競り奪る薬は血の香り 3



「さあ、皆様方、大変長らくお待たせいたしました! これより「元老競売エルダー・オークション」の開催を宣言させていただきます!」


 床より人ひとり分高くある舞台上において、司会進行役の女性が聞き心地よい声を張る。艶やかなほど肌を露出したドレスで身を覆い、笑顔と愛嬌を振りまく姿は人の目を集める。

 歌劇役者のように堂々と楽しげで、また独裁者のように力強く囃し立てて、これから開催されるオークションへの期待感を煽る。


 広々としたホールは劇場のような形式だ。

 舞台下には扇状になって座席が並び、全ての席が舞台に向かい合うように少しずつ傾いている。最前列から最後尾まで斜面となって段差を作ることで前列の背もたれが目隠しになったりはしない構造は、当たり前だが客のことを考えてあった。


 そうした客席に次々と紳士淑女が座していく。千人規模の座席は瞬く間に埋まっていき、その視線を檀上に向ける。

 ぎらぎらと、ぎらぎらと。

 欲望が渦巻いて、恐ろしいほど物欲しそうに、舌なめずりする獣のように目を輝かせる。


「では待ちに待った皆様方に前置き長話などしても嫌われてしまいますので、さっそくオークションをはじめさせていただきます!

 ――と言いたいところなのですが、その前にひとつ、主催者からの挨拶と訂正、お詫びがありますので、どうかお静かにお願いいたします」


 少しだけ、客席がざわつく。滞りない進行を望む誰もが眉を顰めて非難が膨れる。

 挨拶はわかる。だが、訂正と詫びとは。


 疑念と不満がにじみ出ては染め上げるホールの中央を悠然と、主催レスフィナ・シャイロックはしゃなりしゃなりと歩んでいく。

 まるで臆さず、不躾な視線も顧みず、ただ真っ直ぐに演壇にのぼる。

 そして――集まった全ての貴人に対しどこまでも艶然と、笑う。


「ご機嫌麗しゅう、皆様方。あたくしはシャイロック家現当主を務めております、レスフィナ・シャイロックという若輩にございます」


 ――たった一言で聴衆の不服を蹴散らし、その存在感を行き渡らせる。

 この場における王は己だと。この屋敷における支配者は自分だと。言葉ならず申し伝え、叩き込んで刻み込んだ。

 その若さからして考えられないほどに飛びぬけた貫禄であり、支配者たるに相応しき覇気である。


 それでもなお、訝しむ色は消えない。もとより今回の競売、深度はそれぞれでも誰もが疑わしいと思うに足る品が大々的にアピールされていたから。

 レスフィナはてらいなくそれに切り込む。嘘を殺す屋敷の主人は虚飾すらなく率直で。


「本日最初の競売品に名を連ねていた『万能霊薬エリクサー』、きっと多くの方々がこれに目を剥き、興味ひかれたことでしょう。

 ――ですが申し訳ございません、『万能霊薬エリクサー』の完品、実は発見などされてはおりません」


 その言葉に対する反応はおおよそ二種類。

 あぁそういうことかと失望のため息を吐く者。

 ふざけるなと怒声を上げる者。

 どちらも制するように両手を掲げ、演壇の上で役者は口上を続ける。


「一種のサプライズです。あたくしと『銀明の薬師』の方々とで企画いたしました、遊び心ですね」


 くすくすと楽しげに微笑む姿は実に愛らしいが、それで騙された者たちが許すはずもない。

 品位に欠ける罵詈雑言が噴出しそうになって、その寸前。

 そこで、さらにもうひとりの男が現れる。


「どうか、どうか皆さま、彼女を責めないでくださいませ。責の所在は私にございますゆえに。

 私は『銀明の薬師』の責任者を務めております、クリストファー・D・ロイセンと申します」

 

 正装に身を包むひょろりとした細身の男だった。

 外見はまだ年若く、三十にも届かぬ齢と察せられるが、どうにも年齢と外装が一致しない人種とすぐにわかる。魔力パターンと、全体的に死人のように青白く儚く思わせる肌色、そして縦に裂かれた瞳孔が炯々けいけいと輝いている。

 魔人である。

 彼は柔和な笑みを浮かべ、しかし凍えるような視線で射抜くように檀上から人々を見下していた。


    ◇


 青白き魔人の男が登壇した、その瞬間に。


 ――ざわりと。


 端の席に座すシノギは突如、非常に不愉快不明の感覚に陥った。

 なにか、言語にならない、苛立ち混じりの――感情?


 酷く声が低くなるのを抑えられない。シノギは静かに告げ、リオトもすぐに続く。


「やい、ベル」

「ティベルシア?」

「……む、もしかして、わしの感情が漏れてしもうたか」


 当のベルは隣の席で含み笑いと肩を竦めるだけ。

 はぐらかすような態度に若干の苛立ちを覚えつつ、追及の手は止めない。


「なんでい、あれ、知ってる顔か?」

「……思い出せぬ。なにか、どうも、うむぅ。見覚えがあるようなないような。しかしともあれ、あやつ、なんとも血のように不吉な気配がするぞ」

「また曖昧な。女の勘ってやつかよ」

「けれどこの感覚は、さすがに気のせいではなさそうだな」


 三馬鹿は静かに檀上で言葉を尽くすクリストファーと名乗った男を、客席から観察し続ける。


    ◇


「確かに『万能霊薬エリクサー』は存在しません。そこは深くお詫び申し上げましょう」


 しかしと、クリストファーは言う。

 その逆接にあらん限りの念を注いで、握り拳を振り上げて力強く。


「しかし、それは我々が作り上げた努力の結晶をこうしてお披露目するための広告であったのです!

 ――我々『銀明の薬師』は『万能霊薬エリクサー』に届きうる新たな霊薬の開発に成功いたしました。それの名を『デミ・エリクサー』と申します」


 そこで動揺は、おこらなかった。

 馬鹿なと呆れ返り冷めたムードだけが場を支配し、むしろ明らかな侮辱に立腹する者たちもある。

 誰もが信じない。信じるわけがない、そんなふざけた妄言なぞ。


 人が? 神の霊薬たる『万能霊薬エリクサー』を? 模して届かせた? ありえるはずがない。馬鹿にするのも大概にしろ。

 この場を用意した者にすら失意と非難と軽蔑が溢れ返りそうになって。


 ――だがふと気づく。


 クリストファーが泰然と佇むその異常に。

 なにをするでもない、ただ立って穏やかに笑っている。それがおかしい、この場におけるルールが無視されている――否、まさかこれでルール通りなのか。

 状況が侮蔑から疑問にとって代わったその瞬間を狙い、クリストファーは頬が裂けたようにこれまでとはまるで異なる凄惨な笑みを刻む。ただし下品にならぬよう歯は見せないで。


「お気づきですかな? 思い出されましたかな? ここがどこかを、ここで吐く言葉の真偽を」


 ここは嘘を殺す館である。

 クリストファーが虚言を弄せば、それを館が許さない。

 ならば魔人の彼の生存は、すなわち館が嘘をついていないと判断したことになる。


 ――『万能霊薬エリクサー』に届きうる新たな霊薬の開発に成功、『デミ・エリクサー』の実在は嘘ならざるとこの競売場アゴラが決定したのだ。


 そこまで理解が達すれば、今度こそ誰もがどよめき、驚愕を禁じ得ない。

 先ほどと百八十度反転した馬鹿なという感想が犇めき、信じられないと口々に囁く。

 そんな混乱の坩堝を、クリストファーはさらに深く深くかき混ぜる。思考を許さずノンストップで台詞を読み上げるように歌う。


「そして次に疑わしきはその効能でしょう? ならばこそ、この場で証明いたしましょう!」


 証明、とは不思議な言葉だ。

 もはやそれが嘘ではないと競売場アゴラが判じた。ならばこれ以上、なにをどうやって証として明確化するのか。


 こうやって。


「たとえば、こんなのはどうです?」


 言って、クリストファーは腕を突き出し手のひらを開く。

 そして魔力を練り上げはじめた。


「なっ」


 その行為がどんな意味を持つのか。その愚行がどんな末路をもたらすのか。

 わからぬ蒙昧はこの場におるまい。いたとしてそれは死者だけだろう。


 客席はおろか、舞台上でもその狂気の沙汰に騒然となる。そんなことをすれば競売場アゴラの怒りに触れて死んでしまう!

 委細気にせず、クリストファーは練り上げた魔力をもって魔術法陣を構築。そして躊躇うことなく攻性の意を術式に組み込んで――その瞬間。


針の上で真アリティア・実は踊るのかミレ・アゴラ』がその神威を発令した。


 この屋敷で嘘と暴力は許されない。

 ルールに従わない者には天罰を。


 天罰覿面てきめん――クリストファーは全身を針に刺されて沈黙した。


 ノドを貫かれ、心臓も突き破られて、四肢にも一本ずつ針が刺さる。最後の一本は魔力器官があると言う丹田たんでんを正確に射抜いていた。

 針の直径は人の腕ほどに太く、剣の如く長い。ノドはほとんど根こそぎに肉を失い、心臓など丸っと潰れてしまっているだろう。


 七つ巨大な針の刺しこまれたその姿はグロテスクでいびつ。悪趣味極まるオブジェのように奇怪で、おぞましく、凄惨で見るに堪えない。

 生存の見込みなど皆無――クリストファーは正しく天罰の元、死へと墜落していくだけ。


「…………!」


 誰もが絶句してしまう。悲鳴ひとつ上がらず、声すら殺されたかのよう。

 レスフィナですら顔面を蒼白にし、飛び散った鮮血から逃れるようにその場を退く。


 永遠と思われる死んだような沈黙が過ぎ去って――実際には数秒だったが――ふと、誰かが気づいた。

 静謐にして静止の世界でただひとつもぞもぞと蠢くものを。


 それは――突き刺された張本人、針の筵と化したクリストファーの指先だった。

 彼は悲鳴のひとつもあげず、代わりに喀血かっけつはしたが凄絶に唇だけは笑んで。見ているだけでこちらが痛いというのに、苦痛など感じていないとばかりに淡々と、恐ろしくゆっくり手を動かす。指を伸ばす。針が刺さった腕を真っ直ぐに、目当てのものに届かせんとする。


 彼は血塗れのスーツの懐から、ひとつ薄紅色の小瓶を取り出した。


 今今死にかけ、致命傷を穿たれているというのに、どこかおどけた風情で観客にその小瓶を見せつける。滑稽なピエロのような仕草。

 一通り誰もの見開いた目に触れたと判じて、クリストファーはまた殊更ゆっくりと小瓶の蓋を開けて――そこで急速、一気に口に当ててあおる。小瓶の中身の液体をノド奥に流し込み、飲み込み、その身に行き渡らせる。


 すると劇的。


 どくんどくんとやけに大きく心音が響き、ホール中を駆け巡る。

 そして血が、血が流れ出ていく。傷口から鮮やかな血液が噴出していく。その流血の勢いに押され、突き立つ針が次々と緩んでいく。押し出されていく。


 しばらくして、七本の針が全て抜け落ち床にぶつかって甲高い金属音を奏でた。触れる者がなくなり自然に針は消えていく。

 するとどうだ、誰も息を飲む。理解及ばず信じがたい光景に茫然自失となる。


 ――傷が癒えていた。


 七つの針が穿った七つの傷、それが、全て時が逆巻いたように消えている。ノドも心臓も四肢も丹田も、あらゆる穴が塞がり綺麗な青白い肌だけが破れた衣服の隙間から覗ける。


 最後にもう一度、クリストファーはごほりと血の塊を吐き出して、すぐにポケットから取り出したハンカチでもって上品に口元を拭きとる。

 ノドの調子を確かめるようにさすってから、にこりと高貴に笑う。


「お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありません。霊薬は傷を癒しても服は繕えず、血痕も拭えないのです」


 きっとそれは、彼なりの軽妙なジョークのつもりだったのだろう。

 けれど誰ひとりとしてにこりとも笑うことができず、世辞に愛想笑いもできやしない。後には沈黙だけがホールに残響して。


 もはや唯一口をきくクリストファーは商売人のように宣伝文句を垂れ流し続ける。恐ろしいほど元気に、今の今まで死にかけたなどとはおくびも出さずに、ただし大口開けるなどという下品だけはせず。


「無論、今先ほど私が干しましたのが『デミ・エリクサー』にございます。

万能霊薬エリクサー』などなかった。あるのはただの魔道具イミテーション、これは確かに偽物。しかしその目で確かに直視したでしょうその回復力を。これまで人類の模倣してきたポーションなどとは隔絶した革新的な回復薬。ポーションと並べるなどありえぬ、エリクサーに届きうる、ゆえのデミ・エリクサーであるのです!

 またこれはひとつの朗報ともなりましょう。本物であれば一品限りですが、紛い物であるからこそ量産しております故、つまり」


 ぱちんと指を軽やかに鳴らせば、控えていた『銀明の薬師』の者たちが黒い布で覆われたワゴンカートを押して檀上中央にまでやってくる。

 そのあからさまに演出的な黒い布を、もったいぶらずにクリストファーは勢いよくはぎ取った。


「ご覧ください、これら全てが『デミ・エリクサー』にございます」


 ずらりとワゴンに積載され綺麗に並べられている小瓶は、確かに先ほどクリストファーの服用したそれと同じもの。

 手のひらで包めるほど小さく、魅入られるほど綺麗な薄紅色の、宝石のような硝子を用いた、小瓶。

 百を超す数の、疑似的なれど万能に近しい霊薬である。

 

「ただし一点、注意点がございます。こちらの『デミ・エリクサー』ですが、真作に劣りまして病に対しての効能はありません。未だ開発途中なために、傷を癒すことで精一杯となっております。その点に関しましてはお詫び申しあげます」


 すかさず聞く誰もが忘我の内にマイナスの要素を伝えておく。正直に伝えたがしかと伝わったかまでは保証しない。詐欺師のようなタイミングと手並み。


「それを踏まえ、また贋作であることを理解した上でも、お求めになる方がおりましたら――オークションをはじめましょうか、ミス・シャイロック?」

「えっ、いえ! ロイセン様、少しお待ちください!」

「あとはお任せいたします。私は少々、お色直しが必要ですのでここでしばし失礼させていただきます」


 レスフィナの制止も聞かず、クリストファーは苦笑だけして振り返ることもなく悠然とホールから辞した。

 つれない態度にレスフィナはしばし苦々しそうに瞑目し、すぐに目を開く。叱り飛ばすように指示を投げる。


「お前たち、急ぎこの場の清掃と浄化を。それが済み次第、オークションをはじめておきなさい。あたくしは所用ができましたので」


 そして追いかけるように、すぐさまレスフィナもまたホールを去った。

 あとに残るは、人ひとり分とは思えぬほどにおびただしい血の海だけ。


 なんとも、死ばかり臭わせる殺伐無残な舞台。

 ――こんなもの、レスフィナの作り上げたかった華々しく煌びやかなる演壇では断じてない。



    ◇



「悪意のないサプライズか、こりゃリオトでもわからんわな」

「俺のただの勘をそう重くおくなと言ったろう」


 ホールの片隅の席にて、シノギの妙な得心顔にリオトはやれやれとため息を吐く。

 彼らもまた血に塗れた衝撃的なショーは観客として全て見ていた。驚いていた。

 幾分、他より冷静な視点ではあったが。


「嘘のないはずの館で騙された失望すらも吹き飛ばす鮮烈なデモンストレーション。ふん、あの男、なかなかにやり手かもな」

「シャイロックのお嬢様は共犯のようで、目を回していたな。あそこまで派手なことは相談してなかったみたいだ。サプライズを持ちかけたのはおそらくクリスファーと名乗った魔人のほうだろう」

「しっかしまさか、あそこまでの再生力とはなァ。凄まじいじゃねェの『デミ・エリクサー』」


 致命傷を瞬く間に。七つもあった殺傷を同時に。小瓶から見て相当の少量で――完治せしめる。

 それは現代の人類の魔術や魔道具では不可能な領域であり、神遺物アーティファクトで考えたとて代償もなしならば相当に絞られることだろう。


 それこそ、そういう知識に乏しいリオトなどでは他に『万能霊薬エリクサー』くらいしか思いつかないほどの回復力で再生力だ。

 あれはもはや――死者蘇生に半歩踏み込んだ域の神業だろう。


「ほんとに、嘘みてェにすげェな」

「シノギは結構、疑り深いよな」

「あんたが特別信じやすいだけだよ」


 そうかな。

 そうだよ。

 なんて男どもの軽口の応酬にも、ひとり童女は沈黙で。無関係で。

 いつもの姦しさの不在に、男ふたりは視線を交わして肩を竦め合う。どうも調子が狂ってしまう。


「んで、ベル、またぞろなに考えてやがんだ」

「む」

「先ほどから――クリストファーという男が登壇してから黙りこくっているが、なにかあるのか?」

「あぁ、いや、うむ……」


 ベルはなんだか困っているようだった。

 言いたくないとか言い難いとか、そういうのはではなく、ただ困惑している。

 自らに生じた感覚を説明できず、ふわふわと浮足立った浮遊感だけが鮮明にある。


 それを思案していたのだが、ふたりに心配をこめた追及をされては黙ってもいられない。なんとか舌を回してみる。


「なにか、引っかかる。既視感を覚えるのじゃ。あやつを知っておる? 否。そうではない。面立ちが知り合いに似ておるか? そうでもなかろう。では、ではなんじゃ……?」

「術干渉による記憶の混乱か? 確かそういう術も施されているんだったよな」

「あ、なに、そっち系?」

「うむ。ゆえ、ちと言語化の困難な心地である」


 ベルはかつての魔王と勇者たちによって様々な弱体化の魔術、呪い、嫌がらせを何重にも施されている。封印され尽くしている。

 その中に、記憶を制限する術式があった。つまりベルは一部の記憶を欠落している。


 だが、思い出せないからと放り出すのはありえない。なにぞ重要なことだと直感したがために。

 ベルはともあれ思考を打ち切り行動することにした。考えてわからないなら動いてみる、動いてダメならまた考える。そのサイクルが重要だ。


「すまぬ、わしの我が儘じゃが――あやつを追うてもよいか」

「……そりゃ構わんけど、オークションはいいのか。あんた興味津々だったじゃねぇか」

「それよりも優先すべきと言うておる」

「そうかい」


 あの知識欲深く、謎を愛するティベルシアが、それを諦めてまで優先する事項とはなにか。

 シノギとリオトは、なぜだか少しだけ、不安になった。


 けれども、我が儘くらいは聞いてやるとも。ふたりだって我が儘放題であったというのに、彼女だけ許さないでは理が合わない。

 彼ら三馬鹿、ひとりの我が儘に三人全力で取り組もうと約定を交わしている。


「じゃ、追うかい、あの青白紳士」

「不健康そうではあったな」

「……む」


 ――ふん、いついつだとて不健康そうじゃな、痩せっぽちの青瓢箪あおびょうたんめが。


 いつかどこかでこの口が、そんな罵倒を吐いた記憶があるような。

 脳裏に掠めた閃光のようなワンシーンは、すぐに闇の中に消え去り思い出せなくなってしまう。

 あぁ、やはり。確信した。あの男には、なにか血色の不吉がある。



    ◇



「お待ちください、ロイセン様!」


 レスフィナはホールの扉を開いて即座、少々はしたなくも声を荒らげる。

 数歩先を歩むボロボロの礼服を纏う魔人の青年は、鷹揚に振り返る。柔和な笑みを浮かべていた。


「どうかしましたか、ミス・シャイロック」

「どうかしたか? どうかしましたかですって!」


 そのトボけた態度に、思わず声が大きくなる。

 けれども怒りに我を忘れるような不様は晒さず抑え込む。高貴なれ、上品たれと教育されてきた。貴族は常に優雅に微笑んでいなければならない。

 冷静に、されど溢れる非難の念は伝わるように咎めたてる。


「幾人か失神なされた方が見受けられました。目を背け、顔を青くさせ、退室なさった方はそれより多くいました。あのようなショッキングな光景を目の当たりにしては当然のことです。なぜ、事前にあのような血まみれた見世物をなさると仰ってくださらなかったのです?」


 クリストファーは意にも介さずひょいと肩を竦める。


「無論、貴女様がお止めになると思ったからです」

「当たり前です。あたくしの舞台を血に染めるなんて、許しがたい侮辱です」

「ですが、あれでこそより誰もの目を集めたのです。あれくらいせねば『万能霊薬エリクサー』が嘘だったという一件に対する不満は消えなかったでしょう」


 それに。

 とクリストファーは笑う。


「あのショーに興奮し、血に酔った者がいたという点もまた事実でしょう。オークションは一層の熱を帯びて狂乱することでしょう。ミス・シャイロックの望んだとおりに」

「あたくしの望んだオークションは気品と優雅を友としたもの。あのような醜悪な赤色なぞは目の隅にも置きたくはありませんわ」

「ふふ、血を流した当人を前に醜悪とは、これまた、ふふ」


 なにが可笑しいのか、クリストファーは口元を押さえて笑みを隠す。

 笑って、笑って、笑って。


 不意に笑声がやんだと思えば、彼の瞳はぞっとするほど冷たくて、無機物のように熱がない。

 戦場にも死線にも立ったことのないレスフィナをして――死とはこのようなものなのだと、強く理解させられた。



「――万死に値する侮辱だ」



 直後、赤く鋭い血槍が殺到する。

 それは殺意の迸る魔術の発動。十を超える槍は高速で、岩をも貫く殺傷力を誇る。広範囲でいて避ける術はなく、貴族の令嬢に防ぐ手だてもなし。


 それはもはや直喩で表して不吉な死の具現で、つい先ほどの槍衾やりぶすまの光景を再現せしめるに足る。

 血の槍は柔い肉など引き裂いてあっけないほどにレスフィナに終わりを告げて――

 

「いきなり物騒だな」


 そんな赤い終わりを蹴散らしたのは、ならば輝ける金色であった。

 ただの一本の剣でもって槍を切り裂き、打ち払い、一つ残さず叩き落とす。

 結果、そこにはガラスの砕けたような破砕音と赤い破片が幻想的に舞い散るだけ。

 誰も傷つくことはなく、誰も終わることもない。


「紳士なら、婦女子には優しくするべきだろう」


 誰も死なせやしないのだと、レスフィナを守るようにその背中が語っていた。



    ◇



 なにやら件のクリストファーと主催のレスフィナが言い合いになっていた。

 三人はどうにも会話に割り込むわけいにもいかずに沈黙し、ドアを半開きにした状態で様子を窺うしかなくて。


 していると、酷く状況がきな臭く、血生臭くなっていく。


 直前の殺意が膨れ上がった瞬間に、リオトは場を忘れて抜剣していた。飛び出していた。

 そしてクリストファーの血槍の魔術を全て打ち砕いたのである。


「って、おい馬鹿、リオト! なに剣抜いてんだ、針の筵になんぞ!」

「え、あ。そうだった!」

「む? じゃがなっておらんぞ。あっちは絶賛、串刺し出血、死にかけておるのに」


 攻撃の魔術を放った時点で、クリストファーは先ほどと同じく七本の針に貫かれて瀕死である。

 それがこの場に置けるルールのはずで、なのにリオトには一切の罰が下されておらず、未だに無傷で立っている。

 これはどうしたわけか。


「まっ、まさかおぬし、リオト……殺意も害意もなくただ刃をふるったと?」

「はァ? そんなことできんのかよ」

「事実、そうでなくば説明がつかんじゃろ。そうじゃろリオト」

「え? どうだろ、咄嗟のことだったからな、ちょっとわからない」

「わっかんねェのか!」「わからんのじゃな!」


 いつものようにいつもの風情で話し込む三馬鹿は、この緊迫の現状において実に場違い。

 未だ強烈な死を忘れられず青ざめたレスフィナは困惑の眼差しを向ける。


「あっ、あなたがたは……エスタピジャの……?」

「そーだけど、今はあんま関係ねェな」

「単なる通りすがりじゃよ。まったく偶然のな」

「だからこそ、問う。なぜ彼女を殺そうとした、クリストファー・D・ロイセン!」

「別に」


 甲高い金属音が連続する。銀の針が床に散らばっていく。すぐに針は床を汚さぬように消滅する。

 七つの巨針が抜け落ちて、当たり前のようにクリストファーは無傷で笑みを張り付けていた。その手には例の小瓶が握られている。


「哀れにも無警戒な子羊が一匹迷い込んできたものですから、せっかくなら先に殺しておこうと思っただけのことですよ」


 その慇懃いんぎんな所作は変わらない。言葉づかいの丁寧も、敵意の見えない笑みも、先ほど演壇で熱く語った男のそれ。


 だがどうして。どうしてここまで隔絶して思えるのか。


 擬態を見破られた醜い虫のようにおぞましく、今のクリストファーからはドブ臭い死臭が漂っていた。

 こんなような不愉快な男と、ベルは以前にも出くわしたような気がする。思い出せない。

 奇縁の共感作用によってベルの混乱を受信しつつも、シノギは少しも顔に出さずに話を続ける。


「なに、なんでい、あんた。その口ぶりだと、ハナからシャイロックを殺すつもりだったのかよ」

「ええ」


 呆気なく、クリストファーは肯定した。


「まあ無論、予定ではこんな適当なタイミングではなかったのですけれどね。もう少し狙い目を絞り、厳重に注意して、誰の目にも触れぬように仕留めるつもりでしたよ。だっていうのに――」


 少し可笑しそうな笑みが漏れる。言葉の端々でレスフィナを冷ややかに嘲笑っている。


「彼女のあまりに愚昧な行動に、ここで討たぬのも礼儀に欠けるかと思いましてね」

「それは戦場の礼儀だ。こんな遊戯場で素人相手にそんな理屈が通じるものか」

「いやはや、全くその通り。こうして逸って目撃者を出してしまった。無意味に犠牲者を増やすつもりはなかったのですがね」


 それは特に意識したわけでもなかろうが、底冷えするほどに凍りついた物言い。当然に殺害を選択肢に持った者にしかだせない冷徹の声だった。

 血の気のひくレスフィナに対し、シノギはわざと笑って見せる。


「おいおい、なんだよおっかねェな。通りすがりだぜ、見逃せよ」

「貴方方が自ら首を突っ込んだのでしょう? 伸ばした首を叩き落とされても文句を言う権利はありませんよ。

 なにより、私は神経質でしてね。些少であれ計画の邪魔になりかねないと思うと、疼いて疼いて仕方ないのですよ。私は安心したいのです。不安の要素を根から排除し、種を潰さねば――安眠できますまい」

「っ」


 こいつはヤバイ――シノギとリオトは即座に判断。行動に出る。


「逃げるぞ」

「ああ、撤退だな」


 シノギはベルを、リオトはレスフィナを、持ち上げて連れて逃げだす。


 この場において三馬鹿に勝ち目はない。


 なにせここは嘘と暴力許さぬ箱庭だ。クリストファーのように反則的な再生力を持ち合わせていなければ、館の一撃で死んでしまう。

 ならばこの場において暴力を許される存在は――まさしく無敵だ。


 それを正しく理解していれば、一方的な虐殺をされる前に逃げ出すしか手立てがないという結論に落ち着くのも自明のこと。


「まあ、正しい選択ではありましょうな。ですが、逃しませんよ」


 合図のように開いた手を振ると、クリストファーの影が不気味に蠢いた。

 平面に敷かれたはずの影が突如盛り上がり、膨れ上がり、やがて人の形をなして立ち上がる。

 それはふたりの魔人、クリストファーと同じく死人のように青白い肌をした男たち。


「任せます。ミス・シャイロックから鍵を確保してください。あぁ、命は別にいりませんので、好きにしてください」

「御意」


 命じられた魔人たちは出現とともに疾風のように駆け、三馬鹿とレスフィナに迫る。

 剛脚は床を蹴り飛ばし、先に逃避する者たちとの距離を瞬く間に詰めていく。


 抱える女子にもつがあるとはいえ、シノギとリオトにすら追いつかんとするその速度は人並みならぬ。流石に人種の差が明確に出ている。


「くそが、やっぱ魔人の身体能力は高ェな! 追いつかれんぞ!」

「ともかくこの屋敷から出ることさえ叶えばなんとかなる!」

「だだっ広く無駄に長い廊下が嫌になるの!」

「あんたは走ってねェだろ!」「君は走ってないだろう!」


 叫ぶ三馬鹿。している余裕などあるまいに。

 ベルとリオトの表情が一瞬、引き攣る。次瞬にシノギもふたりの様子から勘付く。走る足を緩めることなくちらと後方を見遣る。


 ふたりの魔人が物怖じもせずに魔術を構築している姿が、その悪瞳にもよく見えた。


「ちっ、あいつらもお薬完備ってか!」

「もう一度、俺が防ぐか!」

「やめておけぃ、一度上手くいったから次もというのは楽観にすぎる。ここはわしがやる」


 リオトを制し、ベルが背中でもぞもぞと態勢を変える。


「大丈夫なのかよ」

「無論。防御を念ずる故、攻撃意識なぞありえぬよ。おぬしらは走っておれ」

「じゃあ任せるぜ」

「頼む」


 追い迫るふたりの魔人と、そしてベルは魔力を高ぶらせていく。無形無属性の魔力を術式という型に嵌め、その害意を術理に落とし込む。


 そして『針の上で真アリティア・実は踊るのかミレ・アゴラ』は発令し、魔人ふたりを容赦なく串刺しにする。


 同時、痛みを堪え、術式を保ち続け、霧散しかける魔力を無理やりに支配下において――魔術は執行される。

 血の槍が弾幕のように無数、広い廊下を埋め尽くして三人とレスフィナを飲み込まんと連射された。


「――『根こ削ぎ落としの悪食オルート・バーゼブル』」


 されどベルの魔術もまた行使されて――血槍を全て食らい尽す。

 槍の形は魔術で維持され形成されたもの。ベルの魔術がその魔力を根こそぎ奪えばどうなるか。


 単純明快――元の媒介に戻って威を失う。

 ばしゃりと、百近い槍は多量の血液となって床に落ちた。

 血液、血、赤色。


「あ――」


 その瞬間に。

 その光景に。

 その媒介に。


 ベルはひとつの術形式を思い出して――直後、連鎖的に次々と忘却されていたものが奔流となって脳裏に押し寄せてきた。


「そ、そうか……!」


 クリストファー個人を知っているわけではない。

 彼の顔立ちに近しい人物を知っているわけではない。

 ただ――クリストファーと同じ種族にして最上位の存在を知っていたのだ。


「そうか思い出したぞ! あれは、あの魔術形式、そしてなによりもあの再生の仕方は……!」

「あん? いきなりどうした、ベル」


 ようやく競売場アゴラを飛び出し、その重々しいドアを閉めて人心地ついた頃に、シノギはいい加減うるさいベルに問う。

 なにを騒いでいると面倒そうな態度は、だが次の彼女の言葉に吹き飛んだ。

 もう今日はこれ以上驚くまいと高を括っていたが――



「奴らは吸血鬼じゃ!」



 どうやら、まだまだ数奇な物語は続いていくらしい。



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