第4節 マドンナの秘密

「えっと、茨城さんですよね?」

 目の前の人物にそう言ってみると、相手はびっくりした様子で、思い切り首を横に振っている。確かに、普通のクラスメイトなら、この姿を見て茨城美姫だとは思わなかったかもしれない。顔をマスクとサングラスと帽子で覆い尽くした彼女はとにかく怪しいし、地味な黒コートも、茨城美姫の私服としては想像しづらかった。何となく、ふわふわしたピンク色のスカートやワンピースに身を包む彼女を想像する人がほとんどだろう。

 だが私は彼女の魂を見てしまっているので、どんな変装をしようと、騙されることはない。

「えっと、なんでそんな変装なんて?」

私が尋ねても、彼女は答えない。ただ、本からは手を離さずにしっかりと握っている。意外と力強いなこの子。

 よほどこの本が欲しいのだろう。しかし変装してまで買いに来るなんて……もしや、反社会的な内容なのか?

私は、初めて背表紙のタイトルを確認した。


「フィデリオ王子単体アンソロジー

フィデリオ王子が、あなただけを見つめてくれる★豪華執筆陣によるアンソロ第2弾!」


……えっ。


 絶句した私に、茨城美姫が声を低くして話しかけてくる。どうやら本人は声を誤魔化しているつもりらしい。

「お願いします、色んな本屋さんハシゴしてやっと見つけたんです! 私に譲ってもらえませんか?」

 ハシゴしてまで探す本なのか、これが?

「ほら、周りにも似たような本いっぱいあるじゃない……それで代わりにすれば良いでしょ」

「今回はミラクルエンジェル先生の公式書き下ろしと、インタビューまで載ってるのよ!? どれだけ貴重か、亜久津さんもファンならわかるでしょ!?」

 いや、知らんがな。誰だミラクルエンジェル先生って。ていうか今はっきり亜久津さんって言ったよな、彼女。

「ミラクルエンジェル先生のことはよく知らないけど、私も、人に頼まれてるからどうしても手にいれないといけないのよ。ごめんなさいね、茨城さん。」

 改めて彼女の名を言って、彼女が怯んだところで本を手元に引き寄せ、レジに向かった。すまないが、恨むなら異世界召喚魔法をこの本に仕掛けた魔術師を恨んでくれ。


 会計を済ませて、店内を見回すと、もう茨城美姫の姿は無かった。彼女には嫌われてしまったかもしれないが、まぁどうでもいいことだ。

 さて、今日はもう帰るか……。家に帰ってから紅茶とおやつでも……。

「あの、亜久津さんっ。」

「わっ!?」

 書店の入口で声をかけられてびっくりした。茨城美姫、あれから店の前でずっと待っていたのか……? なんという執念なんだ。ここまで来るとちょっと怖いぞ。

「あの、茨城さん。本当に申し訳ないんだけど、この本のことは……」

「ううん、そうじゃないの……あの、私がここにいたことは皆には秘密にしてほしくて……」

……あぁ、なんだ、そんなことか。

 人には、知られたくない秘密の1つや2つあるものだ。

 彼女が常に不安を抱えていたのは、この趣味がバレるのを恐れていたからだったのか。

 確かにちょっと驚いたが、しかし私には他人の秘密をバラす趣味など無い。

「いや、私は、別に言いふらすつもりなんて……」

「お願い! タダでとは言わないから、何でもしますから……!」

 おいおい、勝手に自分を追い込むんじゃない。

 しかし、何でもする、ときたか……。

「……じゃあ、ちょっと付き合ってくれる?」

 私がそう尋ねると、茨城美姫はおずおずとした様子でうなずいた。







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