貴族の思惑

 ヴィハックの襲撃から日が昇る中、レヴィアントは再び多くの人々が行き交い、ザワザワと賑わっていた。

ヴィハックの襲撃はとして処理する形でシェルターに避難していた国民に知れ渡り、国民はそれに納得した。地上で起きていた出来事は隠蔽されることとなったのである。

 避難警報が解除され、朝日が昇った時はまだ閑古鳥が鳴く状況にあったものの、正午まで時間が周った今ではその賑わいは再び周囲に響かせる。店を構える従業員達はすぐに再開させるように準備を進め、都市を照らす太陽が高く昇る頃には、既に準備を終えていた。

 そしてまた、彼らにとっていつも通りの毎日が始まろうとしていた。


「フアァ~ア……」

 大きな欠伸。

 賑わう街中とは裏腹に、溜まった疲労が溢れ出すかのごとく一つの口から漏れ出した。昨晩に起きた避難のせいか、疲れが抜き取れていない様子が露わになる。

 その様子を醸し出すのは、閉鎖区からレヴィアントに戻ってきたルーヴェだった。身に着けている服も黒いアドヴェンドスーツから街中で見かける私服に変わっている。

 そのルーヴェは街中から外れた公園の中心にある噴水の近くに設置されたベンチに腰掛けながらグッタリとしていて、今にも眠りにつきそうだった。

 その疲れの元は主にヴィハックの戦闘によるものだろう。それに加え、あまり休眠もできておらず、目尻から涙が出ていた。その眠気を覚まそうと頭を左右に振る。

(眠……。ここに来たのがまずかったか……?)

 まだ眠気が取れていないのか、瞼が重いルーヴェはボォーとしている。年齢だけでもまだ十代。まだまだ成長期にあり、少年に近い彼の体は大人に追い付けていないのがよく分かる。ましてや昨晩から一睡もしていないのだ。自身の選択ミスだと、ルーヴェは今更後悔し始める。

「ちょっくら、散歩に出てくるとするか……。このままじゃ、爆睡してしまう……」

 ルーヴェは未だに重く感じる体を動かしつつベンチから立つ。さらに背伸びした後、ベンチから離れ、コキコキと首を傾けて骨を鳴らすとそのまま子供達が所狭しに動き回る公園を後にするのだった。



 一方、ニルヴァ―ヌ学園の地下にあるシェルターに避難していた学生達も、市民らと同じようにいつも通りの日常を迎えていた。

 あれから朝日が立ち、都市部に広まっていた避難勧告が解除されると生徒達は総出で地上に戻り、学生寮にあるそれぞれの部屋へと向かっていった。

 混乱は収まったものの、本日の授業は休止することとなり、生徒達は自分の部屋で体を休めることにしたのである。避難の間、寝る間もなかったのが主な理由である。

 そして、正午を過ぎ、少しの間だけ体を休めることができた彼らは、学園の広い敷地内の一画に集団で戯れ始め、頭の中に留めていた昨日の出来事を煙のごとく消していくように、まるで休日のような時間を満喫するのだった。

「はあ~、疲れた……」

「昨日の今日だから、今回だけダラけるのを許すわ。ま、こっちもだけど……」

 その休日を満喫しようと、学園の敷地内にある芝生の上に置かれた円形のテーブルにエルマ、イーリィ、カーリャ、ルルの四人が、四方を囲むように椅子に座っている。エルマ達が正しい姿勢で座る中、カーリャだけ両手を力が抜けた状態でぶら下げていた。

「今日が休みになって、ラッキーと言うべきか、それとも不運と言うべきか……」

「ハハ……。イーリィ、真面目なんだから素直に受け止めようよ」

「けどさ……」

「そういうところ。二人も休めるだけ休もうよ」

「うん……」

「…………」

 調子の回らないイーリィに、その隣に座るカーリャが宥めてくる。緊張の糸がまっすぐに立たないことが彼女の調子を狂わしているようで、カーリャからは真面目だと認識されており、カーリャから見れば今のイーリィはまるで空気が抜けて、皴が目立つしぼんだ風船のようだった。

 カーリャが話を振ってくる中、左隣にいるルルは答えるが、その正面に向いているエルマは俯いたままなぜか言葉を発さなかった。それを見て、訝しんだルルがエルマに声をかけてくる。

「……もしかして、昨晩のこと気にしてる?」

「!」

「そうそう……何なのアレ? 何だか綺麗なコンタクトみたいだったけど……」

「あれってコンタクトだっけ? っていうか、エルマってコンタクト使ってたの?」

「そんなんじゃないよ……。ただ、何かが来るって気配がしてきて……それで……」

「「「…………」」」

 ルルを皮切りに、イーリィとカーリャも何やら膨らんだ話を持ってくるが、エルマは即座に否定する。だが、気にかかることがあるためか、言葉が何だかたどたどしい。機構としていた三人も言葉を失う。

「実はと言うと、あんな感じになったのはこれが初めてじゃないの……。初めは気のせいなんじゃないかって思ってたけど……」

「「「!」」」

「なんていうか、数年前からかな。主に閉鎖区の向こうからとんでもないものがやってくるっていうか……」

「とんでもないもの?」

「もしかして、今回の出来事と……」

「関係あるんじゃないかな? これまでのことだって、私達がまるで何かから逃げるような感じだったみたいだし……」

 これまで起きた避難でも首都に何かが襲い掛かってくるイメージがエルマの中にあったようだ。今回もそのイメージがあったらしく、何かが彼女の頭の中で引っ掛かっていたのである。その疑りは確信へと近づいていく。

「確かに、あなたに何かが起きたことは間違いないけど、もしかしたら体の中にあるんじゃない? 私からはそうとしか言いようがないけど……」

「やっぱり……」

 イーリィの言葉にエルマは納得がいった。昨晩に目が青く変色したことだろう。

 そもそも急に眼が変色するなど、普通にあり得ない。何らかの要因があるとすれば、彼女の中にあるものが有力ではある。そのあるものと閉鎖区の向こう側にある何かが密接的な関係があると見れば辻褄があってくる。

「今度の休みに、検査に行ったらどう? そんなに怪しいんだったら」

「そうしてみる。また似たようなことが起こると、何だか怖くって……」

「休みの日に私達もついてくるから、心配しないで」

「ありがと……」

 自身の異変を友人達に話して、肩の荷が下りたエルマはすぐさま病院での予約を入れるのであった。だがそれは、彼女の運命を大きく変えるものと遭遇するきっかけになるのを彼女自身は知る由もなかった。



 帝国のシンボルとして扱われるガルヴァス皇宮の中は、金や銀など豪華な装飾で彩られており、一般人にはまず立ち入ることが許されない、別空間を作り出しているのが分かる。

 また、外側に取り付けられたガラスを通して空から光が差し込まれており、赤い絨毯が敷かれた通路にその形がくっきりと浮かび上がっていた。

「…………」

 その壁際に、軍服を着たガルディーニが背中を預けるように立っていて、その場から動こうとしない。その通路を一人で歩くメリアが彼に気が付くと、その近くに足を運んできた。

「どうしたんですか、ガルディーニ卿? 何だか浮かない顔をしているようですが……」

「! ……メリアか。どうも気になることがあってな……」

「やはり、あの……」

「ああ」

 ガルディーニの頭には、昨晩の戦場に介入してきた黒いシュナイダー、アルティメスのことでいっぱいであった。それをメリアに突かれても動じず、ただ返事するしかなかった。

 無理もない。たった一機でヴィハックと呼ばれる化け物を圧倒するなど、普通ではないからだ。それを見せられて、動揺するのも分からなくもないし、意識せずにはいられない。

「それについて、一つ気になることがあったんです」

「何だ?」

「あのシュナイダーは、こことは別の場所で先に確認されたものらしいと……。何でも、ルヴィス殿下が掴んだものですが……なぜ我々に伝えてくれなかったんでしょうか?」

「……我々に心配を掛けたくなかったんだろう。あまり不確実な情報を与えて、余計な負担を掛けさせるわけにはいかないからな。ただ、一つだけ言えることは、我々がヴィハックを圧倒する〝力〟を目にしたということだ……」

「……ならば、アレはどこから来たのでしょうか? 単独飛行を行えるなど、少なくとも我が国を……」

「言うな! 殿下にとってはよろしくない言葉だ。慎め」

「……申し訳ありません」

 メリアの本音を遮ったガルディーニだったが、本音が本音だけにあまり口にさせたくなかったようだ。軍事力に置いて他国を凌駕する帝国にとって、何よりプライドがそれを許さないからだ。ルヴィスがいかに冷静だったとしても、素直に受け入れるはずがないことを彼は熟知していた。

「その情報はどこから来た?」

「ケヴィル侯爵があのシュナイダーの情報をかき集めていると噂があって、それで……」

「……なら、我々も独自に動くとするか。できれば、あれを動かすアドヴェンダーの正体も掴んでおきたい。お前の所にもその情報をかき集めるように伝えろ」

「分かりました。すぐに探らせます」

 ガルディーニは調査の対象であるシュナイダーを含めて、その力を十分に発揮させるアドヴェンダーを視野に入れる。シュナイダーの性能を引き出すには、やはりアドヴェンダーの実力に左右されるため、それを一ミリたりとも見逃すわけにはいかないからだ。

 普通ではない相手を探るには彼ら二人の、自らの地位を十分に活用する他ならなかった。まさに身分の高さを持つ者ならではだ。

 ガルディーニの思案を耳に入れたメリアが、その場から離れて姿が見えなくなるとガルディーニも寄りかかっていた背中を壁から離れ、後ろを向いて彼女とは逆の方向に歩き出した。

(殿下が裏で何をしているのか、我々の知るどころではないが、不測の事態が起きている今、殿下にばかり、いいカッコにさせるわけにはいかん……)

 本来、ガルディーニは正攻法で行こうと考えていたのだが、おそらく追い払われることを想定して、あえて言葉を飲み込んだ。先に情報を掴んでいたことから、おそらく別の理由で誤魔化す気だろう。特に身分の違いを生かして、それを阻むこともその一つだと分かり切っていたのだ。

 貴族が国を治める皇族に従うことは当然ではある。ただ、自分達の言葉を聞き入れさせることも少なからずあるが、大抵は突っ撥ねられることもあり、不満を抱くことも少なくはなかった。

これだけでも、帝国は実は一枚岩ではないことがよく分かる。その奥底に眠る様々な思惑がこの城を中心に入り乱れていたのだ。

 実際、皇族内でも化かしあいが今でも続いている。その中に貴族から入れ知恵を取り入れる者も少なくない。いかに強力な国家であろうと、必ず歪みという綻びが目の見えないところにあるのだ。

(この世は弱肉強食……弱い者が消えるのは当然だ。しかし……!)

 たとえ身分が皇族より低くとも貴族としてのプライドがある彼は、皇族の言うことを聞いて動くだけの人形でいることや黙っていることなど論外であった。それなら、自分達だけで探った方が得策である。もっとも、他の貴族に気取られることも恐れてだが。

 しかし、彼には覚悟があった。それは貴族としてのプライドというよりも、軍人としての責務が優先された強い覚悟だ。その意志がガルディーニの表情に表れていた。

「もうあんなは、たくさんだからな……!」

 その悲劇とは、彼を含めたガルヴァス人、いやこの世界に生きるすべての人々が経験した――地獄であった。

 その地獄を肌で感じ取っていた彼は、これ以上の辛さを感じるのを嫌い、貴族でありながら軍属という立場を手に入れ、軍人として戦場に立つことを選んだ。

 貴族の身分を持つ彼なら強さを証明することを目的としているように思えるが、彼らに襲い掛かるの脅威は、まるで自分達が弱者であることを嫌という程、突きつけていた。

 その一つであるヴィハックは兵器を持ち込まない限り、勝つことができるはずがない。ただただ、どちらかが滅ぶまで続くのは間違いないだろう。

 そしてもう一つは、強さ関係なしに人の命を無差別に奪う見えない悪魔である。もっとも、それは人でも動物でもなく、文字通り目に見えず、人を殺し続けるのだ。その恐ろしさに人々は今でも恐怖を感じており、生きるのにも必死となっていた。

 戦争とは異なり、身分も関係なく不平等な死を与える時代を生きてきたガルディーニの表情からは、甘やかされて育ってきた坊ちゃんという子供らしさや野心は微塵も存在していなかった。その頭にあるのは国を守るという揺らぐことのない決意が彼を支えていたのだった。



 夕暮れに晒される街中にいたルーヴェは、大型デパートの出入り口付近に、ある注意喚起を促す貼り紙を見つめていた。

「…………」

 その張り紙には〝予防接種〟といった注射器から透明な液体が飛び出るという、軽い演出が一枚の絵として描かれていた。それを見て、ルーヴェは目を細め、ある思いに耽っていた。

(……あれから十年か。だけど、俺にとっては……)

 ルーヴェは改めて十年という時代の変化を感じ取っていた。ただ、彼はその十年のほんの少しだけ理解できていなかった。

そう、彼は最初の五年だけ、彼はその時代をのだから……。

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