カリキュラム

 ある日の追憶――。

 手入れされた芝の上を一人の男の子が走っていく。

「待って~!」

「?」

 その後ろを一人の女の子が先を行く子供を真っ先に追いかける。女の子の声が耳に入ると男の子はそこで立ち止まり、声がした方向に振り向く。

(これは……?)

 二人の様子を傍から見ていた長い髪の少女はこの光景になぜか見覚えを感じていた。

 一方で二人は少女の姿を捉えるどころか、見ようともしない。いや、少女がそこにいるわけではない。少女はこの光景には自分がいないことを分かり切っていた。

 男の子の振り向いた先に女の子が子供に近づくとするが、その途中で何かに躓いてしまい、芝の上に仰向けに倒れる。

「う~、うわあ~~ん!」

「!」

 女の子はすぐに顔を上げるが、顔には数本の芝がついており、倒れた痛みに慣れていないのか、泣き崩れてしまう。

 一方、男の子はその鳴き声を近くで聞き、呆気にとられる中、どうすればいいのかとオロオロしながら自分から女の子に近づく。

(あ……)

 女の子が泣き崩れたことに少女は手を伸ばそうとする。しかし、男の子が近くに来たことで逆に手を引っ込め、その成り行きを見守る。

 二人の距離が縮まると、男の子の方から女の子に抱き付いてきた。

「!」

 その抱擁を少女は小さく驚いた。だが、この光景には暖かな何かがあったのを理解していた。それは、過去に自分が感じていた――温もりだった。

「…………」

 抱擁を受けた女の子は自然と泣き止み、目を閉じて男の子に抱き寄せる。その抱擁の温もりに女の子は喜びの表情を浮かべ、安らぎを全身で感じ取る。

 そして、その追憶は次第に霧のごとく薄れていくと少女はそれに手を伸ばすが、思いは叶わず空を切り、消えていった……。


「!」

 閉じていた瞼が急に上がり、一人の少女はガバッと上体を起こし、耳を隠す長髪が揺らめいた。

 彼女が目覚めた時間は既に朝日が昇っており、特に目覚めるにはそう遅くない。その朝日の光が窓を隠すカーテンの隙間から漏れ出し、隙間の形が部屋の一部に入り込む。

 だが、少女はさっきまで横になっていた大きなベッドから一向に動こうとしない。

また、朝になっているのかも分からない状態であり、少女は寝ぼけているかに思えたが、実はしっかりと目を覚ましている。

「…………」

 さらに少女の額からは焦りを感じさせるような汗が雫として頬を伝う。彼女が見たあの光景がなぜこの時に現れたのか、理解できずにいた。

 だが、秒が進むと少女は段々、あの光景が夢だと自覚し始めるが、夢であっても何も掴めなかった悔しさが彼女の中で込み上げる。その悔しさを表すかのごとく、先程まで少女の上に掛けられていた布団を強く握り締める。

「なんで今頃、の夢を……」

 少女は先程の夢に出てきた男の子を思い出したことを何より辛く感じていた。男の子に対する未練がドロドロに残るような走馬燈のごとく、その思いを馳せていると、恋人を思い出したのか、不思議と少女の目尻に、涙に似た何かが浮かび上がっていた。

「……お兄様」



「…………」

 ニルヴァ―ヌ学園の校舎全体を通る廊下の一つをルーヴェは歩みを進める。その脇に制服を着た学生を見かけるが、彼は見ようともせず前に進み続ける。そんな中でルーヴェは涼しい顔をしているが、実は憂鬱とした気分に見舞われていた。

 学生からの視線が主に彼に向けられており、視線が痛く突き刺さっている。

 特に女子生徒から好意に似た熱のある視線を向けられていて、まるで獲物にロックオンするかのような目があらゆる方向から突き刺さる。あまり目立ちたくないルーヴェにとっては毒を食らったかのような様子であった。

(……何でこうなるんだ? 女子というのはこういうのに弱いと聞くようだが……少しは慣れようとしないのか?)

 転入した時に簡素な挨拶だけを行ったにもかかわらず、この人気ぶりは彼にとっても予想外であった。そのクールな振舞いと銀髪というあり得なくもない組み合わせは、カッコよさを好む少女達にとって憧れ以外の何物でもないのだ。

 何より女子は美形に弱く、それに群がりやすい。それは男でも女でも変わらず、ルーヴェに夢中となる女子達がまるで女王バチに群がる小さなミツバチに見えた。

 ルーヴェから無意識に発するオーラに魅了された女子達が近寄ろうとしないのが救いだが、ルーヴェにとっては気分のいいものではなかった。そのまま廊下を歩いた先にある教室に辿り着いても、先程と同じくらいの女子達の視線が彼を射抜き始めた。

 それでもルーヴェはそれに構わず、自分が座る席に向かっていくとそのまま席に座り込んだ。

 その座る様を見て、女子達のルーヴェに向ける視線はさらに釘付けとなる。そして、彼がこの教室に来てから教室内に広がる空気は一気にルーヴェ一色に染まるのだった。

 そんな中、その空気に染まっていない一団が彼から遠くの席に座り込んでいた。

「いや~、すごい人気だね。彼」

「ホント、ホント。女子達のハートを鷲掴みっていうか、瞬く間に奪っていったっていうか……アレ、反則だよね」

「ハハ、言えてる……」

 カーリャ達がそれぞれ言葉を交わす中、エルマはそれに見向きもせずに顔を下に向けたまま思考を巡らせていた。その正面に回っていたルルは考え込む彼女を割り込むかのように尋ねてきた。

「……どうしたの?」

「いや、何かさ……どっかで見たような感じがするんだよね。何だっけな……」

「え? もしかして、知り合いだったとか?」

「うそうそ、なんかスゴくない?」

 さらにカーリャ達も割り込んでくる。その質問の連打にエルマは圧倒されかけるが、それに構わず、ルーヴェに目を向けた。

「そうなんじゃないけど、あの銀髪は……う~ん」

「ルヴィアーナ・カルディッドに似ていると?」

「そうそう、って、え?」

「「!」」

 ルルのある一言によって、エルマを含めた三人はようやく腑に落ちることができた。

 ただ、それが本当なのかどうかと、カーリャ達もルーヴェに視線を向ける。するとエルマ達は教室の窓際に座るルーヴェがその人物となぜかダブるように見えてきた。その事実に彼女達は納得した。

「確かに、あの人とそっくりだよね……。あの時まで人気を獲得していたことも含めてさ……」

「うんうん。でも、進学を機に止めたってどういうことなんだろ……。それに顔も少し似てなくない?」

「言われてみれば……」

「もしかして、エルマもそう見えた?」

「そうかもしれない。だって、雰囲気がどことなく知っているような感じだし……」

 一つの結論に辿り着いたエルマ達は、そのルヴィアーナという人物との関連に興味を抱き始める。彼女達にとって、その人物はこの学園内でも知らない人物ではなく、むしろ知らないことが失礼にも当たるほどの影響を及ぼし続けた存在であった。

 彼がこの学園に来たことは、まさにその人物の再来なのかとエルマ達は慄き始めるのだった。


 ニルヴァーヌ学園の授業はそんな大層なものではない。

 主に数学をはじめとする理系や歴史をはじめとする文系の必修科目を生徒達に授業として受けさせており、中にはスポーツを題材とした体育など、基本的なものがしっかりとカリキュラムに組み込まれている。

 学園の敷地内でも後者の外にあるグラウンドや、室内で授業を行う体育館など生徒達が適切に体を動かし、ストレスを発散させる道具が完備されている。

 ただ、グラウンドと隣接する場所に、校舎とは別に学園に似つかわしくもない巨大な倉庫がなぜか置かれていた。

 しかもその倉庫がある場所にグラウンドと区切るように大きな壁が設けられており、鉄よりも固い材質でできている。その大きさから何があるのか判別することもできない。

 また、倉庫の中身には学園が授業として受けるものが格納されており、その大きさから普通の授業で扱うものではないことは明らかであった。

 本来の授業ではまず扱われることはないだろうが、今から行われる授業はこの学園、いやこの国にとっては当たり前の光景であった。

 そのグラウンドに制服から体育の時に着替える体操服ではなく、訓練用として専用のアドヴェンドスーツに着替えたルーヴェ達は、格納庫がある牢獄に似た場所に集まっていた。その中にはエルマやイーリィも含まれている。彼女達もそのカリキュラムを受ける身であった。

「これより、シュナイダーの教練を開始する! 分からないことがあったら、各自マニュアルを見返すように!」

「「「はい!」」」

「では、まず一番から三番は即時、操縦訓練にあたれ! 今回は実演を行う!」

「「「はい!」」」

 ルーヴェを含めた一クラス三十人のガルヴァス生徒は、それぞれ所定の位置に移動し始めた。この訓練を行う男子教員は番号が呼ばれた生徒達を格納庫に向かわせ、残りの生徒達を格納庫から遠ざける。そして、自身も格納庫に向かい、その脇にある電子ロックを解除させると中を閉めるシャッターが上がり始めた。

 奇怪な音と共に、シャッターが格納庫の上部まで上がるとその中から顔を持たない巨人の姿があった。その巨人とはもちろん、シュナイダーである。

 ただ、軍が使用するディルオスより全高が小さく、頭部がないどころか、コクピット部分がむき出しであり、ボディも鮮やかではないグレーがペイントされている。何というか、巨人というより完全なロボットに近い外観だ。

 一応、手は五本指という人間と同じ造りになっていて、足の関節部にクレーンなどの建設車両で見かけるシリンダーが埋め込まれているのが確認できる。

 さらにその脇にはそれと同じ形状のシュナイダーがもう二台存在しており、学生が通う場所にしてはどうも大掛かりすぎる。それに加え、成人にも満たない学生が操るにもまだ早い気がした。

 ところが、これは必修カリキュラムの一つであり、これからについても必要なことであったのだ。

 元々、シュナイダーは十年前の大戦で傷ついた街を復興させるために発案された作業用ロボットだった。あえて人間と同じ造りにすることで、機械では再現できない動きを人自身が動かして再現するのが狙いだったのだ。

 特にギャリア大戦やデッドレイウイルスの蔓延によって、人類の総人口が減少、特に建築に関わる人物の減少が痛手となり、国の復興も厳しいものとなっていた。

 そこで一人の科学者が新たな作業用の機械を作り上げることを提案し、開発に着手させたのだ。それが人を模した機械の巨人、シュナイダーである。

 ルーヴェ達が見ているのはその初期型の一つであり、今はお払い箱となっているガラクタこと「グランレイ」だ。初めて開発されただけあって、パワーも上々であり、コクピットの操縦桿を動かすことで自分の手のように動かせるのが特徴。

 また、建設用のアームを取り換えることで鉄骨の運搬などに活用され、それに関するマニュアルや建設車両の手助けもあってか、当時の復興を大いに進められた。

 それからというのも開発は進み、最前線で活躍していた初期型の役目は次世代の機体に移り変わり、残った機体は同じく発展された技術でアップデートされながらも動かすこともなくなっていった。

 ただ、皇帝はこの功績を広く評価させており、軍事兵器としての再開発および閉鎖区への投入も含めて、そのすべてが捨てがたいものであった。

 そこで初期型の機体を、学生達が社会への進出を手助けするためにいくつかの都市部に建設された学園へ譲渡され、授業の一環として活用されていった。

 特に理系を専攻する者にとっては、卒業して軍隊に入る者も少なくなく、朗報でしかなかった。そのため、学園の敷地の一部を学園とは異なる施設として生まれ変わらせ、そこをシュナイダーの教練場として使われるようになったのである。

 今では機械を専攻する者達にとっての、いわば通らざるを得ない狭き門と化していたのだった。

 その三機のグランレイにそれぞれ学生が乗り込み、起動スイッチを入れるとその周辺にある機器に光が灯っていく。それを横目で見届けていた学生に混ざっていたイーリィが何やら呟き始めた。

「しっかし、いつ見ても私達がこれを動かすのは実感が湧かないなぁ……」

「? どういうこと?」

「だってさ、これを動かすことができるのって、大抵は建設業に進んだり、軍に入隊する人だけじゃん? 学校はよくこんな危ないことを勧めるなあって……」

「……まあ、いろいろ大変なんでしょうよ。その人にとっても、国にとっても……」

 このカリキュラムを行う理由がよく分からないイーリィに対し、エルマは双方にしか分からないものを抱えていることに、あまり深く突っ込もうとしなかった。その方が実に賢明な判断だと信じたかったのだ。

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