高い塔に夢見た景色 1



 ある日ふと突然、村が震えた。

 それは今にして思えば大地の産声うぶごえだったのかもしれない。あるいは断末魔か。

 幼かった私は地震かと恐怖し、思わず机の下で身を縮めていた。だが激震は一度で終わった。尾を引くこともなくピタと止まった。

 不思議に思い外に出てみれば母がいた。母は呆然としてただ一点を見つめて絶句していた。

 それは黒い塔だった。

 この村に生まれて十年、そんなものは見たこともない。昨日までは存在しなかったはずで、ならば今先ほど建設されたのだろうか。

 嘘みたいな話だ。嘘だと思った。

 夢心地のまま、私は母に聞いていた。

「なにがあったの?」

 母は青ざめた死人のような顔つきで、言った。

「大地の底から塔がせり上がってきた」と。

 まるで噴火のように、逆様に駆け上がる滝のように、首をもたげた巨竜のように。

 村の広場に、高く黒い塔が生まれたのだと。

 私は嘘だと思った。嘘ではなかった。


                   ――村端に住まう老人の手記




 広がる一面の草原に踏み均されただけの、道というにはあんまり粗末な土色が伸びている。

 そんな緑をかき分けたような一本道を、奇妙な三人が歩いていた。


 なにが奇妙か。

 とりあえずとりとめない。

 統一感がない。共通項がない。強いて挙げれば全員が黒い異装を纏っていることくらいか。

 あるいはひとりとひとりとひとりとさえ思えたが、それにしては近い。手を伸ばせば届く距離で歩いていれば、それは同行で連れ合いだろう。


 先頭をずんずんと行くのはスーツ姿の青年。

 黒鞘の刀を佩いて、黒いスーツで、髪の毛まで黒。ジャケットの合間から覗くシャツの白さとネクタイの赤がなければ黒ずくめ。

 黒い男の目つきは悪かった。

 いかな悪党、悪鬼悪魔の類でもここまで恐ろしい凶眼ではあるまいと思えるほど、目つきが悪かった。


 そんな悪極まる目つきのチンピラの半歩後ろ。追随するように地を踏みしめるのは神父姿の青年だった。

 黒い青年よりも少し年上か。穏やかで落ち着いた雰囲気を持ち、金糸の髪と金色の瞳が印象的だ。

 カソックで身を包み律しており、帯剣はすれども殺伐とした感は見受けられない。護身用ではないかと推測できる。


 正反対の印象を放つ二人より、さらに一歩後ろ。最後尾を歩くのはドレス纏う童女である。

 その華美なドレスは絵本から飛び出してきたお姫様のようで、容姿もまたそれに劣らず可憐。銀の頭髪は獅子のたてがみ、銀瞳は白金の輝き。黒衣のドレスは白銀を引き立て、童女の透き通るような美しさが際立つ。

 上品でいとけない姫君のようで、だが童女に弱さは見受けられない。むしろ意志の強そうな太い眉と鋭い眼光からたおやかさよりも凛然たる風情を見せている。

 男二人に負けず劣らず気骨稜々きこつりょうりょう、油断ならない童女であった。


 一体どんな組み合わせか。全体どういう繋がりか。

 一見すれども不明で、熟考してもお手上げだ。

 奇妙な三人組は、そんな疑問も無視して通り抜け、道をただただ真っ直ぐ歩いていく。


 彼らの歩む道の先には――先ほどからずっと目につく黒い塔があった。


    ◇


 そこは小さな村だった。

 入村に手続きもいらず、門番もひとり佇むていど。その門番すら村に立ち入る三人に声もかけずに眺めていただけで、仕事しているのかと疑問に思う。

 村に入ってみても人は少ない。そのため活気も弱く、小さな面積なのに密度も低い。中央の通りでさえ通行人はまばらだった。


 その割に、村を囲う塀は嫌に堅固で真新しかった。

 全景を把握できたわけではないが、おそらくあの上等な塀が村を間断なく保護しているだろうことが窺える。

 建物もまた思いのほかしっかりとしている。どこか小奇麗で古びれた風もない。塀も併せて堅牢で安全、人が住むに快適そうだ。

 様々な店も完備され、生活に不足は見えない。落ち着いた雰囲気、穏やかな風情の静かな僻地である。


 そんな村、ボナンノピサ。


 ベルは何食わぬ顔で村の周囲を見回し、一言。


「それで、ここはなんじゃ?」

「高い塔のある村ボナンノピサっていう、まあ簡素で質素な小さな村だぁな」

「ふぅむ、寂れておるというか、元気がないというか。そのくせ、家々や塀はやけに手の込んだ代物と。チグハグじゃのぅ」

「それに、子供ばかりだ」


 リオトもまたきょろきょろと周囲に目を向ける。

 興味深いものはなく目を惹くものもない、どうにも寂しい。そしてリオトの言ったように子供ばかり。大人がほとんど姿を見せない。たまに女性は見かけるが、忙しそうに去っていく。

 店番の者も半数は子供か老人で、若者男性は本当に見えない。働きに出ているのだろうか。狩猟を主にしている、とか。いや近くに狩りのできそうな森や河川もなかった。

 首を捻っていると、あっさりと。


「大人は塔のほうだろーな」

「……」


 シノギの何気ない一言にリオトは少し、ほんの少し険しく顔つきを歪ませた。

 それは憤怒か、悲哀か、絶望か。それらすべてを混ぜ込んだような、複雑な勇者の表情だった。

 そういう感情もまた腹の底の縁が伝えるが、あえて無視してシノギは平静そうに言う。


「依頼人がいるって情報しかもらってねぇ。たぶん塔の誰かだろ。塔のほうに行こうぜ」


 というか村に残る数少ない人々はシノギの悪鬼の眼光にビビッてだいぶ逃げている。遠巻きに恐れている。子供が大半なので仕方ないが。

 あまり練り歩いて怖がらせるのも本意ではなし。

 いつものことなので、シノギは気にせずずんずんと道を行く。リオトとベルも、これにはなにも言えない。だって怖いのはわかるし。

 紛らすように口を開く。


「しかしこんな子供だらけの村で、大人は塔か。それにしては整備されて、貧困はしていなさそうだな」

「周囲の町々、それに『飛送処ヒソウショ』を筆頭に幾つかでけェ機関に支援されてるからな、食うにゃ困らんだろ」

「…………」


 再びリオトが落ち込んで、ベルがそこでため息。

 これは触れる度に気にして憂鬱になる。

 ならばと、逆にベルは踏み込むことにした。


「……やはりあの黒い塔はあれかの」


 その村の中心には聳え立つ黒く不吉な塔があった。

 村に入る前から、距離など関係ないかのように遠目でずっと見えていた黒い塔。

 高く高く、まるで天地を繋ぐ梯子のような高層で、果たしてどんな理屈で倒壊せず傾斜しないのか不可思議なほどだ。


 リオトやベル、過去の住人でさえも見え覚えのある、酷く嫌悪する――それは神遺物アーティファクトである。


「あれだよあれ。二百年前でも四百年前でもバッチリあったんだろ? 災厄神器さいやくじんぎの一種、魔物を生む魔塔『黒き千魔の産塔シュブ・ニグラス』」


 神々がこの世に遺した神遺物アーティファクト、その中でも人類にとって災厄としか言いようのない害悪なるものを総称して『災厄神器』と分類される。

 その災厄神器においておそらく最も有名にして密接に人々を害する神遺物。それこそが『黒き千魔の産塔シュブ・ニグラス』である。


 黒い雲の様に巨大な塔であり、ちょうど百階ある尖塔の形をしている。無数にこの大地に根付いて、内部に踏み入ることができて、ご親切に階段までついているらしい。


 その塔の能力はひとつ――生命の天敵たる魔物を産み落とすこと。


 地上で破壊をもたらし命を殺し続ける悪敵魔物、それら全ての故郷であり生産地――母胎。

 魔物創成の魔術法陣を塔中に敷き詰め描き尽くされた、魔物という果樹を実らせる暗黒の樹木である。

 塔最上階百階を除く九十九階層、その全てから魔物を産み出しては外に放出し、また魔物を産み落とす。それを無限に繰り返し、終わりなく生産を続ける。


 ハタ迷惑極まりなく、魔物という脅威に怯えるこの世界にとって最も忌むべき神遺物アーティファクトと言えよう。無論、神遺物アーティファクトのため、人類に破壊はまず叶わない。歴史上に一度でも外的要因での破壊に成功した例はない。魔塔は永劫に人々を脅かし続ける。

 いや。


 ――外的要因では破壊の成功例はない。


 ならば――内的要因での自壊はありえるのではないか?

 それは嘘か真か。希望か絶望か。

 誰が言い出し、どこで広がったのかもわからない都市伝説のようなもの。信憑性などあったものではなく、なのに人々に浸透しては真実のごとくに囁かれる。ちょうど迷信かジンクスのように。


 ――『黒き千魔の産塔シュブ・ニグラス』の頂上百階には、塔を自壊させることのできる機能があるという。


 事実、塔が不意に消えるという事例が幾らも報告されている。

 昨夜までは恐る恐る見上げていた塔が、今朝には忽然とその場から消えていたと近隣の住民が語ったという。

 塔を攻略しようとした一団が一度撤退して、その後再び挑戦しようとしたら、以前確実に昇ったはずの塔が失せていたという戦士の証言もある。


 外的破壊が不可能とされる神遺物アーティファクトが消えた。

 ならば自壊の方法があるのではないか。塔なのだから天辺にはなにかあるのではないか。そういう憶測から導き出されたのが、百階にある自壊機能という噂話だ。


 そんな風聞を信じて黒い塔を上る者は後を絶たない。

 命を惜しまず挑戦して、ひたすら頂上を目指す者たちがいる。それだけ皆が魔物という存在に恐怖し、おののいている。この世の平和を真っ先に乱す人類の天敵を、憎悪しているのである。


 だが、塔の攻略は難題。

 この世で最も神に近しい者、勇者や魔王でさえも塔への挑戦ははばかるという。

 上階に至れば、それだけ恐ろしい魔物が産み落とされ続けているのだと噂されている。踏破は困難極まる。


 塔の総数は不明。何本も何本も林立し、世界中に点在し、さらに地下に眠っているものすらまだまだ存在すると言われている。地下の塔は条件不明で唐突に地上に現れるという。


 現在、地上で確認されている塔の数は六百十三。

 全てが稼働し魔物を生産し続けている。無限無間に、延々永遠に。

 なんともまったく――


「気の滅入る話だぜ。おれたちゃ神様のオモチャに遊ばれてるみてぇなもんだからな」

「遺物を残すなら未来に及ぼす影響も考慮してほしいものじゃ。これだから神とやらは自分勝手で困る」

「本当に、な」


 やはり顔を俯けて、勇者は切実そうに呟いた。

 なにか嫌な記憶でもあるのだろうか。シノギとベルは微かに居心地悪そうに目を合わせ、どうしたもんかと肩を竦めた。

 こう不機嫌というか憂鬱に雰囲気を染め上げられるとこっちまで気落ちしそうになる。縁でつながっている分、感情がこっちにも流れてきてなんとも胃が痛む。


 ふと、足音。

 振り返れば、シノギの悪魔もビビる目つきの悪さに遠巻きに恐れる子供たち。その中から、ひとりの少年が近寄ってくる。真っ直ぐ、こちらに向かって。

 シノギは不思議そうに片目を広げる。自分の凶眼にビビらず、逆に寄ってくる子供なんていうのは珍しい。


 年頃は十を過ごして少しといった程度か。黒髪は短く、身なりは悪くない。顔立ちはまだ幼いが決意の満ちた表情である。

 恐れながらも勇気をもって立ち向かおうという意思が漲るように感ぜられる。


 三馬鹿の前まで辿り着いた少年に、シノギはこちらからは話しかけず、その言葉を待つ。なにやら必死そうだ。ならば無粋はよそうと沈黙する。

 ふり絞った勇気が目の前の眼光に揺らぎそうになりながらも、少年はからからに乾いた舌を動かす。精一杯の力を言葉に変える。


「あんたが郵便屋の『悪瞳アクドウ』って奴か」

「おう、その通りだ」


 ここまでくると、予測は容易い。

 少年は言った。


「オレが依頼人だ。依頼人のエウニル・コラプス。手紙を届けてくれ!」


 強く放たれた言葉には真摯な思いが満ちて、込められた願いが窺える。

 きっと少年、エウニルにとって酷く重要で、重大なことなのだろう。


 シノギはへぇと面白そうに顎を撫でてから、思い出したようにサングラスを懐から取り出す。怖がらせぬように目を隠してから、軽く頷く。別段に子供が依頼人であったとて、報酬を頂けるのなら関係ない。


「それが依頼なら、いいぜ。だが金は払えんだろうな、ガキんちょ」

「ガキじゃない!」


 反射で噛みつくように言った。サングラスの効果が如実に表れていた。

 一気に態度が砕けたな。シノギはかすかに面倒そうに、それ以上に楽し気に訂正。


「あぁ、悪かったよエウニル。で、届けてほしいもんは?」

「これ、この手紙を届けてよ」


 ずっと握っていたのだろう。差し出された封筒は一部がくしゃくしゃで、指の跡がくっきり残っていた。

 シノギは受け取り、とりあえず宛名を見遣る――ジグラト・コラプス。

 コラプス。同姓。これは。

 脳内で予測を立てながらも口は軽く、考えなしに言葉を並べる。


「で、どこの誰様宛てだ?」

「父さん! あの塔にのぼる、オレの父さんに!」

「……父親かぁ。なんでい、下りてこねぇのかい」

「うん……。ずっと塔に行ったきり。他の人たちは帰ってくるのに、父さんだけ……ずっと、帰ってこない」


 少し寂しそうに、だがそれ以上に誇らしげに、エウニルは言う。


「父さんは、村一番の戦士だから。だから、誰よりもがんばってるんだって、他の人たちはいってた」

「村一番ね。そりゃすげェ」

「うん! 父さんはすごいんだ!」


 太陽のような笑顔だと、シノギは思った。

 なんとなしグラスの下で目を逸らす。他意はない。


「そんな父さんに応援の手紙でも送ろうってのかい」

「そうだよ。父さんはがんばってるから、オレもがんばってるよって、伝えたいんだ。安心して、いつでも帰って来てって」

「……そうかい、わかったよエウニル。あんたの手紙、確かに受け取ったぜ、どんと任せてくれや」


 シノギはニッと笑って、手紙を大事そうに懐に仕舞い込んだ。





「意外、だな」

「あん、なにがだ」


 手紙を受け取り、行先も確定して、シノギはさっさと歩き出す。

 報酬は父親から受け取ってくれとのことだったので、手紙以外でエウニルに用はない。


 塔を目指して村の大通りを行く三人。

 道中、郵便屋の話ということで黙っていたふたりが口を開く。

 まずはリオト。


「子供相手でも、侮ったりせずにちゃんと話を聞いたことだ」

「金がもらえんならガキでも客だ、侮るかよ」

「着払いでもか?」

「別に払い方で態度変えるかよ」

「宛先の相手が、望み薄でもか?」

「……確認するまでわかんねェだろ」

「そうか」


 少しだけ嬉しそうなのはなぜなのか。はにかんでいるのは気のせいか。

 気に障って問いかける前に、ベルがくふふとどこか稚気含んで笑みを漏らす。


「ところで、先ほど小僧が言っておった『悪瞳』というのはおぬしのことかや」


 開けた口をそのまま返答に使う。


「通り名だな。わかりやすい要素がありゃ、あだ名されんだよ。別におれが名乗ってるわけじゃねぇ」

「そうか、やはりそうか……くく、くふふ」

「あん?」


 なんぞ不意に俯くベル。そのまま腹を抱えて、体をくの字に曲げる。火がついたように笑いだす。


「くふ、ふは、ははははははは!

 いや最高じゃろ、それ! 文字通り見た通り、名付けた者はセンスあるぞ! 天才じゃあ天才じゃあ、わしが褒めてやろう!」

「うるせいやい」


 なんかベルがいたく気に入ったらしい。なんとも尊大豪快に笑う。笑う。大笑い。

 笑い方が女子のそれではない、男前というか傲慢というか。魔王の哄笑と言えばしっくりくるのだから、ベルは女子の前に魔王サマなのであろう。


 その発言や大笑いに悪意はなかろう。馬鹿にしているわけでもない。ただ子供のように純然と楽しいから笑っているだけ。

 それでも、笑われるというのは面白くはない。

 若干煙たがるようなシノギを察し、リオトはやや強引にでも話を推し進める。 


「それで、塔に昇るのか」

「あぁ、そりゃ手紙届けるためだ、仕方ねェ。あんたらにも付き合ってもらうぜ、同胞はらからさん」


 特に仕方ないと諦観している風情もなく、シノギはそんなことを言う。不敵に笑みを刻んで、むしろ楽し気で、実に挑発的な発言だった。

 割と一般的には地獄への招待券に等しい同行願いにも悪びれもしない。

 とはいえ、それを受け取る者たちが地獄程度では怯みもしない豪傑で英傑であり、英雄をも超えた勇者と魔王だ、特段に挑発とも捉えない。あっさり当然に構えている。


「まあ、シノギが行くなら同行するさ」

「むろん、わしも付き合うぞ」


 会話がはじまれば混ざりたくなる性分。笑みを飲み込んでベルも追従する。


「くく、しかしおぬしも中々狂っておるのぉ、手紙一通のためにあの魔産みの塔に挑むとは。あの塔に挑むのは真の英雄か馬鹿者と決まっておろうに」

「んじゃおれァ英雄かい」

「それはちょっと……」

「やい、勇者言いたいことがあんなら大きな声で言いな!」


 そこで言いよどむリオトに代わってベルが通訳。訳知り顔の断定的口調で述べる。


「明らかに馬鹿者じゃと言うておるの」

「言ってないだろ!」

「口に出してないだけで態度で言っておるではないかや。真実は残酷じゃぁ」


 態度とか自覚の難しい点を指摘されては即座の反論は難しい。

 リオトは思い切り目を背け、わかりやすく話を変えにかかる。


「くっ。そんなことよりも!」

「あ、話逸らしおったわ」

「そんなことよりも! エウニル・コラプスの言い分だと、彼の父親は塔に昇っているだろう。だが、では他の村の人たちはどうなんだ? 帰ってくると言っていたが」

「塔から魔物がでないように封鎖してるんだろ」


 黒き塔が人里近くに出現してしまった場合、その出入り口を塞いでしまうのがよくある手だ。

 そうでもしないと際限なく流出してしまう。しかし、塞ぎっぱなしでも膨れ上がっていずれ突破される。定期的に魔術を撃ち込むなりで、出入り口付近に集まった魔物を一掃する必要があった。


 そのためと、そして異変がないかと常に注意し観察するために塔の麓に戦える者を配置する。

 この村もそういう事情で大人がいないのだろうと、シノギは言う。

 塔に昇らず麓で防衛線を敷いているだけならば、時たまの帰還は割と簡単だろう。

 そうなると魔塔に挑んだジグラト・コラプスの異質さが際立つわけだが。


「しかし塔に昇らず封鎖だけでは限度があるのではないかや。端的に言ってジリ貧じゃろ、いずれはこの村滅ぶのではないか」

「まあ、だろうな。けど、いちおう、時間稼ぎにも意味はあるんだよ」


 シノギは過去の住人であるふたりには慮外の可能性を追加する。


「実はあんたらの時代にゃなかった技術が現代には開発されたんだ」

「ほう? なんじゃ、それは」


 新たな技術と聞いてベルの目が光る。魔術的な技能全てに興味を示し、知りたがるのは魔王のサガか。

 シノギはあっさりと告げる。


「なんでも魔物量産の魔術法陣、俗にいう「魔産みの法陣モンスターゲート」、それを解体できるんだとよ」

「それは凄い!」

「テンション高ェな、おい」


 やけに食いつきがいい。

 驚きというより、これは純然たる歓喜であった。

 冷静なリオトには珍しく、少し興奮気味にまくし立てる。詰め寄ってくる。


「いや、本当に凄いことじゃないか。俺の時代からしたら夢の技術だぞ!」


 魔物という無限に湧き上がる災厄を根絶する可能性をか細くとはいえ見出せた。それが、一切の希望なき時代からすれば破格で驚嘆。驚天動地で喜ばしい。

 一方でベルはあくまで沈着。月のように目を細め、極めて慎重に問う。


「しかしそんなことが本当にできるのかや」

「知らん。わからん。専門外だ。でも、できるって話だ。人間とエルフと魔人の術師どもが死に物狂いで必死こいて共同開発したらしいぞ」

「四百年も経てばそんな技術まで確立するか、なんともタイムスリップの甲斐はあったの。神々の術式に干渉するとは」


 少なくとも魔王であったベルでさえ、それはできなかったこと。

 それができていたのなら、今の奇縁は……。

 詮無き事か。ベルは空想を切り捨て現実的に。


「それで、その干渉術式の出来はどうなのじゃ。易い業ではなかろう。実用性はいかに?」

「流石に明察だァな。すんげぇ難しくてすんげぇ時間かかってすんげぇ面倒らしいぜ。一個の法陣を解体すんのに専門家十名で半年かかるって話だ」

「それは……使えないだろう。未完成としか言えない」

「だな。今の段階じゃあ実験的に幾つかの塔で試してるだけらしい。ここはそのひとつってこった」


 魔物が生み出される魔術法陣は一階層に無数に描かれている。その内のひとつを消すのに半年では、どれだけ年月がかかるのだろうか。

 その上、魔物量産が続く場所で、法陣を消去する術師たちを守りながらだ。困難は想像を絶する。


 だからこその実験。

 魔物を逃がさぬためのやたら立派な囲い。妙な金のかけ方をした建造物。女子供ばかりで、そのくせ無問題に成り立っている生活。

 話に聞いた通り、塔の監視閉鎖、さらにはその実験を条件に資金援助されているだろうと伺える。

 この村は多くの協賛、スポンサーを得て存続する実験場なのである。


「で、この方での塩梅あんばいは?」

「このボナンノピサの黒い塔では云十年でようやく一階の全ての魔術法陣を拭い去ったらしい」

「一階分……か。それは、一体どれだけの時間と努力と、そして死人を重ねたんだろうな……」

「なぜそこで暗くなる。戦果に喝采せよ、手放しで称賛すればよかろうが」


 前向きなベルに、リオトは苦笑する。


「そう、だな。どうも俺は後ろ向きなのかもな」

「そうだぜ、今もまた、一個一個魔術法陣を消すためにがんばってる――子供たちのためにな。それを悲観するのは失礼ってもんだぜ」


 終わりは見えず、命がけで、困難極まる気の遠くなる作業。

 それでも諦めず、挫けず、塔が現れてから数十年間戦い続けた。この村の努力は称賛に値する。素晴らしい。

 リオトは様々に脳裏にあった思案懊悩を吹っ切り、力強く微笑んだ。


「シノギ、今回の仕事、絶対に成功させよう。俺も微力ながら全力を尽くすよ」



    ◇



 程なく塔へと着くと、その麓には集落のようにテントが幾つも設置され、武装した戦士が立ち並ぶ。

 先ほどの村の外側にあたる堅牢にして真新しい建物群とは違い、質素で小汚い、使い古された感のあるテントの数々。だがその分だけ生活感があり、人の生きている気配がする。

 男手や若い女性が多く見受けられることからか、雑多で活気があって賑やかしい。ここがこの村における働き場なのであろう。


 そこは対魔塔前線拠点であり、流出魔物撃退の防衛ライン、村の中心部だ。


 この塔だけを隔離するようにまた堅固な魔除けの結界が張られ、先ほど通った居住区を守っている。村は完全に区分けがなされていた。


 シノギは安全な居住地区から、魔塔の聳え立つ中心部へと踏み込んだ。

 すぐに近くの男が立ち上がって声をかけてくる。行く手を遮るようにして。


「君たちは?」

「塔に挑戦だぁ」


 一から説明すると面倒極まるので、シノギはただの塔踏破挑戦者と名乗ることにした。

 そういう輩は少なくない。魔物を憎む者は多い。よって魔塔を憎む者もまた多いのだ。それをへし折るために乗り込むというのは誰もが理解できるし、それでなくてももしかしてと希望を抱くことをやめられない。


 矯めつ眇めつ三人の姿を観察し、男は二度頷いた。


「そうかい、ま、気を付けて命を大事にな。塔を攻略してくれりゃ、こっちも大助かりだからな」

「どーも」


 慣れているのか、それだけ言って男は道を譲った。

 まあ、期待の色は見受けられなかったため、社交辞令だろうが。あるのは諦観と惰性の灰色だけ。


 この魔塔に挑んだ者はどれだけいたのだろうか。そして、この魔塔はどれだけの命を奪い去ったのだろうか。

 ただ突き立つだけの塔は、そこにあるだけであらゆる生命を害する。


 ふと、足音。

 振り返れば、いつもの命知らずと呆れたような諦めたような視線で遠巻きにちらと見遣る大人たち。その中から、ひとりの女性が近寄ってくる。真っ直ぐ、こちらに向かって。


「もし」

「ん?」


 若干の既視感を覚えながら、シノギは受け答え。


「あなたはもしかして、『悪瞳アクドウ』と名乗る郵便屋さまですか?」

「おう、その通りだ」


 証明とばかりにグラスを外してみせる。

 神をも睨み殺しかねない目つきの悪さに、女性は一瞬怯えたように身を竦ませる。すぐに飲み込む。

 女性は言った。


「では、まさか息子に依頼されたので?」

「あんた、じゃあ」

「ええ、わたしはユメル・コラプス。エウニルの母で、ジグラトの妻です」


 言われてみると、似てるかもしれない。意志の強そうな目つきとか、物怖じはするのに立ち向かえるところとか。

 だが、少年のあの燃えるような熱量は見受けられない。どちらかと言えば、冷めきったような風情だ。

 どうでもいいことを考えていると、ユメルは深々と頭を下げ、最初に謝罪を差し向ける。


「申し訳ありませんが、代金はお支払いいたしますので、このままエウニルに気づかれないよう村を出てはもらえませんか?」

「答えはともかく、理由を聞いてもいいかい」


 シノギは面白がるように言った。

 ユメルは静かに冷えた声で返す。


「無暗に命を散らせるのは忍びないというだけです」

「死んだ男のための手紙なんざ無意味だと?」

「――生きてる! 彼は生きてる! 死ぬはずがない、あの人は……っ、あのひとは!」


 煽るように言えば途端、ユメルの冷静は音を立てて崩れ去った。

 冷えているように見えたのは、抑え込んでいただけのようだ。内部にはあのエウニルと同じく、熱く燃え滾るほどの意志がある。

 取り乱したことを恥じるように、ユメルは一度口を真一文字に引き結ぶ。それから精一杯努めて落ち着いた声を発する。


「一応、根拠はあるのです。この塔には脱出用の窓があります」

「脱出窓だって? そりゃ初耳だ」

「事実だぞ」

「へぇ、リオトが言うなら本当か。現地に来ねぇとわからんことは多いな」


 シノギは存外、座学派なのである。だからこそ世を見て回っている。

 書に記されざることを探すために。


「それってどの階層にもあんのか?」

「ああ。無限の獣に絶望し、死を望む者のための慈悲たる窓、と言われている」


 葛藤の味が苦いか。

 決断の重さが苦しいか。

 期待の声が耳障りか。


 ならばそこから飛び降りろ。楽になる、一瞬で。全てが終わるぞ、さあ踏み出せ。

 なにも見んでよい。

 なにも考えんでよい。

 なにもせんでよい。

 そんな誘惑を常に残す――外部から侵入は叶わないが、脱することは許された不可逆の逃走経路である。


「ふん、慈悲じゃと。ハラワタよじれるジョークじゃな」

「っていうか、高ェとこから落ちたら普通に墜落死じゃん」

「夫は浮遊の魔術くらい扱えますから」

「あ、そういう」


 魔術の使えないシノギにはない発想である。この場では少数派で、なんだか居たたまれない。

 ふむ、と魔術の話がでたことでベルが声をだす。


「確かにそれは根拠足り得るの。逃げる間もなく死んだでなくば――自らの意志で塔に居続けているということになる」

「……本気で踏破を目指しているのか」


 何故だかそこでリオトは苦々しく表情を顰めた。心を痛めた。

 ナイーブ勇者はどこで気を曇らせるかわかったもんじゃない。

 わからないことは多いが、シノギはともかく喜ばし気に頷く。


「ふぅん、ま、ともかく生きてる公算が高ェんだな。だったら是非もねェな」

「え」

「いくぜ」

「そうしよう」

「階段いやじゃぁ」

「ちょっ、ちょっと……!」


 なにを聞いていたのだ、この男は。

 さらに危険を説こうとユメルが口を開こうとして、それより先にシノギが肩を竦めた。


「あんた、いいひとだな。こんな強面こわもての赤の他人を心配してくれるたァ、相当だぜ」

「え、いえ、そんなことは……」

「けどな、そうやって制止されると俄然走りたくなるってもんよ。手紙は預かった、郵便屋として請け負った、なら行くさ。心配はありがたいがな」

「……あなたは」

「郵便屋さ。だから届ける。簡単だろ?」


 それ以上言わせることもなく、シノギはさっさと塔へと向かった。

 連れ添うふたりもまた無言のまま追随して、三馬鹿一行は危険な危険な魔塔へと踏み込むのだった。

 ユメルは、その背を見送るしかできなかった。



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