第三章⑤
後日。俺と鈴木さんは姉貴に連れられ、日向家へとやって来ていた。
目的は、寺内さんを殺害した犯人を逮捕するため。その逮捕現場を、俺と鈴木さんは車の中から眺めている。
俺たちの視線の先には、両脇を男性の警官に引くずられるようにして出てくる、卓雄さんの姿があった。
それを見た鈴木さんが、小声でつぶやいた。
「あいつが、一人目だ。あいつの顔は、アタイには見えない」
卓雄さんが、寺内さんを殺害した犯人だった。
卓雄さんが犯行時刻付近の試合内容を覚えていたのは、寺内さん殺害後にその時刻の試合内容をネットで確認していたからだ。
今では野球の試合内容は一球毎、一アウト毎に詳細なデータにまとめられている。試合をリアルタイムで見ていなくても、あたかもリアルタイムで見ていたような知識だけは、ネットで得ることが出来るのだ。
卓雄さんは単独犯だった。犯行動機は、寺内さんへの借金。
もう一人怪しいと思っていた、敏郎さんのネットゲームにログインしていたというアリバイは、別の誰かに自分のアカウントでログインしてもらえばいいので、簡単にアリバイを崩すことが出来る。例えば犯行当日、日向家にいなかった喜久男さんに頼むとか。
でも、敏郎さんは寺内さん殺害に何ら関与していなかった。
俺の予想は半分当たり、半分外れた。
卓雄さんが、俺らの乗っている車とは別の車に押し込められていく。
その様子を、日向家の面々が玄関先で見つめていた。
俺から見て左から、光信さん、芳子さん、喜久男さん、敏郎さん、そして橋本さんが押している、車椅子に乗った寛郎さんの順に並んでいる。
「あの車椅子に乗っている奴。あいつが二人目だ。あいつの顔も、見えない」
二人目の殺人犯。それは、寛郎さんだった。
寛郎さんは、今年で九十四歳。
だから俺と姉貴は、自室で寝ていたというアリバイのない寛郎さんを、容疑者から外したのだ。
凶器の壺は、ご高齢の寛郎さんには持つことが出来ない。
どれくらい高齢かといえば、寛郎さんは第二次世界大戦を経験している、戦争経験者だ。
戦争では、人は死ぬ。戦争では、人を殺す。
かつて日本を守るために戦いに投じた際、仲間を守るために、あるいは自分が生き残るために、寛郎さんは誰かの命を奪ったことがあるのだろう。
だから、鈴木さんには顔が見えなかったのだ。
自分の私利私欲のための殺人も。
誰かを守るための尊い戦いも。
彼女の目には、等しく顔が見えなくなってしまうのだ(人殺しとして見えてしまうのだ)。
卓雄さんを乗せた車が、ゆっくりと動き始める。するとそのタイミングに合わせたように、一人の男がこちらに近づいてきた。鈴木さんがそれに気づき、俺の腕にしがみついてくる。
やがて男は車のすぐそばまで歩みを進め、窓ガラスを軽く、二回叩いた。そのリズムが、俺の心臓の伸縮するタイミングと重なる。
『武田覚さんですねぇ?』
窓越しに、男のくぐもった声が聞こえる。俺の名前を確認する問を発しているにもかかわらず、男は既に、俺が武田覚であると確信を持っているようだった。
男は野暮ったい緑色のジャケットを着ており、白髪交じりの坊主頭をかきながら、顔に嘘臭くて胡散臭い笑みを貼り付けている。
鈴木さんを背に隠すようにしながら、俺は車の扉も、窓ガラスも空けることなく、男の質問に答えた。
「はい。俺が、武田覚です」
直接この男と話すなんて、考えられなかった。
この薄いガラスと鉄板が間になければ、俺はきっと、この男に食い殺されてしまう。
そんな妄想じみた悪寒を感じながら、鈴木さんがいつも感じている恐怖の一端を、今俺も感じているんだと、そんな風に思った。
俺の心情など微塵も興味が無いのか、男はナメクジのような唇を、嬉しそうに歪める。
『ご紹介が遅れてぇ、申し訳ありません。私(わたくし)、こういうものですぅ』
そう言って、男は一枚の名刺を、車の窓ガラスに差し込んだ。俺の目が、自然とその名刺に釘付けになる。
そこに書かれていたのは――
「フリージャーナリスト、合田一道」
『はぁい。私、今国内外で起きた事故の取材をしておりましてぇ、是非とも武田さんにお話を伺わせていただこうとぉ――』
『おらぁぁぁあああっ! てめぇ、うちのさっちゃんに何ちょっかい出してくれてんだぁぁぁあああっ!』
車の中にいても聞こえる程の怒号が、合田の会話を遮った。俺はハッとして、視線を名刺から逸らした。
姉貴が咆哮を上げながら、こっちに向かって全力で走ってくる。
『てめぇ! 次にその面見せたら獄門磔だっつったろぅがぁぁぁあああっ!』
『おやおやぁ、怖い人に見つかってしまいましたぁ。困りましたねぇ』
全く困ってない口調で合田はそう言うと、一瞬、俺の眼球を突き刺すように視線を向けた。
『次は、もっと長くお話させていただきますよ。五○一便遭難事故の唯一の生き残りである、武田覚さん』
そう言い残して、合田は去っていった。
その後鈴木さんに話しかけられても、姉貴に揺すられても、俺の冷や汗と動悸は、一向に収まる気配がなかった。
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