高い塔に夢見た景色 5
「んで――だ。よぉ、そこの人、大丈夫か? 生きてるかい?」
竜を倒し、疑問も解消して、ようやくシノギはそこで身もだえ転がる男に目を向ける。
男は答えず、答えられず、やはり悶絶している。死にかけている。目を飛び出すほどに見開いて、顔中から様々なものを垂れ流し、苦しみ続けている。
――人に不快、魔物に苦痛、命あるものへの怨讐邪念。不協和音を囀る人魔問わずに嫌悪される『騒征魔刀・囀』は今なお絶賛、絶叫中である。
「ティベルシア、早く納めて!」
「いや、わし鞘はもっておらんし」
「シノギー!」
ひとりパニックに陥るリオトに急かされ、シノギはとりあえずベルから魔刀を返却してもらう。そして専用の鞘に納め――その魔威を閉ざす。
途端、悪鬼のような形相が風に吹かれたように消え落ち着き、男はそのまま気絶した。意識を失うことすら許さない魔刀の責め苦はおぞましい。
眠ることのできる幸せにか、男の表情は酷く安らいで見えた。
「ん、とりあえず、階段まで運ぶか」
◇
「ん……ぅ……ぁ?」
「おう、起きたかよ」
ジグラト・コラプスが目覚めると、そこには悪魔の如き凶眼を持つ男が待っていた。
咄嗟に警戒心が跳ねあがり、意識せずとも構えてしまう。武器を探すが、ない。
いつも佩いていた剣が腰元から消えて、懐に用意しておいた幾つかの予備。全て失いすっからかん。どうしたことか、頼みもしないのに身軽に軽装となっていた。
「わりぃな、寝心地最悪だろ。てーか、あんた寝る時どうしてたんだよ、階段の上で寝るって難易度高ェよ」
「わしなら絶対無理じゃな!」
警戒されていることを理解していながら、目つきの悪い男は動じた風もなくおどけてみせる。そしてその背中には、幼女がひっついている。
こいつらは、一体……子守?
思案をはじめるより先に、ひょこりと悪目付きの男の横からさらに別な人物が声を出す。
「睡眠には邪魔かと思って荷物はこっちにまとめておいたけど、余計なお世話だったかな」
「っ」
もうひとり――神父の青年が指す方向に飛びついた。
武器の重さを感じられないと不安で仕方ない。装備が定位置に配備されていないと噛み合いが悪い。極寒の地で素っ裸でいて心安らかになる者はいまい。
丁寧に並べられた数々の装備を速やかに身に着けていく。
しながら、目線はじっとりと油断なく苦笑する男たちを見る。
三人は沈黙してただ待っていた。こちらの敵意など意に介していない。静かにこちらが落ち着くのを待っているのだ。
「……」
それに気が付ければ、ジグラトに落ち着きが戻ってくる。気を失うより前のことを思い出していく。
相手は人間で、敵ではない。不要な警戒はいらない。むしろつい先ほど助けてくれた。
それにそもそも――竜を打倒したほどの手練れに、自分などが敵うはずもない。
ジグラトは肩の力を僅かにほぐし、けれどやはり警戒だけはやめられず、問う。
「ここは? お前たちは誰だ?」
「場所は階段間の安全地帯じゃ」
「警戒はこちらでしていますので、お気になさらず」
「んで、おれは郵便屋だ」
「ゆう、びん、や……?」
こんな場所においては奇特過ぎる自己紹介に、ジグラトは首を捻る。
というか、彼らはどうしてこの塔九十階層などにいるのか。踏破挑戦者だろうか。
だがジグラトの疑問などお構いなしに推し進める。郵便屋を名乗る男は行儀悪くもびしっと指を指す。
「おう、あんたはジグラト・コラプスであってるな?」
「あっ、ああ。そうだ、俺の名はジグラト・コラプス。なぜ名を知っている?」
「依頼人から聞いてる。要はあれだ、お手紙お届けしましたよってな――あんたの息子、エウニル・コラプスからの手紙だ」
「なっ……エウニル!?」
その名前ひとつで、ジグラトの胸の奥にある宝箱が音をたてて開いた気がした。
差し出される手紙を震える手で受け取り、その封筒を恐る恐る見遣る。
手紙にある署名は確かに――
「エウニル・コラプス……ぁぁ、息子よ……」
その見覚えのある字に奇妙なまでに記憶が刺激され、噴き出てくる感情の嵐がジグラトの心を駆け巡る。
久しいほどに途方もなく制御もできないあらゆる思いに、頭はぐちゃぐちゃ。追いつかず、わけもわからず、ただこみ上げてくるものを感じて心を震わせる。
悲しいのではない、苦しいのではない。なのに、ジグラトは一筋涙を流していた。
「すまねぇ、まさか、あんたたちこれを届けるためにこの塔に……?」
「そういう仕事だ、礼はいらんさ」
代わりに、すっとシノギは手を伸ばす。子供がねだるようにちょいちょいと指先を揺らす。
「封を開ける前に金寄越せ金、ガキが払えんで着払いにしやがったぞ」
「え……あ、あいつ……。いやすまないが、持ち合わせはない。こんなところに金銭を持ち込んでも荷物になるだけだからな」
「んじゃ金目のもんでいい。魔道具とかあんだろ? 換金する」
「魔道具……ああ、ではこれを」
つい先ほどつけなおした装備、その中からひとつ――腕輪を取り外す。差し出す。
シノギは一応、警戒し、受け取る前に問う。
「それは?」
「不眠の魔道具だ。一度魔力を流すだけで数時間、断続的に小さな苦痛と活力を与える。眠気を飛ばす」
「ふぅん? まあ、いいか」
どうせ自分で使うわけでもなし。魔道具であるだけ価値はある。金になる。報酬としては悪くない。
シノギは腕輪を受け取り、これにして本日のお仕事は完了。
「よし、あんた、読んでいいぜ」
「……いや、よそう」
「あん?」
「ここで読んだら、たぶん、俺はもう塔に昇れない。逃げ出しちまう。だから、こいつはお守りとしてとっておく」
「まあ、あんた宛ての手紙だ、好きにすればいいけどよ」
息子の名を聞いただけで堪えきれないほどに感情が巡り、名を呟いただけでこみ上げてきたものを我慢できない。
もしも手紙を開いて読んでしまえば――今まで積み上げてきた緊張感と無感の境地がいとも容易く崩れ去ると、ジグラトは悟っていた。
すなわちそれは戦士としての死だ。もはや戦うことなどできなくなるだろう。
そして、きっとそれ以降に何度挑戦しても、もう二度と九十階層なんて高層には昇ることはできない。
全てが無意味と瓦解する。
それは恐怖だった。
これまでの孤独も、苦痛も、不安も、絶望も――全部全部、無駄にしてしまう。
そんなのは嫌だ。
今までの全てを無に帰すなど、許せるはずがない。
「じゃ、あれかい。昇るのか、あと九階層」
「……あぁ、昇る。そして必ず頂上へ」
もはやどこにも行けず、どこにも辿り着けず、ただ地獄へと舗装された一本道。脇道も逃げ道もなにもかもをその手で捨て去り、自ら追い詰められて背水の陣となす。
彼には塔踏破以外が思いつかず、成し遂げないのは死と同じ。
そうでなければ、この魔塔にしがみつくことなどできなかった。そうでなければ、この魔塔で生き残ることなどできなかった。
シノギは、そんな強迫観念に染まった目付きを見つめて、へらりと笑う。笑い飛ばす。
「しゃーねぇなァ、おれたちも付き合うかねぇ。流石に届けた手紙も読まずに死なれた日にゃ、寝覚めが悪いってもんじゃねぇし」
「な……え?」
「そうじゃな、乗り掛かった船。ここまで来たなら降りるのも億劫じゃしな」
「ばかな……なんのために、あんたたちはもう無関係じゃないか……無駄死にするつもりか!」
本気で驚倒するジグラトに、シノギは苦笑する。
地上の妻と同じく、彼もまたいいひとだ。こんなところで、こんな状況で、真剣にシノギたちの心配までする。
魔塔九十階層まで昇るという悲惨な体験を経て、十か月の地獄の責め苦を受けて――なお、その本質に
それが、シノギには眩しくて、照れ隠しのように繰り返す。あっさりと返す。
「寝覚めが悪ィって言ったろ。死ぬ気もねぇしな」
「……あんたは」
「あんたのガキにも妻にも言ったけどな、おれは郵便屋なんだよ。郵便屋さんは届けるお仕事、あんたの身柄、塔の上までお届けするぜ」
「…………」
ジグラトは絶句してしまう。返す言葉の無意味を悟ってしまう。
その断言には一切の揺らぎがなく、その悪瞳には一歩も譲る気がない。
他者の意見など聞いていない。聞く気がない。ただ自分の決めたことを気持ちよく成し遂げるのだと、これはそういう断言だ。
まるきり身勝手な態度のようで、けれどそれは誰にでもわかる不器用で素直じゃない照れ隠し。
――あぁ、そういえばそうだった。
ジグラトは思う。思い出す。苦笑してしまう。
しばらく出くわしていなかったけれど、そういえば他人というのは、自分ほどに自由にできるものではないのだった。
「わかった、頼む、郵便屋」
了承の言葉を受けて――ふとそこで、今まで黙りこくっていたリオトが口を開く。シノギの感情を痛いほどに感じて、だからこそ、ここで打ち切るようにして告げる。
「……俺は、反対だな」
「へえ?」
誠実と善意の塊――いつもなら誰より先に、なにより強く協力を申し出ているはずの勇者が、嫌に消極的な物言いだった。
今まで郵便業の話だから口出しを控えていたのかと思えば、そうでもないらしい。別に考えがあるようだ。
それがなんなのか。リオトは続ける。意見ののちに、添えるのは理由。
「これ以上は危険だ。逃げるのは悪いことじゃない。あなたは息子さんにも早く会いに行くべきだ……」
「……」
しかし、後から続くのは言い訳のような、どうにも説得力のない曖昧な理由だった。
常のような理路整然の割に感情的で、思いやりに偏り過ぎても理屈も忘れない勇者の理念とは、どうにも乖離した物言い。
そんなか弱い引き留め方に、シノギは雑に頭を掻く。そしてその悪瞳を鋭く真っ直ぐリオトに突き刺す。
「リオト、嘘は通じない」
「っ」
ベルもまた同意する。
腹の中の縁が結ぶ。魂を繋ぐ見えない赤い糸。それを忘れたとは言わせない。
「うむ、話したくないならそう申せ。ただ、嘘をつくのはやめよ」
嘘を吐くのは悲しいから。
嘘とわかっても、それをさせたことが心苦しい。それ以前、嘘を吐くことへの罪悪感が伝わってきて辛いじゃないか。
彼ら三人内での虚言は、誰も喜ばないで苦痛ばかりを共有するだけである。
「……すまない」
リオトは、ひとりでウジウジとしていたことを深く反省する。
今まで自分が鬱々としていた感情もまた、彼と彼女に伝わり気分を害していた。そのことに、今更になって気が付いたのだ。
持ち直すように、リオトはなんとか笑顔を形作る。ヘタクソかもしれないけれど、それは確かに笑顔だ。
「わかった、昇ろう。けれどひとつ、頂上にまで辿り着いた時、話さなければならないことがある」
「今じゃ駄目なのかよ」
「ふたりはともかく、俺の言うことなど彼が信じないだろうから。実際に辿り着けば、否応ない」
その真っ直ぐな視線は、村の英雄ジグラト・コラプスだけを見つめていた。
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