第四章⑥

「それで? 一体何の用があって、こんな所まで来たんですか? 鈴木百合子さん」

「な、何でアタイの名前、知ってるんだよっ!」

 鈴木さんを起き上がらせると、合田に話しかけられた彼女はすぐさま俺の右腕に飛びついた。

 それを見て、合田は苦笑いを浮かべる。

「武田覚の身辺を調査している際、同棲しているあなたのことも調べさせてもらったんですよ。いつかの事件現場でも、お会いしましたしね」

「なにそれ、キモっ!」

 鈴木さんは嫌そうな目で、吐き捨てるようにそう言った。

 合田は咳払いをし、こちらを睨みつける。

「もう一度聞きましょう。一体何の用があるんです?」

「サトルのことだ」

「俺の?」

 俺の顔を見て頷くと、鈴木さんは合田に目を向ける。彼女の震えが伝わり、俺は彼女の手を、そっと握った。

「アタイは、サトルを守るためにここに来た」

「あなたが、コイツを?」

 俺は驚き、鈴木さんに視線を向ける。彼女は震えながらも、真剣な目で、合田を見続けていた。

 俺と同じように驚いていた合田は、やがて嘲笑の声を上げた。

「何を言っているんですか、あなたは。コイツは母親殺しのバケモノ。守る価値なんてない!」

 それを聞いた鈴木さんは、俺の腕から手を離した。そして俺の前に立つと、合田から俺を守るように、両手を広げる。

 今まで俺を介してしか会話できなかった鈴木さんが、俺を守るために合田と相対している。

 自分一人で。たった一人で。

「違う! サトルはバケモノなんかじゃない! バケモノは、お前の方だっ!」

「……ああ、あなたは醜形恐怖症で、武田覚だけが人間の顔に見えるのでしたね。ですが、それでも彼が人を殺したという事実に変わりはありません。しかるべき場所で、しかるべき裁きを受けるべきです」

「違う! サトルは人殺しなんかじゃねぇっ!」

 鈴木さんの悲鳴のような絶叫が、駐車場に響いた。

 それでも、合田の心にまでは響かない。

「そこまで言うなら、その証拠を出してもらいましょう。彼が母親を殺していないという、証拠を!」

「証、拠は……。ちゃんと、顔が見えるから……」

「はぁ?」

「サトルの顔は、ちゃんと人間の顔に見えるからっ!」

 それは、慟哭だった。

 証拠なら、ある。俺と鈴木さんしか知らない、絶対的な証拠が。

 でもそれを伝えた所で、苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。合田は信じないだろう。

 それ故の、慟哭だ。相手に伝えたい、自分の言葉を信じてもらえないことに、彼女は泣いているのだ。

 案の定合田は、鈴木さんの話を鼻で笑った。

「何を言い出すかと思えば、ただの感情論ですか」

「待ってくれ!」

「……あなたは武田覚に感情移入し過ぎて、論理的に物事を考えられていない。話になりません」

「どうして、信じてくれねぇんだよぉ」

 鈴木さんのマスクを、彼女の涙が濡らしていく。鼻水をすすり上げながら、伝えられないもどかしさや、それによる不甲斐なさ、憤り、絶望と、彼女の中にある全ての感情を、彼女はこの場でぶち撒けた。

「ホントに、ホントにアタイにはわかるんだ。アタイだけにはわかるんだ! アタイだけにしかわからないんだっ! サトルは今まで、人を殺したことなんてねぇんだよっ! バカなアタイに、一から勉強教えてくれんだよっ! 何だかんだ言っても一緒にトイレの前までついてきてくれるし、アタイが怖がってると、すぐ優しく手ぇ握ってくれんだよ! アタイがビビって無理やり盾にしても、しょうがねぇって顔して、いつもアタイをいつも守ってくれんだよ! あったけぇんだよ。あったけぇんだよサトルはっ! サトルは人間だ! ちゃんと人間の顔してんだよ! ちゃんと顔が見えるんだよ! アタイには、ちゃんとそれがハッキリとわかるんだ! サトルはバケモノなんかじゃねぇっ! 人間だっ!」

 だから――

「だから、アタイからサトルを取り上げるな! 遠くになんて連れて行こうとするなっ! アタイをもう、一人ぼっちにさせないでくれよ。頼むよ……」

 泣き崩れ、もうまともに前を見れなくなっている彼女の姿を見て、俺の決心は固まった。

「やれやれ。今度は泣き落としですか。ですが、そんなことで私の決心は揺るぎません。必ずやこの真実を世間に公表し、武田覚に法の裁きを受けさせます」

「なら、ちゃんとした本人の証言も必要だろ?」

「……サトル?」

 不安そうにこちらを振り返る彼女の肩に手をおき、俺は安心させるように笑いかけた。

「ありがとう。俺のこと、守ってくれて。後は、俺一人でも大丈夫だから」

「サトル!」

 歩き出そうとした俺の手を、彼女が必死になってつかんだ。まるで、この手を放してしまえば、二度と会えなくなると信じているように、強く、俺の手を握りしめる。

「心配しなくても、ちゃんと戻ってくるから」

「サトル、でも――」

「ユリさん」

「あっ……」

 彼女の手の力が、少し弱まる。逆に俺は少しだけ、手に力を込めた。

「行ってくる」

「……うん」

 後は糸が解けるように、二人の手は自然と離れた。

 俺は、合田と向かい合う。それは、自分の過去と向き合うことと、同義だった。

 それはここにいる人たちに、俺の秘密を知られてしまうということでもある。

 この秘密を知られた後、彼女に、ユリさんにどう思われるのか考えるだけで、心が歪んで軋んでいく。

 それでも、もう決めたから。

 泣き崩れる彼女に、守ってもらったから。

 だから俺は、独りでも大丈夫だ。

「ようやく、自分の口で真実を語る気になりましたか。殊勝な心がけですね」

 俺は苦笑いを浮かべた後、合田に向かって、挑発的な視線を向ける。

「ああ、話してやるよ。あの日起こった、真実を」

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