高い塔に夢見た景色 6



 そして、そこからは目まぐるしくも先ほどと変わらぬ破天荒疾走劇。

 出力を過剰強化した魔刀『サエズリ』を響き渡らせ、魔物どもをねじ伏せながら駆け上がる。階段を蹴っ飛ばして上を目指す。


 三馬鹿の破天荒に巻き込まれたジグラトだけが不憫であったかもしれないが、彼としても安全に塔を昇れるのならそれに越したことはない。

 彼はリオトに担がれて、死にたくなるほどの嫌悪声音を堪えて耳を塞ぐ。そして、それしかできない自分の無力を責め立て、荷物の身に甘んじる。


 結局――九十一階層から九十九階層までの魔物に、魔王たるベルの強化を施した『囀』に耐えきれるものは存在しなかった。

 竜もまた、九十階層に出た一匹で打ち止め。二度目の登場もなく、彼ら三馬鹿とひとりは滞りなく上階へと昇り詰めていった。

 そして辿り着く百――百階層。魔塔『黒き千魔の産塔シュブ・ニグラス』の頂上だ。


「到着っと!」


 今までのフロアとほとんど変わらない真っ白の空白。ただ魔術法陣がひとつしかなく、部屋の中央に小さく描かれる。今までさんざん見てきた魔物を生産する魔産みの法陣モンスターゲートとはどこか違う、悪意のない無機質な魔術方陣だった。


「こっ……ここが……ここが、頂上」


 ジグラトの、ずっと夢見た場所で、ずっと求め続けた最果て。

 だというのに、何故だろう。

 感動とか感涙とか、そういうのどこにもなくて、涙の一滴も流れやしない。


 あるのは現実味のない浮遊感。それこそ夢でも見ているような浮足立った感覚。棚から牡丹餅にもほどがある唐突感と激動に、感情がついていかないのだ。

 ベタに自分の頬をつねってみるが、一応痛みは感じた。夢じゃないらしい。


 一方、三馬鹿はそうした浮遊感も感動もなく、別段に平常のまま――いや、どちらかと言えば怪訝そう。


「っても。やっぱ違和感あんな、おい」

「そうじゃな、どうにも、噂程の脅威は感じんぞ」


 最後の十階層、そのはじめに竜が現れ、やはり一筋縄ではいかぬと思った。ここからは厳しいかと兜の緒を締め直したというのに、どうしたことか、特段これまでと変わらぬザマだ。

 拍子抜けというか、もやもやとすっきりしない嫌なものが残る。


 ――本当にこれで全部終わるのか?


「それはあんたらが非常識だからだろ」


 ごく一般的にして真っ当なツッコミである――ジグラトにとっては本当に地獄で、孤独で、悪夢であった。

 三馬鹿の助太刀であっという間に頂上にまで昇り詰めたが、本来なら彼一人にはここまで到達できなかっただろう。

 困難災難な魔塔には違いあるまい。

 とはいえ――


「これで、終わる。ぜんぶ……ぜんぶ、報われる……っ」

「そう簡単にはいかない」


 安堵に崩れ落ちそうになるジグラトに、リオトはやけに硬質な声で否定を置く。

 先ほど言っていた、話さねばならないことがあると。


「ジグラト・コラプス、まずはあの魔術法陣に触れてみてくれ」

「あっ、ああ。そのつもりだ。あれが塔を自壊させる法陣なんだろ?」

「…………」


 リオトは答えず、ただ瞑目して促した。

 その反応に酷く嫌な予感が去来したが、必死で勘違いだと打ち消した。


 まさか、そんなまさか。ありえない。


 ジグラトは重い足を引きずり、一歩一歩踏み締めてフロアの中央へと向かう。

 死に物狂いでここまで来た。何度も死を垣間見て、無数の傷を負い、数多の魔物と戦った。全て捨てて逃げ出そうと思わない日はなかった。

 それでも全てを堪え、懸命に前に進んだ。上へ昇った。


 心が擦り切れ、魂が罅割れ、肉体が腐りだしても、その歩みだけは止めなかった。諦めることだけはしなかった。

 その結末が、今ここに。ようやくたどり着く。終わりと幸福の最後に。


「これで……ぜんぶ、すくわれる!」


 中央の魔術法陣に到着すると、ジグラトは跪いて脚を折り、縋りつくのように両手を伸ばす。

 一見すると土下座のような――いや、ただしく懇願の土下座で。

 祈るようにその法陣に両手で触れる。術意を読み取りながら魔力を流し込――


「え?」


 咄嗟に、魔力供給を取りやめる。魔術法陣の起動を中断する。

 ジグラトは術師である。治癒を得意とする魔術師だ。

 だから魔術法陣の内容に目を通せば、その意味合いを理解することができる。


 神々が構築し、複雑に組み上げた術式であっても、言わんとすることはわかる。法陣の有する術の効能を看破することはできる。

 幸か不幸か。呪いか祝いか。

 できて、しまった。


「え……? これ……そんな……ばかな……」


 うわ言を呟き硬直するジグラトに、わかっていないシノギとベルが不思議そうにリオトに目を向ける。

 いい加減、説明しろと。

 リオトは頷く。そして簡素に一言、呪うように言った。



「――この塔、『黒き千魔の産塔シュブ・ニグラス』に自壊機能なんてものはない」



「……あぁ、そりゃ」

「そういうことかや、なんともはや」


 ふたりは目を伏せ、言葉を失う。

 だって、なにを言えばいい。

 ここに自壊機能だけを信じて命を捨て、正気を捨てた男が項垂れているのだぞ。


 飽きるほど血を流し、笑えるほど死にかけて、なお不屈に立ち向かった男の――その報いが嘘だと。

 求めた最後の救いが全部ただのデタラメで、これまで全ての努力が無意味でしかなかっただと。


 そんなの。

 そんなのって。


「そんなのって、ないだろ……!」


 誰もが喜ぶ選択だと思っていた。

 人類の総意として、それを行うのは最善なのだと信じていた。

 誰に非難されることもなく、皆が讃えて、幸せになれるのだと、そう――騙されていた。


 まさかそんな、苦労して手に入れた選択肢が、ただ不幸せを押し付け合うだけの馬鹿げたものだなんて考えてもみなかった。

 犠牲はなくならない。不幸はどこかで継続する。

 決して、誰も彼もが幸福に至る結末は、この塔の頂上には用意されていない。


 こんな、こんなふざけた景色を望んだわけじゃない。


「俺はこんな景色を見るために塔に昇ったわけじゃない!」


 涙は枯れ果てた。血は流し尽した。心は既にイカレている。

 ならばジグラトは、もうどうしようもない。なにも吐き出せず、どうにも受けきれず、もはや死せず死んでしまったよう。

 遂に不屈の魂が、折れて砕けて諦めに沈んだ。


 リオトは、それでも言葉をやめない。


「これは塔を攻略したことがある者や数少ない知識人、賢者くらいしか知らないことで……いや伏せていることだ。塔は決して壊れない。この規模の神遺物アーティファクトを破壊する手段なんてものは、人類にはありえないからだ」

「だから自壊機能があるって話だったが……」


 そう誰かが言って、過去の記録があって、人々は信じて、信じて、信じて――駆け上がったのだ。

 リオトは苦虫を噛み潰したように辛そうな顔で、残酷を告げる。


「そう、偽った情報を流している」


 二百年前はそうだった。現代でも、変わらずそうらしい。


「その魔術法陣を読み解けばわかることだが、塔最上階にある機能は自壊ではなく、移動だ」

「移動だと? じゃあなにか、魔塔が消えたっていう話は、ただそこから退いて、別の場所に生えたって、そういうことかよ」

「ああ。その移動の様子が外からは瓦解に見える。塔内に残った移動させた本人以外には、あたかも塔が自壊したように映る。だから、嘘がまかり通る」

「減らず、増えず、ただ渡り歩く。なんともクソ戯けた仕組みじゃ」


 そんなの、人々を騙すためだけのような仕掛けじゃないか。

 希望を騙り、夢を見させ、そして叩き落して絶望させるための神々の悪意が、そこにはあった。

 それに苛立ちつつも、ベルは淡々と事実確認をしていく。


「では塔の数は有限なのじゃな。そして全てが地上に起き上がっていると。地下に眠っているというのもまた嘘じゃな」

「その通りだ」


 いつまで経っても減らない塔の数に理由付けをするために、地下にまだ残っているなどという脚色が混じった。

 脚色といえば、もうひとつ。


「実際、こうして頂上に辿り着いてみればわかるだろうけど、上階の魔物もそこまでの脅威ではない。いや、もちろん竜なんて通常勝ち目はないのだけど、それでも――勇者や魔王、それに英雄といった逸脱の上位者が挑めば攻略は可能だろう」


 噂のように、上位者でも手古摺るような強大な魔物が潜むというわけではない。

 勇者なら、魔王なら、英雄ならば――きっと踏破は可能。難なくとは言わないし、手間暇かかるだろうが、塔の攻略はできるのだ。


 誇大に話が盛り上がって、事実以上に恐れられている。そうでなければ、不要に事実が流出してしまうからだ。


「勇者や他の強者たちは塔に挑まない。なぜなら、彼らはおよそ既に一度、踏破していて真実を知っているから」


 そしてもう二度と塔に挑むことはなくなる。だって無意味でしかないのだから。

 無意味。無意味なのだ。塔に昇る意味が、一切存在しない。

 この世で最も神に近しい者、勇者や魔王でさえも塔への挑戦ははばかるというのは、それが理由だ。


「おい、それじゃあ……」

「あぁ。それは人類にとって絶望だ。なにせ」


 ――魔物は無限に増え続ける。


「決して絶滅せず、いつまで経っても終わらず、塔とともに不滅。魔物という災厄は、永遠に害なし続ける悪夢」

「ふざけた話だ、くそったれ」


 シノギもまた腹を立てて、舌打ちを漏らす。

 それはなんたる悲報か。人間魔人その他あらゆる種族、生きとし生ける全ての生命への訃報に等しい。

 誰もの気力を奪い、心を砕き、絶望に俯いてしまいかねない最悪の事実。

 だから。


「だからこそ、塔は減ると。魔物はいずれ駆逐されると――そう夢見る人々に、こんな過酷な事実知らせらるわけがない。

 俺たちと同じ絶望を、何も知らない誰かに与えたくなどない」


 嘘でも、いずれ終わると希望を語るのだ。

 そう信じることができるから、人は前を向けるのだから。嵐は去る、夜は明ける――そうでなければならない。そう信じさせて欲しい。


 それはきっと二百年前から今に続く塔踏破者たちの抱く共通の思い。もしかしたら、ずっとさらに前から連綿と続く優しい隠し事。


「だからこそ俺にしてみれば、魔物量産の魔産みの法陣モンスターゲートを消せるという話が青天の霹靂だった」


 リオトはそこで少しだけ笑ったようだった。

 塔の自壊がない以上、魔物を絶滅させる方法はそれだけ。


 それだけはある。


 かつてのように、諦めるしかなかった時代とは違う。か細くても、普通に考えればありえなくても、可能性が一筋だけでも現代に出来上がっている。

 それは、希望だ。


「少しずつでもゆっくりとでも、人は進む。塔を昇るように。やがて神々の悪意を乗り越える日が、いつか必ずやって来る。

 人の進歩は止まらない。必ずいつか天頂に昇りつめて、この悪意を討ち破る。だから俺は諦めない。諦めたくない」


 そして。


「諦めてほしくないんだ、あなたにも」

「っ」


 絶望に打ちのめされ、もう立ち上がれない。

 苦難の全てが無駄と成り果て、もう戦えない。

 そうだろう。そうだろう。


 それが当然で、ジグラトはなにも悪くない。

 なのに、リオトは厳しく叱咤する。立てと、立って戦えと叫ぶ。

 英雄とは――かくあるものだから。


「真実は残酷で、苦労の成果は絶望。諦めたくもなる、挫けそうにもなる。当たり前だ。けど、あなたの頑張りは無駄なんかじゃない。いや、無駄にしてはいけないんだ。ここで諦めたら、それこそ全てが無駄になってしまう」


 すぐにじゃないけど、いつか報われるために――希望を捨ててはいけないのだと。

 勇者は過去、己もまたぶちあたった絶望に対して、今こうして希望を語れる。それは救いなのだ。

 そう言って、リオトは強く鮮烈に笑った。


「っ」


 その、彼というあらゆるが詰め込まれた壮絶な笑みに、ジグラトはなにも言えなかった。

 この男は、一体どれだけのものを抱え込み、そして今を笑っているのだろうか。


 わかる。

 彼もジグラトと同じようにこの絶望を突きつけられて、だが乗り越えたのだろう。きっとそれだけじゃない。この笑みを刻めるのは、想像を絶する苦難困難に飲み込まれて、それでもと言える強き魂だけ。


 呆ける英雄に、ひとり静謐冷静にベルは言う。


「それで、どうするのじゃ」

「え」


 否、ジグラトにはそう見えるだけで、彼女も内実では酷くご立腹だ。神の悪意にむかっ腹がたって仕方ない。

 それが証拠に、未だに立ち上がらないジグラトに容赦なくそれを差し向ける。苛立って焦れて、さっさと済ませんと思考の整理を待たず選択肢を迫る。


 シノギとリオトはわかっていながら、ベルの剣呑けんのんな言葉を止めない。彼女の続く言葉は、ふたりも問うべきと思っていたこと。


「どうするのじゃ、と聞いておる、ボナンノピサの英雄ジグラト・コラプス」


 とはいえ鋭くえぐるような問いかけも優しさに欠ける。

 シノギはベルの尖った問いを丸めて棘をとって、けれどもぶっきら棒に代わって続ける。


「あんたにゃ選択肢があんだろうが。この塔を移動させるか、させないかってな」

「それは……」

「俺たちにそれは選べない。村の人間でもない、踏破もあなたが最初。無関係だ」

「であるがゆえ、おぬしが選べ――どうする英雄、その魔術法陣、起動させるか否か」


 この魔塔はどこぞ知らぬ場所に飛ばしてしまうか。

 ここに残して苦行を続けるのか。


 きっと前者はこの村の誰もが喜ぶ選択で、後者は村の誰もが辛い選択だろう。

 間違いなく前者は村の外の誰かが涙する選択で、後者は村の外の誰もが幸いなる選択だろう。


 そんなことは言うまでもなく、考えるまでもない。魔塔の生み出す無限の魔物はいついつだとてボナンノピサを脅かす。消えて欲しいと常に祈り続けているに違いない。

 ならばボナンノピサの英雄ジグラト・コラプスの答えは。


「移動……」


 英雄は立ち上がる。

 その両足で揺らぐことなく。


 ――嘘だ、震えてしまって今にも倒れそうで。


 真っ直ぐに三馬鹿を見つめ返し。


 ――嘘だ、伏し目がちで逃れるように視線が定まらない。


 情けなくも何度も何度も言葉を迷い、女々しくも涙すら流して。


 ――本当に、迷いは振り切れない。いつまでも後悔を引きずって。



「させない」



 告げた――それは血を吐くような決断だった。自らの血を流し続けるという決断だった。

 いや、彼だけではない。

 愛する妻、大事な息子、同じ村に住まう仲間たち――全てに血を流させる決断だ。


 酷く薄情。外のどこか誰かの幸せのために、村の全てを地獄に叩き落す。見知らぬ多くのために少数の隣人を不幸にする。

 だがこれこそが英雄の冷静に思考した末の村のためでもある結論で、理屈だ。

 言葉にしてみて、ジグラトはそう確信した。


「塔に対する知識や備え、経験がこの村にはある。他のどこぞに移動してしまうよりは幾分かマシだろう」

「だが、そのぶんだけこの村の戦いは続くぜ?」


 シノギはわざとらしく問いを立てる。翻意を促すように、本当にその決断でよいのかと悪魔のように囁く。


「それはこの世のどんな村でも多かれ少なかれあることだ。魔物は世界中にあふれているからな。だったら、巨大な機関に援助され、結界が強力なこの村はむしろ幸福だ」


 現状維持は辛いけれど、血を流し続けることになるけれど、でも続くのだ。未来は確かに存在する。

 希望を抱き、地道にでも脅威を削ぎ、誰かに託していける。

 

「村人たちの期待を裏切ることになるぞ。妻や息子、いや、子々孫々にまで苦労を背負わせることになるのじゃぞ」


 ベルもまたシノギに続く。きっと既に自問自答を終えたであろう思考順路を口に出させてハッキリとさせんがため。

 ジグラトは迷いが嘘のようにすらすらと答える。葛藤の苦難を超えて、ひとつ覚悟が決まったようだ。


「これが俺なりの、村に対する奉公だよ。子孫にまで業を継がせるのは心苦しいが、家族と負担を分かち合うのは当然のことだろう? なによりも、きっと、事を知れば村の誰もが同じ決断に至ると、俺は信じている。妻も子も、わかってくれる。

 俺は、勝てなかった。けど、俺たちなら――きっといつか、この魔塔に打ち克てる。全ての魔術法陣を、いつか一掃できる。俺はそう信じてる」


 信じて託すということ。

 それが人の強さで、人のなしうる最善手。


 人の一生は短いから。

 人のひとりは弱いから。


 だから多くの家族や仲間と、長き時をもってでしか神々に抗しえない。

 現在において打倒できないから、力を削ぐことに専念する。できることをできるだけし尽して、そして子らに伝え、育て、託す。

 きっと次の世代で打倒してくれると信じて。それが駄目でも次の次、諦めることなく次代へ託していく。

 脈々と続く、これは時間稼ぎ。いずれ勝利をもぎとるための、果てしなく気の遠い準備期間。


 形なきものは、きっと長く残る。


 受け継がれる意志はなくならない。悪意などに負けたりするものか。

 そんな馬鹿げているほど不断にして、嘘みたいに素敵な結論に共感しつつ――リオトは最後に、締めくくるようにまた問う。


「もう二度とここまで辿り着けないかもしれない。もう二度とこの選択肢は訪れないかもしれない。百階踏破の英雄としての名誉を捨て去ることになる。それでも?」

「ふん、なに、もとから英雄なんてガラじゃなかった。そんな名誉よりも大事なもんがたくさんあるさ。

 たぶん後悔はするけど、絶対するけど、それを噛み締めて生きていく。そもそも、俺がここに辿り着けたのは反則みたいなものだからな」

「そうか。それなら、もうなにも言わない」


 とても喜ばし気に笑うリオトに、シノギはジト目。


「あんたの思惑通りか?」

「いや、俺は彼の決断なら、別にどちらでも尊重したさ。土台、こんな選択に正解などない。あるのは優先したい信念だけさ」

「の割にはあーだこーだとのたまってたじゃねぇの」


 茶々を入れるシノギにも、リオトは断固たる口調。

 大事なものを見落とすことだけは許しがたいのだと。


「塔や魔物への憎悪で決断してほしくなかった。忘れてはいけない誰か、もともとこの魔塔に挑もうという強い意志を呼び起こしたはずの大切ななにか。それらを忘れて、ただ今ある憎悪で魔塔を目の前から消し去りたい。そういう選び方は、絶対に後悔するから」

「要は初志貫徹じゃな。最初にはじめた時の理由、継続のために薄れていったかつて。それを見据えずして最後の決断はなしえぬと」

「そんなところだ」


 リオトの意図は、なんとなく伝わっていた。

 だからジグラトはしっかりと、冷静に、深く深く考えた末に答えを出せた。

 それはとても尊いこと。未来につながる大事なこと。

 ジグラトは、だから、三人に向けて礼を述べる。


「ありがとう。俺は、憎悪に目が曇っていた。きっと、あんたたちがいなければ深く考えずに、疑問も抱かず、ただ目障りだからとこの魔塔を移動させていた」


 それはそれで大きな達成感を得られ、友や家族とともに喜びを分かち合えただろう。

 正解のひとつに違いはなく、待望の未来であっただろう。


「しかしそれは一時の快楽だ。一瞬すっきりして、気分良くして、それだけだ」


 その後に残る壮絶な後悔を考えていない。のちの世を、村の行く末を、なにも考慮しちゃいない。

 深く冷静に考えてみれば、塔を失ったその後は悲惨が待つ。


 塔が消えても村の生活は続いていく。人の人生は死ぬまで終わらない。

 そしてボナンノピサは黒い塔のある村。黒い塔を中心として回っていた村。

 何年も、十何年も、何十年も――ただ魔塔と戦い続け、抗い続け、それだけに腐心した。他事などやっていられる余地もない。


 それは他所からの援助を期待しての専心で、誰かの盾となる報酬を得ていたから成り立つ理屈である。

 食糧は届けられ、衣服も用意され、武具や魔道具や神遺物アーティファクトもまた揃えてもらった。

 外部と区切る結界も、魔塔を隔離する結界も、魔塔を抱えるがために最高峰のものを数年に一度ごとに調整してもらえている。


 そんな、言ってしまえば援助に依存してどうにか遣り繰りしているボナンノピサ。

 もしも援助を打ち切られてしまえば、途端立ち行かなくなる。村はお仕舞いだ。


 村人だけなら生き残るかもしれない。彼らの多くは戦士で、どこに行っても生きていけるだろう。

 だが戦士ならざる者たちはどうなる。子らは、どうすればいい。


 なにより村が、生まれ故郷が、きっと衰退して誰も残らない。

 魔塔のあった曰く付きの土地だ、移り住むメリットもなく立ち寄る者すらおるまい。

 それはたとえ魔塔が消えた風景であっても、彼の望んだものとは違うだろう。


 村の英雄が求めた最初の願いは魔塔の破壊などではなく――大事なひとが笑っていられることだから。


 うん、とリオトは頷く。委細全て請け負うように、笑う。


「安心していい、あなたの決断を、少なくとも俺は支持する。胸を張って家族に会いにいくといい。

 後顧の憂いはいらない。もしも後悔する時は、呼んでくれ」

「え?」

「は?」


 と、その発言にはシノギもびっくり。

 気にせず、気に留めず、リオトは力強く請け負う。


「もしも困窮して、どうしようもなくなったら、郵便屋さんに頼むといい。予約しておくといい。

 なあシノギ、いずれこの村が魔塔に敗れてしまいそうになった時、希望をこの塔の頂上まで届けてやってくれないか」

「えぇ……」


 言うと、リオトは深く深く頭を下げる。

 他人ごとなのに。無関係なのに。その真摯さは一切の歪みなく。

 そして短く、万感を注いで、一言を告げる。


「頼む」

「俺も……頼む」

「……」


 慌ててジグラトもまた真っ直ぐに低頭。

 目つき悪くチンピラな、明らかに年下でクソガキなシノギにも侮ることなく、どこまでも対等な依頼。


 リオトは言うまでもなく、こいつもまた相当頑固一徹。梃子でも動かぬ姿勢は、覚悟は、目に見えるものでもないのに鮮明に理解できるのだから始末が悪い。

 結局、シノギに否の文字を返せるはずもなくお手上げ。それでも素直にだけはならず悪ぶることは忘れない。


「報酬」

「え」

「報酬は? それ如何によっちゃあ依頼もなんもねぇぜ。やっぱ塔百階は面倒だしな」


 その一言で、ジグラトは顔を上げる。苦笑だった。どうにも、シノギの天邪鬼はわかりやすい。

 すぐに指に装着してある装飾具――やたら力強い波動を感じさせる神遺物アーティファクトを外し、床に置く。


 それはただの指輪のように見えた。特に派手派手しいこともなく、単なるくすんだ金の環。だのに感ずる力は甚大で、小さな金属が怪物のような力強さを持つ。


「こいつをこの魔塔最上階に置く。いつか再びここまで辿り着いた時にでも受け取ってくれ」

「……おい、そりゃ、『六道環サンサーラ・カスタ』か!」


 思った以上の代価の提示に驚く。

 ベルは興味深そうに袖を引っ張る。強い力を有するのはわかるが、その神遺物アーティファクトに見覚えはない。


「なんじゃそれ」

神遺物しんいぶつの中でも有名なシリーズで、だいぶ高価」


六道環サンサーラ・カスタ』と呼ばれる有名にして高価強力な神遺物アーティファクトシリーズ。

 全てが指輪の形をとり、六種類が存在する。その特徴として六の指輪は強力なる異能を備えるが、代わりに相応の代償があるという。

 効力の規模や位階でいえば下位神遺物アーティファクトと分類されるが、稀少の度合いで言えば下手な高位神遺物アーティファクトよりもお目にかかれないようなものなのだが。


「どこでそんなもん」

「『飛送処ヒソウショ』から借り受けている。塔に挑むに際してな」

「ああ、援助の一環か……ちなみに六種のうちのどれだ」

「『餓鬼の道環サンサラ・ソーマ』だ」


餓鬼の道環サンサラ・ソーマ』の能力は外在魔力マナの吸収による食事の不要化。ただし代償として空腹は残り、常に激しい飢餓感を覚える。

 つまり、飢えの苦しみを度外視するに限り、食糧を持たずに長時間の行動が可能となる。


 この魔塔に挑むに適切な装備と言えた。実際、ジグラトは十か月間、一切の食事を省いている。それはこの『餓鬼の道環サンサラ・ソーマ』のお陰だ。

 そう説明されれば得心。


「って、それ借り物じゃん。報酬にならんだろ」

「そうでもない。魔塔に挑むという過酷な道程だ、落とし物なんかあり触れているだろう?」

「……ふん、そりゃそうかもな。次来た誰かが落とし物を拾っても、不思議じゃあねぇな」


 若干の腹黒さを共感しつつ、報酬の提示はなされた。

 すると、シノギとしては観念する他ない。いい加減、吐き出す悪態も尽きたのだった。


「仕方ねえなァ。たく、おれァ形ないものはできるだけ請け負わないんだぜ。特別だからな、そこんとこ弁えとけよ」

「恩に着る! ありがとう!」

「俺からも、ありがとうシノギ」


 だから素直に礼を言うな、二人して。

 シノギはとても偏屈にそんなことを思うが、流石に言葉にはしなかった。


 というかあんた、さっきまで死人みたいなツラしてたじゃん。虚ろな瞳で絶望してたじゃん。なんでそんなに軽やかに立ち直ってるんだよ、眩しいわ。


 きっと、前提からひっくり返されて全部吹っ飛んだのだろう。

 凝り固まってもはや離別できぬと思った執念も、怨念も、狂念も。

 全部、消えて――残ったものがきっと、彼の素顔に近いのだろう。塔に昇ろうと決意した、在りし日の彼の初志なのだろう。


 そんな眩い姿、あんまりに見ていられない。シノギは善意とか、真っ直ぐな思いとか、そういうのが苦手だった。特に自分に向けられたりしたら余計に。

 押しのけるように、吐き捨てるように、シノギはやれやれとばかりさっさと促す。


「請け負った請け負った。だから……もうあんたも我慢すんな、会いにいけよ、大事なひとに」

「っ、あぁ! 本当に、あんたたちには礼を言っても言い足りない! この恩は一生わすれない!」


 それだけ言い残して、ジグラトは堪えきれないとばかりに一目散に駆けていく。

 フロアの壁の、唯一の出口。脱出用の小窓はこの百階層にも当然存在し、誰もの逃避を歓迎する。

 すぐに飛び出て、その背は見えなくなる。


 ――ボナンノピサの英雄は、かくして魔塔を退去させること叶わず、正しく敗北して逃げ出した。

 ――だがそれは、なんと希望に満ちた敗走だったのだろうか。




「……忘れちまえってんだ、そんなもん」


 やれやれと、シノギは吐き捨てて、ちらと地面を見つめる。

 指輪はそこに落ちていて、簡単に拾って懐にくすねることはできるだろう。

 とはいえ、そんなコソ泥のような真似はすまい。意地汚いのはよろしくないと躾けられていた。


 すぐに視線を切って、なにか言いたげなリオトへと向ける。言いたいことがあるなら言えと。


「シノギ、すまないな、今回は我が儘を言った」

「……ま、おれたちゃどうも我が儘放題の三人組だしな。ひとりだけつるし上げるわけにもいかねぇよ」

「そうじゃそうじゃ、気にするでない。次の我が儘にはおぬしも付き合ってもらうでの」

「あー、なんか未来が見えるみてェだ。また何度でもこうして誰かの我が儘で三人総出にならなきゃいけねぇ未来がよ」


 想像するに愉快な未来だ。リオトは、思わず笑ってしまう。


「それはいいな、それはきっと楽しい。その時は俺も全力で付き合うさ」

「おうよ」

「うむ」


 それがいかなる難題で、困難で、地獄であっても、彼ら三人ならば乗り越えられると信じるがゆえ。

 三人誰もが我が儘で、その我が儘を三人揃ってやり通して、やりたいようにやってのける。

 それでこそ、彼らは三馬鹿。奇縁の絆。


「んじゃ、おれらも飛び降り自殺すっか」

「自殺はしないぞ。ティベルシア、頼む」

「相分かった」


 術の準備にとりかかるベルの横で、シノギはやや意外そうに眼を広げる。


「って、なんだよ、リオト。あんたは浮遊の術は使えねぇのかい」

「使えないさ。言っただろう、俺の魔術は小細工を弄してなんとか形をなぞっているだけの不出来。そう多くの種類の術は使えない」

「『一呼吸の魔術ワンブレスマジック』だったけ。扱いが難しいってベルが言ってたな」

「相当な。ちなみにリオトよ、おぬし、実際どの程度の魔術を行使可能なのじゃ?」

「鍛錬中で、増やしていく予定ではあるが現在のところ――六、だな」

「へぇ、おれの魔刀と同じ数じゃん」

「わしの課せられた阿呆どもの呪詛とも同じ数じゃ」

「…………」


 なんとも言えずに、三人は一瞬だけ沈黙する。

 だがすぐに笑い飛ばす。もはやこの程度のシンクロニシティで驚くこともない。臆することもない。


「ふん、奇遇の奇妙の奇縁だぁな」

「べつに、これが俺たちの縁結びの原因ではないだろうけど」

「なんとも。そこかしこ、わしらは結びついておるのじゃな」


 袖振り合うも他生の縁。

 ならば『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』に選ばれるほどの縁というのは、一体どれほどのものか。彼らを結ぶ目に見えぬ強固にして執拗な呪いは、全体どれだけ恐ろしいのか。


 魔塔が人の手により落ちぬように、同じ神々の遺した奇縁の呪いも、きっと朽ちやしない。

 べつに、そんなこと三人誰も気にしてはいなかったけれど。

 なぜなら彼ら三人は知っている。誰も違えず信じている。



 ――呪いがあったゆえに奇縁で繋がれたのではなく。

 ――奇縁があったゆえに呪いに目をつけられたのだと。



 時を超え、世を超え、神を超え、三人、奇縁は揺るがない。

 呪いなんかがなくとも縁は結ばれているのだと――神の呪詛なぞいつか必ず駆逐して、それを証明してみせる。


 それがいまの彼らの抱く共通の思い。

 魔塔に打ち勝つと言ってのけた英雄と同じで、きっと彼らは諦めることはない。

 神を打倒すると、そう言ってのける馬鹿どもである。




 ――高い塔に夢見た景色 了







「ではシノギよ、明日の夕食はおぬしの好物にしような。それをいただくでの」

「ひでェ! 奪うこと前提に用意させんな!」

「はじめから賭けなんかするからだぞ」

「「今度はあんたおぬしも参加してもらうからな」」

「嫌だよ!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る