狭くて鎖されているけど幸福な千人村 1
ようこそ千人村へ!
我々村民はあなたの来訪を心より歓迎いたします!
数日ほどであれば寝床も食事も無料で賄います。永住なさるならお気軽に仰ってください!
我々村民はあなたの来訪を心より歓迎いたします!
ただ少しだけ、この村の仕来りを厳守くださりますよう、お願いいたします。
――千人村の立て看板
「じゃ、到着だ。悪いね、あんたら。運がよけりゃすぐ出られるさ。後生だからヤケはおこさんでくれよ」
そう言って、御者は馬車を止めて三人に下車を促した。
少し慎重になって、三馬鹿一行は村の土地に足をつける。その目線の先には、馬車が通り越した線がある。
線――妙にくっきりと地面にひかれた黒い線。途切れなくどこまでも伸びている。
それはこの村をぐるりと囲うサークル、村と外との境界線。その一線を越境した瞬間から、外部の者であってもこの村内に含まれることとなる。
他方、傍では別の馬車が出発していく。
からからと車輪が音を立てて駆動し、サークルの――この『千人村』の外へと去っていく。
そしてぽつんとそこに立ち尽くす三人、三馬鹿、シノギとリオトである。
最後の一人、ベルはグースカ寝コケてシノギの背であった。
「それで、どうなんだこれは」
ここに至るまでのきな臭さについて、リオトは曖昧に問うた。どうにも、目に映る具体的な危機は見受けられないのだけれど。
見渡す限り畑が多い村だった。
農耕に活気があって、沢山の作物が実っている。木々にも果物が瑞々しく丸々大きい。一等の農村なのだろうことが窺える。
道の舗装は最低限だが、並ぶ建物はどれもしっかりとした造り。ボロくなく、老朽化した建物も見当たらない。
子供が道を楽し気に走り、安全なのだろうと気持ちが緩みそうになる。
安穏とした村の風景。どこにでもある豊かな村の様子。
だがなにか――なにか奇妙に胸騒ぎがする。
村の入り口すぐに設置された立て看板がまた、さらに違和感を際立たせる。この村は、ただの村ではないのだと。
シノギは酷く億劫そうに脱力して、吐き捨てるように端的に言う。
「だから、千人村って奴さぁ。あぁめんどくせぇ、めんどくせぇ」
「説明してくれ」
「ベルが起きてからじゃねぇと二度手間なんだがなァ」
「待っていられないぞ」
この魔王、ぐっすり熟睡して起きる気配が全くない。人の背でよくもまあここまで深く眠れるものだ。
シノギもそれは薄々感じていたのか、仕方ないと早めに観念。
「んー、ま、とりあえず案内人が来るはずだからよ、そんで無償で宿を貸してくれる。話はそこでな」
「……宿を貸してくれる、か。馬車で運んでくれたり、食事も頂けるという。また随分と旅人に優しい村なんだな」
「そこらへんも、千人村の特徴って奴だよ。まとめて説明したらァ。
――どうせ時間は無駄にあるからよ」
それだけ言うと、シノギはもう一度重いため息を吐きだして黙りこくった。
シノギとしては心底面倒極まりない。千人村に逗留するなど、彼にしてみれば厄介でしかなく、時間の無駄なのである。
まったくどうしてこんなことになったのか。
シノギは遠い目をして少しだけ回想する。この村に運搬される、その直前のことを。
◇
「もー、駄目じゃ! 疲れた! 死ぬ! わし疲れ死ぬ!」
「諦めンなベル」
「負けるなティベルシア」
「「がんばれがんばれ」」
「むーりーじゃー!」
と。
三人は酷く間の抜けた寸劇を繰り広げていた。
そこは道なき道のど真ん中、村から村へと向かう中途でのこと。
草木の緑など欠片も見当たらない荒野、ひたすらだだっ広いだけの罅割れ荒れた土地を歩いて数時間の頃。
突如――ぺたんとベルが尻を落とした。
そしておもむろに、あとどれくらい歩けばよいのか、との問いを発する。
「あ? まあ、日が落ちる前にはつくと思うぜ」
シノギはひとりで旅していたペース配分、体力計算で当然のようにそう告げたわけだが――それについていけない幼女が一名いたのである。
そして先の発言が不満とともに爆発した。
彼女は年甲斐もなく叫んでごねて暴れだした。
地面に、直で、のたうち回っていた。
そのドレスが自動でほつれ汚れを洗い出し、清潔を保つ魔道具でなければ泥まみれになりかねない。
「いや、ガキか」
「子供でもこれはないと思う」
いつになく勇者まで辛辣であった。
まあ、かれこれ十五分ほどこうしてひたすら駄々をこねては喚き散らしている幼女ババアにかける優しさなど品切れにもなる。
「わしの足はもう駄目じゃぁ、きっとこのまま二度と動かんのじゃぁ、神々の定めた悪辣なる呪詛に相違ないのじゃぁ」
「それはあんたの体力不足だ、ボケ」
「ていうかもうそろそろ疲労とれてこないのか? だいぶ寝てただろう」
「叫んでおったらまた疲れたわい。これシノギ、冷たいミルクを所望する」
「この馬鹿!」
なんという無駄極まる時間を経過させたことか。
疲労に限界を感じて不平不満を垂れているはずが、その不満を叫ぶことでさらに疲れ果てるとか、本末転倒にも程があろう。
時々、魔王サマは阿呆である。
「もうわし寝る。シノギ、おんぶせよ」
「七面倒くせェ」
「おーんーぶー! おんぶおんぶ、おーんーぶー!」
「あんたマジで年上だよな!?」
だってこの推定百歳超えのばあ様、寝っ転がって地団駄踏んでるんだぜ。精神面、外見に引っ張られ過ぎだろう。いや、外見よりなお幼い。疲労の蓄積が一時的に幼児退行を引き起こしているのだろうか。
「……」
リオトは内心ではシノギの罵倒に深く同意していたが、それを外面と放出するのは控えた。彼は紳士であり、淑女にきつい雑言などは決してふるわない。この淑やかさの欠片も見受けられない駄々っ子魔王を淑女と区分してよいのかどうか、しばし吟味がいるけれども。
それでも暫定的には淑女。代わって差し障りない感想を、手のひらで額を覆って嘆く。
「体力がないと体力の回復も遅いから難儀だな……。はぁ、全く。ティベルシア、君は体力をつけるべきだ、間違いなく。今度、鍛えてやるからな」
「あ、そういう汗くさいのはパスで」
「ティベルシア!」
「わし、王様じゃし。傲慢の王じゃし、我が儘なんじゃよ」
「自分で言うな!」
男ふたりの熱意あるツッコミと叱責にも、ベルはどこ吹く風。飄々と受け流しては自分の楽になる方向へと持っていこうとする。
傲慢である。
そんなこんな、この荒れ野よりも不毛な言い合いは、ふとぴたりとやむ。
「む」
がたがたと年季のいった車輪と馬蹄の音が遠くより耳に届く。
村をでてから人通りなど皆無であったこの寂れた道には酷く珍しいすれ違いのようだ。気になってそちらに目をやれば、古い馬車が二頭の草臥れた馬に牽引されて走っている。三人のいる地点に真っ直ぐ、向かってくる。
数分もなくかち合うと判断すれば素早い。とりあえず進行上から移動、寝っ転がるベルも引っ張って退けて、すれ違い通り過ぎるのを見送ろうとして。
「おや」
停止した。
三人の目の前で、御者がどうどうと牽引馬を制止し、横づけした。
その馬車は乗り合い馬車の類のようで、御者台の後部に六人ほど座れる座席が取り付けられている。幌はなく、空座であることが見える。
ひょいと御者の老人が首を伸ばし、しわくちゃな顔でにこやかに一言。
「どうも」
「どっ、どうも」
「…………」
見られた、というのがリオトの率直な感想だった。
果てしない身内の恥を直視され、動揺を隠せない。
ベルは未だに素知らぬ顔で地面に横たわり、すぐにでも駄々をこねられる状態で、男ふたりがそれを囲んでいる。
いや、明後日の方角に勘違いされそうでもあった。世間体を気にするリオトとしては戦々恐々だ。
だが、御者の老人は特段に興味を示さず、ただ静かに目線で人数を再確認し――大きくうなずいた。
「この近くに千人村があるんだが、どうだい寄ってかないか」
「……千人村?」
「馬車に乗ってくれれば案内するよ、食事もご馳走するし、なんならしばらく滞在してくれると助かるんだがね」
聞き慣れぬ言葉に怪訝になるリオトに反し、ベルは即決即断即行。
「行く! 馬車乗る!」
「あ、ティベルシア!?」
「おいこらベル! 千人村はやめとけ!」
どこにそんな力を残していたのか、ベルは跳ね起きて馬車へと滑り込む。寝っ転がる。座席の三人分をひとりで占領する。
その瞬間芸に二度ほど目を瞬かせたが、老人御者はにこりと年季のいった笑みを刻む。
「では御一人様は決定と」
「あ、てめ」
「お二方はどうしますか」
「ち」
リオトはよくわからず、言葉を噤む。シノギに目線を配り任せる意向を伝える。
彼の発言挙動からして、どうやら千人村とやらのこと、この勧誘の意味合い、承知の上だろうから。
シノギは面倒そうに荒々しく頭を掻き、ひとつため息。そして静かな声で確認する。問いを並べる。
「……外出希望者がでたのか、何人だ」
「九名です。六名は確保しておりますので、できればあなた方がいらしてくださると大変有難いのです」
「村の、入れ替えの頻度は?」
「それなり、としか」
「ぶっちゃけ何年存続してる?」
「今年で三十四年になります」
「…………」
「……どうしますか」
シノギの凶眼にも恐れず、ただ真っ直ぐと目を向けてくる。老人もなかなかにしたたかなようだ。この手の勧誘に慣れている。
強引でもなく、急いてもない。だが堅固で意志は強い。臆していない。慎重に目を光らせて、こちらの腹を探っているのがわかる。
シノギはあまり腹芸は得意ではない。特に、経験豊富そうな老人相手では。
そこに来て、目の前の老人よりもなお年輪を重ねているはずの幼女ババアの幼稚さがもはや目も当てられない。
片手で両目を押さえて、シノギはため息を吐きだす。
「そこのバカはもう決定なんだな?」
「ええ、強引なのは謝りますが、こちらも必死でしてね」
暴力に訴え、無理やり破談にすることはできる。
口約束すらない勝手な言い分だ、シカトかましてベルだけ引っ張りだしてもいいけれど。
ちらと、もうひとりに視線をスライドする。ばあ様とは別の意味で厄介な神父は、不明を踏み越えて力強い目つきとなっている。
「シノギ、なんだかわからないが、この人は困っているのか?」
「……おれも困ってらァ」
もはや選択肢はなかった。リオトが彼の困窮を悟って助けたがっていやがる。力業の破談などは強く嫌悪し拒否されるだろう。
事情を説明してももう遅い。傾いた以上はひっくり返すに手が足りない。
両手を挙げて、降参だ。
「参った、つれてけ。おれら三人、離れるわけにもいかねぇ――千人村へ案内しろぃ」
「承りました。千人村へようこそ、お三方」
◇
そんな経緯で、三馬鹿一行は千人村へとやって来た。
そしてしらばくすると、シノギの言ったように佇む二人と背の一人を見つけて声をかけてくる者があった。案内人と名乗る彼は、まず千人村の事情について説明しようとするが、シノギが遮って断る。
村人という当事者からする説明はどうしても恣意的になる。そちら側に偏ってリオトの理解が固定されても困る。村のほうに同情を寄せられてはこちらがやりづらい。
すげないお断りにも嫌な顔ひとつしないで、案内人はならばと笑顔で引率。三人を旅客用の宿へと案内する。
存外によく歩き、村の中心部まで連れてこられる。
リオトは少し不思議だった。旅人のための宿なら、村の外側に近くあるのではと思ったからだ。
だが、そんな予測とは裏腹、辿り着いたその宿は、村の本当に真ん中である。
「つまり、こっから出る時ゃ、一番手間取る立地だ」
「……帰って欲しく、ないのか?」
「ああ」
案内人の青年は苦笑して、ふたりの交わした会話に聞こえないふりを通した。
宿はそれなりに立派な建物だった。
三階建て。清潔で堅牢で、しなやかそうな木造建築。外装もシンプルながら悪印象を抱かせないように気を遣われているように感じた。
部屋割りはどうするか問われ、シノギは二部屋要求。
ではとふたつ鍵を渡し、案内人は去っていく。去り際に、管理人室にいるのでいつでも声をおかけくださいと笑顔で伝えるのも忘れない。
沈黙で見送り、手渡された鍵に注視する。鍵には部屋割りの番号が入っており、七番と八番の部屋。
まずは二階の八番部屋へと移動し、眠って動かないベルをベッドに放り投げる。それでも一切目覚めず眠りこけているのだから、よほど疲れていたのか。
そう考えれば、シノギはシーツをかけてやろうか悩んだが、なんか腹が立つのでそのまま放置することにした。誰のせいでこんな面倒に巻き込まれたと思いつつ、少しだけモヤモヤもする。
すると苦笑してリオトがシーツをかけてやるので、それでなんだか少し安堵してしまった。
そんな自分に腹が立つ。
リオトに肩を叩かれ、脱力。切り替えて移動。隣の七番の部屋へ。
八番の部屋とそう変わらない。簡素でなにもない、本当にただの貸し部屋。ベッドがあって、椅子があって、机がそれぞれふたつずつある。それだけ。
その分、掃除は行き届いていて、生活感のないほど家具も床も壁も小奇麗に整っていた。
無料で使えるというのなら充分すぎる。なにも言わず椅子を向かい合わせに動かし、座す。
リオトも意図を解して続いて座り込み、相対することになる。
すぐに沈黙を破る第一声。
「それでシノギ、仕来りっていうのは?」
先ほど覗けた立て看板を思い出しつつ、リオトはまずそう切り出した。
曰く。
『ようこそ千人村へ!
我々村民はあなたの来訪を心より歓迎いたします!
数日ほどであれば寝床も食事も無料で賄います。永住なさるならお気軽に仰ってください!
我々村民はあなたの来訪を心より歓迎いたします!
ただ少しだけ、この村の仕来りを厳守くださりますよう、お願いいたします。』
この文面で妙に気になるのは、最後の一文。仕来りというワードだろう。どこかそこだけが物々しく、趣が異なる。
それに目をつける辺り、流石に鋭いとシノギは笑う。
「割と簡単だ、この村の厳守すべき仕来り、それは『日の入りから日の出までの間、サークル内に千人の人間がいること』だ」
「なにか――」
「胡散臭いってか? あぁ魔術的だよな、なにせ魔術だからな」
「なに」
くるりと指を回し、シノギは円を描く仕草をする。まさしくサークル、領域、界の円陣を示す。
「【
「知らん」
「そっ、そうか……」
自信満々に無知を断言する勇者である。変に繕うでも見栄を張るでもない正直者なのだ。
まあ確かに千人村は隠れ里のように密やか。閉鎖的であり封鎖的、時期が噛み合わなければ知る機会もない。知らないというのもありえない話ではなかろう。
そこにくるとそういえば、ベルならば知っているだろうか。古い術式で底深い術案だが、かつての魔王ならば脳髄の書棚に当然の如く並べてあるのではないか。
まあ、どうにせよ寝てるのを起こすのも面倒。あれは酷く寝起きが悪く、目覚めて一時間は機嫌もよろしくない。しっかり寝ずに無理に起こすと余計に。
とりあえず説明を続けよう。
「そいつはとある
「『
「千人村ってのは、それを敷いた村のことを指す。
通りで村の外側にサークルが線引かれ、そして踏み込んだ時から違和がせり上がってきたのか。
村を丸ごと線で区切って囲って円を描き、その内部に効力を発揮する――領域魔術である。
術による魔力の活性化と術式の作動を、リオトは鋭敏に足下から感じていたのだ。
「その魔術は領域を設定し祝福の条件と災いの条件を課すことで領域内のマナを活性化し豊作を約束し、また魔物だけを遮る結界を張るんだ」
「祝福と、災い。つまり」
「あぁ、千人村が千人でなく増減した時、村人には呪いが訪れる。いや、村人だけじゃねぇ――今までこのサークル内に足を踏み入れたことのある全ての人間にだ」
「全て、だと。離れていても、どれだけ時が経とうと、全てか?」
「あぁ――例外なく全て、だ」
少し、謎が解けた気がした。
勧誘の御者、旅人への配慮、シノギの態度。
その思惑、事情、面倒、粗方合点がいった。理解できた。
村から外出を望む誰かがあるなら、他に誰かを引き入れないといけない。千人村は千人でなければならない。それであってこそ祝福されると条件を設定し、敷設されたのだから。
そのため旅人の存在が重要になる。村人だけで千人であればいい。きっとそういう期間もあり、いやそちらのほうが長いのだろう。閉鎖的で来訪者を拒絶する時期もあろう。
だが逆に、村人が減れば旅人に頼らざるを得ない。一定数の外様を受け入れ、千人となるように調整が必要になる。
その時には逆転、旅人を歓迎し、身を削ってでも来訪を求める。
それがため、現在において三人は歓待されて宿や食事まで提供される。その分、外出は許されないだろう。代わりに入村する旅人が見つかる偶然があるまで、村内で子が生まれる奇跡があるまで、彼らは一歩でもサークルからは出られない。
でなくば三馬鹿一行すらも呪いにかかってしまうのだから。
「だから必死だったのか」
「必死も必死、決死だよ。村人にとっちゃこの領域魔術は生命線で命綱、命そのものだからな。
なあリオト、この村に来て、違和感はなかったかよ」
「? ああ、あったな。なんだか、言葉にしづらい感覚だな。術下にあるせいじゃないのか?」
「それもあるだろうけどよ、それよりも、一見して落差がやべェだろ――サークルの線を境に、植物の有無が明確すぎる」
「あ」
サークルの外、三人で立ち止まって寸劇に興じていた付近には、緑など一切合切存在しなかった。不毛な土地、荒涼たる荒れ地。それは馬車の上から見た外の景色も同じで、どこまで行っても荒野でしかなかった。
なのに、サークルの内、村に入った瞬間から激変した。
木々が生い茂り、地面には雑草がよく目につく。なによりも――潤沢な農地。
「それが豊作の祝福だ。この死んだように痩せこけた土地に、緑の豊かを授けるってな」
「村人からすれば、救いそのものだな」
「魔物除けの結界もな。この領域魔術がなくなれば、村は生きていけねぇ。防御手段は皆無で魔物に襲われればイチコロだし、それでなくても農作が一切ダメになるしな」
この魔物蔓延る世界において、あらゆる村や町には大小強弱種々諸々な結界が張られているものだ。
その中でも最上位にしてほとんど完全に魔物をシャットアウトする『
それも、豊作まで確約して衣食住に不安もない。外敵だけでなく、内部における不足もない。
それは言うなれば楽園にも等しい。人のためだけの人造の楽園、それがこの千人村なのである。
とはいえ、それだけならば確かに勇者の御業、拍手喝采と褒め称えられるわけなのだが……。
「……だけど、なんだか、この術」
「絶妙に底意地悪いよな」
「まあ、端的に言うと、そうだな」
オブラートに包んでから丁寧に述べようとしたのに、あっさりと包装を剥いで言われてしまう。少しリオトは困ったように肩を揺らした。
祝いはいい。祝福は喜びで、それだけならば確かにここは楽園だろう。
だがなぜ災いまで付随させたというのか。呪詛という悪意が、どうしてこの術式には染み込んで構築されているのか。
シノギは両手を広げておどけてみせる。
「そこらへんは結構論議されてんだよな、【界域】の勇者ってのはどういう意図でこんな術を創ったのか」
「善意じゃないのか、困った人たちのためにじゃ」
「それにしちゃわざわざ災い呪いを組み込んだのが謎だろ」
「それは……ほら、なにもない土地のマナを活性化させるのは難しいはずだ。魔物除けの結界も、強力なものなら非常に高度な技術がいるし、そこらの精度を完璧に保つためにはマイナスの要素も含まねば成り立たなかった、とか」
祝いを得るには、災いも飲み込まねばならない。災いに力を与えるためには、祝いの尊さを知らねばならない。
呪術や祝福の術式を創始構築する際に、そうした法則が存在する。
すなわち反作用。逆位相の配置による術の安定化と相克強化である。
術の開発において「表裏相克式」と呼ばれるそれは、難易度の高く、その分だけ術の効能を跳ね上げる技法のひとつだった。
シノギもそれは知っている。頷いた。
「おう、善人説だとそれがよく言われるな。ちなみに悪人説もあって、希望を見せつけておいて叩き落すためとかもあるな」
「考えたくないな」
「他にも単純に適当に創っただけとか、そういう禍福のバランスが整ったほうが術の精度が高くなるのは事実だから、術そのものの完成度を優先した術師的思考だったとか。真実はわかんねェよ」
シノギとしては最後の、術師的完璧主義の説なんじゃないかと勝手に考えていたりするけれど、それは単に好みの話。根拠もなにもあったもんじゃない。
生前、数多の術を開発し、惜しげもなく世に広めた【界域】と呼ばれた男。かつての勇者の心の裡は誰にもわからず伝わっていない。
さておき、シノギは一区切りにゆるく吐息。要求されたことはこなしたと力を抜く。
「とにかく、これが千人村ってやつさ。理解できたかよ」
「ああ、長々とすまなかったな。おおむね把握した。シノギが億劫そうにしてた理由も、わかったよ。これ、村から出るには他に滞在する人を見つけないと駄目なんだな」
「だからめんどくせぇ、かったりぃ。郵便屋が一所に留まってちゃ、お仕事になんねぇからなァ」
場合によっては明日にでも入れ替わりがあるかもしれないが、逆に何か月も何年も人が通りかからないかもしれない。
そこは本当に天運に任せるしかない。自力でどうこう、対処のしようがない。打つ手なし、対処不能、運任せ。
「籠の中の鳥か」
「実際、籠なんざねぇが、無視って勝手に抜け出ても呪われちまうしな」
既にふたつも呪いを背負う身。これ以上は勘弁願いたい。
――千人村の呪いは、相当に過酷と小耳にはさんだことがあるがため。
リオトもなんとなし、祝福の効力の高さから、反転した際の呪詛の威力を察して腕を組む。
「どうしたものか」
「どーしょーもねェよ。外出願いだけだして、後は飯食って寝るさ」
「意外に気楽だな」
「ま、幸いに急ぎの仕事もねぇ。あったらベルだけ置いてそっち行ってたわ」
そうしなければシノギは死んでしまい、連鎖的にリオトもベルも死ぬわけで。
存外、魔王サマの駄々は危機一髪の状況になりかねなかったのである。
それが彼自ら帯びた郵便屋の呪いであるがゆえ。
「ともあれもうこうなったら仕方ねぇ。気張って過ごしても適当に過ごしても、結果は変わんねぇし、自堕落にいくさ」
「自堕落は許さないぞ」
子供をたしなめるよう、リオトは言うのだった。
時がゆったりゆっくり、歩くような速さで流れ、ようやく食事時である。
「なんだかすごく長く感じたな……」
「なんもすることねぇからなァ」
村の長閑で牧歌的な雰囲気は、どうにも心の切迫を奪う。
それは平たく言えばモチベーションが下がる、やる気が失せるということで。
なにかをしようという能動すら、やんわりと削がれて有耶無耶となる。
ふたりで鍛錬をしようとか、散策散歩にでてみようとか、他にもそうした暇つぶしの意見は話題に上がったのだが、なんだか押しとどめられてしまった。だらだらと言葉を交わして無為に過ごしてしまった。
だからこそ時が長引いて、引き伸びていたわけだが。
退屈な時間こそ、長く長く体感するもの。
ともかくそんなこんなで暇を持て余して、夕食には少々早め、日が落ちきらぬ内に彼らはふたりで一階の食堂へと向かうことにする。ここの食事は全て一階食堂と、はじめに教えられた。
「しかし起きねェな、あのボケ」
「起きなかったな、ティベルシア」
食事時ということでベルも誘おうと部屋に行って体を揺すってみたのだが、一向起きる気配もなし。
ぐうすか寝コケて熟睡だった。
無理に起こすのも気が引けると、先にふたりで食事をとろうと相成った。
「どんだけ疲れてたんだよ。おばあちゃん疲れやすいってか」
「まだ、弱体化してからの身に不慣れということだろう。その運用と体力の程度を知れば、今日のようなことには……」
何故だか言葉が止まってしまう。
ならないと断言したかったリオトではあるが、困ったことに断言できる要素が浮かばない。
冷や汗を垂らして口をもごもごとする勇者に、シノギはやれやれとばかりに助け舟。
「ならねぇといいな」
「そ、そうだな。ならないといいな」
いないところでも気を遣う辺り筋金入り、苦労性である。
なんとも言い難い変な同情の心がシノギに湧き上がってきたころ、食堂に差し掛かる。
賑やかというほどでもなく、静まり返ったというほどでもない。食器の音と僅かな話声が不愉快でないくらいに聞こえてくる。
入ってみれば長テーブルと長椅子が居並ぶだけの簡素な大部屋。ここが食堂だった。
既に四人ほどが座して食事をとっていた。三人はかたまり、一人はそのグループと離れて黙々と料理を食す。他は空っぽ、空座が目立つ。まだまだ早めの時間帯だからだろう。
シノギたちも適当にテーブルを選んで腰をおろす。
すぐに壁際で控えていた男が動く。丁寧な所作で寄ってくる。
「あぁ、七番の部屋の旅人様ですね、すぐに食事をお持ちします」
「頼んま」
「……お願いします」
堂々とするシノギに倣い、リオトもしずしずと顎を引く。
どうにもこう畏まられると戸惑ってしまう。金も払わないのに、平身低頭されるのは受け入れがたいのだ。
いや、理由は聞いたが、それでも、だ。
「難儀だな」
「あん? なんか言ったかよ」
「いや……どんな料理がくるのかと思ってな」
「あぁ、たぶん野菜料理中心だろうぜ。この村でとれた新鮮な野菜が売りなんだよ。めっちゃ美味い……らしいぜ」
雑談している内に先ほどの男性が幾つか皿を持って来る。丁寧に並べ、食器を配置し、忘れず辞儀をしてから下がる。
シノギの言った通り、およそ緑な野菜料理の数々である。パンと肉も少々あって、栄養バランスも悪くはなさそうだった。とはいえやはり野菜が多く、サラダのボリュームが凄い。
料理がやって来たなら、ふたりは雑談をとりやめ、手を合わせる。
リオトが毎度、礼儀正しくやるものだから、シノギもいつの間にか自然と真似ていた。
「いただきます」
見事に声が揃って、一斉に手を伸ばす。
早速しゃくりと野菜をいただけば、リオトは驚いたように思わず一言。
「……本当にうまいな」
「あぁ、噂に聞いてはいたが、うめぇな」
「噂になってる、のか? まあこれほど美味しいなら、それもそうか」
「マナの活性化は農作物に好影響らしい。んで、この村のそれは最高峰、収穫物もそりゃ美味い」
「あぁ、なるほどな。そして、ここに住まえばこれが毎日食べられるのか」
一瞬、惹かれる。
それだけ美味しかったのだ、このただの生野菜がだ。
特に調味料がふりかかっているわけでもなく、味付けをした様子もない。素のまま、自然のまま。それでこの味わいはどうしたことか。
最初は肉好きなリオトとしては野菜ばかりで物足りない感があったのだが、これは食が進む。文句なく美味しく、幾らでも食べたくなる。
その勢いに任せてばくばくとフォークを回転させ、咀嚼し嚥下していく。味わっていく。みるみるうちに沢山あった緑は皿の白に染まっていく。
ふと、気配を感じて、リオトは手を止める。
「永住なさいますか?」
料理の配膳をしてくれた青年が、唐突に口をはさむ。善意しか見えない笑顔だった。
リオトが唐突感にびっくりして目を見開くと、青年はハッとなって謝罪する。
「あぁ、すみません突然。あんまりいい食べっぷりだったので」
「失礼。見苦しいところを」
「いえ、わたくしどもの丹精込めて作った農作物を美味しくいただいてくれるのは、とてもうれしいことです」
「本当に美味しいです。これを無償でいただけるなんて幸運でした」
「けど、おれらは旅してんだ、永住はしねぇ……あぁ、八番部屋のロリもだ」
なんかリオトがほだされて流されてしまいそうだったので、シノギは鋭く釘を刺しておく。
リオトにも非難の目線で叱る。
すぐに人助けしたがる正義マンだ、断るという行為自体が酷く苦手なのである。後にでもしっかりと言い聞かせておかねば、いつの間にか永住の誘いを受けかねない。
苦笑して、リオトは口を噤むことにした。シノギの懸念を深く自覚しているがため。
素っ気ない拒絶にも、村の青年は特段に気を悪くした風もない。固辞されることには慣れていた。まあ、シノギの凶眼には若干ビビっている様子ではあるが。
「そうですか、残念です」
「あぁ、そうだ、ついでだ、聞きたかったことがある。他の奴らに永住希望者はいたか?」
その数によって、足止めされる期間が変わる。最初に知っておきたかった。
こちらの意図を悟り、あぁと細かく返答。
「永住を申し出た方ですか? おりますよ、お二方。これによりあとの不足枠は七名。あなた方は最後の入村者ですので、あと他の四名の外出希望者様方が入れ替わったあとになります」
「そうか。時間かかるな、そりゃ。入村者の勧誘はどの程度の頻度だ?」
三馬鹿をこの村に誘ったような、馬車で周辺を回って旅人を探す。それの頻度によって、旅人を捕まえられる可能性は上がる。
まあ、村としてはあまり回転率を上げるのも不安定、なにより危険の伴う行動だ。変な気を起こす外出希望者への対処として定期的に行いはするが、できるだけ回数は減らしたいのが本音だろう。
村の外で勧誘役の者が魔物に襲われたり、他で怪我したり、馬や馬車のほうに破損があっても困る。どんな理由でも足止めをくらった場合、それで千人村そのものの危機となる。
叶うのならば、この楽園から一歩も外には出ずに排他的に暮らしていきたいのが村人たちの総意なのだ。
そういった事情はできるだけ伏せておくもの。村の青年は少し困ったように頬を掻く。
「詳しいですね、うちは週に一度です」
「……へぇ、結構な頻度じゃねぇか」
「あまり魔物も多くない地域ですので」
「そーか」
素っ気なく悪瞳恐ろしげなシノギにも、青年は笑顔を絶やさない。彼の仕事はそれだから。
できるだけ親切に、丁寧に、彼は続ける。
「他になにか質問などはありますか? 答えられる範囲でお答えしますよ?」
「親切にどうも。けど、今はもうねぇよ。食事に集中してぇ」
「では失礼させていただきます」
最後まで笑顔を崩さず、低頭のまま、青年は壁の傍へと戻っていく。そして壁際で直立し、待ち構えるように周囲へと目を配る。使用人のような物腰で、奉仕者の態度であった。
リオトはその徹底ぶりに感心しながら食事を再開。葉物野菜を齧り、その驚くほどの甘味に舌鼓を打つ。
一口、二口――飲み込んで、リオトはふいと微かに険のある声音をだす。
「シノギ、なんだか少し機嫌悪くないか?」
静かに食事に没頭かと思いきや、変な拍子で指摘され、シノギは眉を顰めて手を止める。食器を置く。
「……長く一所に逗留したくねぇって言っただろ」
「それだけじゃないように感じだけど」
「……」
隠し事は無駄。虚言は無意味。三位一体の面倒、托生の日常である。
だからか、シノギは一度だけ落胆のように肩から力を抜くだけで、特にはぐらかしたリはしなかった。ゆるく息を吐きだし、他人事のように遠いことのように語る。
「旅してるとな、たまーに千人村の話ってのは聞くもんだ」
「というか、千人村ってここ以外にもあるんだな。多いのか?」
「数えたことはねぇけど、ぽつぽつある。で、聞いた話は、まあいいもんじゃあねぇ」
「たとえば」
想像はできる。予想はつく。
けれど問うた。シノギの口から聞きたかった。溜め込んだものは、吐き出してしまうに限るのだから。
「基本的には千人村ってのは孤立孤絶してるもんだ、こうして稀に欠員が出た場合だけ旅人大歓迎になる。けどな、それ以外の平時は、逆に旅人断固拒否さ」
「それは……そうなるよな」
「理屈じゃ正しいのはわかるがな、そういうところ、旅人とか冒険者にゃ割と嫌われてんだ、入村を拒否る奴らも結構いる。村の都合で歓迎します。村の都合で留まってくれ。村の都合で出ていってくれ――手前勝手だろ?」
「それが千人村の生きる手段だ、責められないよ」
「責めたりしねぇ。ただ嫌うんだよ」
その言葉には恨みも怒りも憎しみもない。奇縁よりそこに
ただただ単純に嫌い。
どうしても舌に合わない食材と同じく、価値観の合わない知人と同じく、感情的でありながら無感情な嫌悪である。
だけれど、嫌うのにも理由はあろう。風聞醜聞だけでなにぞを嫌いになるようなタマでもなかろう。
「もしかして、シノギもなにか千人村に嫌な思い出でも?」
「……いっかい、入村を拒否られた。珍しくもねぇ、よくある話だ。
けど、おれにとっては割とショックでな。その日は寒空の下、野宿だったよ。旅をはじめて間もない頃だったから、結界外で寝るのはまだ不慣れで怖くてよ、魔物にビビッて一睡もできなかった」
太陽が地平線の向こうから顔を出した瞬間、シノギはサークル内に勝手に侵入したものだ。
あの時ほど結界の有り難さを痛感した日はない。あの時ほど朝日を待ち焦がれた日も、また。
だからこそ、あの時の夜の寒さは忘れられそうにない――シノギが思い出す苦い記憶の、そのほんの一粒ていどの感情がリオトには伝わってくる。
酷く冷え込んだ気がして、リオトは一瞬身を震わせた。気のせいに決まっていた。
シノギは逆に笑ってみせる。いつものように、なにもかも押し隠したような笑み。
「ま、笑い話だな。元勇者様にはあり触れた話だったんじゃねぇの。おれなんぞよりずっと辛ェ旅だったもんな」
「さて、どうかな。苦労は主観だから、どっちのほうがとか、ないよ。等しく辛いものは辛い」
いや、奇縁で繋がった同胞だ、通ずる感情は酷く主観的なのかもしれない。
先ほど感じたシノギの思いは、なんとも他人事ならざる痛切さがあった。笑えないほどの現実感を伴って寒気を感じた。
ならばやはり、あり触れた話と切って捨てるなどできようはずもない。
「俺も、あまり長居はしたくなくなってきたな……」
勇者にしては珍しいほど厭う意の見える言葉は、どこか暗示的で予言のよう――果たして今夜にでも、彼ら三人はこの村から去ることとなる。
この村で流れる時と同じようにゆっくりと、天の日輪は落ちていく。落ちていく。落ちていく。
日没の時は、もう間もなく……。
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