物体におけるアフォーダンス 〜 自動ドアにぶつかる人(私)
「アフォーダンス」という言葉がある。
正確には「知覚されたアフォーダンス」で、ヒューマン・インターフェイスやユーザビリティの御大であるドン・ノーマンが(デザイン分野でも)使い始めた言葉だ。
言葉の本来の意味はともかく、ユーザーインターフェースにおける「アフォーダンス」は、平たく言えば、『それをどう扱えばいいか、を、見て or 触って、分かる』状態に作られていることだ、と考えるのが手っ取り早い。
つまり、それが物体なら、見れば、どこを持てばいいか分かるとか、なにを押したり引っ張ったりすれば機能を果たせると分かるとか、そんな感じだ。
普通、ポットには把手が付いているし、ドアにはドアノブが付いている。
赤ん坊の頃は(仮に筋力と知力があったとしても)それをどう扱えばいいのか分からないだろうが、成長とともに人間社会の様々な物体における『標準的なデザインフォーマット』を学習していき、多くのモノを難なく、と言うか、考えることもなく動かせるようになっていく。
仮に、成長してから初めて自動ドアに出会った人が’いたら、「取っ手がない!」と面食らうかもしれない(アフォーダンスがない)が、一度か二度使えば、「近づけば勝手に開いてくれるもの」だと学習するだろう。
今でも、小さく『自動ドア』というシールがガラスのドアに貼られていたりするが、実は、現代では多くの人が自動ドアを認識するのはそのシールの文字によってでは無く、『把手のないガラスの引き戸』というフォーマットによってだ。
建具にコストをかけられる「商業施設」で、構造が開き戸では無く「引き戸」になっており、見た目は良いが手で動かすには重い「ガラス製」のドアを見ると、多くの人は経験からそれが自動で動くことを想定する。
むしろ、そういうドアの前に立ち止まって動かなかったらびっくりして、故障しているのかと疑ったりする。
そして、よく見ると小さな小さな『把手』がドアに付いていて、そもそも手動ドアであったことを知覚して愕然としたりするのだ。
私自身、(ドン・ノーマンの著作を一通り読んでいたにも関わらず!)実際にそういう経験がある。
その時はマットの上でしばし立ち止まり、ドアがまったく開こうとしないことに気がついて、まず、ドアそのものでは無く、その周囲を見渡して故障を示すようなサインが無いかと観察し、それから改めてまじまじとドアを見て、ようやくそこに『把手』が付いていることを発見した。
それまでは、その銀色の把手(平べったい金具だった)を、「自動ドアシール」の類いだと勝手に思い込んでいたのである。
自分の思い込みの強さと観察力のなさに愕然としながらドアを開けると、ちゃんと滑車の原理を利用しているらしいアシスト機構が働いていて、重いガラス製の引き戸が、まるで障子を開けるような軽い力でスルスルと開いて感動したのだった。(しかも、カウンターウェイトの仕組みで、閉まる方は自動だった!)
1.ガラスの引き戸なのに自動では無かった。
2.想定していたよりも遙かに軽い力で開いた。
3.通った後は重力で自動的にゆっくり閉まった。
という三段階で意表を突かれた私は、この場合の適切なアフォーダンスのあり方について、しばし考えこんでしまったのだった。
もちろん、「手動」という大きなシールと、動かす方向を示した矢印のグラフィックでも貼っておけば済むのだが、それではかっこ悪い。
『常識の共有』を期待できない状態でのメッセージングは、いつも困難だ。
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< 初めて見たユーザーが把手と機能パーツを見間違えて、パーツ側を握って持ち上げたら自重で折れてしまう、という商品を作った工業デザイナーは、このアフォーダンスの概念がすっぽり抜け落ちていたと言っていいだろう。>
< いつの時代でも、色々なシーンで、「そこ持っちゃダメ!」という叫びを耳にするのは良くあることだと思う。>
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