僕に魔法は使えるのか

 数分後。俺はシェリルさんに促されて屋敷の外に出ていた。


「こちらでございます」


 日が高く昇る青い空の下、先導するシェリルさんの後に続いて俺は屋敷の周囲に広がる開けた土地を進んでいく。


 その移動の最中、俺は先を往くシェリルさんに辺りを見回して気になった事を聞いていった。彼女は俺の疑問にすらすらと答えてくれて――その結果、分かった事がいくつかある。


 目覚めた直後に窓の外を確認して推察した通り、屋敷――シェリルさんによれば、正式名称を『悠久の館』というらしい――が建っている、全方位を木の層に囲まれたこの開けた場所は、真っ白な半紙に黒い墨汁を一滴だけ垂らしたように深い森の中にポツンと存在していた。


 土地の形状は限りなく円に近く、半径はおおよそ50メートルはある。直径に直すと100メートル。面積にして、約7、850平方メートル。

 それなりに広大と称せる土地の中心にはこれまた事前の予想通りの相当大きな規模の屋敷――悠久の館があるが、館は正方形かつ一辺50メートルという建坪。故に土地にはまだ多少なりとも余裕があり、それを有効活用する為か、屋敷の周囲には幾つかの施設が点在していた。


 例えば、地球では見た事のない野菜の様な物を栽培している、ごくごく小規模な菜園場。


 例えば、煙突が屋根から突きだしている、レンガ造りの小さな鍛冶場。


 そして、シェリルさんに案内され、俺がやってきた――この闘技場。


、ですか……」


「はい。ユート様にはここでご自分の魔法の適性を確認し、魔法を発動していただきます」


 俺は辺りを見回して思う。闘技場という表現は少し誇張が過ぎたかもしれない、と。

 どちらかといえば、幼稚園の運動場という表現の方が適切だろうか。

 辺りを囲うものは何もなく、ただ地面が平らにならされただけの場所。特に広いとも言えないここは、開けた土地の中でも特に外縁部に近い場所にあるせいで、丁度森と隣接するような立地となっている。つまるところ、もし仮に森から『ナニカ』が出てきて、もし仮にその『ナニカ』が凶暴な性格をしていた場合、隠れる場所も戦う術も持たない俺は、もれなくその『ナニカ』に襲われてしまうという事であり――


 ――ルォォォオオオオオオン……


 ……俺の気のせいだろうか。森の中――それも、ここからそう遠くない場所から、狼らしき動物の遠吠えが聞こえてきた気が……、


 ――ルォォォォオオオオオオン……――ルォォォォオオオオオオン……


 ……………。


「あの……大丈夫なんですか、ここ?」


「はて。大丈夫、とは?」


「いや、さっきから何度も如何にも凶暴そうな動物の遠吠えが聞こえてきてるじゃないですか。明らかに複数の声が聞こえますし、声がした所はここから近っぽいですし……それに、ここは森の中から丸見えなので襲われたりしないかなって」


「あぁ、その事でございますか」


 こちらの心配を他所に、彼女はあっけらかんとした様子で答える。


「その心配には及びません。この辺り一帯には我がマスターが構築した結界魔法が展開されておりますので」


 またシェリルさんの口から聞き慣れない単語が飛び出してきた。


「結界魔法……?」


「はい。範囲を指定し、その範囲全体に任意の効果を及ぼす『結界』を構築する魔法でございます。指定できる効果にはいくつか種類がございまして、その中でも、ここ一帯には、マスターが許可を出した者以外の輩を内部に入れないようにする結界。そして、結界内部の状態を常に清潔に保ち、どこかが破損した場合には即座にその部分を修復する結界が構築されております」


 なるほど。つまり、その一つ目の結界魔法とやらのおかげで、外の奴らはこの屋敷には近づこうと思っても近づけないと。


「便利な魔法なんですね」


「えぇ。特に二つ目の効果には私も大いに助けられております。なにせ、あのバカと付くほどに広い館内部を一々掃除しなくても良いのですから」


「あぁ……館の中がやたらと『綺麗過ぎた』のは、その結界の影響なのか……」


 悠久の館の内部に壊れた場所、傷ついた箇所が一つも見受けられなかったこともそれで説明が付く。こう考えると、結界魔法というのは本当に便利な魔法のようだ。


 ……って、おい。ちょっと待て。


「あの」


「はい」


「シェリルさんはメイドなんですよね? 『掃除しなくても良い』なんて、そんな事言ってていいんですか」


「はい。良いのです」


 俺の質問に即答した彼女の目は何か悟ったような色を湛えていた。


「私はどうも掃除という行為が苦手な様でして。私が掃除を試みた場合、辺りは瞬く間に混沌の渦に巻き込まれます。えぇ、混沌です。紛れも無い混沌です。勿論、私自身、メイドにとって致命的であるこの欠点を直そうと努力致しました……」


 ここで、一旦言葉を区切った彼女の表情が一気に暗いものとなる。

 俺はその表情を見て、あぁ、終ぞ彼女の掃除の腕は上達しなかったんだなと察した。


「結局、我がマスターは私にこの悠久の館を任せる事になった際、この結界を構築し、その上で私に『絶対に掃除しようと思うな。いや、思わないでください』……と、土下座しながらそうおっしゃいました」


「……なんか、上手く言えないんですけど……いろいろ大変だったんですね」


「えぇ。大変だったのです。色々と。……まぁ、主に大変だったのは私では無く、私が作り出した混沌の後処理を押し付けられていた周りの方々なのですが」


「あー……なるほど」


 その混沌を片付ける行為もまた『掃除』。シェリルさんがそれをやっても、より混沌が広がるだけだったのだろう。だから、混沌の後片付けは周りの人々が……と。

 そりゃ、彼女のマスターって人も、シェリルさんに掃除をしないように頼み込むわけだ。何なら、俺がマスターと同じ立場でもそうするだろう。


 だからだろうか。

 顔も知らない名前も知らない誰かがシェリルさんの目前で必死になって頭を下げ、彼女に掃除をしないように懇願する――そんな姿が容易に想像出来てしまった。


 完全に主従が逆転している構図に思わず俺は噴き出してしまう。

 すると、シェリルさんはこちらを見据えて不満げな表情を浮かべた。


「他人の不幸を笑うのは少しばかり失礼なのではありませんか」


「あはは……いや、本当に堪えきれなくて思わず。笑ってしまった事は謝ります」


 俺が謝罪を入れると、シェリルさんは仕方がないというように小さく溜め息を吐いた。


「……それで結構でございます。私としても笑われても仕方ないところではあると自覚しております。――それに、いつのまにやら随分と話が逸れてしまいました。この件はここで手打ちにして本題に戻った方が、このままうだうだと同じ話題を続けるよりも余程賢明でしょう」


 彼女に指摘され、俺はこの場所に来た理由を思い出す。


 ――魔法。そう、魔法だ。

 俺が魔法を使えるのか否か。それを確かめる為に俺はここに来たのだ。

 自分の手のひらを見る。

 先ほどシェリルさんは俺が魔法を使えるとかなんとか言っていたが……、


「本当に俺なんかが使えるものなんですかね、魔法って」


 不安げに俺が問うと、シェリルさんは肩を竦めた。


「それは確認してみない事には分かりません。ですが、私自身はユート様が魔法を使えると信じております」


「でも、魔法を使えるのってかなり限られた人だけなんですよね? なのに、なんでそう信じられるんですか」


「それは、『魔法が使える事』――それがマスターの残した、あなたの特徴の一つだからでございます」


「……つまり、俺が魔法を使えるという、マスターの言葉をあなたは信じていると」


「はい」


 まただ。またマスター、か……本当にそのマスターとは、一体何者なのだろうか。俺が異世界にわたってくるという事だけで無く、俺が魔法を使えるだろうということまでも予測しているのは流石に異常だ。

 自分の中でますますその人物の正体への興味が強くなっていくのが分かる。だが、シェリルさんに課せられている『掟』もある手前、ここはグッと我慢する。


「……分かりました。俺に魔法の適性があるのか……それを確認する方法を教えてください」


「――畏まりました」


 こちらの要求にシェリルさんは腰を90度に曲げてお辞儀。恭しい態度で応対する。


「では、僭越ながら私が口頭で説明させていただきます……とは言っても、魔法の適性を確認する方法はいたって単純です。ご自分の『ステータス』を確認すればよいのでございます」


「ステータス?」


 ステータス――その言葉を聞いて真っ先に俺の頭の中に思い浮かんできたのは、ちらっとだけやった事のあるRPGゲームで見た『ステータス』だ。『HP体力』、『MP魔力』、『STR筋力』等、多くの項目があって、それぞれのキャラの性能を数値化させているである。


「そのステータスを確認するにはどうすればいいんですか?」


「『ステータスオープン』――そう心の中で強く念じてくださいませ」


「それだけでいいんですか?」


「はい」


「はぁ……了解です」


 俺は半信半疑な心持ちで彼女の言葉に従った。


 ――ステータスオープン

 彼女の言う通り、心の中で強く念じる。


 変化はすぐに表れた。俺の視界に次のような表示が出現する。


==========

ユウト・トガミ

種族:ヒューマン


Lv1

MP:42/42

STR:4

DEF:3

AGI:12

INT:7


スキル

「魔法才能:全」「無詠唱」「ステータス隠蔽」「鑑定」「魔力効率上昇(大)」「魔法複合(#”&)」「???」

========


 俺の目に映ったそれは、正しく『ステータス』。RPGゲームで見たものとよく酷似した『ステータス』そのものだった。そこには、自分の名前、種族名、レベルやパラメーター、果てはスキルなんてモノも記述されている。

 それにしても、これは視界に直接映り込んでいるのだろうか、目を瞑っていても『ステータス』は視界から消えず、開眼している時と同様に視界に映っている。


 ――と、そんな感じで突如出現したステータスについての考察を行っていると、俺は自分のステータスの一部がどうもおかしいという事に気が付いた。


「ユート様、ご自分のステータスを見るが出来ましたでしょうか?」


「……はい。一応、見れました……けど」


「『けど』? 何か不都合でもございましたか?」


「いや、不都合ってわけじゃないんですが、ちょっと気になる事があるっていうか……」


 言って、俺は自分のステータス――その『スキル』の欄を見た。

 8つあるスキル。その内、最後に表示されている二つがどうもおかしい。


「何か、『スキル』の欄にあるスキルの文字の一部がぼやけていたり、そもそもスキルの名前が『???』でそれが何なのかが全く分からなかったりで……」


「ふむ……恐らくでございますが、ユート様のおっしゃられている『???』とは、覚醒前の『異邦人スキル』でしょう」


「異邦人スキル……ですか」


「はい。異邦人スキルとは、この世界の外側から来た魂――つまり、ユート様の様な『転生者』や召喚魔法によってこの世界に連れてこられた『召喚者』、そして何らかの理由でこちら側の世界に偶然やって来てしまった『転移者』達が一律に持つとされる強力なスキルの事です。その効果はさまざまですが、一般の者達が持つスキルとは一線を画す能力を発揮するとされています」


 尚、その後も続けられたシェリルさんの説明によると、転生者や召喚者、転移者が異世界にやって来た直後はその『異邦人スキル』とやらは未覚醒の状態となっており、ある一定の条件を達成する事によってその者が最も望む力に出来るだけ近い力へと『覚醒』するのだという。

 だが、その覚醒に至るための条件はシェリルさんも知らないらしい。


「申し訳ありません、ユート様。私はメイド失格にございます」


 彼女は己の無知を恥じたのか、俺に謝罪の言葉を告げてきた。だが、今ここで彼女が謝らないといけない道理はない。そもそも俺は彼女から色々と教わっている立場であるからして……こちらからあれこれ文句を言うつもりは毛頭ないのだ。というか、少々物事を知らないだけでメイド失格ってのは流石に大げさな気がする。


 そんなわけでシェリルさんに謝罪は必要ないという事を改めて伝え、その場を諫めた後。話題は俺のステータスのもう一つの違和……つまり、文字の一部がぼやけているスキルへと移った。


「それで、文字がぼやけている……とはどういう事なのでしょうか? 私にはユート様がどのような『ステータス』を見ておられるのか分かりません。ですので、もう少し詳しく説明していただけるとありがたいのですが」


「うーん、何て言えばいいんですかね……」


 俺は眉間に皺を寄せながら頭をポリポリと掻いた。


「実際、ぼやけてる文字ってのは本当にちょっとだけなんですよね。スキルの名前は問題なく見えますし。ただ、そのスキルの名前の後に括弧がついていて、その中の文字がぼやけてて見えないって感じで」


「……ちなみに、そのスキルの名前とは?」


「『魔法複合』っていうスキルです」


 俺が答えると、シェリルさんは右手の人差指を顎に当て、何かを悟ったような表情を浮かべた。


「なるほど。『魔法複合』でございますか(……やはりあのお方はユート様を選んだ、と。そういうわけでございますね)」


「ん? 何か言いました?」


「……いえ。何もございません」


 ふむ。俺の勘違いだったのか。確かに何か声が聞こえた気がしたんだけど。

 ……まぁ、聞き間違いなんてよくあることだし、気にし過ぎるだけ損だな。うん。


「で……この文字化けって結局は何なんですかね?」


「申し訳ございません。ステータスの文字がぼやけるなど、私としても初めて聞いた事でして……」


「あー、あはは……やっぱそうですよね……」


 彼女の返答に俺は苦笑した。

 まぁ、予期していた事ではある。スキルの文字がぼやけるなど、早々起こることではないだろうし、それが日常茶飯事に有るなんてことを考える方がどうにかしてるってものだ。


「先ほども言った通り、私にその疑問を解消できる知識はございませんが……何か過去にそのような例は無かったか、後程館の中の書庫を探してみましょう」


「ありがとうございます」


「いえ。これもまたメイドの務めでございますので」


 俺が礼を言うと、シェリルさんは慇懃な態度でお辞儀をして見せた。


 さて、紆余曲折あったものの、これで俺のステータスに関する疑問は一通り消化された形になる。勿論、その全てが解決、あるいは解消の芽を見た訳ではないが、これ以上の結果を求めるのは強欲であるというものだろう。なので俺達はその疑問達を一度横に捨て置き、本来の目的に話を戻すことにした。


 即ち魔法を使えるか否か、という事なのだが……結果だけを言うのであれば、俺には魔法を使う者としての才能が備わっていた。


 俺のステータス、そのスキル欄にあった『魔法才能:全』。

 これが俺の魔法使いとしての才能を示すスキルだ。


 ちなみに、シェリルさんの話では、『魔法才能』と名の付くスキルにはいくつか種類があり、例えば『魔法才能:火』だと、それを所持している者は『火属性魔法』なるものを習得でき、『魔法才能:水』であるなら『水属性魔法』が使えるようになる等、それぞれの名前に対応した魔法を行使できるようになるらしいが、逆にそれ以外の魔法を覚える事は叶わないのだそうだ。


 じゃあ、俺の『魔法才能:全』は何なのだと聞いてみると、


「ユート様の魔法の才能は――全。つまり、この世界に存在する、ありとあらゆる魔法を行使できます」


 だと言われた。マジか。


 尚ここからは完全に余談だが、この『魔法才能:全』を始めとした『魔法才能』の名を冠するスキルは、全て産まれる前――つまり先天的に取得しているスキルらしく、後天的に取得する事は出来ないらしい。とどのつまり、誰が魔法を使えて、逆に誰が魔法を使えないのか――そして、魔法を使える者の中でも、誰がどんな魔法を使えるのか……その辺りの事は全てその人が生まれた時には決まっている、という事だ。

 世界的に見ても魔法を使える人が少ないのは、そういう理由があるからだろうな。


 閑話休題。


「さて。これでユート様が魔法を使うことが出来るという事が分かりました。ですので、早速魔法を使ってみましょう」


「りょ、了解です……」


 シェリルさんの提案に少々緊張気味に頷く。

 この緊張気味というのは決して――そう、決して魔法という未知の力を発動させるという事に対してビビっていたが故のものでは無く、寧ろ武者震いに近い『緊張』だったのだが、どちらにせよ他人から見た俺がガチガチだったのは否定しようも無い事実であり、そんな俺を見たシェリルさんは口元に苦笑を浮かべていて、


「ユート様、そのように緊張なさらなくても大丈夫でございます。ユート様の世界では非常識であったとしても、魔法とはこの世界ではごくごく日常的な力。使い方さえ間違えなければ、ユート様が怪我をなさる事はありません」


 小さな子に諭す様に言われてしまった俺は、自分の頬が少し熱くなっているのを自覚しながら反論する。


「わ、分かってます。これは自分が魔法を使えるんだと思って武者震いしてるだけです」


「そうでございましたか。要らぬお節介をかけてしまった事、誠に申し訳ありません」


 俺の反論を受け、まぁ何とも畏まった謝罪の言葉を紡ぐシェリルさんだが、その目は生暖かい色を湛えながら俺の事を見ていた。『まぁまぁ強がっちゃって、うふふふふ』と言わんばかりの生暖かい視線である。


「……いや、本当に武者震いなんだけどなぁ」


 小さな声で呟きながら俺が内心肩を落としていると、もう既に生暖かい視線を引っ込めていたシェリルさんがどこからか古い雰囲気を漂わせる分厚い本を取り出していた。

 そして、彼女は手にした本のとあるページを開き、


「ユート様は全ての魔法を行使できますが……一番最初に覚える魔法としてはこれが適切でしょう」


 という言葉と共に、開いたページをこちらに見せてくる。


 そこには何やらボウボウと炎が燃え滾っている絵と、細々とした文章が日本語で次のように記述されていた。


===========

ファイヤーボール:火属性魔法初級:火の玉を生成し、それを操って標的にぶつける魔法:詠唱『紅、猛き赤、我が意に従う火球と成りて、滅焦せよ』

===========


「ファイヤーボール?」


「はい。まず、ユート様にはこの魔法を行使していただきます」


 何ともさらりと言い放つシェリルさんだが、そんな彼女とは対照的に、俺は一抹の不安を覚えていた。


「あの……いきなり『火』でいいんですか? ここの周りは森ですし、燃え広がったりしないですか?」


 辺りを見回しながら問うと、シェリルさんは何も問題は無いと首を振り、


「その心配には及びません。私はこう見えてそれなりの戦闘能力を有しております。もし、ユート様の魔法があらぬ方向へと飛んでいこうとも、即座にその全てを叩きおとして見せましょう……あぁ。なんでしたら、始めから私目がけて魔法を撃つというのも――」


「いや、それは流石に俺の良心が潰れそうなんで勘弁してください」


「さようでございますか」


 溜め息を一つ突く。シェリルさんは所々抜けている時があって、それが不意打ち気味に発生するせいか、彼女と話しているといつも以上に疲れる。こう……肉体的にというより、主に精神的に。

 それにしても……何故シェリルさんは自分に向かって魔法を撃つことを拒絶された途端、微妙に残念そうな顔をしたのだろうか。まったくもって謎だ。


 ……って、いやいや。そんな事を考えている時じゃない。

 気を取り直し、シェリルさんに改めて確認する。


「ともかく……このファイヤーボールを撃てばいいんですね?」


「はい。あちらの方に的が用意されております。そちら目がけて撃ってしまってください」


 彼女の指さす方を見れば、なるほど。そこには俺の背丈ほどかという高さの藁人形が複数個設置されていた。あれ目がけて魔法を撃てという事か。

 彼女の言葉の意味を理解した俺はそちらを向いて早速魔法を発動させようと試みる。だが、そこでとある重大な欠陥に気付いて、その欠陥のあまりの幼稚さに思わずまた赤面しながら、こちらを見ていたシェリルさんに問いかけた。


「あの……魔法を発動させるにはどうすればいいんですかね?」


 尋ねた途端、シェリルさんは目をぱちくりさせ、次の瞬間には「プッ」と短く噴き出していた。そして彼女は目覚めた直後の時のように、口元を手で隠しながらクスクスと笑い始める。


 ぐぬぬ……悔しいし恥ずかしいけど、文句が言えない。

 先程の彼女の不幸話……かどうかは正直微妙なラインだが、ともかく彼女の掃除が苦手であるという話で噴いてしまった前科がある手前、余計に物言いが出来なくなっている。

 因果応報とはこの事か、とそんな事を考えながら赤面して羞恥に耐えていると、シェリルさんは笑気を吸ってしまったかのような、笑いで引きつった表情を引っ込め、「申し訳ありません」と一言謝罪を挟んでから説明してくれた。


「魔法を放つうえで大事なのは、『詠唱』と『イメージ』でございます。先ほどお見せした魔法書に書かれていた『詠唱』を謳いあげ、それと並行して頭の中で魔法の完成像を鮮明に思い浮かべるのです」


「詠唱……詠唱か……」


 シェリルさんの言った事を口の中で反芻しながら、再び的の方へと体を向け、魔法を撃つための構えを取る。

 とは言ってもどう構えればいいのかは皆目見当もつかないので、とりあえず右手を開いた状態で前に突きだしてみる。これだとカッコ悪いかな。……いや、どうでもいいか。


 そんな事よりも詠唱だ。

 さっき見た本――魔法書にあった記述を思い出しながら詠唱を紡ぎ、同時に頭の中で轟々と燃え盛る火の玉を出来るだけ明確にイメージしていく。


「『紅、猛き赤、我が意に従う火球と成りて、滅焦せよ』」


 ――詠唱がつつがなく完了する。


 刹那、自分の体の中をドロッとした『ナニカ』が流れていくのを感じた。

 まるでタールの様な『ソレ』は、丁度心臓の辺りで一つに集束したかと思えば、次の瞬間にはアリの行進さながらに一塊になったまま突きだした右手を経由し、俺の体から飛び出していて――


 そして――気が付いた時には、俺の目前に赤く燃え盛る火の玉が浮かんでいた。

 自分の存在を誇示するかのように、火球は激しく燃えている。目と鼻の先にあるはずのそれからは、本来感じられるはずの熱さが全く感じられない。今までの常識ならあり得ないはずの現象に、俺は舌を巻いた。


「これが……魔法」


 俺が呟いたのと同時、火の玉が動き出す。


 まるで、それ自体が意志を持っているかの如く。俺がイメージしていた通りに、的――藁人形の一体に突貫していく。その勢いはかなりのもので、瞬きほどの間を置いて、火球は藁人形に激突し、彼の全身を赤い炎で覆い尽くした。


 それはあまりにも暴力的で、それ以上に――途轍もない程に幻想的な光景で。


「すげぇ……」


 俺はなんとも安易な感想を漏らしながら、自分が放った魔法の生み出した光景をただ見つめ続けた。

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