第10節 亜久津さん帰宅する(終)
私は、剣持勇也を家まで送り届け、単身、亜久津家に戻った。
母はケーキのお土産に喜んでくれた。パパが帰ってきたら一緒にいただくわね、と言ってケーキを冷蔵庫にしまう。
勉強(のふりを)している間に父も帰宅し、夕食の時間となった。
温かい湯気の立った、彩り豊かな和食を並べるのを、私も手伝った。美味しそうな匂いがする。私は甘党と思われているようだが、こちらの世界にある食べ物は何でも好きだ。
うむ、至福の時間だな。
食卓の後片付けを手伝い、入浴後、両親と他愛のない会話をして、飴玉を数個取って、就寝の挨拶をして自分の部屋に戻った。
……さて。
勉強机の奥にしまってある小箱を取り出す。
魔術で鍵をかけてあるので、私以外が開けることはできない。
鍵を開けて、中に入れてある指輪を取り出して、嵌めた。その指を勉強机の上に滑らせて、小さな魔法陣を描く。最後の紋様を描き終えると、微かに机が揺れ、魔法陣と指輪が光った。元の世界との接続成功。
指輪の石の上に、魔王の幻影が映し出される。うん、相変わらずのアホ面。
「……お久しぶりです、魔王。」
静かに言うと、魔王は、おう、と答えた。
「どうだ、そちらの様子は?」
「そちらの魔術師が仕掛けたと思われる誘導体を回収しました。それから、使われていた魔法陣の写しを一緒にお送りします。これらを元に、魔術師の属性や弱点の分析を行っていただければ、と。」
「いや、お前には勇者候補を殺してほしいのだが、」
「良いから受け取ってください。」
そう言って、誘導体の石と、魔法陣の写し(帰宅してからノートの切れ端に書き写したものだ)を、机の上の魔法陣に置いて、魔界に転送する。これだけで何かが掴めるとは思えないが、無いよりはマシだろう。
魔界には帰りたくないが、トンズラするわけにもいかない私は、取りあえずの戦果を報告する。そして、できるなら、そもそもの諸悪の根源である、召喚魔法の魔術師をそちらで抹殺してほしいので、これから徐々に魔王の考えを改めさせるつもりだ。
「あと、これは、こちらの世界からのお土産です。お口に合いますかどうか。」
「またお前はくだらぬものを!」
「はい送りまーす。」
魔王の怒鳴り声を聞き流して、私は飴玉を転移させた。
きらきらと光る飴玉を目にした魔王が、すっと静かになり、手に取ってしげしげと眺めている。
恐る恐る飴玉を口の中に入れた瞬間、魔王は驚いて目を見開き、両手で口を押えて天を仰いだ。
「噛んだり飲みこんだりしないで、溶けるまで口の中で転がしておいてくださいね。」
私の言葉に、こくこくとうなずき、魔王は無言で飴玉を口の中で転がしている。
ときどき、「甘い……。」「えっ、すごい、おいしい……。」という小声が聞こえるが漸く静かになった。
剣持のところで買った焼き菓子を送ろうかどうかで実は迷っていたのだが、うむ、この様子だと、魔王にはまだ洋菓子やケーキは早すぎるようだな。飴玉に飽きてきたらまた買って送ってやることにしよう。
※※※
亜久津摩子は、その後、間もなくして就寝した。疲れたせいもあったのか、あっという間に寝付いて、すやすやと静かな寝息を立て始めた。
一方、剣持勇也は、なかなか寝付けず、何度も布団の中で寝がえりを打って、隣で寝ている弟に怒られていた。
しかし、それにしても亜久津摩子の魔術は鮮やかであった……と、私は、感嘆していた。
少年……剣持勇也が、私の放った泥に襲われ、それを彼女が救出する様子をずっと観察していたが、彼女の動きには無駄がなく、美しかった。きっと、元の世界でも優秀な人材だったに違いない。
「……いつか、近いうちにお会いすることになりそうだね、亜久津摩子さん?」
私は、水晶の中に映る黒髪の少女を見ながら、思わず笑みがこぼれてくるのを抑えることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます