第2章
ワクチン接種
「ギィアアア――!」
ヴィハックの咆哮。
生物のものとは思えないリザードの叫び声が天にまで響き、周囲に広がる。しかし、次の瞬間、そのリザードは鈍器にぶつけられたかのような衝撃と共に、頭部が地面に圧し潰された。
その衝撃が地面に伝わると頭部があった個所を中心に地面がひび割れていき、コンクリートの破片がせり上がり、その威力を物語るかのように、頭部を潰されたリザードの身体は一切動くこともなく、せり上がった破片の上に横たわった。
その隙間からリザードの体内に巡っていた黒血が地面に流れていく。さらにリザードの頭部を潰した、大きな拳は地面から離れ、付着していた黒血がポタポタと地面に垂れていく。拳を両側に構える巨人はその場から動こうともせず、じっと周囲を見渡した。
なぜなら、その周囲にあるコンクリートで固められていた大地は既に破壊の痕を刻み付けていたからだ。しかし、その場所はガルヴァス帝国に位置するものではなく、閉鎖区でもない。おそらくは、それ以外の国々のどこかであろう。
そこにはリザードの死骸が多数転がっており、黒血も飛び散っているものの、それ以外のものは何一つなく、あるとすれば破壊によって生まれたコンクリートの破片ぐらいだろう。
ただ、その巨大な拳だけで破壊を尽くしたとは思えず、半分だけの死骸が残っているのもあった。その残骸を生み出した犯人は、言うまでもなく今この場に立ち尽くしている巨人ただ一体。異常に発達した剛腕が嫌でも目に付く。
「ったく、聞きたくないのよ! そのふざけた声は!」
黒血が付着した大きな拳をモニターで見つめるその人物は、嫌そうな雰囲気のままツバを掛けるように文句を垂れる。もっとも、その文句を垂れる暇など、彼女にはなかった。
「!」
側面から来る気配と共に、周囲を見渡せるレーダーに左右から複数の反応が映り、自身に向かってくる。左右から挟み込むつもりだろう。
すると少女は両手に握られている操縦桿を動かし、自身が搭乗しているシュナイダーを左側に位置を変える。さらにペダルを踏み、背面と大腿部のスラスターを噴射させ、自身を正面に向けた反応に前進し始めた。
「ギャアアア!」
その反応の正体はもちろん、ヴィハックだ。その中でもよく見かけることの多いリザードである。それが複数体も群がっており、横並びのまま駆け出している。
それに相対するのは、五本の指に獣の爪を持ち、自身の足元に届くほどの大きさを持った巨大な腕を携え、額に二本の角を生やした一体の赤い巨人だ。嫌でも大きな腕が目に付き、小さな体とは明らかに差異がある。
だが、大きな腕とは別に、その隣には小さな腕が本体から伸びているように見えており、違いがあるのがよく分かる。さらには大きな腕が背中に搭載された大型のバックパックと接続されていて、両肩と隣り合うようになっているのだ。
頭の後ろから生やした二本の角を合わせて、人とも獣とも異なる姿をしているのが目に見える。まさしく異形だ。その二本の角と牙にも見える口元を合わせて、あるものを連想させる。
そう、東洋の言葉で表現するならば、人を恐れさせる異形の存在――〝鬼〟だ。
その赤く染まった鬼が砂埃を上げつつ、四本足で駆け出す異形の元へ向かっていく。巨体に似合わない猛スピードでホバー移動する巨人に、反対方向にいる別のリザードは次第にその距離を離されていった。
自身の背後にいるであろう、もう一つの反応を置き去りにしていく赤鬼のシュナイダーの中にいた少女は、目の前に広がっていくリザードの群れを目にして、怪しく笑みを浮かべていた。
「さあ、トカゲ共……この「ヘパイスドラグ」の餌食となるがいい!」
へパイスドラグと呼ばれる赤いシュナイダーを操る、黄色の瞳に赤い短髪の少女、鬼堂院 紅茜(あかね)は、ヘパイスドラグの腰部に掛けられた銃身の長いライフルを、本来の腕でグリップを掴み、銃口を前面に向ける。
そして、へパイスドラグは目の前にいる獲物を叩き潰すためにリザードの群れに突入していくのだった。
朝日が昇る空の下、タイタンウォールに囲まれたガルヴァス帝国は、いつも通りの一日を過ごしていた。
ガルヴァス帝国の首都、【レヴィアント】に建てられたニルヴァ―ヌ学園に通うエルマをはじめとする四人も同様だ。それぞれ教室に向かおうと学園の中にある廊下を進む。
「フアァア~、皆おはよう~」
「カーリャ、アンタまた寝坊!? 今日はアレがあるんだから、シャキッとしなさい!」
「はぁ~い……」
カーリャの欠伸にイーリィが声を荒げる。眉を吊り上げ、注意を口に出す彼女にカーリャは耳を傾けるものの、どこ吹く風かと聞き流す。
朝が苦手なカーリャは、毎日のように遅く起きてしまうことが多く、相部屋のルルによって起こされるのが日課となっている。その光景は結局、いつもの事なのだ。しかし、今の彼女はしっかりと制服を着ている。
ただ、たびたびイーリィから注意を受けるものの、カーリャのクセは特に直りそうにないのが当たり前であり、これが何回も続くのだとカーリャを除く三人は既に諦めかけている。
また、端から見ていたルルも珍しそうに、「フフッ」と小さな笑みを零していた。彼女もまんざらではないようだ。
「ホラ、さっさと行くよ。今日は〝ワクチン接種〟なんだから」
「あっ、待ってよ~」
近くにいたエルマは、三人に目的地に移動するよう促すと三人もそれに続くのだった。しかし、その三人の姿を後ろから捉えていた人物がいた。
「…………」
エルマ達が向かった先は意外にも校舎から少しだけ離れた、大きな敷地を持つ体育館であった。その体育館を繋ぐ廊下には彼女達と同じ服装の学生達がズラリと並んでおり、そこら一帯がガルヴァス人に埋め尽くされていた。
その中にはもちろん、エルマ達もそれに参加するように学生達に紛れており、今は学生であるルーヴェもいた。
(ワクチン接種か……。この日になると、ずいぶん静かになるな)
彼の周囲にいる生徒達の表情が心なしかいつもよりも神妙な顔つきをしており、これから行われるであろう出来事に生徒達は悪ふざけも何も起こそうともせず、じっとしていた。いつもは賑やかな感じが見られることあって、それだけ彼らにとっても重要だということだ。
一体何があるのかと足先を伸ばしてみたくもなるが、あまりにも列が長すぎて、その先を見ることは不可能に近い。
その長蛇の列の先頭はというと、それぞれ縦一列に分かれ、さらに進むとあらかじめ用意された二つの椅子に、白衣を着た医師と一人の学生が向かい合うように座っていた。
二人の後ろには同じく白衣を着た人が立っており、二人の右側にあるテーブルの上には銀色のバットの中に、何やら液体が注入された小さな注射器がいくつも入っていた。
注射器の形は細身のものではなく、筒が太いタイプの無針注射だ。もちろん、液体の量も細身のものと変わらない。
その注射器を手に取る医師は、対面している学生が袖をまくって突き出した左腕を手に取り、注射器を近づけていく。その先端部を皮膚の上に置き医師が親指に添えられた押子を押すと、平らとなっていた面から複数の針が一斉に皮膚を突き破り、血管内に侵入した。
その時、学生は注射針による痛みが走り、表情を軽くしかめた。
筒の中にあった液体が血管を通り、それがなくなると医師は注射器を腕から離し、同じ注射器が置いてあるのとは別のバットに捨てるように置いた。
そして、学生は赤く滲(にじ)んだ四つの注射の痕を隠すようにめくっていた制服の袖を元に戻し、学生は元の教室に戻ろうとその場を後にしていくとその後ろにいた別の学生が医師と対面するように椅子に座った。
医師達が今行っているこの行為は、エルマが言う〝ワクチン接種〟だ。今日がその日であり、彼女達にとっては重要なイベントであった。
彼女達が摂取しようとするそのワクチンとは当然、デッドレイウイルスに対抗する【LKワクチン】である。
今回行われていることは、それを投与するためのものであり、この学園、いやこの国にとってはなくてはならない必須事項である。
その目的とは当然、ウイルスによる感染を防ぐために実施されたものであり、何年も前から定期的に行われている。ただ、今でも行われているということは、デッドレイウイルスに感染した、〝感染者〟が確認されていることでもあり、まだまだ不安が残ることを意味していた。
そして、学生達に紛れるエルマ達も、各自【LKワクチン】の接種を受けるとすぐさま体育館を後にするのだった。
ワクチン接種を終え、また制服に身を包んだエルマ達は教室に戻り、エルマが座るテーブルを中心に固まっていた。
「これで、今回のノルマは終わったね」
「油断しないで。感染しないわけじゃないんだから」
「でもさ、これ、いつまで行うのかな~」
「……ワクチンが生成できる数も限られているし、まだまだだと思うよ」
「そっか……」
ついさっきまで受けた接種が今後も続くことに不安になるカーリャ。彼女以外にも頭に浮かぶであろう、その疑問にエルマは今あるだけの知識で答えるとカーリャは的を射た指摘に表情を変えることをせず、ただ納得する。
十年前と比べて、人口もワクチンの生産量も着実に増えてきている。地球全体に及ぼしたあの傷跡が言えつつある証拠だ。ただ、ウイルス自体が未だに猛威を振るっていることは変わらず、国もその対応に追われていることはニュースの報道で周知となっている。
だが、ウイルスの発生源といわれている閉鎖区が存在する以上、この問題を解決しない限り人々の安心は一向に晴れないまま、時を過ごすしかなかった。
「…………」
「どうしたの? 考え込んじゃって……」
「? え、ええ……。なんで軍は閉鎖区の対応に戸惑っているのかな、って……」
「……確かに、それは気になる……」
エルマ達は自国の軍事力なら、閉鎖区をこの国の領土として元に戻すことなど可能だと考えている。実際、ワクチンも製造できていることから可能だろう。しかし、それでも戸惑っているということは、閉鎖区に何らかの異変が起きていることは誰の目でも明らかだ。
「そう言えば、この頃、避難勧告が続いているよね。ウイルスが流れ込むにしても、あまりにも大雑把だし……」
「……もしかしてさ、アンタがあの時、感じてた〝何か〟じゃないの? じゃないと、辻褄が合わないって……」
カーリャの疑問に、三人は同じ考えに到達する。そもそも気体であるデッドレイウイルスが風に乗って都市部に流れてくることは多々あるが、そう何度も短期間で発生することは考えにくい。
そこでイーリィはエルマにあることを問いかけた。それは、先日鳴らされた避難勧告に関することだ。すると、エルマは意を決したかのような表情で口を開いた。
「……実はさ、この前も似たような感覚があったのよ。その時は嫌なものが見えたっていうか……」
「「「!」」」
「アンタ……」
彼女の話によると、授業中でも似たようなことが何度もあったらしい。さすがに体をよくにできるベッドがある保健室にて相談しようとしたのだが、それはそれで怖い気がしたようだ。それを聞いて、イーリィ達は心配するような目でエルマを見る。
「でもさ、何で保健室の先生に相談しなかったの? 病院に行くとか、別の選択肢があったんじゃないの?」
「私もそう思ったんだけど、一回保健室で調べたことがあったの。でも、異常はなかったって、先生が……」
「そっか……」
「後は病院で精密検査を受けてみてもいい、って勧められたけど……」
「じゃあ、今度病院で受けるってことでいいんじゃない? そこでアンタのことを明らかにするべきよ」
「うん」
頭の中でモヤモヤとしていたエルマだったが、イーリィ達にそのことを伝えたことで、不思議と気分が軽くなったようだ。だが、彼女は今の自分に起きている異変が只事ではないことに晴れたはずの小さな
同時刻、ニルヴァ―ヌ学園と同じ首都に位置するガルヴァス皇宮は、ある緊張感に包まれていた。
主に皇宮の脇に設置された滑走路に軍服を着た士官らが集まり、それぞれ持ち場についている。中にはディルオスが複数、滑走路の脇を構えていて、周囲を見渡している限り、非常に只事とは思えなかった。
それを執務室のモニターで確認していたルヴィスとケヴィル、また自身の部屋にいたルヴィアーナとノーティスも同様に滑走路を見送る。
滑走路の脇で周囲を監視していたディルオスが上空に位置する何かをその赤い一つ目に捉える。その内部にあるレーダーにも反応として映し出された。
「レーダーに反応! 来ました!」
皇宮の地下から都市を監視する中央管理ブロックにも上空の物体を捉える。そのモニターに姿を表示させるとそこには大型の飛行艇が一機、宙に浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます