいことに。

 それが彼女の快くない踏み込み方なのはわかっていて、けれどリオトには真っ直ぐに問いを放つことしかできなかった。


「君は――最初からわかっていたんじゃないのか?」


「……なんの話じゃ」

「彼女の中に、憤怒の魔王が隠れ潜んでいたこと、最初からわかっていたんだろう、ティベルシア」

「…………」


 空っとぼけるのは一度きり。

 重ねて追及されると、ベルは目を伏せて口を噤んだ。

 それから、ぽつりと罪悪感に染まった謝罪が漏れ出ていった。


「……すまぬ、手がなかったのじゃ」

「やはりか」


 ベオリスが出現した時、ベルは魔王の隠れ場所について冷静に正確に分析した。

 ――冷静すぎた。

 あれは元々、ことを予見していた者の態度で、はじめから推測をしてあった者の口調であろう。


 ベルならば、ベオリスの潜入を見抜くことができると――そういう信頼があってこその問いではあったが。


 言い繕うように、ベルは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「憤怒が潜んでおるのは、うむ、おぬしの言うように少し観察して見えた。じゃが――切り離すのは不可能であろうとも、わかってしまったのじゃ」


 それは魔王の手腕に、今のベルでは届かないが故。

 非力なる己をなじることしか、ベルにはできなかった。


 ああ、いや、それも少し嘘があるか。

 ベルは秘めていたことを言語化することによって、自分の心をより深く自覚できた。

 ゆるりと首を横に振る。前言を撤回する。


「いや、よしんば切り離しが可能であっても、わしは言わんかったじゃろう。わしは、わしはな」


 言葉を区切り――花咲くようにベルは笑う。

 その笑顔には複雑な心境が入り混じる。

 大事な秘め事を告白するように、誇らしいものを自慢するように、なによりも透徹した月のような微笑み。


「――わしは。リオト、おぬしと、そしてシノギが大好きなのじゃ」

「っ」

「じゃから、魔王などという強大な存在と敵対したくはなかった。死んでほしくないからじゃ、傷ついてほしくないからじゃ――おぬしらふたりだけに、の」


 そこがリオトとベルの最大の齟齬。巨大な溝。

 誰でも多くの人々に親愛を注ぐ勇者であるリオトとは違い、ベルは酷く個人的。愛すべき三馬鹿、その仲間たちだけが生き残ればいいと考えている。

 だから。


「わしはあやつを見捨てたのじゃ。叶うなら、おぬしらに気づかれることなく別れることができればとずっと考えておった。酷い話じゃろ」


 リオトとシノギが真相に気づくことなく復讐者の少女と別れ、知らないところで少女が魔王に焼き殺されてしまえばいいと、そう考えていたのだ。


 知らなければ、リオトは苦しまない。

 露見せねば、ベルの冷徹さもまたバレやしない。


 ベルの優先順位は明確すぎて、だからこそ下位のものを切り捨てるのに躊躇いはない。けれど、その切り捨てるという行為こそが優先順位の最上位にある人たちに軽蔑されてしまいかねないもので、懊悩はしていた。


 ふたりに、失望も幻滅もされたくない。けれど危険も除いておきたいし面倒ごとも避けたい。

 要するに、ベルの願いはただひとつ――今をずっと続けていたい。それだけ。それだけなのだ。


 そしてその気持ちは奇縁などなくても痛いくらいにリオトにはわかっている。リオトだってその思いはあるし、切実に願っている。

 それでも捨てきれない善性のサガがあって、ああリオトは矛盾だらけだった。


「君はなにも悪くないよ。むしろ、俺よりも君の選択のほうが正しいとさえ言えるかもしれない」


 大事なひとを守るために、見知らぬ誰かを切り捨てる。

 それは多くの人たちが行っている行為で、それを悪と断ずることはできないだろう。してはいけないだろう。

 それに、そうすれば。


「少なくとも彼女はもうすこし長く生きていたはずだから」

「む」


 なにやら暗澹あんたんに染まって俯くリオトに、ベルが大層不服そうに唇を尖らせる。


「おいこら、なにをおぬしが背負っておるか」

「え」

「今、わしがわしの罪状を懺悔しておるじゃろ。それはおぬしが正しいという前提にある懺悔じゃぞ。おぬしが落ち込むな、戯け」


 よくわからない方向性で叱られてしまう。

 ともかく励まされているのは理解して顔を上げる。困ったように笑ってみる。


「ごめん」


 そんな顔で謝られると、ベルはそれ以上怒るに怒れない。やれやれと肩を竦める。


「まあよい。わしらは三位一体とはいえ、異なる信念をもって生きておる。その異なった信念から、別々の目的を持つこともあろう。今回のように、これからも」

「ああ、そうだろうな。だけど、それを俺たちは可能な限り、三人協力して成し遂げる。だから、そういうことで隠し事はしないでくれよ」

「む……」

「確かに今回は俺とティベルシアでどうしたって両立できない方向に向かってしまったけど、それでも、話し合えばまた違う道を選べたかもしれない――他力本願なことを言えば、シノギがとりなしてくれたかもしれない」

「ふは。そうじゃな、そうかもしれん。わしらはどうにも極端であるがゆえ、あやつの天秤が必要になるのじゃろうなぁ」


 それでいい。それがいい。


 歪な形が重なり合って上手く嵌る。

 極端な正反対同士が隣り合ってバランスがとれる。

 きっとリオトとベルはそういうもので。

 そしてシノギが上手く嵌めて、綺麗にバランスをとってくれるはず。


 魔王と勇者ともあろうふたりが――どうして、ただの郵便屋を頼っているとは。なんとも。なんとも。


「くすくす、可笑しな話じゃ」



    ◇



 日が昇る頃には、ベルはうとうとと船を漕ぎだしていた。

 ずっとずっと、朝も夜もなく付きっ切りで看病してくれていたからだろう。どっと疲れが出てしまったのだ。

 ここ最近ずっと睡眠を楽しみ、ベッドを愛していた童女の献身が、リオトは本当にうれしかった。


 一方でリオトは逆に寝続けていたせいか目が冴えてしまっていて、なんとなし天井を眺めるくらいしかできなかった。

 していると、窓の外からなにやら微かな物音がすることに気づいた。

 最初は気にすることもなくぼんやりと天井を眺めていたのだけど、規則正しいその音がどうしても耳について気になる。


 興味を惹かれ少し意識して聞き入り、耳を澄ましてみる。

 ひゅんひゅん――と、くりかえすそれは、


「まさか……」


 ベッドから半身を起こし、すぐ近くの大窓を開く。

 果たせるかな、シノギが刀剣を抜いていた。刀を振るっていた。


「はぁ……」


 どうにも頭痛に苛まれる光景だ。

 どうして苦笑が湧き上がってくる状況だ。

 少し意地悪そうな顔つきで、リオトは窓の外へとわっと声を上げる。


「シノギ!」

「っ」


 びくりと、下のシノギは全身を震わせた。

 悪戯を見つかった子供そのもの仕草で、茶瓶を割ったのをバレた童の顔つきだった。


 それその通り。

 病み上がりで絶対安静なのはシノギも同じだろう。漆黒の太陽に焼かれ、生死の境界線上で死神に手招きされ、リオトと同じく寝込んでいたはずだろう。

 なのに、ベルの目を盗んで外出、あまつさえ素振りなんぞに精を出している。


 ベルに見つかったら相当ドぎつく叱られてしまう。

 シノギは恐る恐る周囲を見渡し、リオトの傍にもうひとりがいないかと目を細めて確認する。


 リオトは苦笑する。彼の最も恐れている事態にないことを教えてやる。


「ティベルシアなら寝てしまったよ」


 ほっと、遠目でもよくわかるほどに安堵の顔をする。

 とはいえリオトも見逃すわけにもいかず、少し咎める色を混ぜて続ける。


「けど、病み上がりで素振りはよくない。上がってきなよ、話でもしよう」

「……わーったよ」





 そして今、リオトとシノギは椅子に座って向き合っていた。

 ベッドのほうにはベルを寝かせてやり、ふたりで顔を突き合わせる。

 すぐにリオトが口火を切る。できるだけ穏やかに。


「それで? なんでそんな体調で素振りなんか」

「……」


 ぷいっと目を逸らして顔を背ける。

 言いたくないらしい。


 なんというか、とても二十歳を超えた男の仕草ではなかったが、妙に似合っているのはなぜだろうか。彼の精神性が、未だ子供の無邪気さを多分に残しているからか。


 言いたくないのなら、こちらで勝手に推測するだけ。


「もしかして、妙な負い目を感じてるわけじゃないよな」

「……」


 無言。無反応。顔は背けたまま。

 構わないで続ける。


「君はなにも悪くない。相手が悪かった。普通、魔王と対峙して――」

「相手によって事実が変わんのか」


 不意に切り込むような声が、リオトを遮る。

 正面を向けば、その悪瞳には自責の念が強く渦巻いていることがよくわかる。


「今回、おれァ足手まといでしかなかった。それが事実だろ」


 敵が魔王という最強の存在だったからとか。異能が強力で抗する手段を持ちえなかったからとか。そもそも相性が悪かったからとか。

 幾らか言い訳なら用意できるけれど、結局はひとつ。


「力不足。おれは弱く、なにもできなかった」

「そんなことはない」


 ゆるりと首を横に振り、リオトは優しく押しとどめるように否定をする。


「そんなことはない。

 君は、君が、いてくれたから、俺は勝てた。それだけは間違いない。なにもできなかっただなんて、言わないでくれ」

「……」

「君の無力感も理解できるけど、順序はある。厳しいことを言わせてもらえば、今はそれを噛み締めて我慢する他にない」

「っ」


 強さというのは、基本的に階段を昇るようなもの。一足飛びで突如、上階に辿り着けるわけではない。一段一段、踏み締めて上がっていくしかない。


 弱い時期というのは誰にもある。

 その時期において敗北感や無力感は何度でも遭遇するけれど、だからと足を止めるのは本当の敗北でしかない。歯を食い縛って、今の弱さを受け入れて、それでこそより高いところに辿り着ける。


「自責の念は大事だ。バネになる、原動力になる。けれど、傷ついた身体で無理やり足を進めても、それは躓くだけだ。前になんか進めない。休める時は休まないといけない」

「それをあんたが言うか?」

「あー、はは。説得力がないかな」

「かなりな」


 シノギの突っ込みにすこし笑ってから、リオトは真摯に告げる。

 一応は、剣を教える師のような立場にある者として。


「ともかく、三人とも生きてる。後遺症も……ほとんどない。それで充分幸運だ。君はこの経験を得て、きっとまた強くなる――つぎの厄災が襲ってきたときに、今回のような不様を演じないように」

「鍛錬あるのみ、だろ。わかってらァ」


 言いくるめられて、シノギは渋々と了承して肩を落とした。

 どうしても圧し掛かる無力感から来る疼きは、いまも辛いけど、本当に辛いけど。

 それが此度、無能を演じた自身への罰と思えば許容できるというもの。

 ただ我武者羅に誤魔化すための鍛錬はお預けだ。


 けれど、なんだか気にくわない。

 年長者の余裕で子供をあやすような態度が癪に障る。

 なにを上手いことまとめて綺麗に締めくくっているのだ、こいつは。


 シノギは謎の反発心で――それとはべつの思いも織り交ぜて、なぜか偉そうにふんぞり返る。


「じゃ、今度はおれが話を聞いてやるよ」

「話?」


 鷹揚に頷き、そして暗黙に話題にしていなかったそれを鋭い刃のように言う。



「――クラーテ・ナウロスは残念だったな」



「それ、言うのか」


 若干の非難をこめて睨むのだが、シノギは関せず肩を竦める。


「ああ、おれがここで言わんとあんた延々と自分の中でウジウジと思い悩み続けんだろ」

「それは……」

「どうするよ、ここでおれを殴り飛ばして話を打ち切るかよ。おっと、だけど流石に今の病み上がりのあんたに負けるほど雑魚いつもりはねェけどな」

「君は意地が悪いというか、ずるいなぁ……」


 というか君も同じく病み上がりで、その上、無茶な素振りでだいぶ疲労しているだろうに。

 突っ込みたかったが、その気力も萎えている。


 酷くデリケートな部位を不意に突かれ、なんとか取り繕って余裕ぶっていたものが剥がれ落ちてしまっていた。

 戦いを終え、奴を殺し、落ち着きを取り戻して――


 思い出すのは彼女の死という現実。


 どこか投げやりに背もたれに体重を預け、俯いた顔を片手で覆う。

 うめき声のようにか細く、リオトは口を動かす。


「俺が彼女を殺した……」

「馬鹿言うな。どう見ても憤怒の魔王が殺しただろうが」

「実行は奴でも、それに至った経緯は俺の責だ」

「阿呆抜かすな。どう考えても憤怒の魔王が悪いだろうが」

「けど」

「けどじゃない。馬鹿で阿呆で間抜けか、あんたは。どう見繕っても憤怒の魔王が悪い。クラーテもあんたもおれもベルも、ただあいつの悪事に巻き込まれただけの被害者だ」


 悲嘆に暮れるような弱音など聞かない。

 悲愴に涙するような自虐など聞かない。

 全部、蹴っ飛ばして逐一訂正をしてやる。妙な勘違いなど、誰が許すものかよ。


「なに全部の責任負おうとしてんの、あんた全知全能の神様かよ。ちげェだろ。憤怒の魔王の悪意も、クラーテ・ナウロスの事情も知らねェ無知で、憤怒の魔王に敵わない程度の能力しかなかった無能だろうが。無能の被る責任なんざあるか」

「それは言い過ぎだろ」

「言い過ぎないとわからん馬鹿に言ってるからな」


 なぜ自己評価は低いくせに嫌なところでばかり責任を負いたがるか、この男は。

 たく、こんな馬鹿だから、ここまで言わないとわからないのだろう。

 へそ曲がりなシノギにはあまり似合わない直言を使うしかない。


「助けられなかった奴を思い出して嘆くのもわかるがよ。それと同じだけ、助けた奴らのことも思い出してやれよ。そうじゃねぇと帳尻合わねぇだろ?」

「それは……」


 言わせず、シノギは不器用に笑った。


「助かったぜ、リオト。おれはあんたのお陰で生きてる――ありがとう」


「っ……ぁァ……きみは。ときどき、ほんとうに――ずるいなぁ」


 こみ上げてくる感情は一体なんという。

 シノギ以上に、リオトは罪悪感も無力感も、あらゆる自責の念を己に向けていた。


 それらは少しも減っていない。むしろ増して、きっと一生涯、リオトは背負い続けて生きていく。

 これまで出会った無数の悲劇と同じように、今まで救えなかった幾多の死者たちの思いと同じように。

 忘れるはずがない。忘れていいはずがない。

 そうした慟哭もまたリオトーデという人間の一部である。


 なのに――あぁ、くそ。


 どうして、こんなに心が軽くなる。

 ただの一言で、こんなにも、安らいで救われたような気持ちになる。


「俺は……ずるい。なんで、なんて……恵まれてるんだ。死んでいった皆に、申し訳がない……こんなにも不当に救われるなんて」

「ばァか。なにが不当だ。正当だよ、あんたは救われてしかるべきほどに、人を救ってきた。手から零れ落ちることがあっても、それはつまり手を差し伸べているからで。何度失意にあっても、何度でも助けようとできる、あんただからこそだ」

「でも、やっぱり不当だよ……クラーテには、なにもできなかった。なにも助けてやれなかった」

「ああん?」


 またぞろ面倒臭いことを。

 ああ違う。それこそがこの男の根底であり、基軸だったのだ。


 リオトが己に過酷なまでの善性を強いるのはきっと――手から零れ落ちて救えなかった多くの誰かへの贖罪なのだ。


 なんて難儀な生き方だろうか。なんて、壮絶なる生き様だろうか。

 シノギはすこし腕を組んで思索し、一計を案ずる。


「じゃあこう考えようぜ――おれたちは仲間だった」

「え」

「あの時、あんたが誘ってクラーテが受け入れた時、おれたちは確かに仲間だったんだ」


 なにを言っているのだろう。どうしてそんなことを話しだすのだろう。

 少なくともあの時、シノギとベルは嫌がっていたように思うのだが。

 それを棚に上げて、シノギは実に愉快そうに理想の喜劇を語る。


「だったらじゃあ、あんたの言った通りだ。

 リオトが剣を振るった、ベルが術を歌った。おれが適当に立ち回って、そんでクラーテが魔王を見つけてくれた――だから勝てた。なあおい、こりゃあいつの復讐が完遂できたってことじゃねェか?」

「あ……」

「きっと安らかに眠ってるだろうぜ。同じ地で死んでいった家族や友人たちと一緒にな。そんで、みんなあんたに感謝してるはずさ」


 悪戯小僧の破顔に、リオトはしばし言葉を失ってしまう。

 そんな風には、考えたこともなかった。


 けれど確かに、そういう考え方もできないことはない。

 彼女のお陰で――魔王は討ち滅ぼされた。ゆえ、彼女は彼女の復讐を果たしおおせた。

 それが変に納得いってしまって、口元が自然と綻んだ。


「君はこじつけるのがうまいなぁ」

「こじつけっていうな」

「こじつけだろう……けどまあ、そうだな、そうかもしれない。彼女らの眠りは、安らかか。ああ、そう思えるだけで気が楽になるな」

「それでいい。それがいい。できるなら前向きに、楽観的に行こうぜ」


 ――あのお日様のようにさ。

 シノギは窓の外の、輝ける太陽の眩しさに目を細めて二ッと笑うのだった。


 リオトもつられて窓を見遣り、遠く輝く朝日を眺める。

 その姿があんまりにも美しくって、なぜか涙がこみ上げてきたけど、目を閉じて堪えた。代わりに強がりを吐き出す。


「わかったよ。次に目を開いたら、俺はいつもの俺に戻る」

「そうしてくれ。あんたの弱ってる姿なんざ、あんまり見たくねェんだ。あんたが真面目にシャキッとやってくれてるから、おれとベルは遊べるんだぜ。これも一種の信頼って奴さぁ」


 それは単なる貧乏クジのようだけれど、確かに厚い信頼で。応えてやらねばならないと強く思う。

 これではもう全く、弱って燻っている暇もないじゃないか。

 早く目を開いて、いつもの自分で愛すべき困った三馬鹿の同胞たちを見てやらないと。


 わかってる。わかっているさ。大丈夫、すぐに立ち直るから。

 ――だから。その前にひとつ。


「たったひとつ、ひとつだけ。今この閉眼の内に――弱音を言わせてくれ」

「……あァ。聞いてやる」


 しゃがれた声で引き受けて、シノギもまた同じく目を閉じた。

 だから、彼の瞳から流れ落ちたものを見た者はどこにもおらず、彼の常ならぬ情けなく不様な顔を見た者もいない。


 喉が握り潰されたような小さく弱い囁き。

 胸を掻きむしるように切なく強い願い。

 心を押し殺し、己を責め苛み、どうしようもなく求めてやまなかったそれを零す。


「たすけたかった……っ」


 そしてリオトは一呼吸とともに目を開く。笑う。いつも通りに。

 その反転は、いっそ空恐ろしいくらいの落差であったがなにも言わない。ただ目を開いて、ごく自然に思い付きのようにシノギはひとつ提案を。


「なあリオト」

「なんだ、シノギ」

「おれとあんたの体調が治って、旅を再開できるようになったら、まず行きてェところがあんだけどよ」

「……あぁ、そうだな。花でも添えようか」


 きっと憤怒も覚めた彼女に似合う、あの太陽のように綺麗な花を。




 ――憤怒の陽に向かって走れ! 了









 同時に。

 この世界のどこかで新たなる憤怒の魔王が生まれ落ちたのだが。

 それは三馬鹿にとっては縁のない話だろう。



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