憤怒の陽に向かって走れ! 3



 燃えている。

 燃えている。

 赤く炎が燃えている。


 どこを見ても毒々しい紅蓮に染まり、燃焼の唸り声だけが耳障りにへばりつく。吸い込む空気も焼けていて、肺はもう爛れているのではないか。

 いるだけで熱く、あるだけで苦痛。

 いや、あることすらできやしない。例外なく全て燃え尽きている。


 そこにあったはずのあらゆるものは崩れ落ちた。

 建物は燃え、屋内にある生活品から家具からなにもかも等しく猛火に食われて消え失せる。天すら黒煙に閉ざされて、大地は焦土の有り様だ。

 まるで天地が喪に服したよう。ならばその狭間のなにもかもが赤々と燃え続けているのは、鎮魂のようにも思えた。


 ここはまさに火炎地獄。生きとし生ける者の存在すべきではない場所で、骸の群の痛苦に満ちた拷問部屋である。

 

 そんな地獄にただひとり――笑う。


 笑い、笑い、呵呵大笑かかたいしょうの大男がひとり屹立きつりつする。

 まるで地獄の業火を束ねる王のように堂々と、燃え盛る赫怒かくどの如き烈火に相応しく――君臨する。

 炎の熱など意にも返さず、むしろ心地よさそうに、その猛火の熱量の上昇を歓迎する。燃えれば燃えるだけ、男の哄笑は愉快そうになっていく。


 ああ、ならばその炎はきっと――ボクの憤怒そのものなんだ。



    ◇



「…………」


 目が覚める。

 また同じ夢かと辟易する。


 炎の夢、怒りの夢、仇の夢。

 あの日の光景と今の怒りとが混ざり合って意味不明に構築された、ただただ不愉快な悪夢である。


 まあ、夢でなくても炎熱の苦痛は今でも鮮明に思い出せる。燃焼の音色と奴の笑い声は耳に木霊し続ける。寝ても覚めても奴への憎悪は燃えたぎる。

 きっと一生涯、クラーテ・ナウロスはこの憤怒の炎に侵されながら朝を迎えるのだろう。人生を憤怒に染めて生きていくのだろう。


 いつか死がこの身を滅ぼすか――もしくは、仇を討つその日まで。




 ――ボクは変な人たちに拾われた。


 クラーテはぼんやりとそんなことを思う。ここ最近、都度都度何度もそう思う。


 まずどうした集団なのかがわからない。

 スーツ姿の怖い目つきの人は自分を郵便屋だと言った。

 けれど神父さまは神父さまで、全然違うじゃないかと思う。

 そして三人目の童女に至っては役職すらわからない。もしかして自分と同じように助けれた子なのだろうか。それにしてはお姫様のように大きな顔をして対等だけど。


 彼らがなにを目的として集まっているのかもわからない。

 どうもクラーテの世話にかかりっきりになって身動きがとれない状態のようだ。申し訳ないとも思うが、その助力の真意もまたわからない。


 たぶん、神父さまは完全なる善意だろう。スーツの彼は僅かな善意と神父様への義理とか、あとは同情も混じっている気がする。

 だがお姫様のそれは推し量れない。

 なにかクラーテに思うところがあるようだが、そうでもないようにも思える。深淵まで見透かしているようで、浅瀬を見ようとしている。よくわからない。


 このバラバラな三人が、なぜ一緒になって行動しているのかも、やはりわからない。

 そもそも基本的にベッドの上からクラーテは動けない。だから部屋に代わる代わるやってくる三人の様子しかわからないのだ。


 スーツの彼は暇そうに床に横になってぼうっとしているだけ。

 お姫様は本を読んだり、昼寝したりしている。

 スーツさんとお姫様は、なんとなく自分を避けている気がする。クラーテはそう思う。たぶん、あまり情を寄せないようにと気を付けているんだろう。

 きっと多くの別れを経験しているがため、それの対処法を無意識に身につけているのだ。クラーテとはあまり長い付き合いにならないと肌で感じ取っているのだ。


 けれど、神父さまは違う。


 彼は毎日クラーテの所に訪れて、笑顔で話をしてくれる。

 彼女は口下手で無口なほうだけど、神父さまとの話はほとんど相槌を打っているだけで済むのではかどってしまう。


 別れの痛みなど知らぬとばかりに、彼は積極的だった。

 それはクラーテの身を案じているから、離別の苦痛を横においてでも親身になってくれているのだろう。


 彼にはいろいろなことを聞いた。これまで通ってきた不思議な村や都市のこと。仲間のふたりの愚痴や自慢。時には、クラーテのこれからについて。

 神父さまは優しい。否定をしない。

 だからこそ、クラーテは世話を受け続けている。


 本当なら、目覚めた当初のクラーテの腹積もりとしては、彼らからお金を奪って逃げだそうとしていた。

 復讐しなければならないから。こんなところで立ち止まっていられないから。


 けれど神父さまは言った。

 ――勝利せねば復讐の意味などないと。


 ああ確かにそうだ。勝って、奴を殺さないと、なんの意味もない。敗北は無意味で無価値。だから順序よく、正しい手順で挑まないといけない。

 感情的でなければ復讐なんかしない。けど、理性をもってでしか、復讐を完遂できないのだと、神父さまは自分のことのように教えてくれた。


 魔王を打倒するために、神父さまの元にもう少しいたほうがいい。

 それがクラーテにわかる唯一のことだった。



    ◇



 ある日の寒さが身に染みる朝のこと。


 昼に寝すぎて無駄な早起きをすると、クラーテは窓の外からなにやら微かな物音がすることに気づいた。

 最初は気にすることもなくぼんやりと天井を眺めていたのだけど、規則正しいその音がどうしても耳について気になる。


 興味を惹かれ少し意識して聞き入り、耳を澄ましてみる。

 ひゅんひゅん――と、くりかえすそれは、強いて似たものを探すのなら。


「風のおと?」


 ベッドから半身を起こし、すぐ近くの大窓を開く。

 三階の窓から下を覗くと、そこには神父さまとスーツの彼が刀剣を抜いていた。剣を振るっていた。


 素振り、のようだった。


 ふたりして剣で虚空に一線引くように、真っ直ぐ真っ直ぐ斬線を描く。

 ひたすらに、ひたすらに、ひたすらに。

 飽きもせずしばらく見入っていたクラーテだったが、ふと馬鹿らしくなってベッドを降りる。


 なにを遠くから覗いているのだか。気になるなら傍に寄って見たほうがいいだろうに。

 ドアを開き、廊下に出る。

 少し冷えた朝の空気に身が震えたが、足は淀みなく階段を目指す。ここ最近、ずっとベッドの上で怠けていたからか、階段の降下でさえ仄かに疲労が滲む。


 ようやく一階にまで辿り着き、そこでひとつ呼吸。すぐに気を入れ直して外へ。宿屋の裏手に回る。

 すると。


「あれ? クラーテ?」


 すぐに神父さまが気づいて手を止めた。

 続いてスーツの彼――シノギもまた停止し、少し気だるげに膝を曲げて楽な姿勢をとる。

 クラーテは鍛錬を中断させてしまったかと思い、ちょっと慌ててしまう。


「あ。ごめんなさい」

「べつに謝ることはないけど、どうしたの? まだ朝早いと肌寒いだろう、傷に障るよ」


 リオトはいつものように笑って、まずはクラーテに心配そうな眼差しを送る。

 なんと言ったものか。口下手なクラーテはもごもごと拙く事の次第を並べ立てる。


「えっと。早く目が、覚めちゃって」

「うん」

「それで、窓から、見えたから」

「うんうん」

「鍛錬してるの、気づいて。その、見てたら、近くで見たく、なって」

「そうか。でも、あまり楽しいものじゃないと思うぞ」


 しっかりと最後まで、割り込むこともなく真摯に聞き入ってもらう。それは当たり前のことのようでいて、ありがたいことだと思う。

 すこしはにかんで、クラーテは言う。


「そんなこと、ないよ」

「そっか」


 頷いて、それから数秒だけ思案に使い、振り返る。


「シノギ、今日はこれくらいにして切り上げよう」

「ん、なんでい。いいのかよ」

「ああ」


 昇り始めた朝日を反射する銀色を鞘に納め、リオトは再びクラーテの方に向き直る。

 やはり邪魔したかと気落ちしそうになっているクラーテに、優しく手を伸ばす。


「え」

「代わりに今日は座学にしよう。クラーテも、一緒に聞いていくかい?」

「あ……はい」

「うん。じゃあ、行こうか。いい加減ここは寒いしね」


 思わずなにも考えずに頷いて手をとってしまったが。

 ざがく、とは。


 疑問ごと暖かな手に先導され、宿へと戻るその間際。

 どこか遠くを見るような儚い目つきで、リオトは内緒話を囁くように言った。


「今日の座学のテーマは、魔王との戦い方にしよう」

「おー随分とまあ限定的なシチュエーションだな、おい」

「まあ、今回はゲストもいるからね」


 言って、リオトはクラーテに笑いかける。

 その最後の笑顔だけは、いつもよりも幾分、ぎこちなかった。





「てーか、リオトさ。あんたどっちだよ、復讐に反対してんだか応援してんだかわかんねェぞ」


 部屋に戻り、椅子を用意し、シノギとリオトは座る。

 クラーテはベッドに腰掛けてもらい、三人で輪を作った。


 座学――勉学というよりも、雑談でもはじめそうな陣形である。

 そのせいか、第一声は本当に雑談のようなもので、しかして大事な前置きだった。

 それに対する答えはリオトの理屈でもって生きるということに尽きる。そこに迷いはなく、衒いもない。


「どちらでもあり、どちらでもない。俺はただ、彼女に正しい選択をしてほしいだけだ。彼女にとって、正しい選択をな」

「あん? どういうことでい」

「今からする話を聞いて怖気づく程度なら、復讐なんてやめたほうがいい。やめるなら未練なくやめるべきだ。

 だがやるのならば、やり遂げてほしい。今からする話を攻略の糸口にでもしてくれれば幸いだ」

「…………」


 シノギに向けていたはずの言葉は、いつの間にかクラーテへと宛てたそれとなっていた。

 当のクラーテには、返答の術がない。

 彼の言う言葉の意味はわかっても、それを本質的に受け止めるのに身の丈が足りていない。彼女は酷く感情的で、不器用で、胸中を言語化することを得手としない、ただの小娘でしかない。


 すぐに答えを用意しろとは言わない。ともかく、今回は座学。なにかを知ることで決断の一助となればそれでいい。

 リオトは注目を集めるように少し大きめに声を出す。


「では、魔王についてだが、その前にその種族、魔人という種についてから話そう。順序というのは大事だからな」

「おれは知ってるけど」

「クラーテはどうだい」


 クラーテは静かに首を横に振る。

 田舎村の少女と旅人なシノギやリオトとは知識量に差があって当然だ。

 少なくとも村にいる間は、他種族の特徴なんてものは知っていても意味がないのだ。知識は必要なものを得るだけで精一杯。


 知らない者がいるのなら説明がいるだろう。会話はある程度に平等な知識があって成り立つ。


「まず魔人の外見的特徴だが、彼らは青白い肌色か、褐色か赤銅か、まあ色々ある。個人差が多い種族だ。場合によっては耳が長かったり、やたら筋肉質だったりと、他の種族の特徴を得ている者もいるという。共通項は縦に裂かれた輝く瞳孔をしていること、かな。うちのティベルシアも魔人だし参考になるかもしれないな。彼女はエルフ系統の特徴が大きいタイプで、瞳を除けばほとんどがエルフと言って差し支えない外見だ」


 他にも語っていないが、魔力パターンの差異という見分け方もある。

 とはいえそれは魔力知覚ができないとわからない感覚で、ここで説明してもわかる者もいない。


「そして魔力の質が少し、他のどの種族とも異なり、なにに近いかと言えば神威カムイに近いとされる。彼らは神に所縁ある種族と言われるのはそれがためだ」

「神に、由縁ある?」

「そう。神々が人間を強制進化させた種であるとか、多様な種族の血が混ざり合ってできた種であるとか、元から神々の寵愛を受けていた種であるとか。まあ色々と説はあるが、詳しくはわからない。

 シノギはなにか知っているか?」

「いや。あんたの知ってる知識とさほど変わらんよ」


 つまり二百年経った今でも、魔人という種族の起源はわかっていないということ。

 まあ、別に学者でもない。それについてはどうでもいいだろう。


「大事なのは、彼ら魔人は多く戦闘方面に優秀ということだ。

 鬼人オーガのように力強く、エルフのように魔術の才に優れ、ドワーフのように強靭、ホビットのように器用。種族という単位だけで見れば最も強いのは彼らだろう」


 鬼人オーガが筋力が異様に発達して身体能力における最強の種族というのは有名で。

 エルフが魔術的才気に富んでいる事実は誰でも知っていること。

 あらゆる種族にはそうして得手不得手があってバランスがとれている。そしてその真ん中に立つ人間は平均的な能力値である。


 しかしただ一種族、魔人だけが、あらゆる種の得手とする能力をほんのわずかに劣るか、場合によっては凌駕することさえある。

 全ての種の統合とも、人間の上位種とも言われ――そんな魔人がどれだけ恐ろしい存在なのかは語るまでもない。


「まあ、それも個人差が激しいらしいけどな。全然、筋力ないティベルシアのような奴もいれば、逆に魔力に長じない者もいるだろう。筋力や魔力も大小がばらけている。他の種族以上に個性に差があり、だからか、あまり向上心のない者が多い。既に力の差が明確で、強い者は強いし弱い者は弱い。努力しても、弱い者は強い者に届かないし、逆も同じだ」

「つまり天才ばっかで努力嫌いってか」

「強さというのは、そう完璧だとは俺は思わないけどな」


 強いから弱い者に敗れないと、そう単純な話ではなかろうに。


 って、いかん。また話を逸らすところだった。

 リオトは私見を横に置いて、話の路線を戻す。


 そう、今回のこれは、打倒の方法のレクチャーだ。

 おそるべき点だけでなく、弱点になりうる部分も語るべき。


「だがひとつ魔人はその種族的に欠落がある。それは、彼らは一部を除き神遺物アーティファクトの類を行使できないことだ」


 人間やほかのあらゆる種族に対応した神遺物アーティファクトが、なぜか唯一魔人だけが弾かれる。

 最優の種族ゆえに神が施したセーフティとも、神に近づきすぎたための代償とも言われるが、正確な理由は不明だ。ともかく魔人は神遺物アーティファクトを扱えない。

 神の力を、頼れない。


「人の作った魔道具ならば使用できる点や、一部なぜか使える神遺物アーティファクトがある点から、やはり神々の種への干渉細工という説が推されているが」

「ふん、その程度のハンデもなくちゃ勝ち目ねェからな」

「うん。そう思う。神遺物アーティファクトが使えないからとて魔人の強さは不変だ。油断してはならない、小さなアドバンテージがあるからと驕ってはならない」


 人は弱点を見つけると、それだけで途端に相手を劣弱に見積もってしまうことがある。心理的にそこさえ攻めればなんとかなると安堵してしまうことがある。


 けれどそれの名を油断といい、油断に胡坐をかけば傲慢になる。

 それはどちらも戦場において邪魔ものでしかなく、リオトはすぐに魔人の長所についても並べて説明をする。

 幾つかある中でも一等面倒な点をひとつ。


「わかりやすく魔人と人間の差を説明しよう。たとえば、魔力力場というものを知っているかな」


 肉体を巡る魔力が自然に抗力を発揮し、自身を守る物理的な阻害となる現象を魔力力場と言う。魔力を保持する誰もが展開している天然の結界のようなもの。


「魔力の総量多い者ほど、この力場は強く、あらゆるものをシャットアウトする。けれど、まあ結局は無意識の力の奔流でしかないからな、厚みや密度が足らないものだ」

「へぇ、おれにもあんのかい、それ。その力場」

「あるよ、当然だろう」


 というか、これクラーテに教えているつもりだったのだけど。君も知らないのか、シノギ。

 言わず、続ける。


「しかし、ごく一部の上位者はそれを克服する。魔力力場をさらに鍛錬の上、指向性をもたせた莫大な魔力量保持者の場合、『断魔拒絶結界ニヒト』と呼ばれる上位のそれとなる」


 制御され、密度が増し、利便性の向上した個人結界。衣服のように自然と纏い、鎧のように強靭に守る。

 術者の性質にもよるが、その結界は魔術で編んだ防護術よりも硬質であることすらありうる。


「長く生きた上位魔人たちはこれを自然と形成する。無論、魔王もだ」


 魔王ともなればその『断魔拒絶結界ニヒト』は金剛不壊。あらゆるものを断絶する盾のごとき常時展開の防壁だ。


 ちなみにベルも当然に纏うが、弱体の影響で出力は最低限となっている。いや、そもそも魔力の流れを乱されていながら展開しているのがおかしいのだけど。


「まず、魔王と戦うにはそれを破ることからはじまる」

「えぇ……」


 シノギは頭を抱える。

 前提からして厳しすぎるだろ、それは。


 絶対的強者であることが明白なのに、その上である程度以下の攻撃妨害全てを阻む結界持ち。しかもそのある程度という範囲が嘆かわしいほどの広さ。

 おそらくシノギでは手も足もでないし、一般的に一流と称されるレベルの者たちでも皮膚に触れることすらできない。


 一部の超一流と呼ばれる類の逸脱者だけが、ようやく戦いと呼べるだけの相対となり――けれど最上位の格の差の上に、結界の差まで加味されることになる。


 ピンとこないのか、クラーテはきょとんとした顔である。それがどれだけ絶望的な壁なのか、わからないのだろう。


「魔術の才ある者ならば、それに干渉したりして弱らせたりすり抜けたり剥いだりすることもできるだろう。いやそもそも魔術の大火力ならば貫けるかもしれない」


 ただし、本当に才ある者が弛まぬ修練の果てに大魔術師として大成した場合に限るが。

 初手の第一歩、魔王と戦える土俵に上がるという前提がそれなのだから、もはや次元違いが笑えるレベルである。


「それがない者は、武芸に励むしかないが」

「無理だろ、そんな結界を剣やら槍やらで破るなんざ」

「そうだな。ただ力技の剛剣で叩いたところで、人間の筋力じゃあ限度がある。魔王レベルの結界は崩れないだろう」

「じゃあ、どうすんだ、諦めるか」

「魔術にも手をだす」

「えぇ……」


 本日二度目の呆けた呟き。二度目の頭抱え。

 なんで術的な素養がない場合の話で魔術の必要性を問われるんだ、本末転倒じゃないか。


「いや待て。剣術を必死こいて技量伸ばして、で、それでさらに魔術がいるって? 素養ないのに?」

「もしくは魔道具か神遺物アーティファクトだな。そういうものも併用しなければ、魔王とは戦えない」

「なんか武芸って、弱いな」


 少し残念そうに、シノギは肩を落とす。

 彼は剣士ではなく魔刀遣いではあるが、それでも剣の術理は学んでいる。それが使い物にならないというのは、仄かに悲しい気がした。


「弱くないさ。手札のひとつで、重要で、生涯をかけて磨くに値するものだよ。魔術的な素養がなく、それのみでは難しいから、ふたつを組み合わせて戦うと言っているだけだ」

「組み合わせてか」


 それはまさしくリオトの戦い方そのもの。

 練り上げられた剣技に、魔術による補強をして、あらゆるものを断ち斬る。


 現在は魔力器官が損壊して軽度の術式しか扱えないが、かつての彼ならば高位の術も自在に操っていただろう。

 今も健在の達人級の剣術とともに組み合わせ、戦闘慣れした彼が運用すれば、たしかに魔王にすら届き得たのかもしれない。


 まあ、そこまで行っても、彼は結局――勇者にならねば魔王に敗れたらしいのだが。


 要はリオトの語ったそれは、実は失敗例なのではないか。やはりどれだけがんばっても、魔王という半神に敵うものではないのではないか。

 シノギの悪瞳から疑念が滲み出たか、リオトは苦笑する。


「いや、俺は、実はひとつ調べ忘れたことがあってな」

「あん?」

「大事な事だ。敵の能力をしっかりと下調べして、徹底的に対策をとる。どれだけ自分が強くなったつもりでも、それを怠れば勝ち目なんてない」


 同じ格の魔王か勇者でもなれけば、初見では絶対に勝てない。

 なぜなら、魔王と勇者には絶対に使わせてはならない奥の手がある。


「『偽神権能レリックアート』――魔王を象徴する究極の異能。神遺物アーティファクトすら匹敵、凌駕しかねない神の如き力」

「あー、噂に聞くが、やべェらしいな。神遺物が使えないのが弱点な魔人なのに、魔王はそれに等しき力を持っているとかいう理不尽の重ね掛けってふざけてるよな」

「全くだ。だからこそ、それの対策を五つか、いや、十は想定しておかないと――わけもわからぬ内に死んでいることになる」

「いや、無理だろそれ」

「無理でも、討ち取りたいならやるしかない。無論、攻略方法が思いつかないような不可解な能力の可能性もあって、実際のところやってられないんだけどな」


 リオトですら匙を投げる程の無茶ぶり。

 おいおい、とシノギは天井を眺める。えー、と俯く。そして不満たらたらに正面を向く。


「待てよ。頭から整理すると。まず強力な結界が常時展開してます」

「ああ」

「その結界は魔術一本で極めるか、剣と魔術を併用して極める二歩手前くらいでやっと破れるくらいに頑強」

「そうなる」

「やっと戦闘になって、でもメッチャ強い。普通にやっても勝てない劣勢を強いられて、しかも実は相手は隠し玉をもってる」

「そうそう」

「その隠し玉はまず初見殺しだから事前に情報があって、かつ対処を用意しておかないと即死」

「用意してあってもまず即死だけどな」

「いや、無理じゃん!」


 シノギが叫びだすのもむべなるかな。

 話を聞けば聞くほどに理不尽で、次元違いを思い知らされる。

 初手から無理で、中盤に差し掛かっても不可能。終盤に至っては絵空事の領域といえよう。


 なにそれ、意味わかんない。

 シノギは頭を抱えてため息ひとつ。クラーテに向けてせめて慈悲の言葉をひとつ。


「よし、嬢ちゃん。無理だ諦めよう」

「……」


 クラーテも、クラーテこそ、打ちひしがれている。

 自分の考えの甘さ、見通しの狭さ。突きつけられて恥ずかしいほどに嘆かわしい。

 現実は考えるよりももっと恐ろしく、残酷で、眩暈がするほどに――遠い。


 魔王という存在の強さは、天井外れに圧倒的なものだと思っていた。

 だが、事実はもっと理不尽で夢幻のように届かない。きっと今のクラーテとは天地よりも離れて目にも留まらない。

 

 諦観と絶望が胸に押し寄せて、あらゆる活力が奪われそうになって。だが、その胸中には絶えず盛る業火が灯っている。

 どんな感情をも炉にくべて、どんな理不尽も焼き尽くし、魂そのものと化して分けることのできない根源的衝動――憤怒は揺るがず彼女を狂わせ続ける。


 それでもと――クラーテは言う。理屈を無視した感情的な物言い。


「そっ……それでも、ボクは――」

「諦められない?」

「うん。相手が強いから、この気持ちが嘘になるなんて、そんなのゆるせないから」

「そう――か」


 リオトはその時、一体どんな感情を表情に投影したのか。

 嬉しいのか、悲しいのか、懐かしいのか、蔑んでいるのか。そのどれでもないのか。

 ぐしゃぐしゃで、定まらず、筆舌に尽くしがたい。


 けれど一瞬で抑え込み、すぐにいつものような笑みで答える。ここまで深みに嵌ってしまったのなら、理屈や制止に意味などない。


「まあ、そうだよな。わかるよ。じゃあ、とっておきを教えてあげよう」

「え」

「魔王の打倒、手がないわけじゃないんだ、方法がある。なにかわかるかい?」

「……」


 リオトがクラーテを見つめて問いを発するから、シノギはそこで黙った。

 クラーテは少し考えて、やがて首を横に振る。わからない。

 それは大事なことなのか、リオトはそれでもしばらく沈黙で見守っていた。クラーテに答えを出してほしいと思ったからだ。


 けれどやはり答えはでず、若干残念そうにしながらも、リオトは力強くそれを告げる。


「仲間を集めるんだ」

「なか、ま?」

「あー、なるほど」


 困惑するクラーテと違い、シノギはすんと腑に落ちたらしい。なるほどと何度も頷いている。

 けれどクラーテは、どうにも、その言葉の意味を理解できないように困惑を深めるばかり。


「剣を振るう者、術を歌う者。他にも素早く立ち回れる者や、傷を癒せる者、情報収集の長けた者。いろいろと、ひとつを極めた誰かを頼るんだ。自分だけではできないことでも、多くの力が集まれば、きっと成し遂げられる」


 俺も、そうだった。

 と、その言葉が掠れてノドから漏れ出てしまい、さらにクラーテは訝しむ。先ほどからの口ぶりでだいぶ怪しいとは思っていたが、決定的だ。


「神父さまは、魔王と、戦ったことが、あるの?」

「えっ。あ、いや……」


 気まずそうに目を逸らし、誤魔化すように頬を掻く。

 言葉を探すような数拍を置いて、ふと何か思い出したように殊更明るい声を発する。


「よし、今日の座学終わり! 俺はちょっと用事思いだしたから行くよ!」

「あ、神父さま……」


 慌てて立ち上がってそそくさと退室していく。なんともわかりやすい態度ではある。

 残されたクラーテはぽかんとしてしまい、シノギがフォローのように苦笑する。


「はァ。わりぃな、あいつは隠し事が苦手なんだよ。あんまり詮索しないでやってくれ」

「うん」

「っていうか、あいつ行っちまったら今日の付き添いおれになるじゃん……」


 ぼやきはするがまあ順番通りなので、文句はないのだけれども。

 

 


 沈黙は数分。

 すぐにクラーテは不意打ちのように、少し疑問に思っていたことを呟いてみた。


「あなたも、鍛錬とか、するんだね」

「…………」


 シノギの番ではいつも声をかけられることはない。

 ただ同じ部屋に沈黙だけを間に置いて居合わせているだけ。物理的距離の短さに反して、その沈黙が心理的距離を果てなく広げているように思われた。


 だからか、シノギは聞こえてきた声に数秒、反応できなかった。まさか自分に話しかけられるとは思っておらず、今部屋にいるのがふたりだけであるという当たり前の事実に気づくまで取り合うこともなかった。

 宛先が自分だけであることに思い至って、やっと、シノギは一分以上無視したという事実などなかったかのように平然と返す。


「なんだ、おれが鍛錬すると変か? サボりそうな見た目ってか? 否定しねェけどよ」

「そうじゃなくて、強そうだから」

「ああ?」


 なぜか凄く不機嫌そうに返される。


「おれが強いわけねェだろ。強そうに見えるだけだ。意味ねェ。いや、強そうに見えないよりは見えるほうがいいのか? いや弱く見えるほうが油断してくれるか? どうだろ、今度リオトに聞いてみるか」

「神父さま? 神父さまは、強いの?」

「強ェよ。現状おれら三人で一番だろ」


 ベルはまだ底を見せていないし、シノギだって奥の手は残してある。

 そういう事実を踏まえてそれでも。


「基礎と経験が極まり過ぎてやがる。なにやっても対応してくる。ミスがない。言葉にすると地味だけど、やべェんだぜ、これ。あいつのせいで基礎しっかりやんねェとって危機感がじりじり迫ってくるわ、ほんと」

「基礎、基本……」


 ピンとくるものではない。

 戦った経験のないクラーテには、魔術のような派手派手しい砲火や神遺物アーティファクト、魔剣魔刀などの反則技のほうが圧倒的に強く見える。


 たしかに一撃で一切合財を破壊し尽くす大技は、出力高く多くの命を奪う。火力は力そのもの。

 けれど。


「そんなのは小さい戦闘にゃ逆に無駄だからな。おれたちゃ矮小な人間だぜ、そうデカイもんとか大群大軍との戦闘なんざおこらねェよ。ていうかおきたら逃げるわ」


 一般的には、という言葉は飲み込む。

 例外的に竜だの大人数だのなんだのと交戦回数が多い三馬鹿であるが、例外は例外だ。それを通常に当てはめて語るのは虚偽ではないのに嘘になる。


「多くて十人ていどだろ、敵に回す想定は。で、十人とリオトひとりがやりあっても、まずリオトが勝つだろうな。サシでやりあうことを考えても同じだ」


 言いながら、武芸の儚さに嘆いていた数分前の自分がいたことを思い出す。

 そうじゃない。そうじゃないのだろう。

 魔王に効かないから無意味だなんて、そんな考え方は違うのだ。そもそも効かないわけでもない。下準備が必要なだけで、その技量は裏切らない。


 勝手に納得するシノギであるが、クラーテは納得いかない。首を傾げる。


「だから、強い?」

「伝わらんか」


 こくりと小さく頷かれてしまい、シノギは少し困ったように眉根を寄せる。

 思案の間を置いて、じゃあと例示してみる。


「たとえばおれは魔刀を使う。複数のな」

「それは」


 すごい。

 魔術秘めた刃の類は聞いたことがあるが、その一本でも酷く希少で高価であろう。

 それひとつだけで傭兵としてやっていける場合もあるし、小さな辺境の村なら村一番の戦士として厚遇されたりもする。

 それを六本。尋常ならざる魔刀使いだろう。


 とはいえ、クラーテにはわかりづらいだろうが、装備がよければ強いだなんて理屈は通らない。戦闘行為はそんなにも単純なものではないから。


「で、リオトは何の変哲もない剣が一本あるだけだ。でも負ける。それは技量って奴だ。剣術の腕、鍛錬の結実にして才覚の顕現。剣士としての領域が段違いに格上なんだよ」

「……」


 これも不評。不可解そう。

 ならばまた別の視点で。


「魔刀っていうのは能力がわからんで、その対処が難しいもんだ。まあ一緒に旅してるから魔刀の能力はだいたいバレてるわけだけど、知られてないのもある。おれがそれを使ってリオトに襲い掛かったとして、見たことのない完全に未知の攻撃法を試みるとして、でも、やっぱり負ける。たぶんすぐに見破られる。見切られてあっさりやられるだろう。それが経験豊富な戦士の強みだ」

「どんな攻撃も、もう経験してるから、対処を知っている?」


 ようやく色よい反応が返る。少しわかったようだ。

 人によってわかりやすい、理解しやすいたとえというのは違う。多角的に説明することで、伝聞はより上手くいくもの。

 シノギはそこに絞って付け加える。


「ああ。初見殺しは初見にのみ有効だからな。もちろん、おれの見せてない魔刀は初見だろうが、似たようななにぞとは、おそらく戦ったことがある。で、あいつは生きてるってことはまずその能力を持った敵も打ち倒していることになる」


 一度勝利した相手に負けない――翻れば、勝利したことのある系統の戦士にも、もう負けない。


 あらゆるパターンの敵を屠り、如何なる戦場にも適応してきた。

 ならば次の敵において今までとの類似や重複も必ず存在し、膨大な戦闘経験がその類似点を無数に看破し初見のはずがいつの間にやら既知のそれとなり下がる。


 そうなれば簡単。以前それと似た敵を殺した方策を思い出し、現在の敵に応じて多少組み換えとアレンジをすれば――おのずと勝利を得られる。


 ――戦い続けた修羅の果て。その末路がそれ。


「技量も飛び抜けてるし、鍛錬馬鹿で向上心もある。ミスもしないし慢心もしない。はい、勝てる?」

「たぶん、むずかしい」

「おれもそう思う」


 首肯して、次に瞬間にふとシノギはなんだか顔を覆いたくなる。

 べつだん、誉めそやすつもりもなかったが、なんだかべた褒めしてしまったみたいで、非常に気恥ずかしくなる。


 友人自慢みたいな滑稽さ。自分はなんということもない凡愚なのに、優秀な友人を自分のことのように偉そうにのべつ幕なしに語るという、まさに虎の威を借る狐。


 シノギが急に黙ると、その間に思案できたのか、少ししてクラーテのほうから声をだす。


「でも。それって神父さまは、どういう人生を送ってきたの」

「あー。それは、本人に聞いてくれぃ。おれから話せることでもねェ」

「そっか。うん、そうだ」


 確かに自分の過去を知らぬ間に他者に語られるというのは快くないものか。

 納得し、けれど気になって、今度、神父さまに聞いてみようかと思った。

 不意にシノギの眼光が細まる。


「にしても、いつもより口数が多いな。ていうか、リオト以外とこんだけ口きくのははじめて見たぜ。

 なんか――言いたいことでもあんのか」

「……」

「べつに、気のせいならいいけど」


 シノギとしてはどっちでもいい。言いたいことがあるなら聞くが、途中で躊躇う程度なら聞き出そうとは思わない。

 シノギはリオトほどお人よしでもなく、ベルほど距離を置くこともない。

 やはり中立的で、感情と理性の狭間でただ少女と向き合っている。


 再び、ふたりの間に沈黙が降りる。しかし今回の沈黙はあまり距離を離す前に埋められる。

 おずおずと、クラーテが決心してその含んでいたものを吐き出す。


「すこし、神父さまには話しづらい」

「で、おれか。なんでだ、ベルのほうが同性だし、話とかはしやすいんじゃねェのか」

「あの子は、ちょっと怖いから」

「おれのほうが怖いだろ、普通」


 グラス外した当初なんか、相当ビビッていただろうに。

 クラーテは首を横に振る。


「見た目の怖さは、あんまり。ボクはたぶん、この世で一番恐ろしいものを殺さないといけないから」

「成程。おれなんぞにビビってられねェか、道理だ」


 しかしならば、ベルには一体どうした怖さを覚えているのだろうか。

 あの童女がそう恐怖されるというのはイメージし難いのだが。


 しかしクラーテの言うように、ここ数日なにやらピリピリしているような気はする。クラーテを見る目が、時折鋭く尖っているように思える時がある。

 見通すような見透かすような――いや、彼女の内側を、見咎めるような?


 気のせいだと、シノギは結局は結論付けたのだが、ふむ……。

 まあいい。


「で、リオトに言いづらいことってのは?」


 なんとなし、予想はつくが。

 それを聞かねば話は進まず、なにも動かない。シノギは停滞が嫌いだ。

 そして、クラーテはそれを祈るように口にした。



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