紙の手帳と、デジタルメモもしくはスマートフォン


私が日常使っている紙の手帳には二種類有って、一つは破り捨てのメモ帳、もう一つは、このコラムに書いているような、『考えてみたこと』を記している糸綴りの手帳だ。


どうして、わざわざ2種類の手帳を持ち歩くような面倒なことをするのかというと、役割がまったく違うので(自分の中で)混乱しないように、という考えだ。


破り捨てのメモ帳に記入するのは長くて数行、目前にある数字やワンワードだけということも多い。

とりあえず忘れては困ること、そして逆に言うと、「シンプルすぎて、あっという間に忘れてしまいそうなこと」を記入しておく備忘録である。


こちらは、原則として用が済んだら破棄する前提の情報しか記入しない。


糸綴り手帳の方は、見開きを1つの情報カードのように使って、まず上辺に「何についてか」のタイトルを書き、見開き全体を使って文字や手書きの図説、単語を矢印で結んだチャートなどを自由に書き込んでいく。


こちらは、ずっと保管しておいて、後になって見返したり、新たに書き写したりということを行う。

書き込む内容は、自分の脳内にあることを言語化または視覚化していくようなイメージなので、罫線やマス目の無い、真っ白な紙の方がむしろ都合がいい。

あえて古風な糸綴りの手帳をなぜ使っているのかというと、見た目がカッコイイという理由だけでなく(まあそれもあるが)「見開き状態」で書き込みやすいからだ。


見開きでストレスなく書き込めると言うことは、実質的に手帳サイズの二倍の面積を活用できると言うことで、この恩恵は実に大きい。


少し話がずれるが、一時期はかなり使い込んでみた『情報カード』から手帳に戻った最大の理由はこれだ。

単純に5X3サイズの情報カードでは、面積が狭すぎて思い浮かんだアイデアを1枚に書き込みきれないし、かといって京大方式のB6カードは持ち歩きに不便すぎる。絶対にジャケットの内ポケットには入らない。


個人的な要求ではあるが、『ジャケットの内ポケットに入ること』は、紙であろうが電子デバイスであろうが、私にとって常時持ち歩くアイデア記録用具には優先順位の高い要素である。


ただし、糸綴り手帳の方は、当然ページをばらせない。


時系列に書き込みが並んでいるのは大きなメリットだが、類似情報を並べて比較する、という様な参照の仕方にはまったく向いていない。

それに、この手帳の中身は、たぶん、十年後にも度々見返す(はず)であり、ここに「帰りに牛乳とクッキー」だの「13時に自動車整備工場に電話!」などと書いておきたくないのである。


逆に、咄嗟に頭に浮かんで、使い捨てメモの方に書き込んだアイデアやフレーズを、後からゆっくりと綴り手帳のほうにまとめ直して書くことは多い。



紙の手帳の持つ欠点を一切気にせず、自由に分類もシャッフルも時系列での参照もできて、書き込み情報の量にもページの面積にも囚われることがないのは、デジタルメモ(アプリ)である。


特に、スマホのアプリであれば、ほぼ24時間手元にあるので、どんなときでも(最近はお風呂の中でさえ!)、思いついたときにメモを取ることができるし、最初からデジタルなので、活用時に頭を悩ますことも無い。


「ヒャッホー!」と歓声を上げたいところなのだが、実はそうでもない。


スマホ登場からの十年間、様々なメモやアイデアアプリを試してきて、いまだに紙の手帳を捨てられないのは、決して私自身の「馴染んだ日常を変えたくない」的な年寄り臭い精神性のためでは無く...いや、仮にそれがちょっとくらいあったとしても重大な理由では無く、主に機能的な理由のせいである。と思う。


非常に便利なのに、いまだアナログな手帳を捨てて全面的にデジタルに移行できない理由は『スケッチ、手書きの図(特にチャート)』に対する自由度の問題だ。


これは、説明が難しい。


「PCならいざ知らず、タッチパネルのスマホやタブレットのアプリなら、手書きは自由自在じゃないか?」 と思われる方も多いだろう。


しかし、実際はイラスト制作のように、まず頭の中に描きたい物が決まっていて、それを線や色として表面化させていくプロセスと違って、ネタ手帳に書くのは、書きながら思いつき、膨らみ、分岐していく思索の過程そのものである。


(何をどう描くかを考えながら書いている、という意味では無いので「イラストだって考えながら云々」という議論はこれにはあたらない。また、出来上がったグラフィックも思考過程の記録であって、結果や作品では無い。)


線を一本引っ張ると、その先にぶら下がる物を新たに二つ思いついたり、まったく違うブロックを並べてみたり...つまり、それを『描いていること自体が思索行為』なのだ。 


別の視点では、『脳内プロセスの可視化』と言ってもいいかもしれない。


文字だけでメモを取ることに比べて、その場で思索を可視化しながらメモ(というよりはノートかもしれないが)を取っていくことの効能は非常に大きい。

逆に言うと、これに関する自由度の低さが、現時点で、メモの完全なデジタル化に移行できない大きな理由である。


それに、単純に文字だけで済む書き込みであれば、テキスト情報を打ち込めばいいのだが、途中でチャートやスケッチを書き足したくなったときに、スマホアプリでは途方に暮れる。


テキスト情報と手書きの線画を混在させてシームレスに記入でき、なおかつ、PCでマウスやトラックパッドを使っているかのように詳細な操作を、指とタッチパネルで素早く行うのは、今のデバイスでは(ハードウェアの性能として)まだ無理だ。


ポケットサイズの手帳見開きと、スマホの画面サイズでは、「一覧できる一つのページ」に手書きで記入できる情報量は、紙の方が圧倒的に多い。

以前のコラムにも書いたが「一覧できる面積が思考の深さを決める」と仮定すれば、いまのスマホ画面は実に中途半端である。

拡大縮小しながら書けば細かな書き込みもできるが、そのステップは、さながら「かな漢字変換」のような思考の細切れさを生む。


とは言え、正直なところは、できるだけ早く紙の手帳とはおさらばしたいのも本音であるのだが...。


文字もグラフィックも自在に扱えて、思考を遮らず、実用的な効率というかスピードで記入できるデバイスは、私にとってはまだ存在せず、今か今かと登場を待っている。


 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


< 京大方式と呼ばれるB6サイズ情報カードの利用については、梅棹忠夫による著書「知的生産の技術」で紹介された手法が日本における源流だが、氏がB6サイズを使われたのは、書き込める情報の量に基づくと思う。>


< 実際に、私はいまでもバスルーム(脱衣場)に、アウトドア用の防水紙メモ帳を常備している。>


< 画面が大きい方がいいが、重くてハンドリングが悪くなるのも困る。メモ帳代わりにタブレットを持ち歩くのは勘弁して欲しいし、今のところ大画面スマホは私個人にとっては中途半端である。>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る