第8節 亜久津さん店を出る
彼女の興味を、フィデリオ王子から引き離したいのは山々だが、こういうことは強硬手段に出ると逆効果になることを私は知っている。両親に結婚を反対された若い恋人たちが駆け落ちした例しかり、魔物退治なんて無理だと止められた青年が周りに内緒で旅に出た例しかりだ。茨城美姫の心情はフリでも良いから受け止めつつ、さりげなく別のことに興味を持たせるようにしていくのが理想なんだが、さて。
「ところで茨城さん。さっきの本のことだけど。知り合いに聞いたら譲ってもいいって言われたから、これあげるわ。」
私は鞄から先程のフィデリオ王子アンソロジー本を取り出して彼女に差し出す。
茨城美姫は大変驚いたようで、目を丸くして固まっている。
「えっ……い、良いの? どうして!?」
「実はさっきお手洗いに行った時に、おつかいを頼んできた知り合いに、この本を茨城さんに譲れないか電話で聞いてみたのよ。そうしたら、快諾してくれたわ。」
もちろん、実際には私におつかいを頼んだ人間などいない。
実際は、トイレの個室で透視能力を解放し、どのページに召喚魔術が仕掛けられているのかを確認。結果、最初から最後まできっちり飛ばさずに読み、最終ページの公式書きおろしのフィデリオのイラストにキスをしたら魔法が発動するという大変ふざけた仕組みだったのだが、速読術できっちり読んでやった挙げ句、あとはキスすれば発動というところで術式を破壊してやった。ざまあみろ。
「あっ、ありがとう……」
茨城美姫は礼を言いつつ、その顔はどんどんうつむいてしまう。おいおいどうした。
「……馬鹿みたい、って思うでしょ? 漫画の登場人物にこんなに執着して……自分の見た目も必死で削って飾って、中身はホントは変わってないのに、綺麗なふりして。きっと亜久津さんからしたら、私、卑屈で可哀想な女なんだろうね」
そうだな、物語の人物に夢中になるのは悪いことではないが、正直とても卑屈でめんどくさいやつだなとは思うよ。というか卑屈な性格を自分の好きなもののせいにするんじゃない。
いっそ口に出して言ってやるかとも思ったが、彼女とは特に親しいわけでもないので、説教してやる義理もない。
だから、ここから先は私の勝手な雑談だ。
「……茨城さん、プリンアラモードって、どこで生まれた食べ物か知ってるかしら?」
「えっ?」
不意の質問に、茨城美姫は戸惑うが、少し考えてから恐る恐るといったようすで答える。
「アラモードっていうくらいだから……フランス、とか?」
考え方は悪くないが、実は違う。
「実は日本のホテルが考案したものだそうよ。」
「えっ、そうなの……」
私は、とある本で読んで覚えた知識を、自分の思いも含みながら話す。
「戦後、GHQに吸収されたホテルが、アメリカの将校やその家族に提供するために『流行の最先端のデザートです』って提供したのがプリンアラモードの始まり。フルーツも、アメリカから支給される缶詰を使って、食料が今より不足していた時代、何とか創意工夫を重ねて、精一杯華やかなものを作ろうという、当時の人々の心意気の名残を感じるわ。」
「……亜久津さん、何が言いたいの?」
訝しげな茨城美姫に、私は肩をすくめた。
「いいえ、別に。……最初はアメリカに憧れて作った紛い物だったかもしれないけど、当時の自分にできるものをすべて使って美しく自分を飾り、磨いてきた結果、彼女は本物になった……プリンアラモードはそういうデザートなんだなって、ただそれだけの雑談よ。それではごちそうさま。」
言いたいことだけ言って、私は席を立った。
立ち去り際、もうひとつ伝えて起きたかったことを思い出して、彼女に振り返る。
「私は別に、茨城さんが架空の人物に恋していても、嫌ったり幻滅したりしないわよ。」
元々、そんなに期待してたり好いてたりしていたわけでもないしな。
さて、とりあえずの脅威は取り除いたし、これ以上彼女に用もないし、今日はもう帰ろう。なんだか色々疲れた。
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