競り奪る薬は血の香り 7



「よぉベル、なんの話だよ」

「ひぅっ!?」


 事を終え処理が済み、一息つこうとしたタイミングで、不意に背から声をかけられる。

 隠し事がバレた子供のようにびくりと全身を震わせ、ベルは恐る恐る振り返る。


「しっ……シノギ……」


 見られたくない現場を見られた、そんな感情が奇縁を通じてダイレクトに届く。それでなくてもベルの表情にまさにそう書いてある。

 シノギは思ったよりも淡泊で、特段に表情を変えず、ただ片眉を跳ね上げる。


「なんでい、なんか見られたくなかったかよ」

「あ、いや、そういう……わけでは、ある、のじゃが……」


 わたわたと混乱して、視線も覚束ないで揺れ、両手が震えている。困り果てているその姿は叱られるのに怯える童そのもので。

 なんとも――つい先ほど吸血鬼を心胆から恐怖させた魔王たるの威厳はどこにもない。


「ふん? 珍しく焦ってんな。別になんなら見なかったことにしてもいいぜ?」

「え」


 一瞬、希望の光を垣間見たベルだが、次のシノギのニヤついた発言に急転落する羽目になる。


「なあおい、どう思うよリオト」

「なにっ。まさかおぬし」


 ベルは再び、恐る恐る傍で仰向けになっているリオトへと視線を遣る。

 そこには目を閉じ横たわった――どうにも困り顔のリオトの姿があった。


 言うに言い出せず黙っていたら、最悪の機に水を向けられたことに対する冷や汗で一杯である。

 シノギとベルのジト目に観念したように起き上がり、リオトはまずは言い訳を。


「……すまない。聞かれたくないような話なら、聞かなかったふりをしたほうがいいかと思ってな」

「それ一番タチ悪い奴だろ」

「というか、おぬし、なぜ寝ておらんのじゃ! 傷に響くじゃろ! 寝て体力を養っておかんか、戯け!」


 あくまでまずは心配を述べる辺りに彼女の性根が表れている。

 リオトはそれに苦笑してから、断固として言う。


「いや、眠気は襲ってきたけど、ここで寝たらまずいかなって」

「要は盗み聞きする気満々だったってことか」

「違うし人聞きが悪い。最悪、ティベルシアの盾にでもなろうかと覚悟してたんだよ」


 自分が死にかけている時に他人の心配をする辺り勇者らしく、リオトらしい。

 それはそれとして。


「ともかく全部聞いてたんだな」

「う……。そっ、そういうシノギはどこら辺から?」

「モスキートって吸血鬼的に一番の悪口辺りから聞いてたな」

「つまり全部じゃろうが! うわー、もう駄目じゃー! お仕舞いじゃー!」


 頭を抱えて絶望的な嘆きを上げるベル。マジで泣きが入った駄々っ子のような喚きっぷりである。

 よくわからないのは男衆である。なにがそんなに深刻なのか。


「え、なにが駄目で、なにがお仕舞いなんだティベルシア」

「おれたちゃ見てないことにするって言ってんだろ? なにが恥ずかしいのか知らんけど。あれか、黒歴史な魔王サマ時代をおれたちに知られたくねェって?」

「いや……そうではなく、クリストファーのあの怯えっぷりとか、端々にあるわしの悪っぷりとか……」


 なによりも、魔王としての顔を見せてしまったことで――失望されるのが、ベルは心底から怖かった。

 失望され、見放され、見下げ果てられたくない。

 幻滅されるのが死ぬよりも嫌で、見捨てられるのが殺されるよりも悲しかった。


 迷子の子供のように、ベルは窺うように上目遣いでふたりを見遣る。

 その心配にしょげたベルに、シノギとリオトは目を合わせ、肩を竦め合い――ふっと笑う。


「君が最悪と呼ばれた大魔王なのは、ちゃんと理解しているつもりだ」

「おれァよくわかってねェけど、まあ、昔ヤンチャしてたんだろうなぁってのは伝わった。けど、そりゃ昔の話だろ。四百年前って、おい、考慮してられるかよ、面倒くせェ。今目の前にあんたがいるんだ、そっちを見て判断するさ」

「そう、今の君を、俺たちは見ている。君は悪い魔王なんかじゃないさ」

「おれたちの奇縁がそんなことで切れるかよ、ボケ」

「同胞なんだ、もっと信じてくれ。俺は信じてる」


 心配し過ぎだと笑い飛ばされる。共に行こうと真摯に笑いかけられる。

 あっさりとそんな風に言われて、ベルはぽかんとしてしまう。固まって、震えて、言葉もない。


 気にせずふたりはもうその話は終わりと次に移る。


「それで、そんなことよりもこの後はどうする。まだ吸血鬼の残党がいるだろう」

「ああ、それはいい。シャイロックのお嬢さんがおれらを気にして大慌てで戦力集めてな、もうそれが突入してくる。第二祖ロードは倒したし、後のことはそっちにお任せ。おれらはもうお役御免だ」

「どういうことだ?」

「シャイロックからすれば今回の騒動は大失態だ。せめて事件の決着くらいは自分たちの手でつけたい――つけたことにしたいのさ。だから客を助ける役どころと事件の終止符を打つ役目は譲れないとさ」

「なるほどな」


 要はシノギら三馬鹿はこの件に関与してなかったと、そういうことになったのだ。

 とはいえタダで手柄を譲るというのも道理が通らない。相応に対価はある。代償はある。

 じゃらりと音を鳴らしながら、『クシゲ』から白金貨の詰まった小袋を取り出して見せる。


「で、口止めにけっこうもらった」

「おい」


 ちなみにこの小袋サイズをさらにふたつ『クシゲ』に仕舞ってあり、言ったように、けっこうな大金である。

 シノギは説明用に見せた金貨袋を再び仕舞い直してから、肩を竦める。


「もらっとかねェと向こうが困るんだって。まあ、うちの上には報告すると釘は刺したがな。苦々しそうだったが、そこは了承せざるを得ないこと。あとはお偉い同士が話し合うから、下っ端にゃ無関係さ」


 ただこれで、シャイロックはエスタピジャに大きな借りを作ることになるのだが、まあやはり下っ端には関係ない雲の上の話。


 だからこそのお役御免、だ。


 中々に黒いお話だが、リオトも小市民な気質。そういう政治的な話にはどうにも踏み込めない。

 それに、実際これ以上はもう無理というのは事実だった。

 安堵して、リオトは全身の力を抜き去る。大きなため息を吐く。


「そうか。そうだな、それが彼女らにとってなすべきことなら任せよう。正直、俺もだいぶキツイ……」

「おいおい、歩けるかよ?」

「すまん、ちょっと難しい」


 リオトが意地も張らず難しいと言うなら、相当厳しいのだろう。

 助力を求めるのが下手なくせに意地っ張りなところは三馬鹿共通の気質だ。それを押してでも言うのだから、手を貸すことに躊躇いなどない。

 座り込む体を引っ張り上げ、シノギは担ぐようにリオトを支える。


「しゃーねェなァ。ほれ、肩貸してやるから、行くぞ。ベルは治癒を続けてくれや」

「……あっ、う、うむ」


 どうにもまだぼうっとした生返事に、シノギは咎めるように空いた手でデコピンを一発。ばしん、と軽快な音が響いてベルの額を打ち抜いた。

 無論、やられたほうは痛い。


「ふわっ!? なんじゃ、なにをするきさま!」

「シケたツラすんな、心配すんな――置いてくわけねェだろ、とっととズラかるぜ」

「あ」


 デコピンした手はすぐに開いて、大丈夫だと言うようにベルの銀髪を優しく梳いて撫ぜる。

 それだけなのに、ベルはなんだかとても安心した。腑に落ちた。


「しかしなんでいつもそんな逃げるみたいなんだろうな、俺たち」

「面倒ごとは面倒だからな。後処理とかは無視って放置するに限るぜ」

「まあ、深く背景や経歴を調べられても俺とティベルシアが困るか。わかった、行こうかシノギ――ティベルシア」

「おう――ベル?」


 当たり前のように手を差し出し、さあ共に行こうと笑いかける。

 なんて、ああ、なんて。

 その手は暖かく、その笑みは尊く。

 泣きそうになるのを堪えて、できるだけ綺麗に輝きをもって――ベルは笑顔満開で返事をする。


「うむ!」




 ――競り奪る薬は血の香り 了



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