第三章②
『それで、百合子の様子はどうだい? 義息子よ』
電話にでると、開口一番にそう言われた。時刻は日付が変わり、ちょうど六月になってから十分程経過したところ。
知らない番号からの着信だったが、一発で相手が誰だかわかった。
「……どうして花さんが、俺の番号を知ってるんですか?」
『百合子に聞いたからに決まってるだろ?』
そんなこともわからないのかとでも言うように、電話の向こうから花さんの豪快な笑い声が聞こえる。
『それで? 百合子とは、うまくヤってんのかい?』
「……健全な、学友としてのお付き合いは、させてもらってますよ」
健全な、という部分を強調し、俺は苦笑いを浮かべた。
「鈴木さ、百合子さんは、大分良くなってきたと思います。俺が間に入れば、特定の人とは、何とか会話は出来るようになってきましたし」
『それは、元『美仁衣』の連中のことかい?』
「そうですね。後は、保健医の竹内先生とか、うちの姉貴とかです」
『そうかい。そいつは、良かった』
心底安心した声で、花さんはそう言った。短い言葉だがそれだけで、花さんが本当に鈴木さんのことを心配しているのがわかった。
簀巻きにしたり無理やり俺の家に連れてきたりと、結構めちゃくちゃな人だが、やはりこの人は、鈴木さんの母親なのだ。
……母親、か。
俺の胸に、なんとも言えない思いが去来した。
その言葉を、あの人のことを、俺は一年経った今でも、うまく整理しきれていない。
『おい、どうしたんだ?』
「……いえ、何でもないですよ」
『だったらいいんだけど……』
急に黙った俺を、花さんが訝しんだ。
俺は問題ないことを強調するように、話題を変えた。
「そういえば、俺の番号を聞いたということは、花さんは百合子さんと定期的に連絡を取っているんですか?」
『そりゃ母親だからねぇ。放っておくわけにもいかないでしょ』
「その割には、百合子さんを物理的に我が家へ放って行きましたよね、花さん」
『面と向かって話すと、あの子が怖がるからね。メールなら相手の顔も見なくて済むし、意思疎通にはちょうどいいのさ』
「なるほど」
そういえば最近、鈴木さんはよくスマホをいじっている気がする。
入院してから疎遠になっていた友達とも、メールで連絡を取り合っているのかもしれない。
『それにしても、便利な世の中になったもんだよ。朝刊を待たずにスポーツの結果も、洋服の注文も、全部ネットで出来るなんて。私の若かった頃には、想像も付かなかったねぇ』
「そうですね。試合の詳細や、服のサイズも選べますし」
一瞬、花さんの言った『若かった頃』について言及しようとも思ったが、それはさすがにやめておいた。言ったらきっと、簀巻きにされる。
『しかし、どうして百合子には、人の顔がバケモノなんかに見えるんだろうねぇ』
「それは、醜形恐怖症と網膜剥離を併発していた弊害としか、俺には言えないですね」
『なら、あんたの顔だけ人間に見える理由に、心当たりはあるかい?』
花さんのその質問に、俺の心臓が一瞬、息の根を止めた。その後止まっていた分を取り戻すかのように、心臓は急速に伸縮を繰り返す。
俺は自分の動揺を悟られないよう、ゆっくりと口を開いた。
「さぁ、どうでしょう? 俺の顔が、元々バケモノじみてるからじゃないですか」
『そいつは謙遜し過ぎさ。あんたは十分いい男だよ』
そう言って花さんは、また豪快に笑う。
それに対して、俺は頬を引き攣らせながら、お礼を言った。
「あ、ありがとうございます。あ、そうだ。花さんにとって、バケモノって言ったら、何をイメージしますか?」
『……そうだねぇ。私のオカンかなぁ』
それブーメランになってませんかっ!
『まぁバケモノって言われると、どうしても幽霊とかより、ライオンとか狼男とか、そういうわかりやすいモノをイメージするだろうね。百合子なら』
「わかりやすいもの?」
『頭の中に、絵が浮かびやすいモノ、ってことさ』
花さんは、そう断言した。
「どうして、そう思うんですか?」
『私たちの顔がバケモノに見えるって言ってるのは、百合子だけだろ?』
「……つまり、百合子さんの『目』を通して見た世界では俺以外はバケモノに見えるけど、俺が百合子さんの『目』を通してみれば、人の顔はバケモノじゃなくて宇宙人に見えるかもしれない、ってことですか」
『そういうこと。そして、あの子の頭の中にモノを表現するための語彙なんて、そんなに入っちゃいない。私らの顔を見て、自分の頭の中にあった『絵』に一番近かった単語がバケモノで、それをとっさに使っただけだろうさ』
「百合子さんが見て、一番近かった単語が、バケモノ……」
『ま、私の想像だけど。それじゃあ夜分遅くすまなかったね。それじゃ』
そう言って花さんは、一方的に電話を切った。スマホから流れる事務的な通話終了音を聞きながら、俺はカーテンを開け、空を見上げた。そこには、雲ひとつない夜空が広がっている。
明日は暑そうだなと、そう思った。
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