第四章③

とはいえ、モロと契約していない今の俺は術を使っている。正確には、使い続けている。

俺の生んだ炎もそうだし、この辺一体の強度を上げているのにも鼓を使って術を発動させているが、今俺が一番鼓を使っているのはモロとの契約維持だ。

今モロが実体化出来ているのは、モロと契約を結び直したからではない。俺が術で無理やり契約を修復しているのだ。

悪魔との契約を一方的に魔術師の方から一方的に結ぶために、途方もないほどの鼓を使い、さらに鼓を念入りに抑え込むことで、俺はようやく術を使えている。

正直、怖くてたまらない。少しでも間違えば、この世界を滅ぼしかねない自分の力が怖い。

だから、俺の右腕から感じるモロの熱を、モロから受けているこの痛みがなければ、俺は自分の鼓で術なんて使えない。一人ではこの恐怖に立ち向かえない。モロがいてくれるから俺は今立っていられるのだ。

きっと、モロも同じ気持ちでいてくれるはずだ。だから俺たちは、まだ契約し直さない。この恐怖に耐えるのは、俺たち二人には必要なことだから。

だから俺たち二人は、この恐怖を顔にも出さないように必死で抑え込み、カーネルとブチを冷めた目で見つめている。

「こんな、無理だ。バカげている……。初めから勝ち目なんて、普通の人間と普通の悪魔に、お前たちに勝ち目なんてないじゃないかっ!」

俺たちの話を聞いたカーネルは、自分の絶望を吐き出した。

「何でお前たちは、このことを他の魔術師に話さないんだ? お前たちの契約の話を広めれば、お前たちを襲おうなんて魔術師はいなくなるはずだ! 私だって事前に知っていれば、こんなことは考えなかったのにっ!」

「そんな後出しじゃんけんみたいなことを言われても困る。それに、人間っていうのは貪欲なもんでね。奇跡が目の前にぶら下がっているのなら、案外崖から飛び落ちるぐらいのことはやるもんさ。それをしない人間は、そもそも悪魔と契約して魔術師になんてなろうとは思わないよ、カーネル。お前は今俺たちに負けた後この事実を突きつけられたからそう思っているだけで、俺たちを襲う前にこの事実を知っていたとしても、必ずお前は俺たちを襲ったはずだ。それが魔術師だろ?」

俺の言葉に、カーネルは黙り込んだ。カーネル自身も分かっているのだ。俺の言ったことが正しいということを。魔術師となった人間が、他人を殺してでも奇跡をつかみたいと思う人間の欲望が、たかが自分が死ぬかもしれないというだけで立ち止まることなんて、ありえない。

「どうせ言っても無駄なんだから、そもそも言う必要がない。だから言わない。それにこの話を広めると、一緒にモロが鼓を持っている存在に、人に触れたら死ぬ、ということも伝わってしまう」

そうだ。そんな話、広めれるわけがない。

カーネルも俺の気持ちを分かってくれたようで、頷いている。

「姫に触れられたら死ぬ、か。確かにそれが知られると、魔術師は迂闊にお前たちに近づこうとはしないな。戦術の幅が狭まる」

そう言って、カーネルは何故か納得した顔をした。

「いや、重要なのはそこじゃない」

何故急にカーネルは戦術の話をし始めたんだ?

「重要なのは、モロが触れたら死ぬと、他の誰かに広まらないようにすることだ。何故ならモロは、以前誰にも触れることが出来ないということに絶望を感じていたからだ。わかるだろ? 何でわざわざ俺の女(モロ)が気にしていたことを広めなくてはいけないんだ? 自分の女(モロ)を傷つけて楽しむ趣味は、俺にはない」

だから戦術だとか一切関係なく、この話は魔術師たちには広めない。

モロに折られすぎて感覚がなくなっている右腕を術で強引に動かし、俺はモロの腰を抱きしめた。

「俺の鼓はどこまでも広がり続けて、俺は自分の形を持てなかった」

「妾は自分の中身が詰まっておらず、誰も妾を満たせんかった」

「俺はモロに抱きしめられることで自分の形を得ることが出来た」

「妾はコーイチを抱きしめることで、妾の中身を満たせたのじゃ」

「今の俺がいるのは、ここに俺が存在できるのは、モロのおかげだ。このくだらないどこにでもある(モロが隣にいる)日常が、俺にとって何よりも一番大切なものなんだ」

「非日常(コーイチがいない)なんて、考えられん。じゃがコーイチと妾の契約が解消してしまうようなことがあれば、それを手放すことになるのじゃ」

「そんなこと、許せるか?」

「そんなもの、許せるはずないのじゃ」

「手放せるわけがない。俺を初めて受け止めてくれた人を」

「手放せるはずないのじゃ。妾を初めて満たしてくれた人を」

「それを狙うやつらは、誰であろうと全員殺す」

「相手が神じゃろうが、悪魔じゃろうが、全員殺す」

「俺の女に手を出そうとするやつは、全員殺す!」「妾の男に手を出そうとするやつは、全員殺す!」

俺たちの叫びに呼応するように、周りの炎が火柱を上げて燃え盛った。

「そもそも、一体の悪魔と契約しただけで奇跡を起こしてもらえるだなんて、都合が良過ぎる」

そう、都合が良過ぎるのだ。こんな魔術師だけに有利なルールを、モロの存在で契約に穴がることに気がつき、ルールを追加した神(クソ親父)が、それ以降ルールの追加をしていないのは不自然だ。

「あのふざけた神(クソ親父)のことだ。俺がここにいることも、モロと契約したことも、ちゃんとどこかで見ているんだろう。その上で何もしてこないってことは、あえて神への最短ルートを絶対に越えられない壁(俺とモロ)にしているんだろう。そして奇跡に手が届かず、道半ばで倒れる魔術師を見て笑っているに違いない!」

俺とモロを創って世界のルールを変えたのは、単に神(クソ親父)が暇つぶしのためにやったことだ。自分が楽しむためなら、仮に神(クソ親父)の元まで魔術師がたどり着いても、平気で約束を破り、奇跡を起こさないことだって十分考えられる。

「神(クソ親父)の所まで行っても無駄になる可能性が高いとか、ホントアイツはクソ過ぎる」

「じゃから言っておるじゃろう? コーイチ。コーイチが望めば、妾は今すぐにでも御主を神の前に連れて行ってやる、とのぅ」

モロは俺の腕に絡めていた両腕を解き、今度は前から抱きついてくる。トラックに轢かれたと勘違いしそうな衝撃が、俺を襲った。

「はよぅ神を目指そう、コーイチ。さっさと神の元まで行って、とっととあの神を殺してしまうのじゃ。妾たちならできる。あんなやつよりも、お前の方が絶対に神に向いておる。はよぅ殺して、妾と一緒に永遠に生きるのじゃ」

もう何度もモロから聞かれている質問に、俺は辟易しながら答えた。

「だから、それはいいって。いつも言ってるだろ?」

「何故じゃ? 人間の御主は、きっとこのままだと妾よりも先に死んでしまう」

抱きついたモロの視線が、俺をじっと見つめている。その目は捕まえた獲物を離すまいとしている、猛禽類の瞳だった。

背骨が折れそうなほどの圧力をモロから受けながら、俺はその目を見つめ返す。

「死ぬのは許さんぞぅ、コーイチ。妾より先に死ぬのは許さん。死んでも許さんのじゃ。妾が死んだ後生きているのも許さんぞぅ。御主は妾のじゃ。妾とともに生き、妾とともに死ぬのじゃ!」

モロの熱のこもった甘い吐息が、俺の顔にかかる。その甘さは、獲物を誘う食虫植物の香りだ。

「神が嫌なら、コーイチも悪魔になるか? 御主ならきっと神にも悪魔にもなれるぞぅ」

狂気の笑みを浮かべるモロは、本人の言う通り、未来永劫俺を放す気はないのだろう。そして、それは俺も望むところだ。

だが、

「……気に入らないな」

「何じゃんと?」

「その言い方、嫌いなんだ。俺」

そう。気に入らないのだ。

「何だよ、神にも悪魔にもなれるって。悪魔に相当するのは、神じゃなくて天使じゃないのか? 天使か悪魔か、っていう対比じゃないと力関係的に釣り合わないだろ」

神にも悪魔にもなれる。それは魔術師たちが目指すマリーンのキャッチフレーズのようなものだ。

だが俺は、このフレーズが気に入らない。

そもそも、神と悪魔は同列に語っていい存在なのか?

「神と悪魔が争ったら、当然神が勝つに決まってる。それとも神様は、自分より格下の悪魔としか戦わないのか?」

そう。神の下には神の使いである天使がいる。

だったら、悪魔と比べられるべき存在は、天使じゃないとおかしいだろ?

「そもそもアイツは暇つぶしで自分の敵になるかもしれない悪魔は創るくせに、なんでアレは創らないんだ?」

いるだろう? 神と肩を並べられる、神と比べられるべき存在が。

「自分と対極にいるはずの、『魔王』を何で創らないんだ?」

天使と悪魔で対比するのが正しいなら。

「神と対等にやりあえるのは、魔王だけだろうが!」

だから俺は、あのフレーズが気に入らない。

暇つぶしといいながら、あの神(クソ親父)は悪魔までしか創ろうとはせず、魔王は決して創らなかった。

あのフレーズは、そんな神(クソ親父)の傲慢を肯定しているように聞こえて仕方がないのだ。

神と戦うのは、悪魔だけだと。

神が確実に勝てる悪魔以外、神に盾突く存在はいないのだと。

だから神(クソ親父)は、何をやっても、俺やモロを創っても許されると肯定しているように聞こえて仕方がないのだっ!

「明らかに自分の勝てる範囲内でしか戦おうとしてないじゃないかっ! 暇つぶし暇つぶしって言いながら俺たちみたいなのを創る前に、いっぺん自分の守備範囲から出てみろって言うんだよあの引きこもりがっ!」

そんなの許せれるか!

創造主(生みの親)だからって、創った存在(自分の子供)に何してもいいわけじゃねぇんだぞっ!

だから、どうせ目指すんなら、俺は神でも悪魔でもなく。


「俺は、どうせなら魔王を目指す」 

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