馬は合わねど添うてみよ 1



 あなたに似合いの友を見繕いましょう。

 それはあなたとともに同じ道を歩み続ける伴侶。

 それはあなたが立ち止まれば励まし運ぶ先導者。

 そしてあなた自身となり得る異体同心の片割れ。

 四肢は逞し雄々しくいななく、テトラホースの名馬をどうか御贔屓に。


              ――馬の巡る都市テトラホースの案内看板




「――んじゃ! 食うぞ!」


 高らかに乾杯を宣し終えれば、さっさと切り替え。

 シノギは嬉々として食事に没頭しだす。冷める前に食い尽くさんとがっつきだす。

 我慢していたが、けっこう腹が減っていたらしい。


 実のところそれはベルもリオトも同じ。会話の最中からしてテーブルの食事に興味津々であった。彼らにとっては随分と久しく、また未来の食事にあたるのだから。

 シノギに続く形でふたりもまた一口食べ、二口味わい、各々感想が漏れる。


「ざっと四百年ぶりの食事じゃのぅ、舌にあえばよいが……って、うまー」

「うん、本当だ。おいしい」

「そーか? おれそれ嫌い。こっちのが美味ェ」

「む、どれ。……普通じゃあ」

「うそぉ」

「俺はどれもおいしいと思うが。昔と比べれば味気ないものも少ないしな」

「文化の発展を感じるのぅ」

「いやまあ、うん。なんというか、酒場で文化の発展を思う日が来るとはな……」


 わいわいガツガツ、三人はテーブルの上の獲物を次々と平らげていく。

 高貴そうな魔王、行儀良さそうな勇者の二人にしては随分と気品に欠ける食卓ではあったが、だからこそ遠慮会釈のない本心での語らいとなる。

 難しいことや面倒なことは横に置き、楽しく美味しく食せばなんだかそれは団欒に思えた。


 食後には宿の部屋を新たに借りるのに手間取ることとなる。

 ギルドの貸し部屋に空きが少なく、残っているのは上等で値の張る部屋ばかりだという。


 一人部屋に三人雑魚寝でよくねとシノギが開き直って、部屋のチンケさにベルが文句を言って、部屋割りを男女別にすべきだとリオトが吼えた。

 懐の寒さが決め手となって魔王と勇者を黙らせ、元からとってあった一人部屋に毛布だけ宿から借り受けた。


 続いて風呂に入るの入らないのと物議を巻き起こす。

 金もかかるし濡れタオルで拭うだけでいいじゃんとシノギ。

 可能なら可能な限り入るとリオト。

 当たり前に毎日一時間は浸かってふやけるのが日課とベル。


 二対一。

 そして先ほどはシノギの言い分を無理に通したため強くでづらい。

 劣勢の言い合いの果てに仕方なく、今日一日分の入浴料を追加で宿に支払うことになった。


 風呂から上がれば今度は就寝時間がバラバラという問題に直面する。


「俺はもう寝てもいいと思うが」

「いや早ェよ、まだ眠くねぇわ」

「わし、そもそも寝んでも活動できるわい。もうちと歓談続けようぞ」


 明日に備えて早寝と正論。

 眠くなるまで寝ないと自論。

 寝るより遊ぼうと極論。


 折り合いをつけるために膝を突き合わせて本日何度目になるかの話し合い。

 合議の結果、間をとって一時間後に消灯。眠りに落ちきるまでは適当に声をだしてもよいとした。


「あ、でも日記書いてる時に話しかけてくんなよ」

「なんと! 日記なぞ書いておるのか。見せてくれ」

「俺も……ちょっと気になるな」

「誰が知り合って一日も経ってねぇ奴らに日記見せんだよ、赤裸々か」

「腹を割って行こうぞ、同胞はらからじゃろ」

「そんなつまんねぇババアギャグに誰が頷くか」

「なんじゃと!」

「いや魔王、正直そのダジャレは俺もないと思う。でもシノギ、ババアは酷い」


 そうして、日記だけ綴ってからはせがむベルを受け流しつつ、三人で布団にくるまる。

 眠気に薄れていく意識の狭間、のべつ幕なしに語り続けるベルに朦朧と相槌打って、気づけば朝。



    ◇



「てーかおれら気ィ合わなさすぎるだろ!」


 朝食の席にてシノギは開口一番、気炎を吐く。


 食事の好み、金銭感覚、生活習慣その他諸々。

 まるで合わず重ならず。

 たった一晩で、元ボッチなシノギは絶叫するほどに痛感していた。


 ――あぁ、これが他人かと。


「あんたらほんとに縁が結ばれてんのかい。なんでこんなに壊滅的に趣味が逸れてんだよ」

「知らんわい」

「食事中に大口開けるのは感心しないな」


 ベルは眠たげに瞼をこすりながら冷淡に言って、リオトは諭すように注意を呈する。

 事に重大性を抱いているのはシノギだけらしかった。こんなところでもやはりすれ違い。


 シノギは不貞腐れるようにパンを乱暴に齧った。

 子供のような態度に、ベルは仄かな呆れを付加した声を発する。


「というか生活習慣の差異なぞ当たり前じゃろ。生きた時代からして違うのじゃぞ、どうしたってそぐわぬ部分は出てくるわい」

「そういうのに折り合いつけて話し合っていけば落としどころも見つかるさ……って、これ昨日も何回か言ったと思うけど」

「うるせぇ、何度だって文句は言いたいんだよ」


 そうトントン拍子に大人にはなれない。

 魔王のように年輪から来る落ち着きも、勇者のように経験から来る達観も、シノギにはないのである。まだまだ若造、未熟者だ。


 成熟しているからいつでも正しいといわけでもないし、未熟が悪しきとは思わないが――延々と文句を連打されても話ができない。すげなくソツなくリオトは話題を変える。


「そういえばシノギ」

「なんでい」

「君、旅してるんだよな、旅荷はないのか? 昨日から見ていないが……」

「あー、それなら」

「その刀じゃろ」


 くぁ、と可愛らしい欠伸を手で隠し、ベルは指さす。それはシノギの腰元に帯びる刀――魔刀。

 応えてシノギは示すように柄を撫で、ついでに位置ズレを直す。


「さすが魔王サマだぜ、名答だ」

「ん、魔刀の、『エニシ』だったか?」

「ちげぇ。こっちは『クシゲ』、『宝納魔刀ホウノウマトウクシゲ』」


 柄や鞘の装飾が違うんだぜ、とシノギは言うが、そう見たわけでもないリオトには判別できない。

 ともかく、事実を飲み込む。今、シノギのくのは『クシゲ』という魔刀らしい。


 しかしとなると、ではもう一本はどこにある。シノギの腰元には一本だけしか刀はないではないか。

 読み取って、シノギは問いの前に答を告げる。あっさりと。


「他のはこの『クシゲ』ン中」

「どういう……?」


 要領を得ないシノギの説明に、ベルがウトウトと船を漕ぎつつも付け加える。


「空間干渉の異能なんじゃろ。なんとなし、歪みを感じるわい」

「おう、この魔刀の能力は異空間に物を仕舞うことだ」


 要は見えず感じぬ箱――匣のようなもの。

 もしくはこことは違う位相のどこか知らない異空間に通ずる扉。自由に物を仕舞い、取り出すことが可能な刀型のポケットとも言える。


 ただし生物と、それから魔力など無形のものは収納できない。また収納には三秒、サイズ次第でそれ以上の接触時間がいる。

 とはいえ、制限はその程度。充分便利で随分高等な魔道具だ。


 シノギは『クシゲ』に旅荷の全てを押し込んで、常に手ぶらで旅している。

 ついでにこの魔刀『クシゲ』に魔術由来の品を仕舞うことで外からの感知を防ぐことも可能なため、六ある魔刀の五つも基本的には収納してある。

 そして魔力気配を遮断する特注の鞘でもって『クシゲ』を納刀してあるため、魔力による知覚から極力隠蔽することができている。


 よって、この魔刀一本こそがシノギの荷物の全てなのである。

 リオトは納得とともに感心してしまう。


「なんというか、凄く便利な魔刀だな」

「まあ、だいぶ希少価値は高ェな」

「ん、そうなのか。となるとそういえば気になってたんだが、シノギの魔刀、それは神遺物アーティファクトなのか?」

「いんや? 全部ただの魔道具さ。神様の品なんざとてもとても」


 人の生み出した魔術を付与された道具を総称して「魔道具」と呼ぶ。

 神にとっては玩具でしかない人の贋作。神遺物アーティファクトの模倣。神追う人の可能性の結晶。

 ベルは遠い過去を思い出すように目を細める。


「ふむ、わしの時代には人の魔道具はどれもこれも単純か、もしくは粗悪であったものじゃが、随分と発展したようじゃな」

「本当に人は走り続けているんだな」


 飽くなき向上心と欲望を糧に、神へと届かんと疾走し続ける。

 人は前を向き、天を目指し、果てを望むサガをもって生まれた生命なのだから。


 と、感慨深そうにしきりに頷くベルだったが、そこでまた欠伸を漏らす。

 すぐに噛み殺して誤魔化すようにコーヒーをちびちび啜った。泥のように濃いのでとオーダーしたそれを苦そうに。


 リオトは、何気なく口を開く。


「というかティベルシア、なんで眠そうにしてるんだ?」


 さっきから欠伸してるし、声のトーンが若干違う。見るからに苦手なコーヒーなんか無理に飲んで――明らかに眠そう。

 昨日は寝ずとも大丈夫と言っていたのに。


 ベルはびくりと跳ねたと思うとコーヒーを飲むのを中断し、ゆっくりとカップをソーサーに置く。その後、空いた両手をおもむろに膝に置いて、すっと顔を背けた。


「いやぁ……なんでもないわい」

「寝不足だろォ。弱体してんのにずっと駄弁ってるからだぜ」

「そこは言わぬが花じゃろが!」


 ばしっと幼女パンチがシノギに襲い来るが、ダメージなし。貧弱さは見た目通りであった。

 マジで弱くなってるのな、とシノギは実感する。魔人は例外はあれど往々にして怪力であるから、加減なしでこれなら相当に力を封ぜられていることになる。

 いや、エルフ系統の魔人なら、もともと腕力は弱いんだったか。


 実際のところ、本来の魔王ティベルシアの強さを知らないシノギとしてはどこまで封印や弱体が原因で、どこまで素なのか判別が難しいところだった。

 とはいえ、言った通り睡眠不足でどうも注意力散漫の様子。魔力や魔術的な技量、知識は別として。


「ほんとに幼女レベルなんだなァ」

「外見通りじゃな! か弱い花じゃぞ、ぞんぶん愛で労われ!」

「とりあえず夜更かし禁止な、ロリ」

「うぐっ。致し方ない、そうしようぞ」

「やはり人間、早寝早起きが一番だ」


 ふたりの横でリオトは茶を啜りながらうんうんと一人頷く。

 その態度にシノギは半眼になってびしりとフォークを突きつける。


「にしてもあんたは早起き過ぎんだろ。なんで日の出前に目ェ覚ましてんだよ、老境か」

「朝の鍛錬をするにはそのくらいに起きないとな」

「そんで汗だくになって風呂か? また追加請求されたんだが」

「なに? 昨日支払ったじゃないか」


 訝しんでリオトは問うが、シノギは軽くなった財布を感じつつもため息を吐きだす。


「ありゃ一日分だ。今日入ったらまた今日分の金が要るんだよ……」

「それは……すまない。てっきり一度払えば居る間はずっとかと」


 嘘を言う男ではなし。というか嘘ではないと縁でわかる。悪気もないし、本当に単純なミスと言える。システム説明を怠った面も否めない。

 まあ仕方ない――言おうとして、ベルが先んじた。


「まあ、入ってしまったのじゃから仕方あるまいよ! 今日もまた風呂に入れることを喜ぼうぞ!」

「あんたが言うな! ていうかもう朝飯食ったら出るんだよ、ここは!」

「なんじゃと。では待っておれ、わし風呂入ってくる。もったいないでの!」

「なっ……ばっ……コノ……っ」


 物凄い勢いで感情が跳ねあがりこみ上がって、だが急激すぎたせいでノド奥で渋滞する。言葉に変換できずに詰まってしまう。

 感情が発散できずに腹に落ち込んで、するとなんかもう、シノギはどうでもよくなる。全部放り投げて天井を仰いだ。


「ハァ……もういい好きにしろぃ」


 なるようになれ、である。

 了承を得て、ベルはしっかり食事を終えてから、鼻歌交じりでさっさと風呂へと向かっていった。


 残るリオトはなんとも言えず、ただシノギの肩を叩く。万感の思いを込めて。


「いや、その、うん。シノギ、本当にすまない……」



    ◇



「しかし昨日も思ったが――人が多いのぉ」


 マジであれから一時間、ベルは風呂に浸かって帰ってきた。

 なにぬくぬく温まって味わい尽くしてんだよ!

 とか、色々と言いたいことはあったが、シノギは静かに飲み下した。パーティ仲の良好を保つのは、互いの尊重が重要なのである。


 勇者がそう言っていた。


 ともあれベルが戻ったので、ようやく三人は宿を出て人の溢れる都市街路へ。

 少し行けば乗り合い馬車が四台は並んで通れそうな大通りに突き当たる。それはこの都市の主要行路で、常に人々や馬たちが行きかう。

 朝からだろうと荷馬車が駆けずり回って、馬たちの嘶きが通り中に響いているのはこの馬と巡る中継都市テトラホースの日常だ。


 賑やかで人の溢れる街路に驚くベルに、シノギは若干の皮肉を込めて笑う。


「もういい時間だからなァ」


 本当なら、もう少し早めに出発していて、人通りも程々のはずだった。

 入浴による一時間遅れのせいで商店が活発化、人込みが想定よりも激しく多いのである。


 それに気づかず、ベルとしてはただかつてと比しているだけ。彼女の記憶には、大勢の人間という風景はなかったから。


「人間というのは、沢山おるのじゃなぁ」


 感嘆に吐いた息はどこか愁いを帯びて、喧噪と足音に消えていく。

 思ったよりも反応が薄い。皮肉が通じていない。シノギは迂遠につつくのは効果が低いと見て直接的に。


「はぐれんなよロリ」

「む。子供扱いはやめよ」

「いやァ、あんたァちっせェからな、人波に飲まれてドンブラコしそうだぜ」


 道幅が非常に広いこの大通りであっても人で犇めき合っている。あっちからこっちへ、こっちからあっちへ。誰もが目的地に向かって顧みない。

 そんな人の潮流に飲まれ流されては、下手をすればはぐれてしまいそうなのは冗談ではなく事実である。


 ただその忠告を頬肉を緩ませて人を食ったように告げるのだから、シノギも素直ではない。

 無論、小さなお姫様もまたそう柔ではなく、微笑み返して言い返す。


「はん、身軽でよほどおぬしらよりも自由に動けるわい。なんならお手手繋いでリードしてやろうかや? ダンスの苦手なシノギ坊」

「ついでに寝不足」

「ぐっ」


 そこは反論しづらいらしい。よく回る舌を畳んで押し黙る。

 なにを言い合っているんだ――込み合う道で人を避けながら、リオトが呆れたような困ったような風体で先を促す。


「で、寄るところとはどこなんだシノギ」

「『飛送処ヒソウショエスタピジャ』だぁ」

「なんじゃそれ。勇者は知っておるか」

「いや、知らないな。どんな場所なんだ?」


 現代に疎い魔王と勇者の疑問が一斉に飛び出る。

 特にベルは未知を探求することに歓喜を覚え、知っていくことに快楽を得る人種であった。その目は爛々に輝いている。

 シノギとしては要求されることは承知していた。頭の中で整理しておいた説明文を並べ立てる。


「まずな、二百年くらい前に【飛送転ヒソウテン】の勇者ってのが現れてな」

「二百年」

「おう、年代的にはリオトと被ってんな。知ってるか?」


 リオトは肩を竦めるだけで否を伝える。

 同年代を生きた人間同士だとて知っているとは限らない。それに、リオトの封印され眠りについた時節は勇者の入れ替わりのタイミングであったこともある。

 まあ、別に知っていたからどうというわけでもないので置いておく。


「そいつの勇者としての固有能力は転移転送の術だった。

 人や物を距離を無視して空間を経ずに移動――転移させる特異にして特大の力。

 道を歩かず町々を渡り、見上げた山頂に佇む。あっちに転々、こっちに転々。空の広さも無為とするほど自由自在に縦横無尽、神出鬼没の勇者――故に【飛送転ヒソウテン】」


 魔王と勇者は固有に特異な能力を備える。それは個人ごとに大きく異なり、だが共通して強力無比であり特殊極まる。

 それはまるで神々の造った神遺物アーティファクトに等しい。

 下手をすれば凌駕し超越している者さえあったという。神の領域に踏み込んだ神の如き力を揮う者、それが勇者であり魔王なのである。


 空間の転移などという規格外すらも、勇者ならば充分にありうる。ベルもリオトも相槌だけ打って話を促す。


「それで、『飛送処ヒソウショ』というのはその勇者が?」

「あぁ、そいつのせいで郵便って概念はあっという間に廃れちまった」

「唐突になんじゃ」

「【飛送転ヒソウテン】は自分の能力を魔術に落とし込んで多くの仲間たちに伝え教え、ひとつの組織を作った」


 それまでには考えられないほど正確で安全で高精度の空間魔術を、である。


 そもそもそれまで空間の魔術は魔王や勇者のような逸脱か、あとはもう一部の天才鬼才くらいにしか扱えない甚大無辺に困難な術だった。

 それを簡易劣化させ、どうにか術構成を改善して簡略して、ようやく凡人に扱えるレベルに仕立て上げたという。


 その事実だけでも大層な功績だが、【飛送転ヒソウテン】はさらにそれをビジネスにした。多くの人々に役立てようとした。


「それが現代においてもはや不可欠たる機関にまで至った『飛送処ヒソウショエスタピジャ』だ。

 物を所定の位置から転移して運ぶ、要は運搬業だァな。他にも手荷物預かって保管しとくなんてサービスも請け負ってる。金とかも預けて、世界各地の『飛送処ヒソウショ』から受け取ることもできる。転移してなァ」

「転移による物の輸送と貯蔵か、なるほどそれは便利だな」


 その発想は誰にでもあっただろう。そう斬新な思いつきでもなかっただろう。

 だが空間魔術という高位極まる術芸をそんなことのために使うなど正気の沙汰ではない。


 練磨した剣術の達人が、その斬技を駆使して全力で料理しているようなちぐはぐ。コップ一杯の水が欲しいと言っているのに滝を担いで持って来るような過剰。

 天秤が釣り合っていない。作業と成果が能力の希少さ奇跡的と比して馬鹿馬鹿しいほど不釣り合い。


 端的に言って、もったいないことこの上ない。

 勇者という聖人に近しい善人であって、その善人に惹かれた気の良い仲間たちが集まってこそ成り立った利益度外視の組織である。


 ――というのが当初の想定。多くの人々の意見であった。


 だが、実際は今や全世界まで及ぶ『飛送処ヒソウショ』は結果的に利益ばかりとなっているのだが。

 元手がポッと出の勇者の異能でコストなど微々たるもの。勇者という資本の安全性と人気の高さ。そしてその人徳人脈という要素が上手く噛み合って、勢力の拡大が予想外に跳ねあがったのである。


「ふぅむ、その転移術、物だけなのかや。人も移動できたらまた交通手段の革命じゃろ。魔物蔓延る外の世界を無視して安全に移動できる」

「いや、そりゃできねぇ。というか、【飛送転ヒソウテン】が教えなかった、命なきものの転移術しかな」

「それは……英断だな」


 生命もつ存在の転移は危険だと、誰に教えることもなく没したという。

 だから、『飛送処ヒソウショ』は輸送手段に限られる。生命の転移が可能なのは、それこそ逸脱した上位者くらいのものだ。


 それでも輸送という点で見れば速度も量も手間も安全性も確実性も――全てにおいて完璧と言って言い過ぎにならない。

 それは人類史においては進歩と称される出来事だろう。世界中に利益をもたらした革新であろう。


 だが、そんな組織が成立したとなれば、人力の郵便など滑稽でしかない。


「だから郵便屋と運送業者はほとんど絶滅。まあ村内、都市内の狭い範囲での内の郵便屋ポストマンはまだあるけどな。

 おれみたいに外に出て村と村、都市と都市とを股にかける外の郵便屋ランナー商売なんざ細々個人的にやる物好きくらいのもんさ」

「……細々とは、やれておるのじゃな」

「ま、転移技術を信用しない層とかもいるからな」


 転移は千か万か億かにひとつ、稀に失敗することがあるという。

 無論、それは公言されており、利用者も承知の上で使っている。

 そんな事例は設立から二百年近く経ても片手で数えられる程度と聞いたが。


 むしろ失敗の賠償が随分多額で、失敗を望んで狙って転移を頼む輩もいると聞いたことがある。宝くじ感覚の阿呆である。


「万が一にも失敗が許せない品の護送とか、そもそも転移先指定のマーキングが施されていない僻地やダンジョン、変な場所とか。あと転移屋だと確実に記録に残るから、それを嫌ったりする類の奴らとかも郵便屋さんを使うな」

「……なんだか物凄くグレーゾーンな利用理由なんだが」

「そういう仕事もしねぇと食ってけねぇのさ、仕方ないだろ。おれだってやりたかねぇさ」


 変に巻き込まれてお縄を頂戴されたら洒落にならんし。そういう奴らに限って態度悪くて金払いも渋るし。

 やはり正規で表立った仕事のほうが稼ぎがよくて安定するものだ。

 それが叶わないからこそ、仕方なしに裏に潜んでグレーゾーンに足を踏み入れるのだから。


 強大過ぎる競合相手が、ほんの少し妬ましくて邪魔臭いシノギである。

 縁から感じ取ったのか、ベルはどこかシニカルに笑う。


「それで、郵便屋のおぬしにとっては逆恨みして然るべきその『飛送処ヒソウショエスタピジャ』とやら、この都市にもあるのじゃな?」

「あぁ、むしろこの都市はいち早く『飛送処ヒソウショ』の受け入れをして発展したんだぜ。最近、建物が手狭になったからって地下まで拡張して受付窓口を増やしたらしいし。それに、ちょっとねぇくらいにでけェ『転移起点駅ターミナル・ゲート』がある」

「『転移起点駅ターミナル・ゲート』? また知らない言葉だな」

「転移させるための起点、マーキングを刻んだ代物で、まあ転移物をいれる箱だよ。その箱が、この都市のはでけェのが多い。一軒家くらいのもあるとか聞いたぜ」

「それはでかいのぉ。なにを転移するんじゃ、それ」

「大量の食糧だの、日用品だの、まあなんでもだよ。言ったように大量でな、転移して、それをこの都市から他の町々に輸送する。ここは中継都市だからな」


 あぁ、とリオトが忙しなく駆け回る荷馬車の多さに納得を示す。


「馬がよく行きかって目につくのは、その運搬のためか」

「おう。ここは元々馬が有名だったからなァ。テトラホースに集中一括に物を仕入れて、それをさらに流すって感じだァな」


飛送処ヒソウショ』は広く満遍なく世界中に点在する。よほど辺鄙な田舎でもない限りどんな町村にも設置され、ないほうが珍しい。

 けれど規模はまちまちで、転移限度というものもある。無制限に考えなしに酷使するわけにもいかない。

 だから大規模の起点駅から周辺の村や町に物資を送り届ける、といった方式をとる地方も存在する。このテトラホースと周辺地域のように。


「成程の。しかしシノギ、おぬしはそこになんの用があるのじゃ」

「仕事の完了報告と、別に依頼がねぇかの確認」

「? あぁ、そうか。手紙を送るのじゃな? それこそおぬしのお株を奪って」

「流石に察しがいいな。その通り。遠隔地に手紙を行き来させる郵便業のサービスも、『飛送処ヒソウショ』にゃある」

「郵便屋が滅ぶわけだ」


 競合相手どころか、完全上位互換ではないか。

 穴を埋め合うような補填の間柄にはなれず、長短を補い合えるほどに拮抗していない。一方的に淘汰されて然るべき。


 それでもなお郵便屋を名乗るこの男は、一体なにを考えているのだか。

 ベルはくつくつと笑みを噛み殺してから、少し気になる点を追求する。シノギの言い方から察するに、意外な事実が推測できる。


「というかシノギ、おぬしの郵便業、ひとりでやっておるわけではないのかや」

「うちの郵便局の従業員はおれともうひとりだァ」

「配送実務はシノギ。もうひとりは事務ってことか?」

「あぁ。あいつは引きこもりだからなァ」

「ボッチと似合いじゃな」

「いや、なにはともあれ友がいるならひとりぼっちじゃないじゃないか」


 なぜかベルは鼻白み、リオトが我が事のように喜んでいた。

 シノギに友人がいたことがそんなにおかしいか。

 反応すればつけあがる。あえて無視して。


「あいつはあいつの人脈っていうか、コネというか、そういうのを使って客を探して場所を指定しておれに伝えてくれんだ。で、おれは指示通りに依頼人のとこに走って郵送品を受け取って、目的地を聞くって寸法だ」

「ほうほう。今回は指輪の依頼を完了したと伝えるのが目的か」

「おう。ついでに別な依頼も見繕っておく。一応、今も幾らか抱えてるが、道中にできるヤマがありゃ済ませとくのが吉ってな」


 思ったよりも真っ当に郵便屋さんである。

 彼の気質上、もっとこう、行き当たりばったりに走り回っていそうな気がしていた。適当かつ雑味たっぷりの空回りなのではと危惧していた。

 聞いた限りそうでもなさそうで、存外に仕事に関しては真摯正道なのだろうか。


 いや、それとももう一人の従業員とやらが有能でシノギを御しているとか……。


「しかしシノギ……その『飛送処ヒソウショ』凄く普通に活用しているんだな!」

「おう、そういえばそうじゃ。そこは意地になって使わんでいるとか、そういうプライド的なものはないのかや!」

「ねぇよ、んなもん。便利なもんは使ってなんぼだろ」

「実に正しいが納得し難い!」

「全くじゃ!」


 何故だか失望された。

 理不尽だ。

 シノギは軽くへこんだ。


「うるせボケ。とりあえず『飛送処ヒソウショエスタピジャ』、行くから、ついてきな。はぐれて迷子にでもなったら腹抱えて笑うからな」




 ――と、そう冗談混じりに述べたのが二十分ほど前である。

 人込みに手間取り、押し流されるように歩いて、苦労して遂に辿り着いた。


「さて、ついたぜ。『飛送処ヒソウショ』だァ……ぁ、あ?」


 シノギが振り返れば、そこに目立つ神父もお姫様も見当たらなかった。

 空白空座、すっからかん。多く人は流れるのに、ぽっかりと穴の空いたような不在であった。


 咄嗟に状況を理解できず、シノギはしばらく機能停止に陥った。

 硬直し、凍り付いて、困惑する。

 実に二分、彼は振り向いたままの姿勢で凍結してしまった。


 ふと最初に稼働をはじめたのは顔面筋。ひくりひくりと二度頬が痙攣し、続いて両腕が非常にゆっくりと頭部に回る。その両の手のひらが頭を包み込むように掴んで。

 直後爆発。

 咆哮する獣のように叫び散らす、


「迷子かよぉ!」


 道中往来ど真ん中。しかも大盛況の『飛送処ヒソウショ』前。

 迷惑甚だしく、邪魔臭いことこの上ない。

 そんな周囲を気にしている余裕はない。地団駄踏んで悲嘆に暮れる。


「まっ、じで波長合わねぇ噛み合わねぇなぁ! ほんとに縁結ばれてんのかァ!?」


 ガァーと叫んで、三秒。

 シノギは不意に無意味な絶叫を停止する。冷静になる。叫んですっきりした。

 いつまでもこんなところで奇態を晒していては衛兵や憲兵を呼ばれてしまう。両手首に冷たい枷を嵌められてしまう。


 彼は外見的凶悪性上、よく勘違いで冷たい鉄を手首に感じることがあった。

 ちょっと詰め所までという決まり文句で連行された経験が豊富だった。

 悲しくも切ない過去である。いつ思い出しても物悲しくなる。


 いや今回は勘違いではないのだが。

 勘違いでないからこそやや急ぐ。挙動不審にならないように気を付け、悠然と歩き出す。

 目立たない程度に加速していき、小走りとなってその場を離れる。そして何事もなかったようにそそそくさと『飛送処ヒソウショ』へと紛れ込んだ。


「くそ、合流したら絶対笑ってやる! 腹抱えてすっげぇ笑い倒してやるからな!」



    ◇



 少し時間を遡る。


 魔王ティベルシア・フォン・ルシフ・リンカネイトは酷く難儀していた。

 なにせベルの華奢で小柄な体躯では、この都市の人通りは津波に等しい。


 まず前が見えない。誰もの身長が幼女な彼女より高い。巨木が林立しているようで、隙間から前方の黒スーツを探し追うのに苦心する。

 時たま見失うこともあった。方向だけは違えず進めばなんとか発見し、だがいつの間に距離が離れている。


 歩幅が違う。服装の動きやすさが違う。人波に対する慣れが違う。

 徐々に追う背が小さくなっていく。遠のいていく。

 先ほどはぐれないと強気に胸を張った手前、ふたりに待ってくれと言うのも負けた気がする。ずぶずぶと声を発するタイミングを逃し続ける。


 とはいえそうした引け目よりも、流石に本当に置いて行かれるほうが更に格好悪い。背に腹は代えられない。

 そう判断して、恥を忍んで声をあげようとして――


「む」


 突如として立ち止まる。

 何かに気づき目を細め、眼光を鋭く尖らせ、集中しようとして――


「わわ」


 すれ違う人たちにぶつかり、舌打ちされ、また別に迷惑そうに横を通り抜けられる。

 自身に『拒絶結界』を張ってあるベルに痛みや衝撃はない。だが、ここで立ち止まるのはまずい。迷惑だ。


 判じて流れを横切り、どうにか端っこへと身を移す。道を逸れる。

 それすら手間取る。大儀である。

 幼児体型が恨めしかった。ちんちくりんが嘆かわしかった。


 なんとか目当ての建物、その壁に辿り着く。先ほど感じた、なにかがここにある。

 だが見遣ればそれは何の変哲もない。どこも不思議のないただの壁面だった。


「ふむ」


 ベルは何気なくその壁をやや強めに叩く。ノックのように。

 こつこつという高音に、硬く冷たい石の感触。やはり特段に怪しいところも奇妙も見受けられない。

 否。


「はん」


 魔王はあざ笑うように再び壁に触れる。今回の指先は淡く輝きなにか力を放出しだす。

 そして、ぐいと無造作にベルは壁をまくった。

 硬質堅固のはずの石壁は、だがカーテンのように容易く指が通り捲れ上がる。


「ほうほう」


 隠蔽式の結界と変質の魔術の重ね掛けだ。


 壁に大穴を開け、その穴を布で被せて覆い隠す。その布を変質させて硬質化、石の性質の付与をすることで穴を塞ぐ。見た目五感からは不自然なく馴染む。

 その上で気取れぬように違和感を殺し、魔力気配を消臭し、魔術的な感知でも知れぬようにと徹底的に丁寧に処置されていた。


 まあ、魔の王たるから隠れるには、悲しいほどにお粗末であったが。

 格が違うというか、普通は魔王を想定して術などかけるわけがない。どんな最悪の想定だ。


 しかしまあ、悪くはない術式だ。粗は少ないし、精密。今こうしてベルがめくっているというのに、それに周囲は気づいていない。


 果たしてどういう意図で、どこの誰様がこんな処置を施したのだか。

 興味本位から好奇心が沸き上がって、薄く笑みが浮かんでくる。


 どうしようか。この穴、人ひとり通れるくらいに大きく広く、屋内につながっている。奥へと続いている。つまり秘密の隠し戸だ。

 秘密の隠し戸――なんて胸躍りわくわくさせる単語だろうか。冒険魂をくすぐられて愉快愉快と大笑いしてしまいそうだ。


 侵入してみるか? しようしよう、是非しよう。こんなの絶対楽しい、楽しいに決まっている。

 あ、いや、待て。そういえばすっかり忘れていたが、今はひとりではない。暴君の気ままはある程度自重せねばならない。残りふたりにも意見を――


「って、む?」


 そこで思い出したように振り返れば。


「あー、しまったのぅ。はぐれてしまったわい」



    ◇



 ベルがようやくひとりきりになったと気づき、途方に暮れている頃。


「あ」


 少し歩いたところでリオトはベルの不在に気が付いた。

 ついてくるだけで難渋していた幼女を、リオトは殊更気にかけ適宜振り返って確認していた。そうして何度目かの確認の際に、いつの間に消えていた。


 やはりはぐれてしまったか。

 それに気づくこともなく進行するシノギに声をかけようとして。


「しの――」


 また別に、気づいてしまった。


 今まさに足を踏み外し、身を中空に晒し、地に吸い寄せられている少女を。

 神速の勢いでリオトの身体は動いていた。


 その瞬間において、彼は他の全てを忘却していた。


 ただ躓いた少女がいて、ならば助けると。それだけしか思考になかった。

 すっと優しく抱きとめ、少女を受け止める。


「大丈夫ですか?」

「えっ……あ、ありがとう……ございます」


 少女の視点からすれば、一瞬の浮遊感を覚えたと思ったら、男の腕の中にいた。

 若干のパニックに陥りかけるが、なんとか声を上げることは我慢した。こんなところで目立つわけにはいかない。


 一方で、リオトは立たせてあげながら少女のその挙動に、顔色に、なにか不自然を読み取る。なんとなくとしか言いようがない酷く漠然とした感覚ではあるが、一目でそれを看破できるほどに勇者のセンサーは優れていた。


 ――彼女はなにか困っている。


 困っているなら助けたい。

 大事ないようならすぐに去ろうと思ったが、これは少し、気になる。

 軽く探りをいれてみるか。


 人助けに関して、彼は躊躇がない。そういう呪いを受けているからではなく、性分だ。

 警戒させないように微笑のまま、出し抜けにリオトは言う。


「荷物、持ちましょうか?」


 少女は手に嫌に大きな手提げ籠バスケットを提げていた。

 重そうで、邪魔そうで、なにやら厭うようにしながらも強く握っている。大事そうにしているというより、危険物を慎重に扱っているように見える。

 先ほど転びかけた際に、我が身よりも優先して守ろうとしていたことからも、それは推量できる。


 そして――なにか不吉な魔力をほんの微か、仄かに臭う。


 それはこうして相対していなければ、よほど傾注していなければすぐに見失ってしまうほど微弱な反応。気のせいと言われたらまず納得してしまうだろう。

 まあ誰も気のせいを指摘しないので、されない内は気にしておく。


 リオトの申し出に、少女は跳び上がるように驚き、ぶんぶんと千切れる勢いで首を振る。


「いっ、いい、いえ、いえっ。だいじょうぶ、大丈夫ですから構わないで、ください……」


 バスケットになにかある。リオトはすぐに確信した。

 それを話題にだしただけで、少女は見るからに焦燥し怯えている。

 冷や汗びっしり、全身が震え怯え、足元が覚束ない。躓いたのもわかる。

 極力、刺激しないよう、リオトは両手を挙げて申し訳なさそうに力なく笑う。


「……あぁ、失礼。見知らぬ男にこんなことを言われては恐ろしいですよね、俺の名前はリオトーデ・トワイラス」ミドルネームは勇者とバレる。基本的に伏せておく。「よければお名前を聞いてもいいですか?」

「えっ、名前……あ、はい、わたしはティーナと、言います。ティーナ・ウレリア」


 おっかなびっくり、おろおろとしながらも、違えなく確と名乗る。

 つっかえつっかえな言葉の割りに、発音はしっかりとしており、声量も聞き取りやすい。

 怯えているだけで、本来はよく喋るような人なのだろうか。


「ティーナさんか、よろしく。重そうな荷物だね、女性には辛いんじゃないかな。どこに行くの? よければ持つよ。もちろん、お節介なら引き下がるけど、見ての通り神父だからね、人助けはできるだけしたいんだ」


 やや強引に、早口で、リオトは言葉を並べ立てる。終始笑顔で怖がられないように気を遣いながら。


 ティーナはリオトの言葉にはっと上向く。忙しなく迷わせていた視線が彼のカソックへと食いつく。

 神父が珍しいのか、実はカソックが二百年の間に廃ったとか。

 そうではないようで、少女は迷うように俯いた。

 なにかが腹の底からこみ上げてきているかのように全身が小刻みに震え、それを堪えるように身を固くする。

 そして、意を決して息を吸うか細い音が聞こえた。諦観に呼気を吐き出す様子が見えた。

 結局、次に顔を上げた時には、少女の顔には無理やりに張り付けた笑顔があった。


「……大丈夫、です。ひとりで持てますので。お気遣い、ありがとうございます……」

「本当に――大丈夫ですか?」


 鋭利な刃物のように切り込むその言葉に別の意味合いを乗せて、リオトは覗き込むように言った。

 それでも、少女の笑顔はくしゃくしゃのまま揺らぐことはなかった。


「はい……」

「そう、ですか」


 ここまで言い切られると、リオトとしても無理に聞き出すことはできない。

 確実になにかある。隠し事をしているのは明白だ。何かを隠し、そしてその隠していること自体に罪悪感を覚えている。なによりバスケットが不吉だ。


 だが、少女はなんでもないと言う。これでは手出しができない。過剰な節介は迷惑でしかなく、少女が困るだけ。節介するに躊躇いはないが、困らせるのは本意ではない。


 とはいえ見過ごせというのもできない相談。これは非常にまずい予感がするのである。

 頑なな少女の本音を詳らかにするのは難しい。というか、リオトが苦手だ。


 どうしようか、思案をはじめようとして、そこでまるで別方向から進展が起こる。声がかかる。


「あぁ、失礼。彼女がどうかしましたか」


 人の壁を少し強引に割って現れたのは、ガタイのいい男だった。

 背が高く、筋肉質で、だが鈍重とは思えない。しなやかな肉体は猫科のよう。服を纏っても見取れる飾りでなく鍛えた身と足運びに、そして纏う雰囲気から戦闘者であると特定できる。


 武器は見えないが、隠しているような素振りが一瞬あった。小剣かなにかを伏せていると見た。


 突然現れたその男は、馴れ馴れしくティーナの肩に手を置き、親し気な風体。なにが愉快か不自然ににこやかで、そのくせ目が笑っていない。

 ティーナを観察しても、男の登場で緊張がほぐれたりはせず、むしろ強張っているように思える。

 というか、今までどこにいた。どうして会話がはじまってしばらくで声をかけてきた。


 どうにも、この男もまた怪しい。訝しみ過ぎだろうか。疑おうと思えば幾らでも疑えるもので、神経質になっているだけかもしれない。


 ともあれここで食い下がっては不自然だろう。なにかを感じさせるような所作は警戒させるだけ。今はただ通りすがった善意の人であるべきだ。

 内実など欠片も映さぬ笑顔で、リオトはバツが悪そうに謝罪をしておく。


「連れ添いがいましたか。これは失礼。神父として、どうも困った人は見過ごせなくて声をかけたんですが、無用な気遣いでしたね」

「いえ、こちらこそ気遣っていただいてありがとうございます。大丈夫、彼女の荷物なら俺が持ちますので」


 これ見よがしにティーナのバスケットを受け取り、男は歯を見せて爽やかそうに微笑んだ。


 そんな貼り付けたような胡散臭い笑みなど見もしないで、リオトはティーナの表情の変化にだけ注意を向けていた。

 バスケットを手放せたことに、安堵している、ようだ。


 リオトはそこまで確認すると、会釈だけして少女と男から離れた。

 数歩で雑踏に紛れて、すぐに互いに埋もれてわからなくなる。木の葉が一枚、森に落ちてしまったように。


 適当なタイミングで踵を返す。


 ごった返す人波をするすると縫って、鮮やかに踊るように避けてふたりを追う。洗練された歩法はすれ違う誰かと掠りもしない。

 減速なく歩めばすぐに見失った少女と男の背を捉える。


 ふたりの背を注目しないように視界の隅に置く。あまり注視すると手練れならば気づかれる。視界の中に置いて見ないでいるという手管が追跡には要る。

 そのまま、リオトは少しだけ気配を弱め、雑踏に紛れるようにして存在感を薄める。どうにも二人と言い難いひとりとひとりを追いかける。


 あ、男がバスケットをティーナに渡しやがった。あの野郎。

 しかもこの歩きづらい人の多さにも無遠慮で、ずんずん真っ直ぐ突き進んでいる。追いかけるティーナの歩幅も考えていない。

 なんて気の利かない男だ、これから内心で身勝手男と呼ぼう。


「…………」


 しかしこれ、冷静に考えればストーキングだよな……。

 一体自分は何をしているのだろうと天を仰いで自問してしまいそうだった。不意と気を抜けば己が酷く滑稽、恥知らずの痴愚なのではないかと落ち込みそうになる。


 もしも少女への推察がまるきり勘違いだった場合、羞恥に耐えかね腹を掻っ捌いてしまうのではないか。そんな間の抜けた危惧まで真剣に思い浮かべていた。

 リオトはストーキングというワードを禁句と指定し、厳重に思考から追い出しておこうと決めた。


 だがそういう感情的な自己とは別に、無機質的確に状況を俯瞰している自分もいる。


 ――ひとり、いや二人……の一組か。


 リオトとは別に、また一組の誰ぞがティーナと身勝手男を尾行している。

 気づいたことに自慢はできない。リオトとは違い、そこまで隠形に気を遣っていない。むしろ視線を強く、気配を濃く。尾行というより、あれは監視か。


 少女が竦んでいたのも、自分が監視されているとわかっていたからなのかもしれない。下手な行動をとれば、即座に監視者が動くと把握していたのかもしれない。

 リオトが突っかかったというアクシデントにすぐに身勝手男が現れた点からも、監視という推測は遠くないように思う。


「さて、どうするか」


 少女を助けたいと思う。

 だが具体的な現状は不明。助力が要るのかもわからないし、それ以前に助けも求められていない。これはお節介で、自分勝手でしかない。


 明らかになにかあると顔に書いてあるのに、口先ではなんでもないと言い張るというのは、つまりこちらに心配かけまいとの配慮。もしくは言えぬ、言ってはならぬ事情を抱え込んでいるか。


 思案は幾らでもできて、可能性はどの方向にも迷い込める。

 それでも結論はひとつきりで――なお助けたいと、リオトは思う。

 とりあえずおそらくまずそうなのはバスケットと、連れ添う身勝手男と尾行する一組。

 障害を排除するとしても、相手は一人と一組という二手にわかれている。こっちはリオトひとりで――


「って、あ、しまった……」


 そこでようやく思い出す。

 今はひとりではないのだった。

 二人の同胞がいるのだった。

 先ほどまで同行していて、そして。


「おっ、俺まで迷子か……!」



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