タイタンウォール

「失礼いたしました」

 ケヴィルはルヴィスがいる執務室から出るとそのまま扉を閉めた。先程の件についてだが、不確定だからかまだ内密にするようにと釘を刺されたからか、「ハァ」とため息をつく。

 主であるルヴィス――ガルヴァス皇族との長い付き合いである彼にとって、ルヴィスの世話は特に悩みの種であり、心労を重ね続けていた。

 人の上に立つ立場を生まれた時から持っている彼らには、少なくとも公爵という高い地位を持つケヴィルでも彼らに逆らうことはできない。せいぜい、良い方向に導こうと支えることだけだ。

 だが、これも責務だと理解しつつ改めて姿勢を正し、呼吸を整えたケヴィルはそこから右に続く空間へと向かっていった。

「!」

 だが、ケヴィルはその逆方向から何やら視線を感じ取り、そのまま振り向く。しかし、そこには何もなく杞憂に終わると再び前に歩き出す。

「気のせいか……。どうもこの頃、気配を感じるのだが、これも歳のせいか……さて、を進めなければな……」

 ケヴィルはそのまま背中が小さくなるように奥へと進んでいった。

 彼が感じた視線は神経質なものだと自身で解釈していたが、実はそうでなかった。ケヴィルが進んだ方向とは逆方向に、確かに視線はあった。今はその視線はないが、曲がり角があるその場には二人とは明らかに異なる一人の人間がその角の近くに隠れるように立ち、その影の中で口元が三日月の形で怪しく微笑んでいた。



 国の中心たるガルヴァス皇宮よりはるか遠くに位置する、とある場所に奇妙な何かが立ち尽くしていた。

 そこら中にある建物よりも高く灰色に彩られたそれが、なぜかその先を塞いでおり、しかも左右に大きく広がっていて、遠くを見ても壁一面しか目に付かず、まるで国そのものが両断されているかのように先が見えないのだ。

 また、空から降ってくる光を遮り、そこから伸びる黒い影が真下にある建物を黒く塗り潰す。しかもそれが何キロも続いており、光そのものを奪っていた。

 まるであらゆるものの前に立ちはだかる壁である。いや、壁というより本当の要塞のようなものにも見え、その下にある扉のようなものがあることから、城と外部の間に挟む城門に近かった。

 内側に位置するレディアントと、その外側にある大地を隔てる巨大な〝壁〟――【タイタンウォール】。

 本来なら、向こう先に広がる大地もまた、この国の領土であり、この壁を建造するどころか、その先を阻むこと必要などない。

 そのはずなのに、なぜこのような処置を取るのかというと、かつてこの国がを迎えて手段を講じた結果であり、長年経った今もそれに備えるための〝防衛策〟でもあったのだ。

 その防衛策の役目を持つタイタンウォールの近くに、先程まで建物の間にある脇道を通っていたはずのルーヴェがそれを見渡すかのように立ち尽くしていた。

「…………」

 遠くから巨大な壁一面が一様に見える場所でルーヴェはまっすぐにその壁を見つめる。天まで届きそうな壁の存在に、誰もが圧倒される。だが、彼は怖いものから逃げるどころか臆せず目を逸らそうとしない。

 誰もがその先を見ようと足を踏み入れようと試みる者もいるだろう。ところが、当然のごとくその前で立ちはだかるものが存在していた。

 彼の行く先に厳重なまでの検問が敷かれており、曲がり角がある区画に人の身長より高い柵が直線を閉ざしてた。付け加えるように、その警備を任せられているガルヴァス帝国の兵士が数人、銃やマシンガンなどを武装した状態で周辺に目を光らせていた。

 さらには余程のことなのか、タイタンウォールの近くに人間よりもはるかに大きなが二体も、門番のごとく壁を背に立っていた。

 ガルヴァス帝国が独自に開発された人型機動兵器、《シュナイダー》。現在の帝国を支える〝騎士〟であり、名は《ディルオス》と呼ばれる。

 その証拠にディルオスの左肩には鷹が翼を広げ、飛び立とうする姿――ガルヴァス帝国の紋章が二機ともに刻まれている。それはシュナイダーが帝国の理念を、他を圧倒する力を有した〝象徴〟でもあった。

 全高だけでも軽く十五メートルもあり、この場にいる兵士ですら、小さなアリに見えなくもない。また、装甲全体が中世の騎士が身に着ける甲冑に似せられており、鎧自体がそのまま大きくなった外観と言ってもいい。

 ただ、装甲の隙間からは人体とは異なる機械で出来た関節部が露出しており、それだけでも人類が生み出した技術の産物だということを示している。

 また、それを象徴するがごとく、シュナイダーの手には兵士たちが手に持つマシンガンがそのまま大きくなったものを携えており、いかなる時でも何かを警戒しながら周辺を見張っている。

 この騎士たちがここにいるということは、壁の向こう側がそれだけヤバい状況にあることにも取れる。それだけ、フタをせずにはいられないということだろう。

 過去のある出来事からか、この国の人々にそれを見させないように塞いでいるようにと街中で噂されている。いかにも裏がありそうな理由に聞こえるが、おそらく前者だろう。

 もっとも、裏があるのは確実であり、その詳細は一部の者にしか知る由がなく、それ程までに隠したいものがこの壁の向こう側にあるのだ。

 ただ、強大なる力を有する騎士たちがそこにいるだけでも圧倒的な存在感を感じさせる。だが、この国の安心が保証されているようには思えず、逆に不安を過らせていた。

「まったく見事に立ち塞いでいるな……。もしが襲い掛かってきたとしても、当分攻め込まれる心配はないか」

 どの方向からの侵入を許さない厳重な警備にルーヴェは関心を寄せる。しかし、彼の表情は厳しいままであり、何か別のことを考えているような様子である。

 その彼が言う〝奴ら〟とは、ガルヴァス帝国以外にも存在する諸外国のことを差しているのか、それとも……。

(確か、が最も多いはず……。今は心配がなくとも、いつまで続けられるか……問題はそれだな)

 彼はこの防衛体制に不安を過らせる。素人目でも不安など全く感じさせないが、《《あの時》》から〝十年〟も経っている今、それに対する策ができていてもおかしくないと考える。十年という時間は、それだけでも充分すぎるのだ。

 ルーヴェはそれを危ぶみながらも踵を返し、このまま街中の方へ戻ろうとしたその時、

「!」

 彼は何かに感づき、思わず足を止めたまま後ろに見えるタイタンウォールへ再び目にするが、壁一面には何も変化が起きていなかった。傍から見れば杞憂に見えるだろう。

 しかし、彼が感じていたのはそのである。

「…………」

 ルーヴェの鋭い視線がまっすぐに壁の向こう側へと突き刺さる。しかし、変化が起きていないことを知るとすぐに背中を向け、彼は再び街中へと歩んで行った。

(気のせいでないといいんだが……)

 だが、ルーヴェの頭の中にある、一つの懸念が未だに残っており、表情には険しさが宿っていた。その懸念は彼にとって、何度も体験したものであり、起きるのではないかと不安が沸々と湧き上がっていた。

 彼はそのままこの場を離れ、建物の上から見える、この中心部に建てられた帝国のシンボルである巨大な城を一瞬だけ視線を向けると、そのままこの場を去っていった。


 大地を隔てるタイタンウォールの外側。

 そこに広がる世界には一体何があるのかと誰もが想像したくもなるだろう。もちろん、その向こう側もまた、この国の領土であることは周知の事実だ。

 そもそも、このタイタンウォールがレディアントのにピッタリと建てられていることから、あえて境界線を作り、向こう側の領土全体をしているようにも見え、まるで壁の外側にある何かから目を背けているようにも見えた。

 何かを締め出すようにその先を塞ぎ続けるタイタンウォールの先には、この国で生きているガルヴァス人にとっても、信じられない現実がそこにあった。

 その理由は、過去に勃発した戦争によって世界は一度のである。

 国は長い時間をかけた復興で再び動き始めていたのだが、過去に受けた傷は治りそうになかった。数年経っていても決して消えることのない〝痛み〟だけが残ったのである。

 その原因には過去に起きた〝出来事〟が大きく絡んでいて、まさに悲劇という言葉が当てはまる。

 その悲劇とは、この世界の歴史に深く刻まれた――――


 ――〝地獄〟だ。


 その余波は未だに消えず、現在も国を、そこに住まう人々を苦しめ続ける。もっとも、その苦しみは少しずつ消えようとしているものの、油断できないのが現状だ。

 また、壁が未だに健在なのもが去っていない証明でもあり、国を両断するこの壁は、実はその脅威から守るためでもある。

 しかし、その意味が国中に伝わっているのはその半分だけであり、もう半分は人々に受け入れられるものではなかったからだ。

 壁が要塞のような高さがあるのも、その受け入れられない理由の一つであると同時に、その先にある〝世界〟は、同じ世界のものだと疑わずにはいられない、くすんだ光景が所中に広がっているのだからだ――。



 放課後、空が緋色に染まる中でエルマは本日の授業がすべて終わった後、自身が暮らしている学生寮に向かい、自分の部屋に振り分けられたドアを開けると、彼女のルームメイトである一人の少女であるカーリャが本を読んでいた。

「今日もお疲れ~」

 カーリャが仕事を終えたサラリーマンを労うような言葉をかける中、エルマはバッグをベッドの横に置き、ベッドに腰をかける。すると彼女の口が開いた。

「疲れたってわけじゃないけど、なんかもう慣れてしまった感じがするよ……」

「慣れる?」

「ほら、もうあれから十年も経つじゃない? ニュースでも〝感染者〟に関わるものが何回も放送されているけど、今となってはもう……」

「あ~、確かに……」

 今朝、自分達が話していた〝感染者〟に関することだろう。それにはカーリャも納得する。

 そもそも〝感染者〟という響きが、昔は彼女達にとっても嫌悪する対象であったが、今では普段からある〝よくあること〟として認知されるようになっていった。

 その〝よくあること〟をテレビのニュースで何度も聞き続けてきたからか、エルマはそれに慣れてしまったこと自分に嫌悪を抱くようになっていた。同じく聞き入れていたカーリャもそれに同意する。

「で、でも、もう、世界中でワクチンが作り出せているわけだし、それに人口も増えつつあるじゃない。もう少し時が経てば、きっと元通りになるよ!」

 彼女達の感情に同調し、悲壮感に包まれていた周囲の空気を吹き飛ばすようにカーリャが声をかける。彼女なりに元気づけようとしているのだ。

「もう少し……? 本当にそうなのかな?」

「え?」

「確かにあれから十年も経って、ことも少なくなってきたけれど、それ以上に問題なのは各国との関係じゃないかな……」

「…………!!」

 エルマの物言いにカーリャも思わず眉を顰め、その理由を聞くと愕然とする。

「ほら、元々から始まって、あのが起きてしまったから、未だに混乱は収まってもないし……」

「そうね……」

「…………」

 エルマが口を噤むと周囲に長い沈黙が訪れた。その理由は過去に起きたとされる、が関係していた。

 その戦争とは、世界中の大規模で起こった争いであり、それによって世界中の人口が減少したのである。ところが、その人口の減少を加速させたのは、戦争ではなく、彼女が言うがそれ以上の傷跡を与えたのである。

 その傷跡は思った以上に酷く、人口が思った以上に少なくなったことで、もしも戦争が起きる以前まで戻れたとしても、きっと国同士による諍いはすぐに再開するであろうとエルマは戦慄せずにはいられなかった。

 そして、未だに解決できてもいない、あるについても、だ。

 見えない恐怖に駆られて、また暗そうな表情をするエルマに、その様子を見ていたカーリャが励まそうとする。

「ほら、そんな暗い顔しないで! 今考えても、ただ時間しか流れないって!」

「!……まあ、それもそうかもね。それに私達にできることって限られているわけだし……」

「な、何言っているのよ! エルマは私達よりできることあるじゃない! あなたが本気を出せば、さ……!」

「ありがと……」

 パンパンと手を叩きながら元気づけようとするカーリャを見て、エルマはテンションが少し上がったものの、やはり苦笑いを返した。

 しかし、カーリャの言う通り、エルマには稀に見る特技があり、人類に貢献できるものだ。

 もしかしたら今の時代を変えてしまうかもしれない才能であり、彼女もそれを生かすべく今日も勉学に励んでいる。

 ただ、その力を発揮することに関して、エルマはどこかぎこちなかった。

「…………」

 エルマは部屋から外を一望できる窓から外の光景を見つめる。

 夕焼けに彩られたその街並みはオレンジ一色にまとめられており、一種の美しさを表現させている。しかし、それとは裏腹に彼女の心は一向に晴れなかった。

 ――キイーーン!

「!?」

 一瞬、何かが頭の中を駆け巡り、二つの瞳が水色に変化したエルマは驚くように後退った。その衝撃の余韻が残っているのか、そのまま動こうとしない。

「? エルマ、どうしたの?」

「……な、何でもない……」

「……変なの」

 何かの気配を察知したカーリャは後ろに振り向き、驚いたまま動きを止めるエルマに話しかけるが、彼女の少し歯切れの悪い口調を聞いて首をかしげ、興味を無くしてそのまま頭を元の位置に戻す。

(……何だったの? 今のは……)

 ようやく我に返ったエルマは先程の感覚について疑問を浮かべる。額からは小さな一滴の汗が顔を伝う。よほど気を張り詰められた様子であった。

 しかもその感覚が外からやって来た。遠くから吹き抜ける風がまっすぐこちらに向かうような衝撃がそのまま彼女に襲い掛かってきたのだ。

 余程の危機が訪れるサインなのか、エルマの表情が曇っていく。底知れない不安が押し寄せ、彼女を少しずつ着実に蝕んでいった。

それはの一日がこれから始まるのを予感させるーー


――であった。



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