罪悪感

「どうしてこれを……?」

「そいつにはヴィハックの情報も含まれている。君がヴィハックのことを知った今なら、渡せるんじゃないかと思ったからだ。それに、俺のことを知っているのはこの学園では君一人だ。少し内密にしてくれないか……頼む」

 皇帝が世界中に向けて、襲い掛かる危機を公表した今、このデータを渡すことルーヴェには選択肢がなかったようだ。もっとも、これを渡したのは、口止め料としてだろう。校外に知られると後々面倒になるからである。

「……分かった。このデータに収まっていることについては誰にも言わない。それから……」

「?」

「今度、お母さんに会わせて。いろいろ聞きたいから。私の身体に起きていることも含めて、全部……!」

「……約束は守る。でないと、ここに来た意味がない」

 今度は向こうから要求してきたことにルーヴェは驚きを見せる。だが、彼は一旦心を沈ませ、彼女の要求を飲むことにした。自身の役目だと信じて。そして、エルマは彼から渡されたメモリをポケットの中に隠した。

「しかし、意外だな。あの人が君にそこまで加担するなんて」

「別に意外じゃないよ。お母さんのことはヴァルダ様から聞かされていたし、そもそも両親共に家を空けること多かったから……」

 彼女の言うヴァルダとは、カルディッド家の当主の名前である。ラヴェリアはその人物とも知人だったとエルマは語る。

「そうか……。でも、良かったんじゃないか?」

「え?」

「あの人がちゃんと君を見てくれて」

「そうだね。一時期捨てられたと思い込んだ時もあったけど……」

 両親以外親戚がいなかった彼女にとっては、自分を育ててくれた両親ことが家族だと認識していた。しかし、十年前にその二人がいなくなってからは、別の家で家族のいない毎日を過ごしていた。

 ただ、母親の友人である貴族の人達が優しかったとはいえ、寂しくなかったと言えば嘘になる。何しろ、十年も連絡が取れなかったからだ。今更会いに行くのも実は少し逡巡していたのである。

「……でもな、捨てられたというより、離れるしかなかったという方が正しいじゃないのか? あの人から聞いてた話じゃ、母親は科学者、父親は軍人だったんだろ?」

「そうだけど……」

「だったらさ……軍にとっても機密に当たることをいろいろ知ってそうじゃないか? だとしたら、家族を持つということがどれだけリスクがあるのか……」

「!」

 ルーヴェの言葉から導かれた時、エルマはあることに辿り着く。それは、自身に関わる重大なことでもあり、両親が抱え続けていた、危惧される事態を前もって理解していたことだった。

「気づいたようだな。君の存在がいかにどれだけの価値があるのか、言わなくても分かるだろ」

「……それって、私がお母さん達の足を引っ張りかねないってこと……?」

「悪い言い方をすれば、それもあるけど君自身の安全を考慮するなら、自分よりも地位の高い者にボディーガードを用意してもらえば、簡単だと思ったんだろう。だとしたら、古くからの知人であるカルディッド家にお願いして、君を引き取らせたってところか」

「大切なものなら、遠ざけておくべきってことね……」

 彼女の言葉通り、大切なものを抱えているとその大切なものに危険が及ぶリスクから逃れることはない。ならば、あらかじめ自身から遠ざけなければ危険が及ぶ心配はなく、自身の本業にも専念できる。それを抱え続けられるほど人間は弱くもないが、強くもないのだ。

 エルマは顔を下に向けたまま頭をルーヴェの胸にこすりつけた。さらに両手を征服の両側を掴みだす。一方、ルーヴェはなんも抵抗することもなく、ただ彼女を受け止めた。

「言ってくれれば、よかったのに……。じゃなきゃ、何も……」

「伝えることがどれだけ辛いことかも、分かってたんだろ。それが互いにとっても、リスキーであることも……」

 ラヴェリア自身、実の子供に重責を負わせることがどれだけの苦痛を味わうことになるのか、ルーヴェ達には理解が及ばないかもしれない。本来なら、自分が背負うべきことではあるのだが、子供を巻き込むという罪悪感が良心を痛ませていたのだろう。

 周囲に流れる微妙な空気が二人の中を行き交う。それは、果てしなく様々な思いが何度もまとわり、渦巻く欲望の世界にも思えるのだった。

 ただ、ルーヴェとエルマ、二人だけの空間に一つの視線が二人を捉えていた。その空間にただ一つ行き来できるドアの隙間から覗く一つの影が空間を挟む壁を通じながら、身を潜める。対照的に、その視線からにじみ出るその感情は凍り付いたものであると、あからさまなものであった。



 恒例の式典を終え、夕暮れを迎えていた頃、学園内にある階をまたぐ階段の傍にいたルーヴェは自身が保有するスマホを通じて、ある人物に話しかけていた。その相手とは当然……

「目的のものは彼女に渡した。後は彼女がどう反応してくるかだ」

『なら、明日にまたかけてくれる? 今度はあの子の声も聞きたいし……』

「そんな回りくどいことをせずとも、直接会えばいいだろ」

『君も知っているでしょ。私達ともども〝お尋ね者〟だって』

「…………」

 エルマの母親ことラヴェリアが〝お尋ね者〟という言葉を発するとルーヴェはいきなり口を閉ざした。

 元々、この都市のとは言い難い彼にとって、その言葉はどうしても泣き所である。何しろ、彼は存在する人物ではないからだ。

 また、アルティメスを都市部に隠していることもあって、それを突かれることにはやはり敏感だった。

「だが、やれるのか。彼女に」

『何? まだ信じられないの? 調、あの子は私にする存在だというのに』

「信用そのものを疑われているはずだからな。場合によっては、こちらに応じないこともあるぞ」

『いいえ、必ず来るわ。あの子なら……』

 意味深な言葉を聞いて、ルーヴェは即座に通話を切る。ぬるい空気のまま、言葉を濁すような会話をあまりしたくないのだろう。たとえ、エルマの腕は確かでも、信じるかどうかは別問題だからだ。だが、ラヴェリアには根拠とも思えない確信がそこにあるのだった。

「…………」

 ルーヴェもまた、エルマのことを信じていないわけではない。だが、ついさっき彼が渡したあのデータを彼女が理解できることには、僅かながらも期待をしている。

 なぜかというと、科学を信じる人物なら、あのデータに食いつくからだ。それ程までに画期的なデータが揃っており、誰しもが自らの手中に収めたくもなるのである。

 ところが、ただそんな単純なものだけとは限らず、必ずしも良いものではない。

 なぜなら、あるデータと同時に、残酷なまでの恐るべき事実がメモリに収められているからだ。一歩間違えれば、国家機密にもあたり、最悪国そのものを転覆しかねない。

 使い方次第では、兵器と同等の存在と化す。データが兵器なら、情報は自分にも相手にも影響を及ぼす武器にもなるのだ。

 それを一介の学生に渡すことはまさしく賭けよりも残酷であり、渡されたエルマもそれを理解したのか、冷や汗をかいていたのである。

 何だか罪悪感を感じ始めたルーヴェはただただ、彼女のことを心配そうに、ため息をつくしかなかった。ただ、ある種の希望も抱いていた。

(彼女なら、〝アレ〟を造り出してもおかしくないかもな……)

 あの研究データには、一般人には理解が及ばないものが記録されていると同時に、世界を一変させるものだからだ。エルマに渡したのはそれに関するものが収められているからだ。もちろん、ルーヴェが言う〝アレ〟という存在も、データとして保存されている。

 ただ、これを渡すということは確実にに巻き込むことになる。それだけ信頼している証にも思えるのだが、ルーヴェは心中、穏やかではなかった。

 本来、この学園に通う学生達は皆、ガルヴァス軍とは何ら関係のない一般人の集まりである。いくら、エルマが〝アレ〟を完成させる才能があったとしても、無暗に巻き込んでいいわけがない。

 実は転入する前からこれに関して、ルーヴェは躊躇いを感じていた。何しろ、自分達がやろうとしているのはでもあったのだから――。



 一方、ルーヴェと通話していた相手であるラヴェリアは、彼女が主に使う、暗闇が支配する空間にて椅子に座ったまま、足を組んでいた。

「……十年か。あんまり向こうにも連絡できなかっただろうし、ホント今更よね……」

 その眼には悲しみが浮かんでおり、表情も浮かない様子だ。何しろ、十年も会っていない。その気の遠くなる時間が彼女を苦しめている。だが、ラヴェリア自身も立場があり、今この場を離れるのは得策ではない。

 さらに自分が今やろうとしていることが罪悪感となって、彼女自身を不安にさせる。なぜなら今、ラヴェリアの目の先にある透明なガラスの奥、はたまた壁を通り越した先に立ち並ぶ複数の巨人の調に奔走しているからだ。これを進めている今、もう後戻りはできない。

 しかも今度は娘を巻き込もうとしている。もちろん、にだ。その心中はルーヴェと同様、穏やかではない。

(ホント、ワガママよね。突き放したり、巻き込もうとしたり……。でも、私は……!)

 娘を守りたい。ただその一心だけが母親である彼女を支える。それを表すように両手を強く握り締める。

だからこそ、に、ラヴェリアは突き進もうと椅子から立ち上がる。その強い覚悟が彼女の目に宿っていた。

「さて、こちらも進めなきゃ。を救うまでは、こんなところで止まれない……!」



 ルーヴェと同じく夕暮れを迎えていたエルマは学園から離れた学生寮、自分が使用する部屋の机に座りながら渋い顔をしていた。

「……どうしたの? そんな怖い顔して」

「…………」

「?」

 友人が反応を返さないことに疑問を抱くイーリィ。

 その一方、エルマはルーヴェとの会話を思い出していた。

(あの人は、何をしようとしているの? 何を考えて……)

 母親であるラヴェリア、さらに転入生のルーヴェ。あの二人が繋がっていることも含めて、妙な気分に駆られていた。考えるたびに、その目的が分からず、ただ堂々巡りすることに、だんだん疲弊していく。両手で顔を支えたまま正面に向き続けると、そこにイーリィの顔が割り込んできた。

「――うわっ!?」

 突然視界に割り込んできたイーリィの顔を見たエルマは、椅子に座り込んだまま後ろにのけ反る。その反動で椅子が彼女ごと地面に着こうとした時、イーリィは慌てて、その椅子を後ろから支えた。

「フゥ、セーフ……」

「セーフ、じゃないよ! いきなり何すんのよ!」

「ゴメン、ゴメン。名前を呼んでも返事がなかったからさ。ちょっと、顔を覗いたってとこかな? そしたら、大慌てになって……ゴメンね?」

「もう……」

 どうやら友人を困らせていたことにエルマは、噛み付いていたその場からシュンと、息を吐く。彼女自身も冗談だったらしく、驚かせようとしたら、まさか大惨事になる手前だったことに反省していた。申し訳なさそうに左手を立てている。

「……でも、元気なかったよ。今日のエルマ」

「そう?」

「絶対そうだよ。ましてや、まさか閉鎖区にあんな化け物が住み着いていたなんてさ、誰だってパニックになるっての」

 化け物――ヴィハックの情報は瞬く間に拡散され、街中でもそれに持ちきりとなった。そもそも十年間もその情報どころか何一つ出回っていなかったせいか、報道陣の圧力は依然とその勢いは増していた。

 真実を追求したい新聞社や、事実を公表する立場であるアナウンサーですら知らなかったため、明らかに情報が統制されていたのだろう。裏を返せば、それだけ皇族の権力は偉大ということでもあった。それだけではない。本日の追悼にて市民の前に初めて顔を出した皇女殿下もそうだった。

「まさか、皇女殿下がもう一人いたなんてな~。しかも、ものっ、凄く綺麗な人だったよね!?」

「え、ええ……。そ、そうね……」

「?」

 もう一人の皇女殿下とはもちろん、ルヴィアーナだ。これが初めての顔出しと言われているそうだが、

実はというとそうではない。実は彼女もこの学園に通っていたのである。

 ただ、中等部を卒業した後、彼女はここを去っていったのだが、のである。

 これにはエルマもさすがに疑問に思っており、学園内に存在するデータベースがある図書室などで友達であるイーリィ達にも内密で調べたこともあったのだが、何一つ彼女に関する詳細がなかったのである。しかも、もう一人の女子学生も含めて、そのデータは存在していなかったのだ。

 元々、彼女には配下と呼べる一人の女子、ノーティス・カルディッドも通っていたため、この学生寮に住み着いていたのである。もちろん、相部屋で。

 エルマはカルディッド家に引き取られていたため、彼女のことも把握していたのだが、その人ごと揃ってデータそのものが存在していないのは普通ならあり得ない。おそらく、教師達もその事情を知っていたはずだ。この学園の理事を任せている理事長の権限で情報も秘匿させても違和感はない。

 また、ルヴィアーナが人前で皇族だと公表されている以上、統制されていてもおかしくもないし、その上で納得するのもしょうがないだろう。

 さらにはエルマ自身、ルヴィアーナが皇女であることも既に分かっていたため、彼女が人前で現れてもあまり驚きはしなかった。ただそこにあったのは、器と立場の違いだった。

「あんなモデルみたいな、綺麗な人が皇族だというのも納得しちゃうね。私達とは大違いっていうか」

「そんな悲観的なことを言わないでよ、イーリィ。確かに私達とは住む世界が違うけどさ……」

「あ~あ。あんな人とお近づきになったら、嬉しいのにな~」

「…………」

 イーリィの言動に、エルマは苦笑いする。

 ところが、それと同時に、あるを感じ取っていた。

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