第四章③
診察は、意外なほどあっけなく終わった。
醜形恐怖症はうつ病や強迫性障害と関連があるらしく、カウンセリングや薬を飲んでも一朝一夕で治るものではないらしい。
抗うつ薬の一種である選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors)と抗不安薬、後は胃が荒れないように副作用を抑える薬を、いくつか処方してもらうことになった。
注意事項としては、薬が合わない場合もあるので、吐き気などを感じた場合は服用を止めるよう言われている。そうした薬で抑えきれなかった副作用も、大体一、二週間で全て出きるようだ。その期間を過ぎれば体にも免疫が出来て、問題なく薬を使えるようになるらしい。
鈴木さんのことなのにもかかわらず、何故こんなに俺が詳しく記憶しているかと言えば、
「しょ、しょうがねぇだろっ! アタイ、医者って、苦手なんだよ……」
涙目の鈴木さんが、俺に抗議の目線を向けてくる。そういうのは俺を介してではなく、直接医者と話し合えるようになってからにしてもらいたい。
俺はまだ言い訳をしている鈴木さんを引きずるように、処方箋の窓口へと移動する。
すると――
「あれ? 武田さんとユリさんじゃないっすか」
「飯田さん?」
思わぬ人物に声をかけられ、俺は目を丸くし、鈴木さんは盾にするように俺の腕をつかむ。
「サトル。あれ、モモ? モモなの?」
「ああ、飯田さんだ。だからそんなに怖がるな。で、飯田さんは、どうしてここに? 風邪でも引いたの?」
鈴木さんをなだめながら飯田さんに問いかけると、彼女は意外そうな顔をした。
「あれ? 武田さん、ユリさんから聞いてないっすか? 今日は元『美仁衣』のメンバーのお見舞いに行こうって、ユリさんと約束してたんっすよ」
「ほら、さっきアタイが言ってたやつだよ」
「ああ、あれか」
俺は受付で鈴木さんから、時間空いてるか聞かれた件を思い出した。
「でも、いつの間にそんな約束してたんだ?」
「へ? 普通にメールっすよ」
飯田さんは、何をそんなに不思議がっているのかわからない、といった顔をしている。
だが、俺にとっては衝撃の事実だった。
「すごいじゃないか鈴木さん! 後は自分でした約束に、一人で行けるようになれば完璧だっ!」
「お、おい、よせサトル! 頭をなでんなって、こらぁっ!」
そう言いながらも、鈴木さんはまんざらでもなさそうに、目を細めている。
「あれ、でも飯田さんがもう病院に来たってことは、もうお見舞いに行く時間ってこと?」
だとすると、少しまずい。まだ鈴木さんの薬を受け取っていないからだ。
お見舞いに行く相手にも時間は伝えてあるだろうし、そうすると俺も鈴木さんに付いて行かなくてはならない。
お見舞いに行った後、処方箋の窓口に戻ってくることを考え始めていると、飯田さんは問題ないという風に、俺に笑いかけた。
「大丈夫っす! オレ、約束の時間より、一時間早く到着したんで!」
「そんなに早く!」
「オレの家から電車とバスを乗り継いでいくと、この時間になっちゃうんっすよ」
「あぁ、確かにそういう時あるよなぁ」
そう言いながら、俺は窓口で番号札を受け取った。処方箋の準備が出来ると、この番号で呼び出される仕組みのようだ。
順番待ちをしている人のために、椅子が並べられている。俺たち三人は、その椅子に座ることにした。席順は、俺の右側に鈴木さん、俺の左側に飯田さん。鈴木さんの隣に誰か座らないように、一番右端の席を選択した結果、こうした並び順になった。
受け取った番号を見ると、どうやら俺たちの前に、まだ十人ほど順番待ちをしている人がいるようだ。
時間もまだかかると思ったので、俺はこれから見舞いに行く人について尋ねることにした。
「ねぇ、これからお見舞いに行く元『美仁衣』のメンバーって、どんな人なの?」
「それはっすねっ!」
鈴木さんに向かって問いかけたのに、飯田さんが勢い良く顔を近づけてくる。
「ユーコさんは、あ、ユーコさんのフルネームは間部 裕子(まなべ ゆうこ)って言うんっすけど、ユリさんの同級生で、去年うちの高校(海旭高校)を卒業されているっす」
飯田さんの話を聞いていると、右腕にものすごい圧力がかかる。鈴木さんだ。
俺の近くにいるのが飯田さんだとわかっていても、鈴木さんには俺にバケモノが近づいているように見えている。それで俺の身を案じてくれているのだろう。振り返って確認しなくても、それぐらいわかる。きっとそうに違いない。違いないはずだ。
だから俺は、先程から後頭部に鈴木さんの視線を感じつつ、飯田さんの話を聞くことに集中する。
「ユーコさんは、ボーズかっ! て思うぐらいもっのすごく髪の毛短くって、オレンジ色で、漢気溢れる人っす」
「な、なんか凄そうな人だな……」
「そうっす! ユリさんさんとユーコさんは『美仁衣』の二枚看板、二人のY(ダブルY)としてこの辺りではかなり有名だったっすよ!」
「よせ、モモ。昔の話だ。アタイたちは、もう別々の道を歩んでる。もうあの頃のアタイたちには、戻れないんだよ」
寂しげに、マスクの上から鈴木さんは自分の鼻をかいた。それを見た飯田さんが、ユリさん……、と言い、感極まったように涙目になっている。
なんだろう? 今俺、すごいアウェイ感とむず痒さを感じている。っていうか、二つ名って。完全にアレだろ。あの病だろ……。
気を取り直すように、俺は飯田さんに問いかけた。
「そ、それで間部さんは、何が原因で入院してるんだ?」
「赤ちゃんっす!」
「……へ?」
「だから、赤ちゃんができたんっすよ。ユーコさんに」
最初全く意味がわからなかったのだが、飯田さんが何を言いたいのか、ようやく理解した。
「間部さんは、妊娠されているのか」
「そうっす!」
鈴木さんと間部さんは同級生。ということは、俺とも同い年。まだ高校生だからかもしれないが、自分が子供を持つ、父親になるという状況を、うまく思い浮かべることが出来ない。
……結婚や家庭を持つのはもっと先だと思っていたけど、そうだよな。俺はもう、結婚できる歳なんだよな。
その事実に、俺は感心とも納得とも違う、どちらかと言えば困惑や焦りに近い、そんな不思議な感情を抱いた。
「そういえば、ユリさん。今度は、男の子なんでしたっけ?」
「さぁ? アタイはそこまで聞いてねぇけど」
……ん?
「飯田さん。今、『今度は』って言った?」
「言ったっすよ」
「ユーコ、二人目なんだよ」
「そ、そうなんだ……」
平然としている二人の言葉を聞いて、俺はまだまだ子供なんだなと、何故だかそう思った。
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