第四章⑤
「こんな所まで移動して、一体俺に何を聞きたいっていうんだ?」
合田の場所を移そうという提案に乗り、俺は病院の立体駐車場に場所を移した。
この立体駐車場は柳瀬総合病院の利用者増加に伴い新たに作られたもので、病院に行くには立体駐車場と病院をつないだ通路を使う必要がある。
また、当初病院が建てられた時には計画されていなかったので、無理やり山を切り崩し、そこに立体駐車場が建てられていた。
そのため湿気が多く、たまに吹く生暖かい風が、体にまとわりつくようで気持ち悪い。おまけに照明の数が少なく、立体駐車場全体が常に薄暗くなっている。
「おやおやぁ。私は武田さんのためにぃ、わざわざ人気のない場所を選んだんですよぉ? お気に召しませんでしたかぁ?」
おどけた口調で、合田は口角を釣り上げる。
なるほど。確かにここなら、人も近づいてこないだろう。
三階建ての立体駐車場へは、病院の玄関前に用意された駐車場が埋まりきらない限り、あまり使いたがる人はいない。その駐車場も今では増設され、今や立体駐車場の存在価値そのものがなくなっている。
万が一使う人がいても風通しのいい三階か、病院への通路がある二階から埋まっていく。一階は車の出入りがあるだけで、俺たちのいるその更に隅は、全く使われていない。
「それで、俺に聞きたいことって、何なんですか?」
俺は振り向き、合田に問いかけた。
調子が悪いのか、合田を照らす光は、まるでまばたきをするように、付いたり消えたりしている。
仄暗い立体駐車場の中、合田の声が、闇から浮かび上がってくるように聞こえた。
「決まってるじゃないですかぁ。五○一便遭難事故の件ですよぉ。私、あの事故の真実が知りたいんですぅ」
五○一便遭難事故。
その言葉を聞いて、俺の心臓は熱を失い、凍りついてしまったかのような冷たさが、じわり、じわりと、体中に広がっていく。
そんな俺を見て、合田は愉快そうに笑った。
「あれはぁ、悲惨な事故でしたねぇ。日本からアメリカへ行く途中、故障により飛行機は大嵐の中、太平洋に不時着。運良く救命ボートで脱出出来た人も、その後風や波に飲み込まれぇ、ほとんどの方が死亡してしまいましたぁ」
合田の話で、あの時の記憶がよみがえる。
俺は、知らず知らずのうちに、両手で自分の体を抱きしめていた。
歯と歯が連続して噛み合い、口の中に不協和音が広がる。
寒い。あの時みたいに。
全身に鳥肌が立ち、自分の体から熱が逃げないように、俺は更に両手に力を入れた。
「五○一便に乗っていた乗客はぁ、二百十二人。その内、二百十一名がお亡くなりになられましたぁ。あなたを除いて」
気が付くと、合田はすぐ俺の目の前に立っていた。寒さをこらえるため、若干屈みこんだ俺は、奴の顔を見上げる形となる。
光を背にした合田の顔は、見えない。
「死亡していた二百十一名の内、死亡した原因はほとんどの方が衰弱死か水死でしたぁ。ですがお一人だけぇ、違う死に方をしている人がいましてねぇ」
震える両手で耳をふさぐ。一歩下がろうとした所で、合田に右腕と左腕をつかまれた。合田の顔が、近づいてくる。
「その方のお名前はぁ、武田桜さん。武田さんの、お母さんですねぇ?」
合田に両腕をつかまれているため、遮るものがなくなった俺の耳に、奴の声が容赦なく突き刺さる。
「お母さんの死因は、刺殺」
俺は合田につかまれた手を解こうと、必死になって抵抗する。
「武田さん。あなたぁ、お母さんと一緒の救命ボートに乗っていたんですよねぇ?」
それでも、合田の手は振りほどけない。
奴の言葉は俺の鼓膜を突き破り、脳まで破壊してしまいそうだ。
やめろ。
「あの時、あの救命ボートの中でぇ、一体何が起こっていたんですか?」
もうやめろ!
「何故、あなたのお母さんは刺されて死んだんですかぁ?」
やめてくれっ!
「何故、あなたは死んでいないんですかぁ?」
あの時のことを、思い出させないでくれっ!
「思い出してくださいよぉ、武田さん。それとも、思い出したくないようなことがぁ、あったんですかぁ?」
ようやく合田の手を振りほどくも、その反動で俺は無様に地面に転がるように倒れた。
顔を上げると、合田が俺を睥睨している。その目にはもう、ふざけた様子は見られない。
「お前が、殺したんだろ」
合田が一歩、こちらに向かって踏み出した。俺は首を振りながら、地べたを這いずり、何とか後ろに下がる。
「遭難事故で、一年間の入院。あり得ないわけじゃないが、怪我や衰弱からの回復に、時間がかかりすぎている。となると、未成年故に公表されていない、何かしらの理由があるはず。例えば、殺人だ」
合田がまた一歩近づく。俺も後ろに下がる。だが這って進む俺と歩く合田では、移動速度が全く違う。もう数歩もしない内に、俺は合田に追いつかれる。
「遭難した状況で、食べ物も少なくなってきた。そこでお前は、食い扶持を減らすことにした。お前は自分が生きるために、母親を殺した!」
「……違う」
「嘘をつけっ!」
怒号と共に、合田の歩く速度が早まる。
「救命ボートの中、武田桜を殺せるのは、武田覚、お前しかいないんだ! お前は母親殺しの、バケモノだっ!」
もうダメだ。もう追いつかれる!
合田の手が俺の首に向かって伸びてきた、その瞬間――
「な、何だっ!」
暴力的なまでに明るいライトに、俺たちは照らされた。暗い場所にいたため、急に明るくなり、俺の目は数秒使い物にならなくなる。
しかし目を閉じていても、耳に聞こえるエンジン音は聞き逃さなかった。これは、バイク?
「おいおい。私の義息子に、一体何をしてるんだい?」
「花さんっ!」
目が明かりに少しずつ慣れてきた。
そこにはライトに照らされた、見覚えのあるシルエット。だがその後ろに、別の誰かがいるような気がする。
似たような展開がどこかであったなと思っていると、合田が苛立たしげに、花さんを睨みつけた。
「何なんですか、あなたたちは! 何しにここに来たんですっ!」
「そいつは私からじゃなく、コイツから説明させるよ」
そう言ったっきり、花さんは腕を組んで静止した。それから五秒ほど経つと後ろを振り向き、花さんは俺に向かって、後ろの誰かを放り投げた。
「ぎゃぁぁぁあああっ!」
「ちょっ、うぉぼぉっ!」
何とか両手を伸ばし、俺は下敷きになるようにして、彼女を抱き抱える。一日も離れていないはずなのに、彼女の暖かさを、俺は懐かしく感じた。
「鈴木さん。どうして、ここに?」
顔を上げて、鈴木さんに問いかける。
「決まってんだろ」
鈴木さんは得意そうに俺の目を見つめて、こう言った。
「家の外にいる時のサトルの時間は、アタイのもんだからさっ!」
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