トリニティ・ロータス・ストレンジ!

うさ吉

結ぶその手を縁と呼ぶ 1




 ――空の青より遠いところがあるなんて知らなかった。


 などとほざく引きこもりがいたものだから、サカガキ・シノギは当てつけのように郵便屋になることにした。

 屋敷から出ることの叶わないそいつに代わって、シノギが遠く遠くどこまでも駆け抜けて、広く広くいろんなものを見に行く。手紙を届けに行く。

 そして度々帰っては決まってこう言うのだ。


「あぁ、楽しかった」


 するとあいつは澄まし顔で誤魔化そうとして、だが内実では腹を立てていることが瞭然となる。いかにもわかりやすい。

 だからシノギは、またもっと悔しがらせようと旅に出る。

 何度でも、沢山の、色んな。


 ――世界の楽しかったを届けるために。



    ◇



「まぁ、楽しい時もありゃ苦しい時もあらァな」


 ――死せず歩める地獄。


 そう呼ばれる深き地の底がある。

 洞窟のごとき地下迷宮ダンジョンは神々の時代の遺物にして遺産、失われた古代技術の残る不可侵領地だ。

 陽も届かぬそこは閉眼に等しく暗闇で、冷めきった無機質さが肌寒い。まるで熱ない化け物の腹の中めいておぞましい。


 感じる怖気は単に気温や錯覚だけではなく、殺意や脅威がそこら中に犇めいているがゆえの緊張感である。死が傍で手招きしているという事実が暗闇で見え隠れしていた。

 多くの人々がこの迷宮に挑んでは死に果て、志半ばで散っていった。墓碑なき骸どものねやという意味では、ここは確かに地獄である。


 そんな地獄の浅層にて。


「やっぱ人が生きるってなァ難しいもんだぜ――おもわず、尻尾まいて逃げちまわぁ」

 

 軽口を口ずさんでは必死に全力疾走で逃走する青年がひとり。


 夜空のような黒髪を雑に整えた、軽薄そうに浮ついた雰囲気が著しい齢二十かそこらといった男。

 暗視のブラックサングラスに着崩したブラックスーツという出で立ちにネクタイは深い赤。腰元にはアクセサリーのように刀を帯びている。


 一言で表現するのならチンピラ。

 見栄と虚飾でできた佇まいをして、けれど、ひとつ烈火が燃え盛っている。グラスの隙間からチラと焔が垣間見える。


 それは眼光、目である。


 前述した全てが余談に成り下がるほどにただ一点、双眸、三白眼。その黒瞳は迸るほどに恐ろしい。

 女子供が見たら泣き叫び、気弱な者では睨めつけただけで失神を招く。そういう魔眼染みた眼光である。

 よって最終的に彼を評するならば、神をも睨み殺すほどに目付きの悪い男であった。


 青年の名はサカガキ・シノギ。

悪瞳アクドウ』の異名を持つ――郵便屋さんである。


 随分とまあ強面で、また不真面目そうな郵便屋さんではあるが、郵便屋さんなのである。


 その郵便屋さんの慌ただしい疾走を、追走する巨大な影があった。


「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 それは威厳と破壊が形となったが如き災厄。恐ろしくおぞましい死と恐怖の象徴。

 この世、最も強い魔なる生命。


 ――竜である。


「たぁく、なんでこんな浅いところに竜なんざいやがるんだ? 流石にひとりじゃ勝ち目がねェぜ」


 人が災害に対する時、戦うなどという言葉は使わない。言って対処であり避難であり逃走だろう。

 竜とは小規模災害、人の身で向かい合うべき存在では断じてない。

 だから背中を向けて撤退。一も二もなく逃避である。


 シノギは郵便屋のくせに、いかにも修羅場慣れした笑みを浮かべて冷静に判じていた。その華麗な逃げ足の速さもまた場慣れの証左であろう。

 生死の境目で踊るのは日常茶飯事。波乱万丈はいつものお供。この程度の苦境でへこたれやしない。


 とはいえ。


 このまま追いかけっこをしていても振り切ることはまずありえず、ダンジョンの外にまで逃げ切れるのもありえないだろう。というか竜を外に出すなんて真似は大惨事すぎる。

 ではどうすればいいのか。思考と走行を並行しても答えはでずジリ貧で、やがて。


「あぁ――くそ」


 袋小路に追い込まれる。


 暗視のグラスは確かに暗闇を払拭してその瞳に行き止まりを見せつける。

 地底の迷宮の複雑さは「迷宮踏破者」の心得を持ちあわせる郵便屋でさえ完璧な把握を許さない。


 前見て右見て左見て、やはりあるのはごつごつとした岩肌。壁。抜け道も生きる道もなにもなし。

 そして後ろを振り返れば――


「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 追い詰めたり。

 そう言いたげに口角を引き上げる凶悪なる竜の嘲笑が接近している。


 もはやどうしようもない。八方塞がり、絶体絶命。

 シノギはため息とともに逃げることを諦め、腰元の刀――魔刀マトウを一本握り締める。引き抜く。構えをとる。


「しゃーねぇ、とりあえずは足掻いてみるかァ」


 にやりと強気に笑ってはみるものの、かすかに足が震えていた。握る刃の切っ先は定まらず、その顔に貼り付けた笑みが強がりと察するに難くない。


 強大にして絶望と名高い竜種は恐ろしい。当たり前だ。

 だけど、万事休すと死を受け入れられるほど潔いほうでもない。生き汚く足掻くほうが性に合っている。


 ならばビビってたって動きが鈍るだけで、だったら見栄でも張って笑ってやるさ。

 シノギは覚悟を決めて、怯えを震えとともに抑え込む。迫りくる竜を見遣る。睨み返す。


 視線が交錯する。


 彼我の距離が失われていく。互いの間合いが生死の境目となって幻視できる。

 竜の口腔内に紅蓮が湧き上がっていた。シノギの魔刀がギラギラと殺意を膨らませていた。


 火蓋が切られる直前の、得も言われぬ緊張感が膨れ上がって最高潮の。

 その刹那。

 不意に。



 ――■■■■!



 声が。

 聞こえた気がした。



 そしてシノギは壁に吸い込まれた。



「は――ァ?」


 なんとも奇妙。

 なにか不可視にして不可思議な力に繋ぎ止められ、鷲掴みにされた。

 無理やり引っ張りこまれたそこは確かに壁であったはずが、シノギの体は当たり前のように透過して通過する。

 次の瞬間には地面に落っこちて転がる。壁の向こう側へと、シノギは送り込まれていた。


 三拍あって。


「しっ、死ぬかと思った!」


 がばりと勢いよく起き上がる。シノギは自身の生存を確かめるように叫んだ。

 なにがどういう、どうしてどうなった?

 ことの唐突さと意味不明さに動揺しながらも、シノギは必死でなけなしの理性をかき集める。


 おそらく、ダンジョンのトラップかなにかに引っかかったのだろう。強制的な入室のトラップ的なもの。そう推察する。

 では、この部屋は罠の渦中であるか。


 シノギは身体を引きずるように立ち上がる。警戒しながら周囲の状況を確認する。


「隠し部屋、か?」


 魔術的な照明が煌々と室内を照らし、暗闇を遠ざけていた。その上腐臭も和らぎ、五感が生き返る。

 広々としていながら閉塞感を与える壁面は鈍色の不明金属が覆い冷めた空気感を醸し出す。逃げ回っていた岩肌の通路とは違い、香ばしいほど人工的な風情が違和感を際立たせていた。


 魔術も冶金やきんも、知性の為せる業。なによりなにかを隠すという発想が生物的。ダンジョンとは神族の造り出した箱庭であると思い出させる部屋であった。

 けれど、なんだろう。


「迷宮に隠し部屋なんざ珍しくもねェが……」


 ここは一体、なんの部屋なのだろう。

 侵入者を閉じ込めて枯死させるためのトラップか。そんなことをするくらいなら魔物を投入するなり、毒素でもまき散らすなりしたほうが手っ取り早いだろう。

 ならば。


「あぁ。こりゃァ」


 闇も晴れたと暗視のサングラスを外し仕舞い、その悪瞳で改めて部屋を見渡せば中央に目を引くものがあった。


 祭壇である。


 意図してなにかを隠し、見つからぬようにと配慮された部屋。そしてそこに配されたいかにもな祭壇。どうやらここは罠でも檻でもない。


 むしろ、宝物庫か。


 ならば仕舞い込まれた宝物とはなにか。それは神造魔道具、神器、『神遺物アーティファクト』と呼ばれる奇跡のアイテムである。



 神々の遺産の内――その祭壇に安置される宝は輝ける玉石だった。



 完璧を思わせる曲線はただそれだけでため息がこぼれるほどに美しい。両の手のひらで包み込めるほどのサイズながら、そこから発される神威カムイのほどは霊験なる大山よりも圧倒的で人を竦ませる。


 なんとなく、記憶に引っかかりを覚える神遺物アーティファクトだ。しかしすぐには思い出せない。こんな感じの神遺物アーティファクトを、どこかの書物で読んだ気がするのだが、はて。


「けど、妙だな」


 過去、神々の時代が終わってから幾星霜、このダンジョンの存在が知れ渡って幾年月。攻略情報さえ金で購入できて、既に何人もの「迷宮踏破者」が文字通り踏破しているはず。宝というのはそうした先人によって奪い尽くされているものである。

 未踏の深層ならばともかく、こんな浅い層で宝など残っているわけもない。

 なのに、玉石は未だそこで輝いている。


「いや待てよ。さっきの竜が追ってこねェ。見つからない?」


 シノギは魔術的な知識には疎い。こうした隠し部屋を覆うくらませの結界の上出来不出来などわかろうはずもない。


 一方で竜は魔術を扱いうる唯一無二の魔物。少なくともシノギよりは結界の探知に関して知恵をもっているはずで。

 その竜が発見ならず、無知のシノギが入りこめた。矛盾だ。けれど、それは説明できる矛盾である。


「まさか……招待されちまったのか」


 この結界に――いや、祭壇に祀られた玉石の神遺物アーティファクトに、シノギだけが招き入れられたのかもしれない。


 時に強大なる遺物は人を選ぶという。まるで意思をもっているかのように、担い手を選別して見出すのだ。

 先ほど聞こえた声も、ならばこの玉石に呼ばれたのだとしたら。


「ち」


 神遺物アーティファクトに選ばれる――往々にして、それは酷い厄介ごとにしかならない。

 シノギはなんとも面倒そうに魔刀を納刀しながら、祭壇の元へと歩み寄る。

 その玉石をじっくり見つめて観察する。


「神々の遺した忘れ形見、か。厄介なもん残してくたばってんじゃねェよ、まったく」


 何の気なく。


 特段に意識したわけでも、好奇心が働いたわけでもない。

 ただもうちょっと間近で観察しようと思って、摘まんでみようとして、それだけでそれ以上にない平常さで。

 シノギは、その指を玉石に伸ばす。近づけ、掠め、触れ――



 ――その時。

 落雷にうたれたような衝撃が駆け抜けた。


 思い出す。シノギはこの玉石の神遺物アーティファクトについて知っていた。


 それの名は『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』。

 かの玉石には、かつて世界を滅ぼしかけた魔王が封ぜられ、また同胞を殺した悲劇の勇者が眠るという。

 要は封印の神遺物アーティファクトだ。触れた者をその玉石の内に閉じ込め、封じてしまうという品。


 魔王や勇者を封じたという過去の逸話が真実ならば、すなわちそれは最上級の神遺物アーティファクトだろう。

 なにせ、魔王と勇者というのはこの神のいない世における最上位。

 人類最強、魔人最上、最も神に近き半神。個人で無双し、単独で無辺の逸脱存在である。

 それを問答無用で無力化するというのだから、その脅威は想像できるだろう。


 魔王七名、勇者四名――代替わりはあれど増減はない。それは継承される称号であり証、力である。


 死せば別の誰かが新たな魔王や勇者に成り果てる。そういう、神からの呪いであり祝福なのだ。

 そのはずが、魔王は四百年前、勇者は二百年前からひとりずつ欠けてしまっている。継承されていない。何故なら死んでいないから。この玉石に封印されているだけだから。


奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』――現在において魔王と勇者を減らした唯一無二の神遺物アーティファクトである。



 ――と、触れる直前の一瞬間の内で、まるで走馬灯のように知識が弾けて駆け抜ける。

 走馬灯とは死の直前に垣間見るもので。

 ならばシノギの本能は、この玉石に触れた瞬間に死する――封印されるのだと、そう判じて走馬灯が走ったのか。


 その真意は定かではない。だが今更に停止を念じようとも意味はない。

 なにもかもが手遅れ。すべては遅きに失した。


 そこまで高速処理で脳が思考をさせたところで。

 遂に現実は追いついて指先が玉石に、



 触れる。



 ――瞬間、爆ぜた。



 どういう理屈か、なにが作用しどう転んだか――『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』は砕け散る。

 跡形もなく欠片も残さず、玉石はその存在を徹底的に消失させる。文字通り弾け飛んで消滅した。


「は?」


 あまりのことの唐突さに、シノギは呆気にとられる。

 上手く現状を処理できず理解及ばずフリーズしてしまう。


 だが待て。硬直などする前に目の前に嘆くべき事象があるはずだ。忘れてはいけない事前情報を思い出したはずだ。

 封印していた依り代の崩壊。それは、眠っていた存在の目覚めを意味するのではないか。厳重に封されていた地獄の釜の蓋が開いたのではないか。


 伝説に曰く――そこに眠りし者はなんだったか。


「ふぅーははははははははははははははははははははははははははははは!

 わし復活!」


 金属壁に派手な笑い声が反響する。やたらと尊大で、どうにも偉そう、なんとも――愛らしい笑い声。


 気づけば祭壇の両脇に存在したのは――幼女と青年だった。


 笑い続けて目立つのが漆黒のドレス纏う幼女。

 銀色のたてがみを従える獅子の如き凶悪な威圧を放ち、つり上がった太眉は凛々しい。それでいて華奢で見目麗しく、香り立つ花のように可憐である。低身長なのに高貴な面持ち、いとけないのに超然としている。

 様々な相反する要素を併せ持ち、なお矛盾とはならずに見事調和させている。

 くりくりとした大きな銀瞳が印象的な、見れば見るほど見惚れる美しき銀月の姫君である。


 無言で戸惑い状況把握に努めるのが青年。

 カソックで全身を覆うことで聖職者であることを主張しつつ、長剣を腰元に佩いている。暴力性の見えない優しい金の眼差しと落ち着いた雰囲気から剣があっても守護のイメージが先立つ。

 されど薄弱さは皆無。

 黄金の頭髪が美しく眩く、その内実に秘めた雄々しき魂の輝きを世に知らしめている。彼こそは高潔たる英傑であると。

 真っ直ぐ突き立つ錬鉄のつるぎのような、金陽なる眉目秀麗の武装神父である。


「あー」


 で。

 そんなふたりの登場に、真っ黒なシノギは驚き言葉を失くしてしまう。硬直し、困惑し、後悔する。

 やってしまった――まさかちょいと触れただけでこのような事態に陥ろうとは思いもよらなかった。


 どれだけ悔いても後の祭り。時は逆巻かない。石は戻らない。

 溢れる理不尽と満ちる不可思議はなんら妥協なく現出し、シノギの目の前に揺るぎなく存在する。


 それがこの世の道理であるがゆえ。


 どれだけの理不尽もいかほどの不可思議も日常風景。奇妙奇天烈が平常運転の世の中だ。旅して生きてりゃこんなこともあらァな。


 シノギは独特の思考回路でもって納得し、驚愕と悔恨を手早く飲み込む。続いて警戒。

 ごく自然に休ませるように手の平を柄に置いておく。その殺傷力ある瞳を細めて両者を観察する。


 少なくとも殺意や害意、悪意の類はない。こちらと同じ困惑が大半で、あとは当然の警戒心と、馬鹿笑い。って、なに笑ってんだ、この童。

 あれか、ようやく自由になれて、よほどに舞い上がって喜びはしゃいでいるのか。きっと永い眠りについていたわけだし。

 永い眠り……。


「あんたたち、誰だぁ?」


 幼女の高笑いが一段落ついて、次の笑いのために一息いれる空隙を見計らい、シノギは切り出してみる。

 必要な確認事項で、ありきたりに当たり前な手続き。ともかく初対面の第一歩。


 怖気づいた風情は極力殺す。飄々とした態度で身を包み、人を食ったような笑みで顔を覆い隠す。

 冷や汗を、震えを、怯えを、目立たせぬよう笑ってのける。


 返るのは、繕ったものではない真っ向の笑み。無邪気で無垢な、まるでもなにもない子供のそれ。


「魔王様であるぞ!」

「…………」


 即答と沈黙。

 まだしも答えてくれるだけ対応できる。言葉が通じ、コミュニケーションがとれるという事実に安堵し――放たれた言葉に頭を抱えたくなる。

 例の伝説から備えてはいたが、それでも衝撃は著しい。殴打に備えて防御姿勢をとっていても、大爆発に巻き込まれたらぶっ飛ぶものだ。驚愕の規模が違う。


 引きつる頬を自覚しながら、なんとか痙攣しかける顔面を常態に引き戻す。身を削るように平静な声を絞り出す。

 シノギは外面だけ余裕ぶるのが得意だった。内実を伏せるのが特技だった。


「魔王ってなァ、あれかい、あの魔王であってるかい?」

「ふぅむ。時は流れ、時代は移ろい、世は変じた――それでも今なお不変に存在していような、およそ間違いなくその魔王じゃよ」


 魔人の王。魔道の最果て。世を支配しかねない超越存在。

魔王の証印ペッカートゥム』をその左手に刻まれた七人の魔人――それが魔王である。


「そうかい……伝説ってのも、あながち嘘ばかりでもないらしい。ハタ迷惑なこった」


 そこは嘘でよかっただろうに。切実に。

 では、偽りがないというのならば、つまりがもうひとりの彼は。カソック姿の彼は。

 魔王に対なす天敵――


「やはり、魔王の一人か」

「ふん? そういうお主は、あぁその紋章、勇者じゃな」


 勇ある者。天に至る可能性。魔王を打倒するための対抗存在。

勇者の紋章フォルティート』をその右手に刻まれた四人の人間――それが勇者である。


「貴様が魔王だというのなら、場合によっては――」

「あー、待て待て。話を聞いてくれぬか」


 剣呑な雰囲気を膨らませ腰元の剣を握る金髪勇者に、銀髪魔王は緩やかに制止。

 上品に苦笑し、両手を挙げて敵意のなさと無害を示す。


「……」


 数呼吸の間ののち、勇者は無言で剣から手を離す。戦意を保留しておく。

 幼子の姿で、無抵抗で、真摯に頼み込まれては、問答無用とはならない。彼は勇者であった。


 それにこの魔王、態度は軽く声は遊ぶが、内実根底は酷く重く真っ直ぐだ。それこそ精錬した白銀のように。

 それがシノギと、それから勇者の彼にもわかる。なんとなく、底のほうから染み入るように伝わってくるのだ。


 これは、なんだろうか。


 疑問には思えど、それ以上に問答すべき事項が多々溢れていて後に回す他ない。

 魔王はすっと細腕を挙げ、言葉をはじめる。


「まず状況を把握しようぞ。でなくば、とてもまずいことになりかねん。ほれ、座れい座れい」


 ぱちん、と幼女が指を鳴らせば、そこに三つの椅子が現出する。寸刻以前までありえなかったシックで豪奢なソファがいつの間にやら鎮座していた。物質生成の魔術である。

 無造作に編まれた魔力にしては整然とし、簡易に造り出した魔力物質にしては精巧。流石は魔王の手並みと言ったところか。


 幼女は率先してどかっと座り込む。雅な所作で肘掛けにもたれて、男ふたりに促す。腰を据えて話そうと。

 シノギは数瞬だけ迷ってからスーツに皺が寄らないように腰を下ろす。知っておきたいことは数えきれず、話してくれるというのならば是非もない。

 最後に勇者も、実に一分の逡巡の後に渋々といった風情で座った。

 三人膝をつきわせて円を囲むと、幼女は満足気に頷き笑顔で再開。口火を切る。


「で、じゃ。まずは確認したい。お主か、あの玉石の三人目――って、目ぇ怖ッ!」

「目……? あっ本当だ、目ぇ怖ッ!」

「うるせぇよ!? おれの目付きの悪さはもう生まれてこの方、言われ続けてんだ! いいから話進めろ、話!」


 ようやくシノギにお鉢が回ってきたかと思えば、幼女は悲鳴を上げて後ずさる。狭いソファで器用な。

 ついでに勇者のほうも仰天。魔王にばかり向けていた警戒心をシノギへも割り振る。


 いや、超越たる魔王に歴戦の勇者が後ずさるなよ……。


 やれやれとシノギは慣れた調子で再び懐からサングラスを取り出し、魔眼を封じ込めるように装着した。ブラックスーツにブラックサングラスをつけ、なお素顔より恐ろしくはないというのだから凄まじい。

 暗視以外にも泣き叫ぶ女子供にまで効果あるグラスは、彼にとって必需品であった。


 幼女な魔王は仕切り直し。ビビって失った威厳と気品を取り戻すように努めて生真面目な声をだす。


「おっ、おぉ、そうじゃな、すまぬ。では確認じゃ、おぬしが玉石に触れて、それで我ら二名の封が解けたのであるな?」

「触った途端、いきなり玉石が弾けて消えたぜぇ」

「で、あるか。あるかぁ……ではやはり不備なく不全なく、か。いや、開封が叶っただけで良しとすべきじゃな」


 なんぞひとりで得心する幼女。背もたれに全身を預け、天を仰いで緩く息を吐く。

 おい、その納得、こっちにも少しお裾分けしちゃもらえんか。


 グラス越しにも催促の顔付きを察したか、幼女は一度苦笑する。それから転じて前のめりになって顔を寄せる。仰々しく髪をかき上げ、挑むように挑発的な目付きでシノギと勇者を見つめる。

 一割の憐れみと、二割の諦観、七割の歓喜を視線に乗せて凶悪に笑う。


「ではおぬしらに言っておかねばならん、争っておる場合ではない。疑い合ってギスギスしておる暇もなし。

 我ら三名、奇縁によって結びついた同胞はらからである。ゆえ誰ぞひとりでも死せば――連鎖し諸共死するぞ」

「あ?」

「なんだと」


 勇者のほうもわかっていないらしい。難しい顔してシノギと同じ疑問符を上げる。

 そのためこの場で語る言葉を持つのは幼女な魔王ただひとり。

 不明をバラ撒き解説の必要性を作る。そうして会話の主導権を奪う。わかっていてもシノギも勇者も言葉を待つ他にない。


「先ほど砕けた『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』、わしと――そっちの勇者もかの、今の今までわしらを封じ込めていたあれじゃが、あれはな、実は封印具ではない」

「あん? じゃあありゃなんだってんだ。綺麗な小石かい」

「それはないだろ」


 ジョークに真顔で突っ込まれた。

 幼女は笑い、シノギは憮然と腕を組む。勇者は澄まし顔で先を促す。


「それで、ではあの玉石はなんだという」

「あれは呪いを撒き散らす呪具よ」


 唐突にして不可解な種明かし。勇者も今度はツッコまない。

 シノギはわからないなりに反論する。肯定を求めたのではなく、どう否定するのか確かめるように。


「でも実際にあんたと勇者は封印されてたんだろ? それじゃ封印のアイテムでいいんじゃないのかい」

「否、それはただの前段階、前座余興に過ぎんよ。本筋が別にあるのじゃ」

「……その本筋ってのは」

「先も言うた、奇縁の呪いじゃ。

 どういう基準かは知れぬ。どんな選択かなぞ知れぬ。じゃが、玉石の選んだ三名の者がそれに触れねば発動せん仕掛けでな、三人揃うまでは石の中で待たされるのじゃ。それこそ、何百年であろうとな」


 つまりが砕け散った玉石、あれは言ってしまえば待合室。

 三人揃うまで強制的に待たせる酷く狭苦しくって飛び切り無理やりな待合所。


「それが、この玉石による封印の種と?」

「然り」


 逃さぬよう、死なさぬよう、ただ三人揃えるために玉石は在ったのだ。それは封印と似て、確かに非なる。

 なにせ、解放が約束されている。場合によっては眠ったその日に目覚めることもありえた。まあ実際は四百年もの永きに渡って眠り続けていたわけだが。


 要は目的の違いだ。

 玉石は三人を封じ閉じ込めるためにあるのではなく、三人を集め揃えるためにこそ存在する。そういう意味を備えた神遺物アーティファクト、呪い――奇縁。


「本来の機能は忘れ去られ、ならば残る逸話から封印道具と曲解されたのじゃろ。おぬしの様子から察するに、わしらは永い間、封じ込められておったのじゃろう?」

「あんたが封印されて四百年、勇者さんは二百年程度って聞いてるぜ。随分と盛大な寝坊じゃねぇの。そんなにいい夢だったのかい」

「夢を見た覚えはないが……二百年か。確かに寝過ごしたな」

「わしは四百、なんとも永いのぅ。枯れてしまいそうじゃ。

 ともあれその期間は真の力は使われず、知られることもなかったのじゃ、目に見えた印象的な効果を鑑みて封印具と見做されてもそれは必然じゃろ」


 なるほど筋は通る。確かに玉石は封印道具ではなく、呪いの付与装置だったのだろう。

 しかしここで問題が発生する。正確に言えば問題の只中に踏み込んでいることを自覚する。実に大きな問題だ。特にシノギに直撃しているという観点で。


 シノギは目を細め、舌を引き絞るようにして言葉を撃ちだす。前置きもなく、ただ真っ直ぐ、不服そうにその重要を問う。勇者もまた無言で耳を傾けるその問いを。


「で――その奇縁の呪いってのは、どんなだぁ?」

「『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』、それによってわしら三人に刻まれた呪いは三位一体にして一蓮托生、連理の奇縁たる呪いじゃ」


 ちらと魔王は勇者を見遣る。

 念のための確認。首は横に振られる。やはり彼も知らなかったようだ。二百年前にも、既に玉石は封印のアイテムだったらしい。


 これは情報操作があったかな。幼女魔王は自身を封印しようとした戯けどもを思い起こしつつ、口は饒舌に説明を続ける。


「端的に言えば三人の人間、その魂を繋げ、同一とする。それだけじゃ」

「ん、同一に、ねぇ……」


 シノギは咀嚼するように繰り返し、噛みごたえに不理解の苦味を覚える。わかるようでいて、底のほうに曖昧な表現特有のしこりがある。納得と飲み込むにはよくわからない。引っ掛かりを覚える。ちょうど小骨のように。


 勇者のほうは表面だけをなぞり、前情報との噛み合いにとりあえずの納得を示す。


「それで誰か死ねば他も死ぬ、と」

「うむ。おぬしたちがわしで、わしもまたおぬしたち。ゆえ、ひとりの死が三人の死となるのじゃ」

「…………」

「…………」


 自然と、シノギと勇者は困ったような視線を絡ませる。不明が多い者同士で共感作用が働いていた。

 へらりと笑い、シノギは言う。


「信用、できんのかい、魔王だろ?」

「……嘘は、感じられなかったが」


 種族も違う。性別も違う。生きた時代すらも違う。

 なにより彼女は魔王。かつて人魔間の戦争における恐怖の象徴。悪の代名詞。童話の敵役である。


 そんな大昔を引っ張り出さずとも、いつの時代にも力に溺れた悪い魔王というのはいて、悪逆なる魔王が不在する時期は少ない。彼女がそうでないという保証がない。


 これが嘘ならなんの意味があるのかはさておき、一抹の不安は拭えない。


 戸惑い疑うふたりに、魔王は無理もないと儚く笑う。

 だがだからこそ、信じてもらえるように必死になって言葉を尽くす。魔王はふたりに信じて欲しかった、自分の言葉を、感情を。


 少女は己が胸に手を置く。その奥に秘められた無形の何かを確かめるように零さぬように、柔らかに握りしめる。


「おぬしら実感はないかや。魂が繋がっておる、結ばれておる。その実感がじゃ。その見えない繋がりを通して、わしが語る言葉に嘘があるかそうでないか、なんとなくわかるのではないかのぅ」

「見えない繋がりねぇ。そりゃいいや、おれ好みだ」


 言われて自覚を探せば、なにやら引っ掛かるものがなくもない。

 三本目の腕が生えたような、背中に目がついたような。今までこの方、人生において存在しなかったものが身に加わった違和感。余剰に自己が拡張された不思議な心地が芽生えだしていた。


 これが彼女で、彼なのだろうか。己に住み着き、己が移り住んだ別人の感覚とでも言うのか。よくわからない。わかるはずがない。

 こんな珍奇な風情、未知に決まっていた。


 シノギは興味深そうに自らの腹を撫でる。


「どうやらマジにマジらしい。腹の底で知らない誰かが踊ってらァ」

「ならば解呪したほうがいいんじゃないか」


 勇者は勇者らしく実直でいて清廉。てらいもなく真っ当な意見を持ち出す。

 魔王は腕を組んで困り顔で唸る。それを言われるのは予測していたのだが、返答はまだ用意できていなかった。


「果たして過去の神々がなにを思ってこんな呪いを編み出し、挙句にバラ撒くための道具まで作ったか。知る由もないが、それは難儀じゃろうな」

「なに? 何故だ」

「仮にもこのわしをただの前提的機能でもって四百年封じ込めたのじゃぞ、その呪いは無比。解呪なぞ、どうすればよいかもわからぬ。人の為しうる解呪の術でどうこうできるとは思えんでな」

「それは……そうか。厄介だな」


 神の御業を、人如きがどうしようなどとはおこがましい。

 たとえ人類における頂点たる勇者でも、魔人の王たる魔王でも、神には届かない。触れえない。

 勇者と魔王が二人そろっても神に立ち向かうことさえ困難で、呪いを解くことですら酷く難事、一筋縄ではいかない。


 つまり三人は奇縁に結ばれ、離れられない。命を共有して揺るがない。文字通り一蓮托生である。


 そこまで説明してから魔王はふと、思いつきのように何気なく言う。


「でじゃ、それを踏まえた上でひとつ、伝えておくことがあるのじゃが」

「奇遇だな、俺も説明しておくべきことがある」

「おう、なんでい、あんたらもかい。実はおれも言っておきてぇことあんな」


 ……何故だろう。


 一瞬、三人揃って沈黙し、同じ嫌な予感を覚える。同じ不吉を感じ取る。

 この同調ばかりは呪いによる奇縁ではなく、ただ自分の打ち明けるべき内容が他の面子の言うべきこととやらを推測させるからであった。

 嫌なことは想像しやすい。悲劇のほうが読みやすい。残酷のほうが勘ぐれる。


 魔王は言う、やれやれと。

 勇者は告げる、困ったように。

 シノギは宣する、何故か笑顔で。


「わし」

「俺」

「おれ」



「――死の呪い負ってる」



 そもそも呪いとはなにか。


 端的に言えば、害意ある魔術的な魂への干渉のことである。逆に益する魂への干渉は別に祝福と呼び、区別される。

 呪いと一口に言っても種類は多岐に渡り、とはいえ分類すればおよそ三種類。


 ひとつ目に、魂を減衰させる類。

 ふたつ目に、魂を変質させる類。


 今回の『奇災三蓮の玉石カラミティ・トリニティ』の呪いはこれ。魂に直接影響し、その本質を歪めてしまう。魂の変性は肉体にまで影響することもある。


 だが最もポピュラーで大多数のみっつ目は――魂に条件を課す類である。


 それはたとえば、特定の思考をした場合に魂に苦痛を与えるであるとか。特定の器物を手にした場合にとんでもなく重く感じるとか。

 もしくは――特定の行動をとった場合に、魂を殺すとか。

 死の呪いとは、つまりがそれだ。


「まさかおぬしらもとは……」

「なんとなく予測できたが」

「参ったもんだぜ」


 疲れ切ったように、三人はソファに身を沈める。

 つまり、三人が三人とも――死の予兆を臓腑に飲み込んで生きている。

 なんらかの条件を持ち、それを違えるだけで死ぬ儚い生命。一歩踏み間違えるだけで死相が現れる、死の呪いを刻まれているというのはそういうことで。

 その上で、命が繋がっているというのは、なんともなんとも。


「やっべェじゃん」

「うむ、誰ぞの呪いが条件を満たせば」

「……全員まとめてあの世逝き、か」


 命は繋がり、魂は重なって、心までもが同居しているのだから。三位一体なのだから。

 命を殺す呪いと命を繋げる呪い。その二つが嫌な噛み合い方をして、困ったほどに共振している。


 シノギは苦い木の実を齧ったような顔つきで顎をしゃくる。


「ちなみにあんたら、条件は?」


 この問いにばかりは素直。

 勇者と魔王はそれぞれ告げる。


「俺は、かつて打倒した魔王にかけられた――『勇者としてあるまじき行為をとれば死ぬ』」

「わしは『全力をだせば死す』」

「おれのは勇者に近ェな。とある引きこもりにやらせた、『郵便屋として背く行為の禁止』だ」


 言い合い、また黙りこくる。

 今度の沈黙は思案の静かな合間で、だから考えがまとまればすぐに破られる。

 明るく前向き元気よく、魔王はひたすらポジティブシンキング。


「まー、別にいいじゃろ。そう致命的に単純な条件でもなさそうじゃし、少なく見積もっても今生きておるのじゃから、当人こそがしかと弁えておるじゃろう?」


 呵々かかと魔王は上機嫌に笑う。特にこの呪いを苦とも思ってはいない、快活な笑顔だった。


 勇者はとても笑顔にはなれない。渋い顔付きで現状理解に努めようとする。彼は三人の中で、唯一呪いという面倒事に真っ当真っ向に取り組んでいた。

 さっそく苦労性の地金が浮かび上がっている気がするも気にしていられない。


「魔王、では他になにかこの呪いについて語っておくべきことはあるか」

「そうじゃな、もう一点、重要なことがある。おそらくじゃが、わしら三人、あまり遠く離れすぎても――それだけで死ぬぞ」

「……そりゃ、あれかい。三人でひとつだから、三位一体だからってか。奇縁とやら、存外に短ェのか」

「いや物理距離というだけで言えば割と離れても問題なかろうが、時間と距離と、ともすれば心持ちまで関係してくるのではと懸念しておる」


 離れ離れはすなわち、それ魂の散逸。

 ならば身体が既に三分割――というかもとより分かたれている時点で魂の同一化などできやしない。

 繋げている奇縁という見えないなにか不可思議な糸があって、それがあるから三人は別人でありながら同一人物という矛盾を成立させている。


 だがその奇縁も無限無尽ではなく、限度があろうというのが魔王の推測。

 あまり離れすぎて長さの限度に切れてしまわないか。長く別れすぎて強度の限度に切れてしまわないか。

 もしくは、


「まさか俺たちが忌避的な感情を差し向け合うだけでも、呪いが発動するというのか?」

「かも、しれぬ」


 勇者と魔王の深刻そうな問答に、シノギは首をひねる。


「あ? どういう意味だそれ」

「奇縁という存在が曖昧にすぎる。なにをどういう形式でどうなっておるのか、わからんのじゃ。ゆえ、それがわしらの感情に反応する可能性も捨てきれん。心の距離が開くと表現すればわかるかの」

「あー、そういう。確かに縁ってのは感情で切れるもんだわな」


 絶縁と、それは言う。

 それでも切れたりしない悪縁、腐れ縁というものもあるが。

 彼らの間に結ばれた奇縁がそれかどうかは知りようもない。


「となると厄介だ。これでは」

「うむ、わしらは同道せねばならん。手を取り合って、助け合って、そうやってしかもはや生きられん」

「しかもその道中でなるだけ仲良しになっとかねェとやっぱりまずいってか」


 死の回避のためとはいえ、出会って早々の赤の他人に課せられるにしては中々に難儀な試練だ。

 呪いが難儀でなくてどうするか、と言われればマシな部類とも考えられるのだが。

 魔王はそれらを踏まえてなお無邪気に笑う。


「わし、すでに結構おぬしら気に入っておるがの」

「ノーコメントで」

「…………」


 茶化すように肩を竦めるシノギはまだしも、本当に沈黙してしまう勇者には先行きが不安にならないでもないが、正直なだけだろう。適当な相槌によって変に気を持たせたくないという誠実さ。

 言い方を変えれば慎重すぎる態度に、シノギは楽観の顔をする。あまりそこを深く考えてもむしろよろしくなかろうと。


「そこらへんはとりあえず旅しながら考えようぜ。今はじめっから駄目だった時を考えても意味ねェし、それにそもそも全部まだ推測段階だろ?」

「それは、そうだな。まだ俺も君たちも、なにも知らない」

「知っていくための同行でもあろう、旅は道連れ世は情けというやつじゃな」

「はん、それを言うなら袖振り合うも他生の縁のがそぐう気がするけどな」

「合縁奇縁と呪われて、ともあれ進む他にはないか」


 ふ、と一応の納得を示すように、勇者は薄く笑みを刻んだ。

 彼が目覚めてから、それははじめての柔らかな表情であった。

 張りつめたなにかがほぐれたままに、勇者はではと言う。声音もまた、先より幾分か低さ薄れていた。


「他には? 道行きを同じくする上で、やはり呪いには最大限、警戒しておきたいんだが」

「んん、おぬしは本当に慎重じゃのぅ。とはいえ、この程度ではないか?」

「なんであんたが疑問形なんだよ」

「そう言われてもの。実はわしもそう詳しいわけではないのじゃ。ただ、わしを裏切った戯けどもがわしを殺すために見つけてきた神の遺した古き呪具というだけじゃ」

「殺すつもりって、やっぱ世界滅ぼそうとしたのかい、あんた」


 けらけら笑って言うシノギ。

 その問いかけに是と答えられたら非常に不味いと理解した上での発言なのだろうか。勇者は踏み込み過ぎにハラハラしながら推移を見守る。

 はてと魔王は片眉を跳ね上げて、すぐに得心顔で二度頷く。


「なんじゃ、そんなデタラメが伝わっておるのか。まあ、わしを討つ理由付けは必須で、滅亡なんぞはわかりやすいか。

 実際はわしの力を恐れた他の魔王どもが排除に乗り出たという、またありきたりでわかりやすい話じゃよ。この呪いでわしに雑魚を繋げて、その雑魚を殺せば道連れでわしを滅ぼせると考えたのじゃろう」

「……では何故、今日この日まで呪いは発動しなかったんだ」

「かの神遺物アーティファクトの発動条件が不明であった、ということじゃろな。幾らか試しはしたのじゃろうが解明できず、次善として封印し続ける道を選んだということではないか?」


 神遺物アーティファクトに選ばれる――そのメカニズムは解明されていない。意思などないはずの道具のシステムなのだから、なにぞか基準はあるのだろうが。

 それこそ神のみぞ知る、ということなのかもしれない。


 わからないことを考えるよりも、今はわかることを話し合うべき。

 魔王は一区切りがついたと見て華やかに笑う。心躍らせ興奮気味に犬歯を見せる。


「さて呪いについてはこれくらいでいいじゃろ。わしゃそれより長い付き合いになりそうなおぬしらが知りたいのじゃがなぁ」


 にっこにっこしてそんなことを聞く。

 なにが嬉しい、なにが楽しい。わからないが、大事なことではある。忘れていた不徳は確か。


 一番に反応したのは勇者。名を明かさぬ不義理は失礼だった。彼は誠実に不義を詫びつつ名を明かす。


「そうだな、自己紹介がまだだった、すまない。


 俺はリオトーデ・ウリエル・トワイラス。


 元勇者の、見た通り今は神父だ」

「おう、リオトーデか。勇者であって聖職者とは風変りな巡り合わせじゃな。その生き様は気になるが、それは徐々に知っていこうかの。

 で、三人目、おぬしは?」

「おれかい。


 おれぁサカガキ・シノギってんだ。


 魔王や勇者と並べて見比べりゃみてぇな一般人でしかねェや。強いて言うなら職業は郵便屋さんだ」

「む?」

「?」


 職業についてきょとんとした顔をする幼女魔王と勇者。

 郵便屋さん――わからないという不思議ではなく、なぜ郵便屋さんがこんなところにいるのか不可解なのだろう。

 そんな面してできる職業か? という顔かもしれないが。

 先ほども聞きかじり、気にはしていたが話の腰を折らぬようにと噤んでいた。今なら構うまい。


「郵便屋とは……その、言葉通りのそれ、かの」

「あぁ。手紙を届け、物を輸送し、えっちらおっちら駆け回るお仕事さ。今回も、危険な神遺物しんいぶつをここにお届けするようにって依頼を受けて来たんだぜ」

「それはまた、ふむ、奇特な郵便屋じゃのぅ」

「まあ、今じゃ郵便屋なんてなぁ、絶滅しかけてるんでね。こういう仕事もとらねぇとやっていけねェのさ」

「?」


 シノギの諦観にも似た口ぶりに、ふたりは少々不思議がっていた。

 彼と彼女の常識では、郵便屋が絶滅しかけているという事実がよくわからない。

 諧謔にしては自虐的で、面白味に欠ける。解き明かすには知らないことが多すぎる。

 置く他ない。


「まあ、よい。ともあれ郵便屋さんのシノギじゃな、覚えたぞ。

 最後にわしじゃ! 


 わしはティベルシア・フォン・ルシフ・リンカネイトという。


 しがない魔王じゃ、よろしく頼むぞ我が同胞はらからたちよ――この奇縁に祝福を!」


 両手をふたりに差し出し、躊躇いがちな手を握る。やや強引な、よろしくの握手である。



 ――これが後に「災厄三馬鹿カラミティ・トリニティ」と呼ばれる三人の出会い。

 魔王と勇者と、それから郵便屋さんのサカガキ・シノギ。なんともアンバランスで変妙、奇縁でおかしなはじまりである。









「しかしいやに長い名前だねぇ。覚えんのに一苦労だぜ」

「俺ならリオトでいいぞ。仲間内ではそう呼ばれていた」

「わしも呼ばうなら……そうじゃな。ベルシア……いや、ベルと」

「お、いいのかい。じゃリオトにベルで」

「俺は名を略す習わしがないからな、ティベルシアと呼ぶよ魔王」

「魔王と呼んでおるではないか……」


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