狭くて鎖されているけど幸福な千人村 2



「……いま」

「あ?」


 まずそれに気が付いたのは、名にし負う勇者たるリオトであった。


 食事も終え、部屋に戻って、だらだら時間を過ごして少々。

 暇だし日記でもつけるかとシノギが筆をとって――その時に、リオトはがばりと顔を上げた。悔恨やるかたない渋面でこう告げた。


「いま、ひとが、死んだ……」

「へぇ」


 唐突すぎて、シノギは飲み込み切れずに空返事。書き込む手を止めずに徐々に言葉の意味を解していき。

 理解が届く――ばきりと、筆を折ってしまう。悪瞳が見開いて頬が引き攣る。


「は? なに、なんて? 人死にだ? なんでわかんだよ!」

「血の臭いがする、魔力反応の急速な消滅も感じた! この建物内で誰かが死んだ!」

「おっ、おう……」


 一切合切、感じ取れていないシノギはただただ勢いに乗せられて頷いた。

 首肯が返ればリオトも止まる理由がなく、さらにまくし立てる。


「俺は確認に行くから、シノギは人を呼んでくれ!」

「ちょ、待てよ、リオト!」


 手短に説明と指示だけ飛ばして、リオトは風となって部屋を出ていく。走り去っていく。

 彼の言葉に嘘は感じられない。そもそもこんな嘘を吐くような奴ではないし、むしろこういうところで必死になっている姿は事実である証左にしか思えない。

 ならば。


「……こりゃ、やべェかもな」


 ちらと悪瞳を窓の外へと向ける。

 ――太陽が遠く彼方で没していく。

 領域魔術によって規定された村内人口計測時間に当たる日の入りまで、もう時間はない。



    ◇



 そこからの流れは嵐のように激しく、津波のように怒涛であった。

 シノギはこの宿の管理人を呼び出し、先に行ったリオトに追いつく。彼の待っていた四の部屋には血の海が広がっていた。


 その部屋の情景は悲惨の一言。

 喉を裂かれた男が、ひとり部屋の真ん中で横たわっていた。右手には血濡れのナイフを強く握りしめており、それで自刃したのだろう。深く深く死を刻み、決して蘇らぬようにと願ったような傷跡だった。


 その凄惨な死体に、シノギと村人の男は絶句してしまい、耳が痛くなるほどの静寂だけが敷き詰められる。

 だからか、歯噛みした後に苦悶とともに呟かれた、リオトの一言だけが印象的だった。


「ちくしょう……」


 その後、シノギとリオトは村長の宅に招かれる。嫌もなく同行すれば、既に幾人かの人々が沈痛な面持ちで待ち構えていた。

 早速そこに集まった者――おそらく村のまとめ役やこうした状況に対処する役柄たち――に事情の説明を繰り返す。無論、自身らの潔白の主張は忘れない。


 とはいえ話す内容など一行で済む。

 ――なんやかんやで人死にを察して、その現場に乗り込んだ。


 これだけ。本当に、それしかリオトは言わなかった。それ以上に語れる言葉などないのだから。少なくとも、リオトーデという男には。

 彼は無関係な他者の死に心を痛め、それを止めることができなかった己を責め苛んでは自戒ばかりしていたから。


 いやそれは率直で嘘偽りない事実なのだが、馬鹿正直すぎて、逆に怪しい。


「お前が殺したんじゃないのか!」


 などという的外れな罵倒もさもありなん。

 シノギとしてもその悪瞳からこの手の誤解はよくあること。特段に不快感もなく流す。リオトも反論なく静かに耐えるだけ。その程度の非難は甘んじて受け入れるべきだとでも思っているのだろう。


 まあ、ここで言い訳を言い募っても、あまり意味がないと弁えているのもあるだろうが。

 こういう場面、少しでも理性ある者がひとりいれば然程の問題はない。理も誤解も解いてくれる。


「やめなさい、その人たちはおそらく無関係であろうて。それに今更誰が殺したなどとは関係がない。そんなことよりも、千人揃える方策を考えよ」


 と、それその通り。村長の一言でだいたい収まる。


 死体の形跡、軽い精査魔術、先に人を呼んだこと、それらを踏まえて潔白はまず間違いないのだから。

 そもそも上記の事柄に追加して遺書の存在と内容を鑑みれば、あれは他殺ではなく自殺であろうことは疑いようない。


 非常事態に誰かを責め立てて平静を得ようとする心理はわかるが、村長の言うように、時間がないのだから今は控えて欲しい。

 とはいえ、部外者。

 シノギとリオトは不問となればここに留まる理由もない。さっさと追い出されることになる。


 事情聴取で十分ほど使い、残る時間は推定で二十分を切っただろう。誰もが焦っている。

 およそ二十分後には『禍福は糾える人の業カルマット・キルクルジヴァ』の祝福は全て呪詛へと反転し、誰も彼もを不幸に陥れる。それを誰よりも理解している村人たちだからこそ、真剣かつ焦燥して話し合いをしていく。


 そこに、ふたりの入る余地はない。

 そっと村長宅から辞して、元の宿の部屋へと帰っていく。

 ただ件の自殺者については口止めされた。露見しては周囲に混乱を招くし、場合によっては無意味とわかっても村から出ていこうとする者まででないとも限らないためだ。


 無論――ことの次第を把握している部外者たるシノギらも逃げ出さないようにと見張りの若者をひとりつけられた。

 ちなみに見張りのほうはこちらに伝えられていない。気配で読めただけだ。素人だったため、シノギですらその視線には気づいた。


 無視して部屋へと到着。疲れたようにふたりは少し乱雑な仕草で椅子に体重を預ける。

 呼気のように僅かな深閑しんかん

 すぐにリオトは心配そうに口を開く。


「あの話し合いで、なんとかなるのか?」

「無理だろうな。流石に時間がなさすぎらァ」


 既にタイムリミットまでニ十分を切っている。いや、その推測時間さえ希望的観測が混じる。太陽の気まぐれなど神々にさえわからない。だが少なくとも――本当に一刻の猶予もない。


 千人村の住民たちは常に人口の増減に気を払い、神経質になっている。突然死や妨害行為についても、ある程度は想定されているのだろう。そう、幾らか対処策を用意してあっただろうし、どうにかする手はずも考案されていよう。


 だが、なにかをどうこうするにも時間がない。


 というか村の想定したことはだいたい不慮の事故だ。外的な要因によるアクシデントだ。狙いすました意図的な悪意など慮外なのである。

 なにせ呪いは平等。事を起こした張本人にも当然ふりかかる。


 ――死んで逃れる以外には。


「っても死んだら元も子もねぇだろ、普通」

「普通ならざる事情があったということだろうな」


 そこまで言うと、リオトは沈鬱に目を伏せる。

 このギリギリでの自殺、これは計画されたタイミングでの数減らしであろうことが予測できる。意図して、千人の計測を満たさぬようにと自死した。

 リオトは最初に自刃した男の部屋に踏み込んだ。ゆえ、誰よりも早く、男の遺した手紙――遺書に目を通せた。


「復讐、か」


 その遺書に刻み込まれていたのは、憎悪と憤怒に満ちた呪いの文言だった。

 己を殺すことで果たしおおせた復讐。

 それは遺書を読んでいないシノギにも理解できた。


「なんか手紙あったけど、そういう内容だったんだろ?」

「ああ――ただ一言だけ、こうあった」


 短い文章だった。簡素な言葉だった。

 長々と不満や理由を垂れることもなく、心情を細かく吐露もしない。全てその一文にこめられていた。


 ――千人村憎し。千人村滅ぶべし。


 それはきっと、本人からすれば遺書ですらない。誰かに共感して欲しいわけでもない。

 ただただ己の最期の断末魔を文字と遺して滅亡を願った。要は祈りと呪いの手紙であろう。


 シノギはぎこちなく頬を歪ませ、笑ったような嘆いたような嘆息をこぼす。


「手紙だってんなら、届けてやりてぇところだがな」

「届いたさ、この村に送るつもりだったんだろうからな。まあ、受取人としては、突き返したくてたまらないだろうがな」

「お届け人が死んでちゃ返品は不可だわな。全く、生きてる内におれに依頼しろってんだ」


 少しだけ、腹立たしそうに言ってから、シノギはふと思い出したようにかぶりを振った。

 別段、顔も知らない男の自殺なんぞはどうでもいいはずだろう。どうしてこうも感情移入している。リオトの感情が紛れこんだのかもしれない。


 シノギはクールにスマイルを信条にしたチンピラだ。勇者サマのように、見ず知らずのために悲しんでやるほど暖かくはない。

 そうに決まっている。そうでなければならない。


 なんだか何故だか憮然とするシノギの、その内情をリオトは掴み切れなかった。

 一蓮托生であれ、心の裡の深みまで伝わってくるわけではない。特に、身内にこそ知られたくはないという念が強い事柄などは。

 シノギはどこか偽悪的、悪ぶって笑う。


「ともあれ、呪詛の手紙は届いた。届け人としては満足いく今だろうよ」

「……しかしなぜこんなことを」

「そりゃ簡単に想像できるだろ。千人村のルール、その村にあるべきは千人でなければならない。

 千人に満たない場合は他所から連れてくればいい。けど、じゃあ、オーバーしたら、どうすると思う?」

「数減らしが、必要になるだろうな」


 直言されて、リオトは肩を落とす。

 わかっていた。なぜなどと口にしてみても、意味はない。誤魔化せない。

 この村のルールは、決して全ての人を幸せにはしない。

 誰も彼もが必死で、誰も彼もが余裕ない。ゆえ起きた悲劇なのだと。


「千人村では出産と死亡が酷く重要だ。必ず早急に申し出ないといけない」

「そうしなければ千人という固定数が乱れ、ズレがひとつでもあれば条件を破る」

「たぶん、村人だけで千人であった時期が長かったんだろうな。で、不意に子供がうまれて……」

「誰かを――いや、彼を、追い出したのか」

「そうしないと千人と、それからここに訪れたことのある全員が呪われる」

「…………」


 冷徹だけれど正しくて、決して間違っていない選択なのに凍えている。

 冷たい方程式に情を挟む余地はなく、機械的に解かれなければならない。

 必死――だったのだ。


「ま、結局はこうしてその正しさが原因で恨まれてんだから、身から出た錆だわな」

「情を忘れれば正答ならず、合理を突き詰めては人でなし、か」

「とかく人の世は住みにくい、ってな。真理だぜ」


 吐き捨てるように言って、シノギはグラスを懐から取り出す。何の気なく装着して、目つきを覆い隠す。

 眼光が恐ろしく、恐ろしいがために目につく、目立つ。その瞳の揺れは悟られやすい。

 彼のサングラスは、感情を隠すための仮面の役割もまた、兼ね備えている。


 どうしようもない理不尽に、一体なにを思えばいいのか――シノギにはわからなかった。

 だけど、リオトは言う。こんな時でも暖かに、信じ切って真っ直ぐに。


「おそらく、彼にも情は――迷いはあっただろうけどね」

「……なんでそう思う」


 しゃがれて荒んだ声音にも、リオトは朗らか。それでいて理屈も忘れずに返す。


「自殺して復讐をするなら、もっとギリギリですべきだろう。いや、日が落ちてからすべきだ。それが最も確実で合理的だろう。

 なのにしなかった。きっと、最後まで迷っていたんだ。そして、決められず、どうなるかを残った人々に任せた。復讐を完了して、けれど人の生き延びる目を残したんだ」

「どうかね、単に絶望に足掻く不様を晒せって意味かもしれんぜ」

「死人に口なし。生きた俺たちが勝手に思いを推量するしかない。だったら精々、好きなようにいいように思っていたいよ」

「ち、勇者が」

「なぜ舌打ち……」


 ――ああ、グラスをしていて助かった。

 どうしてこうも、この男は眩しくて仕方ないのだ。それが、どこか微かにうらめしい。うらやましい。

 チンピラは勇者という輝きを目の当たりにしては、蒸発してしまいそうだ。


 切り替える。シノギは内面を晒さずに脇に置いておくことが得意だった。


「しかし、どうすっかね、これ。だいぶ困ったな。一抜けしたあの自殺野郎以外の誰も彼もが困っちまう」


 千人村の仕来りは破られた。ニ十分と経たずに呪いは拡散し、この地に踏み入れた全ての魂に不幸と災いが降り注ぐ。

 こうして別方向に会話しているふたりは一見余裕そうでいて、実際は危機的状況である。


 呪詛に飲まれては、果たしてどうなるのか――碌な目には遭うまい。もしかしたら死に直結し、落日と同時に落命しかねない。

 勇者の魔術による呪い。それに対抗しうるだけの何某かを、現在、三馬鹿は保持していない。


 自分たちだけでなく、多くの誰かの不幸も、リオトは見逃せないのだが。

 だからこそ、ずっとずっと打開案を思案し続け、だが結局なにも思い当たらない。


「なにかできることはないのか……」

「どうだろうな、人の頭数を増やすのは無理くせぇし、じゃあこの魔術をどうこうするにしたって魔術的アプローチは専門外だ……って、あ」


 そこまで口にして、不意と思い出した。

 シノギとリオトはなんとも言えない心地で刹那見つめ合い、ふたりで天を仰いだ。目元を手で覆い、なんだか疲れたように呟く。


「うちに専門家、いるな」

「いたね。どうにもどうしてか、忘れていたよ」

「ま、あんだけガキ丸出しの不様を見た後だからな、あれが魔術という智の賢明たる長とは思えんわ。思いたくないわ」


 それでも事実として、彼女は魔たる王。魔術の統帥者。冥府魔道を知り尽くした賢人。

 この状況において、もっとも頼りになる女だ。


「泣いても笑っても残り時間は変わんねぇ。うだうだしてるよりかは、うちの眠り姫でも起こしたほうが幾らか建設的だな」

「行こう。きっとティベルシアなら、なんとかできるさ」


 希望的観測で期待薄の望み。それはふたりにもわかっている。

 だというのにふたりの笑みは信頼に彩られていて不安など吹き飛んでいる。既になんとかなったと確信しているように。

 果たして、眠り姫の返答やいかに。





「できるぞ、なんとか」


 ふわぁと欠伸しながら、魔王ティベルシア・フォン・ルシフ・リンカネイトは至極あっさりと請け負った。

 起き抜けで、ざっくりと話を聞いて、最初の一言がそれ。


 リオトは震える声を自覚しながら頭を抱える。シノギは疑わし気に目つきを細める。


「いっ、意外にあっさり言うんだな……」

「ほんとかよ、寝言じゃねぇだろうな、お眠り婆さん」

「たわけ。婆さん言うでないわい、小僧」


 ぴしゃりとそれだけは厳格に指摘。

 すぐにふやけて目元が緩む。実に眠そうに欠伸をかみ殺しながら続ける。


「なに、わしを誰と心得て――ふぁ――おる、小童ども」

「いや、そんな寝ぼけた調子で言ったら寝言に聞こえるよ」


 言葉途中で欠伸が漏れた寝坊助の話など、夢うつつと疑心しても仕方なかろう。

 気にせずベルはもう一度大きく欠伸。んー、と唸って腕を伸ばす。そして脱力、目を擦って船を漕ぐ。


「むぅ、どうにもまだ睡眠に慣れんでなぁ。心地よい微睡みに身を任せる快感は抗いがたいわい。もうひと眠りしてよいか?」

「駄目だって! 切迫してるんだって!」

「む」


 リオトにしては珍しく荒げた様子でベルの肩を掴む。

 その行動と声と、なによりも繋がりし奇縁より真剣さを受信して、ようやくベルは顔つきを変える。

 察して、リオトは手を放して椅子に座す。真っ直ぐベルを見据えて言葉をはじめる。


「ティベルシア、なんとかできるん、だな? 詳細を聞かせてくれ」

「そもそもわし、この術知っておるよ」

「あ、やっぱ知ってたか」

「むぅ」


 リオトが少しだけバツが悪そうに眉を落とすが、気にしない。


「かつての知識と、それに足して解析は進めておったからの、結論はでたぞ」

「解析? いつの間に」

「寝ぼけながらも微かに意識はあった。この地より奇妙に魔力の拍動は感じておったでの、つい習慣的に無意識に解析していたのじゃ」

「うそくせ」

「半分嘘じゃが、半分は本当じゃよ」


 どういう意味だろう。どういう半分なのだろう。

 聞いてもわからなさそうなので、そこには突っ込まない。彼女の発言は往々にして彼女だけのものである。奇縁があっても、読解できるのとはまた別である。

 だから、伝達を優先する時、ベルは至極わかりやすいよう、シンプルに告げる。


「で、結論じゃ。わしならこの領域魔術――消せるぞ」


 半瞬の呼吸ののち、リオトはオウム返し。


「消す、のか」

「うむ、消す。あぁ、人数をどうのこうのは無理じゃ。転移の術なぞ、今の身の上では無理無理じゃし、現在覆っておる祝いが呪いに反転してしまえば解呪も難しかろう。ならば反転する前に、根底から払拭してしまえばよい。そして、わしならばそれも可能じゃ」

「……それは」

「どうなんだ」


 男ふたりは困惑してしまう。

 今まで積み重ねてきた会話や知識を全部ふっ飛ばしてひっくり返して――消すと来た。


 無論、呪詛を受ける前に術を消せば、確かに皆が助かるだろう。呪いを負わずに済む。千人揃えず結末できる。不幸になる者はいない。

 ――本当にそうか?


「いや、この領域魔術が消されてしまえば、この村の住人はどうなる」

「結界が消える。豊作の祝福が消える。こんな荒れた土地じゃあ、作物は育たねぇだろうな。つまり」

「遠からず滅ぶじゃろうな」


 ベルは酷薄なほどあっさりと、その末路を口にする。

 彼女としてはこんな魔術に頼った時点で、こうした終わりを迎えるのも必然であろうと思う。自業自得、今までの祝福の代価。仕方なし。

 リオトは苦々しく顔全体で苦悩を映し、なんとか声を発する。希望を夢見る。


「……災いだけを消すことは?」

「できんよ。表裏相克は混然一体、その混ざり具合の混沌さこそが術の効力を跳ね上げる。不規則で不均一なマーブル模様のカオスこそが美しい。

 それは言うなればコーヒーに混ぜ合わせたミルクを、やはりブラックがよいから分離させよと要求しているような我が儘じゃぞ」

「っ」


 そういう言い方をされると、理不尽を求めたようで決まりが悪い。

 腕を組んで押し黙るリオトに代わり、次はシノギが別方向から切り口を探してみる。


「じゃあ数を誤魔化すとかできねぇのか? こう、いない人間ひとりぶんをいるように見せる的な」

「術の計測機能を騙すことは可能じゃな。ただし、確証がない」

「ん?」


 肯定的な返事であったのに、さっそく撤回されては意味がない。

 梯子を外された心地のシノギに、ベルは微苦笑する。これ以外に表現法がないのだと。


「木っ端な術技であれば問題なく騙してみせよう。じゃが勇者という超越者が編み出した術式、今の弱り切ったわしの力で騙しおおせるかと問われれば即答しかねる」

「賭けになるってことか」

「然り。それも随分と分の悪い、の」


 勇者の術式は完全に近しい。勇者の手際は完璧に等しい。

 その計測システムは緻密にして巧緻、誤魔化すも謀るも困難だろう。それは千の目を持つ千の魔獣の包囲網から死角を探せと言うようなもの。

 確率としてはありえるかもしれないが、机上の空論と切って捨てて構わないレベルの近似的不可能だ。


 同程度の技量と技能、魔力と術的知識を兼ね備えた魔王ならばその不可能をも踏み越え得るが――今のベルにそれを求めるのは酷だろう。

 十分の一魔王では、一分の一勇者には到底比肩できようはずもなし。


「でも消せるんだよな? なんか変じゃね? 消すことはできても騙すことはできねぇって」

「おそらく意図的なものじゃろうな」

「あ? なにを意図したって?」

「通常、こうした設置するタイプの魔術にはそれが干渉されぬように時間の許す限りセキュリティ対策をしておくもんじゃ。たとえば術に干渉した瞬間に文字通り火を噴く攻性防壁の術や、呪いをまき散らす呪詛渡しとかの」

「こわ」


 魔術門外漢のシノギの感想は、皮肉なことに術の王と変わらぬそれ。

 ベルは深く深くうなずく。経験があるのか、なにやら遠い目で。


「うむ、恐ろしい。ゆえ、術の解体作業は難事である。しかもじゃ、より強固に干渉を防ぐならそのセキュリティ魔術を重ね掛けする」

「かさね?」

「対象の術に干渉したら発動するセキュリティ、その被せたセキュリティに触れたら発動する、セキュリティのセキュリティ魔術。それにさらに被せたセキュリティ……と、これを可能な限り延々重ねる。時にはダミーに無関係で解読困難な術式を置いてみたり、順序をぐちゃぐちゃにしたり折り返したり周回したりと、まあ工夫すれば尽きぬ」


 術師と術師の壮絶なイタチごっこの延々サイクル。蛇の尾っぽを蛇が食らう。

 術の保護維持と干渉消去の攻防は、きっと四百年経っても複雑化の一途を辿る大迷宮のはずだ。

 だというのに。


「そういうセキュリティが、この魔術には施されていないと?」

「うむ。聞いた限り、解析した限り、この術式は守るものなく無防備じゃ」

「なんで……」

「おそらく、これを作った勇者の慈悲じゃな。最悪の事態に陥った場合の最終手段、逃走経路。呪いに反転する前に消せるよう、セキュリティをつけずおいたのじゃろう。

 無論、そもそも勇者の術式に干渉解読し、理解した上で消去できるだけの技量が前提的に不可欠じゃがの」

「そりゃ大層な前提事項だな、おい」

「通常ならばまずありえない前提だが、今回に限っては可能か。ティベルシアがここにいるから」


 すなわち結論、元魔王ティベルシアの神業をもってすればこの術は――領域魔術『禍福は糾える人の業カルマット・キルクルジヴァ』は消すことができる。


 そこまで話がまとまり、そして魔王はにこりと可憐に純粋な笑顔を咲かせる。

 過ちをそそのかす悪魔のように。正しきを導く天使のように――問う。


「さてどうする?」


禍福は糾える人の業カルマット・キルクルジヴァ』を消すのか否か。

 その選択は実に重苦しくて厄介極まる。

 なにせどちらを選んでも必ず誰かが不幸になる。

 自らを含め多数を救うほうが、理屈としては正しいだろうが。それでも切り捨てるというのは事実であり、深い苦悩と強い決断力がいるのだろう。


「…………」

「…………」


 シノギとリオトは目を合わせ、言葉なく通じ合ったように意思を疎通する。互いに互いの言いたいことをはっきりと感じ取った。

 ただしその意見は両者真向から対立したそれだけれど。

 リオトは真っ直ぐベルに向き直り、シノギはだるそうにため息を吐く。


「悩ましい限りだが、けれど、それは俺たちの考えることじゃない」

「……やっぱりそうなんのか」

「む、どういう意味じゃ」


 察するシノギと違い、起き抜けのベルは首を傾げる。

 リオトはいつでも率直で決然としている。迷いなく答えを決めている。


「村長さんたちに、このことを伝える。そして、その選択は彼らに委ねよう。これはこの村にとって、なにより大事な選択だから」

「なんともはや……おぬし、戯けとるのぅ。それで向こうがゴネて時を逸したらどうするつもりじゃ、わしらまで無用に呪いを帯びるのじゃぞ」


 多分に呆れが含まれた声音で、仕草。率直さは美徳かもしれないが、だからといって良い結果に結びつくわけでもない。

 善因善果が成立するのは、この世に善人しか住まっていない場合だけだ。


 それに追随するようにシノギがうんうんと首肯で同意する。割と雑な言いようからは諦めが滲み出ているようではあったが。


「そーだそーだ。てか、こっちから術消しますなんて名乗り出て、変な恨み買うだろ。千人の有象無象に隠れてこっそり消したほうが安全だぞ」

「なにも全て伝えることがいつも正しいとは限らぬ。知らぬまま、不明のままでおったほうが円満なことはままあろう。今回はまさしくそれじゃ」

「俺は嫌だぞ、そんな逃げるようなのは」

「ってもよ、どうせまず消すことで確定だろ。それが道理だし、感情だ」

「それでも――それでもだ。これを決断すべきは彼らだ。俺たちじゃない」


 リオトの決意は揺るがない。揺るぎない。

 彼のそれは善意であり、勇者たるに相応しい高潔の行いだろう。だからこそに理で諭されても撤回はない。彼は誰かのためならば己の損得など無関係に走り続ける。


 それでこそだが――魔王は剣呑な風情に目を尖らせる。

 今回はちと、困る。


「ふむ、それはあれか。結論をこっちで決めて、その責任を負うのが嫌じゃと。おぬしらのことじゃからおぬしらで決めて、責任とって勝手に落ちぶれてしまえと?」

「そう……じゃないつもりだけど、結果としては、そうなのかな」

「そう言っておるのじゃよ。その上、わしらに恨み辛みがふりかかるやもしれぬ禍根を残す。おぬしが腹を捌くに文句はないが、巻き込まれた者のことは考えぬのか。わしらは同胞、誰ぞひとりの割腹にも道連れ。それが直接害ならずとも、一蓮托生の身であればこそ些細な傷が全てを葬るやもしれぬ」

「っ。それは……」


 お前はその善意で誰かのために義理を通す。だが結果、同胞を危険に晒す。

 それはあまりに善行に偏っているのではないか。

 人を救うのならば、まずは自分を救わねばならない。

 一蓮托生ならばきっと、救うべきは三人で。


「そう、だな……」


 誰かのためなら傷ついたって構わない。

 けれど、だから同じように誰かのためになら己も曲げられる。特に、大切な同胞ならば。

 リオトはしゅんと消沈。頭を下げる。


「すまない。身勝手だったな。ふたりのことを考えていない発言だった」


 合理でもって言いくるめる魔王に、リオトは歯噛みして瞑目した。

 損得や正誤で言えば、今回は確実にベルが正しいのだ。反論の余地など感情論しか持ち合わせていない。


 けれども――そこで、予想外のところから手が挙がる。ニヤとからかうような、試すような笑みを刻んだ目つきの悪い男。


「おいおい、ベル。おれぁあんまし冷めた理屈ばっかは好きじゃねぇぞ」

「ほう?」

「え」


 意外な待ったに、魔王も勇者も驚いてしまって興味深くシノギに視線を定める。

 先までベルに同調していたはずで、ならばどうしてこの場面で茶々を挟む。


「かといって、感情的過ぎるのも面倒で、あぁおれァ人間でよかったと思う」

「どういう意味だ。感情も理屈も、人のものだろう」

「だからさ。だけどさ。

 理論は木石、感情は獣。その狭間にあってこそが人だと、おれぁ思うぜ」

「成程。道理だな、感情的だな」

「人は情理の合間を揺蕩う振り子か……」


 なんだか勇者も魔王も笑ってしまう。

 シノギが言うところを察して、鑑みるに納得して苦笑してしまうのだ。


「つまり人たるにして、わしは理に傾き過ぎておると」

「ああ」

「俺は感情に走り過ぎているな」

「ああ」


 ふたつ頷くシノギに、ベルはまた笑った。愉快そうに、挑発するように。

 全部放り投げて振り子の支点を陣取る男に任せきる。


「では間をとってもらえんかの、人間様よ。わしらはどうも偏りがちらしい」

「おう、任せておけ。おれァ郵便屋だ、そんで手紙は頂いた。だったら届けて仕舞いだぜ」



    ◇



 その後の顛末として。


 シノギはひとりで再び村長宅へと赴いた。一通の手紙を携えて。

 それは遺書と同じ筆跡で書き込まれた、遺書の続きの文書であった。

 自殺した男の部屋に、隠れて置いてあったのだとシノギは説明した。


 無論、嘘である。


 それはベルが綴った偽造文書。嘘に嘘を重ねた、けれど真実となる希望にして絶望の手紙だ。

 責任を諸々自殺者の彼に押し付けてしまうようだが、なに、死人に口なし。生きた人々が勝手に思いを推量するしかないとのことらしいので、構わないだろう。きっとあの世で継ぎ句に拍手喝采してくれているはずだ。


 そう言うとリオトが死ぬほど微妙な顔をしたが、気にしない。

 偽造遺書の内容はやはり短く、一行だけのこれだけ。


 ――千人村滅ぶべし。ゆえ日没とともに、この千人村を滅ぼそう。


 そんなたった一文が付け足されただけで、呪いの遺書が予告の怪文書へと転身した。

 その意味を即時に解せた者は少ないだろう。もしやと危惧する者はいたかもしれないが、どうしようもなし。


 シノギは彼らの想像を促すように、何気なく言った。いつもの人を食ったような笑みを刻んで、白々しくもぬけぬけと、けれど忠告の色合いも確かに混ぜ込んで。


「これ、つまり敷かれた千人村の魔術が消されちまうってことかねぇ」


 それに対する反応は嘲笑ばかりだった。

 そんなことができるなら今すぐやってほしい。そうだそうだ、やってみせろ。勇者の術式を消すなど、一流の術師でさえできはしないぞ。消してみろ、消してみろ。呪う前に術が失せるに問題なぞないのだから。


 口々に吐き捨て、すぐに彼らは議論に戻る。

 抗うように紛糾すれども、結局は名案など思い浮かばず、空しく遠吠えのように奇跡を望むしかなかった。

 そして時きたる。


 日の入りになって、この村に在る九百九十九人全てが感じ取る――術下にある魔力的な違和が、喪失した。


 慌てて術式を探ってみれば、無残に分解されて破壊されている。修復不能の崩壊がサークルを歪ませ、魔術の機能は停止。

 祝福は途絶えた――呪いは不発となった。


 村長たち会議の連中は誰もが続きの遺書の意味に気づく。

 あれはこういう意味なのだと。


 千人村たるは領域魔術『禍福は糾える人の業カルマット・キルクルジヴァ』が敷かれてこそ。

 ならばその術式をなんらかの手段で無効化、消去できてしまうのならば――確かに千人村は滅んだこととなる。

 そしてその場の全員が恐慌する。狂乱する。


 これでは呪いどころか祝福まで失われてしまったではないか!

 次の作物はどうなる、この村はどうなる!

 くそっ、はみだし者がやってくれる。術の再構成はできんのか!


 その姿に、シノギは術の解除を告げずにおいてよかったと心底から安堵する。

 こんな手のひら返しを当然とする奴らにそれを話していたら、間違いなく責任を押し付けられて逆恨みをぶつけられたに違いない。リオトの善意など通じず、ベルの熟練した技量すら理解せずに、ただ腹いせを叩き付けていただろう。


 ――まったく、消してみせろと言ったのはどの口だよ。


 などと、シノギは無論、喉を震わすことなく無言でその場を離れた。

 そしてリオトとベルと合流し、その足でさっさと村を立ち去る。日も沈み切って夜ではあるが、なに目は冴えてしまった。腹の虫もよろしくない。

 静かな夜道を気の置けない同胞と歩むのは、きっとこの村に留まるよりも愉快だろうさ。


 ――いつかと違って今夜は三人。ならば夜の寒さも紛れるだろうよ。




 ――狭くて鎖されているけど幸福な千人村 了











 数か月の後、どこかの千人村が滅んだと小耳に挟んだ。

 その村は、かつて一度千人村として滅び、そして再び術式をかけなおして千人村として再興したという。

 ――そして呪詛が全てを奪い去ったと、そんな風の噂。



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