競り奪る薬は血の香り 6



「――吸血鬼相手に長期戦はねェ。相手になんもさせず短期決戦、できれば一撃必殺で仕留めたい」


 ふたりが競売場アゴラに踏み込む直前、打合せの段において、シノギはまずそのように主張した。

 ベルは同意しつつもならばと加える。


「その場合、奴の心臓を潰す必要があるの」

「心臓? それで死ぬのか? 針で刺さっても元気してたじゃん」


 リオトが補足しておく。


「あれはおそらく心臓の位置を動かしているんだ。だから、心臓のあるべき位置を穿ってもそこに心臓はない」

「あーそういう」

「熟練した吸血鬼は己の弱点にあたる心臓を常に体中にランダムで動かし続けおる。ゆえに、とても死ににくい」


 つくづく恐ろしい生命体だ。心臓って不随意筋だろ。いや、それ以前に内臓ナカミの配置替えが容易なのがもうおかしい。


 血液状生命、興味深いほど不思議な存在だ。とはいえベルは自重する。それの解明よりも重要なことくらい弁えている。

 引き結んだ唇に応じて、シノギががえんずる。


「ん、だが問題ねェな。心臓がいくらバクバク逃げようが、縁を結んじまえばそれで追える。切れず、繋がり、必ず出会う。だから縁故だ」

「なるほど、確かに君の魔刀なら逃げ続ける心臓を逃さず破壊することも可能か」


 リオトはすぐに納得を示すが、ベルはやや思案の間をおいて用心深く言葉を作る。


「……ふむ。とはいえそれにはまず縁を結ぶ必要があるじゃろ。魔刀を触れさせねばならんじゃろ」

「ああ、心臓に直接とまでは言わんが、できれば深く奴の内部まで刀身を触れさせておきたい。あとはこっちで手繰るからよ」

「その方法は?」

「そこはほら、勇者がんば!」

「そうか、そういうことか。俺に死ねというんだな、シノギ」

「大丈夫大丈夫、あんたなら大丈夫。ようわからんけど大丈夫だって!」


 まるでまったく根拠のない大丈夫に、リオトはもうなんか泣きそうになってつっこむ。


「さすがに心臓とノドを貫かれて生きている人間は存在しないぞ。しないぞ!」

「その二点だけなら、なんとかわしが逸らしてやろう。代わりに他の五つは直撃を受けてもらうぞ」

「え」


 嘘、そんなことできるの……。

 愕然とするリオトの肩に、ぽんと優しく手が置かれる。シノギは慈愛に満ちた表情で、情の欠片もないことを口走る。


「だいぶできそうになったな、グッドラック!」

「なってない! 幸運を祈るな!」

「けどどうしても誰かが一撃加えねェとはじまらんのだけど。

 で、おれは薄っぺらい雑魚。ベルは肉体的にはまんまロリじゃん?」

「くっ。だけど――」


 言わせない。ベルが今思いつたような風情で遮る。


「あぁもう一点、リオトでないとできない理由があるぞ」

「え、なんか他にあったっけ?」


 作戦立案者のシノギですら思いつかない事情が、そこにはある。彼は魔術、魔力に関して疎いから。


「針が突き刺す部位に丹田があったじゃろ。あれは魔力蓄積器官のある場所でな、要はそこを穿たれては魔力が散ってしまう」

「あぁそうなんだ。じゃあ元からぶっ壊れてるリオトじゃないとやばいな!」

「古傷を抉るなぁ!」


 文字通りなツッコミは残念ながら受け流され、ベルは真顔で死刑宣告の如く告げる。


「じゃが消去法ではリオトしかおらんぞ。わしは魔力使えんとただの美少女じゃし、トドメの役割を請け負うシノギもまた魔刀行使に魔力がいるじゃろ」

「っ」


 反論は――そこで潰える。


 そもそも強大な生命力を保持し、逸脱の霊薬を持った吸血鬼を『針の上で真アリティア・実は踊るのかミレ・アゴラ』という暴力許されぬ城において打倒する方法なぞ、他に思い当たらない。


 急がねば状況は悪化するだけで、そしてこの作戦はリオトの覚悟さえ決まれば即座に実行できる。

 諸々と思案を働かせれば働かせるほど、観念するよりないと結論に陥っていく。反論の余地がなく、時間もない。


 であれば、もう、仕方なかろう。


「――わかったよ。なんとか、一度、一度きりだが、耐えてやるさ」


 そうして、ため息のようにヤケクソのように、リオトは決断するのだった。




 ――そんな会話があったのだ。

 作戦会議というほど厳かでもない軽い駄弁り合いのようなそれで、冗談みたいな前提条件を課して。


「で、こいつが帰ってきて、かつおれが生きてるってこたァ有言実行ってことだわな」


 飛来して来た魔刀をしかと受け取り握りしめ、その刀身についた返り血を眺めて思うことはひとつだけ。


 ――なんとも、やはりリオトは規格外に過ぎる。


 無茶な条件設定で、無理な対戦相手で、無茶苦茶な注文を前提に組み込んでいたのだ。つまり不可能と、シノギは思い至った自分の立案を評価していた。


 それでもリオトならもしかしたらと思って伝えてみれば――これこの通り、なんと成功させてしまった。

 成し遂げた信じられないくらいに凄まじい覚悟と強さ。もはや畏敬の念を禁じ得ない。並び立つ身の卑小さにおこがましくて泣きそうになる。


 あの二人と共に立つということがどういうことか、シノギは少し考えねばならないと思った。


「ともかく、おれも死んでも成功させねェとだな」


 帰還した魔刀を強く握りしめ、その刀身に触れる。その力を解き放つ。 


「我が六の魔刀が一刀――『結線魔刀・縁』、その魔威をここに結べ!」


 この魔刀『縁』の異能は触れた対象と縁を結び、その縁故に沿って向かっていくというもの。結ばれた縁は必ず出会う。

 そしてその能力の応用として結んだ先の縁、その位置の操作が可能である。

 手繰るように探るように、縁の先を移動させる。それをなすには熟練の慣れとコツを掴むセンスが必須となる。


 三馬鹿の中では無論、所有者のシノギにしかできない裏技のようなもの、魔刀による技とも言えぬ一芸――魔技戦芸マギセンゲイのひとつ“索道縁繰サクドウエングリ”。


 だからこそ、魔刀のリレーが必要だった。

 触れて縁を結ぶ者、結んだ縁を活かしてトドメをさす者。ふたりと、そして両者をサポートする三人目が絶対的に不可欠。

 ならばきっと、これは彼ら三馬鹿にしかできない作戦だ。


 終幕を告げる銀の魔刀が投げ放たれ――約束の縁故へと走り出す。



    ◇



「ばかな……」


 そして、縁と縁は結ばれて、約束の出会いを果たす。

 それはクリストファーの右足の腿。どうしてそんなところへと刃は吸い込まれたのか。


「つっ、常に動き回る私の心臓を、捉えたというのか……ありえない!」


 縁結びし存在の根幹――全身体内で逃げ回る心臓が、ちょうどそこにあっただけ。因縁尽の遭遇でしかない。


 どこにあろうが心臓は心臓、吸血鬼の核。貫かれれば文字通りの致命傷だ。

 今までになくクリストファーは苦痛に顔を歪め、膝を折る。不可解に支配されて混乱しきっている。


「なぜだ、どうやって心臓を、どうしてこの屋敷で……!」


 前者に答えてやる義理はないが、後者には答えてやってもいい。

 それがわからないことこそが、彼の最大の敗因なのだから。


 治癒は継続したままリオトを床に寝かせ、ベルは立ち上がる。くずおれたクリストファーと正面切って相対する。


「この競売場アゴラの判断力は優れておるが、穴はある。元より遊び場であり城塞の役割なぞなかった故の、単純な穴じゃ。そもそも城塞ならば門の開閉が自由なわけがなかろうが」

「そっ、そうか、外からの攻撃かっ」

「然り。外で準備を整え、外から討つ。さすれば競売場アゴラは無反応。こうしておぬしだけが串刺しじゃな」


 それは単純明快な理。

 この競売場アゴラの内では嘘と暴力は許されない。ならば、この競売場アゴラの外でなら嘘も暴力も許されると、当たり前の話である。


 ベルの言うように、『針の上で真アリティア・実は踊るのかミレ・アゴラ』は城塞などではないのだから。ここを要塞として立てこもり陣地とするなどという用途は一切、考慮の外である。


「まったく。この程度の玩具で付け上がって無敵と勘違いしたおぬしもまた酷く滑稽で、なんとも哀れじゃのぅモスキート」


 そんな玩具を頼って、アテにして、縋って。

 ゆえに盲目となった。都合悪いことから目を瞑り、気づかずにこの土壇場まで来てしまった。


 当然の帰結として、こうしてクリストファーは心の臓腑を刃に貫かれたのだ。

 それでも、心臓を貫かれてなお、クリストファーは生きる。苦悶の表情で、憎悪の相で、生き汚く死を拒絶する。


「こっ、この程度で私を殺せると思うなっ! 私はっ、わたしは――!!」

「ふん、わかっておるさ。あの青瓢箪から直接、血族に迎え入れられた直系、心臓を残しつつもそれ以外が全て血でできた真なる怪物、第二祖吸血鬼ロード・ヴァンパイア――貴様らならば心臓に刃を突き立てようとも再生してのける。

 ゆえにこそ、わしはおぬしらを駆除するための術式を編みだしたのじゃから」

「なっ――っ!?」


 今、この女はなんと言った。なにを口にした。

 それはもはや失伝しているはずの――!


「予め魔刀に付与しておいた術も、ふむ、予想通り有効じゃな。まったくまったく、シノギの言う通りこの神遺物アーティファクト、ザルじゃ」

「ばっ……馬鹿な」


 じゅくじゅくと、クリストファーの全身が泡立ち歪み消えていく。否、蒸発していく。

 まるで鍋の水を高熱で焼いているような、泥沼が日照りに乾いていくような、速やかなる水分の死滅。


「馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!

 こっ、これは吸血鬼殺しの術式『十字架に懺悔し果てよロザリオ・ヘルシング』!?」


 それは吸血鬼の時代がはじまることもなく終えた理由のひとつ。

 彼らはある魔王の怒りを買い――その対抗術式を作成され、挙句に広くばら撒かれてしまったのである。


 吸血鬼の体は一部を除いて血液でできている。

 ならば血液部分を全て蒸発させてしまえばお仕舞いだ。そんな逆転のコンセプトで作られた対吸血鬼用抹殺魔術、名を『十字架に懺悔し果てよロザリオ・ヘルシング』という。


 吸血鬼の血液という豊富な魔力に反応し着火剤とする綿密な術式が組まれ、その生命力を一滴残らず焼き尽くすようにと仕組まれた術意でできた高等魔術だった。

 しかしこれは、この術は。


「ありえぬ。これは既に失われた術式だと! 起きて早々に調べ、徹底的に調べあげ、喪失を確認したのだ! なぜ、なぜ使える、貴様は一体!?」

「ほう、そうなのか。ふむふむ、まあ吸血鬼の勢力が削げて衰退してしまえば、これもまったく無意味な知識となるか。時の流れは残酷じゃのぅ」

「――え?」


 その幼い姿に反した老木のように永き時を感じさせる嘆息で、クリストファーはなにか壮絶に嫌な予感に駆られる。

 思いついた馬鹿げたそれは、しかし急速に実感とともに全身を悪寒となって突き上げた。逃避を許さず彼が結論づけたものは、きっと絶望と呼ばれる災厄だ。


「しっ、白銀のたてがみの如き頭髪に温度なき冷徹の銀瞳。幼気で愛らしい童の姿を騙りし魔人――きっ、きさまはまさか! まさか!

 最悪の魔王、吸血鬼殺し、傲慢たる者! ティベルシア・フォン・ルシフ・リンカネイトか!?」

「――やはり。わしのことを知っておるか。まあ、年代が年代ゆえ、であろうとは思うたが――では生かしてはおけんな」


 そこで、ベルはリオトに流し続ける治癒の術に微かに睡眠の意を織り交ぜる。安らかなる眠りを誘い、傷の治癒を早めるという建前のもと。


 構わずクリストファーは震えた声で捲し立てる。もう数分もせずに死ぬという身で、だがそんな易いものなどにもはや少しも恐れず――死などよりも尚尚、目の前の魔人の童女のほうが恐ろしいのだと。


「きさまっ、なぜ生きている! あの封印を解いたというのか! 魔王六名、勇者四名の施した呪詛で憑り殺されていないのはなぜだ!?」

「あーあー。おぬしの疑問なぞ聞いておらんわい。少し黙っておれ、死人は沈黙が似合うとわしは思うのじゃがな」


 冗談めかして肩を竦めて、しかし開いた眼は怜悧れいり冷徹の絶対零度。

 魔王という肩書に相応しきあらゆるものを睥睨へいげいし、刺し殺しかねない圧倒的な死の予感が、その瞳からは感じ取れる。


「おぬしはもはや生かして帰さぬ。死者がなにを知っても無意味であろう?

 まあそれでもひとつ教えてやれるとすれば、わしのかつてを知る者がおっては困るということじゃな。四百年もの年月がまとめてくびり殺してくれたかと思えば、まさか貴様のようになにやらズルをして生き延びた輩がおるとはな――看過できん、始末しておく」


 とはいえもはや手を下すまでもない。終わっている。

 クリストファーは『十字架に懺悔し果てよロザリオ・ヘルシング』によって壊されていく。たとえ「デミ・エリクサー」をもってしても、蒸発の死は確定事項となって覆せない。

 吸血鬼殺し――その血に反応するのだから、むしろ新たな血液摂取は文字通り火に油を注ぐことになるだけ。


「その前に、ひとつ問いたい――おい、クソ吸血鬼、貴様ら一体どうやって現代にまで生き残ったのじゃ? 貴様ひとりではあるまい?」

「っ」

「まあ、答えたくないのならば構わぬよ。貴様の魂に直接問いたださせてもらうでの」


 言うやいなや、ベルは新たに術を描く。

 攻性の意図はないため競売場アゴラは不問とし、誰の邪魔もなくあっさりと魔術は完成する。


 それは他者の魂を読み取り、記憶を吸い取る術。

 現代において――否、ベルの生きた時代でさえ既に禁術指定されたひとつ。


「『勿忘草の髪飾りアナムネシス』」


 抵抗もままならず、ベルの白い指先が額に触れる。

 すると魔術法陣が花咲くように展開し、起動。クリストファーの記憶を閲覧し、その中から無感動に必要分だけを取捨選択して奪い取る。


「十三の第二祖吸血鬼……時を超えた眠り……数珠つなぎの交代起床……二人目……。

 なるほど、大方理解した。しかし全く。まさか各自寝ておる場所は知らんとは。こういう場合に備えてのことじゃろうが、面倒じゃな。わざわざ探し回るのも億劫じゃし、見つけ次第殺せばよいか。

 精々、わしに見つからぬように祈るのじゃな。って、む」


 ――吸血鬼は十字架を嫌うという俗説がある。


 それはかつて吸血鬼の祖たる魔王が十字架ロザリオを常に身に着けており、それを知ったある魔王が、その十字架ロザリオに吸血鬼殺しの魔術を付与し滅ぼしたという逸話から残った曲解である。

 しかし祖を殺した童女はそれを面白がり、未だ吸血鬼殺しとしか呼んでいなかったその魔術に名を与えたという。


十字架に懺悔し果てよロザリオ・ヘルシング』と。


「なんじゃ、もう死んでおったか」


 灰は灰に、塵は塵に――吸血鬼は灰塵と化し、そのこびりついた血痕のようにしつこい生命を終わらせる。



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