違和感

 本来ならルヴィアーナとは実際に近づいたこともあったはずなのに、なぜその記憶が抜けているのか、彼女には理解ができなかった。

 ただ、その違和感を持たせたのはルヴィアーナがこの学園を去る時に起きた、あるぐらいだ。もしそれが学生達の記憶から消えた原因なら、そのような措置を取ってもおかしくもない。

 ところが、エルマが持っていた違和感、それは、ルヴィアーナの存在がこの学園から消えただけでなく、なぜそのような措置がも行われたのか、ということである。

 なのに、なぜ自分はその記憶を保持しているのか、自らの身体の異変というのもそこから来ていたのである。それはやがて、この学園の裏で何かが行われていることも疑うには十分すぎる理由となっていたのだ。

(もしも、あの人もとしたら、どうしよう……。……いや、それは困難なはず……!)

 あの人、すなわちルヴィアーナがエルマをはじめとする、この学園の生徒達との思い出が消されたらもはや手の打ちようがない。記憶を消されることは自分にとっては苦痛ではないかもしれないが、知っている人間にとっては心を痛めることには間違いないだろう。

 そうなってしまったら、もはや他人という関係に逆戻りとなる。今まで築いてきたものがあっという間に崩れるどころかその跡も残らない。これ以上の辛さはまさに猛毒だ。

 ところが、そうならない根拠がエルマにあった。

(私があの家で一緒に過ごしてきた記憶まではどうしようもないはず……。なら、まだ希望はあるかもしれない。後は……)

 そう、エルマはカルディッド家に引き取られ、ルヴィアーナと幼少を過ごしてきたのだ。彼女がこの学園に通ってきたのも、もちろん自分と一緒にいたかったためだ。また、相手は皇族でもあることから、そう簡単には手出しもできないだろう。

 残るとすれば、彼女がルーヴェから託されたメモリ。その中に保存されたデータの数々。これに何が入っているかは分からないが、貴重なものであることには違いない。ただ、今はイーリィがこの部屋にいるため、閲覧はできないが。

 すると、エルマはこんなことを言い始めた。

「ねえ、イーリィ。週末、予定とかある?」

「? 何、急に聞き出して……」

「いや、ちょっと気になることがあっちゃって……」

「特にないって、わけじゃないけど、まあ、学園内をぶらりとするだけかな」

「そう……」

「?」

 エルマからいきなり質問を受け、慌てるイーリィ。しかし、はっきりと質問を答えるとエルマはそっけなく答えるだけであり、薄い反応をする彼女の様子にイーリィは疑いの目を向けるのだった。



 日が沈み、どっぷりと空が暗くなった夜のレヴィアントは建物内から発せられる光に包まれていた。

 特にこの都市の中心に据えるガルヴァス皇宮は、照明の輝きが透明な窓ガラスを通し、隅々まで光を外へと放たれており、夜にもかかわらず、日中のような明るさがそこら中に灯しだされていた。

「わざわざここまでやってきて大変だったけど、数日後にはまた戻らないといけないからな……」

「いえ、義兄上が焦るようなものではあると思いますが、数日だけ取れた休暇と思っていただければ……」

 その中の廊下をラドルスとヴェルジュは足を進める。その後ろには彼らの配下である三人もいた。

 その彼らが語っているのは、これからについてである。本来なら元の場所に戻らなければならないのだが、彼らが治めているルビアンから特に重大な話は来ている。その内容はもちろん、ヴィハックのことだ。

 このレヴィアントだけでなく、ルビアンでも同様の騒動は起きている。各方面から取材が殺到しているため、いろいろ対処法が見つからないのだ。

 特にルビアンを収める立場にいるラドルスは今戻ったとしても、ここと同様に取材陣が殺到していることが目に見えている。あそこに残っている貴族や今は義妹であるヴェルジュもそれに応じてはいるものの、数百人の取材陣が押し寄せてくるため、彼女にとっても正直うんざりなのだ。

 今はここで休みを取ることが先決だとヴェルジュは語る。

 元々、ルビアンはこのレヴィアントとは特に異なるものはない。あるとすれば、皇宮の代わりに都市を統治する大きな別荘ぐらいだ。そこには多数の貴族も配属されており、日々の統治に活力を注いでいる。

 もっとも、本国は父であるガルヴァス皇帝ヴェルラが統治しており、自身の血を強く引く子供達に救援を頼むようなことをしない。あくまで国との外交に注いでいるだけだ。

 また、ルヴィスはこの地の統治を任されている。彼自身が父の役に立ちたいという名目でここにいるわけだが、まだまだ未熟だ。

 ルヴィアーナはまだ社会に馴染めてもいないため、この地にて政治を学んでいる。

 皇帝の子供たちはルヴィスの言葉通り、自分たちができることをしていた。それは彼らがよく知る人物への〝手向け〟であった。

 ちなみに慰霊碑が置かれているドームは彼らが住むガルヴァス皇宮の近くにあり、彼らも時々足を運ぶ。その理由は、その彼と彼らの母と呼べる王妃の一人がだからだ。ここに訪れるたび、彼らも当時の記憶が何度も蘇る。

「今日はそれに甘えるとしよう。ようやく向こうの騒ぎも終えたことだし……」

「……そうですね」

 ヴェルジュの言葉に、ラドルスは答えることにした。いかに国を治める立場でも、休暇は必要だ。一日中働き続けられる人間などいやしない。彼らもまた、人間であることを証明している。

 ところが、この時のヴェルジュの様子がおかしかった。ルビアンを襲っていたヴィハックの脅威を収まったと言ってよい。だが、彼らからすればそこか物足りない様子だ。

 一言でいれば、あそこで何かを見たということが動機としてもおかしくもない。ただ、あそこで何を見たかは彼らしか知るはずがないからだ。

 なぜなら、彼らの戦果は数少ないものしかなかったのだから……。

 そうこう言っているうちに、彼らは目的地に着いた。そこは、皇宮の一画に設置された格納庫、数多くのシュナイダーがデッキ内に収まっている場所である。

「どうだ? 調整は」

「しっかりと行っていますよ。騎士の方々が乗られる機体も合わせて、いつでも動ける段階にあります」

 ヴェルジュが声をかけるとそれを耳にしたラットが応答すると、ラドルス達の元に歩みだし、彼らが合流すると足を止めた。

「ところで、キールはどこにいる?」

「……姿が見えないんですよね。なんか駆除部隊のところへ行ったっきり……」

「あそこか。まったく物好きなものだな」

「まあまあ。あそこはワクチンを製造するための拠点。その製造にも幾分手配が難しいからね……」

 駆除部隊に所属するメンバーがいる場所は、少なくともこの近くにはない。ラドルス達よりもさらに地下に存在しており、そこは厳重注意の看板などが立てられているという。

 そこにはLKワクチンを製造する拠点、通称プラントとして稼働しており、毎日ワクチンを製造することに躍起となっている。外部からの介入を防ぐため、このような措置となっているのだ。

「そういえば、確かルビアンからここに運んでほしいものがありましたよね。もしかして……」

「ああ。既に向こうに運ばれたって、キールから連絡があったよ」

「……そうだったんですか。主任は相変わらず、連絡とかしない方ですから……」

 荷物が既に所定の場所に運ばれていたことにラットは安堵する。昔ながら彼は、自由奔放なキールに振り回されていたのだ。そのため、今回もまた振り回される結果となった。

「ちなみにですが殿下、アレには何が入っているのですか? 詳しくは主任からも聞いてもいないのですが……」

「アレには……ワクチンを製造するために必要なもの、すなわち〝〟があるんだ。とても貴重だから、今後のことを鑑みても、丁重に扱わないといけないからね」

 デッドレイウイルスの抗体、それは人類にとっても希望と呼べる代物。それに関して、ヴェルジュ達は何の疑問もなくただ、受け入れるしかなかったのだが、その背中には冷や汗が浮かんでいた。

「……では、この後、どうするおつもりで?」

「そのことについてだが……」


 あれから数時間後、ガルヴァス皇宮では恒例の晩餐が行われた。

 その晩餐に、皇帝と三人の妻、その血を引く子供であるラドルス達四人が式典と同様、一堂に出席している。皇族が一堂に集まる機会は指の数ほど少なく、年に一度しか、皇族が全員揃うことはない。

 大広間に広げられた豪華なテーブルに皇族全員が椅子に腰を掛ける。右には皇帝の血を引く子供達、左にはその子供を産んだ実の母と言っていい、三人の王妃がそれぞれの子供達と向かい合っている。そして、その妻と子供達を見渡すように一人、側面に椅子に座るのは、この国のトップであるヴェルラ皇帝だ。

 これほどの豪華なメンツが揃うのはなかなか総観と言っていい。ただ、者が存在していた。その人物が座る席にはただ、何一つ調理された料理が乗っていない、空の皿がいくつも並んでいる。その空白に座るのが皇族に嫁いだ、四人目の王妃だ。

 その王妃は十年前の【ギャリアの悲劇】によって亡くしており、その遺体も存在しないという。その王妃こそ、空白の席に向かい合うルヴィアーナを産んだ実母であり、ラドルス達が語る〝あの人〟であった。

 この日に晩餐を行うのはもしかしたら、彼女の席を用意することが皇帝にとっての弔いなのだろう。そして、晩餐は何事もトラブルもなく、円滑に進むのだった。

「…………」

 晩餐が進む中、晩餐の席にいたルヴィアーナは未だに浮かない顔をしていた。それは亡くなった家族に対してでも、自分の質問を紛らしていた義兄弟対するものでもなく、それとはまったく異なるものに対してだ。そう、自分に対してである。

 その疑惑は後に、疑いを真実に変える確信を表した何かと遭遇することとなる――。



 一方、駆除部隊はラドルスの言葉通り、皇宮の地下にてワクチンの製造を進めていた。

 また、地下というのにふさわしい、暗闇が空間を支配しており、ただただ地面から光り出すものだけがその空間に光を与えている。

 そのワクチンの製造場所であるそこには、多数のカプセルとその中に入っている人間達が眠るように収まっている。その近くにはガスマスクをつけた白衣を着た人物達がウロウロとしていた。

 これがワクチンを製造する現場なら、身の安全を確保するためにこのような格好をしてもおかしくないだろう。

 だが、今実行されている製造方法としては明らかに不自然だ。目的のものを作り出すにしても、台の上に置かれているカプセルの数が多い。

 しかも、その中にいる人間の左腕には小さな管が通っており、中は液体で満たされている。まるで実験体のような扱いだ。さらに管がカプセルを通り、一直線に外側へと伸びている。その複数の管がやがて一つの場所に集まり、大きなタンクへと繋がっていた。

「いや~、順調すぎて怖いったらありゃしない。だけど、上手くいったから、良しとしますか」

 ニヤけた表情と共に、人を食ったかのような口調をするのはただ一人、キール・アスガータだ。もっとも、彼はガスマスクをつけるどころか、白衣を着ようともしない。

 また、彼の後ろには、細長いカプセルが一つ、台車の上で白衣を着た二人に運ばれていた。おそらくは彼らの目の前にあるカプセルと同様のものだろう。

「んじゃ、それをタンクに繋げるように。焦らずにね!」

 キールが声を上げるが、そこら中にいる白衣達は何も言わず、手を進める。そして、ガラガラと台車がタンクの近くに寄り、その近くに隣接された大きなカプセルに停めた。

 さらにガスマスクがカプセルを被せるカバーを開ける。それは大人一人がそのまま入れるほどの大きさだ。それに何を入れるかなど、もはや考えるまでもなかった。

 今度は台車の上のカプセルのカバーを開く。その中にあるものを二人でそのまま抱え、ゆっくりと大きなカプセルへと入れた。それを遠くから見ていたキールはニヤリと怪しい笑みを浮かべる。

 カプセルの中にあるものにを施した後、ガスマスク達はカプセルのカバーを下ろした。

「最後に起動開始、と!」

 キールの呼び声と共に、その上の階にいるガスマスク達がパネルを操作し、最後に打ち終えるとカプセルに透明な液体が流れ出す。液体がカプセルの隅々まで行き渡ると中の照明が光り、中身を映し出した。

 ブルーライトの光が大きく空間を包む暗闇の中を照らし出すものの、その光はどこか恐怖を掻き立てる。 なぜなら、そこにはある一つのがそこに匿われていたからだ。それはもう、ガスマスク達の後ろにいるカプセルに人々と同様のものだった。

 それを見て、キールはずっと抑えていた自身の感情をぶちまけた。

「君達・・はちゃんと、僕達のために働いてくれたまえ。未来永劫、我が国の栄光を後押しするための存在だからね~」

 ただ、そこには自身の欲望を隠そうともしない、ただ底意地の汚い大人一人がヒラヒラと手を振り、エールを送り続けていた。

 後はキールとは裏腹に感情ごと隠し、物言わぬ白衣を着たガスマスクと、無慈悲にもカプセルに入れられ、目を覚ますことを許されない人々のみであった。

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