競り奪る薬は血の香り 5



 ――直後に赤い槍が殺到した。


「まあ、そうくるよな」

「ふん、芸のない」


 リオトとベルがためらいもなく「宣告部屋」をくぐり、エントランスに一歩足を置いて、その瞬間に奇襲が来た。 


 とはいえ、侵入した瞬間に圧殺せんと魔術を撃ち込んでくるのは想定内。

 今か今かと待ち受けていた三人の吸血鬼が針に刺されて血を噴出したのが見える。


 そんな決死の覚悟で放たれた血槍は、しかし彼と彼女に触れるまでもなく溶け消える。見えない境界線が引かれ、ふたりの領域に許しなく侵入した術を無為と散らす。

 それは事前に丁寧に施しておいた結界である。


「ともあれ、このわしの結界を抜ける程度の術でなくば無意味に苦痛を味わうだけじゃぞ。控えろども――クリストファーの奴を呼んでくるがよい」


 ベルの忠告も関せず、吸血鬼どもは『デミ・エリクサー』を服用して再生。すぐに問答無用で襲いかかる。その怪力を武器に素手で殴りかかる。

 人命など容易く消し去るその一撃に、ベルは肩を竦める。


「おや、ふむ。バレたか」


 実はベルの敷いた結界は魔術的な害にのみ反応し無力化するもの。そのように特化させることで完全な断絶として術を無効化する。逆に物理的な殴打や斬撃には無為の素通りである。

 嘘なくハッタリをかましたわけだが、術式を読み取られたらしい。最低限の実力はあるということ。


「まあ、やはり想定内じゃがな。頼むぞ、我が盾」

「任せろ」


 慌てず騒がずリオトが前に出る。


 どちらでも構うものか。魔人に等しき怪力をもつ吸血鬼だ、その一撃は岩を破砕し地を抉る。ただの拳が凶器であり、振り下ろされたパンチが致命傷になる。

 人とは隔絶した身体機能。たとえ防ごうともその上から衝撃が通ってぶっ飛ばせる。

 そのはずが。


「な――にっ」

「害意なく、殺意なく。どうやら俺はそれができるらしい。無論、防ぐだけだがな。それで充分、勝手に自滅するのだろう?」


 それを、リオトは難なく剣で受け止めた。鞘に包んだまま、殺傷力なく、ただ受け止める。

 破壊的な威力を捌き、逸らし、受け流す。

 技量による怪力の対処は対魔人戦を軽く数百は経験して生き延びてきた勇者にとっての必須技能である。


 しかして驚くべきはそこではない。柔よく剛を制すの言葉があるように、それは舌を巻くに値するがそれだけだ。

 別に――驚天動地すべき事態がそこにはある。


 武器を扱い、殺意を向けられ、なにより戦士として長く戦い続けた者が――殺意を殺して応対できるということ。それがおかしい。


 人を害する意がなく、殺そうと欠片も思わず、戦闘行為をできるものなのか。

 防ぐだけだから? そんな風に戦闘時に攻防で意識を分断して戦えるものではなかろう。向けられた殺気と悪意に返礼の感情が湧かないでいられるものか。


 武器を持つということは殺傷目的で、その感情を増幅する。

 戦場というのは殺意の応酬する場で、感情を昂ぶらせずに凪いでいられるはずがない。

 死を突きつけられて――なぜこの男の心は静寂なのか。殴りかかった吸血鬼は驚愕の面持ちのまま串刺しとなって停止する。


 その隙をついて、リオトは何気なく手を伸ばす。

 やはり攻撃の意図はなく、あるのは簒奪さんだつの意味合い。


「これがないと、君たちの不死性はただ死ににくいだけだな」

「なっ……がっ」


 奪い取ったのは彼らの命の滴、『デミ・エリクサー』である。三つ大事に懐に仕舞ってあったが、そうか下っ端にも三つか。

 競売にも百近くあって、ならば本当に大量だ。量産体制ができているということ。

 別に思考を働かせながらも、リオトは警戒心を解きはしない。


「がえ……ぜ! ぞれをっ――がえぜぇェ!」

「ノドを貫かれては言葉も覚束おぼつかない。だが君たちの術は言葉を介さず血を媒介とする、油断はしない。しないが……激痛にそれどころではないか」


 言いながら、リオトはぽいと小瓶三つを放り捨てる――開けっ放しの玄関口、この屋敷の外に向けて。


 吸血鬼は血眼になって手を伸ばし、地の利を捨ててでもそれを欲する。

 激痛が、死への恐怖が、まともな思考を許さない。血なまぐさい生への欲求だけが彼の身を突き動かし、そしてその短絡は死への直行である。


『シノギ、一匹行ったぞ』

『わかってらァ』


 競売場の外であれば串刺し状態の吸血鬼なぞ相手にならない。シノギに処理を任せて、ベルは残る二人の吸血鬼に牽制のように目を向ける。


「魔術は結界に無力化され、武技はリオトに阻まれる。さて、どうするのじゃ?」

「っ」


 吸血鬼たちも攻撃ができると言っても競売場アゴラの罰は受ける。

 死なないだけで発狂しかねない苦痛に苛まされ、再生するとは言っても死にかねない。

 誰もそう何度も繰り返したくはない悪夢――今しがた外であっさりと絶命させられたひとりのように。


 防御魔術は想定されても、まさかこの暴力封殺の場で白兵戦が可能な埒外がいるなど想定していない。

 白兵距離で串刺し状態を晒せば、確かに懐の『デミ・エリクサー』が掠め取られる可能性は大きく、事実目の前でそれをやられては下手に近づけない。


 なればこそ動揺が走り、苦痛への忌避感が強く思い出される。このままこの二人になにをやっても無駄なのではないかと弱気になる。


 所詮、雑兵。二人の吸血鬼たちは逃避を選ぶ。


 むしろ競売場アゴラの外なら、彼らは真っ当に真っ向に戦ったことだろう。痛みに恐れることもなく、無力感など味わうことなく。

 無敵の城で、攻撃に痛みが伴い、そして上位者が控えているというこのシチュエーションだからこその逃避である。


 背を向け逃げる彼らを、無論、二人は追わない。追撃の意思を持てばそれを咎められる可能性がある。

 何事もなかったようにただゆっくりと歩を進める。

 長い廊下だ、焦ってもはじまらない。どうせ出口はひとつの一本道、向かう先は競売のホールしかない。


「しかし今回の都市ではどうにもふたりで縁があるな、ティベルシア」


 血のしたたる鉄火場で、リオトは軽い雑談とともに苦笑する。

 ベルも応じて頬を歪める。


「そのようじゃ。シノギが遠慮しとるのか?」

『別に狙ったわけでもねェけどな。まあ魔王と勇者の最強コンビだ、足手まといがいない分、存分に暴れてくれや』

「君を足手まといと思ったことは一度もないぞ」

「わしらは三位一体じゃしの。ふたりよりも三人じゃぞ。まあ、ひとりよりは無論にふたりが良いがの」

『別におれだってなんもしねェわけじゃねェ』


 安全地帯にいることに対する皮肉と受け取るシノギだが、ベルもリオトもそんなつもりは全くなく。

 歩を進めながら朗らかに肯定する。


「だったら大丈夫だな、三人揃って負けたことなんてない」

「とはいえ、無傷圧勝ともいくまい。此度厳しいのはリオトじゃが、がんばれるかの」

「もう腹は括ったさ。それに、君たちのどちらかに任せるよりは、俺がやったほうが気楽というものだ」

『ま、ぶっちゃけおれもベルも絶対耐えきれないしな。今回はマジでリオトに頼るしかねェ……っと、来たか?』


 歩き続けた長い廊下の果て――音もなく何気なく、ホールに通ずるドアが開く。


 絨毯が足音を殺し、当たり前のように現れたのは無論にクリストファー・ドラクル・ロイセン。小動こゆるぎもせずに直立し、不変の微笑をたたえている。


 シノギは邪魔せぬようにと一言だけ残して沈黙する。


『黙るが――合図、頼むぜ』

『ほう? 合図とは、一体なんのことですかな?』

「っ」


 声なき念が三人に直接去来する――伝心への割り込み!


 ただ伝心を差し向けたわけではなく、わざわざこちらのネットワークに不正侵入してきた。

 他者の術式への介入は全般的に高等技術であり、かつそれを得意とするベルに干渉してくるというのは並大抵ではない。


 慌てて術式を破棄し断線するベルだが、その行為自体が忸怩たる思い。

 こちらの会話を盗聴すらせず、自ら宣することでクリストファーはその力量を見せつけ、かつ自信と余裕の程を明かしたのだ。


 無論に、それは挑発の意味も兼ね備え、敵意を煽る。殺意を煽る。

 リオトのことを聞いての、まずは挨拶といったところか。


 若干プライドを刺激されたか、ベルが睨むようにして目を細めるもクリストファーは関せずに泰然としたままこちらを観察する。冷めた目で、粛々と、なにか思うところがあるのだろうか。

 警戒のように、リオトは先んずる。


「わざわざ大将がでてくるとはな」

「仕方がないでしょう。どうにも、現在の子らは痛がりが多いようでね」

「ほう、現在の子とな」

「うん? ああ、わかりますか。私が吸血鬼にした子らなんですよ」

「第三世代か。道理で生命力が強い」


 おそらく現代の吸血鬼では『針の上で真アリティア・実は踊るのかミレ・アゴラ』の針に耐えきれない。他の生命と同じく、くらった時点で死んでしまうだろう。それこそ条理に即して当たり前に。


「まあ、生き延びることができるのと、痛みに耐えられるというのは別だからな。死に慣れるというのは狂気の沙汰だ」


 どこか含むように自嘲のように、リオトは吐き捨てた。

 挑発の返礼に対し、クリストファーはやはり無感動。ただ自己の意だけを口ずさむ。


「しかし、はて。第三世代ですか。どうしてまた三なのですか。私が「第二祖吸血鬼ロード・ヴァンパイア」と――どうしてわかるのです?」

「わしはこれでもそこそこ知識が深いほうでな。吸血鬼のスラングを知るくらいにはの」

「なるほど、『デミ・エリクサー』が嘘でも真実でもないとわかれば、確かに推察は可能ですか。想定外の賢者がいたものですな」

「ふはは、知識は幾らあっても足りぬよ――クリストファー・ドラクル・ロイセン」

「ふふ、吸血鬼のミドルネームまで御存じとは。恐ろしいまでの知識。脱帽ですよ。

 そんな賢者殿に、また別に問いをひとつお願いしたいのですが」


 クリストファーは随分と不可解そうに、疑問を述べる。


「気になって仕方がないのですが――どうして来たのですか? 貴方方には無関係でしょう」


 この競売場が吸血鬼の手に落ちることによる面倒あらゆる、旅の三馬鹿には関係なかろう。競売場の人々と知り合いなどもおるまいし、どうだっていいはずだ。

 逃げ出して放り出しても、誰も責めない。たとえ救ったところで誰も褒めたりはしないかもしれない。


「なのにどうして、わざわざ死ににやってきたのですか? 逃げ出すことは容易で、私もそれを認めておりましたのに」

「なんだ、あれだけ神経質だとのたまっていた割に、逃亡を許してくれていたのか」

「まさか我が子らから逃げ切れるだけの者とは思っていませんでしたからね、判断のミスを受け入れて、貴方方三人は見逃すつもりでしたよ。どうにせ、追撃するほどの余力もありませんでしたしね」

「そこにシャイロックの彼女が含まれてない以上、いや、このオークション会場にいる人たちの命の保証がなされてないなら、立ち向かうさ」


 きっぱり言い切るリオトに、未だ疑問が止まらない。

 クリストファーは問いを続ける。


「それはここで無残に死に果ててでも遂げるべきことですか」

「そう易く殺されるつもりはないが」

「そうでしょうね、そういう思考でなくばどちらにせよやってこない。では言い方を変えましょう。

 なんの利もなく益もなく、なぜ骨を折って挑んでくるのですか? 死ぬつもりがないと言っても、怪我くらいは想定しているのでしょう? 疲労もするでしょうし、魔力の喪失により虚脱感もある。戦いというのはそれだけでストレスでしょう。

 どうして無関係の貴方方が剣を執り、我々に立ち向かうのですか。解せませんよ」

「?」


 クリストファーの当然とも言える疑問に、むしろリオトこそが不思議そうだった。


 そしてこの場で唯一、吸血鬼の疑問と勇者の不思議を双方把握できているベルは呆れ顔である。

 そんな理屈で動ける者がそもそも来るはずがなく、そんな理屈でしか動けない者になにを言っても理解できるはずがない。


 リオトはきっぱりと迷いなく伝える。


「誰かを助けることができる時、自分の立ち位置がなにか理由を揺らがせるものなのか? 利益がないと動かないのか? 

 ただ目の前に助けることができる誰かがいる。なら助けるだけだろう」

「……なるほど、私の嫌いなタイプの方ですね」


 その一言で、クリストファーは理解した、痛感した。

 この男とは理解し合えない。絶対に、決定的に。

 そして理解できない二者が対立した時、発生するのは武力衝突に他ならず。


「いいでしょう、もはや言葉は無意味なのですね。ならば殺し合うとしましょうか。

 まあ無論、この針地獄の中で生存できる神を除いた唯一たる吸血鬼に、この場で戦いになるとは思えませんが」

「っ!」


 瞬間、リオトはベルを抱えてその場を跳び退く。

 直後に元いたその場に血の刃が花咲いた。

 床面から血によって構成された刃の連打。ベルの結界によって威力を減じながらも、その魔術は構築されて奇襲が来た。


「ち、さすがに強いの。わしの結界を容易く突破するとはな」

「だが時間は稼いだ!」


 一撃、攻撃に移る度にクリストファーは競売場アゴラに襲われる。一手失い、二手目に『デミ・エリクサー』を摂取せねばならない。

 その合間で充分こちらは体勢を立て直すことができる。次の回避も可能。


「このままかわし続ければ自滅してくれたり、しないか」

「おぬしらしくもない希望的観測じゃな。わしらが攻撃直後の隙を得られるというのなら」

「私は攻撃前の余裕を得られるのですよ。不意を討っても避けらるのでしたら、堅実にいくだけです」


 まるで怯まないで服した小瓶を捨てて、クリストファーはまたすぐに魔力を練りだす。


「私はこれよりぞんぶんに魔力を溜めて、回避の余地なき術を放ちます。どうぞ邪魔をなさってくださって結構ですよ」

「なら遠慮なく」


 攻撃はできずとも、奪うことはできるはず。

 躊躇いなく床を蹴り飛ばし、素早く間合いを詰める。

 リオトの速攻に、クリストファーは鷹揚おうように苦笑する。

 

「ああ、手癖が悪い方なのでしたね。ならば」

「っ、リオト避けよ!」


 ぱちんと、指を鳴らせば術が来たる。

 溜めることができるように、いつでも放出は可能。無数の赤い槍が飲み込むようにリオトへと押し寄せる。

 もはや走り出している。今更止まれず曲がれない。回避不能な絶妙のタイミング。


「わかっているさ」

「なに?」


 どちらにせよ、魔力を溜めきって回避不能を撃ち込まれては勝機がなくなる。リオトひとりが穿たれるだけの小規模を先出しさせたほうがずっといい。


 だから真正面から迎撃する――斬剣疾走。


 縦横無尽に刃は走り、ことごとくの槍を砕いていく。駆け抜けながら刃を振るう姿に歪みはない。どこまでも正道直進、技量と胆力は感嘆するほど。

 それでも第二祖吸血鬼の魔術もまた伊達ではない。その槍の数は多く膨らみ、一本ずつが重く鋭く禍々しい。

 全てを打ち落とすことなど、物理的に不可能。


 ――それもわかっている。


「“汝、堅牢なる鉄壁たれ――『板金の樵は揺るがないアイゼンヘルツ・ハルト』”」


 剣を弾かれ、防護を付与されたカソックさえ貫いて、だが鋼の強度に跳ね上がった皮膚が食い止める。

 止まらない。


「ぐっ」


 遂にリオトに血の槍が六本突き刺さる。耐久性上昇の付与魔術すら押しのけて。

 血を流し、苦痛に焼かれ、指先から力が抜ける。槍に命を食われている。剣すら手から抜け落ちて――しかしリオトは不退転。


「ぐっ」


 立ち止まらない。諦めない。痛みなど知らぬとばかりに足を踏み出す。


「よくぞ倒れぬ、よくぞ歩む。苦痛増幅の呪詛に生命簒奪さんだつの術式まで練りこんだ槍なのだがね。素晴らしい精神力だ。けれどしかし、その後はどうしますか――あなたはどうしたって攻撃ができない」

「違うな。攻撃できないんじゃない――リスクを伴うだけだ」


 背に負いし魔刀――シノギに借りたそれを引き抜き、白刃を晒す。

 寸分の躊躇いもなく斬りかかる。


「なっ」


 流石にこれにはクリストファーも驚愕してしまう。

 馬鹿なのか、こいつは。

 それは明確な攻撃行為であり、攻性意思だろう。競売場アゴラに許されざる蛮行だ。

 当然――罰は下る。


「っぅ!!」


 カソックの防御機能を平然と破り、魔術による防御向上もあっさり崩し、その逞しい四肢を貫く四本の針。丹田のそれも違うことなく突き刺さり――だが。


「なっ、なぜ――いや、くそ、ズラしたか!」


 心臓とノドの針が逸れている。

 それはベルの手腕。致命傷となる心臓とノドにだけは――弾道ズラしの術技をピンポイントで刻み仕込んである。

 一回限り一点特化、一発勝負の博打のような回避術式。

 ノドの針は首の皮一枚を剥いで通り過ぎる。心臓の針は左胸を少し抉って通り過ぎる。


 無論、他の五点は間違いなく人体を貫いている。

 とんでもない激痛と構造の不都合で動くことも困難だろう。今死んでいないだけで僅かで死んでしまうであろう致命傷。


「っ!!」


 それでも耐える。耐えて生きて見せる。耐えねばならない! 生存せねばならない!


 ――わかったよ。なんとか、一度、一度きりだが、耐えてやるさ。


 そうふたりに告げてしまったのだから!

 それは勇者の底力か、男の意地か。

 針に飲まれようとも揺るがなかった一刀は、そして振り下ろされる。

 驚倒に動揺したクリストファーの頭蓋を叩き割り、鼻先まで両断してみせる。

 それこそ間違いなく致命傷――人間なら。


「――死に慣れるというのは狂気の沙汰、ではなかったのですか。あなたのそれは、間違いなく狂気でしょうに」


 静かに、おののくように、クリストファーは顔面の上半分を分断されながらも嘆息を零す。まるでティータイムに茶の渋さを苦言するような穏やかさ。


 ゆるやかな手つきで魔刀を押し返し、引き抜いて放り出す。

 その動作の余った勢いだけで、リオトはもはや立ってもいられない。背中から傾いて受け身もなくと倒れこむ。魔刀は手から零れ落ちて甲高い音を立てて床を滑っていった。


「リオト!」


 即座にベルが駆け寄り治癒の術を飛ばす。

 虫の息のリオトを死なさぬよう、全力で傷を癒し生命力を分け与える。 

 クリストファーをしてベルの魔術は治癒においても一級。驚嘆に値する。けれど、傷が深すぎる。


「まさか私に一撃くらわすとは、彼はきっと骨の髄まで戦士としてできているのでしょう。もしやこの時代においての有名な戦士なのでは?

 貴女もまた素晴らしい術師のようだ。このままなんの邪魔もなく、安全な場所でなら確かにその半死人を生存させうるだけの卓越。我が同胞として迎え入れたいほどですよ」


 何気なく懐から小瓶――『デミ・エリクサー』をとり出し、言葉途中に舌を潤すように舐める。


「ですが、終わりですね――手向けの花を添えてあげましょう」


 渾身にして命を懸けたリオトの斬傷も、それで消え去る。時が逆巻いたが如くに鮮やかに再生する。クリストファーは無傷のまま目の前で微笑んでいる。


 なんてデタラメ。吸血鬼の生命力と再生力は本当に化け物染みておぞましい。

 けれどおぞましい化け物は討ち取られると相場は決まっている。

 リオトは狂いそうになる激痛の最中で、どこか安堵のように笑った。


「ああ、やはり、君は手強いよ。地の利を手放さない冷静さ。油断なく惜しみなく霊薬を使う慎重さ。死と苦痛に慣れ親しんで怯まぬ精神力。いつかの俺でも手古摺てこずったかもしれない」

「……何が言いたいのですか」

「褒めているんだ。けれど、まあ、今回はやはり俺たちの勝ちだがな」

「この状況でよくぞそこまで吠える――」


 死にかけの蒙昧もうまいな発言に苛立って声を荒げそうになり、もう殺してしまえと殺意が膨れ上がる。


 吸血鬼の血液操作。それは自身と切り離した血でさえ操れる。

 槍として撃ち込むことにより、リオトの体内に侵入、彼の血流に紛れ込んだそれ。クリストファーの血液がリオト自身の血を食らうことで、肥大鋭化させる。

 それはまるで、突如、血管の内に出現する短剣。ハラワタを食い破って現れる腹中の共食い蟲である。

 血祭魔術ブラッディ・フェスが一手、『獅子心中の血食蟲ブッラディサイト・カーニヴァル』の発動――その直前でふと、気が付く。


 視界の中の違和感。気づかなければそのまま永遠に自覚至らず生涯を終えるような些細なそれ。

 そこにあるはずのものが、ない。


「――おい貴様、刀はどうした」

「さてな。所有者を求めて彷徨い歩いていったんじゃないか」


 あれが魔刀だというのは触れてわかっている。その異能は不明だが、魔威のほどは我が身で受けてとっくに把握している。


 またもうひとり、目つきの悪い男が不在なのにも強烈な欠落感を覚えていた。

 まるで完成したパズルから意図的に一枚、ピースが抜け落ちているような感覚が、目の前のふたりにはある。不足があると、そう理解できるのだ。


 だから、なにかあると、最初から警戒心を抱いたままに行動していた。あまり大きな挙動は避け、隙を抑え、心臓を絶え間なく走らせる。いついかなる不意打ちにも備えていた。


 だが最後の最後に見落とした。勝利を確信して気が緩んだ。

 ひとりの欠落と一本の魔刀の不在。

 その些細なことがこの場にもたらす結末は――。


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