第三章④

 夕食後、俺は自宅のリビングのソファーで、一人頭を悩ませていた。悩みの原因は、二つ。

 一つ目は、姉貴に接触した男について。

 一体、姉貴と何を話していたのだろう?

 気になるが、姉貴は話してくれる気はないらしい。情報がなさすぎる。この件は保留にしておくしかない。

 二つ目は、鈴木さんのことだ。

 今日鈴木さんは、顔が見えない人が二人いると言った。つまりあの事件現場に、殺人犯が二人いた事になる。

 だが姉貴に聞く限り、被害者は一人だけなのだという。

 これは、どういうことだ? 共犯者の顔は見えなくならないはずだ。ということは、可能性としては二つ。

 二人の人間が、同時に同じ人を殺したか。

 もう一人、どこかに被害者がいるか。

「んー」

「どうしたの? さっちゃん。難しい顔をして」

 頭を悩ましていると、風呂あがりの姉貴が、パジャマ姿でリビングへとやって来た。バスタオルで髪を拭きながら、俺の隣に腰を下ろす。シャンプーの香りが、俺の鼻腔をくすぐった。

「ああ、ちょっと今日の事件が気になって」

「また? さっちゃんは将来探偵にでもなりたいのかしら? でも現実の探偵って、浮気調査とかそんなのばっかりよ。目指すなら警察官にしなさい」

「そんなつもりないよ、姉貴」

 呆れた顔をしている姉貴にそう言いながらも、俺はルーズリーフを一枚取り出す。

 結局俺は、鈴木さんから誰と誰の顔が見えなかったのか、聞くことが出来なかった。あの怯えようを見て、無理に聞き出せるわけがない。

「そういえば、鈴木さんは?」

「ちょうど今、お風呂に入ってるところよ。覗こうとしたら、潰すから」

 どこをっ!

 そう言いたかったが、既に答えは出ていた。姉貴の視線が、俺の下半身に向けられているのだ。勘弁してくれ。

 俺は気を取り直すように咳払いをすると、事件の概要をルーズリーフに書き出していく。


 被害者:寺内 重夫(てらうち しげお)。

 数年前から、殺害現場である日向家に出入りしていた。

 日向家の家長である寛郎が、昔面倒を見ていたことがある。


「死因は、倉にあった壺による撲殺よ」

 ルーズリーフを覗き込みながら、姉貴がそう言った。

「ちなみに倉の鍵は居間の鍵置場で管理されていて、誰でも持ち出すことが出来たわ」

「壺の重さは?」

「結構重かったみたい。老人が持つのは、まず無理ね」

 俺は頷きながら、ルーズリーフに姉貴が言った内容を追記した。

「次は、日向家に住んでいた人たちだな」

 そう言って、俺は自分の手を動かす。


 日向家の住人①:日向 寛郎(ひゅうが ひろお)。家長。

 被害者の死亡時刻には、既に自室で就寝。


 日向家の住人②:日向 光信(ひゅうが みつのぶ)。寛郎の息子。長男。

 被害者の死亡時刻には、家政婦の橋本が持ってきたコーヒーを、妻である芳子と共に自室で飲んでいた。


 日向家の住人③:日向 芳子(ひゅうが よしこ)。光信の妻。

 被害者の死亡時刻には、家政婦の橋本が持ってきたコーヒーを、夫である光信と共に飲んでいた。


 日向家の住人④:日向 喜久男(ひゅうが きくお)。寛郎の息子。次男。

 被害者の死亡時刻には、仕事のため外出中だった。


 日向家の住人⑤:日向 卓雄(ひゅうが たくお)。寛郎の息子。三男。

 被害者の死亡時刻には、自室で野球中継を見ていた。


 日向家の住人⑥:日向 敏郎(ひゅうが としろう)。寛郎の息子。四男。

 被害者の死亡時刻には、自室でネットゲームをしていた。


 日向家の住人⑦:橋本 恵(はしもと めぐみ)。日向家の家政婦。

 被害者の死亡時刻には、光信と芳子にコーヒーを運び、給仕のため光信の部屋に待機していた。


 この七人が、今日姉貴を玄関まで見送りに来た、日向家の住人となる。

「監視カメラの映像だと、寺内さんの死亡時刻に、日向家から出入りした人はいなかったみたいね」

「家の中には、監視カメラを仕掛けてなかったの?」

「そうみたい」

 姉貴を聞きながら、俺は頷いた。

「寺内さんが死亡した時刻に家にいたのは、喜久男さん以外の六人、ということであってるよね?」

「ええ。そうなるわ」

 つまり、喜久男さん以外の六人が容疑者、ということになる。

「……だとすると、犯行が可能なのは二人しかいないんじゃないの? 姉貴」

「犯人以外の誰かが嘘を付いていなくて、かつ単独犯なら、そうでしょうね。でも、卓雄さんは犯行時刻付近の試合内容を覚えていて、敏郎さんはその時間ネットゲームへのログイン履歴が残っているの」

「やっぱり、姉貴もそう思うんだ」

 俺も単独犯なら、卓雄さんか敏郎さん、どちらかの犯行で間違いないと思う。二人のアリバイは、あってないようなものだ。

 しかし、鈴木さんの言っていたことが気にかかる。

「姉貴。もう一度確認したいんだけど、被害者は寺内さんだけだったんだよね?」

「ええ、そうよ。何か、気になることでもあるの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 不思議そうにこちらを見つめる姉貴から、俺は顔を逸らした。

 鈴木さんに顔が見えなかった人は、二人いる。共犯者の顔は見えなくならない。だとすると、卓雄さんと敏郎さんが、同時に寺内さんを殺害した?

「姉貴。寺内さんの遺体には、何か特徴とかあったりする? 例えば、縄で縛られていたとか」

「いいえ。外傷は頭部のみよ。強烈なのを、一撃ぶちかましたって感じだったわ。睡眠薬が使われた形跡も、なかったみたい」

「なるほど」

 だとすると、二人同時に凶器の壺を寺内さんの頭にぶつけるのは、難しそうだ。

 寺内さんが身動き出来ない状態だったならいざ知らず、二人で壺なんて運んでいたら、警戒されるに決まっている。

 そもそも、二人で同時に寺内さんを殺す必要性が全くない。顔が見えない人が二人いるから、俺が二人同時に寺内さんを殺害した、ということにしたいだけだ。

 ……やっぱり、誰の顔が見えなかったのか、鈴木さんに聞かないとダメかな。

「ほら、探偵ごっこはこれぐらいにして、早く寝なさい。これは警察の仕事よ」

「わかったよ」

 姉貴が自室に戻るのを見送ると、俺は先程まで推理に使っていた文房具類を片付け始めた。

「お、サトル。まだ起きてたのか?」

 振り返ると、風呂あがりの鈴木さんがいた。上はTシャツに下はスウェットとラフな格好で、頭にバスタオルを巻いている。

 先ほどまで姉貴が座っていた場所に、鈴木さんは腰を下ろした。また、シャンプーの香りがする。でも姉貴と同じシャンプーを使っているはずなのに、鈴木さんからはまた別の甘い匂いが漂ってきて、気づくと俺は、手に汗をかいていた。

「サトル、お前またそんなことやってんのか? お前がやる必要なんて、何処にもねぇだろ?」

「……いいだろ別に。気になっちゃうんだから」

 俺の手にしたルーズリーフを、鈴木さんが胡散臭そうな目で見つめている。

「で? 犯人。わかったのか?」

「いや、二人までは、絞り込めたと思うんだけど……」

 自分の推理に確証が持てずに、俺の声は尻すぼみになっていく。

 いや、それだけじゃない。

 あれだけ怖がっていた鈴木さんから、今すぐ顔の見えなかった相手の情報を聞き出したいと思っている、自分の浅ましさを自覚してしまったのだ。

 顔が見えない人の条件もだいぶ絞れてきたし、今回の件は無視してもいいはず。

 鈴木さんや姉貴の言う通り、別に俺が無理に事件を解決しなくても、何も問題は起きない。俺の行動は、全て自己満足だ。

 そんなもののために、また鈴木さんに怖がっていたモノを思い出させるわけには――

「教えてやろうか? 顔が見えなかった奴」

「え?」

 鈴木さんの申し出に、俺は随分と間抜けな返事を間抜け面で返してしまう。

「いいのか? だって、鈴木さん――」

「いいんだよ! あん時は、アレだ。初めてだったから、ついビビっちまったけど。今なら、大丈夫だからよ」

 そう言って、鈴木さんは俺の手を握った。風呂あがりのせいか、なんだか彼女の手が、いつも以上に温かく感じられる。

 俺は生唾を飲み込んで、再度鈴木さんに確認を取ることにした。

「本当に、いいの?」

「だから、いいって言ってんだろ! ほら、アタイの決心が鈍る前に、その……」

「わ、わかった。それじゃあ早速――」

「二人でぇ、なぁにをしてるのかなぁ?」

 突如後ろから聞こえてきた姉貴の声に、俺の体は二センチ程飛び上がった。鈴木さんにいたっては、三十センチ程横に移動した。つまり、俺に抱きついてきたのだ。

「初めてだからビビった? 決心が鈍る前に? 早速何を始めるつもりだったのかしらぁ? それとも、ナニ始めるつもりだったのかしらぁ?」

 OK。姉貴が盛大に勘違いしていることだけはわかった!

「姉貴。違うんだ。これは、さっき話していた事件の――」

「サササ、サトル! バババ、バケモノがぁぁぁあああっ!」

「だぁれぇがぁバケモノじゃぁぁぁあああっ! そして早くさっちゃんから離れんかいっ!」

 それから鈴木さんと姉貴をなだめるのに、三十分程時間を要した。

 クタクタの状態だったが、鈴木さんから、顔が見えなかった二人について話を聞くことが出来た。

 その結果、俺の推理は半分正解し、半分外れていた。

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