馬は合わねど添うてみよ 3



 ――懺悔をしたかった。


 少女ティーナ・ウレリアは今日という一日において、そればかりを考えていた。


 彼女は幼い頃に両親を失って、その後の人生を弟とたったふたりで過ごしてきた。

 頼れる身内もなく、親しい者もなく、姉弟ふたりで力を合わせて生きてきた。

 道中、様々な障害があって失敗ばかりで、上手くいかないことだらけ。


 しかしそうした事情はさておく。

 ともあれ現在、彼女は奇縁や珍妙な巡り合わせ、幸運と不運が相俟って――『飛送処ヒソウショ』の職員となっていた。

 そして、だから今回の事件に巻き込まれた。


 まず弟を人質にとられた。

 馬車の御者として働いていた彼を、郊外までの移動に雇い、そのまま拉致。

 ティーナは弟の命との引き換えに、とある魔術道具の不正転移を要求された。

 転移を強いられたのは、彼女のバスケットの中に詰め込まれた破滅である。


破裂すヴァン・るほど食い過ぎてインプロージョン』と呼ばれるその魔道具は、文字通りの爆弾である。


 膨大な魔力を流し込み、詰め込み、押し込み、その限界許容量を超過させ――無理やりに圧縮させた魔力爆弾だ。

 圧縮処理を解く起因となる魔力パターンを流し込めば、急激な開放が爆圧となって周囲を吹き飛ばす。それでなくても圧縮は時間経過とともに綻んでいき、そう遠くなく破裂してしまう。強い刺激にも弱く、酷く繊細で厄介な代物なのである。


 それを、『飛送処ヒソウショエスタピジャ』の本拠たる宝庫都市リスパルミオに転送しろと、犯人たちはティーナに要求したのだ。


 要は爆破テロ。

 本来、転移する物は例外なく職員にチェックされ、検閲される。そんな危険物を転移させるわけがない。転移を頼んだ人間を捕らえて即座に官憲に引き渡される。


 だが職員ならば、目を盗んで、密かに一度の転移くらいならば――困難だが不可能ではない。

 故にこそ、『飛送処ヒソウショ』という大組織に勤めるというのは容易なことではない。厳しい審査試験をパスできる優秀さは最低条件で、かつ人格面も考慮される狭き門。


 ティーナとしては無論、そんな悪事の片棒を担ぐなんて嫌で、強く拒否した、抵抗した。何度も通報しようとした。

 ――それでも結局、ただひとりの身内を見捨てることができなかった。


 いかな優秀な人材といっても、弱みはあるもの。

飛送処ヒソウショ』本拠に送られた沢山の手荷物、大勢の職員の命、世界規模の組織への爆撃という大打撃。

 それら全てよりも、弟ひとりのほうが彼女にとっては大事だったのだ。


 ティーナは弟のために名も知らぬ大勢を殺そうと決意した。


 とは言っても、爆弾を抱える恐怖はあって、これから多くの人の命を奪う罪悪感は筆舌に尽くしがたい。

 体は強張り、決意に反して足が竦む。鈍って、もつれて――こけた。

 まずい、せめてこの爆弾だけは庇わないと!


「大丈夫ですか?」


 そう思った瞬間に、ティーナの身は優しく包まれ抱きかかえられていた。

 ぱちくりと一度瞬きすれば、見知らぬ男の人に助けられたのだと知った。

 若干のパニックに陥りかけるが、なんとか声を上げることは我慢した。こんなところで目立つわけにはいかない。


 というか、この人、格好良すぎないか。

 顔立ちは驚くほど精巧なのに、人形とは思えぬ意志強い瞳が眩い。

 生まれてはじめて見るほどに美形。今がこんな事態で精神的抑圧さえなければ、ときめいていたかもしれない。


「えっ……あ、ありがとう……ございます」


 どうにかそれだけ口にして、目線を逸らす。

 できれば素早く立ち去りたかった。後ろの男たちの監視は露骨で、刺すようにティーナを睨んでいる。

 なのに、青年は優しくもにっこり魅力的に笑う。


「荷物、持ちましょうか?」


 反射で身体が震えた。

 浮ついた心が押しつぶされそうになり、気を抜けばへたり込んでしまいそうだ。

 極寒に薄着でいるように全身が冷え込み、砂漠に佇んでいるように汗が噴出して留まらない。


 その後は、もうなにがなにやら。青年の言葉をおざなりに受け流し、聞き流すしかできなかった。

 ただただ一刻も早く事を済ませてしまいたいという一念。このバスケットの破滅が、いつ目覚めて周囲と自身を焼くのかと気が気でない。

 いや、微かに残る拙く儚い希望が胸の奥底に眠っていて。


 ――なんらかの理由で不発に終わらないか。

 ――知らぬ間に犯人たちが憲兵に捕らえられていないか。

 ――この目の前の彼が、物語の主人公のように全て颯爽と解決してくれないか。


 くだらない。ありえない。それは祈りですらなく、願いというにも小さくて、ただの妄想。現実逃避甚だしい。

 もう運命は決まった。破滅は笑い、己は彼らに口封じに殺される。


 それでもいいのだ。ただ弟が生きてくれさえすれば。

 悲壮に決意し、そろそろ青年に離れる意を伝えようとして――ひとつ、どうしても聞き流せない単語があった。


「――お節介なら引き下がるけど、見ての通り神父だからね、人助けはできるだけしたいんだ」


 神父――それはティーナと弟が今日まで生きてこられた理由のひとつ。

 まだ幼い頃に助けてくれた人がいた。

 空腹に食事を、寒空に毛布を、孤独に温もりをくれた、教会の神父様がいたのだ。


 優しい人だった。穏やかな人だった。学ぶことを教えてくれた人だった。

 当時から老齢だった彼は、もはや故人ではあるが、今でもささやかながら世話になった教会には寄進を怠っていない。


 だからか、咄嗟にこう思った。


 懺悔をすべきではないのか。自分の身勝手を、これからする悪行を、積もり積もった恐怖を、全部打ち明けてしまうべきではないのか。

 逡巡に俯いて、こみ上げてくるあらゆる感情を飲み下そうと全霊を込めて。


「……大丈夫、です」


 ――嚥下した後に残るのは、やはりただひとりのみうち

 そしてささやかながら、このお節介な神父様を巻き込まずにいたいがために。


「ひとりで持てますので。お気遣い、ありがとうございます……」


 顔を上げた。真っ直ぐ神父様の顔を見る。

 逆に、ティーナの肝はここで据わった。神父との遭遇で決意が固まった。

 逃げ道を提示されたからこそ、突き進む覚悟が決まったのだ。その行く先が絶望だけしかないとしても。


「あぁ、失礼。彼女がどうかしましたか」


 不意と痺れを切らしたのか、犯人グループの一人が声をかけてきた。

 それでこの優しい神父との邂逅は終わり。最後のチャンスであったかもしれないそれを自ら放り捨てて、それでお仕舞い。

 後は手順に従い破滅を運ぶ郵便屋としてひた走るだけ。


 そのはずが、再び想定外はやってくる。まるで奇妙な縁に手繰られたように。

 いや、彼との邂逅の時点で、もはや彼女の運命はねじ曲がったのだ。


 ――想定外は、別れたはずの男の一声からはじまる。



    ◇



 状況は絶えず変転し、最善は次々と切り替わっていく。

 人はその瞬間瞬間の状況を見極め、可能な限り最善を選んで前へと進む。進もうと努力する。


 だが無論、悠長に構えていては機を逸する。最善であったはずのそれがガラクタに成り下がる。

 ことをなすには速やかに決断し、決断したことを後悔せずに突き進むことが重要なのである。


 そして、勇者たる彼はそれを弁えている。

 ゆえに、チャンスが転がり込んできた、その一瞬で迷い全てを振り切って動いていた。


「シノギ! 目の前の男は敵だ、打ち倒してくれ!」


 理由は知らない、因果も不明、わけがわからない。なにかの間違いかとさえ勘ぐれる。

 だが、目線気配が減ったということだけは事実。この機を逃す愚かはありえない。

 だからそれに気づいた瞬間に、リオトは叫び、そして駆け出していた。


 そのすぐ後に。


「おう! シノギ、シノギではないかや!」


 聞こえてきた美声に理解と苦笑を浮かべる。

 そうだった。今や自分はひとりではない。ふたりでもない。三人なのだ。三位一体、一蓮托生なのだ。

 なればこそ、三組の敵がいたって問題ない。


 ベルが一組討った。もうひとりはシノギに任せた。さあ、最後の一組は、


「俺の役目だ」


 人の合間を縫って駆け、込み合う通路をすり抜けて、それはまるで流水のように自在な身のこなし。リオトは人混みの障害などで委細の減速もなく、目当ての二人に到達する。

 ティーナと身勝手男を監視し続けていた、視線の主。男ふたり。


「くっ、なんだ貴様っ」

「さっきの神父かっ」


 突如、風のように現れた神父に、ふたりは狼狽して口々に叫ぶ。

 リオトは無言で応え疾駆を止めず、間合いの五歩前に倒れこむ。いや、脱力し、膝が落ち、前のめりに倒れこむような姿勢になる。

 転瞬――消えた。


「え」


 まるで魔法のように忽然と、消えた。

 少なくとも、ふたりの男にはそう感じた。そう見えなくなった。


 それは倒れこむ落下を推進力とし体を前に押し出すという単なる体技。瞬く間に距離の踏み潰される縮地の技芸。


 リオトは油断した男たちの懐に飛び込む。膝を伸ばす。伸びあがるようにして腕を振り上げる。裏拳の形で片方の男の顎を打ち抜く。


「がっ!?」


 男の顔面が跳ね飛び、脳が揺れる。そして視界は天井へ。

 死角を作れば大きな挙動も避けられない。非常に滑らか綺麗な体捌きの連絡。身をねじるように回転させ、回し蹴り。脚はしなる鞭のようにわき腹に突き刺さり、勢いを殺さず思い切りもうひとりの男に激突させる。

 さらに蹴りの伸びは止まらない。ドミノ倒しの要領でふたりまとめて蹴り抜いた。床に叩き付けた。


 人間ひとりという重い砲弾をモロに直撃、さらに床と挟まれ圧殺される。蹴りを免れた男にもダメージは大きい。最後トドメとばかりにリオトはふたりまとめて踏み潰しておく。


 それで決着。


 一人目は顎を打ち抜いた時点で失神していたし、二人目もまた足裏で押し込んだ段階で気絶した。

 リオトは軽く息を吐いてから、男たちが完全に伸びていることを確認。問題なく失神している。

 よし、じゃあ。


「シノギはどうなった……っ」



    ◇



「シノギ! 目の前の男は敵だ、打ち倒してくれ!」

「おう! シノギ、シノギではないかや!」


 ――いやいきなりなんだよ。

 というのがシノギの感想であった。


 迷子どもが何故か別方向から現れたと思えば。それぞれよくわからんことを叫びやがる。

 しかも必死そうなのと気楽そうなのとで一斉に言うもんだから、シノギはどちらのテンションに合わせて答えるべきなのか。


 いやほんと意味わからんし。なにが、えっと、なにだって?

 不明に過ぎて思案に身体が硬直しそうになって。


 ――すぐに切り替わる。


 一瞬で言葉なく、なにか様々な感情がよぎる。

 それは誰かへの心配。それは助けてあげたいという思い。それは打ち倒すべき者への敵意。


 ならば誰を救いたいか。なにをすべきか。どいつを倒すべきか。

 即座に理解、身体は電撃的に動いていた。


 ひらりとソファから跳び上がり、シノギは軽やかに着地。ちょうど真横を通り抜けようとしていた少女と身勝手男の前に立ちふさがる。

 そして敵手に向けて酷く獰猛にニッと笑いかける。


「――まるでよくわからんが、わかった」


 右手は魔刀を握りしめ、問答無用の臨戦態勢――今からてめぇをぶった斬るという宣言だ。


「通行止めだとよ、身勝手野郎!」



    ◇



「ち」


 リオトの声、ベルの登場、シノギの通せん坊。

 あらゆるが動揺を誘い、身勝手と呼ばれた男は歯噛みする。


 なんだ、なんなのだ。ここまで来て、この土壇場で、一体なにが起こっている!


 喚き散らしたい衝動を全力で抑え込み、男は目的を己に設定する。眼前にあるは障害、ならば除く。一年かけて練りに練った作戦、こんなよくわからない何かに邪魔されて堪るものか。


 そうだ、邪魔者は消す。単純だ。


 男は目の前のシノギに対するべく、手品のように袖から小剣を取り出す。手のひらサイズのそれは確実に暗器、戦闘よりも殺害に特化した血濡れの刃。


 暗殺者はシノギの手元を注視する。警戒心をほとんどそこに注ぎ込む。

 納刀状態。ならば最速は鞘走る抜刀術、居合の類。

 拍子を外されるのは怖いが、握り手は見える。斬撃の軌道は先読みできる。撃ちだされる銃口はそこだけで、ならば射出される斬は確定した道を走る。


 一撃回避できれば、あとは振り抜いた後の大きな隙。仕留めるのは易い。逆にこちらから切り込めば、後の先を許す。居合は迎撃の技、得意領分を明け渡すは愚。

 そもそも小剣としては間合いがうまくない。明らかに刀の間合いを、立ち合いの段階で奪われたせいだ。小剣では先手が困難だ。


 ――と、それが当然の思考。

 ならば、推測できるのもまた当然。


「阿呆が」


 転瞬、シノギの握る魔刀の――鞘が消失した。


「なっ」


 刃を覆う枷は外れ、縛る鎖は失われた。

 よって走る斬象は予想したそれとは異なる。


 奇襲に近い、それは先の先。

 その上、斬撃初速は想定を超えて――速い。


 仕掛けは単純。

 鞘があるままに力を加え、押し込み、威を溜め込んでから――鞘を仕舞うけす

 瞬間、留める物が失われ刃は溜め込んだ力を一気に爆発させる。加速する。

 要はデコピン。その剣術的応用で、力加減の妙による技巧だ。


「くっ」


 軌道をズラされ、拍子を外され、挙句速度も想定以上。

 それでも男も達人。己と斬撃の狭間にどうにか小剣を捻じ込む。受け止める。


 雷鳴の如き金属音とともに魔刀と小剣は噛み合い食い合い鍔競り合う。


 シノギはグラスの裏で軽く瞠目する。

 綺麗に術理は決まったはず。技は成立、不意を突いた。それなのに防ぐとは。


「やるなァ」

「若造が、侮るなよっ」


 とはいえ打ち込んでいるシノギのほうが状況優位で、このまま押し込んで踏み込めば――


「とでも思っていないだろうなっ」

「ち」


 そろりと小剣が、もう片方の手に握られている。

 両袖に仕込んでいたようだ。

 暗器は体の至る所に伏せ、あらゆる状況下でも出現する神出鬼没をこそ肝とする。


 見事に拮抗状態における隠し玉が戦局を切り開く。このまま勝利をもぎ取るには充分すぎる。

 身勝手男は鮮やかにして最小の動作で投擲を――


「死――」

「三秒だ」


 その寸前に、時間が来た。


「なんだと?」

「我が六の魔刀が一刀――『宝納魔刀ホウノウマトウクシゲ』、その魔威をここに仕舞え!」


 魔刀『クシゲ』の異能は、一定時間触れた対象を異空間に仕舞うこと。

 対象物のサイズや魔力によって仕舞い込むのに要する時間が変動し――その最低所要時間は、実に三秒。


 鍔競り合って触れていた小剣は、故に消えた――否、魔刀から繋がる異空間へと仕舞われた。

 すると必然、遮るものを失った刃は前進する。進軍する。直撃する。

 鋼の行進は柔い手を砕き、鍛えた腕をへし折って、無防備な胴を打ち据える。


「ぐっ、ぁあぁぁぁああああぁぁあああ!?」

「喚くな峰打ちだ、死にゃしねェよ」


 峰打ちとはいえ金属の棒で思い切り殴られては悶絶する。確かに死にはしないにしても、肉は潰れ骨は折れ、鈍い激痛が灼熱となって身を焼き尽くす。もはや起き上がれまい。


 これにて敵手は全て討ち取られた。三馬鹿一派の完全勝利。

 ならば残る問題はひとつ。



    ◇



「んで、どーすんだ、これ」


 シノギは未だ状況を飲み込めないまま、呆然とするティーナに向き直る

 よくわからないが、なんとなくわかる。不可思議な心地で頭を掻く。


「あー、なんかバスケットが怪しいんだっけ」何故だろう、そう確信できる。魔力感知なんてできないのに「嬢ちゃん、それなに」

「ばっ、爆弾……魔力爆弾だと……」

「へぇ、爆弾。爆弾ね、魔力爆弾……爆弾か……」


 ――やっべぇじゃん!


 聞いたことがある。『破裂すヴァン・るほど食い過ぎてインプロージョン』とかいうハタ迷惑な魔道具のことを。

 起動魔力をちょっと飛ばされたらドカン。下手な刺激を加えてもドカン。時間経過でもやっぱりドカン。

 なにがなんでも爆発してしまう果てしなく取り扱い注意な危険物。


 だいぶ危ないので魔力の充填されたそれには絶対近寄るなと忠告された。

 既に近くにある場合は?

 聞いてねぇよ畜生!


「シノギ、なにやっとるんじゃ?」

「ふたりとも、無事か!」


 そこで酷い落差のベルとリオトとようやく合流。

 それに、シノギは心底安堵した。

 なぜなら問題全部を丸投げできるから。


「リオト! このバスケットに爆弾が入ってるってよ! なんとかしてくれ!」

「無茶言うな!?」

「待て、爆弾じゃと? どういうことじゃ、説明せい」

「おれもよくわからん! でも魔力爆弾がどーとかでなんかやべェんだとよ!」


 まるで全然わからないシノギの説明に、だがベルはある程度察する。読み取ってみせる。

 バスケットの中身の不吉な魔力気配、魔力爆弾。先ほどの隠し通路、逃走経路。

 全て照らし合わせて、瞬間で思考を回転させ、把握した。推理が混じるが細かに確認している時間がない。急ぎ行動に移らねば。


「シノギ、わしに寄越せ! 処理する!」

「よっしゃ頼んだ、パス!」


 迷いなく躊躇なく、シノギはティーナからバスケットを奪い、ベルに向けて放り投げた。


「うおっと」


 危うく取り損ねそうになりつつ、なんとかキャッチ。

 すぐにバスケットを床に置き、中身を慎重に取り出す。


 それは漆黒に染め上げられた結晶のようなもの。一抱えもあるサイズは、持ち上げるのにも苦労する。特に非力なベルには。


「ふぅー」


 なんとか爆弾を横に置き、まじまじと眺める。観察する。

 結晶の黒は魔力が注入されていることを示す。器が魔力を圧縮して押し込んでいる。少しずつその圧縮が押しのけられようとしており、限界点は間近。もう数分足らずで爆発してしまうだろう。


「懐かしいのぅ」


 その昔、よく城を爆撃されたり、道中に仕掛けられたりと、魔王として結構馴染みあるそれ。『破裂すヴァン・るほど食い過ぎてインプロージョン』は簡易な仕組みで単純構造なため、古くからある魔道具であった。

 だからこそ。


「まあ任せよ。これの解体ならば経験があるでの」

「無駄だ! そこまで昂ぶり起動魔力が走ったそれを解体するなど、どんな魔術師にも不可能だ!」


 身勝手男が這いつくばりながらも鬼の形相で喚き散らす。最後の力で精一杯の嘲笑を叩き付ける。


 直後その側頭部をシノギが蹴っ飛ばして今度こそ気絶。

 だが僅か遅かった。ベルは美々しい銀眉をしかめる。


「む、戯けめが。気絶の寸前に起動魔力を流しおったか」

「それってすごくまずいよな! 爆発するよな!」

「せんわい。今はわしがレジストしておる。右手で留めておる限りは起動魔力を原因としての爆発は起きん」

「待て待て待て。じゃああんたが手ェ離したら爆発すんじゃねぇか!」

「時間経過でも外部衝撃でも炸裂するぞ」


 大慌ての男ふたりに比して、ベルは随分と冷静というか悠長。寝不足を指摘された時のほうがよほどに焦っていた。

 彼女をして、爆弾程度は脅威の内にも入らない。


 それはなんとなく理解しているが、わからない。シノギはグラスの下で半眼になって言う。


「どーすんだよ、あんた今爆発させないので手一杯じゃねぇの! 解体なんざ――」

「はん! 舐めるでないわ、シノギ。そしてそこな有象無象。どんな魔術師にも不可能じゃと?」


 外部から起爆要因を受信し爆発しようと駆け巡る魔力を右手でレジストしつつ。

 左手で圧縮された魔力を読み取り――分解。片っ端から詰まった魔力を散らす、引き千切る。急速に大気マナへと反転、還元していく。


 魔力回路は単純、迷子になりようもない。術式も複雑さに欠け、惑う道理もなし。器もチンケ、込められた魔力もたかが知れる。


 少なくとも、この高き魔王にとっては。


 刺激にならぬよう繊細に、時間切れにならぬよう手早く、そしてなにより優雅に品良く――爆弾を無力化していく。


「戯けめ。魔術師なぞは既に凌駕しておる――わしを誰と心得ておるか」


 魔術を統べし王――ゆえに魔王。


「この程度、造作もなし」



    ◇



 ――あぁ、お礼を言いそびれた。


 事が終わり、騒ぎも収まって、憲兵の詰め所にて事情を包み隠さず話し終えた後に、ティーナ・ウレリアはようやくそれに思い至った。


 あの時、三人組は一切合切気にしていなかったが、乱闘騒ぎの時点で結構な注目を集めていた。

 そして爆弾だのなんだの物騒な発言で関心を惹き――心得ある者は不吉な魔力にまさかと危惧し、知識ある者は『破裂すヴァン・るほど食い過ぎてインプロージョン』を取り出した段階で大慌て。


 困惑混乱が連鎖し、恐怖が感染、瞬く間に『飛送処ヒソウショ』は大パニック状態となってしまった。慌てふためいて出口に殺到し、悲鳴や泣き声が混じり合って逃げていく。

 死にたくないから。生き延びたいから。当たり前の話だ。


 その騒ぎに紛れて三人組は去って、憲兵が騒ぎを収め、全ての事情を把握したころには、きっと三人はこの都市すら出ていただろう。


 全く不明の神父様と、その仲間であろうスーツの男とドレスの幼女。


 彼らは一体、何者だったのだろう。彼らは一体、どうして助けてくれたのだろう。

 見返りを求めることもなく、誇るでもなく、颯爽と現れては事件を解決してくれた。その後さっさとその場から消えてしまって、なにも聞けなかった。なにも、言えなかった。


 曰く面倒ごとは御免。

 曰く喧伝するほどでもない。

 曰く人込み鬱陶しい。


 三人の意見は綺麗にバラバラで、身勝手で、けれども結論だけは一致しているため行動に迷いはない。

 立ち去る間際、最後に神父様が振り返って、腰を抜かして未だに呆然としていたティーナに一言だけ残した。


「よくがんばったね、もう大丈夫だ。俺たちは行くけど、君を怖がらせる奴は全員倒したから安心して」


 それだけ告げて、三人の行方はそのまま不明だ。




 ティーナは詰め所にてまずなにより心配していた弟のことを話し、犯人グループのこともできるだけ告げて、最後にあの三人組について聞いてみた。

 だが、彼らの目撃証言はあっても、その行方はようとして知れないという。


 ただ少しだけ耳に入った。

 今回捕まった五名のテロリスト、彼らは相当な手練れで、爆弾は良質。事件後に見つかった壁の穴は高等な術で隠蔽され、その時まで誰にも気づかれていなかった。


 周到で、計画的で、酷く大胆な犯行。

 巻き込まれて生き残ったことは随分な幸運だったと憲兵の方にしみじみと言い含められた。


 そして、手練れのはずの男たちをあっさりと、しかも余計な怪我もなく圧倒した者がいることが驚きで、消えた三人組の中に非常に武威に優れた者がいたのではないかと推測される。


 また魔力が満ち黒塗りだったはずの『破裂すヴァン・るほど食い過ぎてインプロージョン』の結晶も完全に透き通った魔力の枯渇状態となっていたことも驚愕だという。

 その完璧にして精密な処理技術の次元違いに言葉もでないと、魔術師連中は感嘆していた。隠し通路の発見と処理も加味すれば、消えた三人組の中に非常に魔術に長けた者がいたのではないかと推測される。


 どこかの騎士や王宮魔術師でも通りかかったか、ベテランの冒険者パーティが『飛送処ヒソウショ』に寄ったのか。


 わからない。

 わからないと言えば、三人組の最後のひとりもまた――はてどんな人物であったのか不明である。


 神父とスーツとドレスという謎の組み合わせに思い当たるものもなく、誰もが首を捻って答えをだせなかった。


 けれど、ティーナにとってはそんなことはどうでもいい。彼らが誰でも関係ない。

 ただ、助けてくれた恩人で――お礼を言い損ねてしまった。それだけが心残り。

 だから、ああそうだ手紙を書こう。次に出会えた時に、言葉に詰まってしまわぬよう。いつまでも忘れぬよう。


 きっと届かぬ、お礼の手紙を。



    ◇



「それでシノギ、あれはなんだったんだ、結局」


 ベルが抜け道を知っていたのもあり、ゴタゴタに巻き込まれぬ内に素早く隠密に三人はいつの間にやら外で談笑していた。


 遠くで未だ大騒ぎが聞こえてくる気もするが、落着はした。あれ以上関わっても仕方がなかろう。当初の予定通りに都市を出ようと相成った。


 終わった話としてリオトは言うが、その丸きり空っとぼけたような発言に――いや、本人的には本気なのだろうけれど――シノギは呆れてしまってため息がこぼれ落ちる。


「あんだけ綺麗にぶっ潰しておいてそれかよ……」

「いや、それはあの子が困ってそうだったから」

「あー、はいはい。勇者さま勇者さま」


 困っていたから助ける。

 なんともシンプルにして人のいい理屈だろうか。それで本当に全て見事に解決してみせるのだから、やはり勇者は格が違うということか。


 シノギとしてはなんとも言葉にしがたい複雑な思いが巡る。眩しすぎて、どうも直視ができそうにない。自分はどこまでいっても小物なのだ。

 あぁサングラスをしておいてよかった。つまらぬジョークは口にせず、説明を加えておく。


「たぶん、反転移主義者どものテロだろ」

「反転移主義……そんものがいるのか」

「いる。反対だから爆撃しよーぜ、って過激だよな。そういやあれ本当に爆弾だったのか?」


 未だに確信もてず、いまいち飲み込めていない。

 あの場では勢いで信じたが、魔力感知のできないシノギの視点では確証がない。


 ――よくわからない共感作用も、今はない。


 何事もなく終わってみれば、やや半信半疑となってしまう。

 ベルはどっしり構えて請け負う。


「うむ、間違いなかろう。魔力をため込んで圧縮して圧縮して、限界点まで圧縮して、最後にボンと爆破する魔道具、『破裂すヴァン・るほど食い過ぎてインプロージョン』という奴じゃな。あのまま地下で爆発しておれば、『飛送処ヒソウショ』じゃったか、あのくらいの建物なら土台を失い崩壊しておったかもな」

「ティベルシアが処理してくれて助かったよ」


 そこについては他人任せにしてしまったことを、少し申し訳なく思うリオトである。

 事件に突っ込んだのはリオトで、巻き込んだのもリオト。シノギとベルは偶然その場に居合わせて手助けしただけ。本来ならば全てリオトひとりが片付けなければ理屈に合わないではないか。


 無論、そんなことに拘り過ぎてもよろしくない。

 実際、シノギとベルがいなければどうなっていたか。敵戦力とバスケットの中身を正しく想定できなかった自分の失態だ。


 とはいえ、仲間に頼ることを否とは思わない。足りないものを一人きりで埋めようとしても空回るもの。互助関係の他者、仲間を作って共同するほうがずっと確実で正道で、多くの不足を補える。助け合いは大事なのだ。

 今回助けられてばかりで心苦しいが、別の機会にきっと助けようと、リオトはそう思う。


「しかし転移を反対する者なぞおるのじゃな、だいぶ便利じゃろうに。どんな輩じゃ」

「転移のせいで人の進歩が失われたとかなんとか。そういうのを大義名分にしてる連中だな」

「全くの理のない活動でもないのか? ちょっと視点が高すぎて下が見えてないけど」

「おれからすれば大義名分はお題目にしか聞こえねぇけどな。とにかく『飛送処ヒソウショ』に恨み持ってるとか、反発してるとかの阿呆どもだ」

「身も蓋もない言い方だなぁ」


 どちらかと言えばシノギだって『飛送処ヒソウショ』のせいで仕事を失っている立場だろうに。

 言うと、シノギは鼻白んだ様子で肩を竦める。


「それで恨むかよ。生まれる前から普通に普及してたもんに文句言うほど、おれぁズレてねぇ」


 そもそも『飛送処ヒソウショ』がありきで、彼は郵便屋を志したのだから。


「え、それってどういう……」

「リオトが助けた女、ありゃ『飛送処ヒソウショ』の職員だろうな」言いたくないことは容赦なく無視できる男である。「んで、職員脅して本部にあの爆弾転移させてドッカーンよ」

「……未然に防げてよかった」

「あんたの嗅覚にゃ恐れ入るよ」


 少しだけ追求したげな顔だったが、リオトは控えておく。

 出会って二日だが、シノギが頑固なのは理解した。言いたくないことは言わないだろう。


 親しき中にも礼儀あり。とはいえ、聞き逃せないこともある。

 ぽろっと、シノギはそれを漏らす。


「……まぁ、ホントのところ、実はそんな問題もなかったんだけどな」

「む、どういうことじゃシノギ」

「『飛送処ヒソウショ』のほうも、こういう事態は想定してあんだよ」


 転移門には二種類ある。

 通常のそれと、魔力含有物専用の転移門である。

 魔力を有する物体には転移への抵抗が生じ、通常よりも出力がいるのだ。そのため門は二種類ある。


「――って感じに一般的には説明されてる。『飛送処ヒソウショ』職員すらほとんどがそう信じてる」

「その言い方だと、違うのか?」

「あぁ」


 神遺物アーティファクトは出力不足で転移できないのだから、魔力の有無でも差異があっておかしくはないと誰もが考える。それがために、この嘘はまかり通る。


「二種類の転移門に出力差はねぇ。ただ違うのは、転移先だ」

「ほう。魔道具ていどなら転移に足る出力は元よりあったと。して、そんな作り話をでっち上げてまで転移先をわける、その理由は?」

「魔力用の転移先はな、「絶縁隔壁」ン中なんだよ」


 割と機密事項な真実を、さらっとシノギは明かす。

 そこに不思議を覚えつつも、聞き覚えのあるその単語に食いつく。四百年前にも、そして二百年前にも、既にあったもの。


「絶縁隔壁、確か魔力を通さぬ金属でできた壁だったか。え、それじゃあ――」

「おぅ、たとえ魔力爆弾が炸裂してたとしても大事ねぇ。まあ同じタイミングで転移されたもんはやべぇが、被害はその程度さ」

「対策済みということかや」

「この手の犯行は数年に一度の頻度であるらしいからなァ」

「ほうほう。……時にシノギや」


 興味深そうに頷くベルの目つきは、何処か胡乱げ。貫くような鋭さではなく、抉るような鋭さを伴った目つき。

 そこはかとない嫌な予感を覚えつつ、シノギは応える。


「なんでい」

「おぬしなんでそんなこと知っとるんじゃ」

「…………あっ」


 そこでようやく失言を悟り、シノギは一瞬固まってしまう。そしてすぐについと目を逸らす。

 言いたくないことが多くあるくせに、こうしてぽろっと口を滑らせる。妙に間の抜けたところのある男だ。


 左右から刺しに来る二対の眼差しが痛い。白状しろという意志が刃のように言外に突きつけられていた。

 やまぬ視線になんとか言い逃れしようと、シノギは苦し紛れのように口を開く。苦し紛れと自覚している時点でダメダメだが。


「いっ、一般教養だから」

「転移門の違いは職員すらほとんど知らないって自分で言ったろ!?」

「う……いや、知ってる奴は知ってるっていうか」

「テロ対策がそう易く知れるとは思えんが?」


 流石にこればかりはちゃんと話せ。リオトとベルの強い視線に、シノギは諸手を上げて降参する。


「あーもう、わかったよ、負けだ負け」

「勝手に自爆しただけのような……」

「うるせぇ」

「して?」

「ちょっとな……『飛送処ヒソウショ』の上役に知り合いがな、いんだよ。そんでたまたま聞いたことがあってな。ホントにそれだけだ」


 はい、お仕舞い。とシノギは少し足を速めて先に行ってしまう。これ以上の詮索はなしと態度で伝える。

 すぐに二人は追いかける。少し慌てたのは、ついつい先ほどの失敗があったから。

 

「待ってシノギ、またはぐれたら大変だろう」

「そうじゃ、そうじゃ、また迷子になってまた面倒ごとに巻き込まれても困るじゃろ」

「……あんたらまた面倒ごとに首突っ込む気かい」

「いや、今回みたいなことはそうそうない……と、思うけど」


 言い切れないのは自分のサガを理解した勇者であるがため。

 ベルもまた己の好奇心の強さに自覚はあり、確約は難しい。

 ならば――


「よし! 次は手を繋いで歩こうぞ、三人仲良く連れ添って、の」

「はぁ? こんな往来でそんなことできるか、恥ずかしい」

「ではどうする、また迷子になるぞ。そこの勇者は人助けに走って、わしゃ面白いことがあればどこかへ行くやもしれん」

「自己申告してちゃ世話ねぇぜ」

「ゆえにこそ、事前の対処を申し出ておるのじゃよ。

 ――なに、馬は合わねど手は重なる。ほれ」


 有無を言わさず、ベルはシノギとリオトの間にその身を捻じ込み、手を掴む。繋いでしまう。

 焦って逃げようにももう遅い。しっかり結ばれ離れえない。触れ合い包み込む暖かさは、しかと感じているのだから。


「あっ、てめ」

「はは、ここは折れておこうかな」

「ふはははっ!」


 三人手を繋いで歩く姿は、果たしてどんな風に見えたのだろう。

 友か、仲間か、同胞か。ともすれば家族のようにも見えたかもしれない。


 どれもが正しく、どれもが誤り。

 彼ら三位一体にして一蓮托生、連理の奇縁の同胞だ。


「あーもう! こんなことになるくれェなら、あんたらふたりとも二度と迷子にゃさせねぇぞ!」

「「喜んで」」

「だからもう! くそ、ほんとに噛み合わねぇー!!」


 ――繋ぐ手のひら、それはきっと目に見える奇縁そのもの。




 ――馬は合わねど添うてみよ 了







「てーか穴見つけたら入るって、好奇心満載か!」

「人助けしてたらテロまで未然に防ぐとか、おぬし本当に勇者じゃな!」

「いやまさかはぐれても丸きり無視して直進とか、ちょっと寂しい!」



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