馬は合わねど添うてみよ 2



 運輸転送機関『飛送処ヒソウショエスタピジャ』は大変繁盛している。


 世界各地に支部を置き、あらゆる都市や組織と提携、多くの町村と密着している。商人たちも多くが協賛して遠隔販売はもはや常識。

 知らぬ者はまずいない。利用していない者もごく稀で、間接的な影響を含めればおそらくその恩恵を受けずに今を生きることは不可能とさえ言われている。


 運搬物はこの世に存在するあらゆるなにもかも。

 毎日の食事から、常に纏う服飾、日用品は勿論のこと、建物丸ごとだって記録にある。

 武器兵器や玩具、金銭までもが転移し回る。駆け巡る。


 例外は二つ――生命あるもの、そして神遺物アーティファクト


 前者は術の性質上致し方ない。元よりそういう転移術、システム上の不可能なのだ。

 だが後者は術式による根底的な不可能ではない。単純に神遺物アーティファクトという強力なエネルギーをもった存在を送るだけの出力が不足しているのだ。人の造りし魔道具は転移可能なので、やはり神々の遺したそれは人如きには及びもつかぬ代物なのであろう。



 とはいえ例外は例外。

 日常一般においては考慮外とされるもの。発想に上ることのほうが珍しい。あらゆるなにもかも、という表現は間違いではない。


 些細な例外など気にもされず、僅かの批判材料にすら足らず、『飛送処ヒソウショ』は天下に轟く巨大機関。


 どんな遠くとも無関係、術のマーキングをすることで一瞬で物をあっちからこっちへと移動させる。物流を一手に引き受け、支配し、支えている。

 それは世界という巨大な肉体の血管であり、血流。滞ればあっさり落命してしまう文字通りの生命線だ。


 物が世界中を巡り、需要と供給が最大限回転、経済は疾走する。

 もはや『飛送処ヒソウショ』が創立される前と後では世界の様相はまるで違う。


 ――世界を救ったと言う者がいた。

 ――人類最大の進歩を見たと言う者がいた。

 ――便利に過ぎて人を退化させたと言う者がいた。


 少なくとも、現代において『飛送処ヒソウショ』は欠けてはならないサービスとなっていて、その不在はもはや想像もつかない。



 勇者や魔王というのは、大なり小なり世界を変える。それだけ強い力と大きな影響力がある。

 きっと誰かたちにも心当たりがある。



 ――かつて勇者をふたり討ち取った強壮なる魔王がいた。

 彼は死せば渡る紋章の性質を逆手にとって勇者を二名生け捕り、殺さず封じておいた。

 そんな魔王を打倒した勇者。そして拿捕され封ぜられたかつての同胞にトドメを刺した勇者殺しの勇者。


再蓮者ツァラトゥストラ】と呼ばれた『不屈の紋章ウリエル』の勇者――リオトーデ・ウリエル・トワイラス。



 ――いつか遠い日に魔王による世界征服がなされた時代があった。

 そのあまりの強大さに残る全ての魔王六名に、加えて勇者四名全員が手を組み挑んだ空前絶後の唯一魔王。総勢十名の現人神あらひとがみを相手取ってなお拮抗したと言われる最強最悪の大魔王。

最後の傲慢ロード・ルシファー』、『お伽噺の魔王ファーブラ・マルム』、『最も高き者アルティトゥード』、『堕天神姫ティフォン』。


傲慢にして天へ至るシェロー・アロガンシア】と呼ばれた『傲慢の証印ルシフ』の魔王――ティベルシア・フォン・ルシフ・リンカネイト。


 今はその残骸とも言える三位一体の彼と彼女であるが、それでも勇者と魔王である。

 その復活は世界を振り回すほどに掻き乱す。まるで嵐を呼ぶ魔剣のように。世界の果てで無邪気に羽ばたく蝶のように。

 災厄を引き起こす奇縁――結ばれた以上、切れることはない。



    ◇



「サカガキ・シノギだ。登録カードはこれで、金はこっち」


 とりあえずふたりは放置して、シノギはひとり『飛送処ヒソウショ』に立ち寄っていた。

 迷子のボケどもに一瞬だけ焦ったが、目的地は伝えてある。魔王も勇者もいい大人だ、年上だ。放っておいても辿り着くに違いない。


 というわけで完全放置。

 待っている間にこっちの用事を済ませておくことにする。


飛送処ヒソウショ』一階の受付は長蛇の列であったため、上か下かの階に行くとする。どちらにするか少し考えてから、何の気なく地下へと降りる。真新しい外装のそこもまた長い列ではあれ、まだマシ。

 シノギは至極真っ当に差出人側の列に並んで、静かに順番を待って、さほどもなく受付のお嬢さんの前に立つ。

 ちなみにシノギ、サングラス着用。円滑な会話に必須のアイテムであった。


「手紙、届けてくれ、宛先は書いておいた。あ、宛先側からおれ宛に保留してるもんがあるかもしれねぇ、確認も頼んま」

「かしこまりました。お届け物に魔力を含んだ品はございますか?」

「いんや」

「失礼いたしました。では番号札になります。転移と確認が済み次第お呼びいたしますので、ソファで少々お待ちください」


 対応は慣れたもの。受付嬢は丁寧に手紙を受け取り、代わりに数字の書かれた板切れをシノギに差し出す。受け取れば「047」。受付嬢は会釈だけして奥へと消える。

 見送ってから、シノギは身を反転させて待合所へと足を向ける。空きの少ないソファから空席を探し当て座す。

 沈み込むようにソファの感触を確かめつつ、周囲の慌ただしい風景に目を向ける。


 館内は広い。

 いつか観戦した闘技場のドームには及ばないが、比較できる程度には広大なロビー。沢山の人々を収めてまだまだ余裕を残す。

 これが四階分あり、さらに数か月前から解放されたこの地下まで含めて五階分だ。流石は『飛送処ヒソウショ』でも最大級の支部と言ったところだろう。


 だからこそ利用者も非常に多い。多いが移動は整然とし、行列が十以上ある受付に綺麗に並んでいる。

 街路が人の津波とするなら、ここは渦。順繰り、規定通りぐるぐると人が回る。


 その終着点がこの待合所のソファ。見れば多くの利用客が受け取った荷物と睨めっこ。

 無数の薪を背負う男。今来た手紙の封蝋を解いてがっつく女性。鞄に食料をひとつひとつ確認しながら仕舞う老人。

 庶民的であり触れた光景、いかにこの『飛送処ヒソウショ』が生活に密着して関連しているのかよくわかる。

 視線を切る。どこの『飛送処ヒソウショ』とも大差ない情景を見遣ってもつまらない。


 シノギはグラスの下の悪瞳アクドウを階段へと送る。迷子がやって来たらすぐにわかるように。

 目立つ風貌の奴らだ、すぐに気づくだろう。あまり心を傾けてはいないが、人の出入り激しい階段の降り口を眺めておく。



 しかし――迷子、迷子か。

 なんとも奇妙な事態だとぼんやり思う。


 そもそもあまり人付き合いの多い人生ではなかった。こんな風貌、目つきがギラギラと斬りつけていて、友がそう易々とできるものではない。

 人間見た目よりも中身というが、中身を知るには見た目を頼りに寄り添い、言葉を交わさねばはじまらない。その後でようやく中身に関心が湧く。

 というか、見た目は何の気なく見えるが中身は興味をもって意を注がねば見えやしない。


 そして、悪魔の目つきのシノギを、そう深く辛抱強く注視しようという輩はまずいない。多くが目を逸らし、顔を背けて遠のいていく。

 べつだん、そこに怒りはない。シノギだって鏡を見れば、こんな奴と仲良くできるかよと思う。

 理不尽は感じない。不思議もなく納得できる。仕方ない。


 ただ、弊害があった。

 人付き合いに経験が不足してしまっている。そこは現在において、なんとも歯がゆい。突然の同行者二名と、どうにも間合いが計りがたい。

 彼の人生の上で、友人と真正面から断言できるのはあの引きこもりを除けば、あとどれほどいるのか。

 ならばもしかして、こういうシチュエーションは、実は生まれてこの方はじめてということになるのか。引きこもりと外出なぞ、基本ありえないわけだし。


 さて、困った。


 まず迷子というのは、はぐれたふたりを指すのか。それともはぐれたことに気づくことなく直進した自分をこそ指すのか。そんなことさえ、シノギにはわからなかった。

 知識として「迷子は動くな」という警句があるが、ではシノギは動かないほうがいいのか。それともベルとリオトこそ動かず待っているのか。

 やっぱりわからず、ともかくシノギは待つことにした。


 それは自分が迷子だという判断ではなく――個人的感想としては、ふたりこそが迷子であると強く思う――ただどうしたらいいのかわからないというだけ。

 わからない時、下手に動くとこんがらがる。

 迷子の心得と、そこは一致したように思えて、ならばさもありなん。


 悪鬼の眼光にもめげずに笑いかけてくる幼女はアクティブだ。きっと立ち止まったりはしないだろう。

 恐怖の三白眼にも真摯に目を合わせてくる青年は誠実だ。きっといつでも前進しているだろう。


 たった一晩の関係性であるのに、それを信じられるのは奇縁の繋がりか。

 それとも――それとも、あぁ、そうだろう。


 気に入っているのだ。単純に。


 文句は言い足りないし、ズレも多い。感性は異なり、価値観も重なった部分のほうが少ないだろう。

 他者という奴は遠く隔たり、予想外で不確定なもの。


 だが、この悪瞳を恐れず、恐れても踏み越えて、シノギに本音をぶつけるあの二人が――気に入っている。

 我ながら単純な理由で、ある種チョロいのだけど、まあそれこそ友人経験の薄さという奴で。

 ボッチは少し優しくされただけで友情を感じるものだ。


 いや、そこまでチョロくはないはずだが――あの二人が真っ当にいい奴だからだ。あいつらが悪い。シノギは悪くない。

 よくわからない帰結に至った辺りで、探し人が見つかるより前に声がかかる。


「お待たせしました。番号札「047」の方、いらっしゃいますか?」


 のっそり立ち上がり、シノギは受取人側の受付へと赴く。

 先ほどの受付嬢さんが、こちらの姿を見つけて営業スマイルを咲かせる。


「お待たせしました。手紙の転送は完了いたしました。また、保留していた手紙はありませんでしたが、言伝のメモが一枚ございました。こちらです」

「おう――って、こりゃ」


 完了報告は終え、追加の仕事はなし。

 そこまでの情報はよし。

 だが――メモか。

 シノギはゲンナリしつつ、だいぶ嫌そうに番号札と紙片を交換する。とぼとぼと肩を落として先ほどのソファにまで引き返す。


 少しだけ気分を落ち着けるために瞑目し、ため息をひとつ。

 それから、ゆっくりと畳んであったメモを開く。心を強く持ち、それに書かれた文字文書に目を通す。

 曰く。


『そろそろ郵便屋なんて危険な遊びに飽きてきましたかしら?

 であれば今すぐ帰ってきなさい、この放蕩者』


 いつもの小言である。

 やれやれとシノギはその紙片を折りたたみ、胸ポケットに仕舞い込む。態度の割に、酷く丁重に優しく。

 グラスからズレた悪瞳で天井を仰ぎ、誰に言うでもなく――いや遠い誰かに告げるように、ぽそりと囁く。


「――誰が飽きるか、この引きこもり」



    ◇



「参ったな……」


 どうするか――なんて中途半端な心持ちのまま追い続けている内に、どうやら目的地にまで到達してしまったようだ。

 少女ティーナと身勝手男はとある大きな建物へと入って行ってしまった。


 リオトはすぐには続かず、まずはその建物の外装を確認。

 随分と豪奢で力強い神殿のような建物だった。見上げるほどに大きな威容、金がつぎ込まれているのがわかる細かで精緻な装飾過多に、野太く白く滑らかな柱が林立して建物を支えていた。


 なんか、趣味悪いな。なんとなく、金の掛け方が。

 リオトは感想を胸に仕舞って、ともかくここがなんの建築物なのかを探ろうとして――『飛送処ヒソウショ』の文字を発見する。


「あ、ここって、シノギの言ってた……」


 ならば、ならば、ならば。

 なんという幸運だ。ならばここにはシノギが先に着いて待ってくれているはずだ。

 もしかしたらいつの間にティベルシアがリオトを追い越していて、先に辿り着いているかもしれない。

 そう、味方がいる。仲間がいるのだ。それが現状においてなにより有難い。


 リオトひとりの場合、後ろの一組か、ティーナについてる一人程度ならなんとでもなる。即座に気取られぬように接近し、一撃でノックアウトが可能だ。彼は己の保持する戦力を見誤るほどに初心ウブではない。


 だが二組同時の対処は難しい。距離的に至難だ。

 片方を始末している内に、もう片方が確実に動く。互いが互いを意識しているし、時折目線を交わしている。即時にはバレないが、数秒で不審を抱かれるだろう。

 それでは少女の安全を確保しきれないし、もう片方を逃してしまう公算が高い。彼は己の保持する戦力を見誤るほどに初心ではない、のだ。


 まあ、それでも状況的にともかくティーナを救うためについてる男を蹴散らして、後ろの一組は無視してしまうというのも手だ。これを考えない勇者ではないが、後々に面倒を残すのはよろしくない。


 リオトはこの都市から、もうすぐ発つのだ。長く少女のために手を貸してはやれない。

 ならばここで逃してはリオトの不在の後に、同じ――似たことの繰り返し。そうでなくても少女に報復の牙が向くかもしれない。

 一度助けて、その後は知りませんでは無責任だろう。ここで完膚なきまで解決しておかねばならない。


 彼は難儀な性格をしていた。


 そのため動くに動けないでストーキングを続けて隙を窺っていたのだが。

 ここに来て光明が差した。

 ここにはシノギがいる。仲間がいる。

 シノギと密かに合流し、事の次第を話して協力してもらえばいい。二手に分かれれば、二組を同時に始末できる。当然の算数だ。


 まずはシノギを探さないと。

 リオトは好転した状況を上手く活用せねばと心づもり、『飛送処ヒソウショ』へと踏み入る。ティーナと身勝手男を追って地下へと続く階段を降りる。


 ――すぐに気づいた。


「っ」


 リオトはさらなる面倒を知覚する。

 もう一組、現れた。少女を強く注視する視線が、増えた。


 今まで気取れなかった? 違う、今までいなかったのだ。この建物に潜んでいたのだ。

 はじめからこの『飛送処ヒソウショ』が目的地で、ならばそこに先んじて人員を配しておくのは周到で当たり前。


 準備は万端、計画的。用心は深く、徹底的。

 突発的な行動ではなく、思いつきでもなさそうだ。前もって企てられた算段なのだ、これは。


 しかしそもそもそういえば、かの身勝手男一党はなにを目的としどんな行動をするつもりなのだろう。この『飛送処ヒソウショ』に何の用があるという。

 ここまで準備を敷いて、一体なにを企んでいる?


 リオトは今更ながら相手の行動意図を僅かとて掴めていないことに思い至る。

 まあ、少なくともここにやってきて、目的地としていたのだから、なにかがあるはずだ。


 それにティーナの全身の震えが増しているのが遠目でもわかる。事が起ころうとしている。あるいは、終わろうとしている。差し迫っているのが背中だけで把握できる。


 ともかくこちらも味方を増やしておかねば。

 目的不明で先読みはできないが、対応のための仕込みはできる。目線をざっと広い店内に走らせ。


 シノギは――いた。


 黒スーツの後ろ姿がソファに座っていた。なにやら天を仰いでぼうっとしている。こちらには気づていないようだ。

 ともかく同じ階層にいたのは幸運。別の階にでもいられた日には目もあてられなかった。

 急いでこっちから向かって声をかけねば。


「って、あ」


 今今目をつけたシノギの、その横をティーナと身勝手男が通り過ぎようとしていた。

 これは少し待ってからのほうが――いや、逆に攻め時か。

 どうする。

 再び悩みだす――その時、状況が劇的に変転した。



    ◇



 長い長いトンネルだった。

 暗所閉所の一本道、先の見えない地下通路。

 薄暗いが、最低限の明かりは光る魔力石「光明石こうみょうせき」を配置してあって問題なく進んでいける。


「どこまで続くのじゃろうなぁ」


 ――ベルが介入し、侵入した穴はどこぞの宿屋の一室に繋がっていた。


 生活感のない、荷物すら置かれていない部屋。空き部屋だったかとも思ったが、テーブルの上に鍵が転がっていた。

 拾い上げ、ドアの鍵穴にて確かめれば噛み合う。この部屋の鍵である。空き部屋ではない、貸し出されている。


 ならばベルが入ってきた大穴は、この部屋を借りた者の仕業だろうか。

 なんのために?

 答えは魔王たる幼女の鋭敏な感性が再び読み取った。ドアから離れ、鍵をテーブルに投げ捨て、気にかかる場所へと向かう。


 部屋の角の床、フローリング。

 足先に魔力を込めて、蹴った。

 瞬間、硬そうだった木製の床板がぐにゃりと歪む。馬脚を現す大根役者のように直下の縦穴が顔を晒す。

 隠蔽式の結界と変質の魔術の重ね掛け――同じ手品だ、見抜いた種など破ることに造作もない。


 さて、横穴の次は縦穴か。

 ロープが備え付けてあって、どうやらこれで昇り降りするらしい。

 つまり、さらに先がある。冒険魂的にはこれまた魅力的、わくわくが止まらない。誰ぞの隠した秘密がこの先にあると思うと、暴きたくなる。未知を切り開いて既知となす悦楽は堪らない。


 ここまで必死に隠すなら触れてやるなよ。という意見が多数で正当な気もするが、傲慢で傍若無人なのは魔王としての嗜みである。

 それに、これは後ろ暗いことのある類だ。隠蔽のレベルが遊びを高々と飛び越えている。


 そう、正義は我にありというやつだ。

 のだが。


「むぅ」


 いや、絶対に無理じゃろ……。

 運動音痴かつ運動不足の貧弱魔王のベルでは、ロープ一本を頼りにどこまで深いとも知れぬ穴倉へと降りるなどできるわけがない。

 途中で力尽き落下する自信が、彼女にはあった。


 ベルは自身の細腕をちらと見る。

 なんと細く白く弱弱しいのか。こんな手のひらが人ひとりぶんの体重を支えられるはずがない。数秒でも耐えられればいいほうだ。

 なんてことだ、ここまで来て先に進めないとは。同胞ふたりとの合流すら放り出してここまで来たのに。

 畜生、なにが魔王だよ、なんて役立たずな……。


「って、わしゃ阿呆か」


 そうじゃよ、魔王じゃよ。わし魔王じゃ。

 酷く頓珍漢な気づきであった。なんとも素っ頓狂な理解であった。


 そう魔王――魔術の王である。

 ならば魔術を使えと言う当たり前な道理。


 きっと嫌がらせの呪いでそういう思考を阻害されて思いつくのに遅れたのだ。そうに違いない。そういうことにしておく。

 ともかく、そこまで思い至れば簡単明瞭。ぱちりと指を鳴らし、魔力をふわりと全身に伝播させる。簡易に浮遊を己に付す。


 そしてぴょんと穴へと身を投げた。

 魔術によって落下速度は酷く緩やか。存外に浅い穴であったがじっくり一分かけてベルは穴の底へと落下し、ゆるやかに降り立った。


 そこからは一本道。

 人ふたり程度が並んで歩ける幅と高さのトンネル。分かれ道はなく、中途無造作に転がる「光明石」以外にはなにもない。

 本当に、ただの通路のようだ。


 だが、果たしてどこに繋がっているのだろうか。真っ直ぐ真っ直ぐ、ただ一路。寄り道もできやしない、目的地だけを目指した道だ。

 ベルはひとり、ひたすら暗闇のトンネルを行く。


「…………」


 行く。

 行く。

 行くのだが。

 どうにも――少々飽きてきた。


 なにも変わらぬ風景、地下特有のジメジメした空気、いつまで続くかもわからない道のり。

 しばらく歩いて思う――正直、疲れた。だるい。かったるい。


 面白みに欠けると疲労がよく実感できてしまうもの。退屈では歩行さえ億劫だ。

 かと言って引き返すには踏み込み過ぎた。退却してもそれはそれで疲れるし、ここまでの道程苦労全てが水の泡。


 積み上げてきたものがあると、中断するのに勇気がいる。あともう少しもう少しとズルズル続けて余計に転落していくもの。

 だがやはり惜しいと、どうしてもそう思ってしまう。中途半端は好まない。


 そういう意固地なところが、彼女にはあった。

 それが美点かと問われれば首を傾げる。だが欠点かと問われても、やはり首を傾げる。

 単なる性質の問題で、良い悪いもないのではないかと思う。

 はじめた以上は終わりまで。それだけだ。


 今回はその頑固さが、終着に彼女を送り届けた。

 遂に代わり映えなかったそこに変化が訪れる。


「なんじゃおぬしら」


 そこには二人の男がいた。

 泥にまみれたローブを纏った細身な男たちが、背を向け行き止まりの壁を熱心に見つめていた。


 男たちはベルの声にびくりと震えてから、大慌てで振り返る。薄暗くて詳しく人相は窺えないが、感情はわかりやすく驚きが露出している。まさか後ろから声をかけられるなど想像だにしなかったかのように。

 まあそりゃあ、あれだけ魔術で隠して封鎖しておいた通路の奥の奥にて声をかけられる想定など、普通はしないか。


 驚愕による硬直を無視して、ベルは訝しんで歩み寄る。人の顔色を窺う王はいない。


「なんじゃおぬしら、こんな道を作ってなにを覗き見しておるんじゃ、女湯かや」

「っ」


 無遠慮に近寄る幼女に、男たちは即座にアイコンタクト。行動を即決する。

 それは。


「“静かに震え――”」

「“雄々しく大地は――”」

「む」


 外敵排除というシンプルにして安直、なにより物騒な結論。

 敵意溢れる詠唱に移るふたりに、ベルは困惑して――つい。


「『胸を打つ弾丸ショシューゾット・バレ』」


 下級魔術を撃ち込んでしまった。


 圧縮詠唱による術名のみの行使で、魔術法陣も省略した最も簡易な術起動。さらに同じ魔術を同時に二つ並列して扱う二重詠唱。その上でローブによる抗力を貫通し、かつ死なない程度という絶妙な威力制御も気を付けている。

 そんな高等技法の複合を呼吸に等しく平然と、特に苦もなく意識もなくこなす。

 そこにベルとしては感慨もない。うっかりの一言だけが、魔王の感想であった。


「しまったのぅ。反射で撃ち返してしもうたわい。こやつらぶちのめして問題なかったじゃろうか……」


 ポイ捨てのような雑かつ適当な術の発現であるが、その魔弾は正確無比。回避の余地なく見事に直撃。男ふたりは心臓を撃ち抜かれあっさり倒れ伏す。

 殺してはいないし後遺症も残らないだろうが、しばらくは目覚めまい。


 とはいえ。

 もしも特に後ろめたいことのない者たちであったら、なにか善性の目的をもっての行動を行っているとしたら――問答無用で倒してしまったのはまずかったかもしれない。


 また――シノギに迷惑をかけてしまったかもしれない。

 そう思うと、ちょっと曇りそうな幼女である。


 魔王たるベルとて、いきなりの現代にちょっと興奮して身勝手な振る舞いをしてしまった自覚はあった。生まれて初めてできた同胞――仲間に、はしゃいでしまった。

 目上としては少々はしたない言動行動になってしまったかもしれない。幼稚な振る舞いで困惑させただろう。


 それでも楽しくて、嬉しくて、口角が上がって仕方がない。

 せめてこの幸福な時間が長く続きますように――失望されぬよう、迷惑をかけ過ぎぬよう、自制心をもたねばならない。

 今回のように気ままに冒険心に任せたり、敵と断定できぬ内にぶちのめすのも、できるだけ控えよう。


「いや、そもそもいきなり襲ってきて善人はないか。ならばよし」


 ということにしておこう。そうしよう。

 うんうんと二度頷いて、自己完結。反省はここまで。


 一度はじめてしまったことは最後まで。

 道を塞いだ男どもを退けた以上、先に進むべきなのだ。


 先と言っても、実際そこは行き止まり。否、先と同じ隠蔽と変質の魔術による壁に偽装したカーテンだ。

 そのカーテンの向こうを、透視の魔術かなにかで見ていたのだろう。でなくば壁を凝視する奇態を晒す変人がいただけとなってしまう。それはそれで心底恐ろしいのであまり考えたくはない。


「しかしなにを覗いておったんじゃろ」


 穴を覆うカーテンにまで歩み寄り、ベルは何気なく触れる。変質魔術のほうだけ選別解除し、ただの布となったカーテンを少しめくる。覗いてみる。


 そこは人の渦潮。

 溢れかえった人々が行き交う何処か何かの建物内のようだ。隠蔽の術は解いていないので、向こう側の物音は一切届かず、奇妙な心地にさせる風景だった。


 どこじゃここ、と周囲に目を配り、首を回して――すぐ見つけた。

 数え切れぬほどの大人数の中、低い背のため視界も不十分。そこにいるとも思っていなかったし、興味深いものは他に幾つもあったのに。


 ――何故かふと、注意を向けてしまう黒スーツを発見した。


 特段に目立つわけでも、わかりやすい位置にいたでもない。

 なのに、ベルにはその男が――夜空に浮かぶ満月のように何より際立って見えたのだ。


「おう! シノギ、シノギではないかや!」


 気づけば早い。

 隠蔽の術式など焼き切って、ベルは笑顔満開で声をあげた。

 瞬間――シノギが電撃的に動きだす。



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