メイドの目覚め

 屋敷の地下に降り、上階と変わらず部屋を一つずつ確認していく。

 そして、最後に入った部屋の中で『彼女』を初めて目にした時。

 俺は一瞬、確実に息をする事を忘れていた。


 透き通るような青色の長髪。少々冷たい印象を抱く、美人路線な顔の造形。傍目からでも分かる、メイド服を大きく押し上げる胸の双丘――そんな完璧とも言える女性のあまりの美しさに中てられて、俺の頭が呼吸をするという行為そのものを放棄していたのかもしれない。

 俺は甘い蜜に吸い寄せられる蝶の如く、どこか覚束ない足取りで眠る女性に近寄った。


 しかし、一歩、二歩、三歩、俺が近づいた瞬間、女性が目を開ける。


 唐突な覚醒。目を覚ました女性は、すぐに部屋の中にいたこちらの存在に気が付いた。

 俺は丁度四歩目を踏み出そうとした瞬間の中途半端な体勢でピタリと止まっており、そんな俺を女性の一対の碧眼が何か不思議なものを見るような目で凝視してくる。

 そして彼女は、透き通るように綺麗な青髪を揺らしながら首をコテンと傾げた。


「貴方は……どちら様でございましょうか?」


「ぇ……えっと……」


 上手く言葉を紡げない。あまりにも突然の質問に、答えが詰まってしまった。

 実際問題、今、俺は何と返答すれば良いのだろう。

 転生者……って言うのは、あまりにも突拍子が無いように思える。かと言って、迷子……はあまりにも無理がありすぎる気がするし……。


「えっと……何て言えばいいのか……」


「答えられない……もしくは、答え辛い質問でしたでしょうか?」


「まぁ……あ、でも俺は決して怪しい者じゃないんです! 上手く言えないんですけど、この屋敷やあなたをどうこうしようとしていた訳じゃなくて……」


 しどろもどろに答えを返す俺に、椅子から立ち上がった、メイド服の女性の冷たい視線が突き刺さる。


「古来より言い伝えられている言葉にこのようなものがあります。『自分を怪しい者では無いと名乗るものが一番怪しい』……と」


「うっ……」


 女性の返しに、俺は言葉を詰まらせた。

 そう言えばそうだ。ドラマだって演劇だって、『怪しいものではありませんよ』なんてことを言いだす登場人物には殆ど例外なく胡散臭さがある。

 そんな事、少し考えれば分かるはずなのに……何をベタな事をやっているんだ。俺は。

 あまりにも馬鹿らしい言動をしてしまった自分に呆れつつ、俺は内心頭を抱えた。


 すると、突然メイド服の女性がどうにも堪えきれないといった様にそれまでの厳しい表情を一変させ、小さく笑い始めた。彼女の笑い方はとても上品だ。まるでどこぞのお嬢様であるかのように手を口元に当て、小さな笑い声を漏らしている。


 俺はそんな彼女の様子をポカンと見つめた。

 さっきまではこちらを訝しんでいるような表情をしていたはずなのに、と。

 余りにも唐突で、ふり幅の大きい彼女の表情の変化に付いていけなかったのだ。


「ふふっ……少々、失礼しました。先の問答にどうも既視感デジャビュを覚えたものですから」


 数秒の後。彼女は一しきり笑って満足したのか、さっきまでよりも幾分か柔らかい表情を浮かべながらこちらに向き直る。そして、ロングスカートタイプのメイド服の裾を摘まみながら綺麗な一礼。

 俺がその洗練された所作に思わず見とれていると、彼女は恭しい声色でこう告げてきた。


「お初お目にかかります。新たなる『転生者』さま」


「……っ!」


 刹那、俺は絶句する。


 ――『転生者』。今、確かに彼女は俺をそう呼んだ。

 俺からはまだ何も喋っていないのに。俺からは何も伝えていないというのに――それにも関わらず、彼女は正確にこちらの正体を言い当てて見せたのだ。


「申し訳ございません。先ほどは戯れが過ぎました」


 驚愕により二の句が継げないでいる俺に、女性は丁寧な口調で謝罪した。


「実を言えば、私はあなた様の正体を、目覚めた瞬間には既に存じ上げておりました」


「知っていた……? 目覚めた瞬間には?」


「はい。事前に我がマスターより説明を受けておりましたので」


 俺は女性の言葉に首を傾げた。


 説明を受けていたとは、どういうことなのだろう。

 言葉の文面をそのまま受け取るならば、彼女は俺が『この世界』にくる以前に、彼女がマスターと呼ぶ何者かによって俺の存在を知らされていたという事になる。だが、普通に考えれば、それはあり得ない。俺が世界を超えて転生して来る事を事前に予測するなど、普通の人間にはまず無理だ。

 しかし、実際に彼女は俺の存在を知っていた。そして、俺の事をマスターから教えられたのだと言い張っている。


 彼女が何か嘘を付いているようなそぶりは無い。自分の人を見る目にはあまり自信は無いが、今回の『勘』はあながち間違いでも無い気がする。

 ならば、彼女の言うマスターとは、一体全体何者なのだろうか――


 俺が謎の人物に付いて考察を張り巡らせていると、女性が一歩こちらに歩み寄って来た。

 彼我の顔の距離がグッと近くなる。信じられない程に綺麗で透き通っている大きな一対の瞳が、こちらの顔を覗き込んでくる。

 少し、胸の鼓動が速まった気がした。


「あなた様は今、疑問に思っておられるでしょう。我がマスターとは一体何者なのだろうか――と」


「……っ!」


「そう驚く程の事ではありません。相手の顔を覗けばある程度の事は察しがつくというものです。この程度、一流のメイド教育を受けている者にとっては序の口の技能でございます」


 俺の顔が余程驚いているように見えたのだろうか、女性はこちらを見つめながらそう言葉を付け足した。

 そして彼女は再び頭を下げて、慇懃な態度で謝罪を口にする。


「ですが、申し訳ありません。我がマスターの意向により、私は他者に対してのマスターに関する情報の開示を禁じられております。故に、私があなた様の疑問にお答えする事はできないのです」


「あ……いや、そうやって謝られるほどの事じゃないですから。それが決まりならしょうがないですよ。なので、頭を上げてください」


 彼女のマスターに付いての情報が欲しくは無かったと言えば嘘になる。だが、今の俺にとって、そのマスターという人物についての情報がどうしても必要かと問われれば疑問符が付く。

 それに、『マスターに関する情報の提示を禁じられております』と喋っていた時の女性は頑な雰囲気が垣間見えていて、彼女からマスターについての情報を得るのはどうも無理そうな気配が漂っていた。

 俺は女性の謝罪を受け入れつつ、頭を上げるよう彼女に言った。

 俺の要求に従い、女性は頭を上げる。しかし、何故か彼女は納得がいかないと言いたげな様子で首を傾げていた。


「はて……、おかしいですね。普通、あなた様ぐらいの年ごろの男性が私の様ないたいけなメイドを前にして先の様なシチュエーションになった場合、『グヘへ……俺の知識欲を満たせないというのなら、せめて性欲だけでも満たしてもらわないとなぁ』などと、ふざけた事を言い放つのだと思っていましたが……」


「いや、言いませんから。そんな事」


「……そうなのですか?」


「そうです。逆に、なんでそう思っていたのかってのを詳しく問い詰めたいぐらいですよ」


 一体、この人は他人の事を何だと思っているのだろうか。

 そんな事を思いながら俺が訝しむような視線を女性に向けていると、彼女は唐突に何か思い出したように声を上げた。


「そういえば……すっかり忘れていましたが、まだ互いに自己紹介を済ませていませんでしたね」


「あぁ……言われてみると、確かに」


 彼女との会話が所々ぶっ飛んでいたり、気になる内容を孕んでいたりしていたので、あまり気にしていなかったが、改めて考えてみると、俺は彼女が何者であるのかを知らないどころか、彼女の名前さえも分かっていない。


 そして、女性の方も俺の名前を知らないらしい。てっきり、彼女のマスターからその辺りの事も聞いていたのかと思っていたが、どうやらマスターから彼女に伝えられていたのは、『黒髪である』等、かなり大雑把な俺の外見的特徴と性別だけらしく、俺の名前や年齢などの個人情報に当たる部分は教えてもらえなかったそうなのだ。

 それは彼女のマスターが俺のプライバシーを懸念していたからなのか、どうなのか……その辺りの真相は定かではないが、兎にも角にもお互いに相手の名前を知らないのは不便だという事で、自然に自己紹介をする流れになった。


 まずは俺の番。これは特に問題なく終わった。自分の名前、年齢を言うだけの簡単なお仕事。

 途中、職業について女性から質問を受けたが、これには「学生です」と簡潔に答え、俺の名前を伝えた際にはどのように呼べばいいのかと聞かれたので、「好きに呼んでください」と返しておく。


 その結果、どうやら彼女は俺の事を『ユート様』と呼ぶことにしたらしい。様付けされるのは妙にこそばゆい気がして、せめてさん付けに切り替えてもらう様に頼んでみたが、その辺りは彼女の絶対的価値観アイデンティティに準ずることらしく、ここでも彼女は頑なな姿勢を崩さなかった。渋々俺は様付けで呼ぶことを了承する。


 まぁ、この辺りは問題といえるほどの事柄ではないだろう。

 問題が起きたのは、その次。女性の自己紹介の時だった。


「私の名はシェリル・フォルン。我がマスターより、この『悠久の館』の管理を仰せつかっております、しがない魔導人形オートマタのメイドにございます」


「オートマタ……悠久の館……?」


 聞き慣れない単語に俺の目は点になった。いや、『悠久の館』というのがこの屋敷を指しているのであろうという事は何となく分かるのだが。

 オートマタ。その言葉の意味がいまいちピンと来ない。


「それって一体……?」


 俺が質問すると、シェリルさんは少し悩むようなそぶりを見せた。


「それらを詳しく説明してしまうと途方もない長い時間が必要になってしまいますので、短く簡潔に説明いたしますと――まず、私はユート様のような普通の人間ではありません。……いえ、正確に言えば、私はそもそも生物という枠組みの中にある存在ですらないのです」


 シェリルさんがこちらに背を向ける。

 初めて見る彼女の背中は、何故かメイド服が大きく開いているデザインになっていて、まるで陶磁器の様な染み一つない柔肌が大きく露出した形となっていた。あられもないその姿に俺は頬を赤くし、思わずそこから目を背けたい衝動に駆られる。

 しかし、そんな俺をシェリルさんの声が引き止めた。


「少々お見苦しいかもしれませんが、ご覧ください」


 無防備な背中を晒したシェリルさんがそう言った直後、彼女の背中の丁度背骨に当たる部分が左右に割け、直径十センチに満たない小さな穴が口を開けた。


「ヒッ……!?」


 何か、自分の口から自分の物とは思えないような、変な声が漏れ出た。


「せ、背中が割けた……」


「落ち着いてくださいませ、ユート様」


 女性の背中が割けて、穴が開く――そんな非常識な光景を目にし、半狂乱の状態に陥りそうになった俺を、シェリルさんは穏やかな声で嗜める。


「先ほども言いましたが、私は生物という枠組みから外れた存在です。、どうということはありませんのでご安心ください」


 その声は俺の体を優しく包み込んでくるようで、俺の心の中にスッと入って来て――何より、自分の背中が割けているその本人が至って平静な表情をしている事に気が付いて、俺は少しばかりの平静を取り戻した。


「ほ、本当に……大丈夫、なんですね」


「はい。ですので、私の背中の穴をよく見てください。正直、この状態を維持するのは、流石の私でも少々辛いものがありますので、可及的速やかにお願いいたします」


 シェリルさんに急かされ、俺は彼女の背中に開いた穴を観察した。

 穴はまるでブラックホールを内包しているかのように黒く、先が見通せない程に暗い。一見、ただただ黒いだけのように見えるその穴だが、よく見てみると、その穴の中に何か宝石の様な水色に光る石がある事に気が付く。


「この宝石? みたいな物は……」


「それは私の人格を形成し、この『器』に定着させているコアです」


「コア……」


「はい。元々、この体は遥か昔にとある人物の手によって創造されました。しかる後、その人物は『私』という意識をこの体に定着させ、このコアに縛り付けることにより、『私』という魔導人形オートマタを作り上げたのです」


 その時、シェリルさんの背中にあった穴が徐々に小さくなり始め、終いには綺麗さっぱり消えてなくなってしまった。

 染み一つない綺麗な背中に戻ったシェリルさんが体ごとこちらを振り返る。


「ちなみに、私の体は人工物であるが故、生理的欲求は持ち合わせておりません。そして、歳を取って肉体が老化する事もございません。ですので、私は遥か昔からずっとこの見た目のままなのですよ」


「はぁ……ん? ……って事は、シェリルさんの年齢って――」


「ユート様」


 ある事に気が付いた俺に、シェリルさんは冷たい笑みを向けてくる。

 彼女の般若の様な形相を見て、ようやく俺は自分の失言に気が付いた。咄嗟に自分の口を塞ぐが、もう遅い。口を突いて出た言葉を取り消す事は不可能だ。


「女性に年齢の話は禁句でございます」


 ――どうやら、その辺りのモラル的なものは異世界でも変わらないらしい。


「は、はい……すみません」


 怖い。ムッチャ怖い。

 シェリルさんの目が笑っていない笑顔の迫力に気圧され、俺は小さく縮こまる。

 しかし、そんな折でも疑問というものは存外湧き上がってくるもので、それがどうしても気になってしまった俺は、小さく縮こまった体勢のままシェリルさんに疑問をぶつけた。


「本当に今更なんですけど、シェリルさんのマスターっていう人はまだ存命なんですか」


 俺の疑問に、シェリルさんは少々困ったような表情を浮かべた。


「ユート様、先ほどもお伝えいたしましたが、私はマスターについての情報の開示を許可されておりません」


「あ……」


 そうだ。さっき聞いたばかりの事だったのにすっかり忘れていた。

 彼女は、マスターの事について何一つ話せない……いや、話してはいけないのだ。


「……なんだかすみません。すっかり忘れてました」


「いえ、思い出していただけたのなら何よりでございます」


 シェリルさんは俺の謝罪を朗らかに笑って受け入れた。

 そして今度は彼女の方からこちらに問うてくる。


「では話を戻しますが、私がどのような存在なのか、ユート様はご理解成されましたか?」


「まぁ、はい。何となくですけど。つまり、シェリルさんは生き物じゃなくてロボットやアンドロイドみたいな存在だって事ですかね」


 俺の回答を聞いて、シェリルさんは小さく首肯した。


「はい。人工的に作られたものである――という意味では、その認識で相違ないかと思われます。ただ、ロボットやアンドロイドと、私のような『オートマタ』は、隅から隅まで全く違うモノといっても過言ではありません」


「はぁ……えっと、具体的にはどんな所が?」


「それは先にも述べた通り、『隅から隅まで』でございます。体の構造、設計理念……違いを挙げればキリがありませんが、中でも一番大きな違いと言えるのは動力源でしょう。主に電力を動力としているロボットやアンドロイドに対し、『オートマタ』は魔力や魔法を動力源として動いております」


「魔法……魔法がこの世界にはあるんですか?!」


『魔法』という言葉に思わず目を輝かせた俺を、オートマタであるシェリルさんは「何言ってんだこいつ」的な目で見つめてきた。どMな野郎なら性的興奮を覚えるかもしれないが、俺の性癖はいたって正常なので、その視線に何かを感じる事は無い。

 それにしても、何故だ。何故、俺をそんな目で見る。


「……あぁ、そうでした」


 数拍おいて、何かを思い出したらしい彼女はポンと一つ手を打った。


「ユート様の様な転生者様達が元おられた世界には、『魔法』は存在しなかったのでしたね。――えぇ、そうです。この世界には『魔法』が存在し、人々の生活に密接に関係しております。まぁ、実際に魔法を使えるのは限られた一部の者だけなのですが」


 ほうほう。つまり、皆が皆魔法を使えるわけじゃない、って事か……。


「……ちなみに、シェリルさんは魔法を使えるんですか?」


「いえ。残念ながら私は魔法を扱う事は出来ません。何分、この身は人工的に作られたものですので、魔法を使う為に必須とされる魔力を体内で『魔法』という形へと変換させる機能が備わっていないのです」


「そう、なんですか……あ、じゃあ、俺は魔法を使えるんですかね――なんて、そんなうまい話がある訳無いか……」


 シェリルさんの話では、魔法を使える者は一部に限られているという。その一部、というのがどれほどの確率なのかは分からないが、まさか5割、6割といったような数値では無いだろう。恐らくは、2割、1割……あるいはそれ以下かもしれない。

 いずれにせよ、そんな低い確率に自分が引っかかっていると考えるのは傲慢だ。あるいは自意識過剰というか何というか。


「いえ。あくまでも私の考えですが……ユート様は魔法を使えると思われます」


 え、本当に?


「なんでしたら、確認されてみますか?」


「えっと……何を?」


「ユート様が魔法を使えるのかどうかをでございます。幸いな事に、この世界には各個人がどのような魔法を使えるのか、はたまたどのような事が出来るのか――それらを手っ取り早く確認する方法がございますので」


 俺は彼女の提案に間髪入れずに頷いた。

 そんな俺を見て、シェリルさんはこちらにこの部屋を出ようと促してくる。


「では、屋敷の外へと向かいましょう。屋内では魔法を行使する際に不都合がございますので」


 そう言って俺を先導するシェリルさんは、俺が魔法を使えるという事を微塵も疑っていないように見えた。

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