竜と魔刀の鬼ごっこ



「鬼ごっこ? あぁ、たまにリオトが鍛錬の一環とか言ってやるな。一回も捕まえられたことねぇけど。

 しかも三回に一回のペースでベルまで混ざって無茶苦茶だぜ。一回も捕まえられたことねぇけど。

 流石は勇者に魔王サマってか、鬼ごっこまで強ェときてる。腹立つぜ、一回くらい捕まえてぇもんだな」


               ――目つき悪い男のいつかの愚痴




「強盗だ! 誰か捕まえてくれぇ!」


 特に用もなく通過するだけといった、名前すら把握せずに訪れた町でのこと。

 三馬鹿は食糧だけ買い込んで、さあ出立だという段でのこと。


 人通り激しい大通りの真ん中で、野太い声が伝播する。


 悲痛な色合いに憤怒と絶望が綺麗に溶け合って、まるで泣き笑いのような咆哮だった。

 一斉に視線が集まれば、そこにはヘタレこむ男がひとり。そして、その男から走って逃げる小男がいた。


 言葉と現場を察すれば、強盗らしい。

 そこまで結論しても、シノギはやれやれと落ち着いた風情である。他人事だ。


「たく、こんな真昼間っから精のでる――「任せろ!」――って、おい、こらァ!」


 という余裕も次瞬に崩壊。

 隣にいたはずのリオトーデ・ウリエル・トワイラス、元勇者が爆走しはじめたからさぁ大変。


 任せろってお前……。


 無関係な傍観者で放置を決め込む気満々だったシノギは一秒だけ頭をかかえて、すぐに追いかける。


「ちくしょー! 面倒ごとは御免だってのに!」

「ふはは、楽しいではないか。ゆけゆけ、お馬! 置いて行かれるぞ!」

「って、なに人の背に乗ってやがる、妖怪か!?」


 いつの間にやら――苦悩の一秒の合間だろう――背中に子泣きジジイよろしくひっ捕まっている童女が一名。ベルは悪びれもせずにシノギに負ぶさっては楽し気に笑う。


 とはいえベルの言う通り。文句を言って立ち止まっていてはリオトとの距離は広がるばかり。なんの遠慮もなく疾走しているリオトは既に人込みに紛れて背中が小さい。


 あのペースならすぐに強盗にも追いつくか。

 シノギは走り出しながら、意外にそこまで面倒とはならないのではと希望的観測を思い浮かべた。


 それが悪かったのか。


 人生、そう容易くも思い通りにもならないようで。

 ぴー、と気の抜けたような指笛が響き渡る。



 ――直後、巨大な竜が天より舞い降りた。



「なにィ!?」

「なんと!」


 竜――翼竜。

 翼持ち風と遊ぶ、天を自在に舞い踊る空の支配者である。


 人を背に負うほどは大きいが、それでも竜にしては比較的小柄。その上見るからに細身で、重さは竜種にしては瞠目するほど軽量級だろう。

 風の中で住まうためか余計な突起や装飾もなく質素でシンプルな流線形。それは飛行することだけに特化しているが故の生態である。


 飛行に特化し速度のみを追求している――その全形は鋭い槍を連想させ、弾丸を思わせる黒銀の竜鱗が鈍く輝いている。


 竜の降下の衝撃で周囲の人々は吹き飛ばされる。巨翼による羽ばたきひとつで大地は揺れ、建物は震え、一部脆い屋根瓦が剥がれて舞い飛ぶ。


 リオトでさえ風に圧され足を止めざるを得ない。だが決して視線は逸らさず、膝も屈さぬ。

 強い眼で竜に飛び乗る強盗を見据え続ける。


 強盗が竜の背に乗れば、すぐに急上昇。竜は空の青さに飲まれるようにして飛翔し、瞬く間に飛び去って行った。

 しばらくの間、地上に残された者どもはぽかんと大口を開けて呆けているしかできない。

 一番に動きだすのは無論にリオト。すぐに引き返してシノギとベルの元へ。


「シノギ、追うぞ、魔刀の『エニシ』をだしてくれ!」

「いや、追うったってな……」


 勢いよく言い放たれても、シノギとしては困ってしまう。

 それを助けるように、未だに背中に張り付くベルが口を開く。


「今の竜、翼竜じゃろ。つまりこの世で最速に近しい生命じゃよ、さしもの魔刀といえども通常一般、追いつけまいて」

「それに縁を結んでねェ、追えねェよ」

「それは、くっ。じゃあティベルシア、なんとかならないか」

「むぅ……」


 思案のように口元に手を置く。

 していると、声がかかる。草臥くたびれたような、覇気のない諦観の声だ。


「あぁ、そこの神父様? もういいよ……」

「あなたは……」


 さきほど強盗に遭った張本人たる男であった。

 熱心に追いかけようとしてくれるリオトに感謝と諦観を伝えに来たらしい。


「ありゃ、最近ここいらで出没するっていう強盗、「簒奪竜騎兵バンデッド・ラグン」だ。訓練された騎竜に乗って逃げるっていう」

「訓練された騎竜だ? どこでそんなもん」

「近くに騎竜を貸し出す店があってな、そこから盗んだらしい。しかもありゃ最上の騎竜だ、速度は亜音速に近いって聞く。そんなもん、誰にも追えっこねぇ」


 だから、もういいんだ。

 どうしようもないことへと理不尽に、男は震えていた。


 その打ちひしがれる姿に、リオトはまず己の不甲斐なさに怒りを覚えた。

 そして、まだ諦めたりはしない。自分だけなら無理なことでも、仲間がいれば、きっとまだ活路はあるはずだから。


「……いや」

「あん?」

「人を乗せている以上、少しでも速度は落ちる。強盗なんかに身をやつしている以上は竜騎兵としても熟達とはいかないだろう。ならまだ手はあるはずだ」

「ってもな。おれにゃどうしようもねぇと思うが――ベル、なんか方策思いついたか?」


 思案に沈黙していた三馬鹿の知能担当に話を振る。

 彼女が駄目ならお手上げだが――男ふたりは、彼女の口から無理という答えを聞いたことがない。

 予想通り、期待通り、ベルはニヤリと笑って見せる。


「うむ、できたぞ、手立て」

「本当かっ」

「さっすが。んで、手筈は」

「まずは降ろしてくれい」


 勝手に乗っておいて、降りる時もまた勝手。

 ベルは地に降り立ち、すぐにしゃがみこむ。地面に目を走らせ、ふと頷く。なにやら拾い上げる。


「ふむ、これでよいか。ではシノギ、ほれ」

「ほれって……」


 ベルはその小さな手に石ころを握っていた。それをシノギに差し向け、押し付ける。


「なんだよ、石っころがなんだってんだ」

「これと縁を結べい」

「なんで」

「なんでもじゃ。急げ、説明しとる間にも竜は遠ざかっておるのじゃぞ」

「……わかったよ」


 意味不明でわけがわからない。けれどベルが言うならなんぞか意味はあるのだろう。

 信じて、シノギは魔刀抜刀――『結線ケッセン魔刀・エニシ』。

 冴え冴えと銀に輝く魔刀はいつ見ても見惚れるほどに美しい。


 そんな華麗流麗なる美しき銀をもって、ちょんとベルの持つ石ころに触れる。縁を結ぶ。

 なんだか物凄く勿体ないというか、不相応な魔刀の用途に、シノギは口にしがたい心地に襲われる。


 ベルは気にせず続けて魔術の行使にかかる。

 魔力が輝き、石ころがふわりと浮き上がる。そして一転、停止は加速に、静止は激動に。飛翔、疾走、一直線。

 高速で投石はなされ、青空の彼方へと消えていった。


 星となって消えた小石に呆然とする男ふたりに、ベルはやり切ったと達成感に満ちた顔で言う。


「よし、シノギ、『縁』で追うぞ。石ころは竜を追うよう設定したでの、これで届く」

「あ、なるほど、そういう」


 よかった意味ある行動で。心底、相当、シノギは安堵していた。

 切り替えて。


「よし任せろ」

「……しかす石ころのようなサイズと軽さなら、亜音速で飛ばせるのか」


 魔王の魔術の懸絶に、リオトはまた呆れかえるようにして感心してしまう。

 かくも恐ろしく、また頼もしい限りである。


 ともかく、リオトとベルはもはや手慣れた調子でがっしりとシノギに捕まり、離れぬように三人身を固める。

 シノギが魔刀の柄を握り、ベルがその手に手を添え、リオトが二人を覆うように抱きかかえる。


「風除けも張って……よし、いけ、シノギ」

「おうよ、我が六の魔刀が一刀――『結線魔刀・縁』、その魔威をここに結べ!」


 魔刀『縁』は刀身に触れたものと見えぬ縁故を結び、その縁に沿って飛翔する翼剣。石ころと繋いだ縁がレールとなって、魔刀は空の彼方にだって翔んで行く。

 三人は魔刀に相乗りの形で風となる。飛翔し天翔し高速の旅路をひた走る。それは見上げれば蒼天を裂く流星の如き光景となっていただろう。


 魔刀は疾駆する馬より速く、放たれた矢よりも鋭い。

 だが竜の速度には及ばない。届かない。鬼ごっこで負けは確実。


「んで! どーすんだ! このままじゃいつまで経っても追いつかないぞ!」


 叫ぶようにして言葉を叩き付けるのは、高速移動に伴う衝撃波によって轟音が襲うため。風除けがあっても、声を張り上げないと聞こえやしない。

 ベルもまた怒声のように大声で返す――ことはしない。知的に上品に念話、伝心の魔術。声なく言葉を伝える魔術。


『以前も言うた、わしは魔術に干渉するのが得意じゃて』

『まさか……』

『くく、以後一時的に使用不可となるやもしれんが、そこは堪忍せよ』


 ベルの刻む笑みが凄絶に吊り上がる。魔刀に触れる指先が妖艶に輝きだす。

 瞬間、魔刀の刀身に魔力光が枝分かれして走り、血管のように複雑に通っていく。浸透していく。


 魔王による改造術式。魔刀の性能を瞬間的に跳ね上げ、暴発に近い形で出力のタガを外し、なお制御し切って副作用なしにただ強化させる。


 そして――魔刀『縁』は爆発的に急加速した。



    ◇



「へへ」


 なんともボロい商売だ。なんとも易い犯行だ。

 楽々儲けて、易々稼げる。最高に最高な金儲けの方法を思いついた自分はなんて天才なのだろう。


簒奪竜騎兵バンデッド・ラグン」と呼ばれた男は自画自賛に忍び笑いを漏らしていた。

 竜の背に乗り、今回の戦利品にあたる宝石金品を見る度に楽しくなってきて仕方ない。何度味わってもこの快感は心地よく、これに勝る快楽はないと思う。


 高速飛翔する竜は多く強力な風除けの結界を張っており、騎乗する男にはそよ風ひとつなく快適だ。

 どれだけ男が凡愚でも、竜の術技の巧緻は陰りもせず、羽ばたく翼の力強さとは無関係。稚拙な強盗であっても追いすがれる者はなく、捕まることなどありえない。


 手に入れた騎竜はなんの取柄もなかった男にとってどんな神遺物アーティファクトよりも素晴らしい福音であった。

 竜を手にしてから今日まで、男にとって人生における最盛期であった。


 今日まで。

 そう、今日この日までは。


「――ぁてっ」


 不意に背中になにかがぶつかった。軽い痛みを覚えて振り返れば、小石が転がっていた。

 怪訝に思いつつ、男は小石を拾い上げる。


 どこからどう見ても、何の変哲もないただの石ころだ。

 なんで石ころなんかがこんなところに、そして自分にぶつかったというのか。


 ――いや、まて。


 待て待て。

 おかしい。おかしいだろう、それは。

 亜音速近い高速で飛ぶ竜の上に乗る男の、その背中から、石ころがぶつかるだと?


 つまりこの小石は、竜よりも速く飛来していたということにならないか。


 竜の速度を凌駕していたからこそ、男に届いてぶつかったのではないか。

 だがそれもおかしい。それが事実なら、高速で飛んできた小石がぶつかって、軽い痛みで済むはずがない。亜音速程度の運動量を得た石は弾丸を超え、砲弾と言って差し支えない威力を持つはずだろう。


 竜の結界によって威力が減殺されたとか……?

 いやだがそれ以前にそもそも加速度に耐えかねて燃え尽きるのでは?


 幾つか疑問が思いついたものの、男は知識に欠け、どれだけの疑問が正しく、そしてこの場に適応されるのかまではわからなかった。

 けれども、一番最初に思い浮かべ、かつ最も重要な疑問だけはわかる。

 なんでこんなところに小石があり、そして自分にぶつかったというのか。


 結局、男にはその疑問の答えが与えられることはなかった。

 むしろ、さらなる謎だけが、彼を襲う。追い立てるように。追い込むように。報いを受けるように。


 不意に軽い衝撃が腹部を襲った。


 全く完全に不意をつかれて、予想外でなにがなんだかわからない。不思議に思いながら、ゆっくりと首を下げて変な感触のあった腹を見遣る。

 ――刃が生えていた。

 背中から貫通し、肉押しのけて顔をだす錬鉄の刀尖。片刃の、反り返った、刀。


「――あ?」


 気づけば。

 腹に刃が突き刺さっていた。


「あぁあ? ぁあっ、あぁあぁぁぁぁあああああぁぁぁああああああああ!?」


 血が際限なく腹から湧き出る。噴き出る。失われていく。それはまるで命が零れ落ちていくような、そんな赤の流出であった。

 なんだ、これ。なんなんだよ、これは。こんな、こんな理不尽ありえない。どうして。どういう。わけがわからない。


「――お届けものだぞ、くそ強盗」


 混乱に混乱を重ね、もはや狂ったような男の耳もとに、囁くような声が届く。


「被害者一同に代わって怒りの一刺し、ってな」


 その言葉を最後に、「簒奪竜騎兵バンデッド・ラグン」と呼ばれた男は気を失った。



    ◇



「あー、まだ節々が痛ェ、気持ち悪ィ」

「わしもじゃぁ」


 ブっ刺しただけで気絶した男には丁寧な治癒を施して、三人はのんびり翼竜の背中にて腰をおろしていた。

 このようなのほほんと竜に騎乗できているのは、ひとえにリオトのお陰である。


 彼は当然のようにこう言った――任せろ、竜の騎乗なら心得がある。

 なんでもできるなこの勇者……というツッコミの頃には、リオトが上手く翼竜を宥めて御していた。素直に言うことを聞くいい竜だとのこと。


 飛翔の向きを反転。先ほどの村に戻ることにする。

 強盗犯の引き渡しと盗品の返却、それに竜の処遇をどうするか。なにはともあれ先ほどの村に戻る必要があったのだ。


 事も終わって、あとは帰還だけとなれば、思い出すのは全身に襲う苦痛と気分の悪さである。

 無理な魔刀の加速に身がついていかず、どうにも気だるくて全身が悲鳴をあげていた。吐き気を催していた。

 一人何食わぬ顔でリオトが振り返る。


「俺はそれほどでもないな」

「この鉄人が。どんな鍛え方してんだ、あんた」

「最近はシノギも俺に付き合ってるじゃないか。ああいう鍛錬だぞ」

「あーはいはい」


 なにもかも諦めたように、シノギは聞く耳もたずに流す。

 ちなみにシノギもリオトの鍛錬に付き合ってはいるが、彼の三倍以上の休憩時間をとって、彼の三分の一程度の量しかノルマをこなせていない。というか、あんな鍛錬毎日こなすとか無理。内容の説明は勘弁してほしい。三倍で三分の一でも限度とだけ補足しておく。


 強さは極まり、もはや完成した戦士たる勇者であるのに、まだなお己を鍛え続けるリオトは、果たしてどこを目指しているのだろうか。

 そういう強さには拘らないベルとしてはどうでもいい。あっさりと話題を無視。


「しかし、いやはや竜に乗るのはわしもはじめてじゃが、随分と快適じゃのぅ」

「竜が結界を張ってくれてるからな。それに訓練された騎竜なら姿勢も正しく、揺れもしない。この竜は上等だな」

「なるほどのぅ……ふむ。おいシノギ、この竜買い取ってくれぃ」

「無茶言うな!」


 これほどの竜だ、お家一軒では足りないレベルで高額なのは見て取れる。

 貸し出し料ですら眩暈がする料金であろう。シノギには一生手がだせそうにない。

 金銭面においてシノギ頼りであるベルとしては、金が関係してくると途端に口出しが難しくなる。仕方ない。次善策として、ベルはあっけらかんと妙案を告げる。


「では、このまま竜奪って逃げようぞ」

「だめ絶対」


 即答というより、もはや言い終わる前に食い気味での否定である。リオトがそんな悪行、許すはずもない。


「むぅ……欲しいのじゃがなぁ、これ。というかこれくらいの戦利品がなくば、骨折り損のくたびれ儲けじゃろ」

「善行っていうのはそういうものだ」


 重々しく、リオトは言う。大分に実感の篭った勇者の発言であった。彼は名誉や金銭といった見返りを求めて人助けをしているわけではない。

 一方でシノギは軽く肩を竦める。


「まあ、謝礼くらいはもらえるかもしれねぇけどな」

「む、どうしたのじゃシノギ、いつもならおぬしこそ骨折り損に文句を飛ばすはずじゃろ」


 怪訝そうに言うベルに、シノギは浅く笑う。


「んー、まあ、今回はいいやって」

「何故じゃ」

「そりゃ……なんだ」


 なんとなく気恥ずかしそうに、シノギは頬を掻いて目を逸らす。

 ぽつりと言った。


「久々に鬼ごっこで勝ったからな、今日はそれだけで満足だぜ」




 ――竜と魔刀の鬼ごっこ 了



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