ガルヴァス帝国

 留まることを知らない青空を、数え切れないほどの数の白い雲がふわりと浮かんでおり、広く長く覆い尽くす勢いのまま流れていく。

 その雲よりも高く舞い上がる太陽は強い光を放ち、広大な大地の上に立つ人間を含めたすべての生物を嘲笑うかのように見下ろし、翼を広げて羽ばたく鳥たちも太陽と同じく大地を見下ろしていた。

 鳥たちの目に映るのは、その広大な大地がどこまでも続く大国【ガルヴァス帝国】。そして、その中心にそびえ立つ、巨大要塞にも見える王城【ガルヴァス皇宮】を囲むように建設された帝都【レディアント】だ。

 皇宮を中心に太陽の光を隠すことなく浴び続けるその街並みには、高層ビルなど大きな建築物が多く並び立っており、その外観は長年の時を経た影響からか、近未来的な技術を取り入れた構造が建物の所々に見られる。

 ガルヴァス帝国は高い経済力と技術力を保有し、中でも高い軍事力を持つが故に周辺の国々から恐れられた世界有数の大国だ。また、大陸の三分の一を有し、現在でもその影響力は高い。

 その証拠に建物の一つ一つ、かなりの高度な技術が使われており、高度な発展が促されていることがわかる。さらには優れた科学者も輩出されており、過去に得た功績も他国に比べるまでもなく凄まじいレベルにある。

 それを駆使した軍事国家という体裁を治めるガルヴァス皇帝、ならびにその血を引くガルヴァス皇族が武力を主張とする現在の国家を作り上げていた。

 ただ、街中は多くの人々で賑わい、コンクリートなどで舗装された大地の上で行き交うその姿は和やかな雰囲気を醸し出す。ガヤガヤと騒ぐ音が街中に響くものの、特に嫌悪されるものでなく受け入れられている。

 軍事国家という割には、少し拍子抜けのような気もするが、本来、国というのは殺伐とした空気など不必要なものである。

 さらに街中から大きく離れた郊外には、広い敷地を持つ【ニルヴァーヌ学園】が建てられている。

 規模は決して小さいものではないが、周辺に植えられた多くの木々や芝生、綺麗な水が所々に流れる水道など、自然を感じさせるような雰囲気が醸し出されている。

 また、敷地内にこの学園と同じ紋章が加えられた服を着た少年少女たちが所々で歩みを進めていた。もちろん彼らは、この学園に通う学生たちであり、表情も喜びでいっぱいだった。


 ニルヴァーヌ学園の本校舎。

 右側に窓ガラス、左側に教室を隔てる幅広い壁と扉が交互に続く廊下の中を、この学園の制服を着る一人の少女が壁側に背中を預ける学生たちを横切りながら歩いていた。

 ストレートな印象を持つ茶色の長い髪に、トレードマークとして前髪にカチューシャを付けた少女、エルマ・ラフィールはしばらく歩き、目的地である扉の前に立つ。

 そのまま横に開けると、横長の幅広い机と左右の角と中心に備え付けられた椅子がセットとなって階段状に連なった教室が広がっており、学生たちもその中にいた。

「おはよう」

「「「おはよう」」」

 条件反射のようなエルマの挨拶に、一塊ひとかたまりとなって集まっていた三人の女子学生がそれに応じる。すると、その中の一人が座っていた椅子から立ち上がり、机から一旦離れるとそこにエルマが立ち寄ってきた。

「ちょっと、勝手に座らないでよ! そこ私の席だから!」

「ゴメン、ゴメン」

 扉の内側にある教室に入ってきたエルマは三人が囲んでいる横長の机の一部の後ろにある椅子に座りこむ。ついさっきまで彼女の席に座っていたカーリャ・マルクが彼女に悪いことをしてしまったと思ったのか、両手を合わせつつ笑顔で謝る。

「…………」

 一方でイーリィ・パルシアは「ハハハ」と苦笑いし、ルル・ヴィーダは目の前にある光景を見ても、口を動かそうともせず、表情も変わることもなかった。

 いつものような談笑をしている彼女たちも皆、この学園に通う生徒であり、同時に、エルマの友人でもある。

 この光景だけでも彼女たちの仲は良く、学園に通う学生たちにとってもよくある日常の一部であることがよくわかる。街中にいる人々の姿も含めて、この和やかな雰囲気がいつまでも続くのだと思えてもおかしくないだろう。

 ……だが、そう見えるだけであり、少女達を含めたすべての人間が快活に生きる時代は今、快活とは真逆の立ち位置にあった。

 そう、このガルヴァス帝国は今、危機的な状況に陥っていたのである。

「そういえばさ……昨日、ニュースでまた〝感染者〟が現れたって……」

「本当なの……!?」

「あ、それ私も見た。すぐに〝ワクチン〟を打ち込んだおかげで、一命は取り留めたって……」

「そっか……」

 カーリャが話を切り出すとエルマ達は揃って驚きを見せる。その様子から深刻な事態であることは容易に想像でき、表情を曇らせた。〝感染者〟という彼女達にとって聞き慣れたキーワードがさらに不安感を駆らせている。

「ふぇえ~。いったい、いつまで続くの~?」

 ルルはエルマの腕をどかして、ぐでーと体ごと机にだらけた。何度・・も聞かれる内容だったので聞き飽きたのだろう。そうだらける彼女に、エルマは手で追い払おうとする。

「……あれから、もう何年だっけ……?」

「確か、ええと……」

「十年……じゃないかな? もうすぐ」

「そっか、もうそんなに経つのか……」

 過去に起きたと思われる出来事から十年という歳月が経っていることに、一同は深く納得する。しかし、誰も表情は暗いままであり、背中に流れる冷たい感覚から抜け出せてはいなかった。

 だが、彼女たちを取り巻く冷ややかな空気を一瞬で振り払うチャイムが学園全体に鳴り響く。それに気づいた生徒たちはそれぞれ自分の教室、そして自分が座る席に急いで向かい始める。カーリャたちもすぐさまドアを通り、自分たちの教室へと移動する。

 その後、学生たちとすれ違うように教室のドアから教師と思われる男性が現れ、教卓につくと机についた学生たちは先程までの空気を忘れて、自分たちの日常の一部であるこの学園の授業を始めようとする。これが彼らの日常であった。

「…………」

 その授業が行われている中、ふとエルマはちらりと窓に映る外の風景に目をやる。

 その目の先、学園の外には複数の建物が多く並び、街を作り出している。特に争いの跡すら見当たらない。ところが、彼女を含めたこの国の人間が嫌でも記憶に残るものが、この国に存在していた。

 もっとも、この学園、いや帝都よりも遠くに離れた場所にあり、エルマがいる教室から見えることはないのだが、やはり気にせずにはいられなかった。

 なぜなら、今の風景からは想像できないが、かつてこの国に大きな争いが起こっていた。あれから時が経ち、早急に進んだ復興によって、その傷跡は完全に塞がっている。

 ……のだが、ただ一つ、その傷が未だにものが蓋のごとく閉められていた。

 もっとも、帝国の中心部に位置する街中の様子を見ても、そんな風には見えない。

 周囲を見渡しても、この世界に生きる人間たちは今も不自由なく生きているように見えていて、表情もそんなに強張る様子も見られず、平穏を満喫しているのが分かる。

 だが、実は街中にに対する注意を呼び掛ける貼り紙が所々に貼られており、街中を歩く一般人がそれに気付くと、すぐに目を背けて再び歩みを続ける。その張り紙に描かれている、とある危険が人々の心に小さく突き刺していただ。

 その危険がすぐに迫っているがごとく、街中にいる人々に警告をもたらし、危機感を募らせていた。そして、その警告を表すものは目に見えない形で、かつそれを防ぐ手段が目に見える形でこの国に表れていたのである。

 それこそ、この国、いやこの世界全体にとって、深刻な問題であったーー。



 一方、皇宮の近くに位置する街中に、一人の少年が建物の側面の大きな壁に背中を預けて立っていた。

 頭に被っている帽子で顔を隠していて、一目だけでは誰なのかも見当がつかない。加えて、こんな脇道に立っていることで広い道路の中を歩く一般人も素通りしており、誰からも目に映ることもなく、活動にも支障はなかった。

「!」

 そんな中、少年はジャケットに付いてあるポケットが暴れるように振動していることに気付くとすぐにポケットから振動の正体であるスマホを取り出す。

 少年は振動を続けるスマホの液晶画面を見て、そのまま周囲に響かないように耳に寄せて話しかける。

「……何だ?」

『ちょっと、何だ? はないでしょ、何だ、は。今どこにいるの?』

「……【レディアント】だ」

『じゃあ、着いたのね。に』

 今掛けている電話の相手は、彼にとって関わりのある人物であり、彼を恩人である。ところが、少年の表情には少し翳りが見えた。

「ところで《アルティメス》は?」

「すぐ近くのところに隠した。監視カメラでも見つからないようにしている」

「そう。なら、は進めておいて」

「…………」

『どうしたの?』

 少年が恩人との会話を合わせる中、彼は心に留めていたことを口に出した。

「……本当にいいのか。〝〟には何も伝えないで……」

『……今さら背に腹は変えられないし、おこがましいことだと私自身が理解しているわ』

「前にも言ったが、自分で会いに行けばいいのに……」

「だからこそ、君に頼んだのよ。もしものことがあったら、〝アレ〟を渡してあげて。あの子なら、理解してくれるはずよ。やってくれるわね? ルーヴェ・アッシュ」

「……わかった」

 恩人の言葉に押し切られた少年はため息を吐きながら了承すると、すぐさま通話を切り、スマホを再びポケットにしまう。

 表情からもさっきより不機嫌であることが窺える。彼にとってもやはり、この任務を意地でも全うしたくないのが言外に伝わってきた。

(何年も会おうともしなかったから、今さら会いに行こうとするなんて、確かに躊躇するが……)

「……やれやれ」

 疲れを見せるような一言と共に、再びため息をついた少年はその場を離れ、脇道から未だに街中で行き交う人々に混ざるように街中を歩いていく。

 その中で少年は一度帽子を取り、隠していた銀色の髪を整える。そしてまた帽子を被り、顔を見えないようにした。

 ルーヴェ・アッシュ。

 それがであった。



 帝都レディアントの中心部、ガルヴァス皇宮。

 国のシンボルである国旗や複数の塔にも似た柱が四方に掲げる建物であるが、要塞と言わんばかりの大きさが目立ち、いかにも軍事国家であることを前面に主張させている。

 ただ、その内部は外側の造りとは異なり、中世の建物に似せた空間になっていて、高貴なる出で立ちを押し出している。建物の上部に塔が立てられていることから、一応は城という面目を立てていた。

 その内部に設けられた部屋の一つに、薄い青色の洋服を着た金髪の青年と壮年の男が向かい合っていた。

「……で? どのくらい進んでいる、ケヴィル?」

「予定より十五パーセントも進んでおらず、未だに突破口が……」

「バカモノォ!! そんなくだらないものを聞きたいわけではないことが、何度言ったら分かる!!」

「申し訳ありません!! こちらが不甲斐ないばかりに……」

 人一人が使うにはあまりにも広い机の後ろにある椅子に座る金髪の青年は、対面しているケヴィル・モゼスの報告を聞いて、不快に思ったからかガタンと椅子から立ち、手をグーに握りしめたまま机に叩いて檄を飛ばす。

 その行為に、彼を不快にさせてしまったことにケヴィルは申し訳なさそうに顔をしかめた。彼自身が主として仕えるガルヴァス帝国第二皇子、ルヴィス・ラウディ・ガルヴァスなら尚更である。

「フン……! しかし、これ以上失態を重ねれば、兄上や姉上に申し訳が立たん。……ところで、例の件は?」

「ハッ……! こ、こちらにございます」

 ケヴィルは左手に抱えていた携帯式のタブレットの液晶画面を右指で操作し、右手を差し出して画面に映し出した画像を、ルヴィスに見せる。すると、

「!」

 彼の表情が驚愕一色へと大きく変化した。

「わずかながらですが、間違いないかと……」

「……これに関しては、よくやったと言うべきだろう。だが、本当に正しいのか、これは?」

「申し訳ございません! 何しろ兵士たちの情報が不確かなものでありまして……」

 ケヴィルが見せたタブレットの画像には黒い人のようなものが映り込んでいた。全体像まで捉えることができ、画像は技術で鮮明に解析させたことで正確に映し出すことができた。もっとも、こことは別の場所で捉えたものだったため、情報も何分少ないのが玉に瑕だった。

 しかし、ルヴィスにはこの画像を見て、半信半疑の表情を醸し出すとケヴィルはすぐさま謝罪する。その後、ルヴィスは興味を無くすかのようにパッドを机の上に置き、両手の上に顎を付けた。

「まったく、こんなものに手間取るわけにはいかないのだが……。まあ、を潰してくれていることには、助かっているがな」

「恐縮です。ですが、目的が分からない以上、このまま見逃すわけにはいきません。できるならば捕縛したいところですが……」

「それには私も同意見だ。しかし、この映像からでも認めたくはないのだが、我々以外にもを持っていることが……」

 改めてルヴィスはパッドの画像に目をやる。その目には明らかに疑心が込められており、口に出さずとも現実を認めたくないという雰囲気が、無意識に周囲へ振り蒔いていた。なぜなら、その画像に映るそれは間違いなく人に似せた、である。

「ケヴィル、お前は引き続き、これの調査を続けろ。ただし、姉上や兄上には決して伝えるな」

「し、しかし、あの方達に協力させてもらった方が……」

「二度は言わせんぞ」

「!……イエッサー」

 ルヴィスの二言を言わせぬ重圧にケヴィルは有無を言わさず押されてしまい、思わず礼儀を正して了承する。手柄を独り占めしたいという主の下心が見え見えであるが、逆らうことのできない彼にとっては、ただ従属するしか残されていなかったのだった。

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