結ぶその手を縁と呼ぶ 3



 竜は大地に臥し落ちて、その生命の灯火を深き地底にて吹き消される。

 あれだけ暴威を誇った怪物も、死の眠りについてしまえば物言わぬ骸に過ぎない。それは、どんな高位の魔物とて生命という括りの内であるということ。どれだけ殺戮を是としていても殺されてしまえば死ぬ。


 ティベルシアは奇妙に物悲しげな眼差しを送り、銀のまつ毛を伏せっている。すぐに見切ってシノギとリオトーデに。


「して、脅威は除いたがどうするのじゃ」

「とりあえず移動だな。馬鹿騒ぎで音も魔力も出しまくって宣伝しちまったからなァ」

「俺も賛成だな」


 餌はこちらですよ、と喧伝すれば当然魔物たちが集まってくる。血の匂いに活発化し、人の気配に興奮しながら押し寄せてくるだろう。

 シノギはそこら辺、冷静に判じて足を急ぐ。なににせよ留まるのはまずい。魔刀を回収してすぐに動こうとする。


 移動は賛成するが、リオトは念のために確認だけしておく。


「竜の骸はどうする」

「いらん」


 非常に高価な素材になるのだが、シノギはバッサリと切って捨てる。

 剥ぎ取り作業の時間と手間、それに運び出す際の重量を考慮にいれて――なにより。


「おれァ郵便屋さんだ、届ける生業で、魔物の素材なんざ興味ねェ。

 ――が」

「が? なんだ」

「いや、そういやちょうどいいと思ってな。ちょいと待ってくれい」


 言いながらシノギはスーツの懐を探り、ごそりとひとつの小さな箱を取り出す。


 箱――封印用の小箱。


 一見すれば平凡、特段に細工も装飾もないシンプルなデザインの身蓋箱でしかない。だが内実、それは頑丈で頑強、魔術的に封鎖され封印された特注の小箱だ。

 無論、その箱の中には、だからとても大事で、危険で、恐ろしい物がある。


 その箱を開き、中の物に接しないように慎重に――ひょいと竜の骸に放り捨てる。触れたくもないほどばっちいものを捨てるように。

 きん、となにかが金属音を奏でて竜の骸、その傷口へと吸い込まれていく。


 リオトーデは不思議そうに問う。意図が見えない。


「なにをしているんだ?」

「さっき言ったろ、郵便物のお届けだよ。このダンジョンに棄てるのが目的で、人の手に届かない場所に投棄すりゃいい。んで、竜の死骸ならそれもありだろってな」

「いま棄てたもの――呪具じゃな」

「へぇ、よくわかるな、流石は魔王だな」


 それは触れるだけであらゆるものをグズグズに腐らせる指輪。

『腐食王の一つ指輪』と呼ばれる神遺物アーティファクトであり、迷惑極まる呪具である。


 封じていた小箱さえ、長時間の接触で徐々に腐り始めていた。危険で脅威、制御の術すら存在せず、ならば触らぬ神に祟りなし。気にせず触れず無視してしまうが順当だろう。この世にはもっと安全で、もっと凄まじい神遺物アーティファクトがある。


 よって、不要と烙印され棄却することとなったのだ。


 シノギに渡された依頼は、この危険なアイテムを誰の手にも届かない場所へと移送して欲しいというもの。

 神遺物アーティファクトを破壊することは人には難しく、封印も完璧には叶わない。海や地の底に捨てても、故事に曰くそこには支配者がいて神遺物アーティファクトのような強大な物はすぐに感知され彼らの糧になってしまう。

 そもそも多くの神遺物アーティファクトのあるべきは神の膝下だろうと。

 それが依頼人の言葉であった。たとえ神が死していようとも。


 だからこそ、郵便屋さんはこんなにも危険極まる人の立ち入るべきでない迷宮になぞやって来たのだ。

 ティベルシアは、そのなんともおかしな理由に顔中を笑みで満たす


「なんともやはり、奇特じゃのぅ」

「それでどうして竜の死骸に?」

「『竜廻し』って呼ばれる数少ない神遺物しんいぶつの封印方法の一種があるんだよ」


 神遺物アーティファクトの呪いの効力も、竜の器と鱗ならばある程度抵抗できる。竜は死しても特別なのである。

 無論いずれは腐り始めるだろうが、竜種族には共食いの特性がある。友の亡骸を食らうことで葬り弔ってやるという生態だ。


 そのため、いずれこの地竜の骸もまた、別の竜が見つけて食らうだろう。その身に残る指輪とともに。

 そうして指輪を飲み込んだ竜は、また死に別の竜へと受け継がれていく。竜の胃液と魔威マイによって神遺物アーティファクトが消失するまで続く、長い長いたらい回しである。


 まあ、神遺物アーティファクトの消失は未だに理想の可能性でしかなく、研究中らしいのだが。

 その上。


「たまに神遺物しんいぶつの力を取り込んで強大化した「神竜」ってのが出現しちまうかもしれねぇ危険な方法でもあるんだけどな」

「よくないだろ、それ!」

「ほとんどありえねぇって。ともあれこれでおれの仕事、終わり! 帰るぞ!」


 なにか言いたげなリオトーデだったが、ため息ひとつで飲み込んだ。


「まあ、いい。ところでここからどうやって帰るつもりなんだ。帰りを想定しているのなら、帰還の方法も握っているんじゃないか」

「なくはねぇなぁ」

「ほう、存外に周到じゃのぅ。して、その方法とは」


 シノギは少しだけ考えこむような仕草をとる。


「基本はおれひとりを想定してたんだが、ベル、体重を減らしたり浮遊の術は使えるかい」

「重量減算は難しいかもしれんが、浮遊ていどならば容易いぞ」

「んじゃ、おれら三人を浮かせてくれや」

「あいわかった」


 特に疑いもせず理由も問わず、ティベルシアは魔術にとりかかる。

 何事か呟き、魔力が輝き、ふわりと三人は浮かび上がった。


「それで、どうするのじゃ。この魔術ではあまり素早くは移動できんが」

「浮かしてくれるだけで充分だ。んで、ふたりともおれに掴まれ、一気に移動するぜぇ」

「なにをする気だ?」


 言いつつ掴まるふたりに答えず抜刀。シノギは再び魔刀を空気に晒し、その澄み切った銀を解き放つ。魔術的照明の光を受け、その刀身は綺羅びやかなほどに、狂おしいほどに美しかった。

 シノギは天衝くように高らか魔刀を掲げる。その魔威のほどを見せつけるように。


「『結線ケッセン魔刀・エニシ』、その能力は刀身に触れたものと縁を結ぶ異能。結んだ縁をレールとし、そのレール上を走ること。縁を結んだ地点へと一目散に飛んで行く空を舞う翼剣」

「レールを走る。成る程の、先は竜の口内を終点としたレールが敷かれておったのじゃな」

「そしてレールを高速で刀が走り、矢のごとく射抜いたと。では、まさか」


 にぃとシノギの頬が裂ける。実に悪魔的に、実に愉快そうに宣告する。


「応とも、そうよ。魔刀は縁をヨスガに真っ直ぐ駆ける、担い手がいなくてもな。けど、担い手がいたって構わねぇ。関係なくレールを違わず迷わず一直線さ。相乗りさせてもらって問題ねぇ」


 シノギの言葉が終わった瞬間。ふたりがなにか言おうとした直前。

 魔刀『エニシ』がギラリと不吉に輝いて――突如、猛然と疾走を開始した。


 無論、その柄を握るシノギと、そのシノギに掴まるふたりを牽引して。引っ張って。運搬して。

 それは馬が馬車を引くようなもの。だがその速度が段違い。重さなど感じさせない等速の飛剣は、馬より速く放たれた矢よりも鋭い。ダンジョン内の要所の幾つか結んでおいた縁を目指して魔刀は走る。


 その勢いは凄まじく、相乗りなどと簡単に言ってなせることではない。風圧に全身を打たれ、空気の壁に打ち据えられて、通常ならば柄を握り続けることすら困難だろう。

 とはいえシノギとしては慣れたもの。高速飛翔の魔術で空を駆けるようなものだ。進路上の障害物を警戒して目を凝らす作業も平然となす。


 慣れていれば。慣れていなければ?


「ぎゃぁぁぁぁぁああああああああああ!?」

「ぅお、ぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!?」


 慣れぬふたりの絶叫だけが、ダンジョン内でいつまでも木霊し続けた。



    ◇



 シノギが踏み入ったとある高等ダンジョン、そこに潜るにあたって利用した近場の都市がある。


 名を「テトラホース」と言う。


 馬車用の馬の飼育が盛んであり、有力な都市やダンジョンと比較的に近い立地である。そのため馬車を軸として様々な都市へと繋ぐ中継地点として利用され、発展していった。

 また別に百年近く前にとある機関の配置に積極的に受け入れたことでさらなる大きな躍進を遂げ、今では大陸有数の大都市と成り上がっている。


 通りには荷馬車や駅馬車が慌ただしく行きかい、そして様々な人々が雑踏を作る。

 歩く人たちの服装や種族はバラバラで統一しない。あらゆる地方からここに立ち寄っているのだとわかる。あっちこっちから人が集まっているのだと見て取れる。


 だがその皆が忙しそうで安穏に欠ける。この都市は本当に中継点、目的地ではなく通り道でしかない。誰もが遠いどこかを目指して立ち寄っては僅かな休息をとるだけ。

 だからこそ人波は激しく、その流通は回転しているのだ。




 テトラホースの近くには難度様々なダンジョンが幾つかある。

 そのため都市の端にはダンジョンを管轄する『探索者連盟ローグ・ギルド』の支部が堂々とそびえ立っていた。


 都市の規模に応じて、ダンジョンの数や難度を考慮され、ギルドの建物も巨大で豪奢。いや、言ってしまえば無用なほどに立派に過ぎる。

 堅牢な石造りで、装飾は細かい。材質もやけに上等、妙にこだわって金がつぎ込まれていると感じる。そこらの古城に迫るほど絢爛豪華な建物だった。

 丁寧な職人技が光る高層建築物は、そのため周囲と和すことなく、端的に言ってしまえば浮いていた。悪目立ちも甚だしい。


「け、何回見ても悪趣味だぜ。誰の趣味だよ」


 不服そうに言いつつ、シノギはティベルシアとリオトーデを伴いギルドに足を踏み入れる。


 外界探索機関『探索者連盟ローグ・ギルド』とは人の住まう結界内という生存圏、その外――外界へと赴く者たちを補助するための複合互助組織である。

 組織の目的は主に魔物の討伐や地図の作成など人類の生存圏の開拓だ。

 多くは報酬を提示して戦闘者や迷宮踏破者を雇う形式をとっているため、その支部は旅人にとって気安い酒場と宿屋として開かれ、活用される機関でもある。


 リオトーデはへぇと感慨深くつぶやく。


「ギルドは続いているんだな。俺の生きた頃からあったぞ」

「まあ外界に魔物が脅威として溢れる限りはこの手の需要は絶えん。わしの時代にも既に似たようなのがあったわい」

「へぇ、そりゃ年季いってやがるなァ」


 色なく言いつつ、シノギは事務的で機能的な受付窓口を素通りして、旅客たちのための貸し部屋があるであろう階段もスルー。併設された酒場スペースのほうへ歩いて行く。

 まず前時代と様相は変わっていないだろうが、どうしても現代知識に欠ける魔王と勇者は黙って付いて行くしかない。


 建物に踏み込んだ直後の受付側とは違い、そこは本当にただの酒場のようだった。

 粗雑なテーブルと木製の椅子が並び、酒や様々な料理の匂いが漂っている。テーブルで食事をつまむ者、カウンターで酒に溺れ管を巻いている者がチラホラ窺える。


 その雰囲気は賑やかでいて和やかだ。

 食事というのは匂いで心をほぐし、味が心を満たす。無論に腹もまた満たされる、ある意味では楽しい娯楽なのである。


 食事時でもない夕刻だったので空席は幾らか探せる。シノギは隅のほうの四人席を選んで座り込む。恐怖の目線でティベルシアとリオトーデに促し、ふたりも腰掛けた。


 事あるごとに怖い目だな、と腹に感想を抱きながら。

 すぐにウェイトレスがやって来る。媚びるような声音で擦り寄って、だが着席するシノギの顔を見て硬直した。


「いらっしゃいませぇ……え……ぇ……」


 そして大きく息を吸い込み――ああ絶叫するな。という直前に、シノギは遮るように手をかざす。瞑目しつつ、叫ばれる前に要件を告げる。


「いいから注文頼んま」

「あっ、はっ、はいぃ」


 思い出したように背筋を伸ばしウェイトレスはなんとか絶叫と恐怖を飲み込む。

 特に無駄口もなくシノギは適当に注文を告げると、ウェイトレスはビビりながらも承って去っていく。割と職業意識は高いらしい。

 その背を見送りつつ、ティベルシアはくすりと悪戯っぽく笑う。


「おぬしも苦労しておるのぉ」

「……まぁな」


 ともあれ席にはついた。落ち着いた。

 ダンジョン内よりもずっと気楽に会話できようというもの。

 シノギは料理の来るまでの間に聞いておきたいことを話してしまうことにする。


「んで、だ。さっきの一戦で幾つか聞いときてェことがあったんだが」

「俺か」

「わしもじゃろ」


 シノギは二度頷く。


 両者ともに、同じ疑念が生じている。同じ奇妙が見受けられる。

 黙認して流すには、少々問題が発生する類の疑念で奇妙。ここでズバリ真っ直ぐに切り込んでおく必要があろう。先は長くなる。


「どっちっからでもいいから聞かせてくれよ。あんたら、どういうわけだい。なんでそんなに――弱ェんだ?」


 それは不遜な物言いのようでいて、その実、草臥れた声音だった。

 先ほどの竜との戦闘、それにおける彼と彼女の戦いぶりは見事の一言。シノギなどには及ばぬ強さを見せつけてくれた。


 強大なる竜を相手取って臆さず、真向から剣一本でやりあっていたリオトーデ。

 膨大なる魔力による魔術を放たれて、的確に対処して喰らい消したティベルシア。


 ――だが勇者と魔王はもっと強い。


 もっと埒外に不可解なほど、もっと桁外れにおぞましいほど、強いのだ。

 竜は災害。

 勇者と魔王は、ならばその災害を蹴散らす荒唐無稽な神話そのもの。説明もできない、理屈も通らない。この世の事象に比喩もできない。そういう上位存在だ。


 翻って彼と彼女のそれは常識の尺度で測れる強さでしかなく、鍛錬で届きうる超一流の範囲内――逸脱していない。


 なぜって、理解ができるから。

 技の意味が、術の仕組みが、その戦術的な行動が、理解できてしまう。

 それは、ならば半神の領域には踏み込んでいない。勇者でも魔王でもない。


 かつての勇者と旧き魔王は、その問いかけに気まずそうに目線を交わし、苦笑し合う。


「ふむ、リオト?」


 どちらが先に話すか、というぐらいの呼びかけだろう。

 リオトーデは控えめな手振りで譲る。


「お先に。レディファーストだ」

「よかろう。では端的に言うがの、わしは――」


 ティベルシアは麗しい口元を歪め、身を乗り出して手のひらで己を示す。

 重々しくその言葉を告げる。


「わしはおぬしより弱いぞ」


「は?」


 軽佻けいちょう楽天な調子で魔王はにへらと笑う。まるで重みのない風船のような笑みである。それはだらしない顔つきであるのに、品格を保ったままなのは何故なのだろう。


「いやのー、たぶんじゃがわし、呪いとはまた別に封印が施されておる」

「どっ、どういうことでい」


 流石にそれは聞き捨てならない。シノギは前のめりになってティベルシアに向かい合う。

 幼女な魔王はやはり軽い。己が雁字搦めに抑圧されまくっている事実を、茶を零した笑い話ていどにしか感じていない。


「わしは戯けどもに封ぜられたと言うたじゃろ、その際に開封後まで考慮した大戯けがおっての。結果、奴らわしの寝ておる間にありったけの弱体系の術をぶち込みおったようじゃ」

「おいおい陰湿だねぇ、こんな幼い子を封印した挙句に弱体かよ」

「魔人に外見と年齢は無関係だぞ」


 リオトーデに冷静にツッコミをいれられた。最初の印象よりは結構来るな。

 真面目ではあるが、言いたいことはきっちり言うようだ。言ったら言ったでティベルシアに沈黙で話の先を促す。


「魔力量はだいぶ落ち込んで人間の魔術師程度。その上、魔力の流れ自体も酷く緩やかになっておるな。

 なんか物凄く鬱陶しい雑音が絶え間なく頭を掻き乱して集中力も半減、術の制御すら覚束ぬ。む、術自体も幾らか忘れておるのぉ。

 体は気だるいし、じわりと腹の底から言葉にし難い苦痛がある。手足はやせ細り萎え、どうも力がでん。膂力は非力な人間と同じくらいではないか? まあ運動能力に関しては元々魔人の中でも低いほうじゃったから仕方ないが。魔術専門であったゆえな」


 ざっくり言えば。


 魔力蓄積器官の阻害による回復不全。

 魔力製造器官の遅延妨害からの回復速度低下。

 集中力妨害の平常心を殺す呪い。

 精神干渉からの知識的記憶の欠落。

 生命力を削り取り魂まで穢す汚染術式。

 挙句に肉体的スペックを低下させられ魔人の怪力などは見る影もなし。


 そうした弱体化の魔術、呪い、嫌がらせを何重にも施されている。徹底厳重執拗に。

 それはかつての魔王複数人が、悪意と怨念と祈りを無限に注いで封じに封じた極大の封印術であった。


 高位魔術師、いや高位の魔人であっても弱り過ぎて衰弱死しかねないほどの強力な封印。なお平然と笑うこの幼女は、ならば逆接、確かに魔王たる強大存在だと裏付けられる。


 いや本当なんで生きてるのだろうかと、リオトーデなどは言葉もない。

 シノギの方でもひとつひとつ劣化の数を指折り数えて、意味がわからなくなってしまう。なにを言っているの、この幼女。


「であるからして、全力を出せば死す呪いも、実は無意味でな――端から力は一割すら発揮できん」

「……えっと」

「簡潔に言うてわし、おそらくおぬしより弱いぞ、シノギ」

「おっ、おう」


 魔術に疎いシノギの頭では、もうその一言だけで理解しておくことにする。

 しかしそうなると――困った。


 自分よりも遥かに強者と思っていた魔王が、実は随分と弱体化しているらしい。命が繋がっているという見地からすれば、誠によろしくない事実だ。

 シノギが頭を抱えていると、続いてリオトーデが事情を話し始める。これまた困ったこと。悪い報せというのは、連続するものである。


「次は俺か。俺も実はだいぶ弱っている。サカガキ――」

「シノギでいいぜ」

「シノギ。よりも弱いかはわからないけど」

「してその理由は?」


 鋭い問いかけ。

 リオトーデは予測されたそれに淀みなく答える。


「俺はかつてある魔王を討つ際に魔力を蓄積しておく器官が駄目になっている。魔王――」

「ベル」

「ティベルシア。とは違い封ぜられたわけでもなく、ただ壊れている。治る見込みもない。

 それに勇者の代名詞である『神等勇具レリックアーツ』も失ってしまった。だからもう勇者だなんて名乗れないただの魔なしだ」


 特に隠し立てもしない。リオトーデにとっては既に過ぎたこと。終わったこと。納得したこと。

 とはいえ、命が繋がっているシノギとしては納得できない。頬を引き攣らせて、指を震わせ悪足掻き。


「まっ、魔力がないのか? 少しも? スッカラカン?」

「丸切りゼロだ。たとえるなら、底の抜けたタンクといったところか」

「底抜け……」


 そりゃ溜まらない。ゼロから一になりえない。


「魔術と神遺物アーティファクトで戦っていたから、戦力はガタ落ちだろうな。戦う術はもう剣術しか残っていない。大雑把に戦力を見積もって、全盛期の二割あれば御の字ってところか」

「…………」


 え、なにそれ。おいおい、待て。待ってくれよ、頼むから。整理するからちょっと時間頂戴。

 なんだその、えぇと、それはこうか。そういうことで、そうなのか。つまりがつまるところ――


「なんでぃ、現状で一番マシなの、おれかァ?」

「そうじゃな」

「そうなる」


 この魔王と勇者、実に息のあった首肯の同調である。


 おい、なんということだ。魔王だけでなく勇者まで非常に弱っているらしい。シノギはそもそも魔力について門外漢なので、その有無がわからなかった。とはいえそれについて嘘を吐く理由はなく、真実なのだろう。というか、嘘ではないと腹の底の繋がりが言っている。


「なんてこったい……」


 天を仰いで片手で顔を覆う。

 無関係で無意味と思えた呪いが、急にシノギに牙を向けて襲いかかってきた。


 当初はこの呪い、死に近いシノギとしてはあまり脅威でもないと判じていた。死ぬ時ゃ死ぬという条理だ。事故死程度の不運で巻き添え死もありえるが、シノギが先に死すほうが確率が高い。圧倒的に。


 なにせ繋がった相手が魔王と勇者なのだから。


 魔王と勇者と郵便屋さん。この三者が並んで――並べることすらおこがましいが――最も死に近しいのは明らかだろう。


 死の呪いにしたって、彼らほどの者が易々と条件を満たすとは思えない。

 一つ些細なミスで死に果てる戦場という特殊な環境。そこに身を置いて長い歴戦たる魔王と勇者だ、お粗末単純な踏み間違えはありえないと断じてもいい。

 シノギ程度でさえ、呪いを負いつつも平然と笑って今日まで生きているのだから。


 ――当人こそがしかと弁えていると、ティベルシアの言葉は実に的を射ている。


 だというのに、ここにきて弱体化宣言された日には困ってしまう。

 こうなっては誰が死んでもおかしくない。そして、道連れでシノギの命も脅かされることになる。


「お待たせいたしました」


 呆然としている頃に料理が運ばれて来る。首尾よくテーブルに皿が並んでいく。

 軽く摘めるものと飲み物。全ての品を届けると、ウェイトレスは頭を下げて去っていった。

 その背が去っていくのを再び見送り、今度はティベルシアが切り出す。あまり長々と途方に暮れていてもなにも進まないから。


「ふむ。食事とするか? それとも、もうすこし話しておくかの」

「話そう。流石に会話に決着もつけず食べるというのは料理に失礼な気がする」

「ま、美味いもんは美味く食いてぇしな」


 気を揉む面倒ごとを腹に抱えたまま食う飯が美味いとは思えない。

 だったら吐き出すものを吐き出し尽してから頂きたいもの。

 シノギは気を入れ直して言う。


「で、今一番話しておくべきことは?」

「目下、最大の問題は呪いだろう。『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』の呪詛、これをどうするか。俺としては解呪を目指すべきだと思う」

「わしはどっちでも構わんの」

「おれは……まあ、どっちかと言えば解呪派かねぇ」


 積極性は薄いが、シノギはリオトーデに賛成した。

 むしろふたりの弱体の件があってもそう言えるティベルシアの態度は不思議だった。


 そこには踏み込まず、リオトーデは肩を竦めた。話を続ける。


「賛成多数につき続けるぞ、いいな魔王」

「無論じゃ。わしも反対はしておらん。あとティベルシアと呼べぃ」

「んで、解呪の方法は?」


 特に考えなしなシノギは思案もなく問いかける。

 そこはリオトーデが考えてある。単純だが、難題を。


神遺物アーティファクトでかけられた呪いだ、神遺物アーティファクトを使って解くのが正道だろう」

「順当じゃな、神の力には神の力というのは」


 ティベルシアとしても実は端から浮かんでいたアイディアではある。というか、考え抜けば結論としてそれしか道はなかろう。

 シノギはそれならと具体例を記憶のページを捲って列挙する。


「確か、そうだな、えぇと……あらゆる傷や病をたちまち治すという「万能霊薬エリクサー」。

 古今東西、天地至る所、呪いという呪い、呪術という呪術を綴ったと言われる魔道書「死災呪詛書ネクロノミコン」。

 あとは……確か代償を払えばどんな呪いも解くという「秘宝祭壇サクリファイス・オルタ」ってのもあったはずだ」

「そうか、色々あるな。とはいえ――」

「難儀じゃろうな、それらを見つけ手にするというのは」


 我が物とすればそれだけで大いなる力、絶大なる神威カムイ、天にも届かんばかりの逸脱たれる、それが神々の遺産神遺物アーティファクトというもの。


 そんなものがあれば、欲深い人の子はどうするだろうか。どうしたいだろうか。

 考えるまでもない。強力で、高位で、凄まじくあればあるほど、その需要は増す道理。誰もが欲し求め、血眼になって探し続ける。


 莫大な金銭を吐き出しても惜しくはない。身も心も捧げて辿り着けるかすら覚束ない。狙わない理由がなく、命を燃やしてでも手を伸ばす。

 人々の欲望を黒く燃やし、多くの争いの種となり、数多の戦場を惨劇へと変えていった。

 そんな神遺物アーティファクトの中でも、上位有名どころとなればそれはもう木っ端な一般人ではお目にもかかれまい。


「どうすればいいかは、今後の課題だな。探し出すという決定をして、あとはその方法の模索からはじめるという辺りで今はいいだろう」


 どうせここで話し込んでも神遺物アーティファクトの在り処や見つけ出す方法さえも不明である。

 時間をかけて、情報を収集して、煮詰めて話していく必要がある。短期的に即時の動きは捻出できずとも、方針だけを立てて、それを意識して行動すると取り決める。それが重要だった。


 リオトーデは、よって、それより興味あることを議題にあげる。


「それよりも、ふたりとも、君たちはどういうスタンスで行くんだ?」

「スタンスとな」

「おれは呪いがあろうが変わんねェよ。郵便屋さんは郵便屋さんだ」

「シノギはそうか、そうだよな。でも、俺や魔王は過去からタイムスリップしたようなものだ、この時代に慣れず、知り合いなどももはやいないだろう」


 魔人やエルフなどの長命種でも、寿命は三百年ほどと聞いた。

 ならば人間であるリオトーデは言うに及ばず、四百年前の魔王たるティベルシアにも、知人の類はまず生き残ってはいまい。


「そんな未来に飛ばされて、どうすればいいんだろうな、俺は」


 困り果てたように。

 疲れ果てたように。

 リオトーデは力ない笑みで脱力した。


 いきなりわけもわからず封印されて、そしてまた突然に目覚めさせられた。どうしろという。

 シノギは得心顔。


「あぁ、やることがねぇからともかく呪いの対処を目的にしてぇわけか」

「とりあえずは、そうなる。目的も指針もなく茫洋とは生きられないタチなんだ。まあ、解呪がなったなら、それはその時に考えるが」

「なるほどねェ。で、じゃあベルはどうすんだい。やりたいこととか、あんのか」

「……わしは」


 問いかけに、答えはだせない。

 ティベルシアは言いよどむように口を開いたり閉じたりを繰り返すだけ。伝えたい感情はあれど、それを上手に言葉にできないでいる子供のよう。秘め事と本音の狭間で揺れて、宝石のような瞳に迷いの波紋が微かに感ぜられた。

 やがて。


「わしは――いや、うむ。退屈せねばよい」


 なんとなく言い訳じみた弁を立てる。

 それは繋がりを持つが故にそう感じるのか、あるいはただの穿ちすぎか。

 わからない。

 ティベルシアは続ける。


「世界征服なぞは毛頭考えてはおらんし、今更魔人の王として上に立つというのもできん、やる気が起きん。そも、現在の情勢が許さんじゃろう。

 呪われた時点で死するも仕方なしと諦めた命じゃし、今の生存は望外に等しい。なにをしようとも思わぬが、できれば楽しみたいとは思う。ゆえ、退屈を殺す作業が今の目的となるの」

「そうか。まあ、やはり今のところは様子見ということだな」


 目覚めて即座に成したいことがあるわけもない。なにか使命を秘めて封印されていたわけでもないのだから。


 彼と彼女は勇者と魔王。


 だが、勇者と魔王に使命などはない。なさねばならないこともない。ただ力を印章という形で得た人間と魔人というだけだ。

 だから人並みに迷うし、困ってしまう。放り出された現在に、懊悩ばかりが小波のように押し寄せる。


「……」


 はてその悩みは、勇者のそれであったか魔王のそれであったか。はたまた同じ感情が混ざり合っているのか。


 どうにせ、少なくともティベルシアが迷子のようにヘソを曲げてしまっているのはわかった。外面や言葉尻ではわからないが、見えない繋がりから伝わる。

 彼女はこの話はしたくないようだ。


 顔を俯けようとするティベルシアに――寸刻先んじてシノギが笑った。一計を案じた悪ガキのような笑みだった。


「じゃ、おれの旅についてくるかい?」

「む……」

「おれァ郵便屋さんだ、あちこち世界中、どこもかしこも歩きまわる。解呪の方策、やりたいことに楽しいこと――探すにゃ旅はうってつけだろ」


 ま、そもそも同行するのは決まってたんだっけ? シノギはおどけるようにして言った。


 その言葉に、リオトーデは些か瞠目してしまい、すぐ苦笑とともに乗っかかる。

 迷子には立ち止まることを促すよりも、兎にも角にも進まないかと提案したほうがいい。

 行き先未定、見通し不明――けれどそれでも前進せねばなにも変わらない。


「そう……だな、そうだ、シノギの郵便業に付き合うのは、確かに悪くないかもしれない。先に言ったように、神遺物アーティファクトは探さないといけないしな。そうだろ――ティベルシア」

「……」

「言っておくが当然だからな、あんたらはおれを手伝わねぇといけないんだぜ」


 いやに強要するような物言いに、二人は少し怪訝顔になる。

 シノギは全く譲らず、一度わざと重苦しいほどの間を置き、天井を仰ぐ。

 その動作は次に放つ言葉に自身が恐れ、逃げたがっているため。悪魔も裸足で逃げ出す圧倒的な力を秘めた存在、それは口にするだけでおぞましく、遣る瀬無い。

 シノギは壮絶なる現実をここに叩き付ける。


「あんたら……金ねェだろい」


 それは静謐な発言だった。だが衝撃は落雷のごとき破滅的で凄絶であった。

 金、金、金である。

 神遺物アーティファクトとはまた趣は異なれど、近しく人々の心をかき乱す存在。欲望の権化にして、血なまぐさいほどに戦さに直結する強力無比の魔力なき魔道具だ。


 生きる以上、お金を稼ぐ必要性は絶対だ。欲するのは真理にして摂理だ。

 それは呪いがどうのいうよりもずっと卑近で酷く直近の大問題と言えよう。当たり前すぎて考えから抜け落ちていた。


 日銭を稼がねば生きていけず、そしてだが、現代に疎い魔王と勇者だ。碌な仕事には就けまい、働けまい。

 すぐに稼ぐには過去現在と変わり映えのない仕事が望ましく、それは単純に言えば荒事だろう。

 戦いの日々に明け暮れた戦士に平穏な役職は勤まり難い。慣れている分、そういう仕事を請け負うのも間違いではない。

 なによりも――尽きぬ魔物の害悪、この世界はどんな時代であろうと戦う力を求めている。


「というわけで郵便屋さんを手伝え」

「……あれ、郵便屋ってそんなに危険な荒事だったっけ?」

「まァな」

「そっ、そうか……」


 一切のジョークもなしに凄い真面目に頷かれてしまった。

 どういうことなのだろう。怖くて聞くに聞けなかった。


 リオトーデは若干たじろいでしまうが、すぐに飲み込んだ。

 危険はいつも通り、未知は慣れっこ、旅は日常。勇者の人生なんてそんなもの。ならばそこに恐れるものなどなにもない。


「まあ、構わないさ。旅して金も稼げる。危険も慣れてる。問題はない、付き合うさ」

「そいつァなによりだ。

 で――あんたはどうする魔王サマ。さっきから黙ったままで返答をまだ聞いてねェぜ。そんなザマで殺せるもんなのかい、あんたの退屈ってなァよ」

「……ふん」


 拗ねた態度をあげつらうように、わざとふっかける挑発的な物言い。それに、魔王はなんだか笑ってしまう。

 どうにもどうにも、ヘタクソに気遣われてしまったらしい。


 心の繋がりが、縁の強さが深さが、互いの思いの欠片を不可視でなくしている。

 思ったことがわかるわけではないし、虚実が露呈しているわけでも、通じ合っているわけでもない。

 ただなんとなく、思いの方向色彩が察せられて、滲むように端緒が伝わってくる。


 ――伏せているつもりのへそ曲がりも。

 ――さりげなさを装う下手な気遣いも。

 ――素直じゃないそれを見守る優しさも。


 三人思うことが三人かすかに感じられるのだ。まるで手を繋いでいるように。

 ティベルシアは俯けていた顔を上げ、胸を張り、強く傲慢に笑って見せる。年長者を気遣うなど百年早いと言うように。


「ではおぬしの郵便業、確かにわしの退屈を殺すに足ると、そう断ぜられるか。のう郵便屋よ?」

「あぁ、約束してやるよ、この奇縁に懸けて、あんたに楽しかったを届けてやる。魔王サマ――ベル」

「ふっ、はは。ふははは。それはよい。それは実に小気味よい、痛快じゃ。ならば応とも是と返答しよう――その郵便業の旅、この魔王が相伴ってやろうぞ」

「――決まりだな」


 ニッと笑い、シノギは見せつけるようにグラスに手を伸ばす。

 真面目な話であったため、暗黙のうちに料理や飲み物には手をださずにいた。それを打ち壊すように、お仕舞いの合図のように、酒を持つ。


「んじゃ、乾杯しようぜ」

「って、これ酒か」

「そりゃ酒場だからな」

「乾杯には丁度よかろ」


 各々言いながら、シノギに倣ってグラスを持つ。掲げる。

 はじまりの、出発の、同じ道をゆくことの、祝いと祈りをここに天へと捧げよう。


「正直おれたちゃさっき顔合わせただけで、呪いがどうのとか、イマイチわかんねェことだからけだ。あんたらのことも、全然わかりゃしねぇ。

 ――それでもまあ、一緒に旅するってんなら同胞はらからだ。命を預け合うともがらだ。よろしく頼むぜ」


 友と呼ぶには育んだ友情もなく、仲間と言うほど仲良しとも言い難い。同志となるには志を一致させていない。

 出会って一日も経ていないし、濃密な経験を共にしたわけでもなく、会話して百も言葉を交わしていまい。他人と定義してしまってもいいくらいだ。


 だというのに血よりも濃く深い魂の緒が結ばれて、三人であって一人という奇妙な絆。

 そんな彼ら三人をなんと称せばよいのだろうか。誰がなんと名付ければいいのだろうか。


 未来の誰かはこう謳う――三位一体トリニティにして一蓮托生ロータス連理の奇縁ストレンジ――彼らその名を『災厄三馬鹿カラミティ・トリニティ』!


「――乾杯!」


 かちんと、三つの盃と、三つの縁が響き合っては交わり合う。

 ――きっとそれが彼らの呪いであり、祝福であった。




 ――結ぶその手を縁と呼ぶ 了







「そういや、手袋かなんかはして印章は隠しておいてくれよ、勇者だ魔王だなんてなァ目立つからよ」

「あぁ、俺は一応それ用の手袋を持っている。当時も勇者であることを隠す必要性は、場合によってはあったしな」

「わしは持っとらんの! 買ってくれぃ!」

「……ちなみにリクエストは?」

「上品で肌触りのいい長手袋じゃな」

「流石は元王様、馬鹿高そうなもんを所望なさるぜ。安もんで我慢しろ」

「ふ、冗談じゃ。わしも手袋ぐらい持っておる、それも手製特製の隠蔽効果付きのな。安心せい」

「意味ねぇ嘘つくなや!」




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