第四章②

 熱い。

 そう思いながら、俺は左手で、額の汗を拭った。

 例年よりも気温が高く、室内にはクーラーもかかっている。それなのにもかかわらず、俺の体温はちっとも下がろうとしない。

 その原因は、俺の右腕にある。

「なぁ、鈴木さん。もう少し離れてくれない?」

「絶対、い・や・だっ!」

 このクソ暑い中、鈴木さんは俺にマスク姿で抱きついている。一体何の我慢大会をしているのかと俺が思うのと同時に、鈴木さんの額から汗が流れ落ち、マスクに染みこんでいった。

 俺と鈴木さんは、柳瀬総合病院(やなせそうごうびょういん)の受付で、名前が呼ばれるのを待っている。

 この病院は鈴木さんが入院していた病院であり、今日は彼女の定期診断を行うため、ここまで足を運んでいた。もちろん鈴木さんが一人で通院出来るわけもなく、俺も付き添いで一緒に来ている。

 総合病院というだけあって、訪れている人の数も多い。俺たちが座っている場所を人が通る度、鈴木さんと言う名のホッカイロが密着してくる。暑いし、熱い。

 左手をめいいっぱい広げうちわの代わりにするが、効果の程は微妙。おまけに周りからは、奇異の視線がバンバン飛んでくる。頼むから、早く鈴木さんの順番になってくれっ!

「サトルぅ、じゅーちゅ買いに行こうぜぇ」

「呂律が回ってないよ鈴木さん。それにジュースは、さっき俺の分まで飲んだだろ? 流石に病院のトイレは、一人で行ってもらうからね」

 俺の言葉を聞き、鈴木さんが思案げに唸る。

 トイレとジュース。本来なら中々比較対象にならないこの二つを天秤にかけ、どちらを優先するのか悩んでいるのだろう。

「でもいい加減、トイレぐらいは一人で行けるようになってよ」

「サトル。それはアタイに死ねと言ってんのか?」

「それほどまでに!」

「トイレ我慢して、アタイが膀胱炎になったらどうするんだよ」

「頑張って通院すればいいだろ?」

「それができたら、苦労してねぇよっ!」

「それもそうか」

 左手のうちわを崩して、今度はシャツで扇ぐことにする。が、鈴木さんが右腕に絡みついているのでシャツが広がらず、あまり効果がない。

「サトル。診察が終わった後、時間空いてるか?」

 俺はその質問に驚き、鈴木さんの方に振り向いた

「鈴木さん、今更そんなこと聞くの!」

「悪かったな! 今更でっ!」

 鈴木さんは不貞腐れたように、俺を睨んだ。

「きゅ、急に言い出したのはアタイも悪いと思ってるけどよぉ。でも、アタイ、今日はどうしても――」

「あー、違う。そうじゃない、そっちじゃない。急に予定を追加するな、って意味じゃないから」

 鈴木さんが何やら勘違いしているようなので、俺は早めに会話を修正する。

「いいか? 鈴木さんと会ってから今日まで、平日学校ではずっと一緒。休みの日も姉貴の仕事があれば一緒に事件現場に直行。俺の自由時間なんて、家にいる時しかないんだよ。わかる?」

「な、何が?」

 俺の言っていることが本気で理解できていないようで、鈴木さんが混乱している。

 俺はため息を付きながら、鈴木さんに理解してもらうために、言葉を紡いでいく。

「ここは、どこだ?」

「え? びょ、病院?」

「そうだ。で、俺の自由時間は?」

「家に、いる時だけ……」

 鈴木さんの顔に、理解の色が広がっていく。それを確認して、俺は受付のカウンターに目を向けた。

「家にいる時以外、俺の時間は全部鈴木さんものなんだよ。今更予定の一つや二つ増えた所で、どうってことない。好きに振り回してくれ」

「う、うん」

 そうつぶやいた後、鈴木さんは俺の腕に隠れるように、両腕に優しく力を込めた。彼女の額が、俺の右腕にグリグリと押し付けられる。

 さっきよりも暑くなったなと思いながら、俺は鈴木さんの名前が呼ばれるのを、今か今かと待ちわびていた。

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