境界線上にて揺蕩うものは 2



 なんだ、こんなものか。


 ダスモントは欠伸でも漏らしそうなほどつまらなさげに拍子抜けしていた。

 今日この日まで一度たりとも魔物を通したことなどなかった。ならばこれは初体験で、けれどだからと高揚するわけでもないようだ。


 終わってみれば、呆気ない。

 橋上を渡る狼のような魔物ども、常ならばそれを拳の一振りで薙ぎ払う。十匹であろうが残らず駆逐できる。

 せずに気配を消して身を隠し、観察するだけにとどめて、魔物どもはこちら側の孤島へと到達した。


 やや警戒してか、足取りはゆっくりとしたものだが、その漲る殺意はいや加速していくばかり。すんすんと鼻を鳴らしては人の臭いをかぎ取ったか、だらりと垂らした舌からとめどなく唾液が垂れていく。

 ダスモントはその醜悪の姿を無感情に眺め、そして見送った。


 十の魔物が村の方へと向かい暗闇の中へと溶けて消えた。それを理解すると、しかしなんらの興奮も押し寄せてくることはなかった。

 思うところはなにもない。面白みはなにもない。


 本当に――あっけない。


 ダスモントは酷くがっかりとしてしまい、むしろこんなにもつまらぬことはないのではと思った。まだしも飽き飽きとした鍛錬のほうが、やって来た魔物どもを征伐するほうが、この胸を高鳴らせたのではないかとさえ思うのだ。


 あぁどうしたものか。どうしたものか。


 なんだか困ってしまう。

 思った通りにことは運んだのに、自分の心持ちのほうが一向思い通りにならない。

 結局これもつまらない。はじめてでも、つまらない。


 ならばどうすればいい。なにをすればいい。

 あまり考えることをしないダスモントとしては、今日の懊悩は酷く面倒なものだった。


 ――魔物が再びやってくる。


 この世界にあり触れた魔物という災害は増え続ける。外界には人を殺せと本能に命じられた怪物が無限に近く蠢いている。

 一団がやって来たすぐあとだとて、だから続けてはやってくるまいなどという生ぬるい発想は笑い話にもならない。実際、ダスモントは日に二十四度の襲撃を受けたこともある。全て返り討ちにしたけれど、少々面倒だったのは記憶に残っている。


 ダスモントは先ほどまで絶っていた気配を今、意識もせずに漂わせている。隠れる意味がないからだ。ならば夜活発化する魔物どもはそれに気づくも道理。


 今度は三匹だった。

 猛進する一本角の八足獣。どたどたと地を八本脚で蹴り、異様に発達した鼻先の角をこちらに向けている。停止などは一切合切思慮にないほど常軌を逸した疾走は、もう一分の猶予もなく橋へと到達するだろう。


 さて、とダスモントはこの期に及んで物思いに耽る。

 ここであの三匹の弾丸の如き突貫魔物をどうすべきか。

 常ならば簡単だ。拳を構え、待ち構え、わざわざやってくる魔物を迎え撃ってお仕舞い。あの程度の速度ならば、さして問題なく合わせて殴り殺せる。


 けれど現状は常ならず。

 先ほど魔物を村へと見送った直後である。


 ここで今更新手の魔物を屠ったとて、それでなんになるという。なんの意味があるという。

 どっちにしたってきっと村は滅びてしまう。村人はひとり残らず狼の魔物に惨殺され、建物さえ気ままに打ち壊され、夜が明ける頃にはまるで別世界となっているに相違あるまい。


 そして満足した魔物の帰還の折りに、なんとなくダスモントはそいつらを打倒しておく心算であった。

 そこまで想像して、ふと思った。


 ああ、この想像は。これはなんて――


「なにをしているんだ!」


 その時、あらゆる邪悪を断ち切る咆哮がダスモントの思索を打ち破った。



    ◇



「君は、なにをしている!」


 リオトはわけもわからず衝動的に叫んでいた。

 状況がわからない、心境がわからない。

 ただわかるのは、門番の鬼人オーガは健在で、そのくせ、今今橋を渡る八脚の魔物を見過ごしているということ。

 魔物に立ち向かわず、道を差し出すように逃れているということ!

 

「“汝、鋭利なる刃たれ――『斬った張ったのティアキルカット刀剣武・ソゥ具』”」


 そして彼にとって、それだけわかれば充分。

 充分――剣を抜くに値する。


 すれ違い様の刹那で、振るった斬撃は六度。

 猛進する八本脚の一角獣、三匹まとめて始末するのには、それで事足りた。


 斬り捨て終えれば、残るは沈黙を貫く鬼人オーガのみ。

 リオトは抜き身の刃を収めることをせず、振り返る。相も変わらずニタニタと陰気に笑う鬼人オーガは佇み、感情のひとつも読み取れそうにない。

 リオトは唸るような低い声で問いを向ける。


「どういうつもりだ」

「……」


 鬼人オーガは答えない。

 いや、答えることができない。

 彼にだってどういうつもりかも知れていないのだから。強いて言えば暇潰しで、けれどそれをそのまま告げたところで申し開きにもならないことくらいはわかる。

 なおも苛烈に、リオトは糾弾するように言葉を叩きつける。 


「どういうつもりかと聞いてる!

 なぜ、魔物と戦わない! なぜ、務めを果たさない!」

「……」

「恐ろしくなったか、狂ったか。それともなにもかもどうでもよくなったというのか!」

「…………」

「貴様が臆病風に吹かれるだけで、背に負った百の命が散るのだぞ。狂いなど許されない、投げやりなど最悪だ――貴様は門番なのであろうが!」

「っ」


 そのとき。

 鬼人オーガ――ダスモントは動いた。

 その巨体に似合わぬ俊敏さで。その大股に即した歩法で。真っ直ぐ、リオトに向かって襲い掛かる。

 瞬く間に間合いを埋め、その握り拳を振りかぶる。


「――」


 急襲にもリオトはまるで動じない。

 破れかぶれに暴れまわるなぞ予想に易い。リオトの詰問は思惑なしに挑発にとられても仕方ないと思っていた。

 故、軽やかな一歩で鮮やかに回避す――


 ――大地が爆ぜた。


「っ」


 予想以上の破壊力に、この村そのものが大きく揺れた。

 殴りこんだ大地には拳の跡が大きく残り、飛散する礫すら粉々で、その風圧にリオトさえたじろいだ。


 動揺の隙間を縫うが如く、ダスモントの攻勢は続く。

 振り下ろした鉄槌は、次に鞭のようにしなる。腕を薙ぎ払う。

 速く、巧い。回避は困難。しかし受け止めるにも先の威力を鑑みるに自殺行為。


「っ」


 それでもかわしてのけるのが彼である。

 リオトは迷わずダスモントの懐に飛び込んだ。その岩の巨体に抱きつくように。


 ダスモントの大柄から繰り出す攻撃はいわば台風。

 ならばその中心にこそ安全圏が隠されている。迷わずそこに踏み込めるだけの度胸さえあればの話だが。


 勇ある者は見事、振るい薙ぎを背に避けて迫る。そして密着した姿勢からでさえ斬撃を振るうだけの技量がある。

 刀身を押し当てて横に滑らすように、その魔術で研がれた鋭利な刃でもって流し斬り。

 

「っ!」


 浅い。

 その皮膚の硬度にリオトこそ驚く。

 壁を相手取る心地でダスモントの腹を蹴飛ばし、距離をとる。間合いを離す。


「…………」


 両者、沈黙のまま対峙する。

 そして、それは奇遇か。

 両者、やはり沈黙のままに同じことを思う。


 ――こいつは強い。


 全身これ筋肉の塊のような体躯、鍛え方次第で岩石も鉄鋼をも凌ぐ硬質な皮膚、なにもかも打ち砕き引き裂くほどの膂力りょりょく

 鬼人オーガ種族はその特徴全てが戦いに特化し、そしてダスモントはその最高峰と言っていい。種族的な優位を存分に極めている。

 リオトの技剣をもってしても刃が上手く通らない。


 いや、真正面から不動のものなら、ダスモントの硬度であっても断ち斬れる。

 だがダスモントは機敏で、しかも刃の受け方を心得ている。自らの肉体の硬度があれば、それは鎧と同義。捌くことも流すことも容易にこなせる。それだけの戦闘経験がある。


 その肉体性能と技量を考慮してリオトは断ずる――鋭さだけでは刃は通らない。

 鋭さだけでは勝てない。ならば。

 リオトは一旦、鋭度強化の付与を解く。即時に「一呼吸の魔術ワンブレス・マジック」、次の魔術に打って出る。


「“汝、森羅なる色彩たれ――『かてて加えて赤ファルヴェテ・ロート』”」


 次のそれは属性の付与。

 赤――火の属性を剣に与えて燃焼する刃と成す。

 轟、とリオトの剣が燃え盛る。松明のように夜闇を照らし、その威を誰もに見せつける。


 軽やかな跳躍。リオトのほうから攻めに踏み込む。

 目線でフェイント、身のこなしでフェイク、振りかぶって真っ直ぐ。

 唐竹割り。


 それに、ダスモントは酷く緩慢な仕草で応じた。

 ひょい、と無造作に掲げた右腕が、その斬撃を容易く受け止める。

 斬撃の鋭さに僅か、鬼人オーガの皮膚を裂いてめり込む。逆にそれがまずかった。


 ――剣が抜けない。


「こいつっ!」


 筋肉で白刃どりをしやがった!


 わざと力をこめずに刃を受け、肉に食い込んだ瞬間に筋肉を膨張させる。盛り上がった筋肉が包み込むように刃を掴み離さない。押しても引いてもうんともすんとも言わない。

 なんてデタラメ。

 その上、剣に付与された熱は肉を内から焼いているはずなのに、ダスモントは表情ひとつ変えない。不動で、不感で、ニタニタ笑う。


 左の拳が風を切る。

 リオトにはそれが察知できて、この場を離れる以外に手がなかった。武器を手放し、飛びずさって逃げた。

 直後にダスモントの突き上げ。

 空を切ったアッパーカットはリオトの肝を冷やすに留まる。


 担い手が失われ、剣への付与は終了。熱は冷めて炎は鎮火する。

 そしてダスモントは爪楊枝でも摘まむように右腕に突き立つ剣を掴み、放り捨てる。剣は谷底へと落下し、もはや誰の手にも届かない場所へと消える。


 ――武器は喪失した。

 ――ではどうする、剣士。


 そう言いたげな陰気な笑み。


「は」


 リオトは即応して獰猛に笑う。カソックの懐へと手を伸ばし、なにやら取り出す。

 それは恐ろしいほどに重量感を醸し出す鉄塊だった。綺麗な球形でも立方体でもない。凹凸があって整っておらず、なのに不思議な論理を感じさせる形をしていた。


 ダスモントはわからない。

 その鉄の塊がなんだという。なにをするという。

 すぐに答えは出た。リオトは歌う。朗々と。

 

「“汝、和合なる武装たれ――『錬り成せば山となる剣アルケミス・ソゥ』”」


 すると鉄塊が踊りだす。

 捻じれ、蠢き、広がっていく。厚みを長さに、重みを強さに、歪みを直線に。踊る鉄はその姿を変えていく。

 まるで粘土細工が捏ねあがっていくような、折り紙が折りあがっていくような。鋼鉄の塊は速やかにその不格好な原形を捨て、見目美しいまでの本質を見せつける。


 醜い鉄塊の本性、それは一振りの剣であった。

 先ほどダスモントが投げ捨てたそれとまったく同一の、リオトの愛剣だ。


 錬金魔術である。


 そは物質を変換、変質、変性させる魔術であり、置換の術法。

 もとより存在する物質に魔力を通し、その組成を組み換え変容させるドワーフの固有魔術であった。


 リオトの取り出した鉄塊は、元は彼の愛用の、しかし単なる量産型の剣である。剣であったものである。

 それをかつての友に錬金魔術で圧縮し折り畳んで手のひらサイズにまで押しとどめてもらったもの。リオトはこれを「種鋼タネハガネ」と呼ぶ。


 ならば同じく錬金魔術によって逆の手順で展開すれば、種は発芽し実り剣となる。ゆえ、リオト程度の力量でも錬金魔術は成立し、こうして彼の剣は再び手に入る。

 リオトは種鋼タネハガネを常に五つ以上はストックしている。


 これにて再三の相対。拮抗。膠着である。

 互いに未だ無傷と言っていいコンディションで、全力は出せども未だに手の内を残している状況。かと言って次の瞬間には決着がついているかもしれないような致死性をもった戦況でもある。


 弱みを晒せば一撃でぐしゃり、隙を見せれば一刀のもとズンバラリ。間合いはあれども気休めにもならない。緊迫の停滞は瞬く間にも激闘のうねりとなっていつ爆発してしまうのか。

 そんなじりじりと僅かの緩みを探り合う静寂の死闘の中で、リオトは斬り殺すような鋭さで問いを差し向けた。


 このいくさの意味を、リオトはまだ知らない。


「けっきょく、どうして俺を殺そうとする」


 ダスモントは答えない。


「門番としての不実を隠すために俺を殺すのか。ならば誰に露見を恐れている」


 ダスモントは答えない。


「いや、この狭い世界で誰というのは欺瞞だな。村人の誰か、もしくは、誰も彼もに――それ以外に人がいない」


 ダスモントは、答えない。


「もしもそうならば、なぜ! なぜ、貴様を信じる村人を裏切った、ダスモント・モンドレア!」

「ゥ――」


 それは、はじめて。

 ダスモントがリオトへと差し向けた感情であったのかもしれない。


「ゥオオオォォォォォオオオォォォォォォォオオオオオオォォオオオオオ!!」


 すなわち、恐れ。

 では彼はなにに対して恐れを抱いているという。


 リオトの武威に対してか? 否だろう。未だ戦いの趨勢は五分、恐れるほどに差はない。

 門番失格の不実が露見することにか? 近いが、核心に掠っているだけで射貫いてはいない。

 ならば――


「そうか、君は……!」


 その時。

 リオトがそれに気が付いたその時に。

 たったふたりきりの月下での決闘に横槍が入り込む。


 かわす。


 なにか投擲とうてき物が、リオトの元いた地点を通り過ぎた。

 石の礫。

 そこら辺、地面を見遣ればどこにでも落ちている何の変哲もない石ころ。


 その投擲した方角を見遣れば、村からひとりの子供が険しい顔つきでリオトを睨んでいる。


「ダスモントに意地悪するな!」


 その子ひとりだけではない。ぞろぞろと多く、人々が集まっていた。

 シノギらの戦闘やリオトとダスモントの派手な決闘に、村人たちも気づいて起きてきたのだ。


 こうして無事に集まっている点から、シノギとベルは村内の魔物を全て滅ぼし終えたと理解できる。この場の他に異変は全て収まったから、残った戦闘の気配に恐々と様子見をしに来たということ。

 それを把握すれば、こんな場面でもリオトは安堵していた。


 一方で、村人たちからは怒気に満ちた風情が溢れかえる。魔物の襲撃の恐怖よりも、ずっとずっと強い憤り。

 それを代表するかのように、リオトに石を投げつけた少年は叫ぶ。


「ダスモントは英雄なんだ! 村をまもってくれるんだ!」

「そっ、そうだ! そうだそうだ!」


 続くように、今度は筋肉質な男が。キツネ目の男が。子供を庇うように抱く女が。

 村の誰もが、必死に、声の限り叫ぶ。


「あいつがダスモントの邪魔をして魔物が侵入したんじゃないのか!」

「ダスモントがんばって!」

「負けないで、負けないでよダスモント!」

「ダスモント! ダスモント!」


 ――ダスモントは村の英雄と、みなに慕われていた。


 だから、これは当然のこと。

 この声援は、彼への信頼は、どこもおかしなことはない。

 ダスモントの敵はこの村の敵だと、そう信じることはまるで単純な算数のように解き明かすのは易い。


 リオトは今、久しいほどに糾弾されて、悪役として憎悪すら向けられていることを理解している。

 理解してなお、言い訳も釈明もしない。意味がない。むしろ険しさが消え、穏やかなほどに戦気を静めている。


 ようやく事の次第を把握して、もはや剣に意味がないと判じたのである。

 けれど最後までダスモントから目を離さず、ひとつ苦言は忘れない。


「安心しろ、君はまだやりなおせるよ。ただし今日という日を片時も忘れるな――俺は忘れない」

「っ」


 その一言に大袈裟なほどびくりと鬼人オーガの巨体が子供のように震え――その時。

 さらなる割り込みが状況を激変させる。


「我が六の魔刀が一刀――『騒征ソウセイ魔刀・サエズリ』、その魔威をここに叫べ!」


 そして。人に不快、魔物に苦痛、命あるものへの怨讐邪念を奏で囀る不協和音がはじまった。

 瞬間、声を絞る村人たちはまとめて倒れ伏す。耳を塞ぎ、頭を押さえ、苦しみに悶える。

 ダスモントでさえ、片膝をついて僅かに表情を崩す。されど今にも飛び出そうに足の筋肉が微動したのを、リオトは見逃さない。

 片手で制し、剣を納刀する姿を見せる。もはや闘争の意はないのだと。


「逃ィげるぜェ!」

「わかっている!」


 代わりに逃走させてもらう。

 突如、村人たちの群衆から飛び出したのはスーツ姿に幼女を背負う男だった。

 その男はリオトも引き連れ、一直線で橋へと疾走。

 そのまま、誰に引き留められることもなく、三人は村を去っていった。



    ◇



「そんで? あれどういう状況だったよ」


 月明りを頼りに、ふたりの男が道を行く。

 ひとりはスーツを着込み、サングラスを装着して、抜き身の刀を所持している。そしてなぜだかドレスの幼女を背に負っていた。背中の幼女は安心しきった風情で寝息を立てている。

 サカガキ・シノギである。


 シノギは負んぶしているベルを背負い直し、横に歩くもうひとりの青年に言う。


「なんか、面倒そうだから『囀』抜いて逃げてみたけどよ」

「ああ、助かったよ。あの場を切り抜けるのに、誰も傷つかないで済んだ」


 神父服の青年、リオトは柔らかく笑う。


「そりゃよかったな」


 よかった、などと締めくくるシノギだが、実はことの次第をなにも知らない。

 ただ、よくわからないけど、リオトが善悪の境界線において悪側に傾くことだけはありえない。シノギはそれを知っている。だから退散するのに迷いはない。


 それは、ダスモントを信じた村人たちと同じ理屈である。

 よく知る隣人のことを、まず信じるのは誰だって同じだ。


「で?」

「ああ、問題ない。終わったよ」

「もうちょいわかりやすく言えよ。まずなにがはじまったよ。なんで門番が健在で魔物が村に入ってきて、極めつけにあんたと門番が戦ってんだ?」


 なんだ、そんなことか。

 リオトは肩を竦めてあっさりと告げる。


「門番が魔物を止めなかった。だから魔物が入り、それを咎めた俺に襲い掛かってきた。それだけだよ」

「っておい! だいぶやべェ状況な気がするんだが!」


 門番の裏切り、それはどんな人里にとっても重大な危機である。とりわけ結界もなく、たったひとりの門番に頼ったあの小さな村ならば致命的と言える。

 しかも、村人はそれを知らない。未だに裏切りの門番を信用し切っている。これは実際、非常にまずい事態なのでは。


「これでよかったのかよ」

「うん?」

「あいつ、また素通りさせるかもしれねェじゃねェか」


 リオトに似つかわしくない結末。

 ことの禍根を残して去っていくなんて、勇者リオトが問題ないと述べるに違和感がある。

 けれど、当のリオトは満足げ。


「それはないよ。二度とね」

「なんで言い切れる」

「彼、すごく後悔してるみたいだったからね」


 ダスモントはなにに対して恐れを抱いていたのだろうか。

 リオトの武威に対してか? 否だろう。

 門番失格の不実が露見することにか? 近いが、核心に掠っているだけで射貫いてはいない。

 ならば――


「彼の恐れたことは村人たちを失うことさ」

「はァ? なんだそれ、自分で魔物通して殺そうとしたも同然なんだぜ?」

「おそらく、そこまで想像が及ばなかったのだろう。彼がどうして魔物を素通りさせようと決めたのか、その理屈は知れないが、その後の想像をしていなかったことはわかる。なぜって、俺の問いかけに、彼は駄々をこねる子供のようだったよ」

「子供……まさか」


 頷いて。


「たぶん、彼はとても純粋なんだろう。鬼人オーガは長命種だし、まだ未成熟な子供だったのだと思うよ」


 善悪の区別もままならない、子供。

 だからどんなことでも思いついたらやってみて、痛みとともに後悔する日が今日訪れただけにすぎない。そして、幼いがゆえに過ちと後悔を繰り返さない柔軟さも秘めているはずで。


 彼は二度と善悪の境界線を違えることはない。


 少なくとも、直接に剣を交えた勇者がそう信じている。その剥き出しの感情は、誰よりも村人を愛していたのだから。


 ならばシノギから言うこともない。

 ただ単なる感想として、ぼやきのひとつくらいはしておこう。


「そうか。三十年間、門を守ったって話、あの厳つい外見。ひっくるめて誤解してたが、そういや三十数歳と考えりゃ鬼人オーガとしてはまだガキか。あんたが手心加えた理由がよくわかったぜ」

「人間、みな自分の尺度でしか他者を計れやしない。あの剛体巨体の戦士を見れば、まあ子供とも思えないだろうな」

「種族としての差異ってなァ、どうにも慣れねェな」


 鬼人オーガはまず体が育ち切ってから、心が育まれる。

 戦闘に特化しているがゆえの、少々歪な成長の仕方をするのである。

 とはいえ、それでもとりわけダスモントはやはり特殊――恐るべき才を持っていたと言えよう。


「しっかしあの図体と面構えでガキってか、まったくそりゃ末恐ろしいな――強かったんだろ?」

「ああ、強かった。あと二、三十年もすれば、きっと彼はすごい英雄になる。俺なんかすぐに追い抜いていくだろうさ」


 それこそ種族の差というやつで、人には及ばない境界線の先。

 長命種は長く歳月を重ねることのできる分だけ、人間種族よりも強さを深めることができるもの。身体能力や魔術的素養もまた優れている場合が多く、やはり人間とは根本的に生物の性能が違う。

 けれども。


「いや、あんたは負けねェよ」

「え」

「負けねェさ、あんたが負けちまうのはおれが嫌だ」


 断言をされ、リオトはしばらく目を丸くしていたが、すぐに苦笑する。

 なんとも、期待を背負うというのは重くて心地よい。特に信頼すべき隣人のそれならば特に。


「参ったな。そんな風に言われてしまったら、がんばるしかないじゃないか」


 たったひとりで才気と修練とを重ね合わせて至った極地があるという。

 他方、誰かと共にあることで辿り着くことのできる境地もあるのだろう。


 交わりし二者の決着は今夜にはつかず仕舞い。

 はて果たして――再び相まみえた瞬間に訪れる結末は如何なるか。


「まったく君は、本当に困った奴だな……」




 ――境界線上にて揺蕩うものは 了



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