「…………」

 追悼式典を終え、体育館から戻ってきた生徒達が一斉に休憩に入る中、ルーヴェはただ一人、校舎の屋上にて、閉鎖区を隔てるタイタンウォールを金網越しに見つめていた。

 さらに学園へと吹き抜けるそよ風が金網を通して彼の銀髪をふわりと浮かす。それでもルーヴェは微動だにせず、目の前に広がる風景から目を逸らそうともしなかった。

 そこにガチャッとドアが開くような音がルーヴェの耳に入る。音がした方向に彼は振り向くと、その視界に入ってきたのは彼と同じ制服を着る一人の少女ことエルマであった。その彼女が屋上のドアを閉めると、ゆっくりとルーヴェの元へ歩み、彼の近くに訪れた。

「エルマ・ラフィール……」

「ここにいたんだ。……ルーヴェ・アッシュ君」

「もう、学園中がパニックだよ。皇帝陛下がいきなりあんなことを言い出して、皆大騒ぎだよ。ホント、あのヴィハックとかいう化け物が、私達の国を占領していましたなんて、酷いっていうか、なんて言うか……」

「……隠すのにも限界が来たってところだろうな……。あれだけ閉鎖区でドンパチやらかせれば、嫌でも噂が立つ」

「確かにね……。この頃、軍がコソコソ動いていたって噂があったし、これ以上やると信用が薄くなっちゃうもんね……」

 エルマの言葉通り、教室内は今騒ぎに満ち溢れている。これまで知らなかったことをいきなり知らされて、頭の整理が追い付かないのだろう。これはさすがに時間がかかるのは確定だ。

 また、軍に対する噂はルーヴェがこの都市に来る前から立っていたらしく、市民らもそれで持ち切りとなっていたようだ。ただ、それが定かかどうかは不明だったのだが、皇帝の演説でついに明らかとなったのである。

「ところで……何しに来た? そんな話をしに来たわけじゃないのだろう?」

「あなたが体育館から去ろうとしていた時に、少し様子がおかしいなって思ったのよ。もちろん原因は、あのだよね?」

「…………」

 教室に戻ろうとしていた中でルーヴェの様子を一瞬だけ見ていたエルマの指摘に、彼は表情を拗ねるように口を尖らす。また、彼女が言う御方とは、当然一人しかおらず、ルーヴェ自身もその人物を思い浮かべていた。

「まさか、あの人が出てくるなんてね……。まあ、分かっていたっていうか、少なからずそうなるんじゃないかって、ホントは思ってた……」

(そうだよね。あなたは、のよね……)

「何の話をしている?」

「ゴメン、ゴメン」

 屋上に来ていきなり独り言を言い出してきたエルマ。すぐに謝罪するものの、どこかぎこちない様子を見せている彼女にルーヴェは少し怪しんだ。

「実は私ね、お母さんが私の前から去る時に、ある家に引き取られたの。何でも、知り合いだったとかって話だけど……。その家の名は――」

「カルディッド家。確か、あのお姫様もそこの出身だったみたいだな。ということは、知り合いだったのか」

「!」

「そう身構えるな。君のことはラヴェリアから聞いている。そもそも俺がここに来たのは、の指示だったからだ」

「え……!?」

(お母さんが、彼を……?)

 自分の母親がルーヴェを学園に来させたという不透明な応答に、身構えていたエルマは表情を訝しんだ。彼女はそれがどういう意味なのか、目の前にいるその少年を問い質したいと駆られ始める。すると、彼はあることを言い出し始めた。

「ラヴェリア・ベルティーネが、デッドレイウイルスの研究を務めていたのは知っているな?」

「もちろんよ。LKワクチンを完成させた立役者って言われているけど、それを辞退したって……」

「辞退したってことは……つまり、ヤバい何かを知ってしまったことじゃないのか?」

「!?」

「だからこそ、彼女はこの国を去っていった……。君を置いて」

「ちょ、ちょっと待って! ヤバい何かって!? 本当に意味が分からないのだけど……」

 ルーヴェの口から次々と言い出されるその言葉に、エルマはその衝撃を受け止められず反論を続ける。連続して言葉の矢が突き刺さるため、主に頭に痛みが響く。

「気付いているはずだ。下手すれば、この国をだということに」

「!」

「特に科学者は、様々な組織に命や身柄を拘束されやすい人材だからな……。姿を眩ますのは、ま、当然か。知ってはいけないものを知ってしまったんだから」

「だから、知ってはいけないものって、何なの!?」

「知らない方がいい時だってあるってことだ。あの向こう側にある閉鎖区のようにな」

「え……」

 何かを知るということは、時として怖いものである。下手をすれば、口を滑らせ、周囲へと波及していく。そして、混乱が起きる可能性があるからこそ、そうなる前に手を打つ必要があるのだ。

 閉鎖区の実情も、知る者が多ければ、外部に漏れだす恐れもある。だからこそ、皇帝はあえて表舞台に公表したのである。

「帝国は十年前からヴィハックの存在を隠し続けてきた。でも、これがすべてということはまず限らない。賢い君なら、そう考えてもおかしくないんじゃないのか?」

「…………」

「まあ、軍もご苦労なことだな。ついこないだまでは奴らと殺し合いをしていたくせに。……いや、この日だからこそ、吐き出したってか」

「?」

 言葉を続けようとしたルーヴェはなぜか逡巡する。何かから目を逸らそうとしているのが丸わかりだ。それを見逃さなかったエルマはあることを切り出した。

「あの時、あなた、授業受けなかったよね。もしかして、軍が閉鎖区に赴いたことと関係しているの? 例えば、ヴィハックが襲ってきたこととか……」

「なぜそう思う? その理由は?」

「理由って……!」

 先日にあったことを追求しようとしたのだが、ルーヴェはあたかも予想していたかのごとく、彼の口から出た返しの言葉に、エルマは逆に追い詰められ、口を噤むしかなかった。その時、ルーヴェは一言語る。

「それは、ってか?」

「なっ……!」

「図星か。なら、もう気付いているんじゃないのか? 自分の身体のこと」

「!?」

「例えば、こんな風に……」

 ――キィーン

 急に向こうから切り出してきたことにエルマは戸惑うが、手で顔を隠したルーヴェがその手を下げると両目が青く輝きだした。

「!」

 それを見たエルマは彼の変化に驚きを見せ、人差し指を差してくる。

「まさか、あなたも……?」

「……やはりか。どうやら頭がいいだけじゃないんだな」

「いや、それは……」

「別に隠さなくてもいいだろ」

 ルーヴェがまた目を光らせると、今度はエルマの両目が青く光り出した。それによって彼は彼女の身に起きている異変を察した。

「先程の答えだけど、授業中に頭が痛くなること、あったんじゃないか? あれ、君の言った通りヴィハックがこの都市に攻め込んできていたんだ」

「! じゃあ……!」

「単刀直入に言おう。君の身体は、

 ルーヴェが放った一言が沈黙を呼ぶ。またそよ風がなびく中、エルマはその衝撃に震えたまま口を動かした。

「普通ではないって……」

「君は昔、急に体中に痛みが走ったことはあるか?」

「え? 何よ、唐突に……」

「質問しているのはこっちだ。答えろ」

「……確かにあるけど、なぜそれを?」

「それって、ワクチンを受けた後?」

「そうだけど……」

 ルーヴェが質問形式で質問を出すと同時に、エルマはその質問を答える形で口を動かしていく。彼女自身、意味が分からないが答えることを誘導されているような感覚が少なからずあり、既にまともな思考ができていなかった彼女は黙って彼の質問に答えるしかなかった。

「つまり、身体の調子が上がったりすることもあったと……」

「まあ、って、何であなたがそんなことも知っているのよ!?」

「俺も似たようなことがあったからだ」

「!?」

「ちなみに、俺や君だけでなく一部の人間がそれと同じ感覚を経験した人物が少なからずいる。【ロードスの悲劇】から現れ始めたって噂だがな……」

 自分と同じ感覚を味わう人物が他にもいたことにエルマはまた衝撃を受ける。それだけでなく、目の前にいる少年もそれを経験していたことが何よりの衝撃だった。

「その噂……私も聞いたことがある」

「?」

「少し内容は違うけど、一部の生徒がいきなり遠くのものが見えるようになったり、体力が上がったりと学園内でも噂が持ちきりになったことがあったの。その生徒は先生の勧めですぐに精密検査を受けたんだけど、異常はなかったって話。だけど、……その生徒はなぜか転校していったの」

「え?」

「また、似たようなことがあるとすぐに転校するはめになって、何か妙だなって思ったのよ。しかも、それからの話題も上がってこないし、皆それに関して知らないって言いだすし……」

「!?」

 調子がいい生徒を検査し、転校させるなど教員としては明らかに不自然な行動だ。生徒には何の異常は見られなかったって言うが、真っ赤な嘘であることは間違いないだろう。ところが、生徒達全員が揃って忘れることなど明らかに異常だった。

「生徒全員が忘れるって、そんなのあり得るのか?」

「分からないわよ。噂では、デッドレイウイルスに感染したんじゃないか、って、生徒達から声がして……。でも、その話題もすぐに消えて、こっちが聞きたいわよ」

「俺から一つ疑問があるんだが、ウイルスに感染したということ――それ、ど真ん中だぞ」

「!? まさか……!」

 ルーヴェの一言にエルマは驚きと共に顔を向ける。奇跡にも近しい言葉に、その表情には信じられないと誰でも判断できた。

「ウイルスに感染したと本人に報告して、転校させたのかもしれない。だが、LKワクチンを射うてばいい話なのに、わざわざ手荒い真似をする必要がどこにある?」

「それって、学園に戻らせないように……?」

「それもそうだが、生徒全員にも何らかの処置が施されているかもしれん。例えば、記憶を操作したりとか……」

「だとしたら、誰かが私達に嘘をついているっての!?」

「そうとしか言いようがないな……」

 聞きたくない事実がエルマを襲いかかり、彼女は愕然とした表情のまま、顔を下に向ける。彼女自身、それらを否定したかったのだが、考えるたびに辻褄があっていき、さらに表情が暗くなっていった。

「この学園に裏側のようなものがあるのは、最初から気づいていた。この学園のカリキュラムといい、教員達の対応から察するに、大人達がそういうのに絡んでいるってのは確実だな」

「! 先生達が……⁉」

「教員達の素性もラヴェリアに調べさせたが、その大半が軍の関係者だということが分かった。この学園が……軍を増強させるための養育場だということもな」

「そんな……」

 エルマが再びルーヴェへと顔を向ける。更なるショックで立ち直ったかにも思えたのだが、表情は暗いままだ。

「近々、君自身に教員達が声をかけるだろう。そん時はできるだけ時間を稼いでほしい。これ以上帝国の思い通りにはさせたくない」

「でも、私が向こうに行けば、それで済むんじゃ……」

「甘く見るな! 奴らが何をしてきたのか君はまだ分かっていない! カルディッド家に引き取られている今は手出しもしにくいだろうけど、いつまで誤魔化しが効くのか……!」

「…………」

 自己犠牲な対応をするエルマに、ルーヴェはこれから訪れる危険性を説く。その姿に彼女は、何だか彼らしくもないことに、言葉も出なかった。表情も焦りが見える。

「もし……覚悟があるなら、俺のところに来ればいい。手助けしてやる」

「……本当に?」

「君を守るように言われているからな」

「ルーヴェ君……」

 彼の手助けするという言葉に、エルマは少し肩の荷が下りた感じがした。しかも長年会えなかった母親がこうして自分を見てくれていることも、彼女には嬉しいと思ったのだろう。

「でも、一つ疑問があるって……」

「その事なんだが、なぜ君は、生徒達が記憶を失っていることに気づいたんだ?」

「……ある日、先生方がクラスごとに集合させてきたの。それでいきなりスマホを取り出して、すぐに強烈な光が放って……」

「それで、皆の記憶が奪われたってのか」

 ルーヴェの返答にエルマは頷く。さらには数ヶ月も前から行っていたようで、そのたびにこの学園の生徒達の記憶から数人の人物との記憶が失っていったという。にわかには信じられない話ではあるが、どうもきな臭いとルーヴェは勘づき始めた。

「だとしたら、君自身にもその影響があっても、おかしくないんじゃないのか?」

「それなんだけど、なぜか私には効かないみたいで……。それに、あの人のこともなぜか……」

「……あの人?」

「言ったじゃないですか。ルヴィアーナ様のことです」

「! じゃあ……」

「はい。私はあの方と一緒に、この学園で過ごしていましたから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る