漆黒の狩人 アルティメス
北畑 一矢
第1章
プロローグ
音も響かず、光もない空間。
その中で最初に見たものは闇。
何もない、真っ黒な空間。
前に進んでも、手を伸ばしても、決して届かない空間。
深い眠りから目を覚ました時に、自身が眠りについていた部屋の明かりが点いておらず、眠りにつく前に目にする黒色と同じく染まっていることは何度も目撃しているはずだった。
ところが、下を見ても黒だけが視界に現れ、いくら見渡しても自分の姿すら見えない。さらには、地面に足が届いていない感覚があり、まるで存在していないかのような不思議な感覚に見舞われていた。
それが今、彼が見ている世界だ。
(〝僕〟は確か……)
〝僕〟と名乗る何かが、なぜこうなったのかと今までにあった過去を振り返ろうとする。
その〝僕〟の中で思い浮かんだのは、今まで会ってきた人々との時間、自分と手を繋いで一緒に過ごしてきた大切な人、そして、忘れられない思い出。それが〝記憶〟という名のデータとして流れる――走馬燈という奴だ。
それがなぜ自分の目の前に現れているのか?
その疑問を〝僕〟は浮かべるが、そもそもそれが走馬燈ということをまだ理解できていなかった。だが、一部の記憶が写真のごとく壁に貼られており、アルバムをめくるように過去を振り返った。
(…………)
〝僕〟は目の前に浮かぶ、自分がこれまで経験してきた記憶を一つずつ思い返し、最後の一つを思い返そうとするが、突然激しい衝撃に見舞われる。
(!!)
それは〝生〟の終着点とも言える最後の時間――すなわち〝死〟が描かれた記憶だった。その中にいる自分自身の手を握る人物がまっすぐにこちらを見ている。その頭にある目の位置から涙が溢れていた。当然、永遠の別れによる涙だと察した。
それを見た〝僕〟は、その記憶を思い出すと自然に力が抜けていった。
(…………)
己の人生に最後が訪れていたことに〝僕〟の思考は糸が切れたかのように停止する。
大事な人を置いて行ってしまったことに後悔してなのか、頭を抱えるような問答を繰り返すものの、答えが見えてこない。やがて〝僕〟は、ふと何かに気づいた。
(あれは……)
光。
闇を照らす真っ白な光。
色すら無いその一筋が道標のように前へと差し込んでいく。
そして、それに導かれるように〝僕〟はゆっくりと前に進んだ。
光を求めて。己を確かめるように。光を求めて進んだその先には――
「ん……?」
先程まで目の前を覆い尽くしていた闇がシャッターのように上がると〝僕〟は目を覚まし、意識を取り戻す。ただ、正面に映る強い光に眩んで視界がぼんやりとなるが、重くなる瞼の隙間から目の先にあるものを捉えた。
そこにあったのは、空間に光をもたらす照明と造られた灰色に塗られた人工の天井だった。
「…………」
その光を捉える、空に似た水色の瞳が視界の端に動くと、天井と同じ色の壁面に目が行く。さらにそれを割り込む何かが自身の視界に映っており、ようやく自分が固い何かの上に横たわっていることに気づいた。
(ここは……どこだ……?)
自身が最後を迎えた場所とは異なり、自分でもあまり見慣れない空間にいることを知った〝僕〟は何がどうなっているのか全く理解できずにいた。
今度は視線を下に向けると〝僕〟が目にしたのは裸足の指。
その指がすぐに自分のものだと自覚するが、加えて病院で使用される水色の薄い服を何故か〝僕〟が着ていることも知った。まるで難病を抱えた患者のような扱いであるが、〝僕〟には見覚えがあった。
それは〝僕〟が最後に着ていた服だったからだ。
「…………!」
その時、自身が体験した最後の記憶が呼び起こされる。自分のことをよく知る、たくさんの人々に看取られながら目を閉じ、自身が永遠の別れを告げた時だ。
あの時、大きなベッドの上で横たわっていた〝僕〟の体に針のようなものが腕に差し込まれており、丸みを帯びた透明な何かが口周りに付けていた。身体も思うように動かせない。
また、その隣にある自分でもよく知らない機械が三ケタの数字を表示させていて、少しずつ数字が小さくなると〝僕〟の口から吐いていた息が激しくなり、自分でも命が尽きようとしていたのを思い出す。
ところが、今の〝僕〟の体はどこも悪い感じがせず、それどころか前より調子がいいように感じた。客観的に見ても健康的で白くて綺麗な身体をしていて、あの時、体が思うように動かせなかった頃とはえらく大違いだ。
そんな中、〝僕〟は右の指がピクッと何度も動いていることを知る。
「?」
それだけでなく全身の指や顎が動くことを感じ取り、今の自分が別の体になったかのような不思議な感覚に心を躍らせ、〝僕〟は上体を起こした。体をスムーズに動かせたことに驚く中、頭から何かが垂れてきて、自身の視界を上から遮っていることに気づくと右手でそれに触れる。
「? 何が乗って……?」
触れていると軽いクッションのような軽い感触がするのだが、その正体に気づかないまま、〝僕〟はその一部である生身の腕や下半身から伸びる両足を目にし、自身の記憶とは明らかに大きさが異なることに気づく。
(〝僕〟って、こんなに大きかったっけ……?)
さらに〝僕〟は右の
「!」
また、確かめるように両手で全身の肌を触っていくと、頭の上に乗っかっているものの正体がその頭から生えた髪であること、さらには体つきが最期を迎えた時よりも大きくなっていることに目を大きく開かせた。
純粋さを表すような銀色に輝く綺麗な髪と、水晶のような水色の瞳。
そして、幼さが見える顔立ちを持った少年こそが今の〝僕〟の姿であった。
「嘘だろ……!?」
全身の部位が自身の記憶にある時よりも大きくなっており、何がどうなっているのか判断すらできなかった。なぜなら、〝僕〟の最期を告げた時期がまだ十にも満たない年齢だったからだ。
体に変化が起きているのは、至極当然である。ついさっきまで身体を持たない〝存在〟だったはずが、いつの間にか別の身体に乗り移ったかのような感覚が彼を伝わらせる。
しかし、それが身体の成長であることを〝僕〟は知らなかった。それを学ぶかどうか分からない、記憶が曖昧な時期に一度眠りについたからだ。
次々と押し寄せてくる衝撃に少年の頭は理解が追い付かず、パンク寸前である。ただ一つだけ、理解することがあった。それは、
「僕は……!?」
〝僕〟の中で〝死〟という概念は言葉すら知らない。ついさっきまで、その概念を自覚していたはずだ。自身が世界から消えたのではないのかと実感するほどにだ。ところが、その〝死〟を感じていたはずなのに、なぜ生きているのかは分からず仕舞いであり、彼は再び確かめるかのように両手を見比べる。
「…………!」
結局、体の変化についても、なぜ自分がここにいるのかも〝僕〟は理解できず、さらには目の前に広がる情報を処理することすらままなかった。
そもそも彼にとって理解を超えた出来事が連続して起きているため、逆に混乱し、慌てるどころかそれを通り越して〝僕〟は動けずにいた。
ただ一つ分かることは、今この瞬間を生きていること、そして〝生〟を感じていること、それだけであった。
「?」
〝僕〟は今自分が座っている場所を見渡すと、円柱型の大きなカプセルの中にいたことにようやく気づく。なぜカプセルの中にいるのか、新たに頭の中に流れてくる情報に〝僕〟はまたも理解ができなかった。
その時、低い音が部屋に鳴り響き、部屋の壁面の一部である二枚に分かれた扉が左右に開かれる。それを耳で聞き取った〝僕〟は、その音が響いた方向へと目を向ける。その扉の奥からやって来たのは白衣を着た一人の女性だった。
「ようやく目が覚めたのですね――〝 〟」
「?……あなたは?」
「安心して。さしずめ、あなたを目覚めさせた〝恩人〟ってとこかしら……?」
女性は〝僕〟に向けて、目の位置に掛けている半透明の眼鏡を光らせつつニヤリと笑みを浮かべる。その彼女の口から敵意はないと説明するものの、〝僕〟は少し警戒を取り始める。
その様子を見ていた彼女は「フゥッ」と息を吐き、肩を下ろしつつゆっくりと〝僕〟に近づいていく。すると女性は〝僕〟の目線まで体を屈ませ、表情を柔らかくする。
「そんなに警戒しないで。今のあなたじゃ、まだ何も理解できていない〝子供〟なんだから……」
「!……分かった」
「素直でよろしい」
白衣の女性は優しい言葉で〝僕〟の心を読み解くように声をかけた。
女性の言う通り、〝僕〟の体は大きくなったものの、彼女から見ればまだ小さな子供のようだ。
確かに〝僕〟はこの体の成り立ちも知らないし、動かし方もよく分からない。もしかしたら体が大きくなると動かし方に大きな違いがあるのではないかと考え込む。
その不安が解消できない今、警戒するだけ無駄だ。すぐさまその結論に至った〝僕〟は彼女の言葉を素直に受け止めた。
「今あなたがするべきことは、今の自分を知ることよ。あれから何年か経っているしね」
「え……?」
「……知らないのも無理もないか。あなたは、あのまま眠りについて、時が進んでいるの。今のあなたの姿はその時から、少しずつ大きくなっているのよ」
「…………!」
「これが成長って奴よ。分かりましたか?」
「……はい」
初めて自分の成長に気づく〝僕〟。
あの時から大きくなった体も、月日が経つことで変化することに驚きを見せる。もしかしたら、さらに大きくなるのではないかと期待を持ち始める。
その様子を見ていた白衣の女性は後ろに向き、背中を見せつける。
「さて、行きましょうか」
「どこへ?」
「今あなたが知りたいことよ。ここにいるとさすがに窮屈でしょ?」
女性に促された〝僕〟は改めて周囲を見渡し、共感するように「……まあ」と答えると、カプセルから降り始める。
「っと……!」
両足を地面につけるが一瞬、ふらっと体のバランスを崩し、前に倒れかける。身体が慣れていないせいだ。しかし、すぐに立て直した〝僕〟はしっかりと背筋を立てた。思わずヒヤッとしてしまう。
また、振り向きながらこちらを見ていた女性もクスリと苦笑いする。
先程まで自分が横たわっていたとされるカプセルを目にする〝僕〟。大きさも彼が成長することを前提に大人一人を収納できる設計だ。一目だけでも普通ではないことがよく分かる。
おそらくこれで治療していたのではないかと〝僕〟は推測する。あの時、既に命が尽きかけていたのだからだ。その証拠に、カプセルの中に入った人間の体の状態を知る液晶ディスプレイにカプセルを閉じるための透明なカバーを動かす操作ボタンがあった。
ずっと自分の体の異常をチェックしていたに違いないと〝僕〟は小さく微笑む。
「……焦らずに行きましょ」
「ご、ごめん……」
〝僕〟は彼女に謝ると女性は扉の方へと歩き出し、そのまま一緒にカプセルが置かれた部屋を後にした。
後で女性に感謝したいと心の中で決めた〝僕〟。
彼女の後を追えば何かわかるかもしれない。その未知なる存在に、不安ながらも心を躍らせ、期待を膨らませた。
しかし、この時、彼は気づいていなかった。自分が助かった理由は彼女によるものではないことに。さらには彼が生きるこの世界に訪れる大いなる運命がその体の中に宿っていることにも……。
白衣の女性はそれに対して簡単に口を開こうとしないはずだ。まだ彼にそれを知るにはまだ早すぎる。それ程までに彼の精神は幼く、まだ大人ということを知らずにいるのだ。
なぜなら、今の彼は、
――この世に生まれてから、その十の歳を重ねた時の姿に見えなくもないが、自我の方は一度壊れて修理を終えた時計の針のように動き始めたばかりだからだーー。
そして時は流れ、彼は〝あるもの〟に乗る時期まで進んだ――。
――カツッ! カツッ!
空が見えない天井がある薄暗く狭い空間の中で、奥から届く光が唯一、先を照らし続けるその場所に一人の少年が歩みを進めていた。
「…………」
先へ先へと少年は奥行きから見える光を求めて足を進め、その光の中へ入っていくと、先程とは異なる広い空間に出る。
そして、上と下が一体化したスーツを纏う、白銀の髪の少年が見上げるとそこに一体の巨人が立ち尽くしていた。
漆黒に包まれた姿に、背中から生えた二枚の翼。それでいて、鋭い目つきにスラッとした外観。
悪魔のような風格を漂わせる巨人の元に、少年は再び歩み始めた。
巨人の足元に近づいた少年は、そのまま胸元から伸びる昇降用のワイヤーでそこに位置する操縦席に頭上から乗り込む。さらに操縦席にあるコクピットシートに背中を預け、右の人差し指で正面にある赤いボタンを押すと聞き慣れない音が、血を体内で通わせるように空間内に響き渡る。
また、開いていた頭上のハッチが閉じると外からの光が完全に遮断され、空間が闇と化す。
少年がそのまま操縦桿を握り出すと、
――キィーン!
「!」
少年の身体にも何かが響き渡り、ビクッと全身を震わせたが、すぐさま姿勢を正す。そして、多数の機器が左右に並ぶ四角の液晶ディスプレイにパパッと光が点き始めた。
最初に羽を広げた黒いカラスの姿を模した紋章と、次に「RYS-00
次第にディスプレイの周辺にも明かりが点き、空間全体に行き渡る。そして、正面と左右に位置する巨大なモニターに外の光景が映し出された。
「ようやく……この時を待っていた。そう、この時を……!」
――ドクン!
心臓の鼓動が強く波打つ。今にも聞こえそうに、高く。
「行くぞ……《アルティメス》!」
そして、閉ざしていた少年の目が開かれた水色の瞳と、彼が乗る黒い巨人の鋭き赤い瞳が重なり、一種の目覚めのごとく強く輝いた。それはある。
そう、彼との一体化した巨人こと、《アルティメス》は自身と共に戦う主を得て、今ここに〝狩人〟として目覚めたのだった――。
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