結ぶその手を縁と呼ぶ 2



「あぁ、やべ。こっちに気ィとられすぎたな――忘れてた」


 ぽつりとシノギが漏らした一言に、ふたりはそれぞれ全く違う反応を示す。


 見やればリオトーデは既に険しい顔付き。立ち上がっては速やかに抜剣を。

 一方でティベルシアはわかっていないので、わからないことを素直に問う。


「なんじゃ、なにを忘れておったのじゃ?」


 幼さから来る素直さのようでいて、ただの性根である。彼女はこれでも告白できないほどに歳をとっている。そのくせその仕草、在り方、笑顔は本当に童女そのまま。


 子供は苦手だ――自分を酷く恐れて泣いてしまうから。

 シノギは複雑な心中に蓋して、衒いなき質問にあまり具体的でもない返答を渡す。


「いや、おれ、追っかけられてたんだったわ。玉石が砕けて結界も解けちまったら、見つかるわなぁ」

「なんじゃと」


 シノギはよっこらせと椅子から跳ね立ち、グラスを外す。ごく自然に柄を握る。

 そして握った柄を押し出すように奇妙な力の入れ方をする。静かに魔刀の仕掛けを稼働させる。

 すると不意に一本であった刀が歪む。像がブレ、存在が霞む。

 最後の一押し。ぐいと力を込めて、一つをズラす。


 それはまるで脱皮か、もしくは分裂したかのよう。シノギの腰元に刀が二本据えられていた。

 鞘の細工が違う。柄の形や長さが異なる。同一のそれではない、別の魔刀だ。だからか、それは増えたと言うよりも、仕舞ったものを取り出す手品のような手並みだった。


 シノギは当然のように取り出した一刀を握り、しゃらりと鯉口を切る。

 その刀を持った立ち姿は着こむスーツと酷くミスマッチのようでいて、だがどうして、誂えたかのように似合っている。目付きの悪さも足せば、非常にガラの悪いチンピラスタイルとして完成していた。


 そこまで来てようやっと事態を気取り、ティベルシアも立ち上がろうとして――瞬間。



 壊滅的な破砕音が響き渡る。



 大音響は耳朶を傷ませ、迷宮ごと揺らす地震に等しい。

 それは崩落の悲鳴であり、登壇の鐘楼である。なにかが破壊を伴ってこの部屋にやって来た。


 金属壁を裏からぶち抜き砕き、それはのっそりと顔を出す。

 そして、獲物を見つけたと歓喜に咆哮する。


「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 人の匂いか、魔力の気配か、それとも別のなにかを感知し追いすがる。

 そいつは人を殺すための存在。殺戮だけを刻まれた機械仕掛。そこに人がいるのならば――どこまでも追いかけて殺しにやって来る。


 そういう存在、そういう生命、それだけの悪意――神が造った対人生物兵器たる魔物という小規模災害である。


「いやだねェ。しつこい野郎は嫌われるぜ?」


 余裕そうにシノギは冗談をとばすが、魔王と勇者は即時の警戒態勢に移行。焦らず騒がず敵に向き合う。


 相対するは魔物、その最上位たる竜である。

 その威容は四肢を得た蛇に近しい凶悪にして冷徹の面立ち。天井届く巨体がために、ぎょろりと縦に裂かれた瞳孔が人を見下す。睨むだけで魂が竦むほどに威圧を振りまく破滅の魔。硬質で抗質な竜鱗という名の岩鎧が覆い、爪牙だけが煌めいて研がれている。

 ついつい先ほど、シノギを追い回していた、災害そのもの。


「地竜か」

「厄介な」


 数少ない竜種、その中でも天より転がり落ち、なお地に君臨せし地竜と呼ばれる種だった。

 翼を失い、代わりに岩のごとき肌を得た。視覚を減じ、引き換え他の四が鋭敏なる。地底と暗闇をこそ生息域とする巨獣だ。


 見たところ成体ではない、成長段階の属性竜。

 だが地の利も得ていて文句なく強敵だろう。並の冒険者や「迷宮踏破者」ならばパーティ単位で軽く八つ裂き、騎士団の一個小隊とも渡り合って勝利しうる。たった三人の、それもチームワークの欠片もない初対面同士で、敵う相手ではない。


 それを重々承知の上、シノギは試すように横合いへ笑ってみる。


「やっべェな。おれひとりなら逃げるんだけど、おふたりさんはどうするんで?」

「逃げても好転はしないだろう。打倒すべきだと提案する」

「わしも! わしもおぬしらの実力が見たいでの、打倒賛成じゃ、戦おうぞ。なぁにトカゲ一匹、わしらにかかればなんということもあるまいて」


 人が災害に対する時に、戦うなどという言葉は使わない。言って対処であり、避難であり逃走だろう。

 竜とは小規模災害、人の身で向かい合うべき存在では断じてない。


 だがしかし――彼と彼女は勇者で魔王。


 この神なき世界において最高位の戦力を保持し、故に戦い、戦い、戦い続けた歴戦の猛者。

 力を失ったとて魔物の来襲などには惑わない。高位の魔物だろうが怯えない。それがたとえ、最強に位置する竜種であっても。


 シノギはふたりの揺るがぬ瞳と決意に震えるほどに畏敬を抱く。自分だけ情けないところは見せられない。

 彼は酷く、見栄っ張りだ。


「そうかよ、仕方ねェ。パーティ組むなら互いに実力の程は知っておくってことで」

「実戦ほど実力がわかる方式はない、か」

「よかろう! 我が魔術の冴えをとくと見よ!」


 そもそも逃げるにしてもここはダンジョン。ひとたびこの部屋から離れれば足元は罠だらけ。周囲は魔物が闊歩。全域が暗闇でいて人の感ぜられる地ではない。

 この部屋ほど安全な戦闘区域はないのだ。逃げるよりもこの場で対処が最も賢い。


 見栄だけでなく、そういう理屈も即座に把握できている。

 魔王や勇者だけでなく――シノギもまた戦場に住まう人種であり、それも長く居着いた戦士である。


「寝ぼけてポカすんなよ」

「ひとりが三人分の命と弁えておくのじゃぞ」

「言っても最強の魔物たる竜種だ、油断はするな」


 シノギは挑むように笑い、ティベルシアは冗談交じりに忠告し、リオトーデは静かに戒める。

 三者三様、それぞれの言葉をそれぞれに告げて動き出す。

 そうして、地の底にて竜討伐の戦いがはじまった。





 初手は地竜が先んじた。

 血塗れのような赤い吐息。高熱の『紅炎大息ファイア・ブレス』を吐き出す。

 口腔から放たれた焔は広域。この狭い部屋の隅々まで舐め回し、あらゆる生命を炭と変える。


「“奇妙は奇跡のなり損ない――『奇しくも届かずストレンジ・アヴォイド』”」


 焔は確かに広大で部屋中を飲み込む。

 しかし不自然、奇妙な隙間がぽつんとそこに残る。それはあたかも炎が自ら避けたかのような一区切りの空域だった。

 ソファすら掻き消え、三人が立ってギリギリの孤島。魔術法陣の上。ティベルシアの魔術による干渉で得たごく小さな安全地帯だ。


 とはいえ火は避けてくれるものの熱は容赦なく襲い来る。狭所のために袋のネズミ。随分と危うい安全だった。


「狭っ、熱っ。一小節って下級魔術かよ、魔王サマのくせにショボくねぇか! ギリギリじゃねぇの!」

「今の手札がわからぬ。下手に上級を試して空振りしてみよ、まとめて黒焦げじゃぞ」

「じゃあ自信満々に手出し無用とかカッコつけて前にでるなやい!」


 本気のだせない呪い。

 それは果たしてどこまで力を制限されているというのか。それは魔王自身でさえ知悉ちしつしているわけではないという。


 いや、それとは別に、彼女はまだなにかあるのではないか。本来からして酷く弱体しているように感ずるのは気のせいなのか。


 言い合うふたりを尻目に一方、リオトーデは飛び出す。

 呪いのエニシ――誰かが死ねば皆が死ぬ。故に絶対、命懸けで魔王が防ぐ。そうした信頼のようでいて別な確信があって、だから防御は考えない。前進の決断は早い。


 彼の纏うカソックは抗魔堅固の魔術が刻まれた神聖にして軽量な鎧。火の海だろうが突っ切るに支障はない。

 ブレスの切れ目を見切って前へと滑りこむ。見上げるような巨体に臆さず立ち向かう。


 剣の間合いの二歩前。そこでリオトーデは息を吐き出す。転瞬、大きく深く吸い込む。同時に指先で剣身をなぞり滑らせ歌を歌う。


「“汝、鋭利なる刃たれ――『斬った張ったのティアキルカット刀剣武・ソゥ具』”」


 それは付与魔術。器物に魔力を通してその性能を向上させる魔術だ。

 付与対象はリオトーデの剣。付与効力は言うまでもなく、


「グゥゥォオオオオオオオ!?」


 切断力の向上である。


 魔術によって研がれ鋭度を増した刃は竜鱗さえも裂く。岩より硬く、上級防護術ほどの抗力ある鎧を真っ向断つ。

 足首の小さな傷でしかない。人で言えばかすり傷。だが痛みは確かに駆けていく。


 地竜は嫌がるように腕を振り下ろす。デコボコと巌のような太腕は鈍重で、ステップ鮮やかなリオトーデには回避される。鋭利な爪も考慮に入れて間合いが大きく離れたのは嬉しくないが仕方ない。巨体とはリーチの長さも備える。


 直後に間合いの調整は幸運だったと判明する。

 続けて乱打が降り注ぐ。両の手で大地を叩き、叩き、小さき人の子を押し潰そうとする。それは大岩の崩落のようなもの、土砂崩れのようなもの。

 リオトーデは汗をかきながらもそれを避ける。かわす。少し掠る。


「く」


 火の海ではどうしても動きが鈍る。直接的な被害はカソックが防ぐも、それ以外が阻害する。熱くて、空気が薄く、そも火というものは本能的に恐ろしく足が竦む。

 ――ことは彼に限ってないが微かに遅れはする。


 しかも竜の残した火炎は魔力を帯びる。竜自身の乱撃による風圧を物ともせずに灯り続け場を支配する。リオトーデの阻害を続ける。


 勇者はさらに一歩だけ退いて間合いを広げる。回避に余裕を得る。

 だがこれ以上広げてしまえば、再びブレスが放たれるだろう。ブレスは隙を生じさせるが、それを無視できるだけの広範囲高威力を誇る。この場で撃たれてはまずい。つかず離れずでいなければならない。


 地の利は奪われ、間合いは制限されている。デカブツ相手で決め手もなく、威圧されて押し込まれている。

 そもそも力が減退した身、魔力を欠いた身の上、劣勢でいて勝ちの目は薄い。


「まあ――問題ない」


 この程度の窮地は何度も潜った。この程度の強敵は幾度も屠った。

 戦って戦って、殺して殺して、生きて生きて――故に古強者。


 彼は勇者である。

 彼は勇者であった。


「――ふッ」


 床を砕く落石の如き打撃。滑るように回避した。そろそろ癖が読めた。

 合わせて閃く斬線は鋭く鮮やか。突き出したそこを狙い銀剣を振るう。綺麗な斬撃はどんなものでも斬り裂く。


「グォ――!」


 傷は浅い。痛みも微小。だが反撃は可能。少しずつ削っていく。

 元々、人と魔物ではその根本的な性能に差異が大きい。人は魔術を駆使してようやく手傷を負わすが、魔物は腕の一薙ぎが直撃すればそれで人を殺せる。嘆かわしいほどの格差と言える。


 その差を認め、弱さを自覚し、可能な限り警戒と慎重をもって戦うこと。それが魔物との戦闘における常套だ。

 それでこそ斬り合っていられる。一人で惹きつけていられる。

 そんな孤軍奮闘、獅子奮迅の活躍を見せる、まさしく勇者の活劇。




 ――を、傍目で眺めるもはや観客なふたり。


「おぉい、どういうこったい」シノギはその活劇に酷く困惑して「――ありゃ、弱すぎるだろ」

「……ふぅむ」


 勇者とは現人神あらひとがみ、神なき世にある最強の半神。

 なればこそ保持する魔力は膨大で、その魔力をもって肉体は極限まで強化されて人類のそれを逸脱する。


 端的に言って――剣の一振りで成体前の竜なぞ斬殺できるくらいの暴力を当然に持ち合わせている。


 だが、彼は魔術で刃を強化して、それで負わせたのが手傷の軽傷。それでは精々、一流の魔術剣士クラスの実力でしかなかろう。

 勇者という懸絶とは遥か比べるべくもない領域である。


 ティベルシアはぽつりと言う。


「実はずっと気にしておったのじゃが、あやつ魔力が一欠片も感じ取れぬ」

「はァ? なんだそれ、どういうことだそれ」

「さて、な」


 含むように肩を竦めるティベルシアに、シノギはさらに疑問を呈する。


「けど、あいつ魔術使ったぞ、魔力なく扱える術なんざ聞いたこともねぇ」

「あれは別なカラクリがあるのじゃろうが……まあその謎解きもまた後で本人にでも聞けばよかろう。でなく、目の前の障害を排除せねばな。勇者だけではあれは倒せまい。決め手に欠け、奥の手が不在ではのぅ」

「裏ワザかなんか知らんが魔術が使えても下級だけってことかい」


 魔術はほとんど行使できず、武具も喪失。残るは卓越した技術と百戦錬磨の経験だけ。きっと全盛期から比すれば相当に弱体化してしまっている。


 まあしかし、それでも竜と真っ向から戦えている事実が、もはや半笑いを誘う衝撃なのだが。

 元はどれだけの傑物だったのか――呆れの色合いが滲む声音で、ティベルシアは頷く。


「おそらくの。まあかく言うわしもまた、本来からすればだいぶ弱っておるのじゃが……」

「はん? なんだと、そりゃどういう――って、ああもう、それも後回しだな」

「それがよかろう、生き延びたくばの。というわけでほれ、その手の刀剣は飾りかや、おぬしもさっさと加勢に行かんか」

「冗談。おれァ火の海で踊れるほどダンスは得意じゃないのさ」


 なんとも女々しいが、現実的で切実な弱音である。普通、人は炎の渦に巻き込まれたら死ぬ。

 ティベルシアは意図を汲んで、ならばと手の平を地面向けて開く。


「おや、そうかや。ふむ、勇者もこの状況には辟易しておる様子じゃし……前座は引き受けようかの、露払いじゃ」


 手の平から淡い光が生じる。祈りのように微かで、硝子のように儚い刹那の輝き。

 それは魔力が魔術と変換される際、世界に灯る燐光――魔術法陣を描く塗料である。

 すなわち光灯るは魔術の構築を意味する。


「火吹きトカゲ相手では暑苦しくてかなわん。もう少々、盛り下げていこうぞ」


 そして綿密に描き出された法陣はその魔威を示す。


 ふっ、と。

 まるで風に吹かれたように、紅蓮に燃え盛る炎が一瞬のうちに消え去った。

 いや違う。火炎を不可視の悪魔が食い散らかしたのだ。余さず根こそぎ、一齧ひとかじりで。

根こ削ぎ落としの悪食オルート・バーゼブル』、魔王の魔術は狂いなく室内を支配し火炎地獄を食い破った。


「助かった」


 火の勢いが弱り火炎の世界が消え去れば、それだけリオトーデには喜びだ。

 そしてまた、もうひとり。


「ほれ、舞台の掃除は済ませておいたぞ、前座に劣らぬ舞踏の程を見せてみよ」

「カッ! ダンスは得意じゃねェって言っただろうがよ!」


 撃ちだされ飛び出す黒衣の矢。

 シノギは魔刀を握り戦場に躍り出る。体勢低く前に傾き這う。静かに、人知れず。


 炎が消え、動きのキレの増したリオトーデに気をとられる地竜に接近。攪乱の隙にあっさり間合いに入る。すかさず魔刀の斬撃が竜を叩く。だが。


「おっと硬ェな」


 竜鱗に阻まれ傷にもならない。

 魔刀の鋭度は折り紙つき。だが竜の鎧はそれを上回って強靭無比だ。どれだけ隙を晒そうと、その度外れた耐久力があって無為となす。竜とは暴れる要塞だった。


 それで構わない。触れた時点で縁は結んだ。呪いのように、祝福のように。

 シノギはほくそ笑んであっさりと後退。交代。


「頼んま、勇者。場ァ繋いでくれい」

「! 任せろ」


 察して前に出る。剣を見せつけるように。

 リオトーデの刃には竜も警戒をせざるを得ない。傷ひとつもつけられぬ今し方の雑魚など放置しても構わないが、こいつは潰さねば。

 豪腕によって薙ぎ、突き、叩く。追い立てるように小さな動作で間断なく攻め立てる。


 リオトーデはそれに真正面から見切って回避を繰り返す。稀にささやかな反抗を試みて注意を惹きつける。決め手に欠けたジリ貧に見せかける。

 だが勇者としての勘が告げる。シノギの攻撃は仕込みであったと。場繋ぎの要請に読み取れる先があったと。

 ならば。


「時間稼ぎといこうか。生憎と、今の俺にはそれが精一杯だからな」




 そして当のこの男、シノギはなんとか再び竜から離れる。ティベルシアの傍へと戻ってくる。

 魔王もまたなんとなく察している。逃げてきたシノギをどやすこともなくただ問いを。


「なんじゃ、なんぞ手立てがあるのかや。竜の外皮は頑強、討つには甚大な一撃が要るぞ」

「外皮はな。わざわざでけェ口開けてゲロゲロ吐き出す瞬間があんだろ、そこを狙えばいい」

「ほう? そう上手く口腔内に刃を運べるのかや? 火炎の吐き出される直前のごく僅かに滑り込めるのかや?」

「郵便屋が届けるってんだ、そこが怪物の口ン中だろうが届けてみせらァ」


 それが郵便屋の責務で矜持だ。戦場だろうが、仕事はきっちりこなしてみせる。

 断言するシノギに、ティベルシアは破顔。三日月の如くいと愉快げに笑んで見せる。


「大口を叩くか小僧、面白い。してわしの手助けは必要か?」

「おう。もうちょいで線がいい具合に手繰れる。したらあのデカブツの口、かっぴらいてくれねぇか」

「成る程、魔刀か。よかろう。今やトドメとなるほどの魔術は使えぬが、なに下準備程度は整えておいてやろう。どうやらこのパーティ、前座はわしの仕事のようじゃからな」


 ティベルシアの制限され、封印され、弱体した今の身の上では竜の鎧を貫くほどの魔術は難しい。不可能ではないが、おそらく負担が大きく反動が激しい。薄っぺらなほど彼女の力は殺がれていた。


 だからここでは支援に回る。

 戦う勇者の援護と、なんぞ仕込んだシノギへのフォロー。そして、


「グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「ふん、やはり来るか」


 竜とは魔物の中でも特に知に優れた種である。ゆえに思考する。判断する。

 この三人は少々の傷を厭っては勝てない強者である。半端な術では対応される手練で、ならば躊躇う余地などどこにもない。

 竜の咆哮に滲むのは覚悟と害意と、術構成である。


 ――ティベルシアにはその術式が見えている。


「グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 内在魔力オドが励起され、外在魔力マナが喚起され、竜の咆哮によってそれらが合一される。世界に浸食し、大地に浸透。千の軍勢を滅ぼす竜種の特異なる術――「竜咆魔術ドラゴン・シャウト」が発動する。


 瞬間、金属で敷き詰められた壁と床が震えた。


 歪み、たわみ、やがて亀裂が走って崩れていく。

 鋼を溶かすブレスすら平然と受け止めた不明金属が、過負荷によって砕け散った。それは床下の大地、壁裏の石壁の反乱である。


 その場で竜脈を造り出すことで土壌ごと支配し、地たる全てを破壊に変換する。それこそが『地脈絶衝アースガルド』と呼ばれる地竜独自の奥の手だった。


 床一面は岩槍衾、正面一帯に土砂津波、そしてダンジョン全てを揺るがす地震。それら大地の脅威が一斉に襲い来る。


 さて、この圧倒的な暴力をどうするか。どう生き残れというのか。


 防護魔術で抵抗する? 無理だ、絶対的に魔力量が不足している。

 攻撃呪文で反撃する? 無駄だ、脆弱の身でこれに比肩する術は紡ぎだせない。

 ブレスの時のように干渉し受け流すか。それとも回避を試みるか。無理、無駄。室内が狭い、地底は低い。狭所でその余地がない。


 端から無意味。この術が発動された時点で三人は詰んでいた。術式の段階で押しつぶされることを魔王は予見していた。

 発動――していれば。


「勇者よ、臆するな。シノギよ、惑うな。トドメへの道案内、この魔王わしが見事果たしてみせようぞ」


 膨大な破壊に対するのは儚いほどに美しい少女の歌だった。


 口ずさむ魔の韻律、奏でる術の音律。

 メロディに呼応して輝線が踊る。明滅して駆け巡る。紡ぐ魔力の線は文字を描く、紋様をかたどる。魔術法陣が虚空に描き出され、リズムに合わせて輝きを増す。


「“食え飲め遊べ・死後に快楽はなく・故に悪食だとて笑うがいい”」


 歌うは三小節――上級魔術。今のティベルシアでは扱いきれるか仄かに不安な術である。


 ――これ、発動せんかったら全員死ぬのぅ。


 なんて苦笑が繋がりによって男二人にも伝わったのかは知れない。

 しかし三人誰もが見た。


「“『残間根こ削ぎ落オルート・ロンドとしの悪呑喰・ベルゼヴァ』”」


 発動は目に見えず、状況は変化せず。

 だから誰もが目を剥く。仰天する。


 術を失敗したのか。そうではない。成功した。これ以上ないくらいに成功だ。

 なにせ大地の暴威がぴたりと止まった。

 岩槍乱打も地津波も地震さえも全てが全て急停止。時が止まったかの如き数瞬が巡り、やがて地の破壊は崩れ朽ちて失われる。


 魔王の使用した魔術は先ほど炎を食らったそれと同系統同種。ただし上級であり桁外れの術範囲にして威力がある。そして今先ほど食らったのは炎ではなく――外在魔力マナ。大気中の外在魔力マナを根こそぎ食らったのだ。


 魔術とは内在魔力オドを媒介に外在魔力マナを利用する術法のこと。そのため周辺全ての外在魔力マナを奪われてはどんな術も無意味である。


「っておい、それだとおれのつけたマーカーも食われて――」

「ないわい。安心せい、それだけ除外しておいたでの。おぬしの見せ場は健在じゃて、気張って魅せよ男じゃろうが」

「そりゃいい、流石に女子だな、気が利いてるぜ。あぁ見てろ!」


 シノギは気づかない。それがどれほど高度な技法によるものかなどと。

 リオトーデは舌を巻く。周辺全域を巻き込む広範囲魔術に例外を作るなどという離れ業に。


 それはいわば雨の合間を縫い転がる蹴鞠のような、ありえないと断じて誤りない曲芸である。

 魔術の最果ては衰え弱体しようとも隔絶した技量を有する術師であった。


 他方、渾身全霊の奥の手をスカされ、地竜はまずいと理解する。

 周辺の外在魔力マナがほとんど消失しており、次の術に移るに時間がかかる。

 地竜は諦めない。外在魔力マナは一切が失われた。だが外在魔力マナがなくともブレスは吐ける。

 威力は落ちるが――大口開けて殺意を炎熱へと転化していく。


 だが遅い。

 既に目付きの悪い男は動いている。ここで竜が口を開くと知っていたから。

 細工はよし、仕込みも済ませ、場も整った。後は結果を御覧じろ。


「我が六の魔刀が一刀――『結線魔刀ケッセンマトウエニシ』、その魔威をここに結べ!」


 そしてシノギは魔刀を放り捨てた。


「む?」


 少なくとも、ティベルシアには放り捨てたようにしか見えなかった。

 だが刀は何か不可視の力に引き寄せられる。ぐりんと反転、落下の中途で浮遊する。

 直後に奔る。


 真っ直ぐ。

 真っ直ぐ。


 まるで敷かれたレールを駆け抜けているような――然り。まさにその通り。結ばれた縁故に沿って刀は高速直進している。

 一部も逸れず、欠片も狂わず、寸分違わず。魔刀は結ばれた縁を遵守する。

 ラインの終点は調整済み。


「グォォオオ――!?」


 咆哮とともにブレスを撒き散らそうとした、その口腔内に魔刀は滑りこむ。

 そして脳髄を割断し、地竜はここに絶命した。

 






「よし、わしの名アシストによる勝利じゃな!」

「おれのトドメが一番輝いてた」

「俺が押さえてなかったらトドメもアシストもなかったんだけどな」




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