カエデ

スミンズ

カエデ

   1


 「うお」僕は思わずそう呟いた。帰宅をしようとざわめく高校の廊下の中で、イケメンだと話題の同学年の男に女子がチョコを押し付けて走り去ると言うシチュエーションを目撃したからだ。僕はそんな羨ましい現場を出来る限り忘れたいがため、少し歩く速度を上げて玄関へ向かった。


 そうか、今日はバレンタインデーだった。あまりにも無縁な出来事なため、僕はもうそんな日があることさえ記憶の彼方へ忘却させてた。


 僕は下駄箱にたどり着くと、少し意識的に奥まで腕を伸ばしてみたが案の定そこには自分の靴以外は無かった。


 僕は校門を出ると、適当に仲の良い友達と一緒に帰った。そいつらにもバレンタインに恵られた者はおらず、母さんからもらったチョコをバレンタインのチョコにカウントするかどうかと言う定番の下らんトークに華を咲かせた。


 そんな感じで僕は地元では有名な広い通りの十字路で友達と別れた。それから僕は遠回りをして大きな公園をぶらついて帰ることにした。


 少しだけ赤みを帯びてきた夏の太陽のもと、小学生たちはもう沢山集まっていた。遊びはそれぞれだったが、なんにせよ元気に外で遊ぶと言うのは中学に上がってからはやってない気がする。歳が上がったから仕方ないことなのだろうけど、少しそんな『何も思わずはしゃげる』子供たちが羨ましかった。


 公園を奥に進むと木々が立ち並び少し人影の少ないところがある。そこは楓の木が並び、紅葉時には地域の人がバーベキューに来たりする。まだ楓の木は緑で、僕は年柄にもないが昔からよく登っている『登りやすくてかつ高くまで行ける』楓の木に行くと、ふもとにリュックをおいて一息でそこを登ってみた。昔は頂上が凄く高いと思っていたが、今にして思うとすぐピョンピョンと登れてしまって、少し呆気ない。だが制服に絡まった細かい木のかすが懐かしかった。僕はそれからふうっと大きく息をはくと、そのままふにゃりと曲がった木の枝に体を乗っけて、ねっころがった。空が近くなったと騒いでいた昔とは違い、空はやはり遠かった。僕はそんな虚しさを感じながらも、昔と何も変わらないその木だけは、僕を静かに温めてくれるようだった。


 夏と言う割には、風がそこまで暑くは無かった。勿論寒くもないが、風は制服の間を通りすぎていく度に、僕を静かに包み込んでくるようだ。


 変わらない。僕は感じかたが変わったけど、ここはそのまま変わっちゃいない。昔はただ単純に楽しかったのだろうけど、今はただ美しく感じてしまう。緑色ももうすぐすれば紅葉になるだろう。だけどまた来年が来るのだ。僕は最近、人間はそうは繰り返さないと言うことを知ったから、いつでも同じ側面を見せる楓が羨ましいのかも知れない。


 僕は空を見ながら楓の木の上で仰向けになる。流れる雲を見てると、なんだか眠くなってきた。少しだけ、と思って静かに眼を閉じてみた。


   2


 僕は眠たい眼を擦りながら静かに体を起こす。それから初めて自分が木の上で寝ていたことを思い出す。


 「おはよう」すると木の下から声がした。懐かしいような、いつも聞いているようなそんな声だった。僕はその声がする方へ顔を向けると、そこには小学生からの友人の内藤勇二が立っていた。


 「どうしたんだ。勇二」僕はそう尋ねる。


 「それはこっちの話だ。風太こそ、またそんなとこで寝て。風邪ひいたって知らんよ?」


 「気持ちいいからしかたいないよ」僕はやっと眠い頭が少しずつ起きてきて、状況を把握してきた。気がつけばもう回りは暗くなっていて、公園の電灯のもとを子供に変わってカップルたちがデートする時間となっていた。


 「やば、母さんに怒られる」僕はそう呟くと腕時計を見た。だが時間はそれほど遅くもなく、18時半位だった。


 「実は久しぶりに風太と遊ぼうと思ってお前の家に寄ったんだけど、帰ってきてないって言うからさ。『今日バレンタインデーだしワンチャン彼女でも作ってぶらついてるかもしれません』ってお前の母さんにいってやったが、なんだ、ひとりたそがれてるなんてな」


 「うるさいな」僕は一思いに木からピョンと地面に飛び降りた。


 「懐かしいな、この楓の木も。昔風太とよく登ったな」


 「登ったな」僕は少しあっけなく答える。


 「だけどお前はまだこの木に強く執着があるんだな」


 「執着っていうか。思い出深いから」いまや高校も違う勇二やナナちゃんの顔を思い出す。


 「思い出、ねえ」そう言うと勇二は僕を見るなり私服のポケットから一枚の紙切れを僕に渡した。


 「これは……?」くしゃくしゃになった紙切れを渡された僕は不思議な顔で勇二を見返してやったが、勇二は『ともかく開いてみろ』と頭でジェスチャーしてきた。僕は恐る恐るその紙切れを広げてみた。


 「………それは一昨日、その木の幹の間に挟まってあったのを見つけたんだ」


 僕はその紙切れを読んでみた。


 『二戸風太くんへ


 風太くんは昔からこの木によく登ってたよね。だけど私は今の歳になっても登ってるのがちょっと不安。風太くんも大きくなったんだから、木への負担もかかるし危ないよ?それは良いとして、この木に登ってる人自体、私は風太くんか勇二くんしか知らないから、ここにこうして手紙を置いておく。この木の幹の間って風が来ないから重石をのっけておけばとばないんだよ。だから、もし風太くん。この手紙を見つけてくれたなら、バレンタインの日に私の家に来てくれると嬉しいな


 吹田七奈美』


 「ナナちゃん……」


 「もし風太がここに来なかったらやだと思って持っておいたけど、余計なお世話だったみたいだな」そう言うと勇二は突然僕の肩を押してきた。


 「痛い、なにするんだよ」


 「どうすんだよ、お前は!昔からお前はナナちゃんに好かれてた。だけど風太はそれに気付きもしないで!風太、お前はどうするんだよ」


 「ど、どうするって」


 「風太はナナちゃんが好きなのか!?」


 突然僕は勇二に責められる。ナナちゃんが昔から僕が好き?気付かない?そんな、まさか?


 「嫌いなら、僕はこの楓の木を覚えてる訳がないよ」そういって僕は木を撫でた。


 「そうだよな。なら行くんだ、あいつは待ってるさ。お前のことを」


   3


 俺は少し悔しかった。ナナちゃんが風太へのラブレターを思い出の木に挟めておいたのが。だがそれを引きちぎって捨てるような事はなかった。確かに俺もナナちゃんが好きだった。だが風太に叶うとは思わなかった。風太は小さい頃に親父を亡くした。今でこそ母は再婚して家に専業主婦でいるけど、昔は母も仕事に出て風太はひとりだった。だからこそ、風太は俺らの仲を誰よりも大切にしていた。そんな風太がいつか「何かあれば、この楓の木に集合しよう」といったのだ。それからというもの、小学校の放課後はここに3人で『一緒に遊ぶ』という理由で集っていた。だが中学に入ると3人はそれぞれのことで忙しくなり、ここにつどることは少なくなった。


 一昨日、俺がここに来たのは気まぐれではあった。懐かしいからと少し大人げなかったがこの木に登った。するとそこには手紙が刺さってた。重石ものってたからそれをどけで手紙を開いてみると、そこには『二戸風太くんへ』、それから『吹田七奈美』と書いてあることをまずは確認した。そしてそれがラブレターであることを知るのに時間は必要なかった。俺はそれを見て凄く不器用なやつらだと不意に笑ってしまった。恋心に気がつかない風太。恋心を伝えきれないナナちゃん。風太は確かにこの木によく来るし、ここは昔とは何も変わりはしないけど。


 いつか全てが変わってしまったら、恋はもう無くなってしまうじゃないか。それにあいつらは気がついていなかったんだ。


 だけど、まあ。


 全てが変わる前に、あいつらはようやくハッピーになれるようだな………。


 楓の木に、さっき風太の肩を押した手で触れてみる。


 もうすぐ、全てが変わってしまうようだ。

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カエデ スミンズ @sakou

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