憤怒の陽に向かって走れ! 4



「故郷の村を見に行きたい――だとよ」


 その日の内に、シノギは世間話の途中で爆弾を放り込んだ。

 ベルがクラーテの部屋の番をする夜、男ふたりだけの食事の席のこと。


 宿屋に併設された食事処は味も悪くなく、安価で量もそこそこと三馬鹿的には高得点の店だった。この宿に部屋を借りてから一週間、ほぼ毎食ここで三食とっているくらいである。

 夕食時ということもあって、店は随分と混みあっている。食器の音と楽し気に笑う声が行き交い、ウエイターが忙しそうに席の合間を縫って料理を運ぶ。


 ――隣の村が数日前に滅び去ったからって、世界は大して変わらない。


 その喧噪の隅っこで、リオトは不意の発言に手のフォークを急停止。

 ゆっくりとした動作でフォークをテーブルに置き、じろりと非難げな視線を送る。

 シノギは肩を竦めた。その悪びれることのない態度にため息を吐いてから、リオトは低い声音で告げる。


「怪我人を動かすのは賛成しかねる」

「それは過保護すぎる意見だな、おい」


 クラーテを拾って一週間、彼女の傷もだいぶよくなった。

 治癒を施したベルの見立てでは、完治するのに一か月はかかると判じていたらしく、その回復速度に酷く驚き、そして訝しむように見通すように目を細めていた。

 治癒術に異様に相性いい体質だったのでは、と仮説を立てていたが、確実なことは言えない。

 ともかく、その身に負った負傷は既に行動するに阻害たりえない。


「けど、夜にうなされていたり、隠れて痛みに悶えているようだった」

「それはおれも知ってるし、ベルも知ってる。で、そのベルが怪我による苦痛じゃねェって断言してる」

「夢幻に感じる、記憶の火傷か……」


 衝撃的な事実が心に刻み込まれて――いや、焼きついてしまって逃げられない。

 ふと目を閉じれば瞼の裏に悪夢を見て、頭髪の軽さに炎熱の苦しみを思い出す。綺麗なはずの皮膚に酷く爛れた火傷を幻視し、呼吸の際に煙の息苦しさをフラッシュバックする。


 それは目に見えない深手、心的外傷。治癒の魔術でも癒せぬ心の傷跡だった。

 シノギはいっそ冷淡なほどに、それについては考えない。


「そっちはもう精神的な問題だしな。外野はどうしようもねェ。魔術もそこまでは癒せないってよ」

「それは、知っている」

「なら体の怪我が問題の焦点で、それはもうほとんど無問題。少しくらい身体を動かしたほうが、むしろリハビリになるんじゃねェの」


 そう提案すると、リオトそちら側での説得を早々に諦めた。

 反対をするのに理由はひとつではない。

 だから代わりに、酷く厳しい顔つきで、こう言った。


「彼女の村はもう残っていない。それを見に行くことがどういうことか、理解しているのか」

「それは当人に確認しな」

「シノギはどうして村を見に行くのに賛成しているんだ」

「べつに。賛成ってほどでもねェが――まあ、区切りにはなるんじゃねェのかとは思うな」


 リオトはさらに表情を険しくさせると、強い非難を差し向ける。怒気まじりの低い声。


「……そんなに彼女を放り出したいか」

「逆にいつまで世話するんだよ」

「それは……」


 人をひとり世話するというのは大変なことだ。

 それも、怪我人。しかも、赤の他人。そのうえ、復讐希望者。

 厄介ごとに相違なく、抱え込むには重く辛い。双方がだ。


 いつ旅の理不尽に遭遇して命果てるとも限らない旅人な三馬鹿には、少々以上に荷が重い。余裕がない。

 シノギは誤解なきよう目を逸らすことなく、真っ直ぐに目を見て伝える。


「今すぐ放り出せってんじゃない。人助けはいいことだ。わかってる。けど、別れは来る、来ねェとダメだ。それについて、あんたは考えたのか?」

「……いや。俺は。それがとても、苦手だ」

「じゃあおれが考えてやる」


 優柔不断、感情的になっているリオトとしては、シノギにの迷わない断言で言い切られてしまうとなにも返せない。

 自身の正しさに歪みないが、他方での正論もあると認めてしまう自分もいた。複数の正しさに板挟みにされて、答えがだせない。


 悪あがきのように、活路を求めるように、リオトは三人目の意見を確かめる。


「ティベルシアは、なにか言っていたか」

「一言だけ。自立させるべきだと」


 いつまでも三人が面倒を見るのは依存を促しかねないから。

 いずれ突き放す日が来るのだから、その日に自分の足で立って歩めるように。

 そこまでは面倒を見てもいい。最低限の親切心と、最大限の譲歩をもって。


 ただし当然に――その後の復讐の末路までは責任はもてない。退くも進むも勝手にしろ。


 そこに干渉するということは、つまり彼女の事情に関りを持つことになってしまうから。


「助けることと、助け続けることの差異か。あぁ、昔も俺は同じことを言われたな……」


 リオトは救い出せるまで助けたいと叫び、ベルは一度助けたのだからそれ以降は責任を持てないと言う。

 どちらが正しいもないが、どちらが大変かといえば当然に前者。


 あらゆる物事において、瞬間的になにかをするよりも、継続的になにかを維持し続けるほうが遥かに困難で疲労する。

 支払う対価は大きく、かかる労力は重く、しかも今回背負うものは命という代えのきかない最も尊きもの。


 それを、ちゃんと覚悟しているのか。

 人一人の人生を左右し、責任の一端を請け負い、そして自らに襲い掛かる負担を。

 一つ余さず納得して、腹を括っているのか。


 いやきっと、リオトひとりならば確かにその覚悟もあったのだろう。場合によってはこのままクラーテを連れて共に旅立ち、魔王への復讐をふたりで邁進していたのかもしれない。


 けれど。

 リオトはいま、ひとりではなく三人で。

 大事な仲間を自分の身勝手で巻き込むことは、できなくて。


「道理だな。まったく、やっぱりティベルシアは正しい。引き換え俺は、間違いだらけか」

「でも、あんたはあったけェよ。ベルはおれたち以外にゃどっか冷めて考えてやがる」


 べつに、そのどちらが悪いかなどとは言わないが。

 人によって熱量を注ぐ点が違うのは当たり前だし、家族や友を贔屓ひいきするのだって人情だろう。

 ならば、救われない誰かに手を差し伸べるのだって、悪いことじゃないはずで。


「シノギ、今から頭悪いことを言うぞ――」


 言わせず、シノギは鼻で笑い飛ばす。


「ふん。あんたの考えてることくらい読めてる。このまま復讐を諦めてもらえたらいいとか希望的観測と。

 それがだめなら――できれば魔王をあんたが殺してやりてェって、そう考えてんだろ」

「っ」


 あっさりと見透かされ、リオトは酷くバツが悪そうにビクついた。

 それは酷く無謀な行い、とても愚かな発言と言えるだろう。それを当人も深く自覚している。だからバツが悪い。

 シノギはやれやれと駄々っ子に言い聞かせるようにして言葉を並べる。 


「無理だ、無駄だ、やめとけ。まず勝てねェよ。あんたはもう勇者の力を失ってるんだぜ、そいつを忘れんなよ」

「そんなの、わからないだろ」

「わかるわ、ボケ。あんた魔王と戦ったことがあるんだろ、二回も。それで彼我の戦力差を把握できてないなんて言わせんぜ」

「可能性はゼロじゃない」


 強情に言い張るリオトには、確かに勝算の欠片くらいは見えていたのかもしれない。三人ならば勝てると信じているのかもしれない。


 だが、シノギには信じられない。勝ちの目なんざ見えやしない。

 他でもないリオトとベルの、その強さを知っているがために――彼と彼女が本領を発揮できる時、はて、どれほどの強さか。想像するだに震えがくるというもの。

 その同種の魔王なんて、敵対したいはずもない。


 とはいえ、この会話の流れは悪くない。シノギはごく自然に話を少しだけ別筋に修正する。


「どうにせ、まず見つかんねェよ」

「だが確実に最近、近くにいたはずだ。目撃情報なんて直接的なものは期待できないにしても、なんらかの痕跡くらいは残っているはずだ」

「そうかよ。じゃあ、よし、仕方ない。その痕跡探すついでにもう一回村に寄ってみるのもいいかもな」

「え……あっ。シノギ、ずるいぞ」

「なんとでも言え」


 最初の話の争点はそこで、それを終わらせてからでも今言い争っている事項は遅くない。

 むしろ越えねばならない山であり、越えた後のクラーテの心が最も重要なこと。


 どうにしたって外野の三人は、彼女の魂の選んだ選択に文句をつける権利などないのだから。

 そして、その選択によって、シノギの杞憂もリオトの善意もベルの合理もまた変動する。未来は枝分かれし続ける無限の分岐路。


「おれはな、ともかくなんでもいいから進展が欲しいんだよ。停滞が嫌いなんだよ、郵便屋ってのは風みてェなもんだからよ」

「たしかに、君に立ち止まっている姿は似合わないな。走って走って、それでこそか」

「一緒に走ってもらうぜ、奇縁の同胞」

「わかっている。だけど、ならば俺の疾走にも付き合ってもらうからな」

「そん時ゃそん時だ。なんとか追いかけるさ」


 そうして、明日の予定は決定した――クラーテには悪夢の現実と向き合ってもらう。



    ◇



 日は落ち、また昇る。

 太陽は地上のことなど少しも気にかけず、ただ空の上で月と終わらない追いかけっこを繰り返す。


 彼らの関心とは別に地上はそのくだらない追走劇に踊らされ、運命のように変わらず昼夜が回転している。

 馬鹿の一つ覚えのように、どんな空にも夜明けは必ずやってくる。

 たとえ、喪に服して明けない村の上にでも。


 ――カンディアの村。

 三馬鹿と、クラーテ・ナウロスは再びこの地にやってくる。

 かつては緑豊かなだけが取り柄の小さく素朴な田舎村。今やなにもない、ブラックベルベットの絨毯が敷かれたような焦土の大地。


 シノギにとっては道を間違えたかと思うくらいに記憶薄れた過去でしかなく、リオトやベルに至っては以前の風景を見たことすらない。

 だが、クラーテにとっては数日前まで住まい、記憶しようとしなくても熟知した大事な大事な故郷――であったはずの、焼死体だ。

 

 その落差に感ずる思いはいかばかりか。


「――っ」


 被害は村に留まらず、ありえないほど広範囲に焦土は広がっているため、どこから村かと三人には見分けがつかない。

 けれどふと、クラーテはある地点で立ち止まって表情を激変させた。

 村端の、おそらく結界の外周の辺り――入口の境界線上なのだろうと察せる。


 思わず、リオトは震える肩に手を置いていた。


「大丈夫か、クラーテ」


 間抜けた台詞だと、自分で言っておきながら思う。

 大丈夫なはずがない。大丈夫なはずがないだろう、馬鹿が。

 けれど他にかける言葉も思いつかず、沈痛な静寂が場に敷き詰められる。誰も一切、口を開くことはなかった。


「……ここは、門だったんだ」


 長い沈黙を破ったのはクラーテだった。

 静かに、無感情に、だけど誰かに知ってほしいというように、ぽつぽつと言葉を零していく。


「少しだけ丘になってて、ここから村の全容を見渡せた」


 今は一切が焼き払われ、全てが平野。丘もなにも均されて、見渡す限りは黒一色。


「馬車一台くらいの広さの通りを歩くと、大きな木があって、そこに、猫が住んでた。警戒心が強い子で、何年経っても懐いてくれなかったけど、可愛い猫だった」


 なにもかも、燃えている。失われている。


「その先にはお店とか、沢山建ってて、人も多くて。みんなから挨拶されるんだけど、ボクは口下手で、会釈が精一杯だった」


 今やその風景を覚えているのは、その人たちを思い起こせるのは、この世で彼女ただひとりきりで。


「中心の少し外れに家があって、ボクの帰りを、お父さんとお母さんが、待ってて……それで……それで……」


 そこで、遂に少女はくずおれた。

 言葉は続かず、言葉は失われ、ただ悲しみ打ちひしがれて無言のままに膝を折って地に臥した。触れる大地すら焼け焦げて、もはや故郷の地ですらない。

 この世から、彼女の故郷は焼滅させられたから。もはやどこにも存在しない。


 悲しかった。泣きたかった。


 だが言葉を殺し、感情を死なせて、ただ蹲って全てを耐え忍ぶ。

 代わりに炎を想起した。

 怒り猛り、全てを焼き尽くす憤怒の火だけを全身に満たし、眼光に煌々と焼き殺すべき者を幻視する。


 その痛ましさに、リオトはむしろ彼こそが泣きそうになって、蹲る少女に寄り添って告げる。


「悲しいなら、泣いていいと思うよ」

「泣かない」


 だが断固。頑固。

 クラーテは絶対にそれを受け入れない。


「泣いたら、負けだ。泣いたら、悲しいってことになる。ボクはみんなの死を悲しむんじゃなくて、怒っていたい。だから、泣かない」

「っ」


 ああ、それは。

 それはきっと、なにより悲しいことだった。





「もう、だいじょうぶ。行こう」


 どれだけか経って、ようやくクラーテは立ち上がる。

 決意の眼差しと奇妙に凪いだ顔立ちで、少女は自らの故郷と決別する。

 歩き出し、振り返らず、去ろうとして。


「待て」


 シノギやベルになに言う言葉もない。

 だが、リオトにはある。

 立ち止まり振り返った少女の、その瞳の奥を強く強く見貫くようにと目を合わせ――問い。


「最後にもう一度だけ問わせてほしい」


 こくりと、クラーテは頷く。


「君にはふたつの選択肢がある。全てを忘れ、耐え、ただ強く生きるか。もしくは全てを燃やし、耐えかね、ただ復讐に生きるか」

「忘れるなんて、できるはずがない」


 即答だった。

 わかっている。そう答えるのは。

 リオトは続ける。


「だが今の君では力が足りない、知識が足りない、経験が足りない――意味がない。せめて勝負の土俵に上がれる程度には強さを身につけねば、それは自殺であり、逃げであり、選択肢外の愚挙でしかない。

 ――そんな愚か者ならば、今ここで俺が殺してやる」

「っ」


 いつの間に――リオトはその銀剣を引き抜いてクラーテの鼻先に突きつけている。

 クラーテには抜刀の瞬間も、手の動きも、なにも見えなかった。静止して、切っ先が目の前にあって、ようやく理解に至る。


 その剣には殺意があった。覚悟があった。

 返答を誤れば、本当に斬り捨てられると信じさせるほどに。


「どうする、クラーテ・ナウロス」

「それは……」


 シノギもベルも、やはり沈黙。リオトに任せて背景に徹する。

 演壇の主役はふたり、ふたりきりだ。


「わからない」


 クラーテは正直に言う。

 ついほんのすこし前までただの村の小娘で、今だって大して変わらない一般人でしかない。


 剣を極めるに遅く、魔術の才覚を見出されるに遅い。

 なにもかもが足らず、時を逸していて、生存するだけでも困難。戦場に立つための準備なんてやっている暇もなかろう。


 なにもない。なにも、なにも。空っぽのガランドウだ。

 ――唯一あるのはこの胸の灯火だけ。


「けど、この決意だけは譲れない。それを失えば、ボクはボクを喪失することになる」


 空っぽの少女にたったひとつ残った唯一だけが、クラーテをクラーテたらしめる。

 それが復讐という暗い念であろうとも。他者に与えられたに等しい感情だろうと。


 きっとクラーテはこのまま放っておけば遠からず死するだろう。

 この世の理不尽はなにも魔王だけではなく、そんなものに抗えるだけの術を彼女は持ち合わせていない。

 どころか魔王に挑みかかろうというのだから、それはもはや投身自殺に他ならない。


 太陽に飛び込む翼人と――なにも変わらない。


 だけど、だから。

 掴みとれた幸運にしがみつこうと、クラーテは叫ぶ。


「お願い! ボクを連れていって! あなたたちの旅についていかせて!」


 彼ら三人とともに旅をして、力を蓄えて、経験を積んで、そして――


「そして、一緒に魔王を打倒してください!」


 魔王を打倒する方法はなにか。

 その答えはひとつ――


「仲間を集める、か」


 自分の言った言葉を突きつけられ、リオトはなんだか可笑しくなった。

 同時に、今できる最善の選択を選ぶことのできたクラーテに、かつて選べなかった者として軽い羨望のような気分を覚える。


 リオトは剣を下ろし、鞘に納める。

 背中に感じる不平不満の視線を、さてどうやって言いくるめたものかと頭を悩ませながら、クラーテに笑いかける。手を差し伸べる。


「わかった。それもいいだろう。君の選んだ道行きを少しだけ、手伝うよ」

「っ」


 どうして。

 クラーテは思う。どうしてと。


 酷い我が儘。なにも返せていないのに、助けられてばかり。どうしようもないほど身勝手な、愚かな嘆願を――どうして笑顔で受け入れてくれる。

 わからない。わからないけど。

 これから道行きを同じくするのなら、いつかわかる日がくるのではないか。

 復讐者の少女は未来に期待し、一筋の涙を流して。


「うん、お願いしま――」














 ――そしてクラーテ・ナウロスは燃え尽きた。



「え?」

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