高い塔に夢見た景色 2



 内部に踏み込むと、そこは白亜に染め上げられた遮蔽物なき部屋。

 聞いた話では全て百階層、こことまったく同じ作りの空白のようになにもないホールだと言う。

 完全な円形で、昇降用の階段が南北にひとつずつ設置してある。それだけ。

 広々として、冷え冷えとして、冴え冴えとした空間は踏み込むのを躊躇うほどに冷徹だった。


 リオトがその純白に感嘆してから、解説をはじめる。魔塔に挑むにあたって、先達からの忠言だ。


「本来なら、この真っ白なカンバスに魔術法陣が無数に敷き詰められている」

魔産みの法陣モンスターゲートって奴かい」

「ああ。塔の魔産みの法陣モンスターゲートには三種類ある。反応型と定刻型と突発型だ」

「ほうほう。詳しく説明頼むぞ」


 あまり興味なさそうに相槌だけ打つシノギに、実に興味津々に先を促すベル。

 どちらが塔に昇ろうとか言いだしたのだったか、ツッコミたい気分になるリオトだったが、今は解説だ。


「反応型はその階層に人が踏み入れた時に発動する迎撃のための魔術法陣。塔の法陣は九割以上がこれだ。

 定刻型は文字通り決められた時間に起動する仕掛けになっている。こちらは一階ごと、ひとつだけ存在する」

「ん? なんで条件付けされてんの。一斉に延々と魔物量産しとけばいいんじゃねぇの」


 そのほうが困るだろ、人類。

 と、酷く悪辣な側に立って言う。世の中最悪ばかりで、神は底意地が悪いという発想から来た意見である。

 だがそれはしないのではなく、できないのだ。


「それをすると魔物どもの同士討ちに共食いがはじまってしまうじゃろ。人がおるならなにを置いてでも人を襲うのが魔物じゃが、おらんでは同胞であっても相争うのじゃよ。定刻型は、ゆえにひとつきりなのじゃろうよ」

「俺もそう考えた」


 説明を受ける側が優秀だと、労なく話が通じて助かる。リオトは自分が説明下手だと思っているため尚更だ。

 一方で本来は説明をしたい側のベルなので、話している内に興が乗ってきた。続けて推測を並べる。


「それに術である性質上、どうしても魔力がいる。おそらく空気中のマナを塔自体が吸収しておるのじゃろうが、それにしても限度はあるでの。延々とは発動し続けてはおれんのじゃろうよ」

「あぁ、なるほど」


 幾らタンクが大きくても、消費している以上いずれは必ず底をつく。

 単純な話だ。

 わかりやすい説明に、シノギはうんうんと頷く。リオトもまた首肯。


「そこら辺を計算にいれて魔物の生産を定刻周期的にしているんだろうな」

「して、三つ目は」

「最後の突発型は他二つと違い、条件設定がなく完全にランダムなタイミングで不意に起動する。数さえ不明で、ひとつとしてない階層もあれば、幾つか描かれている階層もある。本当にランダムなんだ。

 そして塔踏破において最も警戒すべきなのは、これだ」


 苦々しく腹立たし気な姿は、過去にこれに手間取ったのだと言葉ならず語っている。


「階と階を繋ぐ階段には法陣は描かれておらず、昇る際には数少ない安全地帯でな。休憩とか、睡眠とかはここでしかできない。が、稀に魔物が襲ってくる。それはその突発型の魔術法陣のせいだ」

「反応型ならば階段の間は問題なく、定刻ならば時間を予測できる。じゃが、予測不能が残ると」

「塔の魔物は産み落とされると下へとおりるように設定されているらしく、だから定刻型のタイミングはあらかじめ調べておくものだ。それでおよそエンゲージのタイミングは計れる」

「けど、突発型は予測不可能ってか」

「ああ、だから面倒なんだ。常に神経をすり減らす、嫌な仕掛けだよ」


 神は底意地が悪い、のである。

 それはわかりきったこと。信心深いわけでもないシノギとしては腹立つ以外に感想もない。

 それよりも、リオトの言いようが気にかかる。彼のそれは、以前体験したことを未熟者へと伝授する口調である。

 半ば予測はしていたし、気性の上でも想像はつくが、やはり。


「てーか、今更だけどリオトはやっぱ魔塔に挑戦したことがあるんだよな」

「……以前に」

「別に話したくねェならいいけどよ」

「すまない」

「いいって」


 と言っても、リオトは気まずそうにしたまま。隠し事のひとつやふたつで責め立てる関係でもなかろうに。

 無駄な罪悪感を抱くのは彼の面倒なところのひとつだ。

 シノギはため息を吐きだし、じゃあと妙案を実行する。


「リオト、別に教えてくれ」

「なんだ。答えられることならなんでも聞いてくれ」

「今更っちゃ今更な話なんだけどよ。あんたァ、魔力ねぇんだったよな。その割になんで魔術使ってんだい。どういうわけだい」


 彼の説明と実際が噛み合っていない。それについては度々聞いてみようと思って、いつの間にか今に至る。どうも手の内を聞き出そうっていうのは抵抗がある。

 シノギは友達が少ないので、そういう仲での踏み込み具合が判別しきれないのだった。


 けれど、この場面でなら、罪悪感を削ぐ意味で語ってくれるかもしれない。

 だが今度はベルが渋い顔をする。


「む、シノギ、それはあまり無遠慮過ぎんか。そんなに簡単に聞いてよいことでもなかろう」

「いいぞ」

「いいんじゃな! 答えるんじゃな!」

「別に問題ないぞ」

「わし、裏技的な伏せておきたいことなのだとばかり……」

「気遣いは感謝するよ。でもまあ、腹を見せずに信頼もないだろ?」


 リオトは特段に嫌がる素振りもなく苦笑する。

 言ってから、自分は隠し事をしてからこの話題を振ってもらえたのだと思い出し、また落ち込みそうになる。

 シノギはかったるそうに頭を掻く。


「いいから、説明」

「あっ、ああ。でもティベルシアならなんとなく推測できるんじゃないのか」

「……仮説はあるが、確証はなし。できればわしも聞きたいの」


 構わないと本人が言うならば、むしろベルは積極的に耳を立てる。是非訊きたいとは思っていた。


「そうか、じゃあ俺から説明しよう。

 俺が使っているのは「一呼吸の魔術ワンブレス・マジック」という技法だ」

「ワンブレス。一呼吸」

「そう。呼吸だ。

 そもそも魔力というのは呼吸によってマナを体内に吸収して、体内の器官がマナをオドに変えて身に蓄積されていくものだ。俺は丹田たんでんにある蓄積の器官が損壊してしまったが、変換の器官は無事だったから、この技法が可能だった」

「あぁ、溜められないけど変換はできるのか」


 微妙な言葉の違い。だが、その微妙な差異こそが重要な点。

 そもそも魔力変換器官が損なわれていた場合、人は生きていられない。魔力と生命力と血が巡ることで生命はその命を存続していられるもの。

 要するに。


「一呼吸分のマナだけでできる魔術を、変換した直後に魔術に転用する、言ってしまえばそれだけだ」

「ふーん」

「簡単に言うがの、シノギ。これは尋常でなく困難高度な技芸じゃぞ」


 ベルがやれやれと注釈をつける。

 酷くあっさり言ってのける勇者と、よくわからないまま相槌を打つシノギに、どうにも呆れてしまった。


「まず呼吸分のマナを特定の量に固定せねばならんし、変換から蓄積までの短時間かつ絶妙なタイミングで術式に横流しせねばならん。そしてようやく通常の魔術の形式に至るわけじゃが、おそらく集中力が非常に浪費しておるゆえに厄介になるじゃろう」

「……?」

「あー、比喩じゃが、呼吸する酸素量を計ったようにぴたりと決めた数値にし、その酸素が体内で消費され二酸化炭素となって放出する直前の短い時間内で、かつ丁度良いタイミングでなければならん。そして魔術の発動のための集中となるわけじゃ」

「わかった、ような……」


 わからないような。

 シノギはとりあえずすっごく難しい勇者だからできる裏技と納得した。雑だが間違ってはいない。


「ちなみにベルはできんのか?」

「わしか? わしなら……うむ、小一時間ほど時間をもらえば、おそらく」

「明らかに俺より凄い!」


 リオトはこれの修得に一週間はかかったのだが。

 と、やっぱり頭おかしいことを思うリオトである。

 実際のところ普通は一年以上、才能ある術師であっても半年ほどの修練が不可欠な技法であることを明記しておく。


「ふぅん、まあおれにゃ無関係だわな」

「そんなことはないと思うけどな。むしろ、魔力量の少ない君には丁度良いだろうし、なんなら教えるぞ」

「いや、おれが覚えても意味ねェだろ」

「うん?」

「たってよ、マナの変換は別に意識せずにもやってるんだろ? で、おれにゃ溜めこんどける器官があるわけで、即時に使う必要はねェだろ」

「あぁ。いや、意味はあるよ」


 勘違いを解きほぐすようにして、リオトは苦笑する。


「呼吸によるマナの吸収、そして変換っていうのはな、実は随分とロスが多いんだ」

「ロスだ?」

「そう。

 たとえば呼吸によって得るマナを十とするだろ? その内、オドとして蓄積できるのは精々、二か三。訓練した術師でもそこは変わらず、残る分は吐き捨ててしまうんだ」

「へぇ、そうなのか」


 それは人という生物の構造上、仕方のないこと。そういう風にできている、そういう風に調整されている。

 魔人やエルフなどの魔術に適した種であればもう少し吸収効率はいいのだろうが、それでも全部のマナを完全に変換して溜め込むことはできない。


「そこで「一呼吸の魔術ワンブレス・マジック」だ。この技法ならすべてのマナを術につぎ込める。魔力が切れても都度都度で術を行使するに足る魔力を得られる――そういう意味でちゃんと習得する価値はあるぞ」

「……まァ、今度頼ま」

「教授するのはよいが、リオトの精度では無理かもしれんぞ」


 ベルはあまり簡単に言うなと忠告を付け加える。


「見た限り、リオトの魔術はもはやオリジナルと言って差し支えなかろうて。術式が改変改善されすぎておる。術名は同じでも本質は異なっておる。手料理を店の包装紙で包んだようなものじゃ、しかも特上に旨いときておる」

「そこまでのものじゃないよ」

「謙遜が過ぎるな、それを修得するにも相当の鍛錬を積んだのじゃろうて」

「それでも、まだまださ」


 幾ら言っても撤回はしない。彼もまた意固地。

 半眼のベルの視線に耐えかね、リオトは微苦笑を浮かべて歩を進める。


「っと、そろそろ階段を昇ろうか。次の階からは、魔術法陣が残っているんだろ、気を引き締めていこう」




 階段を登った先に辿り着いた二階。

 そこはやはり一階と同じく空白のようになにもないホールだった。


 だが特筆すべき差異――壁面と床面一杯に描かれた幾何学的紋様、無数の魔術法陣、魔産みの法陣モンスターゲートがあった。

 不気味にうっすら魔力光を輝かせ、発動待機状態で維持されているのがわかる。おそらく一歩このフロアに足を踏み入れれば、その瞬間にほぼ全ての魔術法陣から魔物が構築される。産出される。

 踏み込まないでも幾つかの魔術法陣は定期的に起動し、魔物という小規模災害を世に解き放つ。なんてはた迷惑か。


 リオトは臨戦態勢となって戦気を高め、抜刀。いつでも戦える――他のふたりに目を向け、踏み込むかと無言で問う。

 ベルは頷き、シノギは緊張感なく耳をほじっていた。


「シノギ?」

「ああ、わかってらァ。あんたら、耳ィ塞いでな」

「え」

「む」


 突然、なにを言う。

 リオトとベルはよく理解できず、不思議そうに首を傾げる。

 言葉で説明するよりも実際にやって見せた――聞かせたほうがわかる。


 シノギはあえて無言で魔刀『クシゲ』に親指で触れ、ぐいと下に押し込む。そして取り出す。新たなる魔刀。親指で引っ掛けたまま鯉口を切り、柄を握りしめて抜刀する。


 ――瞬間、魔刀は発動した。


 だが、リオトもベルも無反応。不可解顔のまま、魔刀が威を示したことに気づいてすらいないようだ。

 それにこそシノギは面食らう。


「お? あんたらびっくりしないのかい」

「? なにがじゃ」

「なんだ?」

「なんか、うるさくねぇか?」


 問いかけの意味はやはりわからず、リオトとベルは困ったように目線を合わせる。互いにわかるかとアイコンタクトをとり、わからないと確認し合う。

 それで合点がいって、シノギは感心するように頷いた。


「……ふぅん、一蓮托生か」

「だから、なんじゃ」

「この魔刀、名を『サエズリ』、『騒征ソウセイ魔刀・サエズリ』ってんだが、その能力は文字通り囀ること」


 よくよくその刀身を見れば、微かに震えているのがわかる。叫び囀ることで高速で振動し、刃は常に揺れ動いている。留まらない。

 言った通りなら、振動して音を奏でているらしい。


 だが不思議、リオトとベルにはなにも聞こえない。

 シノギはそれを連理の奇縁によるものだと告げる。


「人に不快、魔物に苦痛、命あるものへの怨讐邪念。そういう不協和音を、この刀は囀ってる。延々とな。セットの鞘に納めないと鳴き声はやまねぇ」

「ならばどうして俺たちには聞こえない」

「この魔刀の囀りを聞かずに済むのは魔刀の柄を握った担い手だけ。つまりおれだ。そんで、おれってのはつまり――」

「わしらじゃな。三位一体、一蓮托生、連理の奇縁たる呪い。そういうことかや」


 魔刀の性質がシノギのみ囀り声を遮断する。そして、奇縁が担い手という属性をリオトとベルにも感染させているのだ。ゆえに三人誰もが囀りを聞こえず済む。

 そこまではいいが、はて。ベルは首を傾げる。


「で、その魔刀、うるさいだけが特性ではなかろ。その囀り、なんの意味があるんじゃ」

「ま、効果のほどは御覧じろってな」


 言って無遠慮無警戒に踏み込む。二階フロアに足を置く。

 それに反応し、敷き詰められた魔術法陣が鮮烈なまでの光を無数に輝かせる。その機能を発揮する。

 法陣より押し出されるように、魔物が生成される。生産される。創造される。


 獰猛な四足獣のような魔物。

 殺傷しか能のない鋭利に過ぎる爪を備え、けむくじゃらな体毛は厚く並大抵の衝撃を緩和するだろう。ぎらぎらと滾る殺意が瞳に燃えて、命あるものを食い尽くすのだと無言に告げる。


 異様な人型に近しい魔物。

 焦げたような黒い肌、常軌を逸した細身。酷く脆そうな肉体は触れれば折れてしまいそう。けれどそれは圧縮に次ぐ圧縮による細さで、ならばひょろりと伸びた小枝のような腕は人を紙細工のように破る膂力りょりょくを備える。


 形容不能の魔物。

 もはや生物的な比喩は困難な異形である。無理に言葉にすれば、それは無数の口を開いた不定形の泥沼か。常に流動し、常に閉口し、常に異臭を放つ。近づくだけで吐き気を催す理解及ばぬ怪物だ。


 あらゆる種のバケモノが悪夢のように産み落とされ、産声を上げて悪意を練り上げる。

 だが。


「我が六の魔刀が一刀――『騒征ソウセイ魔刀・サエズリ』、その魔威をここに叫べ!」


 全ての魔物はひれ伏した。

 苦痛に喘ぎ、身もだえし、死にそうにもがき狂う。

 近づいてみても無視され、己の四苦八苦を耐え凌ぐに精一杯。魔物の本能たる破壊衝動をも上回って激痛が絶えず苛んでいるということ。


 リオトは傍でのたうち回る一匹の魔物に、酷く無造作に刃を振り下ろしてみる。なんの対応もなく、こちらに一切反応せず、あっさりとその魔物は死滅した。

 感心と驚愕を同居させてほうと唸る。


「これが……魔刀の効力、か?」

「言ったろ、人に不快、魔物に苦痛、命あるものへの怨讐邪念、不協和音を囀るってな。その騒がしく耳障りなる音色は魔を征するんだと」

「聞くだけで悶え苦しみ、行動不能とするか。対魔物としては相当有用な魔刀じゃないか」

「ま。仲間もまとめて苦しめる魔なる刀だがな」


 担い手以外に例外がない。取捨選択ができない。奏でる悲痛なる囀り声は誰もの耳朶に捻じ込まれて脳髄を抉る。

 そのため、『囀』は完全に個人用の武具。

 味方がいては、その味方にまで区別なく襲う。聞けば脳みそを掻きむしりたくなり、耳に刃を押し込んででも逃げたくなるような呪詛害音がだ。


 シノギは基本的にボッチであるがために運用できただけで――奇縁の絆という無二の彼らだからこそ平然としているだけで――実際は欠陥の目立つ奇剣の一種である。


 騒征の字には争乱と征服の意も含む。

 この悪音から逃れうる唯一征服者たる担い手の座を奪い合い争乱となろう。そういう想定が作成段階でなされ、皮肉を込めて名付けたのだという。

 事実、シノギもかつてこの魔刀を行使した際に共闘していた戦士に襲われたことが数度あった。時には憎悪で、時には欲望で、『囀』を奪わんと争乱になったのだ。


 だからこそ、実はシノギは『騒征魔刀・囀』が嫌いであった。できるだけ、可能な限り極力使いたがらないのはそうした経験があったため。

 だがそういう欠点があるほうが面白がる人種というのはいて。


「ほうほう! これは面白い魔刀じゃな」


 ベルは魔刀『囀』の効能に目を輝かせる。爛々と燃えるようなテンションでもってシノギの手をぐいと掴んで顔を近づける。


「どれ、もっとよう見せてくれい。……おー、へぇ、ほー」


 触れるだけで斬れる程度に鋭い刃を目と鼻の先に置いて、ベルは一切怖気ずくこともなくニコニコしている。

 刻まれた術式を読み取り、触れて魔力の流れを感じ、解析をする。それは書物を読解していくようなもの、不明を余さずつまびらかにせんと猛スピードで分厚い書物をめくっていく。


 とはいえ、立ち止まって読書なんて安穏かましていられるような場所でもない。シノギが魔刀を引く。子供から玩具を取り上げるように。


「おい、もういいかい。あんま留まってても仕方ねぇ」

「あっ」


 ベルは物凄く不満そうに悲しそうに顔を歪める。未練がましく必死に手を伸ばしながら駄々をこねる。


「シノギ! その『囀』、わしが持っておってよいかの。もうしばらく観察したい!」

「ん、まあ、誰が持ってても効力は変わんねぇけどよ」

「ならばやはりわしが持つのがよかろう。どうせわし、百階建ての塔なぞ徒歩で昇りきれる自信が全くないでの。負んぶしておくれ」

「え」


 負ぶるっておい。

 当たり前のようにシノギの労力を増やすのはやめろ。

 断固拒否を申し立てようとして、それより先にベルが胸を張る。


「わし、二階に昇る階段だけで力尽きたぞ。これ以上昇るのならわしを置いていくことじゃな。して、すると、わしは魔物に殺されておぬしらも道ずれじゃ」

「自信満々の偉そうに言うなやい。だいたいなんでおれだよ、リオトでもいいじゃねぇか」

「シノギ、俺より上手く立ち回れるのか?」


 魔刀の影響下にあっても、不測の事態は想定すべき。

 白兵戦において、戦闘経験において、ありとあらゆるにおいて、シノギはリオトに及ばない。戦士としての年季が違い過ぎる。


「それを言うのはせこいぞ、勇者」

「俺もあまりティベルシアを負んぶというのはな……できるだけ断りたい」


 実に本音が滲んでいる。

 誰かがやらねばならない。そしてこの場には負ぶられる側のベルと、リオトとシノギだけ。シノギが折れる他にない。


 いつまでもチンタラしていたら魔刀の効力が薄れる恐れもある。縛りつけられても魔物は脅威で、魔なる力は万能ではない。

 意固地なのはお互い様で、三人ともであるが、今日これくらいは譲ってやろう。シノギは当てつけのような大きなため息だけを吐き捨て、膝を負った。


「仕方ねぇなァ……」



    ◇



 そして三人は塔を駆け昇る。

 走って走って、走って走って、階段を蹴り飛ばす勢いで次の階層へ。


 すぐに魔物が出現し、そして這いつくばる。苦痛に喘いで悶え苦しんでいく。魔刀は剥き出し、三人には聞こえない害音は絶えず囀っている。

 そいつらを完璧にスルーしてさっさと昇り階段へと飛びつく。再び階段を駆け上がる。螺旋状に塔の円周を巡る階梯を昇り続ける。上がり続ける。


 また次の階層に辿り着く。産み落とされる魔物どもをやはり放り出して階段だけを見据える。

 延々とこれを繰り返す。飽きるほどに順々に階を刻んでいく。斜面と平面を交互に置き去りにしていく。


「よっしゃ、楽しくなってきた、走るぜ急ぐぜ!」

「……俺たちって、かなり乱暴だよな」

「ふはは、今更じゃな! 破天荒に行こうぞ!」


 一般的な塔挑戦者からすればショートカット極まるド酷い独走の爆走だ。

 障害たる魔物を放置して、ただただ塔を昇るだけの垂直マラソン状態。


 魔物が消えるわけでもないので、魔刀の囀りが聞こえなくなった時点で再び奴らは動き出す。魔物は下層へ外へと目指す性質があるため、遠からず流出することになるのだが、そこらへんは目を瞑る。目を逸らす。

 この塔に挑む時点で魔物の増殖を促してしまうのは覚悟の上だ。仕方ないとは言わないにしても、気にしていては永遠に踏破は叶わない。


 大きな結果のための小さな犠牲――リオトの嫌う考えだ。


 だからと言って目的をはき違えるわけにもいかない。できることをするだけ。身動きできぬほど苦しむ魔物を、リオトは可能な限り処理していた。

 並走しながら、足も緩めず、シノギに違和感を抱かせることもなく。

 隠密にして機敏、瞬殺にして暗殺。リオトの驚嘆すべき凄まじき技芸の一端である。

 そんな所業をおくびもださず、リオトは疾走しながら言葉を投げる。


「この方法、このペースなら頂上も一日あれば辿り着く。先に行ったジグラト・コラプスにもすぐに追いつけるはずだ」

「マジか。でも上階の敵ってなぁやべェんだろ? ある程度上位の魔物なら『囀』も効かねぇぞ」


 竜ほどの高レベルの魔物を相手取った場合、『囀』もほとんど無意味。おそらく怒りを買うだけで阻害には全くならない。

 いつか地竜と交戦した時に、この魔刀を選ばなかったのはそのためだ。

 だが、リオトは構わないと請け負う。以前の交戦で、魔刀『囀』に頼らず打倒できたのだから。


「大丈夫だ、このレベルの塔なら最上階でも出現して竜程度、もしかしたらそれ以下かもしれない。俺たちなら勝てる、以前のように」

「経験者は語るな」

「ふむ、竜か……くく、くふふ、望むところじゃぁ」


 なにやらベルが悪だくみのように笑うが、男ふたりは努めて聞こえぬふりに徹して足を回す。


 しかし――と、シノギはふと疑問が生じた。


 リオトは言った、最上階でも竜程度と。

 その言い草を穿って覗けば、リオトは一度、塔踏破を成し遂げたということなのでは。そうした疑問もあったが、それよりもおかしい。

 おかしい。

 シノギが噂に聞いた話で曰く。


 ――この世で最も神に近いしい者、勇者や魔王でさえも塔への挑戦は憚るという。

 ――上階に至れば、それだけ恐ろしい魔物が産み落とされ続けているのだと噂されている。


 だが、当の勇者は程度と述べた。


 程度。


 これは、なにか齟齬がある気がしてならない。

 噂話などアテにならないということなのか。それにしては、なにか引っかかる。

 魔刀『囀』程度で簡単に昇り詰めることのできることにも違和感がある。ここまで簡単でいいのか。それは低階層だからこそと言えるかもしれないが。

 なにかノド奥で奇妙な引っ掛かりが、いつまでも違和感を主張し続けていた。



    ◇



 昇りに昇って六十四階層。

 そこで限界がやってきた。なんの脈絡もなく終わりが訪れた。

 これまでと同じように、シノギは『囀』にひれ伏す魔物どもを無視して走って。


 ゆえに不意を討たれた。


「ん?」


 五体投地のごとく倒れ伏す狼の魔物が、突如跳ね起きて牙を剥く。苦痛に耐えきり本能に従い人間を殺しにかかる。

 完全に油断して、想定していないシノギには致死の奇襲――とはいえ。


「させないよ」


 常に警戒していた勇者がいて。

 飛び掛かる勢いのまま、魔物は真っ二つ。あっさり切り裂かれて絶命した。

 そこでようやく、ああとシノギは状況に気づいて眉を顰める。足を早める。


「助かった、リオト。しかし、そろそろ『囀』の効きが薄くなってきやがったな」

「なら、ここからは少し慎重に行くか」


 魔物のレベルが上がってきているのはわかっていた。少しずつ魔刀に対抗できるだけの敵が増えてきているのは察していた。

 今回の階層が分水嶺だったようだ。これより上の階層では、どんどん『囀』の下でも襲い来る魔物は現れるだろう。破天荒で無茶苦茶な疾走は自粛し、本来の塔挑戦者のように慎重確実に事を運んだほうがいい。


 だが、魔王だけは意見を違える。笑って見せる。


「いや、わしに任せよ」

「あん」

「この魔刀の構造は把握した。くく、一時的にじゃが干渉して効力を上げてやろうぞ」

「そんなことできんのかい」

「わし、魔術に干渉したり術式捻じ込むの得意じゃし」

「……」


 魔王の得意というのは、果たしてどれほどの熟達なのか。問うまい。

 いや問わずともその発言だけで、明白に信じがたく卓越している証左である。

 魔道具の術式に干渉など、一般的に言えば不可能ごとである。シノギは当然、リオトにだって聞いたことすらない神業だ。


 たとえるならそれは、完成させた絵画に他者が後付で描き足すようなもの。

 そんなことをしても絵画が歪になるだけ、完成度が下がるだけ。上手く溶け込むように付け加えたとしても、それはつまり、元の絵と変化ないような微細な追加であって意味がない。

 万人に元の絵と同じ印象を抱かせるようにして、かつ上等になるよう仕上げるという矛盾を同居させるほどの腕が必須となる。


 魔王としての資質、才気、能力の全てを魔術にのみ特化一本化させて保持するベルにのみ可能なイカサマに等しき荒業だ。

 リオトは絶句を乗り越え、鈍くなりかけた足を加速させる。冷や汗を隠せないままに言う。


「とりあえず次の階段で一旦、休憩を挟もう」

「そうだな、流石に走りっぱなしで息も絶え絶えだぜ」

「がんばれぃ」


 底知れぬ魔王としての片鱗を見せたはずの童女は、気軽に気安く他人ごとのように笑う。

 一体、どちらがティベルシアという魔人の本質なのか。奇縁の繋がるふたりにも未だ掴めぬ不思議であった。




『囀』の絶叫の中、六十四階層にて立ち上がり襲ってきたのは、結局最初の一匹だけだった。

 三人はつつがなく階段にまで辿り着き、しばしの安全を得る。下の魔物は上がってこない。今の時間帯なら上の魔物は産まれていない。突発型の魔物が出現しない限りは。

 急襲もまた魔刀が囀り続けて難しく、リオトの警戒網すら潜り抜けてくる魔物はおるまい。


 ならばベルは不安もなくシノギから降り立てる。数時間ぶりに自分の足で踏みしめ、魔刀を構える。左手で柄を支え、右手の指先で震え続ける刀身をなぞる。


「では、やろうかの」

「ほんとにできんのかァ」


 その疑惑はベルの腕前に対する疑いではなく、事の無茶に懸念した疑問である。

 シノギは一般常識を弁え、適度に信頼して付き合っている。それをあっさり覆されるのもまたあり触れているとはいえ、すぐに鵜呑みにできるほどに常識を軽視してはいない。

 リオトも無言で興味深く眺めてくるものだから、ベルはくすぐったくなる。誰かに真っ直ぐ期待されることが、どうにも慣れない。こそばゆい。


「我が名に懸けて――やってみせようぞ」


 指先に魔力が灯る。淡く輝き仄かに煌めく。

 魔刀に触れると途端、魔力は疾走する。刀身を舐めるように這い、踊るように彩る。

 既存の術式を拡張し改造し、その原型を留めたままに隙間を埋めるが如く更新していく。改訂していく。


 シノギやリオトにはわからない複雑な術式が編みこまれ、原理不明の力が宿る。

 だが理屈を抜きにして理解する。

 これにより魔王が魔力を流し続ける間だけ、この『騒征魔刀・囀』は限界を超えて稼働する。


 ただ強化しただけではそれは出力の暴発に近く、過剰な効力に魔刀自体が崩壊しかねない。ベルはそこも当然のように考慮してあり、放出に物体的な影響を排泄するように式が組み込まれ、暴走もありえないよう制御の手綱は堅牢だ。


 魔力を流して数秒で、魔刀は劇的な転生を遂げたのだった。

 にぱっとベルは満足げに笑う。


「よし、我ながら上出来じゃな!」

「……ふ、ん? なんか変わったのか、それ」

「俺も、魔力が先より多く通った程度しかわからん」


 勇者であるリオトでさえ難しそうに不明を訴えるものだから、シノギは余計にわからなくなる。


「これホントに効果上がったのかよ、おれたちにゃ聞こえねぇしわかんねぇじゃん」

「そこはわしを信じよ。なに、先と同じようになにも考えず我武者羅不用心に走り続けておればよい」

「いや、さっき肝冷やしたんだが。警戒心割り振ろうかと思ったんだが」

「しばらくせんでよいぞ……そうじゃな八十階層くらいまでせんでよかろう。たぶんじゃが」

「心底不安!」

「まっ、まあ、魔王が言うなら大丈夫なのだろう。警戒は俺が続けるしな」


 リオトもフォローはすれども不安そう。というか警戒心を下げる気が一切ない点からして、あんまり信用していないのではなかろうか。

 問わないけれど。探らないけれど。


「しっかし魔王サマよ、八十階層程度で終わりたぁ、存外に情けねぇのな」


 シノギとしては不満というよりただの感想だったのだが、ベルは一瞬不快そうに頬を引き攣らせる。

 情けない、このわしが? ほう……。

 膨らんでいく剣呑な風情に気づかず、シノギは続ける。子供のように思ったことを素直に真っ直ぐ。


「いやだってさ、魔王じゃん。魔術の王様じゃん。なのに完璧にはいかないんだなって……あ、いや、悪い。魔術はよくわからんから、結果だけ見ちまったわ。すげぇんだよな、リオト」

「とんでもなくありえないくらいに凄い」


 率直かつ正確な評価を述べるも、もはや遅い。

 喧嘩を売られたと理解し、ベルは強気に笑う。断じて否と。


「たわけが、これで終わりなどと誰が言うたか、まだまだ改善改良の余地はある。おぬしらが八十階層にまで昇る頃にはさらに強化してやろうぞ」

「へぇ、じゃ競争だなぁ、おい」

「よかろう、おぬしらが魔刀の効力の効かぬ魔物に遭うより先に、魔刀を強化してみせよう。目標はこの塔内で戦わずに頂上まで辿り着くことじゃな。

 なんなら次の食事の一品を賭けてもよいぞ」

「乗った。できたらおれの好物をくれてやるよ。

 じゃ休憩終わり。急ぐぞリオト。ベルも乗れや」

「ふん、わしに勝とうなど千年早いと教えてやるぞ、小童が」


 ベルは躊躇なくシノギに飛び乗り、負ぶられる。

 こういうところで時間稼ぎもせずに、むしろ積極的に急ぐ辺りは魔王の矜持か。


 だからって勝負事になった以上は負けらんねぇ、シノギは全力で駆け出した。

 熱烈に走り出すシノギとそれに乗ったベルに、リオトは物凄く場違い感を覚えつつも、せめてものツッコミだけは忘れない。


「……いや、ベルより先に俺たちが辿り着いたら魔物と戦うことになるって、シノギわかってるのか?」


 たぶんわかってない。



    ◇



「ふーはははー! 走れぃ走れぃ。チンタラしておるとすぐにも魔刀を強化させてしまうぞ」

「うおー! 負けるかボケェ!」

「もはや目的がちがーう!」


 三馬鹿一行はえっちらおっちら走る、走る、走る。

 上層上階へと急いで駆けて、そんなこんなで八十階層。

 そろそろ魔刀の効き目が怪しくなって来た頃合で、ベルの魔術がまた冴える。魔術光が煌めいた。


「そろそろ限度かの? では予告通りにやらせてもらおうかの。

 ――よし、強化完了じゃ!」

「なにィ! くそっ、メッチャお手軽にやりやがって! まだだ! まだ二十階層ある! まだわかんねぇ!」

「だから目的違うって!」


 リオトのツッコミがフロアに響き渡る。

 魔物たちは相変わらず囀る悪声に身動きもとれやしない。ただのオブジェのようなもので、疾走する彼らを止めるものはない。


 本当に、彼らは垂直マラソンに勤しむだけのランナーであった。

 驚くべきは魔刀か、恐ろしきは魔王の術技か。


「しっかしジグラト・コラプス、マジで英雄かよ、ここまで昇ってまだ見当たらねぇ!」

「あ、目的覚えてたんだ!」

「当たり前だ、おれァ郵便屋だぞ」


 三馬鹿が飛び抜けた反則を駆使して駆けのぼっているためわかりづらいが、この魔塔を一階層昇るだけでも難儀する。

 一階層ごとに魔物も強大化していくし、産み出される数も多い。実際に戦闘となれば非常に厄介、避けて潜り抜けるのは輪をかけて困難だ。

 並の戦士なら三十階層にも辿り着けず、一流と言われるパーティでも六十にも届かないとされる。


 それを、たった一人の男が、八十階層にも見当たらない。


「村の英雄か、凄いものだ」


 呟くリオトは、どこか憂いを帯びた表情だった。







「しかし、ふむ……シノギ、なんかおぬし負んぶ上手くないかや」

「……まあ、慣れてるからなァ」



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